第八話
役割の話
さあお立ち合い、さあいらっしゃい。今宵お目にかけますは、男ふたりの会話劇。
時には横並びで、また時には向かい合って、サシで語り合うのも男の友情でございます。
気の利いた台詞をお求めで? 困った方ですね、現実ではそうそう耳にできませんよ。他を当たっておくんなさい。
それは退屈だなんて貴方そんな。だってねえ、これは御伽話ではごさいませんから。
だからこそ面白いんじゃありませんか。
*
「あれ、ふたりは?」
「おう、便利屋の仕事で出てるとこだ。多分朝まで戻らないと思うぞ」
「こんな時間に?」
営業時間が終了した食事処伊呂波。ここが営業終了したということは日付が変わっている夜中も夜中、ということである。良がこの時間に来るのは珍しくない。珍しいのは仕事とはいえども「草木も眠る〜」なんていうには半刻くらい早いが、まあつまりはそんな時間に出ている羅乃目と黒骸の方である。
「なんでも、夜中に屋根裏から音がする気がするから一晩見張っててほしい〜とか、そんなんだったかな。幽霊か鼠か。どうせ羅乃目は途中で寝るだろうに、ふたり分の拘束料金貰うんだって意気込んで今日は昼寝してた」
「意気込んで昼寝ね」それを聞いた良は笑いながら店内をのんびり歩き「そ。あーまあ、じゃあちょうどよかったかな」などと言って四番卓に陣取った。ここは酒類が並んでいる棚の前、店内構造でいうと店の最も奥の卓にあたる。
「どうした、俺に用か?」
「それは俺じゃなくてトキ時の方」両手を組んで、そこへ顎を乗せた。「違う?」
得意の流し目で対面式調理場の中にいるトキ時を見つめる。ご指名の本人は急に視線を落ち着きなく動かしては、唇だけを空回りさせている。
「そろそろあのふたりを持て余す頃かなと思って」
「
……もて」言葉の続きが出てこずに、トキ時は片付け途中だった食器から手を離す。
「そんなことない」と言おうとした口が上手く動かず、勝手に出てきたのは次の言葉だった。
「
……そんな、に、わかりやすいか?」
「いや? 多分俺だからわかるってだけ」
トキ時はなにも返さずに、安堵とも取れるため息を漏らす。左手は作業台に用意されていた布巾を握りしめている。
「俺
…………」
「大丈夫。今日はその話をしに来た」
良は酒瓶を隠し持っていた。それをのそりと取り出し、卓を人差し指でとんとん叩いた。向かいに座れと合図している。
「大人の話、しよ」
*
──あなたは何役として、この舞台に立っていますか。
*
食事処伊呂波の備品であるなんの飾りっけもない乳白色のお猪口が卓上にふたつ。六分目程度に酒が注がれたそれを景気付けに一気にあおる良と、指先でつまんで、丸みを帯びた角や縁をなぞって、弄ぶだけのトキ時。
良はあえて自分から話を聞き出そうとはせず、トキ時が自主的に話し始めるのを待っている。
正面から見つめているのもなんだと思い、意味もなく自身の爪の長さを確認した。かなりまめに整えられている。これは爪が短い方が女性とのあれこれに支障が出ないからという、本当にどうしようもないが、かなり切実な理由からである。
「
…………俺、さあ」
「うん」
手酌で再度お猪口を満たす。今度は八分目ほど注いだ。口はつけずにトキ時に集中する。
「ふたりのというか、特に、羅乃目か。いや、なんかさ、なんだ別に人間と変わらないなって思う時と、ああやっぱり人間じゃないんだなって
……思い知らされる時があって」
「うん」
懺悔でも始まるのか、居心地の悪そうに吐露を始めた目の前の男はまだお猪口の縁をなぞり続け、目線は無の卓に落とされたままだ。
「なんか、俺、最低だなって」
「なんでそうなんだよ。トキ時のどこが最低なわけ? 言ってみ? 否定してやっから」
トキ時があまりにもお猪口の縁をなぞり続けるので、そのうち指が入ってしまいそうだ。
「だって、あまりに身勝手だろ。なんか。居ていいぞって、ふたりのこと、なんか好きだなって思ったから。別に人間じゃないとか、別に気にならないなとか、さ
……思ってたくせに」
「
……この前のが効いてる?」
この前のとは、羅乃目が人攫いの組織を殲滅したことを指している。厳密にいうと攫おうと近づいてきた実行役と、あの時あの場にいた人間のみを殺害しているので殲滅ではない。残党と顧客は今頃どうしているだろうか。
