ロンド
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Public 奈落の大穴
 

たまごとひよことおやどりと/バラコチャ行進曲

私主催のアビスごはん合同誌『探窟家たちの食卓』にて、私が書き下ろしました小説二編の再録です。
在庫あります。→https://rondonozatta.booth.pm/items/4000993

たまごとひよことおやどりと


 昼下がりのオースを駆け抜ける赤笛がひとり。北区を回る午後の配達を済ませたので、午後いっぱいは自由時間だ。うまそうな匂いを漂わせ夕方の盛りを待っている市場には目もくれず、組合本部は通り過ぎ、観光客の行き交う土産物の通りを駆け抜け、よく見知った東区の住宅街へと向かう。
 今度は狭く複雑に伸びた路地を迷わず選び、生活用水たる川を飛び越え、ようやく平坦な道を出ると、アビスは真正面に巨大な口を開けている。
 探窟家のほとんどは生涯をアビスの中で生き、アビスで眠りにつく。ちいさな鈴付きの頃からアビスに憧れ、ごく浅い淵を探窟することを許されるようになった赤笛の今ですら、底には手を伸ばしても届かない。大穴の方面にじっと目を凝らしていると、ぶわりと不規則に巻き上がる強風に前髪を撫で上げられて、ちっともくるりとした巻き毛にならずにただくしゃくしゃになった髪を手でかいた。
 ジルオの立っているより一段下の通りに、ゆったりと歩いてくる荷車がいる。網をかぶせた荷台に腰かけている探窟家の奈落髪が金色になびいているのを見つけて、ジルオは飛び上がって先の交差点に向かって駆けだした。
「師匠‼」
 叫ぶように呼びかけながら一生懸命手を振ると、ヘルメットを目深にかぶったライザが首をかたむけて手を振り返してくれた。
 交差点で折り返して急激な坂道を下っていくと、鈍足な荷車が待ち構えるように止まった。ふああ、と口を開こうとするのでジルオは脇に飛びのく。直撃はまぬがれた。ぐぷーっと長いゲップが吐き出されて、なんともいえない腐ったような臭いと清涼な消臭剤が空気に混じって消えた。
「やあ、卵の弟子! 奇遇だな、サボりか?」
「違います。配達が終わったので、自由時間なんです」
「なら尚更都合がいいな。よし、任せた」
「いきなりなんなんですか……
 ひょいと荷台から飛び降りたライザが荷台を指し、つられてジルオは視線をやった。蒼笛たちがツチバシをまとめて捕らえるときに使うような網がかけられていたが、縫い留められていたそれはツチバシではなかった。やや楕円形にまるくて、薄い青みがかったまだら模様の、ジルオの背丈ほどもありそうな、――卵。
……たまご、ですよね?」
「当然卵だよ、大きさも重さもツチバシ卵の五十倍はある。今夜はこいつで、ふわっふわのとろっとろのオムレツが食べたいんだ‼」
 ぐっと親指を立てるライザ。呆然と口を開くジルオ。荷車を操っていた影の薄い爺さんが待ちくたびれたようにあくびをした。
 ジルオはあらためて卵をまじまじと見つめる。卵はアビスで貴重な栄養源、食料だ。衛生の観点から加熱して食すのが鉄則。卵生の原生生物は層をまたいで数多いが、中でも最も簡単に捕獲でき、複雑な処理をせずともおいしく食べられるのがツチバシの卵である。孤児院の食事でもたまに登場するし、授業で扱うこともある。ただしそれは手のひらにすっぽり収まるサイズのもので、なにもジルオの体重をはるかに超えた巨大な卵ではない。
「師匠、こんな大きな卵、どうやって調理するんですか?」
「そこは任せた」
「え?」
うちまで運んでいるところだったんだが、君が来たならちょうどいい。私は久しぶりに地上に上がって来たオーゼンを冷やかしに行くという、とっーても大事な用があるんだ。私が帰るまでに、うまいオムレツをつくっておいてくれよ!」
「えっ、え⁉」
「ジルオだって孤児院で料理の授業あるだろ? ちょっと大きい食材使うだけさ」
「ちょっととは云えないと思うんですけど」
 思わず生意気だとよく云われる口調になってしまったが、知らない食材が怖いわけではない。断じて。
 かつてライザが持ち帰ったヘビがまだ生きていて、これを酒蒸しにするぞ! と云いつけられたときに比べれば、少しばかり眼をみはるような卵なんて可愛いものである。
 あの酒蒸しはたしかに美味しかったけれども、やたらぬめりがあって桶から逃げ出そうと暴れ、隙あらばジルオの手を嚙みつこうとするものだから、傷だらけになりながらまな板に二人がかりで押さえつけて調理したものだ。
 思い返している間に、ひょいとジルオの小脇が両手で抱え上げられ、さっきまでライザが座っていた荷台の端に乗せられた。ジルオがぱちくりとしていると、ライザが爺さんに手を振る。
「おーいおっちゃん、こいつ連れて不屈邸まで!」
「はいよー」
「師匠!」
「マァだいじょぶだって。君ならちゃんとできるさ」
 ぽん、と頭をひとなでしたライザの夜空色の瞳が期待に輝いている。ジルオが見惚れていると、のろりと荷車は動き始め、ライザは荷車と反対方向へ歩いて行った。先に宣言した通りオーゼンのいる酒場に行くのだろう。
 がたがたと揺れる荷台にしがみつきジルオは風になびく金色の奈落髪を見えなくなるまで見送って、膝に顔をうずめた。

