河童の皿箱
2025-04-02 09:13:47
3723文字
Public 旧作
 

煤を吹く

ワゴンと燐廻の三弦猫のお話。

「いやぁ、ひやい

「寒いでございますにゃぁ

 主人が炊事場の囲炉裏に火を入れる。ほどなくして、炭に火が付く。いつも楽器を握っている手は元から青いが、心なしかいつもより青い気がした。火の調整をわたくしが行い、主人は一度水道へと立ち、水の入った鍋を囲炉裏にかけた。水が凍っていなかったのは幸いか。
 暖を求めたその手が空いてすぐ、座り込んだ主人はわたくしを抱き上げ、厚手の衣で包み込んでは、手を引っ込めた。

「ひやい寒いこれじゃあ、水も触りたくないねや……

 今朝は特に冷え込み、局所的な大雪によって、屋敷のある山はかなりの量の雪を被っていた。能楽師ことふたりのセアミン殿は、浮世絵師の娑楽斎殿を連れ、防寒着を着込んで雪かきをしに行ったし、文楽人形師こと蜘蛛夫人殿は、山に敷かれた道が塞がっていないか、大きな人形を連れて行った。 
 確か、今日は荷物の移動があるとやらで、大きな車が来るそうな。そして、その車輪が埋まってしまうほどの積雪。車が来るまでになんとか雪を片付けなくてはならず、ひとまず携帯食を熱々の茶で流し込み、大急ぎで飛び出していったのだ。ではここにいる主人こと、ワゴン殿はというと今日の朝食当番であった。

「ご主人、ご主人。どうしてこの炊事場にはクウチョウとやらがにゃいのです?」

「火を使うたら温まるしそも、ここまで冷え込むがが珍しいがよ。ここらは温暖な気候やき、ここまで雪が降るらぁてめったにない。降っても雪化粧までじゃ。……よし、やるか。サボってられん」

 少しずつ冷たい手があたたかくなり、主人はわたくしを膝からおろし、手を洗いに行った。あまりの冷たさに小さく悲鳴が上がるが、すぐにふき取り、レイゾウコからいくつかの野菜と、肉。それと小魚を取り出した。

「おい、お燐。魚を焼いてくれんか。6本。わしゃ鍋を作る。あぁ、米も炊かんと」

「お任せあれ」

 わたくし専用の手袋を付けて、小魚を受け取り、棚から串を6本取り出す。炭がぱちりとはじける囲炉裏に戻るころには、主人は前掛けを付け、米を炊く準備を始めた。米をとぎ、再び小さな悲鳴を上げる主人を横目に、こちらはこちらで串に魚を通し、通した魚から囲炉裏に立てた。
 何とかとぎ終わった米を釜に入れ、そちらはそちらで火をつけ、そして炊き始めた。窓をわずかに開けば、冷たい風がひゅうと入り込む。やっと暖まった空気が、幾分かそれに攫われて行ってしまった。やはり、寒いものは寒い。
 ぶるりと身を震わせながら火に当たり、魚の焼け具合を見る。と同時に、主人の様子も見る。野菜と肉をざっくりと切り、追加で取り出してきたこんにゃくを切り始めるが。やはり手が冷たそうだ。見ていて気の毒なくらいに。とはいえ、寒さ冷たさに苦しんでいるのは主人だけではないのだろう。窓の外を見れば、白い息を吐きながら一生懸命雪かきをしている3人の姿が見えた。耳を澄ませば、遠くから人形の駆動音も聞こえる。

「ご主人、どうしてわざわざこんにゃ古い暮らしをしているのです? 街のような暮らしもできるでしょうに」

「ここを買う時に、いろんなものを保存する観点から、母屋では極力、火も水も使いとうないなって話でまとまってな。買い食いならあっちでもできるように整えたけんど、基本的にはこっちで飯を食うようにしたがじゃ。設備がどうあろうと、料理は作らんといけんしな」

「それにしたってこう、もう少しあったのでは?」

「今まではそがに疑問に思わざっつ思ってなかったじゃろ? 今日は寒いき、余計にそう思うだけや」

「まぁ、その通りでございますが」

 ひぃひぃと言いながら、主人は具材を切り終える。ようやくふつふつと湯が沸いてきた囲炉裏の鍋へと、切った具材を綺麗に入れる。

「そも、どうして炊事場は茅葺屋根にゃのです? 街にこんな建物、ひとつもありはしませんよ」

「ここは母屋と違うて、この土地にあった建物や。どっかの誰かの道楽で建てられたがか、碌に使われてはおらざったきな。建て替えるがも金が要るしで、場所もえいきと炊事場にしたがじゃ」