その問いにトキ時は力無く笑った。はっきりとした太さの眉毛が情け無く末広がる。図星か。こんなに縁起がよくない(悪いと言い切るような無粋な真似はしない、余白が大切なのだ。おそらく。)末広がりもそうお目にかかれない。
「人間のこと、本当になんとも思ってないんだなって、お蝶ちゃんが来てる時から、思ってた、少し。あの子も、結局
……」
勢いをつけてトキ時が酒を飲み干す。あまり強くない彼は酔うと可愛く怒りっぽくなり、健やかに寝落ちして、宴会がお開きになる頃に酒が抜けて元気に起きる仕組みになっていた。
良は話をする前にトキ時を酔わせるのは悪手だと判断し、真面目な顔で注ぐ酒を四分目程度にとどめておく。
「人間は自分に酷いことをしたから、自分も人間に酷いことをしてもいいんだって」
トキ時の酒の残量は三分目になった。
「人間から始めたから、人間を殺してもいいんだって」
残り二分目。
ひと言口からこぼすたびに、こぼした分を補おうと酒をひと舐めしている。
「
……なんか、さあ、なあ
……」
二分目のまま。
また縁をなぞって言葉を濁す。自分の中でも感覚として捉えられているだけで、まだ言葉で羅列できない状態なのだろう。
「俺が勝手に解釈していいかわからないけど、多分トキ時の思ってるだろう内容は伝わった」
「俺、あまりにも無責任だろ」
どこか縋るような視線。酒は減らない。
表面上で掴めていたと思っていたそれと、実際の底の深さと暗さの相違に戸惑っているのだ、おそらく。
「とこがそもそも始まりは殺されない為のその場しのぎだったんだから、そこに責任なんて生じないだろ。むしろ優しすぎるくらい」
「だって俺は、優しいだけしか
……」
「だけじゃないだろ、自分を過小評価し過ぎ。それに今回の話はトキ時の優しさでこの世の全てを包み込むのは無理ってだけだって。想定外だろ、人間じゃないないんて」
トキ時は良の言葉に納得がいっていないのか、中身を零さないように器用にお猪口をゆっくりと指で回し始めた。くるくるではなく、四分の一ずつ、少しずつでも確実に。持て余す、持て余す。酒を?なにを?
「
……じゃあ俺の無責任な話でもしようかな。俺があのふたりを優しく受け入れているのは、トキ時がそうしてるから」
「え。俺のせいってことか?」
トキ時は目を見開いて驚いている。しかし当然と言えば当然だろう、想像していたよりも無責任な話をされそうだ。
「まあ待て、聞けって」また一気に飲み干し、手酌でなみなみと注ぎながら続けた。「火事の時言ってたろ? 羅乃目はもう守るべき存在だって。それを聞いて、ああそんなに大切に思える奴ができたんだなって、あの瞬間は単純にそう思った。だが蓋を開けたら人間じゃないときた。あれは正直ビビったよ。でもさ、お前はふたりが人間じゃないってわかってて、それでも危険を顧みずに命懸けて守るまでの存在になってるってことに同時に気付いた。決めたんだなって思ったよ。お前頑固だからさ、一回決めたら俺には覆せないって知ってるし」
そうだろ? という意味を込めた視線を受けて、トキ時はゆっくりと頷く。そうだ。
「それで、お前がそれだけ腹括ってるなら、俺はお前よりももっと腹括って、後ろでどっしり余裕で構えていようって決めた」
飲み干される酒。
「お前がその船に乗るなら俺も乗る、進むなら一緒にどこまでも。そんで沈むなら一緒に沈む。それで、もしもお前がどうしてもこの船を降りたくなったら、俺がどんな手を使っても降ろしてやる」
空になったお猪口は卓に降ろされた瞬間、僅かだが芯のある音を鳴らした。
「まああくまでもきっかけの話。今はちゃんと俺の意思と判断であのふたりと接してる。なんか好きってお前が思う気持ち、わかるよ。なあ俺の部屋、広かっただろ」
「え? ああ、おう、そうだな」
「あのふたり、何日か預かってもいい」
再びなみなみと注がれる酒。あの八畳も三人寝転べばこのお猪口のように溢れそうになるだろうか。いやきっとそれでもゆとりがある筈だ。広さは時に自由度に繋がっている。
「ここに十分通える距離だってのは俺が証明済みだろ? あそこが気に入るようなら大家に紹介する。大家はクソだけど長屋に空き部屋があるのは事実だからな。あいつらなら北町でも問題なくやっていけるだろうし」
「お前
……この前じいさん連れてうちに籠りにきたのもそういう理由か?」
トキ時の中で、理由という型にぱちぱちとはまっていく行動という名の駒。自分だけの負担にさせないように?
