かいえ
2025-04-25 22:00:07
16408文字
Public
 

【蘭武】Once Upon a Time in Tokyo ④

謎軸設定
16,408文字
武道が戻って来た未来は、武道以外がみんな幸せ(最終軸の職業についている)で、26歳の武道と仲良くしている人はいない世界だった
Twitterに載せたお話に加筆修正したもの
※このお話の前までをまとめたものを通販中です
🐯 https://ec.toranoana.jp/joshi_r/ec/item/040031155559/
🛁 https://www.melonbooks.co.jp/fromagee/detail/detail.php?product_id=2409146

 三月に入り、都内では再び雪が降った。明け方から降り出した雪は一向に降り止まず、武道が店長からの電話で起こされた時、窓の外は都内とは思えない雪国のような景色になっていた。その日、武道は午後からのシフトだったのだけれど、雪で職場に来られないという同僚の代わりに朝から出勤するよう店長から言われたのだ。勤務地に近い方とはいえ、徒歩で向かうにはこの雪道では厳しく、バスを乗り継いで職場に辿り着いた。そして、同じく休みの予定だった店長と一時間遅れで店を開けたのだった。
 結局、他の同僚も出勤出来ないという事で、そのまま夜まで働く事になった武道は、すっかり暗くなった店の前で、今度は雪かきに精を出していた。
 数日前は汗ばむ陽気だったせいで、そんなに気温が低くなくても、凍えるような寒さに身体が感じてしまう。武道は、バイトのエプロンの上からダウンジャケットを羽織ってはいたが、足元からの冷気に身体をぶるっと震わせた。手袋も嵌めれば良かったと思ったが、もう一度ロッカーに戻るのが億劫でそのままにしていた。悴んだ手をはぁと吐息で温めても、冷えてしまった手は一向に温まらなかった。ふと、道を行き交う人々を眺めて見たが、皆一様に寒そうにしているから、武道だけが凍えている訳では無さそうだった。寒の戻りというのだろうが、来月には桜が咲く時期だというのに、どうして、いつもこの時期になると雪が降るのだろうかと、武道は不思議に思ってしまう。そして、今は吐く息が真っ白になるくらい寒いのに、数か月後もすれば、この国は一気に砂漠より暑い国になってしまうのだから、それもまた、不思議な事だと思うのだった。
 店先の歩道に積もった雪を、塵取りを使って雪かきをしていた武道は、雪の降る元凶である暗く重そうな雲が夜空を覆い尽くしているのを見上げた。雪は全く降り止む様子は無く、継続的に地上へ降り続いていた。
 手の平の上で降って来た雪が弾け、雪の結晶が散らばる様子を見て、伊藤と初めて食事に行った夜も、こんな風に雪の降る夜だったと、武道は思い出していた。
 結局、武道は伊藤がどうやって武道の下の名前を知ったかを詮索しないまま、あれからもLINEでのやり取りを継続していた。一日に一度は何かしらのメッセージをくれる 伊藤は、武道にとって必要な人間になっていた。
 季節外れの雪が降っているせいで、武道がシフトに入っているその夜に、伊藤が店を訪れても武道は驚かなかった。それは予感めいたものだった。
「タケミチ、こんばんは」
 店内に入って来た伊藤の、ゆったりとした物言いは、武道の耳に心地良く届いた。今夜の伊藤は傘を差していたようで、髪にでは無くダウンコートの両肩辺りに雪が付着していた。手を伸ばして払いそうになったが、それを自分がするのは変だと思い直し、武道はさっと手を引っ込めた。
「伊藤さん、こんばんは。すごく寒いですね。今夜も面白い映画で良いですか?」
「うん。いつもみたいにタケミチが選んでよ」
 伊藤に「タケミチ」と下の名前で呼ばれる事に、友人のように親し気に話しかけられる事に、武道はもう慣れてしまっていた。伊藤に至っては、最初よりもっと友人に対する気安さで武道に話しかけてきている。
 武道は「少し待っていて下さい」と、伊藤に言うとコメディばかり集めたコーナーに向かった。こうやって武道が、伊藤の為に映画を選ぶのも慣れたものだ。お勧めした映画も、もうすぐ二桁になろうとしていたから、新しい映画を探しておいた方が良いかもしれないと心配になるくらいだ。「面白い映画」という括りさえ無ければ、他にも伊藤に勧めたい映画は山ほどあったのだけれど。
