さかな
6817文字
Public ジェイ監
 

僕の

何かに気がついて手始めに餌付けし始めるジェイドと、なんにも知らない監督生

あれ僕のじゃなかったんですか?


 ジェイドは表向き品行方正な優等生のため信奉者のようなものは沢山いる。が、本性を知っていてなお懐いてくる後輩となるとそうは居ない。頼れる副寮長ではあるが用意周到に自分の望み通りの方向へ相手を誘導する計画犯であり、フロイドと大差ない享楽主義者であるとバレてしまえば大抵の雑魚はどんなに慕ってきていても恐れをなして去っていくのだ。
 だからこそ、弱者のくせに近付いてくる監督生がとても面白かった。恐れを忘れているわけでもないので少し脅かすとビャッと飛び退いてしまうけど、それでいて阿るような態度を取らないところも良い。 
 片割れも気に入ってオモチャにしているし、幼馴染もなんだかんだ言いつつ気にしている。暫く飼うのもいいかな、くらいに思っていた。ある日の大食堂で「トレイ先輩大好き」を聞くまで。

「それなら、お菓子作り教えるのもいいけどまたパーティに呼ぶよ。リドルも喜ぶからさ」
「ありがとうございます、とっても嬉しいです!」
「トレイ先輩やっさし〜」
「さすがクローバー先輩!良かったな、監督生」
「はは、褒めてもマフィンしか出てこないぞ」
「やった!トレイ先輩大好き〜!」

 彼女の「大好き」はたまにしか発せられない上に、使う先も食べ物や事象にばかりで生体へはグリムにのみ向けられる“特別な言葉”のはずだ。よく連んでいるハーツラビュル寮の1年たちへもマブだとか言いつつ、その言葉を使ってはいなかった。
 それなのに。
 あんなに僕に尻尾を振っていたのは。つい昨日「先輩とごはん食べるの好きです」と締まりのない顔で笑っていたのはなんだったのか。

「ジェイド顔やば〜」
ギィイッ
「ウワうるさッ」

 裏切りだ、と思った。紅潮した頬も喜びで潤んだ瞳も、向かう先がマフィンであろうと特別な言葉を注がれたのは人間の雄である。飼ってやっても良いと思ったこの自分を差し置いて!
 勝手に鳴ってしまう威嚇音をなんとか収め、空腹で気が立ってるんだと腹を満たしてもどうにも納得できず、フロイドに同意を求める。

「でもジェイド彼氏でもなンでもないじゃん」
ギュィイッ
「うるせーからやめろってぇ!」

 ていうかそもそもさぁ。平べったい目をこちらに向けながら、なんでもないことのようにフロイドは言う。

「大食堂のやっすい追加料金すら払えない、デザート欲しいのに食べられないカワイソーな小エビが、お菓子くれるウミガメ先輩に懐くのなんて当たり前じゃね?」
「それは……そうかもしれません」

 反論もできず、監督生への憤りがしゅるしゅると萎んでいく。
 納得してしまえばあとは行動するだけだ。

「では、僕も餌付けすることにします」
「そーしなァ」

 思えば、小動物を手懐けるには餌付けが1番効率的である。
 それに入学当初に比べて彼女はだいぶ痩せたようだった。マジカメに投稿されていた写真から推測するに5キロ近く減っているのではないだろうか。食糧を分けてくれる人物はさぞ魅力的に映るだろう。
 まずは飴など小さなものから慣れたらキノコも……と思案し始めた耳には、周囲の「それは無理だろ」「逃げて監督生〜」という声は届かない。

「ふふ。手から食べてくれる日が楽しみです!」





 就寝前、ジェイドは机に向かい毎日の記録をつける。簡易的なものではあるが、いつどのように何を食べさせたか、あの日からコツコツ続けている彼女専用の記録ノートだ。

「この調子なら、手料理も大丈夫かもしれませんね。できれば採れたてのキノコを食してもらいたいものですが……

 そういえば、植物園で面倒を見ている原木にそろそろ収穫できそうなものがいくつかあった。収穫を手伝ってもらう対価としてキノコ料理を振る舞う、というのが自然だろうか。それともラウンジ用の試食と称して差し出してみるべきか。
 なんにせよ、ついに自分が育てたキノコを食べてもらえるのだ。楽しみに思わず口を釣り上げる。フロイドの「ねぇ、小エビ土臭くしないでくんない」という嫌そうな声もジェイドには福音のようだった。





