夢篠
2025-04-07 23:59:40
2658文字
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せめて喪うばかりなら

忍務中に好きな子が大怪我した山本陣内


背負った身体が少しずつ、重くなる。声を掛け続けるけれど、反応が返って来るまでの時間が段々と長くなるのを嫌でも感じて恐ろしくなった。所詮駒の一つでしかない私が、これ程までに誰かを喪いそうになる事を恐ろしいと思った事は無かった。

ナマエは里の忍びだった。歳は私より幾らか下で、幼い頃から忍びの才に秀でた彼女は、笑うと笑窪が出来る可愛らしい娘だった。甘味が好きで、忍務終わりに差し入れを持っていくと酷く嬉しそうに笑う。仲間が怪我をすればまるで自分が傷を負ったかのような顔で手当するナマエに想いを寄せるのに理由など必要無かった。歳が離れているから、この想いが通じなくても良かった。ただ、私とでなくても良いから、普通の娘のような幸せを掴んで欲しいと思っていた。

ナマエは忍びには向いていなかった。優し過ぎて、弱い人間を切り捨てる事が出来なかった。だから今、私に抱えられて、この森を逃げ回っている。

庇われた。ナマエに。それは一瞬の油断だった。死角からの斬撃を躱す事が出来なかった。とてもゆっくりと、間合いに入ってくる刀を見詰めていた。どうすれば、致命傷を避けられるのか考えていた。その隙間にナマエの身体が入り込んだ。そしてまた、時がいつものように進み始めた。

「っ、ナマエ!!」

崩れ落ちた身体に駆け寄る。ぐったりとした彼女の身体を抱え上げて、咄嗟に煙幕を張る。妙に冷静なのはきっと、まだナマエの傷の状態を確認していなかったからだろう。私の装束にすら、生温い感覚が染み込んでくるのを感じる。少しずつ、焦りが生まれる。早く、何処か、安全な場所へ。そんな物、あるのだろうか。

「ぅ、じ、ない、さ、ま……

誰の気配もしない筈だった。静かな森の天然の洞に身を隠す。ナマエの身体を横たえて、装束を寛げる。傷は深く、出血も多かった。私の装束が吸った血の量からしても、彼女が危険な状態である事は疑いようが無かった。

「っ、ナマエ……!」

頭巾も、何もかも持っている布は全て止血に使った。どんどんと血を吸っていく布と冷たくなるナマエの身体が恐ろしい。ナマエ、と名を呼ぶのに、彼女が答えないせいで声が大きくなってしまうのを止められない。

ナマエ!返事をしろ!」

「ぁ、……、じ、ん、ないさま、」

目蓋を揺らして目を開けたナマエは酷く痛むだろうにとても穏やかな顔で微笑んだ。その顔を何度も見た事がある。死に逝く者が見せる顔だ。出血が酷いせいで目が見えないのだろうか。ナマエは捜すように私の頬に手を伸ばす。

「っ、ナマエ、まだ平気だろうっ?直ぐに応援を、っ」

「じんないさま、」

触れた手が酷く冷たくて恐ろしい。重ね合わせて握る手は握り返してもくれない。酷く冷たいその手に私の熱が移らない。ナマエの声だけが聞こえる。私が黙ってしまったから。

「じ、んないさま……。もう、いいの、」

「っ黙れ。良くない。まだ、治療の途中だ」

乾燥した声はナマエに似つかわしくなかった。傷を圧迫するとナマエの顔が痛みに歪んだ。そんな顔をさせたい訳ではないのに。済まない、と言葉が口を衝いて出た。ナマエは眉を寄せて笑った。

「おいて、いってく、ださ……。ほら、も、こんな、て、も、つめ、たくて……

握った手は冷たいままだった。握り締める。手の内にある熱が全て、彼女に移るように。

「駄目だ。……、っ私が温める。直ぐに温かくなるだろう」

「じ、んな、さ、ま……

痛み、のせいだろうか。ナマエの眦から涙が溢れる。繋ぎ止めるようにその手を握る。息を吐き掛け、身体を抱く。止血の処置をしてしまったら、後はもうその生命を天に任せるしかない。敵が何処にいるか分からない今の状況では傷を焼いて塞ぐ事も出来ない。冷たい身体を抱いて、肌と肌を合わせる。ナマエがその白い頬を擦り寄せるのは、誰と誤認していたからなのだろう。それでも、もしこれが最期なら、誰を重ね合わされていてもそれで良かった。ナマエの細い身体を強く抱いた。

……おだんご、」

「は?」

「じょうかの、あたらし、い、おだ、んごや、さ、いきた、かった……

ナマエの心臓の音を聞くように耳を澄ます。譫言のようにしたかった事や読みたかった草子、食べたかった甘味の話をする彼女が一際大粒の涙を溢した。大きな瞳が私を見ているような気がした。

「もっと、じ、んな、いさま、と、いっしょ、にいたか、ったな……っ」

「っ、」

ナマエに、私の顔は見えているのだろうか。鼻の奥が痛むのを誤魔化すようにナマエの震える身体を抱く。この身体が舫となれば良いのに。触れ合った所からナマエが生きるために必要な全てが分かち合えれば良いのに。

……、っいればいい。生きて帰って、城下の甘味処に行こう。読みたい草子も何だって用意してやる。行きたい所にもしたい事にも付き合ってやる。だから……っ」

声が震えては駄目だ。ナマエは耳聡い娘だから、声が震えては駄目なのだ。だからその先が言えない。だから死ぬな、なんて、そんなまるで最期みたいな言葉。まるでナマエが死んでしまうみたいじゃないか。

強く身体を抱く。ナマエの名を呼び続ける。どうか、どうか誰でも良い。ナマエを助けて欲しい。神でも仏でも、祈れと言うなら祈るだろう。主人に差し出したこの生命すら或いは使う事だって厭わない。だからどうか。

「生きてくれ……っ。それ以上、望まないから」

それだけで良いから。結ばれなくても良いから。私からこれだけは奪わないで欲しかった。喪う事の方が遥かに多いのだから。せめて、この生命だけは。

「じ、な……さ、ま……

「っ、愛している。いくな、私のせいで死ぬな。私のために生きてくれ。ナマエ……っ」

「ふふ、じ……、んな……い、さ、ま……

ナマエが微笑んだ。青白い顔、本当に薄く。それなのに、笑窪が出来た。爛漫に笑う顔が見えた。嗚呼、喪いたくない。誰か。どうか。

この場を離れる決断も、ナマエと共に残る決断も出来ずただ彼女を抱き締めていた。私の熱が彼女の冷たい身体に移るのを、待ち侘びていた。