トニックトニックトニックトニックトニックトニックトニックトニックトニック どこかの地の果て。けして大きくはないが、小さすぎもしない街にその建物はあった。
人々が暮らす家が立ち並ぶ住宅街から少し離れた場所、赤煉瓦の二階建てが静かに佇んでいる。装飾はほとんどないが、時を経た煉瓦がわずかに色褪せ、落ち着いた風情を醸し出している。
この建物は、名を持たない。ある人は「なんか色々ある場所」、またある人は「目の保養ができる場所」と表現するが、主はそれでよしとしている。おそらく、今後も明確な名前はつけられないだろう。
その主が一階にいるならば、入口の真っ黒な木製の扉が開かれる。新しい客を迎え、あるいは通りすがりの風を招くように。しかし、今は閉じられていて一切の訪問を拒絶しているかのようだ。
扉の奥には、壁に沿うように陳列棚が置かれ、様々な所から集められたと思しき品々──涙型の淡く色づく宝石のようなもの、透明ケースの中で小さい山が作られている金貨のようなもの、元は球体状だったのだろうと見て取れる石のようなものの破片、等々──が静かに並んでいる。それらの説明はなく、名前も記されていない。品物によっては下敷きにクッションが置かれているが、そのデザインはバラバラであるため申し訳程度なのだろう。それらが何なのか詳しく知られる必要はない、ただ置かれているという様子だ。
さて、二階は質素な住居スペースだ。階下は天井高く造られていたが、こちらは低めの天井と木の床がどこかぬくもりを感じさせる。壁に沿って置かれた家具の中には、一人で寝るには少々不釣り合いな大きさであるベッドが、静かにその存在を主張していた。
小さな窓から覗く空は、建物の簡素な作りとは裏腹にどこまでも広がっている。そんな空をじっと見つめているのが、この建物の主である。木製スツールに座り、窓縁に肘をつき、頬杖をついてぼんやりと外を眺めていた。
「おおい」
下から呼び声がする。少し身を乗り出して見ると、女性が笑顔で手を振っていた。ふっくらとした体つきにシンプルな麻のエプロンドレスをまとった彼女は、主の顔見知りである。
窓が開け放たれているので、主がいると思ったのだろう。案の定、主はそこにいた。
手を振り返すと、今行きますと声をかけて階下へ急ぐ。まだ窓や扉を開けていなかったため、少し空気がこもっている。それを感じつつ、掃除でもしようかと頭の隅によぎらせて扉を開けた。
「おはよう、
トニック!」
「おはようございます、マーシャさん」
トニックと呼ばれた建物の主は、人懐っこくも格好つけたような笑みを浮かべ、女性──マーシャに挨拶を返す。マーシャは、多少距離はあるが一番近くに住まう、いわゆる肝っ玉母さんだ。この建物の先代主からの付き合いがあり、
トニックに代替わりしてからも世話を焼いてくれていた。
「うんうん、やっぱり畑仕事のあとはあんたの笑顔だね!」
「畑がマーシャさんから栄養をもらうように、俺の栄養もマーシャさんの元気な姿ですから」
普通の人なら照れ臭く思うような言葉にも、
トニックは歯が浮きそうなセリフを返す。それが
トニックである。以前は人が寄りつかなかったこの場所も、その気障な言い回しをしてしまう癖のせいで今や人が集まる場所となった。とはいえ、気ままに扉を開け放つので、街の人々は開いていたらラッキー程度に思っている。
「嬉しい事言ってくれるわねぇ! 今日はたくさん野菜を持ってきたし、サンドイッチもね。隣のエリザからベリーのジャムももらったから、それも入れておいたよ」
木の籠を受け取ると、ずっしりとした重みを感じたが、気にせずに感謝の言葉を口にする。
「エリザさんにもお伝えください。お礼に美味しい飲み物を用意してお待ちしてますって」
「そんなことしたらまた一日入り浸っちゃうじゃないの!」
あはは、と笑いながらマーシャは
トニックの腕を軽く叩く。
トニックとしては、入り浸ってくれても構わなかった。どうせ一階で暇をしているのだから。品々を置いているが、厳しく監視する必要はない。これらを
盗んできた本人が、気にしなくて良いと言っているからだ。
落ち着いたらまた来るね、と言ってマーシャは手を振りながら去って行った。
トニックは変わらぬ笑顔で手を振り返す。彼女の姿が見えなくなると、ふぅ、とため息をついた。
(まあ、今日も待ち人来ずだろうな)
幾日も扉を開け放っていても、現れて欲しい人物はなかなか現れない。現れたとしても、真正面のドアから入って来る姿を見たことはないが。
身支度が最低限であったため、そのままにしていた長い髪を掬いあげる。今は背中の半分ほどの長さだ。
(これがどこまで長くなるか
……。まあそれはそれで楽しみではあるけど、さすがに地面に着いたら切ることにしよう)
もう開けたも同然だしなと思い、ストッパーをつけてドアを開け放ったままにする。奥のカウンターに籠を置いて、再び二階へ。
簡素なキッチンのコンロに火を入れ、銅の鍋に水を入れる。その間に髪の毛を半分結い上げ、小さな団子を作って鏡を見ながら自分を褒めるのがいつものことだ。
くつくつと煮立つ水音が耳に届けば、再びコンロ前に戻る。お気に入りのカップにフィルターを置き、茶色い粉をひとすくい。温かな水をゆっくりと注ぐと、粉が膨らみ、豊かな香りが立ち込める。その液体は深い色を持ち、カップを手で包むと温かさがじんわりと伝わってくる。香りは部屋いっぱいに広がり、ようやく
トニックは柔らかな笑みを浮かべた。人前では格好つけた笑顔になりがちだが、気を抜くと可愛らしい一面も見せる。そんな姿を街の人々が見られるのは、きっと稀だろう。
カップを手にして一階に戻る。カウンター下に置いていた皿を取り出し、それにサンドイッチを並べる。手を合わせて日々の恵みや人々に感謝し、サンドイッチへと手を伸ばした。
さて、今日は待ち人来たるか、待ち人来ずか
——期待はしないでおこう。
口いっぱいにほおばったパンと具材をしっかり咀嚼しながら、ふと思い出す。窓を開けるのを忘れていたな。
そんな、なんてことのないことを考える一日の始まりであった。
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2. 約束のない贈り物▸彼らのスタンス
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