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2025-04-30 02:40:41
9509文字
Public movie100
 

054:すべてをあなたに

映画タイトル100題からおかりしました。
Δコユ拳。ケンが結構死にかけます。女子攻めwebオンリーにて展示しました。かきたいところだけ。

 成程、つまるところ俺ァ騙されたんだな。

 ほっぺたを板張りの床につけたまま、半目でぼんやり考える。身体が動かせない。力を振り絞ってもひくりと指先が震えるのみで、その手も背中で縛られている。見えないが、感触的におそらく足も同様だ。くそ、どんだけ眠らされてたんだか。この程度の拘束なら、腕を前に回して縄抜けするくらいお手のものなのにどうにも力が入らない。筋弛緩剤だろうか。サテ困った。マジで困った。
 おそらく今回の依頼人。アレが依頼してきた今回のターゲットの吸血鬼とグルだったんだろう。打ち合わせの時飲んだ茶に遅効性の薬でも盛られていたのか、出没スポットですと案内された森で吸血鬼に会ったあたりからどうも記憶が曖昧だ。
 依頼人の女、なんか怪しいとは思ってた。喋りに落ち着きがなかったし人と喋ってンのにばかすかチェーンスモーキングして。どこかで見た覚えがあるような無いようなような顔だとは思ったが、派手なブラウスに短いスカート、マァこんな服の女、夜の街ならそこらにいるもんだし気のせいだろうと流したのが良くなかった。俺なんぞを名指しで襲うメリットがどこにあるんだかわからんが、退治人なんてヤクザな家業、どっかで恨みでも買ったんだろう。
 そういや追い詰めた吸血鬼。あいつ絶対ヅラだった。だって半分脱げてたし。観念してお縄につけハゲっつったらアイツ、お前もハゲだろとか言いやがってふざけるなよ、俺はハゲじゃなくて剃ってんだ!……って、待って俺下手すると最期の言葉がコレなわけ? 嫌すぎるが? 生きて帰ってあのハゲのヅラ燃やしてちっちゃいウールの燃え滓をボンドでデコに貼っつけてやる。馬鹿野郎今そんな事ァどーでもいい。優先事項は状況把握。
 まず、縄はすぐに解けないことは確認した。動かぬ体で視線だけぐるっと巡らせる。部屋は暗いが、薄ら光の筋が数本部屋に入り込んではいた。窓はないから壁の隙間から入り込んでいるんだろう。明度からしておそらくこれは月明かり。土の匂いが強い。頬がくっついた床は少しじっとりしている。山小屋、もしくはなんらかの用具倉庫だろう。壁際にバケツや猫車、ブルーシート。手入れ仕事用らしい器具が並んでいた。目が霞む。仕事柄夜目は効く方だってのに、なんか薬が邪魔してるのか。
 そういえば頭も痛ぇな。外傷からくるモンじゃない、きつい風邪をひいたときみたいな、重たい痛み。
 息を吸っても吐いても楽にならない。芋虫みたいに身を捩る。壁際に転がされているらしい。必死に寝返りを打って、ようやく目に入ったものに息が引き攣った。

 部屋の隅っこに七輪らしきものが一つ。目が霞んでよく見えないが多分火がついている。

……
 あれ煉炭か。マジか。本気かあのハゲ共。
 一酸化炭素って……人間って何分保つんだったっけ? 濃度が高ければ数分で呼吸困難に陥って死ぬはずだ。頭痛、吐き気、息苦しさに加え視覚に影響が出ているものの意識はあるからまだ、いや俺は一体どれだけ寝てた? 身体が動かないからきっと1時間は吸ってるか。もう少し早く意識が戻ればまだなんとかなったってのに。
 冗談じゃねえ、こんな恨みを買うような事した記憶は無い、とは、まあ言い切れないのが悲しいとこだが。
 渾身の力を込めても縄がきりりと小さく軋んだだけ。これ自力は無理っぽいな。助けを待つ他ないが、あと何分の猶予があるんだろう。俺の帰り予定は今日の夜、定期連絡が遅いことを察してカズサが気をきかせりゃ早いだろうが、俺が窒息して死ぬ前にってのは難しいだろう。
 死が今までで一番近いところでお手振りしてるのを感じる。別に死にたかねえが、今死んだらどうなるんだっけと、ぐらつく頭でシュミレーションした。
 まず俺の生命保険金がミカエラとトオルに振り込まれる。それでトオルの学費は卒業まで事足りる。葬式に金はかけるな、骨は実家に帰さなければどこだってかまわない、と遺書に認めてギルドに預けてある。お袋がしゃしゃり出てこなければ良いのだが、最近のミカエラはずいぶん自分の意見を言うようになったし、トオルはそもそもお袋にビビってない。まあ問題ないだろう。あっちゃんは最近増えた家族だからな、俺の生命保険と、収入減補填の保険とでうまいこと回せれば良いのだが、トオルは細々した計算が苦手ではないし大丈夫だ。