「さあどうかな? まあひとりで持てなきゃふたりで持てばいいだけの話。お前の優しさで包みきれなくても、俺の小脇も肩も空いてる。俺はお前の荷物なら喜んで担ぐよ、取り分は俺が多くてもいい」
「
……ちょっと、お前に落ちる女性の気持ちが初めてわかったかも。なんかお前かっこいいな」
「え〜やだ今更〜! どうする? 二階行く?」
「行かねえよ!!」
「卓の上で背徳的なのがいいなら、ここでしてもいいけど」
「いいわけあるか!! 絶対しねえからな!!」
しばしの沈黙の後、どちらがともなく吹き出して肩を振るわせて小さく笑う。だがまだ完璧ではない、トキ時はふと思い詰めたような表情に戻ると、ため息を混ぜながらまた懺悔のような語感で語り始めた。
「紅族ってさ、人間よりも寿命が少し長くて、肉体の成熟速度が俺たちとは違うんだってさ。それで、十代は特に顕著らしくてな、羅乃目は十七歳だけど、人間基準でいくと肉体的には十から十二歳程度らしいんだ」
「へえ。それは初耳かも」
「
……だとしてもさ、中身もずいぶんと幼いと思わないか?」
「まあ確かに子どもっぽいけど。可愛いじゃん」
「
あれがあったの、十二年前だろ。十二年前、五歳だったはず
……羅乃目の時間はあの時から、止まっちまってるのかもしれないって、思って」
前半部分は勢いのまま早口で、後半は不安を感じているのか、ごくゆっくりと、消え入りそうになりながら。
「単なる性格の可能性を捨てるなよ。そいつは憶測の域を出ねえな。仮にそうだったとして、トキ時がそれを背負う必要ある?」
「だってつまりは人間のせいだろ?俺がこの世で唯一、その点と点を擦り合わせられる立場にいる」
「
……だからなに。人間代表ヅラでも始める?」
「そういうわけじゃない、けど」
「ていうか俺もだからな、その立場」
「
……大切なものをある日突然取り上げられる悲しさと寂しさとどうしようもなさは、わかってるつもりだから
……」
「俺だってそうだよ」
ここで沈黙。だが重苦しいものではない、むしろ氷が溶け始める予感を感じるような、そんな沈黙。
「はあ
……俺さあ、この前、その、なんか、こう、偉そうに、命の尊さを羅乃目に説明しようとしたり、しました
……」
トキ時が話題を変えてきた。先の話はこれ以上討論する必要がないと判断したのか、良からもらった要素を追加して自分の中でもう一度思考し直すつもりか。おそらくは後者。
そして語尾にあからさまに敬語を持ってきているあたり、俺ちょっとやらかしました宣言に近い印象を感じる。現に「しました」と共に卓に突っ伏している。
「はは、うける」
良はそう軽く言いながらも馬鹿にしたような態度は一切ない。それはトキ時にも十分伝わっている。
「トキ時は俺に命の尊さなんて説いたことあった?」
「
……ないなあ」
「覚えてる?前に俺が、『人を殺したことないとでも思ってんの?』って詰め寄ったこと」
「覚えてる」
「じゃあ話は早い。俺は必要があれば簡単に殺すし、時と場合によっちゃあ命をなんとも思ってない」
「知ってる」
「
……俺と羅乃目の行動って同じじゃない?俺のこと『怖くない』んだろ?」
「怖くねえよ」
「トキ時はさ、羅乃目のあの幼さと『人間ではないなにかである』っていう属性にちょっと引っ張られてんの。羅乃目が子どもだから、自分が指導しなきゃいけないと思う。羅乃目が人間じゃないから、人間としての一般的な倫理観を教えようとする」
「うう」
「悪いことじゃねえさ。トキ時のその、なんつーの? 母親っぽさ? 悪くねえと思うし」
「父親じゃないのかよ」
トキ時はここでのそりと顔を上げた。卓に額を擦り付けていたせいで前髪が乱れている。
「世間一般的な父親像よりも圧倒的に母親像の方がしっくりくるよ、お前」
「ぐ。否定はできない自分が憎いな」
視界の端でちらちらとする前髪を軽く手櫛で整えながら、世間一般的な母親像の方がしっくりくる自分を受け入れる。
「多かれ少なかれ、羅乃目はそういうお前も好きなんだと思うしさ。保護者的な存在って、確かに子どもには必要だし。肉体的には十歳そこらなのは事実なんだろ? ただ別に、そんなに真正面から背負い込もうとする必要はないんじゃんってこと。保護者であり、雇い主である以前に友であるってことでさ、まあ気楽にいこ」良はひょいとお猪口をつまみ上げる。「んで、最後にど正論で簡単なこと言っていい?」
「なんだ?」
「種族云々の前に、そもそも
他人と一緒に生活を始めて、初っ端からうまくいく?」
それはごもっとも。人間だって他人同士ひとつ屋根の下で暮らし始めればそれは多少の問題や衝突が生まれるものだ。そこまで密着しなくとも、学び場での共同生活は各々頭を抱える問題のひとつやふたつあっただろう。知らなかった一面、知ったつもりになっていた一面、どうしても合わない相手の中のたくさんのうちのひとつ。その想像と現実の相違に戸惑うのは当たり前のことなのである。今回の件は、そこにひと匙「人間ではない」という隠し味がぐっと効いてしまって、本来の味を覆い隠している。
少し表情の柔らかくなったトキ時は、思い出したかのように、ぽつりと言葉を場に提供した。忘れていたわけではないのだろう。一時的に置き場所に困っていた言葉を、一度親友の前に出して、再びしまい直す機会を得ようとしている。
「
