みずあめ
2025-03-25 16:30:22
4076文字
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久々綾

これ(https://privatter.me/page/67d029a655945)のくくち視点です。

太陽が昇り始めるよりも早く、夜空に朝の色が混ざり始める頃に目を覚まして、俺は布団から静かに抜け出した。衝立を挟んだ隣で寝ている同室の友人はまだ夢の中のようでかすかに寝息が聞こえる。
足音を立てずに部屋を出て、当然のように人気のない廊下を約束の場所へ向かって歩いた。鳥の声すら聞こえず、あたりは静寂に包まれていた。
学園の外であればいくらでも場所はあるけれど理由もなく外出許可は取れないし、無断で抜け出すことは難しい。悩んだ末に俺たちが決めたのは起きている人のいない夜明け前に教室で、ということだった。
移動している間に陽が出てきたのか、四年の教室に着いた頃には空が明るくなり始めていた。窓の前に立って外を見ていた喜八郎が声をかける前にこちらを振り返り、ゆるく結ばれている髪がふわりと風をまとって揺れた。
「おはようございます、久々知先輩」
……うん、おはよう喜八郎」
「? どうかしましたか?」
「ううん、可愛いなって見惚れてた」
……そうですか。日の出が早くなってきましたね。もうこんなに明るい」
喜八郎はくるりと身を翻してしてまた窓の方を向いてしまった。いつもは可愛いって真正面から言っても気にしないで流すのに、なんでか今日は照れたらしい。
つっついたら、怒っちゃうかな。せっかく作った二人きりの時間を無駄にはしたくなくてどう反応すればいいか迷う。迷うけど、俺は教室の中に入って喜八郎の隣に並び、ちらっとその横顔を盗み見た。
……喜八郎、こっち向いて」
「いやです」
「もうみんな起きてきちゃうよ」
……余計なこと言ったら殴ります」
「了解」
ゆっくり俺の方を向いた喜八郎は頬を淡く染めていて、俺が口を開こうとすると無言のまま拳を振り上げた。まだ何も言ってないのに。
「どこからどこまでが余計なこと?」
「久々知先輩だったら発言全てが余計なことになる可能性があります」
「それだと喜八郎と話せなくて困るんだけど」
……
ぽすんと弱い力で拳をぶつけられる。どうやら今のも少し余計なことだったらしい。難しいな。
「座って話そうよ。手を触ってもいい?」
……はい」
「ありがとう」
ゆるく握られた喜八郎の手は俺が触るとぴくっと震えた。俯いている喜八郎に気が付かれないよう口の端だけに笑みを浮かべその手を優しく包み込む。
大切にしたいと思っている好きな子を、分かりやすく大切にしてあげられるこの瞬間が好きだった。みんなに優しい先輩じゃなくて喜八郎だけを特別に大切にしているんだって、喜八郎に伝わっているかは分からないけれど。
手を繋いでその場に腰を下ろすと喜八郎はふぅと小さく息を吐いた。深く知り合う前はあまり緊張をしない子だと思っていたけれど、ただ分かりやすく顔に出ないだけでよく見れば表情以外の仕草にだって彼の内面は滲み出ていた。俺と一緒の時は、特に。喜八郎とずっと同室として過ごしている滝夜叉丸には正直負けるかもしれないけれど、それでも俺は喜八郎のことを他の誰より見ていて、たぶんそのかすかな変化にも気づけている。
じっと見つめていたら喜八郎が顔を上げてこちらを向き、俺と目が合うと目を丸くして、だけどそれを一瞬で無表情に隠した。笑ってしまいそうだった俺の方がたぶん上手にいつも通りの顔を作れてるよ。
……久々知先輩」
「うん? どうした?」
……明日から、五年生はしばらく外で実習だと伺いました」
「あ、うん、そうなんだ。後で言おうと思ってたんだけど、もう誰かに聞いてたんだな」
「怪我なく無事に帰ってきてくださいね」
「うん。……明日、朝早くて会えそうにないからいってきますは言えないんだけど、帰ってきたら喜八郎のところに行くから、おかえりって言ってくれる?」
二人きりの時だけ、喜八郎にだけ使う甘えた声音でそう言えば、喜八郎はふっと笑って俺を見た。優しく細められる瞳は、たぶん、俺専用。
「いいですよ。明日の朝会えないのなら先に言っておきます。いってらっしゃい、早く帰ってこないと先輩のこと忘れちゃいますからね」
「ふふ。うん、いってきます。忘れられないようにすぐ帰ってくるよ。六年生は学園にいるはずだけれど、喜八郎も無事でいてね。あと穴を掘り過ぎて他の人に怪我をさせないように気をつけて」
「目印は置いています」
「そうだけどさぁ。最近よく穴に落ちたって話を聞くよ。また腕が上がったんじゃないか?」
……それは」
言葉を切って目を逸らし、喜八郎は唇の先をちょんと尖らせて黙り込んだ。じっと一点を見つめて動かない視線。こういう時の喜八郎は、頭の中でたくさんのことを考えているんだと知っていた。だから俺はそのまま急かすことなく喜八郎の考えをまとめるのを待って、でもあまりにも黙ったままでいるからごめんねと思いながら「喜八郎?」と声をかけた。ちゃんと喜八郎のことを待っていてあげたかったけれど、今日はもうあまり時間がないから。
