・
・
・
ゴ
――――――ン
ゴ
――――――ン
ゴ
――――――ン
……
ああ。これだ。この音だ。
おれが三年間待ちわび、怯えていたのは。
はじめて聞くはずの音なのに、
なぜか知っているような気持ちになる。
「?? にい、ちゃん
……?」
さいごに聞こえた声が、耳にこびりつく。
どん! っと結構な力で外に押し出した弟は、茶色のひとみを真ん丸にして俺を見上げていた。
ああ。ああ。よかった。
助かった。助けることができた。
ぱっと見、しりもちをついただけのようだ。
――三つ下の、かわいい俺の弟。
あの人らが嫌な顔をするのにも構わず、俺の後ろばっかついてまわって。きっと今ごろ、血眼になって探しているだろう。
俺なんかの卒業式に、この子が来てしまうなんて予想が付いただろうに。ちゃんと大事にしておけよ。
何でも自分たちの都合のいいように考えるのは、けっきょく最後まで変わらなかった。
「おお、こんな風になんのか」
校門を境に、まるで昼と夜がわけられたようだ。
ひっしに俺の方に伸びてくる小さな手が、いっしゅん目に入ったが、キィン
――っという引き攣れた音がするだけ。
どうやら外からは完全に遮断されてしまったらしい。視界はすぐに暗闇になった。なんだよ。もっと顔、ちゃんと見ておけばよかった。
「さむ
……っ」
まるで季節すら、ごそっと変わってしまったようだ。頭上を見あげると、淡くけぶるような青い月が校舎を照らしている。
星のひとつも見えない、異様な空だ。
「お、スマホ生きてんじゃん」
無抵抗なのもシャクなので、スマホの明かりを頼りに部活棟を目指そうと思った。逃げ足は速い方だ。
引退したはずの剣道部の部室には、この手に馴染んだ竹刀がある。屋上を目指すにしても、何も無いよりはマシだろう。
「
……夜明けまで、逃げきれちゃったりして」
望みのないセリフを、ゆっくりと吐き出す。恐怖がないわけじゃない。ずっと、ずっと、この三年間怯えてきたのだ。不思議と恐れよりも『とうとう、きた』という感情の方がまさった。
『ソレ』を目にするまでは
――、
ズ、ズ、
ズズズ
……
「
――……なん、だよ
……ッ」
なんだよ。
なんなんだよ、アレ
――
真っ暗なはずなのに、ソレは嫌でも視界に這入り込んできた。
白い手だ。グラウンドから巨大な白い手が『生えて』いる。
どす黒い色の地面が割れ、ドラム缶のように太い指が、ぐにぐにとうごめく。ぶよぶよの白い塊はかろうじて手の形をしていたが、よく見れば六本あった。
「ぅ、ぐ
……っ
……」
ぐぅっと吐き気がのどの奥をつく。
気がつくと、全身にびっしょり汗をかいていた。
今日で最後だった制服のシャツが、冷たい汗で張りついている。悪夢のような光景だ。
だが夢じゃない。これは現実だ。
――きょう、このひ。
おれはアレに喰われるのだ。
* * *
――数時間まえ。
卒業式を終えた俺は、女の子たち
……ではなく、春に高校生になる弟に制服のボタンをせがませていた。
「ぼく、にいちゃんのボタン欲しいってゆってたのに!」
「しょうがねぇだろ? 俺たち戦友だ~~っつって、ほとんど身ぐるみはがされたんだから」
創立三百年を誇るこの学校の、三百年目の卒業生が俺たちだった。どこもかしこもボタンをはぎ取られたグレーのブレザーを見た弟の、少し垂れたまるっこい目が尖る。残念ながらすべて男どもに、だ。うちは男子校だからな。ちょっと特殊な。
「ぼくだって兄ちゃんのモノがほしい
……っ」
「~~~っまてまて、泣くな。泣くなって!」
弟に弱いのは昔からだ。俺に無関心な両親の愛情を一身に注がれた、三つ下の弟。親がそんな態度ならちょっとぐらい調子にのって、兄をバカにしたり疎遠になってもいいのに。
