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2025-05-13 21:37:31
3077文字
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【敢高】美しいかたち




 野辺山天文台での大捕り物の後、その立役者のひとりでもあった諸伏高明が長野県警本部に復帰してきたのは一週間後のことだった。由衣は一日の検査入院で済んだのだが、高明が関係者の中では最も長く入院することとなり、今日は松葉杖をついての登庁となった。入院中迷惑をかけたので、と持参したのは長野市内に最近出来たという焼き菓子の店の詰め合わせで、特に女性陣から大変喜ばれ、大いに盛り上がっている。
「さすが諸伏警部、流行を抑えてるよね」
「私この間下の県庁の子に、諸伏警部って独身ですかって聞かれちゃって」
「あ~顔が良いもんねえ諸伏警部って」
「顔を怪我しなくて良かったよねえ」
 高明からのお菓子を分け合いながらこそこそと盛り上がっている女性職員たちの声が耳に入り、敢助は思わず足を止める。
「顔顔ってどいつもこいつも、人の顔の話が好きだなあ」
 山梨県警の林からも散々悪人面だと顔をいじられた。その後の顛末を思えば何とも苦い気持ちにはなるが、人間の顔など同じ目鼻口がついているのだから大した違いは無いだろうにと敢助は思う。
「大和警部は美男美女を見慣れてますもん」
「あ?」
 思わず怪訝な声を上げてしまうが、長身で大柄な敢助に対して慣れている女性職員たちは特に怯みもせずに「あのですね」と逆に詰め寄って来る。
「上原さんも、諸伏警部も美人さんなんですよ。大和警部は確かお二人のこと子どもの頃から知ってるって言ってたから、目が肥えちゃってるんですよきっと」
……はあ、そういうもんか?」
「そうですよ! 諸伏警部なんてあの髭が無ければ学生で通用しますよ」
「学生はさすがに無理があるだろ、三十路をとうに過ぎたオッサンだぞ?」
「あの肌の艶はただごとじゃないですって!」
「皺もシミも全然無いじゃないですか!」
 女性陣による圧に、敢助は思わずたたらを踏んで後ずさってしまう。ちらり、と高明のデスクに視線をやるといったいいつから見ていたのか、高明と視線が合って何やらにやりと笑われる。妙に癪にさわった。かつかつと杖の音を響かせながら大股で高明の元へ行くと、彼は座ったまま敢助を見上げた。
「随分モテていた様子で」
「は? いや、お前の話だよ」
「私ですか?」
 俺がモテてどうすんだよ、と言いながら敢助はどっかりと高明の隣のデスクから椅子を引いて座る。君の席では無いだろう、と睨んでくる高明を気にせず、敢助は無遠慮に高明に顔を近づける。反射的に身を引きそうになった高明の顎を掴んで動きを封じた。
「ちょっ!」
 困惑した様子の高明を無視し、見慣れた顔をじっと見つめる。肌が白いのは昔からで、日に焼けると火傷のようになるため年中日焼け止めが欠かせないのだと面倒そうに言っていたのは、確か中学生の頃だっただろうか。確かにつるりと白い肌にシミは見当たらず、小皺も目尻に小さくある程度。眉間の皺は数には入らないだろう。深い色をした目はくっきりとした二重であり、ともすれば冷たく見えかねない切れ長の瞳は長く密度のある睫毛に覆われている。そうした顔の真ん中にバランスよく鼻筋が通っていた。なるほどな、と思いながら敢助は掴んでいた顎を離す。
「な、んなんですか! 君は!」
 掴まれていた顎を擦りながら、高明が訳が分からないと敢助を睨む。一週間の入院で少し頬の肉が落ちたような気がするが、敢助に文句を言う元気はあるようで安心した。
「いや、なるほど綺麗なもんだなと思って」
「何がです」