 俺が今死んでも、アイツらは生きていける。

 思い至った途端、なぁんだよかったと口元が緩んだ。同時に、そう思えるまでに育てた自分と、二人三脚頑張ってくれた弟と、育ってくれた弟がさらに可愛くてたまらなくなった。
 俺はここまでやれたのだ。なんとかここまで来れたのだ。兄孝行な弟たちで、ほんとによかった。

 目の焦点が合わない。手足がびぐびぐ痙攣する。腹と胸と、頭の奥が鉛を流し込まれたように重さを増して、瞼がだんだん下がってきた。
 今意識が飛んだら、そこまでだろう。頭が痛え。もう指先一つ動かせず、声も出ない。


 死ぬのがアイツらよか先で良かったなぁ。


 と、崖っぷちでセンチなこと考えかけたとこで、爆音がした。真冬のような寒風が身体に吹き付ける。
 鈍い寒さを感じたのと同時、ほぼ閉じた瞼の裏がぴかりと明るくなって、ぐいっと身体が持ち上がった。コレは霊的なアレじゃなく、物理的に身体が浮いた感覚。腹に巻きつく細くて冷やっこい腕。布越しの唇に軟っこくて冷たいものがひっついて、気付とばかりに口ん中に冷風が流し込まれた。無理やり送り込まれた冷気と酸素に咳き込む。

 ああ、そう言えばこいつのこと、考えてやる余裕がなかった。ひとっかけらも思い出さんかった。マズったな。コイツ、止まるだろうか。
「ころすなよ」
 絞り出した声が届いたか確認する前に、プツンと意識が落ちた。







 結論から言うと、生きてた。
 意識が戻ったのは依頼を受けた町の総合病院で、人工呼吸器つけて点滴に繋がれたまま呆けていると、20年着たババシャツみたいな色のシャツ着た爺さんがだるそうに俺の横に腰掛けてきた。
 「閻魔様ってのは随分ダセエシャツ着てんだな」つったらバインダーで引っ叩かれた。よく見たらシャツとほぼ同じ色味に薄汚れた白衣を着ていたので、医者らしい。
 ババアだかジジイだかわからん医者の言うところによりゃ、あと数分遅かったら手遅れになっていたかも、とのこと。検査含めて数日入院。後遺症が残る可能性もあるらしいが、あの濃度の一酸化炭素に晒されていた割には元気な方らしい。口布が良い仕事をしていたのか。
 それから若い警察官が来て状況説明という名の聴取が始まった。こんなオッサン1人格納するのに個室はおかしいと思っていたが、コレのためだろう。もしくはボロ病院が個室代せしめる為にわざと入れたかのどっちかだ。
 要約すると、俺を陥れた依頼人と退治人は無事お縄についた。依頼は虚言だったらしい。動機の説明もあったがどうでもよくて生返事だけ返した。
「なあ、あんちゃん」
「はい」
「ゆき、ふってねえかな」
「ゆき? 雪ですか? いま4月ですよ」
 そんじゃあ今んとこ大丈夫そうだ。
 警察官は他にも聞きたいこと言いたいことがありそうな様子だったが、なんかもう疲れて眠いし、書面でギルドに送っといてくれりゃあとで見るから、と部屋から追い出した。ついでに請求と親族へ連絡も新横浜ギルドに回してくれたらいいと伝えると、簡単な了解と共にドアが閉められる。
 静寂が戻った部屋ですう、と酸素を吸いこんだ。苦しさも頭痛もなく、視界も明瞭だ。健康健康。
 俺を小屋から引っ張り出したアイツは何してんだろう。俺の目が覚めた途端にベッドにひっついてあれこれ世話したがると思ってたから拍子抜けである。
 紛れもなく命の恩人だ。破天荒なアイツの要望、出来る限り叶えてやらんと後が怖い。行き先言わずに依頼に出たもんだから暫く会っていないし、スマホを無くしたので「おとなしくしてろ」と釘を刺すこともできない。心配だがカズサやドラルク、親父さんたちがなんとかするだろう。弟たちへ入院の連絡も行っているはずだ。
「あー」
 声が掠れている。疲れた。眠い。疲れた。マジで疲れた。毎回毎回、大立ち回りの時は死ぬかもしれんと思って挑んでいるが、実際死にかけたときの疲れ方が若い時の比じゃない。薬のせいもあるが、日頃の疲れが今出たか。
……歳取るってのは、いやだねえ」
 ともあれ結果として生きてるんだから儲けもんである。細々したことはあとで考えりゃいい。ねむい。やばい。酒入ってねえってのに、いくらでも寝てられる気がする。くあ、とひとつあくびをしてから、久々に呼び出しの心配のない惰眠を貪った。




