めやぬら
2025-04-26 21:47:13
3316文字
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窒息

不定期週刊燐一
首締め(https://privatter.me/page/68032dfc5c060 )の続き。一彩目線。
「理解者になりたいのになり得ない一彩と、兄の矜持でなく個人的な防衛として突っぱねる燐音が見たくて」などと供述しており、反省の色は見られず……

※暗い
※ちょっと燐音が冷たい

 その部屋を見つけたのは偶然だった。
 珍しく同室のニキが兄を探していたから、一緒になって探し回っていたとき。たまに旧館に忍び込んでは惰眠を貪っていると当の本人から聞いたことがあって、一彩は朝の朗らかな日差しが差し込む建物に入った。
 ぎし、と軋む廊下は換気がされていないからか、少しばかり埃っぽい。電気をつけなくても窓からたっぷり明かりが差し込んで視界には困らないが、影になっているところとの明度の差で、網膜が攣るような刺激が目の奥をちくりと刺した。誰もいない、本当は立ち入りを禁止されている場所に忍び込んでいるだなんてなんだか少しだけ悪いことをしている気分だけど、同時にちょっとわくわくもしていた。
 
 いくつかの心当たりのある部屋を覗いたが、どこも誰もいない。清潔なベッドや飾り気のない綺麗な家具が鎮座して客をいつでも受け入れられる準備はしていても、現在進行形で迎え入れているところはなかった。

(やっぱりいないのかな。電話しても出ないし、どうしたんだろう)
 
 パチンコでも行ってんすよ多分、と早々に捜索を打ち切ってバイトに行ってしまったニキとは違い、自分は燐音を探し続けている。予定がなかったからというのもあるが、なんとなく、放っておけなかったのだ。
 少し骨は折れるがセゾンアベニューまで行ってみよう。馴染みの店の近くで寝こけているのかもしれない。もしそうなっていたら、SNSだか何だかで拡散されて燃え上がる前に回収した方がいいだろう。
 そんなことを考えながら、寮内をぐるりと一周するように廊下を曲がった先。倉庫がわりにされている部屋の並びのうち、一つだけ、ほんの僅かに扉がずれていた。
 
(閉め忘れ……にしては)
 
 差金が上手く噛み合わないのを、錆びついた蝶番の固さで支えているようなズレ。壁からすこし離れて傾いたドアノブは、よく見たらその部屋のものだけ、埃が払われている。
 兄がいるのかとは考えもせず、整然と並んだ部屋の整列を乱すその部屋のドアノブに手をかけると、使われていないにも関わらず思いの外スムーズに回った取っ手。軽く引っ張るが、それくらいじゃびくともしない。力を加えて思い切り引くと、ようやく突っかかっていた差金がバコン!と外れ、それと同時に部屋の中で何かが大きく跳ねた。
 
「っ、何者だ!」
「ッは?!一彩?!」
「兄さん?」

 一際暗い部屋の中、壊れかけのベッドの上で驚きに目を丸くしているのは、探し人の兄。

「なんでこんなところに……椎名さんが探してたよ」
「え、なんか仕事あったか……
「いや、急いでいないと言っていたから、仕事じゃないと思うよ。椎名さんはもうバイトに行ったし」
「あいつ、お前に押し付けたンか」
「違うよ、僕が勝手に探してただけだ」

 そのままニキシメると言いそうな燐音を宥めるため、決してニキに押し付けられたわけじゃないと言えば、兄は決まり悪そうに顔を歪めた。それを誤魔化すような大袈裟な身振りで頭を掻いて、ベッドから立ち上がる。ギィッともはや壊れそうなベッドの枠が軋んで、僅かに埃が舞った。

「わざわざ探さなくていいっての」
「どうしてここにいたの?」
……昨日は酔っ払ってたから、部屋間違えたんだろ。たまにこっちで寝てたから来たんだろうけど」

 あくびを噛み殺し部屋を出ようとする兄は、ドアの前で立ち止まっている僕の前にはだかる。すぐに退いてあげなくちゃいけないのに、その様子が自然体なのにどこか緊張しているように見えて、違和感が意識を掠めた。

「弟くん?退いてくんね?」
「あ、あぁ……ごめんね」

 邪魔になるだけだと少し横に逸れ、狭い間口ですれ違う体。ふいに触れたアルコールの仄かな香りは、兄の白状が嘘ではないことを示している。パキパキ関節を鳴らして首を回す後ろ姿。寝癖がついた襟足も広い背も埃まみれで汚れていて、全く何も頓着せずに眠っていたのだろう。