なぜだかこいつは俺に懐いたまま。
親の目をかいくぐって、近寄るなと言われていたこの高校に足を踏み入れてしまうくらい。
俺は俺で、すっかり油断してしまっていた。
百年ごと。
百年を境に、ある儀式が行われる。
山間部にひっそりと建つこの高校は、ちょっと特殊な環境にあった。儀式は気まぐれで、『おおよそ百年』ってヤツだ。合図は鐘の音らしい。ご先祖様らが必死になって封印した『ソレ』は、この学校の下にあると言われている。
封印したのではなく『調伏できなかった』が正しい。
この集落はかつて『裏陰陽師』と呼ばれた、土御門の末裔たちがひっそりと暮らしていた場所だ。
――朝廷の権力争いに敗北した側の、だ。それこそ百年前はまだ『祓える』者たちもいたらしいが、今は見る影もない。
『持っている』者たちが、喰われてきたからだ。
『
――学校で鐘の音が聞こえたら、
なるべく高い所に逃げなさい
……』
俺に唯一親身になってくれた伯父からの助言だった。
百年ごと、腹を空かせた『ソレ』は食事のために地上に這い出てくる。合図は鐘の音。朝日がこぼれる時間まで逃げ切れば、生存。つかまれば喰い殺される。命をかけた鬼ごっこだ。
俺の代はみんな、ずっと、ずっと言い聞かされてきた。
逃げてもムダだった。
逃げ込んだ土地で自分に関わったものに、口で言うのも憚れるよう不幸が訪れる。そうして最後に、当事者が狂うのだ。
ただし儀式は気まぐれだった。俺の代のまえ。祖父のすこし上の代は能力を持った者が豊富だったらしい。次に『ソレ』が腹をすかせるまで時間が空くのではないか? と言われていた
――食い散らかされた、若い術者たちのおかげで。
三年めに鐘がならなければ、逃げきりだ。そうしてきょう、俺は卒業式を迎えた。迎えたはずだった
――
ゴ
――――――ン
ゴ
――――――ン
ゴ
――――――ン
「
――、
……っ」
喉の奥からかすれた声が出そうになる。
けれどそれよりも先に、洪水のような鐘の音の衝撃に見舞われていた。
ズ
……ズズ、
ズズズ
……
ぶよぶよの白いかたまりが、校舎めがけて這いずりながら、サッカーゴールを紙クズのように押しつぶしていく。
幸い、グラウンドには誰もいない。卒業式を終えたばかりの連中はきっとまだ教室だ。あの鐘の音をきいて、いまごろ屋上に逃げ込んでいるかもしれない。
(行かせる、かよ
……っ)
俺はこの土地が嫌いだ。
寺だの神社だのがやたら多いくせに、誰もが『ソレ』の陰にずっと怯えている。不満ばかりのつまらない毎日だった。
それでも俺たちは生きていた。餌になど、誰だってなりたくない。大人しくなってやるものか
――
「ぅ
……、ぁ、ぁ、あ
……っ」
だめだ。むりだ。あんなもの、逃げ切れるはずがない。
よろめく足にちからを込める。
このままアレを、校舎に向かわせるワケにはいかない。
アレは腹は空いていないはずだと言われていた。
こう見えて俺はそこそこ『持っている』らしい。腹の足しにでもなれば、一人か二人ぐらいは喰われずにすむだろうか。
「オン、バサラ、ユタ
……」
唯一あつかえる真言を、
くちの中でくり返す。
ぱちん
……っと。
小さな青い火花が、頼りない暗闇に弾ける。
竹刀でもなんでも持っておけばよかった。媒介がなければ、俺の力はこんなものだ。足がすくむ。全身汗だくだ。呼吸さえ、ままならない。
「オン、バサラ
――……ッ」
ズ
……ズズ、ズズズ
……
ずずずずずずずずずずず
「
……ッ
……さっさと来い! ノロマ
……っ、まっずい飯くれてやる
……っ」
ぶよぶよの白くぬめる肉塊が、異様な速さで校門へ這いずっていく。
俺の弟は明るい門のそとだ。
それだけで、みっともなくふるえる足が崩れずにすんだ。
(ざまー、みろ
……!)