     *

 ライザのトコシエコウで飾られる邸宅に着くと、爺さんが通りすがりの探窟家に頼んで巨大な卵を荷台から降ろしてくれた。
 さて、どうやって玄関をくぐらせたものか。ジルオが途方に暮れていると、玄関のにぎやかさに気づいたように扉が開いた。
「どうしたの、ライザ帰ったの……
 ひょっこりとおもむろに頭を出した若草色の髪の青年がぽかんと髪と同じ色の眼をまるくして、それから気が抜けたような笑顔を浮かべる。
「やあいらっしゃい、ジルオ君。素敵なお土産まで」
「お邪魔します、トーカさん。これはししょ……ライザさんが今夜の飯にって」
「うちのライザがいつも迷惑かけててごめんね。運んでくるの、大変だったでしょう」
「別に、荷車で来ましたし」
 休日だったらしいトーカは探窟家らしからぬエプロン姿で、とてとてとジルオに駆け寄ってくる。これまでの親切から嫌味でもなんでもなく、本当に歓迎しているのだとわかってはいるのだが、ジルオはこのライザの旦那と会うたびに背筋がむずがゆいような心地がする。ジルオがめいっぱい背伸びをしても、一人前の探窟家にしては小柄なトーカの背丈に届かないのがちょっぴり悔しい、なんて思ってはいないはずなのだが。
 トーカのことは先達の黒笛として敬意は払っているが、ライザとは違った意味で底が知れずとっつきにくい。それはトーカが最初からずっとジルオに親切にしてくれることや、奈落髪でない風貌からは熟練の探窟家にはとうてい見えないこともある。
 ライザから頼まれたことを云いだすべきかどうかジルオが迷っていると、トーカは卵の周りをぐるりと一周回ってみて、それからにっこりと微笑んだ。
「それで、ライザは何が食べたいって?」
 コンコンとこぶしで軽く叩いた卵はびくともしない。ジルオは卵とトーカを交互に見比べて、別に隠すほどのことじゃないと思い直し、正直に申し出た。
「ライザさんが、晩御飯にオムレツ食べたいって」
「またライザったら無茶を……。こんな大きなの、どうやって玄関に入れるつもりだったんだろね」
 やれやれと腰に手を当ててトーカがため息をついた。
「じゃあ、オレは孤児院戻るんで……
 トーカがいるのならもはやジルオに出番はないだろう。きっとライザだって、トーカの手料理の方が好きに決まっている。そう思うと、居たたまれなさにジルオがもごもご後ずさりして逃げ帰ろうとした瞬間、襟首をひょいと片手で捕らえられた。
「待って。ライザが、ジルオ君に頼んだんでしょ?」
「そうですけど……トーカさんのお邪魔になるなら」
「だーめ。僕も手伝うけど、ジルオ君がつくらなくちゃ。ね?」
 笑顔が妙に圧をはらんでいる。ジルオはこくりと頷いた。

