保科
2025-05-12 19:24:31
3592文字
Public その他
 

しぶりんのライブに行ってきたよ

すごい!供給を絶ってるのに文字を書くのは最早冒涜ですよ
若干りんみお

理解が及ばないほど素晴らしい物事に対して、恐ろしい程安易な言葉しか浮かばないことがある。その度、自分の無知を思い知る。いつだってそう。初めてオーディションに受かったとき、ステージで見た景色を前に、沸き上がる歓声を聞いて、そして――今も、そうだ。
―――♪』
広い広いホールの中心。数万人の人々を惹きつけてやまない歌姫の歌が、スピーカーを通して会場全体に響き渡る。揺れるペンライトの光に紛れる嗚咽、誰もが感情を揺さぶられながら、それでも彼女の歌を邪魔してはならないと必死にこらえている。
主役は、唯一人。スポットライトに照らされた少女――渋谷凛、一人だけ。
………
すごいなあ。そんな、安易な感想しか浮かばない。サングラスの下、あふれる涙を拭うことも出来ないまま、ただただ聴き入る。本当にすごい。こんなステージに立っていることも、こんなに素晴らしい歌を歌えることも、こんなにも、まばゆく、輝いていることも。
巨大なモニターの中、最後のフレーズを歌いあげた彼女が柔らかく微笑み、頭を下げた瞬間。
会場に、空間全てを埋め尽くさんばかりの万雷の拍手が鳴り響く――自然、一緒に手を鳴らしていた私は、もうすっかり、いろんなことを忘却の彼方に置いていた。


「やっぱ凛ちゃんの歌最高だなあ……!」
「なっ、俺、今日来れて本当によかったよ……!」
退場の雑踏の中、偶然聞き取った言葉に、私はウンウン、と深く頷いた。本当にそう。今日来れなかったなんてことがあれば、一生物の後悔に違いないよこれは。本当にいいライブだった。
通路の壁際、ところ狭しと並んだ祝い花からは甘い香りがする。つい足を止めて、書かれた文字を流し目に読む。『渋谷凛様 祝 単独公演――
そう。今日はしぶりん――渋谷凛ちゃんの、ソロライブの日だった。前々からのアーティスト活動が結実した念願の舞台。私も、あの子の友人として見に来ることが出来て本当に良かった――
………
うん、よかった……よかった。『一般退場の列に紛れながら歩く自分の姿』を改めて反芻しながら、それでも言い聞かせるように同じ言葉を繰り返す。よかったよかった。
………
「いやいやいや、帰ろ……
この空気に似合わない溜息を一つ。少しゆっくり目のペースで、再度足を踏み出そうと、
――見つけた」
―――
突如。耳元に響く聞き慣れた声に、ギクリと全身が強張った。連動するように、辺りのお客さんがにわかにざわめき立つ。
「ん……え!?」「あれ、凛ちゃん……?」「渋谷凛じゃん」「嘘だろ、なんで!?」「あれ?そこにいるのって」
瞬間、腕を強くつかまれて近くの通路に引きずり込まれる――抵抗もできず、引き摺られるように足を進める私の視界で、関係者以外立ち入り禁止の文字が虚しく揺れる。
「な、ちょ、待って待って待って!?待ってって――しぶりん!」
「2階席の前から3列目、居たでしょ。未央」
がちゃん。閉じられた重たい扉越しに、とんでもないざわめきが聞こえるのを全部無視して。目の前、私――本田未央の腕を強く握り込んだ女の子がじっとりと睨みつける。
彼女が口にした座席の配置はまさにその通りで、ファンクラブ会員優先抽選で私が当てた席だった――つまるところ一般席。
「説明して。
なんで、アンタが居るの」
……どーして見えるのさぁ……?」
行き交うスタッフさんが胡乱にこちらを見る。ステージ用の豪奢な衣装は脱ぎ捨てた、ラフなTシャツにジーンズで。疲労が滲む顔を歪ませたしぶりんが、心底不思議そうに当然じゃんと口にした。何も当然じゃなかった。豆粒だぞこっちは。


――キッカケは、めちゃくちゃ些細なこと。なんだっけ……もう、今となっては思い出せないようなことで、しぶりんとそこそこな喧嘩をした。勢いで貰っていた関係者チケットも突き返して、それで事務所を飛び出した――けれど。
「しぶりん」という個人に対する怒りと、「渋谷凛」というアイドルの女の子のファンであることは、私の中で矛盾しながらも両立していた。軽率に彼女のライブを観る機会を逃したことを後悔しながらも、謝るなんてできるわけない!とひとしきり身悶えて――結局、ファンクラブ枠で気まぐれに応募して当たっていたチケットを、リセールに出す予定を取りやめて。


