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2025-04-22 15:44:56
3416文字
Public DC
 

【DC】その日まで

『隻眼の残像』本編後の高明と敢助の話


 気まずい雰囲気に居た堪れなくなったであろう上原が、売店で飲物を買ってくると言って駆けて行った。昔から鈍いとは思っていたが、この年齢になるまで浮いた話を殆ど聞いたことが無いのはなるほどこういう事かと納得せざるをえない。さすがに上原が可哀想だとは思うが、高明はわざわざ彼らの背中を押してやるほどにお人よしでは無かったし、お節介でも無かった。
「ったく、なんなんだアイツは」
 本当にわからない、といった様子で頭を掻く敢助を車椅子から見上げながら呆れた苦笑が漏れてしまう。なんだよ、と凄みのある隻眼で睨まれたが高明としては恐ろしくもなんともなかった。
 この年齢になって恐ろしいことなど、あまり多くは無い。昔は暗闇が怖かったし、風呂場でシャンプーをしている時背後が怖かった。けれど、本当に怖いのは人の悪意であると中学生の頃に思い知らされてから、どこかで怖いという感覚が希薄になったように思う。
 あの時もそうだ。今から十カ月ほど前に、御厨を追って敢助が行方不明となった時、高明は怖いと思うより先に怒りを感じていた。勝手に単独行動をとって、勝手に行方不明となって、見ていられないほど憔悴した上原の姿を前に、敢助相手に激しい怒りが湧いた。
 人はいつか必ず死ぬ。その長短に限らず、人の生とは有限なものでありそれに何人も抗うことなど出来ない。彼が、敢助が死んだというならそういう運命だったのだろうと思えたかもしれない。だが、あいにく高明は自分の目で見たものしか信じられない頑固な性格をしていたのだ。誰もが敢助は死んだと言った。だが、高明だけはそれを信じることが出来なかった。高明は敢助の遺体を確認したわけでも、遺言を聞いたわけでも、遺品を改めたわけでもないのだから。
 だから――景光の死だけは、高明の中で揺らいでくれない。
……敢助君は、雪崩に巻き込まれ死にかけている間、夢は見ましたか?」
「あ? どっちの話だ」
「どっち……ふっ、そうですね、君が雪崩に巻き込まれて九死に一生を得たのは二度目でしたか……ふ、ふふ」
「笑ってんじゃねーよ」
 笑わずにいられようか。二度も雪崩に巻き込まれ生死を騒がれる男など聞いたことが無い。無論今回も敢助が死んだと知らされたと同時に彼と、おそらくあの少年が画策したであろう計画は察したので全く信じてはいなかったが……実際に天文台に現れた敢助を見て一瞬力が抜けてしまったことは、誰にも言うつもりは無い。
「夢、なあ……覚えてねーな」
「あれだけ眠っていたのに、ですか」
「うるせーよ、テメーは見たのか?」
 乱暴な物言いの敢助に、高明は静かに頷く。ずきり、と太ももの傷が痛んだ。さすがに無茶をし過ぎて悪化させたかもしれない。
「真冬の凍った川に落ちて……私はこのまま死ぬんだなと思った時に」
 敢助は黙って高明を見下ろしている。高明は真っすぐに敢助を見上げたまま、ふと笑った。
「景光が……弟がいました。私を水の中から引き揚げて、不思議と息が吸えたんですよ」
 自分の見たあれが何であったのか、高明にも分からない。周りの風景は朧気で、ただ、とても明るく美しかったような気がする。
「お前の弟はたしか、その……
「ええ、おそらくもう」
 敢助は眉間に皺を寄せて黙り込む。彼は確か景光とは面識がない筈だが、東都で例のスマートフォンを受取り長野に帰ってきた高明を問い詰めて、おそらく高明と同じ結論に至ったのだろう。景光は、公安に配属されて殉職したのだと。
「私の、PⅢの緊急発進を追って助けに来たんだそうです。自分は潜入先で運よく仲間に救われ、死の偽装をしたのだと」
「やけにリアルな走馬灯だなおい」
 あの時の景光は顎髭を生やしていて、見慣れない服を着ていた。不思議なもので、人が死の間際に見るという幻覚はその人が知らない筈のものが見えることがあるという。けれど、高明はその男が景光であることはすぐに分かった。間違えるはずがないのだ、たったひとりの弟を。