     *

 いそいそとトーカがジルオにエプロンを着せてくれる。自分で後ろも結べるからいい、と跳ねつけようとするも、いいからいいから、とリボン結びまでされてしまった。
 キッチンは一般的な高さよりも低く設計され、トコシエコウの花びらの色に似たまろやかな乳白色にまとめられている。ライザの屋敷は不屈邸の名を冠する通り、そこかしこにトコシエコウの意匠で飾られているが、キッチンもまたそうだった。すみずみまで綺麗に使われていて、天井から下げられた薬草の束が独特の匂いを漂わせていた。
「外に放っておいていいんですか?」
「あんなに大きな卵、わざわざ盗み出すひともいないよ」
 それに、殲滅卿のお礼参りは苛烈だからね、とトーカはころころと笑う。お礼参りの後は死屍累々の凄まじい光景だというが、そう笑っていられるものだろうか。ジルオは見たことがないのでライザの武勇伝から想像するばかりだ。
 何か負けたような気持ちになって、ジルオは普通サイズのフライパンを準備しているトーカから視線を逸らす。
「さて、ジルオ君。オムレツは作ったことある?」
「ううん……ないです」
「じゃあツチバシの卵で練習からしようか」
 ツチバシの卵、バター、ミルク、マヨネーズ、瓶詰めの塩とトコシエコウの実を砕いたもの。トーカが材料をキッチンに並べていく。てっきりさっそくあの大きな卵を割るのだと思っていたジルオは面食らいながらも、踏み台に立ってカウンターを凝視する。
「卵はツチバシなら二つね。オニツチバシなら三つ。うつわに割り入れて、ミルクとマヨネーズを深めのさじに二杯、塩とトコシエコウの実を少々……
 カチャカチャとまんまるな卵の黄身があっという間に渦に巻き込まれて、もったりと重さのある黄色い水たまりにのように。フライパンが火にかけられて、バターがひとかけ落とされると、黒い鉄フライパンをバターがじゅわじゅわと溶けながら滑り、全体に行き渡っていって。塩辛いような脂の香りが鼻を刺激する頃合いで、卵液がなだれのように流し込まれた。
 ジュ!
 木べらでぐるぐるとかき混ぜられて、ふっくら固まり始めると火が止められた。まるで黄色い花畑のよう。へらで手早く紡錘状にまとめられて、天地がひっくり返り、ふんわりオムレツが皿の上に着地した。
「はい、できあがり。ジルオ君、味見してみて」
 トーカの声で我に返る。ジルオは鮮やかな工程にすっかり見入っていた。昼飯を食べ損ねていることを思い出した腹の虫がぎゅるるるるると元気の良すぎる返事をして、ジルオは顔を赤らめた。トーカはニコニコを崩さない。
 手渡されたさじに促されるがままに、ジルオは端っこをひとかけすくってみた。
……美味しいです」
 卵の甘みとトコシエコウの実のまろやかな辛さがピリリと効く。オムレツの中は半熟でとろとろ、完璧な一品にジルオは内心舌を巻いた。
 空になった皿を水に浸けて、トーカが新しい卵をジルオの前に置く。
「手順はわかった? 隣ついてるから、練習、始めようか」
「はい」
 コンコン、と縁に当ててツチバシ卵にビビを入れる。トーカは器用に片手でやっていたが、ジルオは両手で割った。
 卵はうつわに。ミルクとマヨネーズを正確に二さじ、塩と砕いたトコシエコウの実を瓶からひとつまみ。木べらで軽くかき立てて。
 きれいに拭いたフライパンを焜炉に設置して火をつけようとして、着火装置がなかなか固く、火花が散るばかり。横からトーカの手が伸びてきて、あっさり小さな青い炎が息を吹いた。
 ジルオが振り返ると、頭ひとつぶんの高さからトーカが見下ろしていた。続けて、と云うように微笑まれ距離が遠くなる。フライパンは温まっている。
 切り分けられていたひとかけのバターを溶かし、茶色に焦がして卵を一息に流し入れた。急いで中心からかき回し、端の方が焦げていきそうになったのを木べらで削り取る。
「ん、んん? あれ」
「火は落とそうか。手前から奥に向かってたたんで。端を内側に折り込んで、ひっくり返して」
 トーカが云う通りにやってみてはいるのだが、フライパンにくっついてしまってうまく剥がせず、真ん中に穴が開いてしまった。ジルオは眉を寄せて四苦八苦しながら、できあがったものを皿にぽとりと落とした。
 ジルオは唇を噛む。オムレツには見えなかった。せいぜい焦げた炒り卵。否、炒り卵を作ったときの方がまだ上手だった。
 味見をしてもジルオの眉は上がったままだった。固まりすぎてぱさぱさしている。ちょっと失敗した炒り卵と思えば食べられないほどではないが、トーカのオムレツには明らかに及ばない。なにより、失敗作をライザに食べさせるわけにはいかない。ジルオはさじを持つ手に力を込める。
 同じように味見をしたトーカは小首をかしげただけだったが、味の違いは歴然だったろう。
「ジルオ君、まずは卵の混ぜ方からもう一回するね。空気を含まない方が焦げにくいから、黄身と白身を切るようにしてね。……ここの焜炉はちょっとコツが要るのだけど、押しつつねじを回して……そう。……バターは焦がすよりは溶かす感じで……
 二度目に焼いたオムレツは、形は悪いながら少なくとも炒り卵よりもなめらかに仕上がっていた。コツは分かった気がした。トーカに教えられたことを反芻しながら、ジルオは顔を上げる。
「もう少しやるかい?」
「はい」
「満足するまで使っておいで。僕はその間、仕込みをしているから」
 籠一杯に積まれたツチバシ卵を指して、トーカは云った。