ざまーみろ。
おれのいちばん大切なものは、少しも傷つかない。
ざまーみろ、おれを喰っても、
おれのだいじなものは、なにひとつ損なわれない。
「っあ~~~~~~クソッ」
……こんなの、みっともない強がりだ。
嫌な汗がとめどなく流れる。でも、嘘じゃない。
おれは、おれの命はこのために『ある』
上出来じゃないか
――
「
――――へ?」
それは、いっしゅんの出来事だった。
青い閃光が、音もなく弾ける。ぞわっと鳥肌がたった。
おれのつくった火花の比じゃない
――大地に、亀裂が走っていく。
「は
……??」
びちゃびちゃと粘着質な音を立てながら、白い塊が切り刻まれていく。
地面に飛び散った肉片はビクビクっと数秒うごめき
……泥のように動きを止めた。
「
――おもったよりおおきい、な
……っ」
とん、っと。
重さを感じさせない黒い革靴が、地面を蹴りつける。
それは場違いなほど、穏やかな声だった。
「
……ッ
……っ」
声もなく、息を吸い込んだ。
――ちいさな手だ。ちいさな白い手が、黄色い石のついた杖をふるう。
そのたび目に痛いほどの青い閃光が、視界いっぱいに弾けた。
なま白い塊が、狂ったようにビチャビチャ体液をまきちらし、音にならない咆哮をあげている。まだ終わりじゃない。
まだアレは、おれを、おれたちを喰おうとしている。
それなのに。淡い、か細い期待に胸が揺れそうになる。
「
……てん、し
……?」
ちがう。これは、これは悪魔だ。
黒いマントがひらひらと目のまえで舞っている。
額には身体に見合った、小さなツノがあった。
黒ずくめなのに。間違えそうになったのは、その頭上に天使の輪のような光を湛えているからだ。
「
――フユ、いけそう?」
「はいっ! 3世さま。凍らせる、でいいですか?」
「うん。教えたとおりに、できそう?」
「できます! できますっ! フユは、3世さまの眷属でございます!」
さんせいさま、という言葉をきいてハッとする。
ちがう。そんなはずはない。
俺のような者のまえに、あらわれるはずがない。
「っあの! さっきの真言ですよね? 続けられますか?」
「
……え
……っ? ぁ、はい」
くるんっとこちらを向いたのは『フユ』と呼ばれていた白髪の大男だ。
真正面しか見ていないその悪魔の背中を、サポートするように、でかい鎌をふるっている。
ぶおんっと大振りに鎌がふるわれるたび、周囲の温度が一気に下がるのがわかった。
こいつも平気そうな声だ。でもその声の硬さで、平気じゃないことが伝わってくる。
「あっ
……!!!」
六本目だ。
六本目の巨大な指が、大男とちいさな悪魔のあいだに割り込むように這い出てくる。
嫌な汗が、止まらない。ぶよっとした白い塊が、みるみると男を押しつぶすように襲いかかり
――
「~~~~~ッさんせいさま、だめです!! さんせいさま、にげて
……っ」
必死な声だ。ほとんど泣き声と言っていいだろう。
声の先が、ほそく、ふるえていた。あたりまえだ。
眷属と言っていた。いざとなれば盾にならなくてはならない存在だ。それなのに、
「さんせいさまッ!!」
するどい針を、刺すようだと思った。
おれたちの前に這入り込んだちいさな身体は、少しもゆずらない。腹の底が、ずくりと冷える。すぐに視界が暗転した。
それがひるがえるマントだと気づいたときには遅かった。
――あの黒いマントが、おれと大男、ふたりを包むように守っている。
(だめ、だろ
……っ)
ああ。ああ。なんてことをしているんだ。
それじゃ
……っ
それじゃあんたは、あんたの身は誰が
――
「メフィスト」
――夜を、切り裂く声だ。
しずかにその名を呼ぶ声が、空間を支配する。
(
――――は???)
