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Nagisa_burn
2025-03-15 00:34:26
80262文字
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メモログ
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CP混在、タイトル無し多め、概要は各話の前に記載 お好きなものだけつまんでください
1
2
2024.11.02
雨一 千年決戦での訣別が尾を引いてわだかまりを残している話
一度目の見舞いの時は、会話が叶わなかった。夜も遅く、疲れが溜まっていたらしい一護は眠りについていたからだ。仕方がないと潔く諦め、包帯に包まれ点滴を打たれて眠る痛ましさに目を伏せながら見舞いの花だけ置いて行った。
二度目は阻まれた。病室の近くまで来たところで声をかけられ、振り向いた瞬間に殴り飛ばされたのだ。星が散る視界の中見上げた先にいたのは、氷よりもなお冷たい目をした真っ白い男だった。
「失せろ。今すぐにだ」
「
…………
君は、」
「二度は言わねえ」
黒い刀の鋒が喉元に突きつけられる。刃先は触れていないのに、纏う霊圧だけで肌が灼けた。垂れ落ちる血の感触に息を呑み、立ち上がって背を向ける。建物を出るまでずっと、金の目に睨まれている心地だった。
三度目は建物へ入ることもできなかった。踏み込んだ先の影に捕らわれ、状況も理解できないうちに流魂街の果てに落とされた。お世辞にも治安がいいとは言えない土地で、じゃり、と背後で石を踏む音がして。
「これ以上、あの子の心を掻き乱すな」
響いたのは、敵の首魁と似て非なる声、振り向いた先には誰もいなかった。ただ、向けられた殺意に全身が総毛立っていた。
―――
そして、四度。
阻むものは何も無かった。建物にも部屋にも入ることができた。時刻は夕方に差し掛かったところで、ノックには声が返った。名を名乗り、入室を許され、ようやく向き合って。
「もう来なくていい」
こちらが口を開くより先に、感情の乗らない声が落ちた。こちらと目を合わせず、シーツの皺を見つめながら、一護が言葉を続ける。
「それだけ言いたくて、斬月たちに我慢してもらったんだ。言うのは直接、俺の口からがよかったから」
「
……
黒崎、僕は」
「俺は!」
悲鳴のように震えたそれが部屋に響く。シーツに皺が増える。こちらを見上げたブラウンの瞳には、確かに恐怖が滲んでいた。
「
…………
助かったと、思ってる。最後、おまえがいなけりゃ勝てなかった。そうするためにおまえが向こうにいたのも、おまえの覚悟もわかってる。わかってるつもりだ」
「
…………
」
「でも、
…………
もう、嫌だ。だから、来なくていい。学校戻ったら、元通りだ。意味わかるよな。
……
わかんなくても、浦原さんとかに頼むけど」
「
…………
、
……
すまない」
「謝ってほしいわけじゃ、
……
。
……
いい、もう、なに言ってもしんどくなる。斬月ごめん、頼む」
「承った」
足もとに影が広がる。ぐっと引き込まれ、抵抗する暇もない。最後に見た一護の顔は苦しそうに歪んでいた。その口が、声を紡ぐ。
「おまえんちにある俺のやつ、捨ててくれ。聞かなくていいから」
ぶつん、空間が閉じる。暗い影のなかで目を閉じる。次に開けた時はまた流魂街か、近しい場所だろう。そして今度こそ、彼に会うことは叶わない。それだけ、一護の心を傷つけたのだ。
裏切りに裏切りを重ね、ヒビを入れて割り砕いて。ばらばらになったそれが、元に戻る日は来るのだろうか。けれど元に戻ったところで、傷つけられた事実そのものは消えないのだ。
