kanaco
2025-05-14 22:52:19
9532文字
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【洛信】香水シリーズ まとめ【完】

【スタイル】小説 【CP】洛信←モブ、
《概要》
1P【前編—Side信一】社交界でナンパされてテンションが下がる信一くんと、助け舟を出す十二少くん。
2P【後編—Side洛軍】疲れたので恋人を吸いたい信一くんと、頑張った彼を全力で甘やかしたい洛軍さん。


【後編Side洛軍】


夜。暇を持て余して自室のソファに座り雑誌を読んでいた陳洛軍は、突然に背後から伸びてきた2本の腕と圧し掛かる背の重みに心臓が飛び跳ねるほどに驚いた。九龍城砦には色々なタイプの人間が暮らしているが、洛軍に一切気がつかれないほど気配を消し去るような人物は片手で数えるほどしかいない。首に絡みつく袖と洛軍の後頭部にフワリと柔らかく触れる長めの髪。正体は見ずとも分かる。

「何をしているんだ?信一」

後ろから抱き着いたような状態で自分の首筋に顔をうずめたまま、動きもしなければ何も言わぬ信一に疑問を投げかける。彼の呼吸をすぐ近くに感じる。左耳に息がかかってくすぐったい。

確か今日は九龍城砦並びに龍兄貴と縁の深い富豪が開くパーティーに参加すると言っていたはずだ。十二少も虎兄貴の代理として参加すると言っていた気がする。時刻的には帰ってきた、ということだろうが。

「お前を吸ってる」
……??吸って?」
……洛軍吸い」

意味が分からず戸惑う洛軍に対し、信一は「動くな」という意志を込めて腕に力を入れた。このまま座っていろと言わんばかりに体勢を固定されたので、しばし希望を叶えていた洛軍だったが、せっかく2人きりでいるというのに顔すら見ることができないことにやきもきし、信一の腕を優しくパシパシと叩く。やっと拘束がゆるゆると取れ、信一がソファの前方に周ってきて洛軍の横に座った。顔を見合わせると洛軍は彼の不自然な行動について腑に落ちたような気がした。

パーティーに行った、ということはフォーマルな服装で参加したであろう。それにも関わらずすでに見慣れたラフなものへ着替えている。ホテルかどこかで身支度整えたのだろうか。いつもよりもふんわりとしている髪は乾かし立てなのだろう。風呂に入ったのかもしれない。清潔感ある石鹸の香りが優しく信一を包んでいる。そして。

彼から香るには自然ではない、洛軍の知らない匂いが混じる。

薄れてはいる。バニラのような甘ったるさの中に苦味や辛みも混ざる複雑な、しかしどこか相手に媚びたような印象を与えるその匂いは、石鹸の香りでは完全には消しきれておらず、蠱惑的でしっとりとした残り香を帯びていた。こんな意味ありげな香水を公の場で信一が纏うわけもなく、十二少にも全く似合わない。だったらこの香水は誰のものなのか。そしてその香りを信一に纏わせてどういうつもりなのか。

石鹸はこの無粋な香水を落とすためのものか)

洛軍は信一の頬に片手を添えた。信一がその手のひらに少しの重みを預け、伺うように洛軍を見つめるので、できるかぎり優しく微笑みかける。いつもより表情が固いように思う信一の瞳には剣呑さが宿っていてた。どうやら機嫌が良くないようだった。怒り。一度はそう判断するも「いや、違うな」と撤回する。

(傷ついている)

不本意にも他者から擦りつけられた甘い香りを纏わせられ、そのようなあらゆる理不尽さや不条理に対して哀しんでいる。

洛軍が肩をゆっくりと押してやると信一の体は無抵抗にソファへと沈み込む。その動きに合わせて洛軍は信一に覆いかぶさった。上からしっかりと目を合わせてやれば、先ほどはまだ鋭さを残していた瞳の奥が少しだけ和らぐ。信一の頬に両手を添えてから触れるだけのキスを唇に一つ落とすと、その瞳が洛軍と同じような優しさを宿した。

拒まれないことを良いことに、流れるように信一のシャツのボタンを外してやって脱がすと、じれったそうにした信一が洛軍のシャツをグイっと引っ張った。急いで自分も上半身の服を脱ぎ捨てると、もう一度覆いかぶさって今度は瞼にキスを贈る。洛軍は直接肌と肌が触れ合うその心地よさに酔いながら、今日も腕の中に信一がいることに安心する。信一の表情が完全に安らいだようなものへと変わったのを確認したので、よりその気持ちが増す。