 それから数日後、ジェイドがそれを見てしまったのは偶然だった。
 あの日思い立った監督生への餌付けは順調に進み、そろそろ育てたキノコを使った手料理を与えても良い頃だろうと、面倒を見ている原木の様子を見に植物園へ訪れたある放課後のことだ。
 いくつか食べ頃のキノコを収穫し、彼女に食べてもらいたいレシピを脳内に繰り広げながら出口へ向かう途中、微かに聞こえたかわいらしい笑い声。それに吸い寄せられるように植物園の奥へと進めば、目に飛び込んで来たのは仲睦まじい光景であった。

「よし、捕まえたんだゾ! ……ふな?」
「んぶっ! もう、尻尾ビンタはやめてくださいって前も言ったじゃないですかぁ」

 陽当たりの良い芝生の上。木漏れ日をベールに微睡む獅子と、その尻尾に戯れる魔獣と少女。きゃらきゃらくつくつ響く高低差の大きなその声たちが持つ温かみとは裏腹に、ジェイドは腹の底から冷えていくようだった。

「あ、ねぇレオナ先輩。誕生日っていつですか?」
「はぁ? なんだってそんなこと」

 顔面をくすぐってきた尻尾を握ったまま監督生が問う。レオナも、眉間に皺を寄せはすれどそれを咎めもせず会話をし始める。
 あれは一体、なんなのか。自分は何を見ているのか。見せられているのか。

「どうして、」

 ふと溢れ落ちた声は小さく、しかしどろりと重々しいものだった。
 彼女は僕のものになるはずなのに。せっせと餌付けをし、手から食べるまでになったのに。
 先程まであったはずの高揚はすっかりと鳴りを潜め、キノコを握りつぶないよう静かにその場を後にするのが精一杯であった。



「遅かったですね。早く着替えて開店準備を……ジェイド?」

 納まらない気持ちをぐらぐら煮詰めながら辿り着いたVIPルーム。きちんとノックはしたものの入室したきり黙っているジェイドに、執務机で書類に埋もれていたアズールは顔を上げた。

「なんです、その顔は」
……
「は?」
「僕は聞かれてないのにずるいです!」

 我慢しきれなかった恨み言が吹き出し、ジェイドのよく通る声が部屋とアズールの鼓膜にビリビリ轟く。

「うるっっっさ!!」
ギュィイッギィィイイイ

 ジェイドは手に持っていたキノコごとワッと顔を覆い「どうして」「ひどい」と監督生をなじり、その喉からは錆びついた金属音にも似た嘆きの鳴き声が絶え間なく続く。
 VIPルームには簡易的な防音魔法がかかっているとはいえ、流石に人魚の声量で叫ばれれば意味はない。開店前だったから良かったものの、クレーム殺到必須の大音量である。

「こんの……!」

 アズールは耳を劈く不協和音に頭を抱えながらマジカルペンを杖に変え、ソファーのクッションを音の発生源に思いっきり投げ飛ばす。
 ばすん! という衝突音がするとほぼ同時に、VIPルームには静寂が取り戻された。防御もせず受け止めたジェイドの顔面から、クッションが床に落ちる。ぽす、という間の抜けた音と、アズールの荒い息だけが聞こえていた。

「ああもう……まだ耳鳴りがする! 一体何だって言うんだ!」

 苛立ちが込められた叱咤にジェイドは反応せず、ただゆっくりと顔から手を離すと、その手にあるキノコを見つめていた。
 キノコは、勢いよくクッションが当たったことで見るも無惨な姿になってしまった。ほとんどの傘が破け、軸から脱落しているものも少なくない。もはやそれは残骸でしかなかった。
 せっかく、彼女に食べさせるため収穫したのに。どう調理するかもたくさん考えて、美味しく食べてもらいたかったのに。
 自分の手と、床と、落ちたクッションに散らばるかわいそうなキノコ。
 
「おい! 聞いているのか!?」
「あぁ、アズール……。酷いと思いませんか?」

 ジェイドはかわいそうなキノコが辿るはずだった未来を、そして先ほど見た裏切りを話し始めた。アズールの「聞きたくない」「知りません」「耳がイカれたんですか?」という相槌は無視して訥々と語って聞かせる。

……つまり」

 無駄に叙情的なそれが止むと、アズールは一呼吸置いてから雑に総括をする。

「お前の求愛給餌が実らなかった、というだけですよね?」

 ざまぁないな。
 開店準備は遅れに遅れ、執務室であるVIPルームはキノコ臭くなり、耳鳴りと頭痛の中聞かされた無駄に叙情的なそれに、アズールの機嫌は最悪であった。目を丸くしたウツボを鼻で笑い、嘲るように口角を釣り上げて続けて言う。

「生憎、ウチは失恋手当も傷心休暇もありません。女々しく嘆いてる暇があるならとっとと働いてください」

 その後《リズミック 暴れるウツボを鎮めよう!》が開始され、最終的にVIPルームは嵐が訪れたような有様となったのは言うまでもない。