umeyume32
2025-06-08 23:37:23
2444文字
Public
 

君の体温と同じくらいの、

トーマくんと夜食を食べたりする話(書き下ろし・ごはんプチ参加作品)


自分の声で、目が覚めた。うなされていたようで、少し身体が汗ばんでいる。桃花色ももはないろの羽織りを肩にかけて襖をそっと開けた。
隙間に身体を滑り込ませて外に出る。誰も不必要に起こさないように足音を忍ばせながら歩んでいく。
夜の社奉行屋敷は、静かだ。廊下全体が沈みこむように暗く、夜更けの空気には動きがない。ひたひた、と歩む音を聞いていると、まるで世界にひとりきりになったようだった。
そんなはずはないとわかっている。けれど、無性にあのひとがわたしの名を呼ぶ声に触れたくてたまらなかった。

……?」
厨の近くまできた。中に誰かいるようで、ゆらめく蝋燭の明かりが見える。こんな時間に誰が何をしているんだろう。少し緊張しながら中を覗く。
「あれ?起きたのかい?」
「トーマくんこそ」
中にいたのは、ついさっきまで脳裏に思い浮かべていたひと。近くに寄るとふんわりといい匂いがする。
「オレは若に夜食を用意した後の片付け中だよ」
「綾人さまもだけど、トーマくんもお疲れ様」
「はは、ありがとう」
そうだ、とトーマくんが呟いた。首を傾げたわたしに彼は笑いかける。
「どうせだからオレたちも夜食を食べようか」

ぱちぱち、と火が爆ぜる音が散る。しっかり沸かしたお湯で作ったお茶を冷たいご飯にかけた。梅干しとたくあんを添えて、できあがり。たくあんを箸で掴んでかじる。そして息を吹きかけて冷ましながら、熱いお茶とご飯をすする。トーマくんが作ってくれたお茶漬け用のふりかけからも複雑な味がお茶に溶け込んでいる。思わずため息がでてしまうくらいに、おいしい。
「身体、温まるね」
「よかった。君が寒そうに見えたから心配してたんだ」
「そう?」
「まだ夏になるには早いからね。しっかり暖かくしてくれよ」
「うん。でも、今は大丈夫だよ?ほら」
ほかほかと温かくなった手を差し出す。トーマくんの大きな手が、重なる。わたしよりも熱い手のひらから、じわじわと温度がうつってくる。
「トーマくんの手のひらはあったかいね」
「君の手のひらもね」
大きく暖かな手のひらが、わたしの手を握りしめたり解いたりして遊ぶ。くすぐったくて、くすくすと笑えば、何も言わずに優しく微笑んでくれる。さっきまでさみしくてたまらなかったのに、トーマくんと並んでお茶漬けを食べてから心が暖かくなった。
いや、トーマくんの傍にきてからだ。特別にやわらかい微笑みを降り注いでくれる太陽みたいなひと。このひとの心は、きっとお茶漬けみたいに熱くて優しい味がするんだろう。
わたしの大好きで、大切なひと。一緒にいるとわたしはどこまでも満たされる。
「よし。そろそろお茶漬けが冷めるから食べようか」
……ん、そうだね」
同じ温度になった手のひらが離れていく。ちょっと名残惜しいと思いつつ、少し食べやすくなったお茶漬けをすする。やわらかくなったご飯の甘みが、噛み締めるたびに口の中にひろがっていく。少しづつかじっていたたくあんが無くなった。梅干しを中に入れて潰してみる。お茶漬けと一緒に味わうと酸味が飛び込んできた。耳の下あたりがきゅうっと引き締まる感覚が、癖になる。最後の一口をごくり、と流し込んで茶碗を置いた。
「ごちそうさまでした。はぁ……おいしくっていっぱい食べちゃった……
「ごちそうさま。このまま寝られそうかい?」
「寝られると思うよ。でも、食べたばっかりだからちょっとだけ片付け手伝わせてもらってもいい?」
「もちろん」
茶碗と箸を下げて、布巾で台を拭いているとトーマくんに呼ばれた。
「これで水気取って棚にしまってくれるかな」
「うん」
トーマくんが洗った食器を受け取り、専用の布巾で水気をとる。普段は、茶碗を伏せて水を切って乾かす。でも、今は棚に茶碗をしまわなければならないらしい。どうやらトーマくんは急いでいるようだった。
「おつかれさま。助かったよ」
「こちらこそお茶漬けごちそうしてもらっちゃって……これからのお仕事も忙しいのに……
トーマくんにはこれから急ぎの何かがあるのかもしれない。もしそうだとしたら、わたしと夜食を食べることで時間を使ってしまっただろう。それが申し訳なくて落ち込んでいると、トーマくんはきょとんとした表情を浮かべた。
「この後は何も予定は無いよ」
「そうなの?急いで器をしまってたから何かあるのかと……
「あぁ、うん……
トーマくんは、少し照れくさそうに頬をかいた。そして、そっとわたしの手をとる。
「さっき、君の手に触れたけど……
もう片方の手のひらが、ゆっくり近づいてくる。わたしの頬に触れたその指先が、顔の形を確かめるように輪郭をなぞる。
……もっと長く、君に触れたい」
熱に浮かされて、陽炎のようにゆらめくみどりのひとみ。吸い込まれてしまいそうなくらいに熱く濡れていて、心臓がばくばく音をたてる。
わたしのゆるしを待つひとは、きっと知らないんだろう。わたしも、トーマくんにもっと触れたいと思っていることを。
まだ恥ずかしくて声にはだせないけれど、わたしも同じように思っていることを伝えたい。わたしの頬を撫でる手を捕まえて、静かに唇を寄せた。
自分でしたことなのに、思っていたよりもずっと恥ずかしい。かぁ、と熱くなった頬を隠そうとする前に抱き寄せられて、首筋にトーマくんの顔が埋まった。
……あまり、煽らないでくれよ」
……っ」
吐息混じりの声が、耳をくすぐった。わたしの心臓だけじゃなくて、抱き寄せられたトーマくんの心臓も早鐘を打っている。小さくてかすれているけれど、はっきりとした彼の声。その優しい声が、わたしの名前を紡ぐ。
「君のことが、大切なんだ」
そうして、ぽつりと零された幸せがまた。わたしの心をどうしようもなく温める。胸がいっぱいで何も言えなくなったわたしは、ただひたすら愛しいひとを抱きしめた。