     *

 香辛料の香りがする。
 ラフィーの香辛料店はあらゆる香辛料の匂いが混ざって、店に入るといつも鼻がつんとくるくせに、ハボルグの部屋に入り浸って書物を読んでいると鼻が麻痺して気にならなくなってしまう。ライザの家のキッチンもそれに似ていた。
「すごい集中力だねえ」
「あっ……卵、ぜんぶ使ってしまいました」
「そのつもりで出したもの。お肉と炒めたりスープに入れたりするから。明日もライザは卵三昧だね」
 トーカに話しかけられて初めてジルオは香辛料の香りがいっそう強くなっていることに気づいた。
 気づかないうちにトーカが色々の食物と香辛料を広げて、敷き布を引いた籠にどっさりと山盛りにしていた。それらはすぐに使えるよう刻んであったり、保存瓶から出して混ぜてあったりして、二つの籠に分けられていた。トーカがひとつの籠を示す。
「あとは庭で炒めるから、運ぶの手伝ってもらえる? 卵も移動させないと」
「うん、……これは?」
「オムレツだけだとせっかくオースにいるのに味気ないでしょ。炒め飯しようと思って」
 よいしょっと、トーカは洗濯籠よりも大きな籠を持ち上げて、裏口の方へ行った。
 よろけるように追いかけて行くと、トーカはアビス向きの庭にかまどの用意をしていた。トーカは籠をひとつ持ってきたジルオに見事な植木の脇に置いておくよう云いつけ、生米の袋を取りに戻った。
 オースでも東区の高台にある不屈邸は、裏庭からアビスを広く一望できた。薄い雲が奈落に続く縦穴を塞ぐように覆い隠し、大穴にはみ出るようにかかる岸壁街は今にも落っこちそうにアビスに突っ込んで傾いている。ちょうど街の反対側にある奈落門は遠く小さく眼に映る。ジルオが数歩前に進めば、真っ黒な暗闇に真っ逆さまに飛び込めるのだ。
「ジルオ君」
「ぬふぉ⁉」
 ぽん、と肩を叩かれてジルオは飛び跳ねた。あと一歩で奈落だった。小石がばらばらと落ちていくのをジルオは眼の端で捉えた。
「もう、そこから飛び降りるのはライザだけにしてほしいな。今日は探窟お休みなんだから。フライパン、納屋にあるから取りに行こう」
……うん」
 ライザが飛び降りた話をもっと聞きたかったが、とても訊けるような気持ちがせずジルオは口をつぐむ。トーカはジルオの手を引いて納屋に案内した。
 ジルオがすっぽり寝転べそうなほど巨大なフライパンを二人がかりで納屋から引きずり出す。大きすぎて浅めの鍋のような深さがあった。三十人前でも一気に調理できるから、大探窟に行くときに持っていくのだけど、とトーカが云った。ジルオは不遜ながら、ライザがよく一緒に行く探窟隊で突き抜けて大柄な不動卿が背中に背負っている様子を思い浮かべた。
 卵はゆっくり玄関から転がしてくる。トコシエコウの咲き乱れる花壇を通り過ぎ、植木が引っかかって邪魔であったのでトーカが小刀で枝を切って通した。ジルオは卵が割れるのではないかとひやひやとしていたが、ひっかき傷がついた程度でやはりびくともしなかった。
 卵を運び終えた頃には、空には黄色が混じりかけて、日は西に、ゆっくり傾いている。額に浮く汗を腕で拭き取りながらトーカが伸びをして一息ついた。
「はーっ、ライザったら本当に無茶ぶりなんだから……。こうなったら、絶対に美味しいごはんをつくって、ライザを唸らせてやろうね」
