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冰秋
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冰秋 俳優(記憶有)×俳優(記憶無)の二人がドラマ版さはんを撮影する話
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「カーット!次の現場に移動します!」
撮影現場に監督の声が響き、張り詰めた空気が途切れた瞬間、沈垣は肩の力を抜いた。
ここは人気BL小説"人渣反派自救系统"の実写ドラマの撮影現場である。
仙侠ものとあって、舞台背景や衣装小道具など拘りが多く、BLものの割には本格的な時代劇としてかなり予算を割いている作品だった。
「師尊、お疲れ様です」
「あぁ、冰河もお疲れ」
次の現場に向かうためにロケバスへと向かおうとしていた矢先、沈垣を呼び止めたのはこのドラマにおける主役、洛冰河だった。
芸能界に現れた超新星、洛冰河。
その名を知らぬ者は居ないと言われるほど、あらゆる媒体で彼を見ない日は無い。
長身で鍛え抜かれた身体、太く凛々しい眉と高い鼻梁は凛々しく男性的だが、ぱっちりとした二重と長い睫毛に縁取られた瞳はきらきらと輝きを放ち、どこかを愛らしさを感じさせる。
そんな美しさの権化である男は、あらゆるメディアから引っ張りだこであろうに、よりにもよって一般的受けはしないであろうBLドラマの主役を務めているのだ。
無名の新人俳優がオファーを受ける事はあるものの、すでに売れに売れている洛冰河がBLドラマに出演するなど、ある意味ブランディングに傷が付くというものだ。
男とキスをして、匂わせる程度といえど濡れ場も多少はあるというのに、仕事を選べる立場の男が率先して受ける内容ではない。沈垣はそう思っていた。
「師尊、実は移動の時につまめるようにお菓子を焼いてきたんです!召し上がって頂けますか?」
「お!冰河のお菓子美味いんだよな〜頂くよ」
ロケバスの最後尾に二人並んで腰掛けると、洛冰河はいそいそと手作りのお菓子を手渡した。この男、顔もいい上に料理まで上手いのだ!
二人はこのドラマで初めて顔を合わせたが、初日から好感度がカンストしている様子の洛冰河に、沈垣はただただ圧倒されていた。
休憩の度に沈垣へと駆け寄り、付き人のように甲斐甲斐しく世話を焼いている。
そこそこの知名度で留まっている沈垣と違って、当然洛冰河はこのドラマ以外にも仕事があり、忙しい筈の時間を縫って好意を表してくれる事が沈垣の胸をくすぐった。
芸能界では顔は良いものの性格は一癖ある人間が殆どであった。それなのに彼はこんなにも健気に、自分より先輩というだけで沈垣を慕ってくれている。可愛くないはずがなかった。
「お口に合いますか?」
もそもそとマフィンを頬張りながら、キラキラとした瞳で自身を見つめる男を眺め見る。
「ん、おいひい」
口内の水分を奪われながら返事をすると、すかさずミネラルウォーターが差し出される。顔が良い上に、気まで使える良い子なのだ。
有り難く水を受け取り喉を潤すと、洛冰河はうっすらと熱を孕んだ瞳で濡れた桃色の唇をじっとりと眺め見た。
沈垣は芸能界のキャリアが長い為に、こういった新人が主役を務めるドラマの準主役に選ばれやすい。主役を張るほどのフレッシュさはないが、人当たりしやすい柔らかな物腰が重宝されるのだ。当然、容姿も芸能界で長くやっていける程には整っていた。
今回のドラマも当初は洛冰河ではなく、無名の新人俳優が主演を務める筈であったが、急遽洛冰河側の申し出により変更されたと聞いている。
芸歴は沈垣よりは短く新人の範疇には当てはまるものの、最早実力は抜かされている。
ならば、沈垣の役も洛冰河に合わせて選び直した方が良いのではないかと監督に申し出たが、何故か顔色を悪くした監督はそのままのキャスティングでと撮影を強行した。
「この後、キスシーンがあるけど、冰河
…
本当にいいのか?なんなら、キスしてる風に見せるようにカメラの角度を変えて貰うけど」
売れっ子俳優に傷を付けてはならないと、沈垣はどうにか触れ合いが少なく済むように提案する。
洛冰河と沈垣の年齢は大きく離れている。三十路手前のおっさんにキスするってどんな気持ちなのだろうと、考えてもゾッとする。
「いえ、大丈夫です。
…
ですが、師尊
……
俺はキスの経験がなく
……
練習させて頂けませんか?」
「え?」
その顔で?
ありありと顔に出ていたのだろう、洛冰河は頬を赤らめながら、お恥ずかしながら
…
と小さく告げる。
女を3000人も抱いてそうな顔面で、童貞?
一気に親近感が増した瞬間だった。
「い、今までのドラマでキスとか無かったのか?」
「はい!事務所の方でNGにしてまして」
だったら何で今回は了承したんだよ!!
沈垣は脳内で激しくツッコんだ。
今までの洛冰河の出演作であらゆるタイプの女性と経験出来る機会があったというのに、何故、何故、BLもので初めて事務所NGを了承したのだろうか!
