望月 鏡翠
2025-03-18 10:58:38
4703文字
Public 世界観共有
 

任務記録:D11425319案件の協力者

世界観共有/ダーリンランデヴー!


 死人が生き返ったせいで、この世のナンセンスの定義は丸ごと変わってしまった。
 死後に人がどうなるのかという問いは、人類に残された最後の謎であり、人の生命倫理の聖域を作っていたのだろう。

 Q.人は死後にどうなるのか。
 A.生き返ってくる。それが悪人で、とびきり運が良ければね。

 死者を貶めるような笑えない冗談ですら、今となっては冗談ですらないただの事実になってしまった。誰も笑わない。
 エンターテイメントの業界は混乱する世界を置き去りにして、走り出していた。オルドボルターに新たな生命倫理の線が引かれる前に、華々しく登場した異能の存在を歓迎し、そして規制が始まる前に、地下に潜った。
 ナンセンスな金持ち専用の秘密クラブは、ダーリンの持つ異能を歓迎する。Ag47の業務は、倫理観に欠けた人の悪趣味に口を出すことではない。だが、そこに地獄から帰ってきた異能者であるダーリンの存在がチラつくというのであれば、話は別だ。
 表向き会員制のレストランであるその店は、万が一にも外から覗き見られぬように、地下に店舗を構えている。それは内部の広さを、外観から察されないための工作でもあった。
 開店時間になると店の前に車が行列を作る。遊園地のカート乗り場のように、一人降りたら次の車が店の前に横付けをして、ドアを開く。
 まず黒服が二人降りてきた。
 そのあとから彼女が車を降りるとき、時の流れが緩やかになった。
 つま先が、オルドポルターの薄汚れた地面を恐る恐る踏みしめる。
 労働も日焼けも知らない白い手を手を差し出す。
 エスコートをするものがいることを疑いもしない動きだったし、世界の理がそう定まっているかのように彼女の手は付き人の黒服に握られた。
 きっと彼が手を取らなかったとして、別の誰かが握っただろう。
 初めて夜を見たような顔で周囲を見やり、しかし車と黒服が並ぶだけのそこに、彼女の興味を引くだけのものはなかった。
 レストランの受付が名前を問う。
 用意されているリストは二つある。一つはレストランに来店予定の会員の名前。そして、もう一つの店に入店できる会員のリストである。五十音順でも会員番号順でもない不自然なリストは、仮に捜査の手が及んだとしても、名簿が二つあったことを悟らせないためのものだ。
 二枚目だけが、特別会員リストとなっているのである。
 受付はその美しい女の名前と顔、ここで名乗るであろう名前の方も既に知っている。しかし、形式に則って名前を求めた。
 事前に取り決めていた名前を告げ、リストに記載されている名前の中から探し出し、裏の店に案内する。そういう段取りになっているはずだ。
 しかし彼女は、何を聞かれているのかわからないという顔で首を傾げた。受付の顔が引き攣り、もう一度同じ内容を聞く。
 店の警備が顔を見合わせる。その頭には万が一の事態が浮かんでいて、それに備えて身構えた。
 左右に控えている黒服も顔を強張らせた。二人であれば、彼女が名乗るべき名前を覚えている。しかし連れに名前を聞いたら、彼女は自分の名前を覚えていないと言っているようなものだ。
「お名前をお伺いいたします」
 彼女は困ったように首を傾げ、そっと顔を寄せた。甘い匂いが鼻先に漂い、受付はたじろいで後ずさったが、後ろは壁だ。
「私の名前ね、秘密なの」
 内緒話をする少女のように、手で口元を隠してこっそりと囁いた。
 受付はその距離の近さに動揺しながら、手にしていたリストを傾け、ペンの先で名簿を指差す。そこに書いてあるのが、彼女の名前だった。
 彼女はそれを読み取ると、周りに聞こえるようにはっきりと名乗る。
 警備の緊張が解け、周囲の黒服が安堵した。
「では、ご案内します」
 席に案内するために扉を開けて奥に招く。
 普通の客であれば、受付が案内のために持ち場を離れることはない。スタッフに引き継げばいい。しかし特別なリストに載っている客は別だ。途中で道が別れる。
 専用のカードキーがなければ止まらない階へと案内する。この権限が与えられているのは、店でも信頼が置けると判断された人間にしか渡されていない。
 リストの名前と、受付による顔の確認。その二つを経て、ようやく踏み入れることができる場所だった。
 ただの廊下に、物々しい警備はない。そこで黒服と受付は息を吐いた。女だけがゆっくりと、彼女が一番歩きやすい速度で歩いた。
「助かりました」
「いえ、バレたらこちらもまずいことになるんです」
 本来であればリストにない人物を、秘密の店に入れているのだ。
 捜査が入ったときのことを考えて隠しているような類の店である。見つかったら次のショーの生贄にされるに違いなかった。
 娯楽に飽いた金持ちはいつだって刺激的なショーを求める。
 新たな刺激は、ダーリンが提供してくれる。ここでなら、異能を使って人を殺す様を眺めることができるのだ。
 管轄外ダーリンと存在と異能の調査。そしてその生活の手助けをする都市指定要監視人物を割り出すためにやってきたAg47の職員が彼らだ。
 受付はそこで働いているが、そこで行われているショーが、手の込んだただの手品かダーリンの異能によるものなのかを判断することはできない。高度に発展した技術は、その文明レベルに達していない人間から見れば魔法と見分けがつかないというが、高度な技術が存在する世界においての魔法もまた、それと見分ける手段がない。
 故に彼らが調査にやってきたのだろう。