 野営用の石灯ランプを持ち出してきたジルオは、かまどのそばにランプを置いた。膝をついて煉瓦を組んだかまどに火のくすぶるタジカサを突っ込んでいるトーカの背は黒笛にしてはちいさくて頼りないように見える。
 トーカはいつもやさしげな空気をまとっていて、突然ライザの弟子として転がり込んできたようなジルオにもとびきり甘い。今日だって、ジルオが何も云わないうちから当然のように料理を教えてくれる。ジルオにとっては、そうも優しくされる理由がわからない。
 トーカが頬にすすをつけたままかまどから身を起こすのを横目にしながら、ジルオは一呼吸置いた。
「トーカさん」
「うん?」
「トーカさんって、なんでライザさんと結婚したんですか?」
「ええ、今聞く? 照れるなぁ」
 振り返って口を開けて笑うさまは何だかわざとらしくて、子供扱いされているようでジルオはムッと眉を吊り上げる。前後も脈略もない唐突な質問だったが、トーカはジルオの機嫌をよく読みとったらしく、いかにも困ったなあという顔で肩をすくめた。トーカはジルオの方に歩いてくると、椅子代わりの丸太に座り、ぽんぽんと隣を叩いてジルオも来るよう促した。ジルオが腰かけると、トーカは悩むようなそぶりを見せる。
「ライザはね、偏食が酷くて」
「知ってます」
 ライザは好き嫌いが激しいのだ。あれはまずい、あれは嫌い、あの店のこの料理は好きだがそれは駄目だ、行動食とやらは壁の味がして食い物じゃない、等々。トコシエコウ酒は気に入りの銘柄でないと呑まず、名物の辛子饅頭を食べる店も決まっている。アビス料理ならば好奇心が勝つのか、まずひとくちめは食べてみるが、気に入らなかったらその場で突き返す。
 アビスで生き残りたいならば食べ物を粗末にするなと孤児院で教えられてきたジルオは最初こそ困惑したが。ライザの態度は一貫して変わらないので半ば諦めている。
 トーカは断片的に話し出す。殲滅卿、殲滅のライザなんて呼ばれているけれど。ごはんに関してはひときわ子供っぽくて。全然食べてくれなかった探窟のとき、たまたま持ち回りで僕がつくったごはんを食べてくれて。
「ライザが、僕のつくった料理を、美味しい美味しいって食べてくれるから、かな」
……それだけ?」
「うん、きっと僕は、ライザが嬉しそうにおかわりって云ってくれるのが好きなんだ」
 とろけそうな笑みを花開かせるトーカに、ジルオは言葉が詰まってしまった。トーカがジルオの癖のある髪を撫でつけるように頭をぽんぽんと叩いた。そして立ち上がってかまどの火の様子を確かめて薪を差し込んでいる。フライパンは充分に温まっているようだった。トーカの手際はよどみなく、キッチンでオムレツをつくるときと同じで、まったく気負いが見られない。
 ジルオはずっとこわばっていた肩の力を抜いて、振り返ったトーカを見上げた。視線にこてんと首をかしげるトーカはやはり、深層から何度も帰還した熟練の黒笛には見えなかったが、ジルオは飲みこんだ。
……トーカさん、良かったら、オレに、……料理を教えてもらえませんか?」
「もちろん。今日だけと云わず、いつでもおいで」
 トーカは変わらない笑顔を浮かべたまま頷いた。