雨の中で泣いて蹲る細い背中のことを、雨竜は知っていたはずなのに。
2025.01.12
ユハ一前提 再教育後の様子のおかしい黒崎くんの話 ⚠️たまご、男性妊娠描写
慈しむように腹を撫でているうちに、潰してしまえたらよかったのだ。
そうすれば状況はまだマシだった。母胎と繋がったそれを破壊することで起こることへの懸念事項は山ほどあるが、魂魄と肉体の損傷であれば白い斬月の範疇であり、出血の操作や霊圧コントロールについては黒い斬月の本領だった。だから、そうするべきだったのだ。
わかっていてもできなかったのは、利害や損得や是非よりも、あるじの想いを優先したせいだ。父のように母のように、心の底から愛しむ手つきで一護は腹を撫でていた。まだそこが薄っぺらいころからだ。宿った命をどうすればいいか人並みに迷ったが、それは"どう産むか"の悩みであり、堕胎については終ぞ一瞬たりとも考えることはなかった。そういうばかにお人好しでまっすぐな善性が己の身を滅ぼすことになるのだが、身を削って輝きながらひかるさまは流星の如く美しく、斬月たちに口を挟む隙などありはしなかったのだ。
時を経て、腹は少しずつ膨らんだ。やがて一護は腹の子が害される危険性に気づき、恐怖し、護るために行動を起こした。
十月十日には程遠い。孕んでから三月と九日で、一護はそれを産み落とした。鶏の子よりひと回り大きい球体の卵。母の身を気遣って柔らかな殻だったそれは、外気に触れるとみるみるうちに硬化した。白い斬月が王虚の閃光を本気で撃ってヒビが入るかどうかという強度の鋼皮と、黒い斬月にも太刀打ちできぬほどの静血装を掛け合わせて生み出された、考えうる限りの最高硬度を持つ殻になった。
「な、斬月も抱いてやってくれよ」
安全な檻に護られて、卵はすくすくと成長した。比類なき力を持つ奇跡の子が、惜しみなくその霊力を注ぐのだ。日に日に大きくなる卵は、今ではもう腕で抱えるほどになった。大きなベッドにクッションをたくさん重ね、その巣の中心に埋もれるようにして身を横たえる一護は、すこし痩せたその顔に満面の笑みを浮かべながら大事な我が子を差し出した。
「触れてると、声が聞こえるんだ。夢にも出てきてくれて、
……
はやく会いたいな」
「
……………………
そうか、」
絞り出せたのはひと言だけ。憎らしい卵を抱え、斬月は力を込めてひと撫でした。並の虚なら塵も残らぬ霊圧を押し当てても、ヒビどころか軋む音ひとつしない。まったく頑強なことだ。
卵を返すと、一護はいそいそと抱き込んで温めるようにして身を丸くする。そのそばに座り込んだ白い斬月が髪を撫でた。嬉しそうに笑う一護は幸福を体現している。
怒りをため息とともに飲み下す。王の幸福が第一だ。それが世界にとってどれほどの悪であろうとも、どれほど悍ましい事象でも。
斬月たちだけは、味方であると決めたのだ。それが、あの日一護をユーハバッハの手から護ることができなかった、愚かな騎馬ができる唯一の償いなのだから。
2025.01.19
雪に紛れぬ
白黒 破面パラレル
雪が見たいと言い出した一護を、白は黙って受け入れて連れ出した。極限まで霊圧を抑えるために、手を繋いで双方のコントロールを担う。言ってから"またやってしまった"という顔をする一護に落ち込ませる暇を与えないよう、さっさと黒腔をひらいて現世までの道を繋いだ。
大方、東仙あたりに聞いたのだろう。あの男は堅物で藍染を至上としているが、最低限の礼儀さえ尽くせば相手を下に見ず対等に扱う。現世について問われれば、懇切丁寧に教えてくれるにちがいない。
「雪、みれるかな」
「さあな。向こう着いたらすぐ移動するぞ」
「どこまで?」
「どこまででも。方角は北だ」