「あー、やっぱ体いてー……もう一眠りすっかァ」

 じっと観察してみても何もおかしいところはない。言動に何も異常はない。だというのに違和感は拭えず、どこかに綻びがあるはずだと、仕草や気配を探ってしまう。話し方も態度も変じゃない。こんなところにいた理由だって、僕には分からないが酔っ払っていたというのならそうなのかもしれない。事実、移り香が残る程昨夜は随分と飲んだようだ。
 何もおかしいところはない。だったら、この違和感の出所は何なんだ。
 頭の中で、どこかがおかしい、異常だと警鐘が鳴る。気付かなければと焦って上滑りする判断の裏では、根拠も無いのにと自問があがりはじめる。

 いくら酔っているからと言ったって、何の理由もなく門扉より遠い現寮を通り過ぎてこんなところに来るだろうか。部屋を閉め出されたのなら、嘘をつく必要もない兄はそう言うはずだ。
 ここまで来た理由。ここにいた理由。故も無いことをする人じゃない。きっとなにか、訳があったはず。その見立ては合っている自信がある。
 そして大体において、世間一般的には、おそらく。どこまでも大枠な見方しかできないが、自分が知る限りだと 人が一人になりたいときというのは、何かに傷ついているときだ。
 なにかあったんじゃないか。何も無くたって、暗い思惟に沈むような夜だったんじゃないか。

 だが、それを暴けるような証拠も素振りも見えない。酔っていたのなら理屈のつかないこともするだろう。言い訳の筋も通っているし、あり得ないと断じられるほどの根拠は無い。
 勘に過ぎない予想を確たるものにできないまま、ただ衝動に押される。
 
……、兄さんっ!」
「なんだよ、デケエ声出して」
「あ……えっ、と」
 
 焦りに滑った口は呼び名だけを叫び、その後に続く言葉はなんにも紡いでくれない。鬱陶しげに振り向いた兄に、自分の行動と焦燥に困惑しつつも必死で思考を回して、しどろもどろに繋ぐ。
 
「わ、忘れ物とか、無いかな。酔ってたんだろう?」
「大丈夫ダイジョーブ。昨日は財布とスマホぐらいしか持ってなかったし、貴重品はポケット入ってっし」
「落としたりしているかも」
「それは確認してるから大丈夫だって」
「でも」
「大丈夫だっつってんだろ、しつけェな。忘れたらまた取りにくりゃいい。お前のモンじゃねェんだからほっとけ」
……
「それとも何だ?おにーちゃんの言うこと信じられねェってか?」

 苛立った声。刺々しい言葉。自分の猜疑を責められているようで、これ以上探るなと言われているようで、思わず黙りこんでしまう。寝込みを驚かされたからなのか、お節介が本当に気に入らなかったのか、なんにせよ煩い弟を黙らせた兄は不機嫌を滲ませて睨む。その目があまりにも冷たくて暗くて、背筋が竦むようだ。

「そんなつもりじゃ……ごめんなさい」

 気に障ったのなら、と謝罪を口にすると、兄はほんの僅か驚いたように眉を上げて、冷ややかな眼差しに嫌悪が混ざる。段々と目線が下向いて、兄の足元あたりを眺めたあたりで鋭い舌打ちが沈黙を打ち据えた。
 
……ンだよ」
 
 低く呟いて踵を返す足先。床を軋ませる足音と気配が淡々と遠ざかる。呆然と兄が去るのを聞き届けて、傍らで開いたまま軋む部屋の扉に目を遣った。

 疲れたようにギィ、と唸る扉は錆びついている。部屋の中も同じように、全てから忘れられて塵ばかりが積もっている。打ち捨てられているの壊れかけた家具はひっそりと息を潜め、完全に崩壊するまで静かに時をやり過ごしている。
 役目の終わりを告げられ、存在が壊れる瞬間を待っている部屋。
 
 なぜこんなところにいたのだろう。酔った兄は、なぜここを選んだのだろう。入り口から一番遠い此処を。
 打ち捨てられるなどまっぴらだ、なんて真っ先に言うのは兄のはず。だけど、自分の身を堕とすのだって自由だと叫び出しそうなのも兄だ。
 此処にいた理由、不機嫌な表情、暗く凍てついた瞳に刺すような言葉。
 考えど探れど、諦めの沈黙が横たわる部屋の前で答えは出なかった