     *

 ジルオが火吹き棒でかまどに風を送っている間に、トーカが熱されてきたフライパンに肉脂の塊がたっぷりとナイフで削り落としていく。じゅわじゅわと泡立つように脂が溶けて匂い立った。
 ヘガ米の袋をフライパンにひっくり返す。ざーっと流し込まれた米は脂に触れてぱちぱちとはじけて踊っている。半透明になるまで二人でそれぞれ一抱えもある木べらでかき回すのはなかなか重く、汗があごに落ちて行った。
 米に火が通ったら細かく刻んだサイノナなどアビスの野草を数種類、砕いた木の実、裂いた海獣肉の燻製をたっぷり二籠。脂の濃い匂いに燻製の匂いが混ざって、ジルオは思い切り、たまにしか食べられない肉の匂いを吸い込んだ。美味そうな匂いの移った煙がアビスから吹く風に飛んで行った。
 味付けはトコシエコウの実とギントコ、トーカ自家製の香辛料ペースト。ひっくり返すようにして米と具材を木べらでざくざくとかき混ぜた。味をなじませるための水をフライパンのふちから流して、アマギリの葉を敷き詰めれば、しばらくは待ち時間だ。
 炒め飯を蒸らしている間、トーカが探窟中に食べた料理の話をしてくれた。オットバスで二百人前の煮込みをつくったこと。三層のネリタンタンはどんな調理も美味いが、なかでもライザの気に入りは串に刺した香草焼きであること。ダイラカズラの皿から外れた森で見かけるシャヨウコウベはシチューに入れるととろみがついてなかなかイケるがいかんせん発光して食べにくいこと。ジルオは先程までの無口が嘘のようにトーカに色々を訊ね、トーカはいっそう笑顔で応えた。米の蒸らし時間はあっという間に過ぎていく。
 ぷしゅーっと水が蒸発していく音を聞きながらアマギリの葉を取り払う。この葉は天然の皿になる。香辛料の匂いがいっぱいに広がってジルオは眼を輝かせた。
 味見という名のつまみ食いは、肉と香草の旨味が米にぎゅっとなじんでいて、ジルオはふかふかと白い息を吐きながらトーカと顔を見合わせてへにゃりと笑ってしまった。辛い。旨い! しびれるような爽やかな辛みが鼻を通り抜ける。カリカリのおこげが一等美味かった。
 フライパンから炒め飯をすべて皿に上げ、濡れた布巾で焦げを拭きれば、卵の出番、オムレツである。
 一転、手に汗を握るジルオに対して、トーカはのんびりしたものだ。
「オニツチバシやナキカバネの卵なら食べたことあるけど、こんなに大きな卵は初めてだよ。成体はとんでもなく大きいんだろねえ」
「どうやって割ればいいんでしょうか?」
「つるはしで一部分を掘って、殻の中で混ぜてからフライパンに直接流し込むことにするよ。ドリルとハンマーもあるけど、使う?」
「つるはしでいいです」
 おっかなびっくりながら、つるはしで殻を叩いていく。まるで岩を掘っているかのような硬さ。十回もつるはしを横向きに振ってようやく小粒の穴が開いた。
