特に何か目的があるわけでもなくだらだらとスマホを眺めていると、絶賛片想い中の後輩からメッセージが届いた。内容は「立花先輩と喧嘩したから泊めてください」
驚きはしたが、こんな絶好のチャンスを逃してはいけない。すかさずOKのスタンプを送ると、ほとんどノータイムで既読がついて、この家のチャイムが鳴った。続けて「入れてください」というメッセージ。インターホンを確認すると、そこに立っているのは案の定メッセージの送り主である綾部喜八郎だった。
「早くない?」
「着いてから連絡くらい入れた方が良かったかと気づきまして」
軽口を叩く喜八郎を招き入れてやる。その姿は随分と薄着だ。春先とはいえ、時刻はもう21時を回っている。気温は日中よりぐんと下がっているというのに、コートもなしでは寒かっただろう。まだ片付けていなかった炬燵を勧めつつ電源を入れてやると、喜八郎は中に入ってほっと安堵のため息を吐いた。
それにひとまず安心すると、途端にこの状況に対する緊張が襲ってくる。自室で2人きり。炬燵で安心したように温まる意中の相手。腹の中がざわざわと落ち着かない。ここから何かに発展するわけもないとわかっているのに。
「コーヒーでいいか?」
「眠れなくなっちゃうので遠慮します。お構いなく」
「コーヒーダメだと水道水と牛乳しかないけど」
「じゃあホットミルクがいいです」
気を紛らわせようと飲み物を勧める。喜八郎の分の牛乳を電子レンジで温めながら、自分の分のインスタントコーヒー用にお湯を沸かす。部屋にケトルと電子レンジの音だけが響く。腹の中が一層落ち着かない。
温まったホットミルクを差し出すと、喜八郎は両手でカップを握り締め、頬に当てている。その姿は惚れた贔屓目を抜きにしても可愛い。同じ炬燵に入るのがなんとなく気が引けて、離れたベッドに座った。
「それで、どうしたんだ?」
気を取り直して事情を尋ねると、喜八郎は「ちょっと聞いてください!」と突然怒りを露わにした。
喜怒哀楽の起伏が少ないこの後輩がこうして感情を剥き出しにするのは珍しい。やや気圧されつつもかくかくしかじか、と説明された内容は、喜八郎が自分の親の離婚を黙っていたと知った立花先輩が怒り出し、喧嘩になったというものだった。
「先輩は僕のなんなんですか」
喜八郎は未だにぷんすこしながら、ホットミルクにそっと口をつけた。
立花先輩というのは喜八郎が慕う先輩だ。高校で1年同じだっただけの2つ上の先輩を大学まで追っかけてきたというのだから余程の執念を感じるが、仲の良い先輩後輩以上の関係はないはずだ。立花先輩には高校の頃からずっと付き合っている恋人がいて、喜八郎はただの可愛い後輩としか思われていない。恋人とは順風満帆で別れる気配もなく、喜八郎の入り込む隙はない。ずっと立花先輩に片想いしている本人から幾度となくそう聞かされている。
それが、喜八郎に好きだと告げた俺に対する牽制なのか、はたまた長い片想いに疲れた愚痴なのかは判断がつかない。喜八郎の恋に叶う当てがないのなら、俺にもチャンスはあるはずだと言い聞かせているが、お互い不毛な片想いだ。
「でも立花先輩とは仲良いんだろ? なんで黙ってたんだ?」
「別に黙ってたつもりはありません。言う必要性を感じなかっただけです。だってずっと前から別居してて会ってなかったし、名字が変わるわけでも引っ越すわけでもないのに、今更籍がどうとか僕にとってはどうでもいいことなんで。大事なことはちゃんと話してますよ」
「それ、先輩にはちゃんと言ったのか?」
「言いました。なのにごちゃごちゃ文句言ってくるからムカついて飛び出してきました」
喜八郎の言い分は理解した。けれど立花先輩の気持ちも理解はできてしまって、複雑な気持ちになる。親密だと思っている相手に人生の重要イベントを話してもらえないのは少なからず寂しい。それと同時に、立花先輩が羨ましいと思う。俺は喜八郎に大事な話すらしてもらえない立場だから。
なんとコメントしていいのか迷って、手持ち無沙汰にコーヒーを啜った。
「今回は本当に怒ってるんですから。向こうから謝ってくるまで帰りません!!」
「いいけど、だったら自分家いた方が良くないか?」
「いたのが僕の家だったので」
「立花先輩は俺の家知らないと思うけど」
そもそも立花先輩とは会ったこともない。喜八郎から話を聞くだけだ。
喜八郎にはそれなりに慕われているはずだが、悔しいかな最初に頼られる程ではない。あまり交友関係が広いタイプではないが、そこまで自惚れてはいない。立花先輩とは共通の知り合いも多いと聞く。謝罪待ちならもっと他に行くところがいくらでもあるだろう。
「少なくとも今日は許す気ないんで、先輩が家も連絡先も知らなくて泊めてくれそうな人っていったら久々知先輩ぐらいしかいませんでした」
「あ、そう」
当然のような説明に、納得はするが複雑な気持ちになる。他の候補に断られたからよりは幾許かマシな気はするが、大して差はない。ほとんど脈のない片想いだ。好きだと伝えたのに、こうして平気で泊まりに来るくらいには、意識されていない。好きだと言ったことさえ、冗談だと思われているのかもしれない。
「立花先輩って、俺のことは知ってんの?」
「知りません」
「それは、俺のことがどうでもいいから?」
意地悪なことを言っている自覚はあった。本当にどうでもよかったとしても、こうして宿の提供を求めている相手のことを、「どうでもいい」なんて切って捨てる程薄情な奴ではない。だからこれは、俺が否定の言葉がほしいだけの質問だ。
喜八郎は予想通り言葉に詰まったが、「違います」ときっぱりと言った。
「あの人過保護なので。久々知先輩のこと知ったら絶対『僕に近づくな』って殴り込みに来ますよ」
「来てほしくないんだ?」
「当たり前じゃないですか。いくら仲が良くたって、立花先輩に僕の交友関係に口を出す権利はありません」
その言い方が拗ねているみたいで、親離れをしようとしている子供にしか見えない。なんて危うい。これは立花先輩も心配するだろうと同情してしまう。
喜八郎の肩にそっと手を添え、こちらを向かせる。
「俺に食われるかもとは思わないわけ?」
そうすると、喜八郎は驚いた顔をして、ぱちくりとこちらを見つめてくる。
「思いませんよ。だって先輩優しいから。僕の嫌がることなんてしないでしょう?」
「……その言い方はずるくないか?」
「ずるくないですよ。そうじゃなきゃとっくの昔に立花先輩に告げ口してます」
喜八郎はふふふと笑ってみせる。どうやら全く意識されていないわけではないらしい。けれどどうにも弄ばれている気がしてならない。
「やっぱりずるくねぇ……?」
俺は頭を抱えるしかない。けれど嫌がることをする気がないのは事実なので、ぐっと言葉を飲み込むしかなかった。
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