なんだ、あれ。
おびただしい数の魔方陣が、漆黒の空を埋め尽くしている。
ぼたぼた、ぼたぼた
……っ
ちいさな悪魔にまとわりついていた白い塊『だった』モノが、地面に落っこちては朽ちていく。
なんて呪術だ。なんてちからだ。
「
……メフィスト」
ふらっと。白銀の髪が暗闇にゆれる。
もう一度その名を口にした長身の男は、よく見ると場違いなTシャツ姿だった。
そのへんのコンビニに行くような、くたびれたスニーカーをはいている。
「
――メフィスト、ふたつ。ふたつ言いたいことがある」
「
……ごめん」
「先に謝ってもだめだ
……そんな顔をしても、だ。メフィストフェレス3世、賢明なおまえは僕の言いたいことが分かるな?」
「
――おれが、さがらなかった」
「そうだな。それから?」
「
……っ
……」
「ほら、言ってみろメフィスト。それから?」
さっきまで真正面を向き、顔をまっすぐにあげていた悪魔が、ちいさな子どものように俯いてしまっている。
Tシャツ男は腕をくみ、その顔をじっと覗きこんでいた。
頭上に数十個もの魔方陣を保ったまま。
「
……え? なに、これ」
「
――いつもの、でございます」
おふたりのいつもの。
反省会でございます。
腰が抜けてしまったらしい大男は、死骸まみれの地面にへたり込みながら人好きのする笑顔で二人をにこにこ眺めている。元の姿はクマ? だろうか。白髪の頭から、まるい耳がぴょこんと出てしまっている。ちがうな。細いしっぽがはみ出てる。クマではなさそうだ。
「えっと
……助かった
……の、か? おれ」
「ええ、ええ。そのために我らが来ました。一応アフターケアもやっております。これチラシ」
「
――千年王国、研究所
……げっ、都内からわざわざ? そもそもここ忌地だぞ?」
「??? あなた、これが【読める】んですか? 【その時】じゃないのに? 真言使いなだけじゃないのか
……」
手渡されたチラシを見る俺に、眷属の男はブツブツと何か呟いている。
そうしてスゥっと大きく息を吸い込むと、反省会を繰りひろげるふたりに大きく手をふり、
「一郎さま! 3世さま~~!この方【持って】ます~~!」
「っえ、ちょっと! なんスか。え、ナニこわい」
でっかい声で叫ばれ、ん? と首を傾げていたら、反省会中だったはずの二人が食い入るように俺に視線を寄こしてきた。なんなんだ。
「
――……きみ。卒業後の進路は決まっているか? エサ候補の筆頭だったろ、もちろん将来は決まっていないな?」
「たしか商業科だったよね? もしかして日商簿記もってる? ちなみに何級?」
「に、二級を
……」
「っ!!」
思わずピースで答えてしまった。
Tシャツの男に結構失礼なことを言われた気がするが、日商簿記検定二級は『すごい! 兄ちゃんかっこいい! すごい!』って可愛い弟がめちゃめちゃ喜んでくれた、俺の唯一の自慢で特技だ。
「~~っあくまくん!」
「一郎さまっ!!」
「えっなに? なに? ほんとナニ!?」
「
……契約内容はこれだ。目を通してくれ」
「紅茶派? コーヒー? ココアもあるよ」
チラシの上にくしゃくしゃの紙が重ねられる。
悔しいことに、高らかな祝福の鐘があたまの中でガンガンと鳴り響いていた。心臓がうるさい。
――そう。この人たちのおかげで未来ができてしまった俺は、この後、
まんまとこの紙に署名をすることになるのだった
……。
・
・
・
やったなあくまくん! 有能新人くん、捕獲だぜ!
(~千年王国研究所、春の収穫祭~)
・
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・
※フユの話はコチラ
「ふゆの近道」
https://privatter.me/page/6856356d0c3af
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