 まったく君はどういう神経をしているんだか、と口煩く小言を言い始めた高明の白い頬を指の背でするりと撫でてみる。ごわつきも髭の痕も無くしっとりとすべらかで、そういえばあまり髭が生えにくいと言っていた事を思い出した。口ひげを丁寧に整えるのも手間がかかりそうで、殊勝な男だと呆れ混じりに思っていれば高明に手を叩き落とされる。
「何すんだよ」
「それはこちらの台詞です。先ほどからの奇行の説明を求めます」
「だから、綺麗なもんだなと思ったんだよ」
「ですから、何がですか」
 どうやら本格的に怒らせてしまったらしい。白い肌の、耳の縁をじわりと赤くさせて不機嫌そうに細められた目を見返しながら、敢助は思った事を素直に口にした。
「かたちだよ、かたち」
……は?」
「お前の顔のかたち。お前も上原も美人だ美人だと向こうで騒がれてたぞお前」
「はあ……え? かたち?」
 高明は珍しくも困惑している様子で、頭にクエスチョンマークがいくつも浮かんでいるであろう表情に敢助は愉快な気持ちになってきた。言葉を言葉通りに受け取れば良いものを、と思うのだが頭が良すぎるばかりに色々と考えを巡らせているのだろう。
「まあ、何だって構いませんが……由衣さんにはこういう事はしないように」
 考えるのを諦めたのか、高明が視線を敢助に戻して「セクハラですよ」と冷静に忠告をする。するわけねえだろ、と言えば彼は笑った。
「由衣さんの話をしたらコーヒーが飲みたくなりました。君も飲みますか?」
 高明はそう言って松葉杖を支えに立ち上がろうとした拍子に、松葉杖の先がフロアに引っかかり、ぐらりとバランスを崩して前のめりになる。敢助は咄嗟に立ち上がり高明の体を抱き留めると、じくりと金属のボルトが入った膝が鈍く痛み思わず眉根を寄せた。
「っと……大丈夫か高明コウメイ
 まだ昨日退院したばかりの高明の体を抱き留めた敢助は、思いのほか骨ばった感触に更に眉間の皺を深くする。病院食だったのだから致し方ないが、随分と痩せたように思えたからだ。
「お前もっと太れ。肉食え肉を」
「藪から棒に何を……離してください」
 平気ですからと言う高明は敢助の肩に手を置いてバランスを取りながら松葉杖を持ち直す。俯いた際に少し長めの黒髪とブルーのシャツ襟の間に真っ白なうなじが見えて、敢助はぞくりと悪寒にも似た感覚に襲われる。
「敢助君?」
 腰を抱いたまま離れない敢助を、高明は怪訝そうに見上げた。ブルーグレイのくっきりとした二重の目が敢助を間近に写していて、やはり綺麗なかたちをしていると思う。その目がきゅっと細められた。
……すけべ」
 甘さすら覗かせるバリトンボイスがうそぶく。敢助は一瞬呆気に取られて、それからすぐに自分の杖を手に取って体を離した。
「アホか」
「阿呆は君です。そんなに私の顔が好きだったとは」
 しっかりと松葉杖を握り乱れた髪を手櫛で整えながら、高明は冷めた視線を敢助に送る。だが、敢助は「くくっ」と喉の奥で笑った。
「お前、昔から顔だけは良いからな」
 そうだった、と敢助は思い至った。毎日顔を合わせているうちにすっかり忘れていたが、敢助は高明の美しいかたちをした顔を昔から気に入っていたのだ。ああ、あの女性職員たちが言っていたように、この顔に傷がつかずに良かったと敢助は改めてそう思う。白磁器のようでいて、しっかりと血の通った美しいかたちが損なわれずに、本当に良かった。
「だけ、とは何ですか。顔のことを君にとやかく言われる筋合いはありません」
 褒めたと言うのに心底嫌そうに美しいかたちを歪めた高明は忌々し気に呟く。この男がこんなふうに顔を歪めるのも自分にだけなのだろうと思うと妙に愉快な気分になる。が、言われた言葉は気に食わない。
「顔顔うるせーよ」
 お前も俺の顔が嫌いではないくせに。
 そう思ったが、敢助は言わないことにした。