保科
2025-03-28 01:25:09
3125文字
Public ひびちか
 

桜日和

ケータイさん頑張りてえな〜と思ったけどケータイさんマジで難しすぎる

お題
・桜の妖精ひびき
・ケータイさん

気温も上がってすっかり春先な、とある昼下がり。穏やかな日差しが差し込むアーネンエルベの店内で、私は退屈に欠伸を噛み殺していた。
………暇だ………
なにせ眠いし客は来ないし。フルタイムで入れはするけども、と言質を取られた結果、貴重な春休みという名の睡眠時間を刻々と奪われている。
本来なら優雅なお休みだったのに――思い返したらめちゃくちゃ悔しくなってきたが、とはいえ先立つものもそこそこある。背に腹は代えられない。学生とはかくも悲しい生き物だ。
そんな己の境遇を嘆きつつ。モップの柄をカンカンと蹴りながら、棚の木目を数える業務に勤しんでいれば。
「お花見行こうよ、チカちゃん!」
……お花見ぃ?」
54を数えたあたりで唐突にやってきたひびきが、まあ楽しそうな声で言うので怪訝になる。
お花見。そういえば、桜がそろそろ見ごろだったか。
『そーーーうですよ緑!春なればこそ桜、舞い散るピンクにまみれてこその青春ってやつでしょう!3月9日はとうに過ぎ、貴様の髪が遅れの葉桜だとしても!今日はスプリングでふべっ』
なんかよく分からんことを喚くケータイを即座にモップで壁にはたき落としつつ、私は肩を竦める。
「そうは言うが、花なんか見て楽しいかぁ?」
「違うよ〜チカちゃん!こういうのは風情も含めて、ワビサビ?ってやつを楽しむんだよ!」
「へー。
誰の受け売りだそれ」
……、うう、スナオちゃん……
顔をそらしたひびきが、不満げにつぶやく。案の定だった。看過されたのが悔しいっぽいが、あのお祭りごと好きのクラスメートがいかにも言いそうな理屈だし、そもそもひびきにワビとかサビとかそーゆーのが分かるとは思えない――まだわらび餅とか言ってる方がしっくりくる。
「で、でもね!春なのに、お花見しないのってもったいないよ!
折角のお天気だもん、お出かけしようよ、チカちゃーん」
とはいえ、そんなあしらい方ではめげないのがひびきだ。ねえねえ、と構えた手を上下に振りながら言われると、なんとなく、己が乗り気でないことに気後れしてしまう。
……だけど、一応バイト中だぞ?私ら」
「マスターは、少しくらいなら良いって言ってたよ?」
「えー……
「行こうよチカちゃん!」
『そうですよグリーン!このまま店内のカビになるつもりかい!』
「ならんわ」
にしても、やけに粘るし。いつの間にか復活したケータイもしゃしゃるし。それほど行きたがっているとしても――悪いが、わざわざ外に出かけるなんて億劫だった。眠いしだるいし暇だし、バイトを中断するなら昼寝したい。眠い。
ひびきには悪いが、この覚悟は固く、よほどのことがなければ揺れ動くことは――
「折角、お花見で食べれる用のおやつ、作ったのになあ……
『ひびきさん頑張って作ったのに〜ンモ〜』
「よかったらケータイさん、食べる?」
『え、アナタサラッと善意でトンデモ曲芸依頼してます?』
………
……耳がそばだつ。そういえば、台所からやけにいい香りがしていたとは思った。
……ひびき」
「はい?」
「ちなみに。ちなみにだけど……何作った?」
「えーとね。クッキーと、パウンドケーキと、後……つけて食べるジャム!ブルーベリーだよ」
なるほど。……なるほど。


