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河童の皿箱
2025-04-02 09:11:16
4915文字
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旧作
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青い手
ワゴンと燐廻の三弦猫のお話。
1
2
弦を鳴らす。今まで張られていなかったはずの弦
…
しかも、真新しい弦だ。ひとたび鳴らせば今までの自分とは思えぬほどに美しい音色が鳴り響き、細やかな調律が施されていると分かる。
…
ぼろになっていた部品も、取り換えられているようだ。
胴に貼られた皮を見る。自らの腹であったそれは、埃にまみれて薄汚れていたはずだが、綺麗に磨かれていた。
あぁ、城の蔵にしまい込まれ、どれだけの時間が経っていたのだろう。眼下に広がる街並みは見たこともない程に
…
赤や青や緑や紫、色と明かりに溢れ、眩しいほど。月が昇れば暗闇に満ちていたあの時代であれば、適当にぶらついていようが誰にも見つからないが、まさかあの中へ降りるなどと。そんな勇気はつゆほども起きなかった。
故に、高い塔のような建造物の縁側に
…
いや、絨毯の上に座り込む。びいどろのように透明な壁が目の前に立ちはだかる。どうせ外には出ないのだ。明かりのないここのほうが、よっぽど居心地が良い。
再度、弦を鳴らす。旋律を奏でる。己は音にて応える。目を閉じては、音色に耳を傾ける。
はて、薄汚れた己をここまで美しく仕上げたのは、何者か? 久方ぶりに目覚めたのはつい先ほどの話。ここが一体どこなのか、誰に持ち出されたのか、そして何のためにこの薄汚れた三味線を持ち出したのか
…
全くもって検討が付かない。ましてや、磨くなどと。
まあなに。考えてもわからぬなら考えぬだけ。酔狂なものが居った。それだけ理解していればいい。
からん、からん。からからから。乾きながらも瑞々しい音色は、月もない暗闇の中に満ち、絨毯に落ちていく。
うらめしにゃ。嗚呼うらめしにゃ。遥か昔、皮になった時の痛みが思い出される。此度は、はたしてどう扱われるのか。
からん。弦を弾く手を止める。背後に、誰かが居る。
人だ。人だ。この臭いは人に違いない。衣擦れの音。息を潜めるのではなく、飲み、じっと静かに座っている。なんなら、無視をしてやろうか。
からん、からん。振り向きもせず、己を鳴らす。後ろの人は、ただただ座り続ける。
ただの気のせいかと立ち去ってくれればいいものを。仕方ない。
「
…
貴方様が、此度のわたくしめの持ち主ですかにゃ?」
「如何にも」
「貴方様は、わたくしめを蔵から盗み出したのかにゃ?」
「いえ。城の主に曲を捧げよとの命により参上し、褒美として其方を頂戴した次第」
「にゃるほど。にゃるほど」
からん。からん。真新しい己を弾く。
「ともにゃれば、わたくしめを調律したのも貴方様なのでございましょう。にゃにゆえ?」
「楽器を頂戴した以上は、私めにも世話をする義務がございますので」
「ふむ
…
義務と?」
「はい。私はワゴン。雅楽師にございます」
振り向き、座り直せば、目の前には凛と座る男がいた。開けているのか閉じているのかもわからぬ程に細い目、膝の上でじっとしている手は青く、ぼんやりと光っている。鳥の様にぎょろりとした目のあるかつらはその衣装とともに床に降り、広がっている。それにしても、楽器の名を己が名のように名乗るとは。なんとも奇妙な男であった。
「三味線にゃど、他にも多くありましょう」
「いえ。失われてしまったのです」
耳を疑った。あれほど猫を捕まえては、皮にして、楽器にして、貢いでいたはずなのに?
「制作も修繕もできるものは、片手で数える程度しか最早居りませぬ。古来より残る和楽器は、調律されるでも、奏でられるでもなく、ただ美術品として見るために収蔵されるのみ。それも人の興味を引けるか引けぬかで、展示されるか否かすらも疑わしいのです」
「ふむ。わたくしめは外には疎い身。されど眼下の街を見れば
…
わたくしが経た時よりもずっと、にゃがい時が経ったのでございましょう。つまり、わたくしはわたくしが考えている以上に、希少であると」
「その通りで御座います」
ピンと伸びた背筋。じっとした佇まい。微動だにせず、ただ淡々と、こちらの質問に答える男。嘘を言っているような嫌らしさは、感じない。
「して。貴方様はわたくしめににゃにを求めるのでしょう」
「貴方を、楽器として弾かせて頂きたい」
「にゃらばまずは、お手並み拝見と参りましょうぞ」
抱えていた己を、男に差し出す。妖怪なんぞに一礼し、まるで壊れ物を扱うかのように丁寧に受け取った男は、静かな息で弾き始めた。
からん、からん、からから。
と弦を押さえる指の圧は、初めこそおずおずとして弱く、しかし扱いの慣れか、徐々に適度な強さに変わる。いや、普段から楽器を取り扱っていなければ、ここまで上達が早いわけもない。あるいは、自信だろうか。
から、からからん。
歌は吟じず、ただただ弦を弾く。取り止めのなかった音の群は、次第に旋律を紡ぎ出し、そして曲を編み出す。男が弾いているのはわたくしには聞き覚えのない曲
…
音の迷いがあるゆえに、譜の存在する曲ではないのだろう。これは、即興で弾かれている曲だ。
がらん、がらん。
強く弾かれる弦。己の中に反響する音色。怪物の足踏みのような力強さ、そこには幽かなおどろおどろしさがあり
…
遭遇を予感させる。その展開は早まることなく、ただ静けさの中に音を落とす。
から、からん。
強さは消え去り、儚い旋律へ変化する。あぁもしや、彼が弾いているのは。
息を呑んで、ただただ耳を澄ます。旋律に思い返されるのは、忘却と未知への恐怖。
三味線と成り果てたのは決して自らの意思ではなかったが、楽器としての役割も果たせぬことの、なんと愚かしいことか。仕舞い込まれて久方ぶりに目覚めてみれば、街の様相は明らかに変わっており、妖魔の潜む闇すらも見当たらなかった。この建物を彷徨い、ようやく見つけた暗闇も、闇というにはあまりに明る過ぎた。
当惑していたのだ、わたくしは。そして彼はそれを見透かし、そして音へと昇華している。
己に響くは、心地の良い闇を奏でし旋律。指圧から伝わるは、眠り、そして目覚めた己への労り。息と鼓動の拍が打ち鳴らすは、思わぬ出会いへの高揚か。思わずその節に惹かれ、呼吸が合う。
今、ふと、誰かに頭を撫でられたような。
あぁ、その感覚に喜びを覚えてしまった。いや、思い出してしまった。
彼の手が、ふと止まった。
「えぇ、えぇ。もう十分でございます」
彼の目が、こちらに向く。とはいえ、あまりにも細いその目は色すら窺えないが、顔色はよく見えた。手だけは真っ青だが、なんとも血色の良い男だ。ましてや、こんな無警戒に闇へと飛び込んできては、その暗闇をじっと見つめ続けるような男。時代が時代であれば、あっという間に妖に喰われていただろう。
しかし、音へ、楽器へ向き合うその姿勢は、あまりにも真摯で、あまりにも真っ直ぐだ。彼であれば、己を粗雑に扱うことはないだろう。少なくとも、現段階ではそう思えた。
「ひとつ」
ただひとつ。生まれ落ちたこの感情を。獣の遺伝子に組み込まれた、この衝動を、渇望を。
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