……羅乃目がさ、俺のこと守ってくれるって」
「ありがたいねえ。俺ひとりだと対応しきれない時があるから」
良はつまんでいたお猪口からちびりと酒を舐める。目を閉じて、やや微笑んでいる。
「俺も嬉しいなって思ってる。嬉しいと、好きだなと、どうしようが全部混ざってたんだな、俺は」
トキ時は自分の中の靄になっていた部分を丸っと「どうしよう」でまとめてきた。
「
……そうだよな、俺たちだって、そんなすぐにこういう感じにならなかったもんな」
「だろ? 第一印象での不快な違和感は後々正しい場合が多いけど、好きかもは、大事にしていいと思う。ふたりでも持ちきれなかったら、その時また考えればいい。俺は好きだよ、トキ時も、羅乃目も、黒骸も」
あえて呼び名ではなく名前をしっかりと呼んだ。良なりの誠意の表れだろうか。
「ひぃー。なんか、全然、大丈夫な気がしてきたな。話したらすっきりした」
トキ時は持て余していた残りの酒を飲み干す。飲み込む。
「そういうこと。よかったろ? 俺がいて。よくも悪くもふたりきりになる機会が減ったから、今後もたまに開催しような、大人の話」
「かっこいいな、お前」
「トキ時には負けるよ」
「お前を巻き込んだの、どうだったかなって、それも、思ってたんだ。でもよかった、お前がいて」
「俺は仲間はずれにされなくて嬉しいよ
……なあやっぱりやろ? 今のこの感覚でやったら絶対気持ちいいよ、一体感凄そう」
「ない!!」
否定しつつされつつ、近所迷惑も考えずにふたりで大笑いをした。そうだ、自分たちだってここまで来るのに一本道ではなかった筈だ。今が当たり前になると、つい昔のことは忘れてしまう。道を逸れたことも、二手に別れたことも、思い返せばあったようななかったような。
「
……黒のこともちゃんと気にかけてやらないとだよな。羅乃目の性格はさっ引いたとしても、紅族があの年頃だと幼いのは事実だからな。黒が例外なわけはないだろうし」
笑った余韻を冒頭部分にやや残しつつ、しっかりと共有しておきたい話題を出してきた。
長かったこの会話劇もそろそろ終盤である。
「そうだな。結構無理して立ってるんじゃない? どうにも放っておけない感じ、まあこれも憶測の域を出ないけど。嫌がられそうだから見守る程度でいいかもな、なんとなく反抗期っぽいじゃん」
「あはは、なんかちょっとわかるかも」
悩みを話しているだけで、案外本人の中で整理されたり気が済んでしまったりすることは少なくないだろう。そういった狙いも持って、良は今夜ここに来たのだ。
「
……そうだ、よくできてるんだった」
トキ時は自分の言葉を思い出す。間違いなく自分から出てきたあの言葉を。
「なに?」
「俺なりの今の結論!」
「へえ、いいじゃん」
日が昇るまではまだ長い、だが夜明けを感じる。友と語るだけでも夜は明けるのだ。
「よし! 今日は飲みたい気分だ! このまま付き合うよな!!」
「えー? どうせトキちゃん途中で寝ちゃうっしょ?」
「そこはお前がいい感じに俺の酒量調整してくれよ」
「人任せじゃん、うける、いいけど。それより明日の営業に響かない? 休みじゃないだろ?」
「大丈夫だ。うちには
優秀な住み込み従業員がふたりもいるからな。営業前に仮眠くらい取れる」
「その優秀なふたりも、今頃徹夜で仕事してっけど?」
そこにはもう、先程までの懺悔をする男の姿はなくなっていた。
「そうだった。あー、そしたら三人で意気込んで昼寝するさ」
薄明の、予感。
空が白んでくる頃、北町へ帰る良の背中を見送った。彼のことだ、このまま自宅へ直帰するとはあまり思えない。また適当にぬくもりを求めに行くのかもしれない。寂しがり屋の頼れる男。
入れ替わるようにふたりが帰ってきた。さぞ疲れ果てているだろうと思っていたら、羅乃目にいたっては目を爛々と輝かせて軽く飛び跳ねている。これは黒骸に任せて眠っていたな?
「トキさん鼠もいたけど鼠がね、本物の鼠小僧でやんした! すごい! びっくり! 捕まえたでやんすよ!」
目が爛々としているのは眠気の山場を超えて興奮しているからの様だ。頭が働いていないのか、伝わりそうで一切合切全く伝わってこない仕事の報告だ。これが上司相手だったらここからお小言が始まるだろう。そして大変元気な「捕まえたでやんすよ!」を最後に糸が切れてしまったらしい、急にもにょもにょしだすと立ったまま黒骸に寄りかかって眠そうに唸っている。
横で羅神が「お前はもういいから寝ていろ」と言っている。そのまま羅乃目を小突いて掘立て小屋に連行していった。
引き継いだ黒骸が、この夜の概要を説明してくれようとしている。
「夜の屋根裏で物音だなんて、鼠かなにかだと思っていたんです。いえ実際に鼠もいたんですが、なんと盗人が現れて」
「え?! 嘘だろ! だから鼠小僧とか言ってたのか!」
「そうです。俺も引き渡しの際の話を又聞き程度しか聞けていないのですが、どうやらなかなかの商家だったらしくて。三ヶ月に一度南町のお偉方に納品に行く、らしいんです。その時にお偉方の屋敷に入るのに必要な手形を商売敵が盗んで面目を潰してやろとした、らしいです」
全ての語尾を「らしい」で締めくくり、本当に雰囲気でしか全容を把握できていない旨が伝わってくる。
「三ヶ月に一度南町のお偉方に納品?! そんな凄いところに行ってたのか?! 俺はてっきり東町でよく見られるごく普通のありふれた家を想像してたぞ」