 


 覚えのある冷たい風と匂い感じて目を開けた。窓にちらりと目をやると、隙間風が昭和感じるカーテンをフヨフヨと揺らしている。
「面会時間は過ぎてるんじゃねえか」
 侵入者の姿は見えなかったが、確信を持って呟いた。瞬きふたつすると、見覚えある影がベッドサイドに現れる。月を背負ったシルエットは表情がわからないが、ご機嫌斜めなことだけは確かだ。
「こゆき」
〝黙って〟
 名前を呼ぶと、酸素マスクの上に人差し指があてられた。細くてしろくて、愛らしい女の指。嗅ぎ慣れた甘ったるい香り。
 深夜の侵入者は俺の顔をあちこち撫で回す。頬、耳、髭の伸びた顎。それからまだらに短い毛が育ち始めた頭を撫でてから、満足したのかぼすんと俺の腹に頭と両手を乗せてきた。重たい腕を持ち上げ、絹糸よりも滑らかな指通りの髪をすいてやると、ぐりぐりと頭を押しつけてから俺の方に顔を向けてきた。よく見えないが多分怒ってるなぁ。
〝なんで、殺すなって言ったんですか〟
「いいだろ? こうして生きてんだから」
〝なんで〟
 りんご飴のような二つの目玉がギラギラと不穏に光っている。いつもコロコロ忙しい表情筋はストライキの最中らしく、お人形さんみたいに生気がない。こんなガキでも美人の無表情は恐ろしいものだ。ヒトならざる者であれば尚更。
〝思い知らせなきゃ〟
 静かな部屋に歯軋りが響く。部屋の温度が数度下がり、空気中に微細な光がチラチラ舞う。酸素マスクの曇りが濃くなる。頭を撫でる手はそのまま、ゆっくりと面を掛け替えるように怒りに染まる娘っ子の顔をじっと見つめた。
〝あのヒト、あの同胞、ゆるせないです、ぜったいに〟
「うん」
〝はじめて、人を殺したいって本気で思いました〟
……うん」
〝わた、わたしからケンさんを奪おうとしました〟
……
〝わたしのものに手を出したことを、死んで後悔させてやらなきゃ、収まりつきません〟
……
〝ねえケンさん、言ってください。いいよって。わたし、ちゃんとできますから。誰にもバレないように、きちんとできます。わたしだけじゃ不安かもしれないけど大丈夫、ちゃんとやり方は知ってますから〟
「ンー」
〝ギルドにも、吸血鬼対策課のひとにも、新横浜の人たち誰にも迷惑かからないようにできます。だからお願い、いいよって言って……
……あー」
 思ってたよりだいぶキてるらしい。ここまで好かれているとは驚いた。というか、なんでここまで俺を好いてるんだ、こいつ。
 じんわり湧き上がる罪悪感と危機感に冷や汗かきながら言う。
「まず第一、俺ァモノじゃねえ。オーケー?」
〝わたしの〟
「聞けって、後三つ。な?」
 すわりきった目でにじり寄ってくるコユキを宥めるように撫でてやり、ゆっくり、静かな声で言い聞かせる。
「第二に、俺とやり合った奴は然るべき罰を受けるために然るべき施設で勾留中。だよな? おまえがそうしてくれたはずだ」
……
「裁くのは俺たちの仕事じゃない。オーケー?」
 唇をむにゃむにゃさせながらも、頷く。納得はしてないが理解はできる、といった具合だろうか。重畳重畳。
「第三に、お前がそれをやったら俺はお前をふん縛って突き出さにゃならん」
 りんご飴が揺れる、揺れる。ここで揺れてくれるだけ救いがある。あとひといき。
「第四、そうなったら俺はスッゲー困る」
……こまる〟
「そ」
〝どうして〟
「寂しくて」
……
「俺を寂しい男やもめにしてくれるなよ」
〝うー……
「いい子にできるな」
……ん〟
「よし」
 気づかれぬよう息を吐き、未だ俺の腹に頭を乗せっぱなしのコユキの頭をグリグリしてやった。いつもなら髪が乱れると嫌がるのに、されるがままだ。
「聞き分けの良い子は好きだぞ」
〝わたし、いいこ?〟
「いいこ、いいこ」
 しばらくそうしてグリグリしてると、髪の毛ぐちゃぐちゃになっちゃう、とこぼした駄々っ子が顔を上げた。
 手櫛で頭を整えながら恨み言を吐きはじめる。
〝けんさん、わたしに黙って遠くにお仕事行ったのは反省して欲しいです〟
「別に今更、わざわざ言うことねえだろ。前も何度かあったろ」
〝ミカエラさんから行先聞き出して直ぐに飛んでこなかったら、ケンさん大変なことになってたんですよ〟
「そ、れは確かに助かったが……待て待て、ここまで飛んできたのか」
〝当たり前でしょ、
「シンヨコから車で片道ニ時間だぞ」
〝直線距離を全力で飛んだら半分もかからないです〟
 ところでどーやって俺を見つけたんだい?
 ──とは怖くて聞けなかった。俺、なんか発信機でも取り付けられてんだろーか。装備品全部改めた方が良いかもしれない。暫くケチって業者に出してなかったし。
 おっさんの心知らず、コユキはじわじわと俺の近くに体をずらして、胸のあたりにほっぺた引っ付けてじい、と俺を見ている。雲が切れて月明かりがさしたのか、さっきと打って変わって表情がよく見えた。何か訴えている。
 何だろな。何を欲しがってんだろな。と考えて、大事な事を一言も言ってないのに気がついた。
「悪かったよ」
〝うん〟
「助かった」
〝うん〟
「ありがとな」
〝どういたしまして〟
 ようやく、結んだへの字がほころんだ。同時に目ん玉に光が戻る。悪戯する前の子坊主みたいなきらめきだ。いやーな予感。
〝ねえ〟
「ン」
〝わたし、良い子っておっしゃいましたよね」
「そーだなあ」
〝ご褒美ひとつくらいあって然るべきでは〟
……そー、だな……?」
〝そうです〟
 酸素マスクに手がかかる。握ったら折れそうな手は、つい数時間前に俺の身体を片手で持ち上げた膂力を秘めている。よくよく知っている。マスクが外される。反射的に深く息を吸うが苦しさはない。新横浜に借りてる6畳一間のアパート、俺のせんべい布団の上でコユキがコロコロ笑って抱きついてくる時と同じ匂いがする。顔が近づく。

