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enuk3815
2025-04-20 21:23:30
5011文字
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【小説】Into the blue
いつもの世界の話ではないです。
"into the blue"に遠くへ、彼方へ、見えない所へ という意味があるらしいと聞いて。
(見えなくなる、消えるという意味合いも強そう)
ネイティブじゃないので多少間違えていても許してもらおう。
ブレはご愛嬌です。冷奴のタトゥーみたいなもんだ。
ちなみに自作曲を小説にしたものです。
創作全般が好きなので曲を小説にしたり絵にしたり小説を曲にしたり絵にしたりして自給自足しています。
汽車を降りて見上げた星空は、車内から見たそれよりも、ずっと綺麗だった。
時の流れが止まったような空間で唯一「時間」と「速度」を思い起こさせる規則正しい音と、規則正しく吐き出される白い煙が遠ざかっていく。
知らない街の、知らない駅から続く、知らない道を歩く。今日はいつもより街なかの駅だったみたいだ。大通りにぽつぽつ明かりが灯っている。綺麗だなぁ、と引き結んでいた唇と頬を緩めて、でも星空のほうがもっと綺麗だもんねと拗ねてみる。誰に語りかけているわけでもない。わたしの要領を得ないひとりごとに付き合ってくれる人はここにはいない。
それでいい。それが心地いいから、わたしは今ここにいるのだ。
覚束ない足取りのわたしを時折すれ違う人たちが振り返る。「だいじょうぶですか」と何度か声をかけられる。善意か悪意か区別できないまま「だいじょうぶです」と返して、また歩く。歩く。
ああ、幸せそうだ、あの人も、あの人も。素敵な街だ。みんなが幸せそうだ。
わたしもここでやり直せたら、幸せな人になれるかな。
なにもしなくても生きていれば、嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと、いろんな事象からくるいろんな感情が心に積もる。
それに合わせてわたしは笑って、泣いて、怒って、落ち込む。
その顔を見せて、わたしは今嬉しいんだ、悲しいんだ、と表して心を曝け出して、みんなに伝える。
ただそれだけのことに、どうしようもないくらい疲れてしまうときがある。
なんにも考えないで。笑わないで、泣かないで、怒らないで、落ち込まないで、ただ何も考えないでいたい。眠れればいいのに、眠れない。眠る前というのは往々にして頭の中で思考と感情が渦巻いて、どんな顔をしたらいいのか分からない。誰も見ていないから余計に、どうしていいかわからない。
そんな日はこうして旅に出る。
夜汽車に乗って、ひとりでふらりふらりと揺られて、知らない街へ向かう。
そうして降り立った知らない街で、歩いて、歩いて、誰でもない誰かに会って、歩いていたら、朝が来る。
「お嬢さん」
柔らかな声を捉えて立ち止まる。
いつの間にやら大通りを抜けていたらしい、あたりはすっかり暗かった。右斜め後ろを振り向くと、誰でもない誰かがいた。
「お嬢さん、大丈夫ですか」
「だいじょうぶです」
何百回も口にした、慣れきって生ぬるくなった言葉を吐き出す。
「こんな時間に、どこへ行かれるのですか」
「決めていません。夜が明けたら帰ります」
「ここを進むと山ですよ」
「そうですか。どうも。ではこちらの道を行きます」
「そう急がずに、予定がないのでしたら、うちで一杯どうですか」
「
……
」
「よければどうぞ」
「
……
ではお邪魔します」
店に招き入れられることは案外多い。店の看板や明かりをつい立ち止まって見てしまうから、目ざとい店主はこうして声をかけてくる。知らない街の人たちは案外お人好しで世話好きだ。誘われたら基本断らないことにしているから、そのまま入口をくぐった。この街の治安もこの店の様子も知らないまま。仮になにかに巻き込まれて日常に戻れなくなっても、それはそれでいい。どうでもいい。そう思える日にしか旅には出ない。多少の危険は覚悟の上だ、と言ってしまえば格好がつくだろうが、自暴自棄と表現する方が心の亀裂に隙間なく、きっちりと嵌まる。
「いらっしゃいませ」
奥からまた誰かの声がする。