 ペンチでヒビの入った殻を取り除いていけば、殻の厚みは一センチもあった。とても手で割れるような硬さではなく、再びつるはしを振るって穴を広げていく。ガン、ガン、と卵を割っているとは思えないような音が庭に響く。
「ライザの帰りが遅くて助かったけど、連絡なしにごはんの準備だけさせるなんて困るね」
「たしか、不動卿にちょっかいをかけに行くって」
「じゃあ酒場かな。オーゼンさんも連れてきてくれるといいんだけど。いくらライザが健啖家といってもこの量を食べきれるとは思えないもの」
 思わずむうと顔をしかめてしまったジルオに、トーカは安心させるように背中を叩く。
「オーゼンさんに食べてもらうのは緊張する? だいじょぶ、あの人はライザほどこだわらないから」
 ジルオが入れそうなくらいの穴が開いた卵には、たっぷりの白身に、満月のようにまるい黄身――色は海のような真っ青だったが――が浮かんでいる。木べらで切るようにかき混ぜながら味付けのミルクとマヨネーズ、トコシエコウの実と塩をそれぞれ一瓶、順番に加え入れる。白身、もといねっとりした水色のゼリーはもったり重さがあって、探窟の成果を持ち帰るときよりよほど汗をかきながら、トーカがいいと云うまでジルオは木べらで全体をかき立てる。
 いよいよフライパンの出番である。バターがフライパン全体に行き渡らせ、火加減を見て、トーカが梃子を使って卵を傾けた。濁流のように流れ出る卵液! バターの香りが匂い立つ。キッチンのフライパンとは勝手が違い、卵液はなかなか固まらないでフライパンを滑るようにとろけている。トーカがかまどに薪を足していた。
 ぐんと熱気が増した。卵液がふつふつと泡立ちながら鮮やかに色づいていく。青い花畑か雲海か、なだらかな波が仕立て始められたことにジルオは息を詰めて攪拌を続ける。見計らったように火が落とされた。成形は余熱の残るフライパンに任せて、ふちから削るように剥がしていき、紡錘状になるように両端から巻き込んでいく。
 緊張と熱さから汗で木べらがぬるぬる滴っているのも気にならない。眩しいような派手な青色を見つめすぎて眼がしぱしぱした。はたして裏側もきれいな均一の青をしていた。内側に折りたたまれてもう一度ひっくり返された卵焼きは、ちゃんと、初めにトーカにつくってもらったようなオムレツの形をしている。
 ジルオは今さらながらがくがくと震える膝が崩れ落ちそうになって、トーカに支えられた。見上げると頭ひとつぶん上の高さから、ニコリと微笑まれた。
「お疲れさま、ジルオ君。よくできました!」
「はい、トーカさ…………先生?」
「ふふ、教え甲斐のある生徒さんだ」
 見計らったように、玄関の方向から聞きなれた元気な声が聞こえてきた。