「会員証持ち歩いてるんだ」
…………だって、プロデューサーがニュージェネには一桁番号くれるっていうから……!」
「ふーん。……サイン要る?」
「い、いらないって……、てかもういいじゃんか!控室戻りなよ!なんか色々あるでしょスタッフさんに挨拶とかさあ!」
「あ、FC報ちゃんと受信してる。全部開けてあるし」
……勘弁してくださいよお……………………
ライブとは全く違う感情で泣きそうだった。財布もスマホも取り上げられ、座り込む私の前で、酷くご満悦そうなしぶりんが、カードを広げながら延々と私をつっついてくる。さっきまでの神々しさはどこに言ったんだ。ありえないほどうざい友達の動きしかしないくせに、
「ねえ、どうだった、ライブ」
聞いてくることだけは、ちゃんとアイドルなのだからメチャクチャだ。ねえ、と再三つつかれた脇腹に耐えかねて、私は渋々と口を開く。
……よ、よかったけど……すごい……ウン……
……ふふ。ちょっとバカっぽい感想だね」
「くっ……ちょっと歌がうまくて単独公演したからっていい気になりおって……!」
「流石にそこまで行ったら誰だって少しは調子乗るでしょ」
それはそう。逆に謙虚すぎても何なんだ〜ってなる――いや、しまむーとかは自然かも。困った顔で遠慮しているのが目に浮かぶ。
そんなしまむーとは真反対な女、しぶりんは前髪を軽く払うと、にま、と悪そうな笑みを浮かべる。
「いいよ、未央が面白いから、みんな許してあげる。これでチョコ1個分だね」
「こ、こんにゃろお……!」
思い出した、冷蔵庫のおみやげの、トリュフチョコの最後の1個を私が食べたんだった。マジでしょうもないなトラブルの原因。
頭を抱えていれば、くつくつ笑うしぶりんが、財布とスマホを返してくれる。しっかり掴んでカバンに強く押し込んだ。二度と奪われてたまるかい。
「というか、そんな簡単な変装って……周りのお客さんにバレなかったの?未央がいるんだよ?」
「ば……バレないよ、みんなしぶりんのこと見に来てるんだから……
彼女は簡単、と言うけれど――サングラスとマスクと帽子でしっかり隠したことが功を奏したのだろう。実際、一般席に座っていた間、声をかけられることもなかった――しぶりんが、あんなに分かりやすかったのに?と不思議そうにするけれど、一番この場面不思議なのは私の居場所を突き止め、あまつさえ呼び止めたしぶりんの謎の視力である。怖いって。
「絶対、周りの人が黙っててくれたんだと思うけど……
「えー、そうかなぁ?」
「そりゃそうでしょ。なんでそこ疑うの。はー……でも、おっかし。よかった、追いかけて」
ひとしきり笑ったしぶりんが、そう呟きながら、徐ろに立ち上がる。
会話の終わりを予感した――それはそう、しぶりんは何でも無い風を装っているけれど、この後の予定は詰まっているはずだ。でも、そうは感じさせない気楽さで、彼女はこちらに手を差し伸べる。
「そうだ、未央も来る?打ち上げ」
「いやいやいや!一般席だし!」
慌てて手を振る。今回のライブについては完全に部外者だ、流石に気まずい。
……別に気にしなくていいのに……
私の拒否の姿勢に不満げにしつつも、手を戻して、少しばかり考え込んだ後。
………うん」
「?」
しぶりんが、取り出したスマホの、インカメのレンズを流れるようにこちらに向けた。――困惑して瞬く。
「はい、チーズ」
「へ、うえっ!?」
――パシャリ。愉しげなピースサインと焦った顔で手を振る2人組が、一瞬画面に映って――止める間もなく、スマホが流れるように仕舞われる。「なら、これで勘弁してあげる。またね未央」
「お、おいこら渋谷ぁー!肖像権の侵害だぞ!」
私の怒り声を華麗にスルーして。スタッフさんが行き交う通路を、後ろ手を降りつつ走っていくしぶりん。
その背を呆然と見送って――ライブの余韻と、小生意気な振る舞いへの怒りとがごちゃごちゃで、何を想えば良いのか。
――今日ライブ来てよかった。
………あー………
安易な感想。思い知る。――だめだ、どうしようもなく、ファンだ。 


ちなみに、後日しぶりんがインスタにあげた写真には『未央ちゃん居ましたよね!一般席で見かけました!』と多数コメントが寄せられて、その画面を掲げるドヤ顔の彼女の前で私は白旗を上げることになる。でもやっぱしぶりんの目はおかしいってば。