「つまりは、節約?」

「そ。普段はこれで過不足ない。簡単じゃろ?」

今日が本当に特別な日、というのはよくわかりましたにゃ」

 魚の火に当てる面をくるりと変える。うむ。良い焼き目だ。少し煮えてきた具材をみて、主人も味付けをする。

「それに、ここを退かさざったのには、もう一つ理由があるがよ」

 ほのかに色のついた鍋の中、蓋をして、主人は一度離れていく。釜の米と火を見に行った。

「理由?」

「おう。燐は笙を知っちゅうやろ?」

「えぇ」

「大昔はな、笙を作るに使う竹は、こがな建物で長年暮らいて、そん中で煤を被った竹を使うちょったがじゃ。建築技法が変わって、茅葺屋根は田舎でも見んなって、今は煤を被っちょらん竹を使うがが主流言うたち、それももう途絶えようとしちゅう」

「あー

「わしらが出来る範囲で昔を今に、未来に繋げられるなら、出来る限りはやりたいんじゃ」

 なるほど。普段の彼らの様子を見れば、これだけで合点がいった。
 新たな技術、新たな技法、彼らはそれを、伝統芸能と融合させた。時には伝統を一切置き去りにしたような作品を手掛けることもあれど、彼らは古びた書物等も解読し、実際にそれを経験し、そして自らへと取り込み続けている。消失した演目を捜索したり、僅かに残された手掛かりから復元したり。あるいは今の技術を用い、今の人々に馴染みやすい形で復刻したりと。彼らP.U.N.K.は芸術集団でありつつ、伝統芸能の研究者の面も持ち合わせている。

「それに、わしらが死んだあと、わしらの暮らしが音色になって、誰ぞに奏でてもらえるやらぁて、なんかわくわくせんか?」

「まだ死ぬ話をするには若いでしょうに」

「そがなんはない。昔の暮らしは時間がかかる一生をかけてようよう形になるがを、じっくりじっくり、次の代へ繋いでいくがが当たり前やった。やけんど今の暮らしはとにかく速い。こじゃんとたくさんのものを、1人の人生に詰め込めるようになったし、もっともっと長い時間を生きられるようになった。そがな時代の流れで淘汰されたものもよけあるし、今じゃちもう復刻が難しいものだって少のうない。今繋げるうちに繋がんと、繋げられたものも繋げられんなる。そう特別な不便を被っちゅうでもなし、えい機会やきな」

 かっかっか、と主人は笑う。ふと、窓の外からどさっと音がした。そっちを向けば、雪が落ちてくる。あぁ、雪下ろしか。ふと気が付けば、外の雪はかなり片付いていた。鍋も魚も、良い感じだ。火に少しばかり砂をかけ、火力を弱める。釜も良い具合なのか、主人はそちらの火を弱めた。徐々に、徐々に、鍋の塩気の香りに、飯のほんのりとした甘い香りが、炊事場を満たしていく。ふと、屋根の上で「腹減った!」と娑楽斎殿が叫んだような。母屋の方からは、セアミン殿の声がする。
 つい上を見ると、若干煤けた屋根裏に、いくつかの竹を見つけた。あれに、彼らの暮らしが刻み込まれるのか。いつの日か、彼らの暮らしが笙となり、誰かが奏でるのだろうか。その未来を勝ち取るために、彼らは作り続けるのだろうか。


 それから、10分ほど。炊事場は十分暖まり、そして朝食も完成した。主人が炊きあがった飯をよそい、わたくしも鍋をよそう。湯気がふわりと空へ広がると、炊事場の扉ががらりと開いた。ぞろぞろと、靴を脱いで上がってくる。

「うおぉ、あったけぇ!」

「屋根の雪、だいぶ降ろせた。天気予報では晴れて気温が上がるから、あとは溶けるのを待つで大丈夫」

「時間があったら、雪遊びしたかったけどね。それと、氷柱ができたら気を付けないとあっ、もうご飯できてる! いい匂い!」

『山道はまだ終わってまへん。食べ終わったらもういっぺん行こかしら』

「おう、わしも手伝うで。と、魚は燐が焼いたがじゃ」

「ささ、皆様。どうぞこちらへ。朝からお疲れ様でございます」

 5人と、猫1匹。6食の飯と囲炉裏を囲んで、手を合わせた。

『いただきます』

 これをあと何回繰り返して、はるか昔に聞いたような雅な音色は出来上がるのだろう? いや、回数の問題ではないか。
 焼きあがった魚をがぶりと食せば、鍋の温かさを堪能する彼らの姿があった。