 ここで行われていたのがただの殺人だった場合は、彼らの管轄外ということになる。通報するのかそれとも自らの意志で立ち向かうのかは、現場にいる彼らの倫理観に委ねられている。
 しかし受付の目から見て、やってきた女は捜査官らしくなかったし、人助けをしてくれるようにも思えなかった。
 ナイフとフォークより重たいものを持ったことがなさそうな指先もそうだが、何より雰囲気が正義に燃える捜査官のそれではない。危険を犯してまで手助けする意味はあったのか、受付は役職に見合わぬ勇気を後悔し始めていた。
 ホールへ至る扉に辿り着くと、黒服との歓談は終わった。親しいそぶりを見せるのは不自然だったからだ。
 悪趣味を人に知られないようにするために、ゲストの多くは仮面舞踏会のように顔を隠している。実際そんなものをつけていても知り合いがいれば分かってしまうものだが、知らないふりをして扱ってくれという暗号のようなものだ。
 そして顔を隠していないゲストは、悪趣味がステータスになる裏社会の人間であることが多い。
 その中に投げ込んでも、目の前の悪人や今まさに死のうとしている人をさておいて、場に馴染むことができる胆力は確かに驚嘆に値するものだった。
 女はホールに入った瞬間に衆目を集めた。潜入捜査なんて嘘のように、全ての人間の目を集めて、目立っていた。
 それほどに美しかったのだ。
 顔を隠したくらいでは、少しも翳りはしなかった。柔らかな体のラインだけでも、人目を集めるには十分だった。誤魔化しのない豊満な肉体はドレスが美しく彩っている。薄暗がりの中では、肌の白さが余計に目立つ。
 目元を隠しても、その唇が自分のために言葉を発して欲しいと思う男は多いだろう。仮面の奥の瞳が見つめる幸運な男は誰だろうと、嫉妬をすることだろう。
 しかし彼女は付き人の黒服を連れているだけで、一人だった。
 皆に見られている女だけが、見るものは何もないと言いたげに、ため息をついて席につく。その動きに合わせて椅子を引いて、完璧なタイミングで膝の裏に添えれば、受付の仕事は終わりだった。
 本来の仕事に戻る。入り口でゲストを出迎え名前をきき、上着や手荷物を預かる。その繰り返しだ。
 実際にショーで何をしているのか。受付は知らなかった。見たことがないのだ。本当に人が死ぬところ目の当たりになんてしてしまったら、今の仕事は恐ろしくて続けられなくなってしまうような類のことには違いなかった。
 一時間ほど経っただろうか。
 階下からインカムに連絡が入り、受付は今対応中のゲストを別の人間に引き継いで慌てて下に降りる羽目になった。一名、外に出たがっているのだという。
 ショーの内容から、体調が悪くなって中座する人間は時々いる。しかしそれが潜入させたはずのあの女だったのだ。何かあったのかと思うに決まっている。
 付き人の黒服二人はいない。ホールに残って仕事をしているのだろう。エレベーターホールにいたのは、彼女一人だった。
「どうしたんですか?」
「退屈だわ」
 仮面を外す。物憂げに目を伏せ、頬に瞼の影が落ちている。
 職務と、彼女が所属する組織が信じるであろう正義と、退屈。彼女が天秤に乗せたそれぞれの重さのバランスが受付には理解できなかった。
 ただ仕事をした方がいいのではないかとホールに押し戻す権限がないことは確かで、夜風に当たりたいという言葉に従って一度外へ案内した。
「今日、寒いのね」
 夜風の中に白く息を吐き出す。
 何かをしろと言われたわけではなかったが、肩を抱いて震えるのをみたとき、その方に上着をかけてしまっていた。
 彼女のものではない。クロークに預かっていたゲストの上着だ。こんなことをしていいはずがない。ないが、そうするべきだと思ったのだ。
「他の二人は?」
「もう直ぐ上がってくるわ」
「そうですか」
 エレベーターを動かさなければと思ったが、スタッフは一人ではない。入るのはともかく出るのは難しくなかった。付き人が主人を追いたいといえば、誰か他の人間がやるだろう。
 もう少しここにいたかった。
 二人きりになれたことを、素直に喜びたかった。
 彼女がこの任務に選ばれたのは、気まぐれにショーを中座しても不自然ではないからだったのかもしれない。気分を悪くして風に当たりに外にでる。戻ってこない主人を心配して、付き人二人が後を追う。これで調査を終了したら、速やかに外に出ることができる。
 黒服二人が、下から戻ってきて合流した。
「任務は終わりですか」
「ああ、協力感謝する」
 寿命な縮みそうな仕事が終わり、受付は安堵のため息を漏らした。あとは車に乗って帰る彼らを送り出せばいいだけだ。
 車に乗り込む直前、黒服二人の囁き声が耳に入った。
「やはり、彼女が適任だったな」
「あいつはどうする、消して行くか」
「スタッフがいきなり消えたら、警戒される。そのままでいい。大丈夫だ。彼は何も知らない」
 車が走り去る。
 受付は彼らの話が理解できなかった。一体何の話をしているのか。
 自分の手を見下ろし頭に手を当て、何のために何をしてきたのかを思い返す。彼女のために何かをしたいと思った。役に立たねばと。
 だからリストに名前を書き加えたし、潜入を手伝った。上着もその肩に掛けた。
 風が火照った頬を冷やしていく。その姿が視界から消え、遠ざかるごとに冷静になっていく。
 彼女の名前が本名でないことは知っている。しかし、彼女の本当に名前すら知らなかった。
 あとに残されたのは、職場を裏切った事実だけである。
 ただ、不思議と後悔はなくせめて名前くらいはと、そう願いながら遠ざかっていくテールランプの光を見ていた。