「ええ、俺も行ってから広さと上等さに驚きました。どうやらイゴさんが、俺たちのことを仲間内やら出入りの業者やらお客やらに、かなり宣伝してくれているみたいなんです。今回の仕事もそこ経由できました」
「よかったなあ。黒が真面目に通ってるからだな」
「それはもちろん、仕事ですからね」
涼しい顔で放たれた言葉を受けて、トキ時はあえて茶化すように訳知り顔で「ふーん」と頷いてみせる。
「あの、楽しいです、囲碁。奥が深くて興味が尽きません」
そう言って照れたように笑う黒骸は、普段見せる綺麗な微笑みとはまた違った笑い方をしていた。ふにゃり、とでもいうのか。とにかく角のない笑みだ。大人びた笑みではなく、年相応な笑い。
「
……よかったなあ、本当に」
初めて見せてもらえた笑顔に胸がいっぱいになるのを感じながら、同じくらいいい笑顔で返した。
「でも今回の件、うまく捕まえてまとめられたからよかったものの、少々厄介でした。あくまでも想像ですが、この日に手形を盗みに入られそうだと予測があった上で、簡単な内容を装って俺たちに仕事を依頼してきた可能性があります。人目があって邪魔になればいい、あわよくば捕まえてほしい、というような。下手をすれば濡れ衣を着せられていた可能性も否定できません」
「まさか、いいように使われたのか?」
さっと顔が曇る。最悪の場合ふたりは今日帰ってこなかったかもしれないのだ。
「言い方によってはそうかなと。結果としてかなり報酬に上乗せされたので真相はわかりませんが、用心棒を雇う金をケチっていた可能性があります」
「確証がないから頼めなかった、とか?」
「どうでしょう? ないからこそ頼むのでは? とにかくこちらに危険が及んでいた可能性がある以上、そこからの依頼は今後断ろうかと思っています。俺たちは用心棒じゃない」
「そういう依頼を事前に判断するのは難しいよな。蓋を開けないとわからないし、結果的にっていう場合もあるだろ」
「ええ、困りものです」
真面目な話を真面目な顔をして聞いていたトキ時だったが、どうにもこうにも眠気には勝てない。大欠伸で返事をしてしまい、少し罰が悪そうだ。
「ああ、そういえばトキ時さんも徹夜していたんですね。てっきりお休みしていると思っていました」
「良が来てな、久々に飲み明かしてたところ」
眠気を自覚してしまったのか、トキ時の目はしょぼしょぼしていく一方だ。このまま閉じてしまいたい
……
「なんだかいい顔をしているなと思っていました」
「そうだな、おかげでいい夢見れそうな予感がする」
「雨庸に目覚ましを任せて少し眠ろうと思っているんですが、一緒にどうですか。一ヶ所に集まっていた方が起きるのも楽かと」
「おお、いいな。お言葉に甘えて
……って、俺が寝る場所あるか?」
トキ時の頭には子ども時代に過ごした掘立て小屋の内部が浮かんでいる。あの頃は広いと感じていたそれも、今では違う。
「きっとありますよ。羅乃目は寝ながらどんどん小さくなって隅に寄っていくので、今頃はもう部屋の中心はガラ空きです」
だとしても狭いだろう。でもなんとなく、この話に乗りたい気分だった。楽しそうな話ではないか。押し合いへし合いで悪夢を見る可能性が顔を出し始めてはいるが。ふたりの寝相はいかほどだろうか。
「いいからオレ様に任せてオメエらとっとと寝ろ!! 美声でまとめて叩き起こしてやるぜ!!」
その日の食事処伊呂波は、様子がおかしかった。
客が来ないのだ、人っ子ひとりも。
営業日はほぼ毎日顔を出す常連も、今日は大勝ちしたからなんと確定で明日も来るぜと言っていた常連も、あればいつも高野豆腐を頼む常連も、女抱いた後はここの酒よとか言う常連も、なんとなく立ち寄ってくれる顔も、兎にも角にも誰もいない。相当入れ込んで注ぎ込んでいた遊女の存在がばれて嫁に大目玉を喰らったと言っていた常連は、心を入れ替えて西町へ来なくなった可能性があるが。
これは伊呂波がトキ時に代替わりした当初ならあり得た光景だが、今でこそ大繁盛の人気店。あってはならない光景である。
不思議がって羅乃目が通りに出てみたが、どうやらここいら一帯がしんと静まり返っているらしい。「ちょっとそこまで走って見てくるでやんす」と言って店を出て行ってしまった。「見てくるだけでいいぞ、客引きはしなくていいからな」と出際にトキ時が声を掛ける。
「今日
……蜜でなんか催し事でもあったか?」
トキ時は顎に指を添えて目を閉じる
……が、何も浮かばない。諦めて腰に手を当てぐいぐいと柔軟を始めた。正直なところ全く伸びていない、可動域が狭い。この男、体が硬いのだ。
「花びらの端まで情報が届くのに多少の時差がありますからね。でも人伝の噂は西町の得意分野な気もするんですが」
「だよなあ。うーん、さすがにひとりも来ないのは店としてまずいんだけど
……」
あまりの手持ち無沙汰に詰碁の準備を始めた黒骸を、トキ時がぼんやり眺めている。ここで焦ったって仕方ない。もう頬杖なんかついて、かなりゆったり過ごしていた。
「今日の白和え、かなり上出来なんだけどな〜
……絹さやの卵とじも春っぽいのにな〜」
ぼやいているトキ時に適度に微笑み返しつつ、「トキ時さんのご飯を誰も食べに来ないなんて、あり得ないですよ」だとか、「