     *

「たっだいまー、美味そうな匂いする!」
「お帰り、ライザ。とーっても遅いお帰りだね」
「げっ、なんかトーカが怒ってる⁉ 別に遅くなったのは私のせいじゃないぞ! オーゼンが酔って仮面野郎の頭ぶち抜いたのが悪いんじゃないか!」
 怒られる気配を敏感に感じ取ったライザがオーゼンを盾に外套の裏に隠れるものの、オーゼンはいつまでたっても生意気な弟子をため息ひとつで摘まみ上げた。首根っこを吊られてなおバタバタ暴れるライザはどこか楽しそうだ。
「私のせいにするんじゃないよ。だいたい最初はお前さんが要らん喧嘩を売ったのが始まりじゃなかったかね……。そんで、なんだねこのバカでかい卵の殻は」
 オーゼンの胡乱な視線が庭のほとんどを占領する大きな炒め飯と真っ青なオムレツ、そして空の卵に移動する。
「そいつは今日かっさらってきた卵だ。ジルオにオムレツにするよう、頼んでおいたんだ!」
「そう、ジルオ君ががんばってつくってくれたんだからね。すっごくいっぱいあるからライザはちゃんと最後まで食べるんだよ」
「なんでトーカはそんなに怒ってるんだ⁉」
 無事に空中から降ろされたライザは慌てつつもわくわく顔が抑えきれていない。跳ねるように庭を見回して、トーカの後ろで縮こまるようにして様子を窺っていたジルオとばちりと音を立てそうに視線が合った。
「ジルオ!」
 急に飛びつかれてふらついたジルオをライザは目いっぱいの力で抱き寄せてくれた。暗闇をくり抜いたような眼をしているオーゼンの生ぬるい視線が痛い。ライザはジルオをわしゃわしゃと撫で回してくる。一杯ひっかけた後らしく酒精の匂いがした。
「さっすがは私の弟子! 完璧な仕事だ! あんなでかい卵、どう調理したものか困ってたんだ!」
「確信犯⁉」
 すっかり呆れ顔のトーカが口を尖らせたままライザからジルオを引き離した。力任せの抱擁にへなへなと倒れそうになってしまいジルオが丸太に座り込むと、ライザがひょいと丸太を飛び越えて隣を陣取ってくる。まるで猫みたいに肩を抱えられて、ジルオの心臓がばくばく高鳴っている。顔が熱い。近い。ライザの奈落髪が頬を撫でてくすぐったいのに、離れてほしいなんて微塵も思えなかった。
 石灯ランプをつけて回りながらトーカが特大のため息をついた。
「ひどいねライザは。可愛い可愛いジルオ君の弟子心を弄ぶなんて」
「もしかして怒ってるのはジルオのことか⁉ だって弟子は師匠の命令はなんだって聞くんだろう⁉」
……オーゼンさん?」
「そんなこともあったかね。君には関係がないけど。さて、飯が冷める前にご相伴に預かってやろうじゃないか」
 矛先が向いたオーゼンはしれっと腰を下ろして、いの一番にオムレツを頬張っている。食べきれるのか不安なくらいあったオムレツと炒め飯だが、オーゼンの奈落のような口の前にはまたたく間に消えてしまいそうだ。
 アビスは闇を映したようにぽっかりと浮かんで、その周りに街灯りがぽつぽつと光っている。どこも夕飯の時間なのだろう、夕陽の沈んでゆく空にあちこちから煙が立ち上っていた。
 夢のようにぼうっと灯りを見ていたジルオの目の前に、ぐいと食欲が減退しそうな青い塊が突き出された。まばたきをすると、ライザがオムレツがこんもりと大盛によそわれたさじを餌付けのようにジルオに差し出していた。
「師匠が食べさせてやろうか? 君のつくったオムレツだぞ!」
「いえ、自分で……むぐ」
「美味いだろ? トーカの料理が一番だが、君の料理もなかなかの腕だぞ!」
 問答無用でオムレツが突っ込まれる。トーカがいさめるような声を出したり、オーゼンが面白そうに酒を傾けていることにはジルオは気づかなかった。口の周りをべたべたにされて一生懸命咀嚼しながら、ジルオはライザの喜色満面な夜空色の瞳から眼が離せずにこくりと頷く。
 美味しいもなにも、味がわからなかった。


(終)