目に痛くない、柔らかな光が壁を、椅子やテーブルを、床を、わたしを照らす。バーのような内装と雰囲気の割に、アルコールの匂いはしない。混んではいないけれど寂しいほどに空いているわけでもない。なんとなくカウンター席に腰を掛けて、木目を見つめた。悪くないな、と意味もなく偉そうに思ってみる。慣れない空気はひんやりしていて、心の奥に居座っている熱を冷やして、現実を忘れさせてくれる。わたしは何も知らないし、誰も知らない。誰もわたしのことを知らない。ただそれだけのことが心地良い。
「カフェラテと、季節のタルトをひとつずつ」
「かしこまりました」
メニューからすると喫茶か、その類の店であるらしい。洒落た音楽も派手な装飾もなにもない、言ってしまえば地味で素朴ではあるけれど、ひとつひとつが洗練されているから全く野暮ったくは見えない。
慣れた手つきでコーヒーを淹れながら、店主と思しき誰かが口を開く。
「お出掛けには慣れているようですね」
「ええまあ、そうですね」
「どちらから?」
家の最寄り駅を告げると、一瞬目線をこちらへと移す。まじまじと眺めなくても驚いているのがわかる。
「そんなに遠くから。なにかご用事でも?」
「いいえ、何も。
……
格好をつけるなら、逃避行です」
「逃避行?」
「現実逃避の旅ですよ。ずっと家に、あの街にいたら、慣れすぎた空気が嫌になってしまうから」
「
……
そうでしたか」
「知らないものを当てにしてね、知らないものに囲まれて、誰もわたしを知らないし、わたしも誰も知らない。そういう場所へ逃げたくなるんです。時々」
「それで気ままな旅をしている、と」
「ええ、だから降りた駅の名前も知らないのです」
「それで無事に帰れるんですか」
「今まで帰れなかったことはないですが、仮に帰れなくても、それはそれでいいか、と」
「なるほど」
「むしろ、知らない街で一からやり直せたら。そう思って飛び出すのに、きっと今日も帰れてしまう。帰ってしまえば自分がどこにいたのか確かめるすべはありませんから、きっともうここにも来られない。わたしは結局、どこへも行けないままだ」
言葉が理性を通らずに、ひたすらに口から飛び出していく。
知らない誰かを前にすると不思議と饒舌になるのは、初めましての自己紹介が上手くいくのとおんなじだ。
「
――
こちら、カフェラテです。温かいうちに」
「どうも」
カップに口をつける。あたたかな甘さの中に滲むほろ苦さにひどく安心する。その街によって、その店によって風味は全く違うけれど、どこに行っても必ず安心する味がするから、旅先ではいつも珈琲の入った甘い飲み物を頼む。甘い、というより、まろやかだと言うべきかもしれない。優しいけれどそれだけじゃない、暗さや苦さを含んだ香りが、頭の中の感情と結びついて溶けていく。
「美味しい。最初で最後なのが残念です」
「お口に合ったようで何よりです。またいつでも来てくださいな」
「いえ、そういうわけにもいかないのですよ。わたしは『知らないもの』が欲しくて、知らない場所へ旅をしている。ここはもう、素敵なお店だと知ってしまいました」
「では、また偶然この駅へ辿り着いたときにでも」
フォークとナイフが丁寧に並べられた、タルトの載った皿がこちらへ差し出される。
「降りた駅の名前を知らないのでしょう、それならばもう一度この駅で降りても気づきますまい。きっと思い出さないままに大通りを通って、この路地へ入って、この店の前で立ち止まる。そんな日が来ないと、言い切れますか」
うつむいたまま首を横に振った。
そんなふうに言い切れないことを、わたしはとっくに知っている。
でも、そんな日は、偶然に偶然が重なってまたこの街を選べる日なんてものは、きっと来ないことも、知っている。
「そのときにはまた声をかけて、同じものをお出ししましょう。貴方の意識は忘れていても脳は覚えています。『知っている場所』になってもまた訪れたいと思うほど大層な店ではありませんがね」
「
……
少なくとも、今日のわたしを救うのには十分に素敵なお店です」
「それならよかった。店を開いた甲斐があります」
「お店を開かれたのはいつですか、小物は少し前のものに見えますが、他はそれなりに新しいような
……
」
「ええ、実はこうして営業を始めたのは数年前です。内装も外装も工事を入れてね。建物自体は先の世紀からあると聞いています」
「そんなに前から」