「〜♪ちっかちゃんと、ケータイさんとっ、おっはなみ〜」
「あんまりぴょんぴょん跳ねると転ぶぞー」
「はーい!」
はーい、と言いつつ、スキップする足は止まらない。まあ、ひびきは私と違ってどんくさくないだろうから、そうそう転ぶこともないだろう。
近くにある公園へ向かう途中も、点在する桜が満開になっているのが見て分かった。発見をする度、風情というものを一切気にかけてこなかった自分も浮き彫りになるようで、なんとも複雑な気分だ。
『やーれやれ、花より団子、情緒を介するBeautifulな心より食い気優先たぁ、先が思いやられますよホントっ!』
「お前ほんと黙らないと町中だろうが轢き潰すぞ」
『えっなにで?』
おまけにこうしてチクチクと刺されるし。ひびきのお花見、という提案を、やむにやまれぬ理由で、お花見を了承した……ところまではよかったのだが。
何の因果かケータイのやつも一緒なのは、ひびきが「ケータイさんも行こうよ〜!」などと口走ったためだが、早速後悔してきた。空はよく晴れているが暗澹とした気持ちが抑えられない。花見用の食べ物を入れたバケットの中で、かしましく喋っているのも、はたから見ればスピーカーモードとでも見えるのだろうか。
「つーかお前、花見なんぞに興味あったんだな……
留守番なり何なりすると思ってたんだが。予想に反して乗り気だったケータイは、そりゃそうでしょう!と声を大にする。
『私を何だとお思いで!?あらゆる四季折々のメモリーに食い込んでくることでお馴染みのケータイさんですよ!
ほうら、家に帰ったら過去のアルバムを見返してご覧なさい。3歳の緑は可愛げがあったのに……
「当然のように私の過去に侵食しようとすんな!」
バケットの底に有害プラスチックを押し込んでいれば、チカちゃんチカちゃん!とひびきが大声で私を呼ぶ。
「ほらこっち!すごいよー!」
「だーもう、恥ずかしいから大きい声で呼ぶなって!」
叱りつつ視線を上げて――おー、と感嘆のため息が出た。公園に続く道の街路樹が桜の木であることは知っていたけれど――どこまでも埋め尽くす薄桃色の花は、そこにあるだけでも迫力がある。確かにすごいの一言だった。
「ね、チカちゃん!」
「ああ、そうだな――
――強い風が吹く。花びらがいくつも巻き上げられる。
思わず、眩むように細まった視界の奥――振り向いたひびきが、その向こうで微笑む姿が、フィルムのように移り変わる。目を見開いた。埋め尽くす花びらで朧に白んだ世界の中、ただ、彼女だけがくっきりと見えた。息が止まった。髪を押さえる指先も、ふわり、風になびくスカートすらも幻想的だ。声もなく、音もなく、ただ、一瞬、どこまでも見惚れた。
――きれいだな」
だから。そうしてこぼれたものが、自分の言葉だと気づくのに、暫くの間を要した。
は、と我に返った矢先、
「ね!そうだよね!綺麗だよね、桜!」
ずいっ、とひびきが身を乗り出すように迫るのに、思わずたたらを踏む。
「え、あ――
即答できなかったのは、その瞳のまっすぐさすらも、受け止める余裕がなかったからか、それとも――
「そ、そうだな!うん、桜!桜な!桜!」
考えを振り払うように。慌てて食い気味に返せば、戸惑ったひびきが首を傾げた。
「うん?えっと、そんなに何回も言わなくても……?」
――おやおやあ?」
――しまった。悪魔の声がする。
ぬらるり、クッキーの中からどす黒いオーラを纏ったケータイが浮き上がるのに、どっと冷や汗が吹き出す。
『ツンデレさーん、アナタ今、―――『誰』と桜をウッカリ言い間違えようとされましたァ〜?ン〜?』
「え?ケータイさん、誰、ってどういう――
「ぶっ飛べボケカス!!!!!!!」
『ぎゃああ大暴投ーーーーッ!!!!』
鷲掴んで0.5秒後に虚空におさらばしたケータイの軌跡を、ひびきがおーと見送る。
「あ、公園の方に飛んでっちゃった。後で拾ってあげよっか」
――ひびき」
「はい?
って、どうしたのチカちゃんそんな真顔で――
「ひびき、忘れろ」
「え?何を?」
「忘れろ」
「は、はい……?」
肩で息をする私の圧に負けたのか、おずおずと頷いたひびきが、えっと、何が……?と再度首を傾げるのに、しかし答える余裕は到底なかった。答えたくもなかった。