 ふに、とやわっこいものが俺の口に押し付けられた。離れて、角度を変えてもう一度。

 目を閉じるタイミングを逃したせいで、視界いっぱいに真っ赤なギラギラが広がっている。コユキも目を閉じてない。ぼやける視界の中、互いの瞳孔を見つめながら中学生のガキみたいに唇くっつけあっている。キスなんて色気のあるもんじゃない。
 くっつけて、離れて、またくっついて。それを4回繰り返したコユキは、ムフーと鼻の穴を膨らまして〝ありがとうございます〟と満足そうに笑った。
 拍子抜けだ。正直なところ、これから布団を汚す覚悟していたのだが。
……おとなしいな……
〝私だって本当はケンさんをめちゃくちゃのぐちゃぐちゃにしてごめんなさいって言わせたい心は正直ありますよ〟
「怖ッッ」
〝でもね、まだ顔色が戻り切ってませんし〟
「お前に俺の体調を慮る器量があるとはな」
〝ひどぉい……あ、じゃあねえ〟
 とん、と首筋を叩かれる。いつもは衣装で隠れるそこ。太い血管が通った急所を探すように手が動き、柔らかな手のひらを当てて揉まれた。求めるものはすぐわかる。何度も乞われたが、許したのは片手で数える程度のこと。だが、今回は流石に叶えてやらねばならぬだろう。
……ちょっとだけだぞ」
〝ハイ!〟