「妻の家系の土地なのですよ。代々洋裁屋を営んでいたんですが、妻はどうも料理の方が好きだったようで、店を休みにしてはご近所や常連様とお茶をしていましてね。私も手先はあまり器用ではありませんでしたから、いっそのこと喫茶を本業にしてしまえばいいと準備を始めたのが、そうですね、十数年ほど前でしょうか」
穏やかな口調を保ったまま、その目が、表情が、かすかに曇る。
「そうしてようやく準備が整おうとしているちょうどその頃に、彼女は私を置いていきました。あまりに突然で、私も娘も、どうしていいか
……
ああ、そこにいるのが娘なんですがね。娘は手芸の類も好きなようで、よく小物を作ってくれているんですが。母の分まで私が背負うからと、こうして手伝ってくれているんですよ」
「
……
親孝行な娘さんですね」
「ええ。母親を失ったときにはまだほんの子供だったというのに、夢を諦めて、他のものを選んでくれたのです。孝行な娘です。だからこそ心配でもあるわけですが」
十数年前にほんの子ども、ということは、わたしと同じくらいの年だろうか。
テーブルを手際よく、どことなく楽しそうに片付けていくその姿に特に悲壮感などが漂っているわけでもないが、それでも心配するのが親心というものなのだろう。一見で人の心情を慮ることなどできないのは重々承知の上だけれど、少なくともわたしよりは、心身ともに健康そうだ。夢を諦めたわけでもなくおおむね平凡に生きてきたのにあちこち綻んでいる私なんかよりは、ずっと。
「話が逸れましたがね。小物は妻の祖母から譲り受けたものがほとんどなんですよ。その皿もそうです」
「そうですか、確かにあまり見ない柄ですね」
「当時は貴重な品だったようですね。ここ最近一気に技術が広まりましたから、今となってはただの皿ですが」
「それでも、大事なものなんでしょう」
「それはもちろん。この店にあるものは全てかけがえのないものです。この店自体が、妻の生きた証だと思っています」
素敵な人だったのだろう。人生で一番愛した人に、いなくなってもこんなに思われている。
その人に、存在を形に残したいと思ってもらえるほどに。街の日常に、影響を、爪痕を残していられるほどに。
わたしにはそんな人はいない。
一番愛せる人も、愛してくれる人も。わたしがいなくなってもあの街の日常はきっと変わらない。
自分より苦労しているであろう人の話を聞いて内省するどころか、ひとりで言い訳をしている。かわいそうな自分に、適合できない自分に酔おうと必死になっている。
こんな人間だから愛せる人も愛してくれる人もいないのだ、と、醜い言い訳から逃れられないでいる。逃れたいとも、思えないでいる。
苦い思いを抱えて口にしたカフェラテは、いつの間にか冷めてしまって少し酸っぱくなっていた。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました。またいつでもどうぞ」
心地よく明るい店を出て、もと来たであろう道をたどっていく。星明りを頼りに、足元をぼんやりと見つめながら、歩く。ひたすら歩く。汽車を降りたときよりも心なしか冷えた空気を吸って吐くたび、ふわふわとした眠気が醒めていく。あの店でもらったあたたかさも、少しずつ冷めていく。
数十分は歩いただろうか、なんとなく明るくなったと顔を上げたら、駅へとつながる大通りへ出ていた。
さあ、帰ろうか。
明日に任せて、あの街へ、あの日々へ、現実へ、帰ろう。
どれだけ幸せそうに見えたって、所詮は同じ生き物だ。
どれだけ素敵に見えたって、結局は同じ星なのだ。
どこでやり直したって、きっと数日、数か月、数年と時を重ねていくうちに、いつの間にやら慣れていて、ぬるくなった空気に中てられて、同じように彼方へと逃げ出したくなるのだ。
風景が動き出した。
遠くに明かりが見えた。
さようなら。ありがとう。
見えないところに確かにある街のおかげで、明日のわたしは壊れずに済む。
幸せそうで、すべてが素敵な街が、この星にはたくさんある。
わたしが望めば、わたしはそこへ、いつでも逃げこむことができる。
そのことが嬉しくて、でもそうしたところで何も解決しないのが苦しくて。
窓辺でひとり泣いた跡を隠して、明日もわたしは日常に生きていく。
夜汽車に揺られながら、遠く彼方を見送った。
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