……正直、料理の余りを期待している自分もいます」などと可愛く白状しつつ。黒骸は調理場に対面しているうちのひと席を陣取り、初級編第十二問を盤上に再現し、「さて」と背筋を伸ばした。黒骸は紙面を見て想像するよりも、実際に並べた方が実践時に思い出しやすいらしい。より多く実際に打つ、を実行する段階なのだ。
「見て! トキさん! 死神捕まえたでやんす!」
「うえーい、捕まったでやんす」
「あー真似っこだ!」
羅乃目は意気揚々と良の袖を掴んで引っ張って戻ってきた。
「なに、本当に誰も来ないの? あり得る?」
羅乃目が捕まえてきた良は仕事道具を持っていた。この腕のいい彫り師は、きっちり仕事して女と遊んで伊呂波に顔を出して女と遊んで馴染みの店の女の様子もたまに見に行って女と遊んで行く先々で売られる喧嘩に勝って女と遊んで賭場に顔を出して女と遊んで酒飲んで女と遊んで
……一体いつ寝ているのだろうか。
「丁度行こうと思ってたら向かいからおひいが来てさ。なんかこの辺り妙に人がいねえんだよな」
「やっぱちょっと行っても誰もいなかったでやんすよ。死神だけ」
「やっぱり変だよな、今日なにか催し事あったか?」
「いや? 特になんもない筈だけど」
「この辺りだけなんでしょうか、誰もいないのは。無差別人斬りの犯行予告が出ている、などは?」
「んー、そういうのがあったら俺の耳に情報入ってきそうなんだよなあ」
四人でうーんと考え込む。一応、羅神と雨庸も頭を捻ってくれている。
人のいない町(の一角)、客の来ない店。せっかく羅乃目が捕まえてきてくれた死神様もここのケツ持ちだ、飯代はいつも貰っていない。
「このままだと今日は望み薄、かー?」
店主が絵に描いたように頭を抱えている。だが店が見向きもされなくなったわけではなく、人自体がいないのだ。今後の為の対策を講じようとしても無理な話である。
「とりあえず今日は俺が普通に金払うって。いい感じに稼いできたとこだし」
良が気を効かせるが、トキ時としては断りたい。ここで一度よしとしたら今後も「金払うよ」と言われてしまう。それは違う。
「いやそれは」「あ、誰か来たかもでやんす」
──ガラッ
「こんばんは」
「うわ」「?」
否定しようとしたトキ時と、気配を察知した羅乃目と、伊呂波の戸を開けて客が入ってきたのと、良がその客を見て驚きの声を上げるのと、集中していた為に一歩出遅れた黒骸の頭から疑問符が出たのがほぼ同時であった。いつだって順序よくひとりずつ事を起こしたり話してくれるわけではない。
「いらっしゃ
……」
やっとお客がやって来た! と思って満面の笑みで迎えようとしたトキ時が、語尾を途切れさせて何故か眉をひそめる。
どうにも、客に思えない。
今し方戸を開けた女。蠱惑的な笑みをたたえ試すような視線でこちらを見てくるばかりで、一歩も中に入って来ない。見るからに値の張りそうな豪華絢爛な着物の肩をはだけさせ美しい曲線美を披露し、帯を前に垂らしている、端的に言うと遊女のような着こなしに見える。しかし足袋を履いているし、髪にじゃらじゃらと簪を挿してもいない。
それとなく羅乃目と黒骸が女を警戒している。一般的な人間が背負う気配と全く異なる何かを感じているらしい。羅神と雨庸がトキ時に目配せして非常事態に陥る可能性を示唆している。
「榛
……」
すると良がぽつりとその名を呼んだ。少々、忌々しげに。
「久しぶりね良。でもいいのよ、なにも言わなくて、私がわざわざ話しに来たの。そこで黙っていらっしゃい」
絹のように滑らかに紡がれる女の言葉。
「しん
……榛って、あの
……」トキ時の顔色がみるみる変わっていく。「あの都市伝説のか?!」
「あら、私って都市伝説扱いなの? まあ似たようなものかしら」女はここでゆっくりと伊呂波の中へ入ってくる。戸に隔たれて気が付かなかったが、背後に男がいる。大きい、いやもうデカいと言った方が圧倒的に伝わる体躯をしている。黒骸よりも高い身長、そして壁のように肩幅があり、筋肉で全てが分厚い。腰には長い刀をさげており(さげ方と反りの向きから見て、いわゆる大太刀と呼ばれる類の刀だ)、しかもくすんだ金髪と深い緑の目をしている。異国の男だ。やや年を重ねていそうな風貌をしている。
女が優雅に歩を進めている間、伊呂波側は誰も動けず、何も言葉を発せなかった。この女から感じる強い威圧感はどこからくるのか。
「ここでいいかしら」指定した四番卓の手前の椅子を男が器用に引くと、そこへ座る。優雅でしなやかな所作だが全く無駄がない。
「こんばんは、私は
榛。人にはそう呼ばせているわ。こっちは
甚、用心棒ね」
甚と紹介された大男が、首だけで会釈する。
「今日はそう、『お礼』をしに来たの」
榛。それは太都の裏社会を牛耳る女帝の名である。北町を中心にその存在はある種の伝説のように取り扱われており、時には子どもに言うことを聞かせる際の脅し文句としても活用される。「そんなことをすると、榛が来るよ」。
確実に存在するであろうということだけは確かなのに、誰も実態と正体を掴めず、しかし明らかに存在する。不必要に言葉を重ねたが、それだけ不確定であって確定している存在というわけである。意味がわからないだろうが、これが事実なのだ。
お礼という単語を聞いてトキ時が半歩後退り、他の三人の体に力が入る。人攫いの件だろうか。まさかお礼参りにやって来た?