「こっちへ来るなって言われたか?」
 敢助が杖に体重をかけて高明を斜め上から見下ろす。高明はゆるりと首を横に振り、目を細めた。
「もう大丈夫だから、一緒に行こう、と」
……
「ですから、私はこの世界も景光も現実では無いと気づけました」
 受け取ったはずの弾痕と血の跡が残るスマートフォンは、景光の胸元のポケットに、まるで何事もなかったかのように綺麗な状態で戻っていた。
 助けに来たという彼の矛盾する説明は、高明の聡明な頭を素早くひとつの結論に結びつける。生きていて欲しいと、願わなかったわけでは無い。実は生きているのではないかと希望を見出したくなったことも、無かったわけではない。けれど、あの封筒に入れられたスマートフォンと、滲んだ宛名、差出人の記述に高明の推理はいつだって、どうしたって、同じ場所へたどり着いてしまうのだ。
 景光はわざとそんな矛盾を口にして気づかせてくれたのではないかと、高明はそう思っている。あえて無傷のスマートフォンを見せて弾痕を思い出させ、自分の手が銃を握っていることを自覚させようとしたのではないか。それはまるで……死んだ景光の意思が、あの場に確かにあったかのように。
「本当はもっと話がしたかったんですが、死ぬわけにいかなかったので」
 景光が自分の命と引き換えに守ってくれた命だ。やすやすと手放すわけにはいかない。人は必ず死ぬのだとしても、今では無いと言われたような気がした。
「俺だって……お前に庇われた結果、お前が死んだら寝覚めが悪いからな」
 高明コーメイと呼ぶ声が分厚い氷の下まで聞こえていた。酷く取り乱し、ほとんど叫ぶような声だった。この男は、高明が死んだらこんな風に名を呼ぶのかと、冷たい水の中沈んでいきながら思った。きっと、彼の中にあるものも怒りだろうと思った。あの時の自分と同じように、勝手に助けた高明に対して、世の理不尽に対して。
「敢助君は、私が死んだら泣きますか?」
 敢助が死んだと思っていたわりには泣かなかったと詰られたばかりだ。死んだなどと今回も、あの時も思ってはいなかったが、だったら彼自身はどうなのだろう。きっと、泣いたりなどしないに違いない。
「泣くかもな」
……は?」
 思いもかけない返事に、高明は思わず敢助を見上げて眉根を寄せる。何を言い出すのか、と睨むと敢助は高明ではなくロビーに並ぶ椅子の間に視線をやりながら小さく笑う。
「まあ、お前のことだから、しぶとくそう簡単には死なねえとは思うけどよ」
 敢助は体ごと、車椅子の高明に向き直った。
「泣くだろうぜ、高明コーメイ。お前が死んだら、張り合いがねーからな」
 ニッ、と強面の顔が笑う。顔にどれだけ大きな傷がつこうと、無精ひげに覆われようと、その不敵な顔は子どもの頃から何も変わっていないように思えて高明は思わず笑った。
「私だけ君の泣き顔が見られないのは、悔しいですね」
「おーおー、悔しがっておけ」
「なら私も、君が死んだら周りがドン引きするくらい泣いてみましょうか」
 もし、自分が敢助よりも先に死んだら、彼の今わの際に今回の景光のように出て来てやろうかと高明は思う。そうやって、昔から変わらず彼が自分の言葉の矛盾に気づくか試すのだ。

 景光の遺骨は存在しない。いや、どこかにあるのかもしれないが、高明の手元に戻って来ることは無いのだろう。それが弟の選んだ道で、高明はそれを誇りに思う。
 誇りに思うが、やはり少し寂しい。
 彼の元へ逝くのはきっと、まだ先だ。彼が生かしてくれたのだから、天命を全うするまではせいぜい生きながらえるつもりで、出来るならば楽しく生きたいものだと思う。
 もう、耐えられない。あの天文台で慟哭した林の言葉が蘇る。誰もが、彼のようになる可能性があるのだ。高明とて、もう何も喪えない。だから、喪わないように生きねばならない。後悔のないように、出来るだけ長く。
 そうしていつかあの世へ逝ったら、景光と酒でも飲みながら今回の答え合わせをするのだ。あれは本当にお前だったのかと、尋ねてみるのだ。
 景光はきっと、笑って言うだろう。

――さすが兄さん! 大正解だよ!

 だから、どうかその日まで。