 映画好きとしては、もっと色々な映画を伊藤に観て貰いと思うのだけれど、伊藤が「面白い映画」を希望しているのだから如何ともし難かった。
 伊藤は武道が持ってきたDVDの中から一番左側のものを選んだ。伊藤が観る前に中身を吟味しないのはいつもの事なので、武道はもうその事に何とも思わなくなっていた。武道はさっさと中身をレジ裏から持って来て、伊藤を視聴ルームに案内した。伊藤は部屋を出て行こうとする武道に「後で食事に行こう」といつも通り誘い、武道は当然のように「はい」と言って了承した。
 伊藤とはLINEを交換してから、毎日やり取りをしているくせに、事前に食事をする約束をした事が無かった。伊藤は時間の定まっていない仕事をしているようで、空いた時間にこの店に来るのだ。それなのに、いつも武道がシフトに入っている日に、伊藤は必ず訪れるのだから、巡り合わせがすごいと武道は思っていた。とはいえ、突然当日に誘われても食事に行けるのは、武道の予定がいつでも空いているからだったりする。
 伊藤を視聴ルームに案内して、店舗に戻ろうとした武道は、伊藤がまた飲み物も何も持っていなかった事に気が付いた。通常、視聴ルームを利用する客は、何かしら飲食物を持ち込むのが普通だった。映画館でポップコーンとジュースを買うようなもので、DVD鑑賞だとしても映画を観る以上何か食べたり飲んだりしたくなるのだろう。
 伊藤はもしかしたら、視聴ルームが飲食可である事を知らないのかもしれないと武道は思い至った。そうして、自分も最初の時に、きちんと説明していなかった事に気がついてしまった。その後も、伊藤がこの店に来る時の接客は、全て武道がしているのだから、その武道が飲食可能の説明をしていないのであれば、伊藤は当然知っている訳が無いのだった。
 不味いと思った。
 この事を店長に知られたら、お説教案件になるのは間違い無かったからだ。情けない事に、武道はこういった間違いを良くしているので、店長にバレたくないと思った。
 いつも食事を奢って貰っている事と、LINEのスタンプをプレゼントして貰った事もあったので、そのお礼に伊藤へ飲み物を御馳走すれば良いでは? と、武道は妙案を思いついた。本格的なお詫びと、レンタルルームで飲食可能だった事の説明は、食事に行った際にしようと勝手に決めた。伊藤と知り合いだから出来る不手際の証拠隠滅だ。
 そういう次第で、武道は急いで更衣室の自分のロッカーに行き、財布から小銭を取り出すと、雑居ビルの中に設置されている自販機で温かい缶コーヒーを購入した。
 部屋のドアを開けるにあたり、ビルの廊下の蛍光灯を消す事にした。廊下は真っ暗になり、武道は手探りで廊下を進む。映画鑑賞中に話しかけるのには抵抗があったので、静かに部屋の中に入り、サイドテーブルにコーヒーを置く作戦だ。部屋の中に居るのが伊藤だった事もあり、武道は許される行為だと考えてしまった。
 武道は出来るだけそっと視聴ルームのドアを開けた。すると、映画のセリフと一緒に、嗚咽する声が聞こえてきたからギョッとして、部屋の中に足を踏み入れる事を止めた。ドアの隙間からスクリーンを見ると、まだ映画が始まってすぐの場面で、映画の登場人物は誰も泣いてなどいない。けれども嗚咽はずっと聞こえていた。スクリーン手前のソファに座っている伊藤はひじ掛けに肘を置き、目の辺りを手で覆っているような姿で座っていた。顔は下を向いているのできっと映画は目に入っていない。そして、伊藤は肩を小刻みに震わせていた。映画は泣く場面では無かったし、そもそも、伊藤の要望通り面白い映画を武道は選んでいたから、この映画を観て泣くというのは、ありえない事だった。
ふと、視聴ルームから出てくると伊藤が必ずサングラスを掛けていた事を思い出した。もしかして、伊藤が視聴後にサングラスを掛けるのは、泣いた跡を誤魔化す為だったのだろうかと考えて、武道は愕然とするしか無かった。だとすれば、伊藤は面白い映画を楽しんで観てはいないのではないかという疑惑が生じたのだ。伊藤の為に映画を選んでいた武道にしてみれば、それは裏切り行為のように感じられてしまった。
 伊藤はまだ泣いているようで、ソファの背もたれから見える広い肩を小刻みに震わせている。事情は良く分からないけれど、伊藤はこの事を秘密にしているのは間違いなかった。わざわざ視聴ルームまで借りて一人で鑑賞しているのだから当たり前だった。従って、武道は何も見なかった事にするのが、一番良いに決まっていた。