「そう身構えないで、そのままの意味よ」それでも緊張感の解けない店内に向かって、こう続けた。「じゃあ少し、話しましょうか。説明は必要ね。質問はなし」
榛は意外にもにっこり微笑むと、その綺麗な形の唇を動かして話し始めた。
「いつだったか、西町通りで火付けがあったわね。可哀想にあの犯人の女の子、親に売られたからあの役回りにされたのよ」
なにを、言い出すのか、この女は。
「ああ、でも誤解しないで。仕立て上げられたわけじゃない、実際に火を付けたのは間違いなくあの子よ。ただ自分の意思でそうするようにそうなるように、じっくり仕込んで誘導しただけ。何故って? それはあの子のご両親がちょっとした失敗をしたから
……追い詰めたれた結果、可愛い娘を売ったのね。でも物理的に売ったわけではないの、必要な時に好きに使える駒として所有権を貰い受けただけ。さて、西町通りが燃えて得をする奴はどこにいるのかしら?」
「
…………」
「結局あの後、一族揃って心中してしまったみたいだけれど」
トキ時が唾を飲み込む音だけが、店内に響いた。
「そうそうあの人攫い、もとは宗教みたいなものだったのだけれど
……生まれつき四肢のない女の子がいたのよ、それでいて絶世の美女。頭の方にも障がいがあったみたいね。他人の介助なしでは生きられない物言えぬ美女のもとに、知らず知らずに狂わされた男たちが集まって、彼女を神として崇め始めた。初めは単なる内輪の宗教団体だった。でも美人薄命って言うでしょう? 神は十六歳でこの世を去り、残された男たちは新しい神を求めるようになった
……長い時間と共に歪み、神を求める道を外れていく活動目的、塗り替えられる組織の存在意義。結果的にはあなたたちが知っているあの形に落ち着いてしまったということ。実態はお察しの通りよ」
羅乃目は握りしめていた拳を少しだけ開いて空気を入れた。小さな動きを視界の隅で捉えたのか、甚が目線だけ拳に向けている。
「最近どうも派手に活動し過ぎていたでしょう? お灸を据える予定でいたところに、あなたのあれ。助かったわ、手間が減って」
確実に羅乃目の目を見据えてくる。
どこから漏れた?
黒骸と良は視線を投げ合い眉をひそめる。もうひとつの出入り口の先を含め、確実に処理した筈。なにを逃した?
「そんな顔しないで大丈夫よ、現場の処理は完璧だったわ。私の方が
上手なだけ」
また榛は微笑む。その奥で、裏で、なにを考えているのか掴めない。この女、一体。
「羅乃目、あなた人間じゃないでしょう。黒骸もかしら」
当たり前のように名前を知られていたが、ふたりは勤めて平たい態度を心掛けた。「人間じゃない? でやんすか?」反応を見せない方が不自然になる。
「いいのよ、気にしないし、私の口は堅いから安心して。この甚もそう。どうせここにいる人間はみんな知っているでしょう?」
わかっていて話題に出した、ということか
……?
「
…………」
「話を戻しましょうか。私の役割は、裏から均衡を保つこと、とでも言えば端的でわかりやすいかしら。裏と表はどちらも必要だけれど、どちらも深く干渉し合ってはいけない
……誰かが見張る必要があるの。考えてみて、蠱毒と呼ばれる北町で最後まで生き残った呪い用の蟲を使うのは、それを喰らうのは、誰?」
榛、ということ、か
……?