どうしてこんなに綺麗な人間を傷つけようとするのか。

洛軍には理解ができなかった。綺麗な人にはいつでも心穏やかに笑っていて欲しいではないか。大切に、大事にして。幸福に包まれていつまでも健やかに。それなのに外には綺麗な彼を傷つけようとするものが多すぎる。

信一は。

黒社会とも縁が深い九龍城砦を担う男にしては不釣り合いかもしれないほど、真っ当な陽気さと無邪気さを携えていた男だった。洛軍が初めて出会った時の冷徹な表情からは想像ができなかったほど、年相応に笑いはしゃぐ。みんなは彼をお喋りだというけれども、それ以上に雄弁なのはコロコロと変わる表情だった。それは意図的に自分を装うことを得意とする信一のクセや戦術だったかもしれない。

でも洛軍が特に好きなのは、そんな装いなど微塵も感じない”ありのまま”の彼が見せる感情。

例えば、素直なままの視線のみで会話する龍捲風と信一の姿だった。龍捲風と信一が視線を絡ませ、言葉はなくとも表情の機微だけで心を通じ合わせる。赤の他人である洛軍にすら、お互いへの信頼と労わりと慈しみが仕草や目線から伝わってくるのだ。それは穏やかで陽だまりのような優しさを内包していた。洛軍はこれまで色々な場所を転々とし様々な経験をしてきたが、これほどの眩しい光景をそれまで見たことがなかった。それゆえにこの2人の優しい時間を洛軍は愛していた。

だが、それは永遠に失われてしまった。今だって洛軍は多くの後悔と責任を感じている。責められても然るべきなのに、龍兄貴も信一も、そして四仔も十二少も言葉の通り「命を賭けて」洛軍を守り抜き、責めるどころか最期まで手を離すことなく自分と共にいてくれた。信一は全てを失い茫然自失なるほど傷ついていたにも関わらず

そんな彼を見て体が動かなくなり佇むことしかできなかった自分を自らそっと抱きしめてくれた、信一のあの抱擁を洛軍は一生忘れないだろう。こんな不幸と悲劇に見舞われて、戦い傷ついて、”それ”を持ち込んでしまった自分へと、それでもなおその手を真っすぐ伸ばし全てを受け入れてくれるのか。こんなにも綺麗な人間がこの世にいるのか、と。

今となっては、信一が昔に見せていた愛すべき“あどけなさ”は龍兄貴がほとんど攫って行ってしまったかもしれなかった。

しかし全てが無くなってしまったわけではない。洛軍が大事にして、大切にして、不器用ながらも精いっぱい気持ちを伝えてやれば、こうやってもともとの素直な自分を惜しげもなく晒して見せる。

彼を傷つけようとする輩は、きっとこの甘美を知らないのだ。彼が強い男だからと言って、傷つけたりいたぶったり、私利私欲のために従わせ、組み敷いて感ずるものではない。

この純粋な人はただ幸せであるように、守るべきなのだ。

一生懸命に香水を落として、それでもたまらず助けを求めるように自分の匂いに包まれに来たのだ。と理解すると信一への愛しさがまた一つ深まった気がした。可哀想に。そんな辛い思いをして欲しくはない。

あの海の上の小さな小屋で言葉にできぬほど溢れかえった激しい感情を、お前を守ることができるのならば命など惜しくはないと、王九を共に落ちた自分を救った彼の思いを、かけがえのない4人で美しい黄昏を眺めている時に彼からもらった、あの吸い差しが秘めたる甘さを、洛軍は決して忘れない。そばでずっと支えると、一緒に生きて守ると誓った、

俺が知るこの世界で、一番美しいヒト。

「信一」

洛軍は大切に彼の名を呼ぶ。

「好きだ」

信一が目を丸くした後、可哀想になるくらい一気に全身を真っ赤に染め上げた。(ああ、前言撤回かもしれない)と洛軍は思う。可哀想な信一が魅力的だというのは一理ある。

でもそれは、彼の幸せと共にあってほしい。

朱に染まると同時に信一の体温がブワっと上がり、その熱が直接触れ合った肌から伝わってくる。それと一緒に洛軍の熱も一気に上がったことは、彼にも伝わっただろうか。熱と熱が混じり合う心地よさの中で信一本来の匂いが濃くなっていく。洛軍の匂いも然りだ。2人溶け合っていれば、信一を傷つける邪な香りなどすぐに消え去ってしまうだろう。

涙零れそうなほどに瞳を潤ませた信一の瞳を覗き込み、もう一度しっかりと「好きだ」と伝える。もうすでに安らいでいた表情が、今度はゆっくりと笑顔に変わっていく。信一の腕に引き寄せられるままに頭を彼の顔に近づけると、洛軍の耳に信一が返事を囁いた。