夢篠
2025-06-10 22:07:31
3091文字
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うつくしいせかい

雑渡昆奈門の狂気


美しい着物、豪華な簪、綺羅綺羅と輝く装飾品。私の贈った物をその身に纏うナマエはとても美しくて、私はいつもその姿に見惚れて何も手に付かなくなってしまう。とても綺麗で大切な、私だけのナマエ。本当に愛おしいと思う。

彼女には、美しい世界だけを見ていて欲しい。彼女の好きな物、好きな人間、好きな環境。彼女の周りは全て彼女にとって好ましい物らで埋め尽くされて欲しい。こんなに誰かを愛おしいと思えるなんて思わなかった。

ナマエの許を訪れる時、いつも緊張してしまう。柄にない事は分かっているけれど、不安だ。今日の贈り物、ナマエは気に入ってくれるかしらって。

「今日は城下で人気だという草子を持ってきたんだ。お前が気に入ってくれると良いのだけれど」

幾つか纏められた草子を手渡す時、少しだけ手が震えてしまう。きっとナマエは気付いていないだろうけれど。ナマエがゆっくりと私の手から草子を受け取って、表紙を検めてからにこり、と微笑んだ。あ、良かった。今日も、許された。

「これ、ずっと気になっていたんです。お願いしようかなって思っていたけれど、昆奈門様はお忙しいからどうしようって思っていて。だからとても嬉しいです」

「もう、そうなら早く言ってよ~!ナマエの頼みだったら、私は何でも叶えたいんだからさ」

本当に、何でも叶えたいと思っている。着物も装飾品も食物も或いは誰かの生命だって。ナマエが欲しいと言うのなら、何だって私は持ってくる。唯一つ、自由以外なら。今の所その予定は無いようで、私はひと安心だ。

「ねえ、私もそれ、読んでみたい。読んでよ」

「まあ、では昆奈門様が先にお読みになりますか?」

「違うって。ナマエに読んで欲しいの。ナマエの声で聞きたい」

少しだけ自重を掛けて、ナマエの肩に触れる。ナマエは困ったように笑うけれど、ゆっくりと私の頭に手を伸ばして、そこを擽るように撫でてくれた。

「甘えん坊さん」

冬の終わりに咲く花のような笑顔だった。私は花を愛でた事は無かったけれど、愛らしいな、と思った。

ナマエの膝に頭を乗せると、いつもとは違う角度から彼女が見える。見下ろす事が多いから普段は気付かないけれど、ナマエは左側の顎と首の境目辺りに小さな黒子がある。本人にだって言ってない、私だけの秘密。ナマエが瑠璃鳥の囀るように草子を読むのを聞いている。内容に意味なんて無かった。ただ、ナマエの声が聞けるならそれで良い。

目を閉じたら、ナマエの熱と声と柔らかさとで、まるで抱き締められているみたいだった。嗚呼、幸せだ。ナマエと一つの個体になれない事を絶望した夜もあったけれど、二つだったからこうして彼女の熱を感じられる。幸せだ。だから、決してナマエを喪いたくない。何をしたとしても。

ナマエの気を惹くための贈り物にはいつも迷う。流行りの着物も簪も、珍しい甘味も草子も何もかも、もう、贈り尽くしてしまった。ナマエは何でも喜んで受け取ってくれる。もしかしたら今まで贈った物の中に、意に沿わない物があったかも知れないけれどでも、決してそれを表には出さなかった。だから余計に分かり難い。何を贈れば喜んでくれるのか。何を贈れば私の許にいてくれるのか。散々迷って、でも今日は何も思い浮かばなかった。

そしてふと、視線を遣った先に、それはいた。嗚呼、こういうの、まだナマエには見せた事が無かったなあ。

ナマエには本当に申し訳ないのだが、私がナマエを訪れる時はいつも予告無しだ。忍軍の長としていつ何があるか分からないから、長期に里を空ける事もある。勿論機密も多く日程などナマエに告げられない事もままある。だから可能な時は可能な限り、ナマエの許を訪れたい。私の訪れはいつも、急だった。

ナマエ!」

「まあ、昆奈門さま。今日もお会い出来て嬉しく思います」

愛らしい顔で愛らしく微笑むナマエに今すぐ触れたいけれど、手の内の物がそれを許さない。嗚呼、わくわくするな。これを見たら、ナマエはどんな顔をするだろう。

「見せたい物があって来たんだ」

「見せたい物?」

「そう。ナマエはなかなか外に出られないだろう?だから、ほら」

手の内からそっと、それを取り出す。大きくて美しい翅の蝶々だ。これ程美しいのを、私は見た事が無い。きっとナマエも。

「っや!」

ばっ、とナマエが身を縮める。時が止まった。それは、拒絶に他ならなかった。頭から急激に血液の下がる気がした。間違えた。間違えてしまった。これは、違っていた。

「ご、ごめんね!急に虫なんて見せたら驚くよね!ごめん、本当に、ごめん……。綺麗だと思って、あの、すぐ、捨ててくるね」

それ以上ナマエの反応も見れずに逃げるように室を飛び出す。背後でナマエが何か言っていた気がするけれど、聞こえなかった。井戸まで来て足を止めても荒らぐ息を落ち着ける事は出来ない。

どうしよう、ナマエに拒絶された。こんな、こんな塵みたいな生き物のせいで。どうしよう、これでナマエが私の許を離れてしまったら。何を贈れば許して貰える?どうしたら。嗚呼、でも取り敢えず、こいつはもう、必要無いや。

ナマエの怖がる物は、この世には必要無い。だから仕方の無い事なのだ。私の手の中で蝶々は握り潰されて汚く死んでいた。嗚呼でもこのままではナマエに触れられないから死骸は打ち捨てて井戸で手を清める。鱗粉は手に纏わり付いて、洗い流すのに難儀した。何度も何度も手を擦った。あの虫螻の汚らしい体液がまだ残っている気がして。その内に、手から血が滲み始めた。その手を横から取られた。ナマエだった。

「もう、昆奈門様、何をされているの?」

「え、あ、ごめん。あの、蝶々触った手で、ナマエには触れないから……

俯いてしまったのは目が合わせられなかったからだ。拒絶されるのが恐ろしい。彼女に拒絶されたらきっと、私はきっと本当に、人倫に悖るような、恐ろしい手段を取ってしまうだろうから。取られた手を握りたいのに、血が滲んでいるから何も出来ない。視界が滲むようだった。

「もう、血が滲んでしまっているではありませんか!こちらで薬を塗りましょう?」

「え、あ、良いの?」

……?何がですか?」

私の言葉にナマエが大きな目を瞬かせる。その目には嫌悪は見えない。

「怒ってないの?吃驚させてしまったでしょう」

「もう……。吃驚しただけです。怒ってはいませんよ。だって急に目の前に出てくるのですもの」

「ご、ごめんね……

安堵が全身を駆け巡る。良かった。ナマエは私の事、嫌わないでくれた。良かった。嗚呼、次はもっとちゃんとしよう。

「さっきの蝶々さんは?もう逃したのですか?」

「え?あーうん、そんな感じ。次は吃驚させないように気をつけるね」

手を取られて、二人で連れ立ってナマエの室まで向かう。ふっと息を吐いた。自分の選択の正しかった事に安堵した。だってさ、もしかしたらナマエが追い掛けてくるかも、と思うじゃない?良かった。死骸、ちゃんと見えない所に捨てといて。