 見つけたのは本当にただの偶然だ。
 ミカエラさんから聞いた彼のお仕事内容は『依頼人が所有する森に現れる、下等吸血鬼を使役する吸血鬼の退治』だった。
 別に線路に沿って最寄駅まで行ってから飛んだってよかったんだけど、この森に直行した方が彼に会える確率は高いと思ったし、もしかしたらターゲットの同胞を見つけて先に捕縛できるかもしれない。そしたら私はとっても褒めてもらえるし、彼もすぐに帰れるし、おねだりすればデートができるかもしれない。バイクの後ろに乗せてもらってツーリングなんて素敵だ。
 そんなこと考えながら全速力、ちょっぴり息切れしながらたどり着いた森の中を蝙蝠姿で飛んでいたら、聞こえたのは女の金切り声。咄嗟に木の影に隠れて様子を伺うと、ぼろぼろの物置っぽい小屋のまえで男女が言い争っていた。男の方は同胞だ。アレケンさんのがターゲットだろうか。

「何でこんなまどろっこしいことするのよ! 殺すなら刺すなり殴るなりあるじゃない! せっかく眠らせて……
「バカ言うな、相手は退治人だぞ、しかも新横浜の……少し手がかかっても確実な方がいいだろ……もう少しだから」

 殺すなら。退治人。新横浜。

 この三つのワードだけで全身の血が沸騰した心地がして、そのあとはよく覚えてない。
 小屋を半分吹っ飛ばして引っ張り出したケンさんはお酒でも飲んだように真っ赤な顔でぐったりしていて、ほとんど息をしてなかった。必死に抱き抱えて、死なないで置いて逝かないでと喚きながら息を吹き込んだ。ぐにゃぐにゃで重たい身体にぞっとした。人の脆さをこんなときに実感して、悲しくて悔しくて、ほんとうに恐ろしかった。
 しかもこの人、今際の際になるかもしれない時。そんな時だというのに、わたしに向かって好きでも愛してるでもなく、「殺すな」と言ったのだ。
 最後まで、わたしじゃなくて人間たちの心配をした。バカみたい。退治人なんてバカばっかり。自分より『自分を殺そうとした人間』なんか優先して。わかってますよ、わたしのことなんて、ほとんど思い出しもしなかったんじゃないですか、あなた。

 気づいたら両手に人間の首を一つずつ掴んでて、人間たちはテレビで見た魚河岸のマグロみたいに氷漬けで、全然美味しくなさそうな怯えた顔でわたしを見ていて、わたしの腕をお父さんが掴んでた。
 お父さんが何かをわたしに言って、わたしは嫌だって言った。そしたらお父さんはため息とデコピンして「貴方がこの人間を殺してる間にあのハゲが死にますよ」とハッキリ言ったので、人間放り出してケンさんを近くの病院に運び込んだのだ。
 人間の方は知らない。お父さんがうまいこと対応してくれたんだろう。ケンさん以外の人間の命なんてどうでもよかった。
 
(殺したかったな)

 薬くさい身体を抱きしめ、あたたかさを確かめながら思う。何でダメなんだろう。わたしから大切なものを奪おうとしたんだから、死んで償うのは当然じゃないのかな。
 わたし、こんなにも怒ってるのに。ミカエラさんもトオルさんもきっと良いよって言うはずなのに。怒ってないのはケンさんだけだ。
 ハリのある肌をさぐって美味しそうなところを見つけた。予告するように首筋を舐めてから噛み付く。熟れた実を頬張った時みたいにじゅわりと血液が溢れ出した。
 薬くさい。混ぜ物入りの血は全然おいしくない。それでもきちんと苦くて甘い、生きてるケンさんそのもの味がする。
 ケンさんはわたしのものだ。俺は物じゃねえっていつも怒られるけど、わたしが言いたいのはそういう物質的な意味ではなくて、もっとふかいところのことで、それでも彼はわたしのものだ。

 わたしのものなんだから、逃さない。
 わたしのものなんだから、死なせない。
 今はダメでも、いつか絶対に。

(わたしは、おとうさんみたいにならない)

 わざと音をさせて啜り上げると、唇の振動が喰いついた傷口に響いたらしい。耳元で響く低い唸り声に、貞淑ぶったことを少しだけ後悔した。