 幸い、扉はほんの少ししか開けていないし、嗚咽は今も聞こえているのだから、武道がここで覗き見している事を伊藤には気づかれていないと考えた。武道は音を立てないように慎重に扉を閉めた。再び手探りで廊下を歩き、壁にある電源を入れると、廊下は途端に明るくなる。ジーッと音を立てる安っぽい蛍光灯の白光の下に、老朽化したビルの壁が浮かび上がって見えた。それまで何も見えなかったのに、今は壁のヒビや黄ばみまでもがしっかり見えていた。それは、伊藤の隠している部分を見てしまった事と同じだった。武道にとって伊藤は、頼られるというより頼らせてくれる年上の大人の男性だった。伊藤はミステリアスで、いつも余裕がある態度だったし、武道が知らない世界を見せてくれる人だった。思いやりがあって、気が利いて、優しかった。伊藤はどう見ても人の上に立つ事に慣れている人間だったから、その伊藤が泣くという事が、この目で見ても信じられず頭の中は混乱していた。細長い廊下には武道以外立っていない。天井に取り付けられた蛍光灯が一瞬チカチカと点滅した。そろそろ取り換え時期なのかもしれないと見上げながら、ひとまず渡せなかったコーヒーを持ったまま、その場から立ち去る事にした。
「花垣君」
 視聴ルームから戻った武道は、店長に呼び止められた。武道が店長の方に振り返ると、店長は意味ありげに視聴ルームがある二階に視線を向け、それから急に声のトーンを落として「そういえばさ、この間のお客さんってまた来てるの?」と、尋ねて来た。まるで、誰かに聞こえてはいけない秘密の話をするみたいに。
「あ 来てますよ」
 釣られた武道の声もかなり小さくなる。
「で、またこの後に食事へ行くの?」
 武道を見つめる店長の顔は真剣そのもので、就業後の予定を聞かれるというより、行く事を咎められているような感じがしてしまう。
「はい 行きますけど
 前に伊藤との事を詮索してきた時は、興味本位でミーハーな感じだったのに、今回は慎重に言葉を選んでいる感じが滲み出ていたから、武道も思わず身構えてしまった。
「花垣君さ、少しは気をつけた方がいいよ」
「何を?」
「あの客が堅気に見えんの?」
「へ?」
「どう見たって、あっちの筋の人にしか見えないよね?」
「はぁ
 武道の気の抜けた反応に、店長は大きくため息をついた。呆れているのだと、武道に分かるように、わざと大仰にしているのだという仕草だ。
「花垣君ってさ、たまに向こう見ずなところがあるよね。神経が図太いって言うか。生存本能がイカレているみたいに。うちは店の立地がヤバイからさ、強面のお客さん多いじゃん? 普通の子は接客をビビッちゃうのに、花垣君は平気で対応してくれてるから有難いところもあるけどさ。でも、プライベートでも会うなら気をつけた方が良いんじゃないかと思って。いつの間にか『タケミチ』なんて、親し気に名前まで呼ばれちゃってるし、花垣君だって満更でも無いみたいにデレてるよね? 私は心配だよ。成人男性に余計なお世話かもしれないけど、言わなかったら言わなかったで、私が後悔しそうだから言った。後は花垣君の判断で決めれば良い事だから。以上」
 言いたい事だけ言って、店長は別の仕事に行ってしまった。その場に取り残された武道は、店長に言われた事を頭の中で反芻していた。
 店長は伊藤の事を「あっちの筋の人」と表現していた。「あっちの筋の人」というのは所謂「ヤクザ」という意味だ。そして、店長の言う様に、この店の立地は歌舞伎町に近くて、ホストやホステスという飲食関係の人間も多いのだけれど、当然ヤクザの利用も多かった。そういう人間は、一目見ればすぐに分かった。職業の匂いというものがあるのなら、その匂いを全身からプンプンさせているから、すぐに気が付くのだ。
 けれども、武道は伊藤をヤクザだと思った事は一度も無かった。伊藤からは、歌舞伎町にいるヤクザの匂いは全くしていなかったからだ。それに、伊藤がみかじめ料を回収している姿が思い浮かばなかったし、似つかわしくないと思ったのだ。勿論、服の下に立派な和彫りの入れ墨があるようにも見えなかった。
 武道が伊藤から感じ取っていたのは、洗練された洒落ている男の香りでしかなかった。
 けれども、あの控えめな言い方なのに、相手が断れない圧のある独特な話し方が、伊藤は只の一般人では無いと、武道に思わせてはいた。
 では、伊藤は何者なのか? と考えて、ゴッドファーザーの映画の一場面が浮かんでしまったのだった。
 そう、伊藤はヤクザというより、マフィアの方が似合っているのだ。