……暖かくなってきて草木が増えてきたでしょう。何もない真っさらな地面より穴の痕跡が見つけづらくなっているんだと思います」
「なるほど、確かに。でもやっぱり穴を掘る技術だけでなくて隠す技術もきちんと成長しているからだと思うよ。誰かが落ちて怪我をしてしまうのは良くないけど、喜八郎にしかできないことだ。尊敬する」
……そうですか」
……また照れてる」
「先輩、僕、余計なこと言ったら殴るって言いましたよね?」
「ふ、あははっ、ごめんごめん、だってすごい可愛い顔してるから」
喜八郎に膝を叩かれて俺は笑い声をあげた。喜八郎が遠慮なくじゃれてくるのが好きだ。学年が一つ違うだけでも俺たちの立場は全然違って、でも喜八郎が歳の差なんて関係なく俺を扱ってくれると、俺はその度にただ一人の人間として喜八郎の前にいるような気持ちになる。年上として喜八郎をリードしたいってもちろん思うけど、先輩とか後輩とかどうでもいい関係の二人でもいたい。
緩んだ顔をもう一度は隠せそうになくて、俺は口元に笑みを浮かべたまま喜八郎の瞳を覗き込んだ。
「喜八郎、好きだよって言うのもだめ?」
……
「だめじゃないんだ。よかった。大好きだよ」
「よく照れもしないでそんなこと言えますね」
「どうして? 思ってることを言っているだけだよ。……喜八郎は俺に好きだって言うのは照れるの?」
……どうでしょうね」
「試しに言ってみていいよ」
「言わせたいんですか?」
「言わせたいんです」
……ふーん」
「ふふ。言ってくれないの?」
すんと澄ました顔をしているけど、本当になんにも思っていないわけじゃないんだって分かる。照れてるのとはちょっと違いそうだな。喜八郎も好きって言いたい、とか? 俺の欲が入りすぎた予想に自分でちょっと笑って、もっと喜八郎のことを分かりたいなと思いながら彼のことを見つめた。繋いだ手がとてもあたたかくて、このままずっと離したくなくなる。
喜八郎といる時はいつも以上に時間が経つのが早い。視界の隅できらきらと光が瞬いて喜八郎から視線を外して見ると、空はすっかり明るくなって眩しい陽の光が教室の中に差し込んでいた。
「あ」
「? なんですか?」
「もう時間みたいだ。そろそろ戻らないと」
「え? ……本当だ。もうこんなに明るい」
「どうしよっか、一緒に戻る? 喜八郎が先に戻る?」
「先輩が先です。四年生の教室に一人でいたら変でしょう」
「んー、一緒に戻るのは?」
「だめ。誰かに見られたらなんて言うつもりですか」
「たまたまそこで会ったんだって」
「そんなたまたまはありません。ほら、早く戻ってください」
「あはは、はぁい」
二人で立ち上がって、窓を閉めてからもう一度向き合って目を合わせる。それじゃあまた、と言おうとした俺より先に喜八郎が声を上げた。
「来週、また朝に会えますか?」
目を逸らすことなく伝えられたその言葉は、言い換えれば「また会いたい」になるだろう。俺たちが二人きりでいられる時間はとても少なくてどれだけあっても足りなかった。またねと別れた瞬間から次に会える時を待ち望んでしまうのは、きっと俺だけじゃないんだ。
「ああ、もちろん。喜八郎を待たせないように今日より早く来るよ」
「それじゃあ僕はもっと早く来ます」
「ふ、そんなに俺に会いたい?」
……会いたいですよ」
「え。……そ、そっか」
……好きって言うのは照れないくせに、なんで今ので照れるんですか」
「照れてないよ……
「無理があります」
……俺も、会いたいよ」
「はい」
……喜八郎は、これは照れないんだ……?」
「お付き合いしてるんですから、会いたいのは当然でしょう」
「かっこいい……
「どうも。それじゃあ」
「好きって言っておかないで平気?」
俺から逃げるように開いていない窓の方を向いてすぐにでもさようならと言い出しそうな喜八郎にそう声をかければ、ぴたりと動きが止まってゆっくりと振り向き、可愛らしく拗ねた表情で喜八郎は俺を見つめた。
…………言われたいだけでしょう」
「うん。だって付き合ってるんだから、当然だろ?」
……実習から無事に帰ってきたら、試しに言ってあげてもいいですよ」
「いいね、そうしよう。約束だよ」
喜八郎の手を取って小指を絡める。触れているのはほんの少しだけなのに、手を繋いでいた時よりも熱っぽい体温を感じて心臓が高鳴った。手だけじゃなく、他のところにも触れたいし触れてほしい。だけど今はやっぱり時間がないし、授業を放り出すわけにもいかない。
昂った気持ちを冷静に押さえ込んで喜八郎を見ると、喜八郎も俺のことを見ていた。体温よりも熱い視線を絡ませる数秒を記憶に焼き付けて俺はパッと手を離す。
「いってくるね、喜八郎」
……はい。いってらっしゃい、久々知先輩」
怪我なく帰ってくるから、待っててね。喜八郎に「ただいま」を言うためなら、きっと他の誰よりも早くここに帰って来られるよ。