「なんでも知ってるでやんすか」
「質問はなしよ。まあでも、どうかしら? なんでも知っているかしら? 仮に知っていても教えない」
対峙する女帝と紅族の統領。
敵か、味方か。
否、彼女はそのような立ち位置には居らず、計れず。彼女は全ての主犯であり、全ての戦犯であり、全ての部外者であり、全ての傍観者であり、また全てにおいて無罪である。
それが「榛」。
「そんなに怖い顔をしなくて大丈夫よ、なんの心配もいらないわ。ああでも」榛は言葉を切ると、今一度羅乃目を見据えた。「あなたの事は気に入ったわ、顔を見たら尚更。羅乃目、いつか私のものになるといいのだけれど」
なんとも意味深な言葉を紡ぐと、また優雅に立ち上がった。話は終わりということだろうか。
「一日の売り上げはこんなものかしら。お礼も入っているから仲良く四等分するといいわ」
上等そうな布の包みを卓に置くと、来た道をするりとなぞり、甚が戸を開けて待ち構える。この男、結局ひと言も発していない。
「それではご機嫌よう。また、
会うべき日がくるまで」
甚の手でゆっくりと閉められる戸の、最後の最後まで、榛は伊呂波の中へ視線を送っていた。まるでいつでも見ているぞと言っているかのように。考え過ぎだろうか。
気配が過ぎ去ると、トキ時が大きな音を立てて尻餅をつく。「こ、腰抜けた
……なんなんだ、もう」
良がトキ時を介抱しようと横にしゃがみ込む。
羅乃目は戸から目を離さない。
黒骸は危険がないか確認する為に置いていかれた包みに指先で触れ、それがなにかを考察する。
「小判
……」
許可を取り、黒骸がそのまま結び目を解いた。包みの中は小判だ、しかも二十枚は重なっている。大金も大金である。
「う、うちの一日の売り上げと、この前の
……お礼と?って、待てよ。なんでうちの売り上げを置いていくんだ? もしかして
……」
もしかして、今日この時間帯、この辺りに人間がいないのは、彼女がなにか、手を回したからか?
「まあ、榛ならあり得るかな」
こともなさげに良が呟く。
「あ、あり得てたまるか! というか待てよ、お前、あの榛と知り合いなのか? なんか話してただろ?!」
「あー、うーん。そうだけど、一応
……前に言わなかった? 俺が大層床上手だから命拾いしたことあるって」
「へ? ああ。あった、な」
「若い頃にさ、榛って結局いるのかいないのか探ってた時期があったんだよな。周りには散々止められたけど。なんかわりといいとこまでいけちゃってさ、向こうから会いに来たんだよ『私を嗅ぎ回っているのは誰かしら』って」
「へえ?」
トキ時の語尾が不可思議に上がっている。疑問符というよりも、何もかも全く飲み込めいないけれどとりあえず話は進めてもらって大丈夫です、の合図に近い。
「なんかちょっとまずいところまで踏み込みかけてたみたいでさ、当たり前だけど俺を消しに来たんだよな、榛。そんでまあ、まだ死にたくないし? なんか随分と綺麗なお姉さんだったからさ、言ってやったわけ」ここで良は咳払いをする。「俺、最高に床上手だからさ、一回やんねえ? そんで気に入ったら見逃してよ。駄目だったとしても最期くらいいい思いしてから死にたいんだけど」
あまりにも話にそぐわない言葉が並べられるので、三人はぽかんとした顔をしている。
「え
……で
……気に入ってもらえたから、今でもこうして元気に生きてるってことか
……?」
「そう、面白がって寝てくれた。芸は身を助けるって本当にあるんだよ。結局その後も三回くらい寝たかな。結構気に入ってもらえてた自覚あるよ。俺の床上手は件の女帝のお墨付きってわけ。最高っしょ?」
「は、はは
……」
「ああそれから、その金は本物だと思うから必要であれば使って問題ないと思う。あいつは贋金掴ませて変な問題起こさせるような小物じゃねえから。それから多分、口止め料も入ってる。あいつが直接接触してくるのはかなり稀だから、今夜のことは他言無用」
親友の最高で最低な告白と、抜けたままの腰と、残された大金と、店主。
翌日以降にそれとなく常連客に話を聞いてみると、「嫁が熱を出して家を出にくかった」「なんか急に母ちゃんにいい飯でも食わせてやりたくなった」「腹を壊した」などなど、それぞれ別の理由が返ってきた。これが榛による人為的なものなのかはわからない。が、あの瞬間の為にそうなるように全てが準備されていた可能性という不安が拭いきれない。
いるかいないかわからないからこそ、それとなく付き合っていられた伝説が、現実となって目の前に現れる。まるで御伽話のようだ。しかし現実で起こると面白くもなんともない。とんでもない。遠慮したい。
顔を見たことでなにかこちらに不利益な状況になり得るのか否か。彼女は敵か味方か。「否、彼女は
……」などと悠長なことを言っていられる場合なのか。
太都の夜は更けていく。
*
全てのものに役割があり、また大抵のものに意味がある。生活という舞台は、そういうものである。
例え誰かの書いた脚本の上で踊らされていようと、途中で降りることはできない。死、以外では。
それは与えられたのか、自ら掴んだのか。そもそもそれは自分の意思だったのか
……曖昧なままにしておくと、あれよあれよと見世物小屋の呼び込み役などをやらされる羽目になる。
まあそれでも、気に入った役が見つかったら丁寧に、大事に向き合うのも悪くないだろう。結局は「なにか」になっていなければならないのだから。
聞いているだろうか。
今、あなたの話をしている。
登場人物紹介
・
羅乃目……この物語の主人公。紅族。第十九代統領
・
黒骸……この物語の主人公。紅族。羅乃目の許婚
・
羅神……羅乃目に憑いている黒い狼の
憑守
・
雨庸……黒骸に憑いている白い大蛇の憑守
・
鎌苅トキ時……この物語の主人公。憑守が見える、
食事処伊呂波二代目店主
・
天河良……この物語の主人公。通称「死神」。伊呂波のケツ持ちをしている彫り師
・
榛……(検閲済み)
・
甚……(検閲済み)
次話