「師尊、いいですか?」
「お、おま
…
初めてがこんな三十路間際のおっさんでいいのかよ
…
」
「はい、師尊がいいんです」
そう言って洛冰河の顔面が近付き、柔らかな唇が重なった。二人っきりのロケバスの中でひっそりと唇を交わす。
分厚い唇に何度も唇を喰まれながら、沈垣は瞼を震わせた。ちゅ、ちゅ、と軽いリップ音がロケバス内に漏れ聞こえ、外のスタッフ達の声が遠くから聞こえた。
「ん
……
」
「っ、師尊
………
」
ぞくりと背筋に快感が奔り、沈垣は鼻にかかった声を小さく漏らす。初めての割には上手い、と思う。沈垣もあまり経験がない為、人の評価などできなかった。
どれだけ唇を交わしていたかわからないが、スタッフがロケバスに近付き扉が開いた瞬間、二人の体は離れ距離が生まれる。
「師尊、ご教示ありがとうございました」
「うん
…
」
潤んだ瞳を誤魔化すように、沈垣はぼんやりと窓の外へ視線を走らせる。
そういえば、この後撮る予定のキスシーンは洛冰河が荒々しく唇に噛み付くシーンであった。
決して先程のような甘いキスではない。そもそも、洛冰河は原作に下手くそという描写がなかっただろうか?ならば練習などする必要がない。むしろ、下手くそのまま挑んだ方がよりリアリティが増すものだ。
その事実に気がついた沈垣はスタッフがいる手前、声に出して非難できず、となりで笑みを浮かべる洛冰河をじっとりと睨み付けた。
視線が重なり合い、沈垣の瞳に乗せられた非難の意図に気が付いたのだろう、洛冰河は申し訳なさそうにするどころか、煽る様に自らの唇を舐めて見せたのだ!
「な
………
っ!」
わなわなと眉を寄せる沈垣に向け、洛冰河は甘く蕩けるような笑みを浮かべた。
やはり芸能界は一筋縄で行かない人間が蔓延っているようだ。
◇
「師尊
……
謝りますから無視しないでください
…
」
「
…………
」
「師尊
………
ぐすっ
………
」
先程から場所は変わり、竹舎の隅で洛冰河を避けるように休憩していた沈垣を追いかけてやってきた男はまるで捨てられた犬のように悲壮感を漂わせていた。
沈垣は先程のキスを洛冰河の揶揄いだと位置付けていた。この顔面で童貞な筈がない、まんまと騙された。
…
ちょっと上手かったし?
歳上を揶揄うなど言語道断である。お灸を据えるつもりで撮影の事以外の私語を避けていたら、この有様である。
鼻を啜る音が聞こえ、沈垣の心が揺らぐ。また演技だろうか?だがもし本当に泣いていたら?
意を決して振り向くと、長い睫毛が涙に濡れ美しく輝いていた。
「
………
泣くのはやめなさい、撮影に響く」
「撮影なんかより、貴方に嫌われる方が大事なんです!」
「だったら何で嫌われるような事をするんだ、歳上を揶揄うな」
「申し訳ございません
…
その、師尊と口付け出来る事が嬉しくて
…
気持ちがはやってしまい
…
」
「はぁ?」
「俺はずっと貴方と共演出来るのを楽しみにしていたんです」
どう言うことか問いただそうとした時、撮影開始の声がかかり続きを聞く事は叶わなかった。
奇しくも例のキスシーンに差し掛かり、沈垣は複数のカメラの前で洛冰河に唇を奪われていた。
沈垣とて今までのドラマで口付けのひとつやふたつ経験はあった。だが、所詮ドラマの撮影は唇の端に軽く触れるのが殆どで、今回もがぶりと犬に噛まれる様なものだと認識していた。
所が蓋を開けてみればどうだろうか。
「んぐ
……
ふ、ぁ
……
」
「
………
」
こいつ、勃ってやがる!
腰を引き寄せられ、洛冰河の昂りを押し当てられながら唇を塞がれる。台本には噛み付くようなキス、とだけ書かれていたのに、唇ごと呑まれそうなキスの後、激しく口腔を荒らされる。
ディープキスだなんて聞いてないんですけど?!
沈垣は驚きの余り硬直し、されるがまま唇を貪られる。原作よりねちっこくないか?!監督何をしているんだ!早く、早くカットをかけろと脳内で罵倒する。
たっぷりと沈垣の唇を味わい唇を放すと二人の間を銀糸が伝う。洛冰河は興奮により据わった瞳を隠しもせずカメラを射抜いた。
その瞬間「カーット!」と監督の声がかかり、沈垣は洛冰河の腕の中で身体を震わせた。
「っは
……
はぁっ
……
」
「師尊、大丈夫ですか?」
全くもって大丈夫ではない、沈垣は腰が抜けていた。洛冰河の太い腕に抱き寄せられた腰は未だ密着し、互いの昂ったものが布越しに触れ合っていた。
赤く上気した頬と濡れた唇は目に毒で、洛冰河は思わず生唾を飲み込むと監督に「熱を覚まして来ます」と告げ、腰の抜けた沈垣を抱えると颯爽と去っていった。
主演の二人が消えた途端、スタッフ達は狼狽を隠しもせず口々に感想を述べ始めた。
「え、エロかった
……
」
「監督、AVでも撮るつもりなんですか?」
「下手くそじゃないのって原作改変なんじゃないですか?」
顔色が悪いままの監督はスタッフに詰られながら、口を引き結ぶ事しかできなかった。
何故ならこのドラマの影のスポンサーは洛冰河であり、更には原作者に直談判し洛冰河の性技の下手くそ設定を改変する許可をもぎ取って来たからだ。いくらBLドラマといえど、あんなAV紛いのねちっこいキスは地上波では放映出来なかった。
脳内で編集点を探しつつ、無修正版は円盤で高値で出そう、そう算段するのであった。
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