黒腔の端までたどり着く。空間から体を出した瞬間に、白は全速の響転で移動を開始した。難なくついてくる一護の手を引きながら、なるべく急いであの町から離れる。気取られてしまえば後が面倒であるし、なにより、空座町に長居して一護にどんな影響が出るかわからないからだ。
時折スピードを緩めながら、けれど足だけは止めず進む。やがて景色は変わり、ビル群は遠く過ぎ去って住宅地もまばらになり始めた。田畑が広がり、川があり、山があり、自然が満ちる。少しずつ少しずつ、空気の純度が高くなる。
「まだ?」
「もうすぐだ。疲れたか?」
「ううん。楽しみ」
隣で駆ける一護は笑っていた。それにうなずいて、繋いだ手の指の付け根を親指で擦る。くすぐったそうにした一護は、白に合わせてスピードを上げた。冷えた風を全身で受けて、屋根を、電柱を、木のてっぺんを踏み込みの足場にして進んだ先。
「
………………
これが雪?」
「知らねえ、見たことねえ。でもおまえは東仙に聞いたんだろ」
「うん、
……
ゆっくり空からふってくる、白くてつめたい氷のかたまりだって。冬はそれがつもって、いちめん、真っ白になるんだって」
「じゃあこれがそうだろ」
「うん」
山の上から見下ろした先は、すべてが白く染まっていた。樹氷と雪原が広がるそこは、命の気配がない。砂ばかりに覆われた虚圏と似て非なる白い空間で、一護は夢見心地に一歩踏み出した。繋ぎっぱなしだった手が離れ、急速に皮膚が冷えていく。
「きれい。ふわふわしてる。食べられるかな」
「食っても意味ねえぞ」
「ふふぇふぁひ」
「口ン中入れて喋るな。冷たいに決まってんだろ」
「味しない」
「してたまるか。かき氷とは違うんだよ」
「かき氷ってなに?」
余計なことを言った。目を逸らして、それから戻す。しゃがみ込んで雪を頬張る一護の隣に屈み、爪先で地面を削った。雪が柔らかいから、簡単に図が描ける。
「夏に人間が食うものだ。削った氷に甘いシロップをかける。シロップによって味が変わる。それだけの単純な食いモンだよ」
「しろ、たくさん知ってるな」
「おまえよりはな」
頭を撫でてやれば、一護は嬉しそうに目を細めた。ふわふわとした雪面に転がって、ごろごろと沈んでは楽しんでいる。そのさまを見ながら、白はかつてのことを思い出していた。互いがいまの姿になるずっと前。一護の裡から、手を引かれて歩く子どもの世界を見ていたころの話。
祭囃子の中で、浴衣を着た一護は楽しそうに笑っていた。焼きそばやわたあめ、ベビーカステラ、りんご飴、かき氷。射的に失敗して、金魚を一匹だけすくって、ヨーヨーを片手にふらふら動き回っては回収されて。花火を見るときは肩車されたから、何にも遮られなかった。まるい瞳がきらきらひかって、裡側のビルの窓にも七色の光が乱反射した。
「一護」
「なに?」
「カゼひくなよ」
「ひかないよ。俺、破面だもん」
「そーだな」
長い髪を雪でびちゃびちゃにした一護が笑う。体ばかりが霊圧に見合って大きくなって、心はずっと九歳のまま。願わくばこのまま、幼いままでいればいい。何に巻き込まれることもなく、力を振るうこともなく、血も死体も見ずに静かに暮らしてほしい。そのためならどんなことでもしてやるし、どんな我儘でも叶えてやる。帰ってからかき氷が食べたいと言い出したら、あらゆるシロップを並べてやろう。氷の調達はどうにかなるし、削るのだって、まあ、どうにでもなる。
七色のかき氷を前にしたら、一護はまた、あのころみたいに笑うだろうか。その様子を思い描いて、無銘の騎馬は口もとを静かにゆるませた。
2025.01.22
トーチ
√Q 幼い頃から帝国暮らしの一護くんの成長痛の話
「今日はここまでです」
「
……
えっ」
剣が鞘に納められていくのを見ながら、肩で息をした一護は呆然と固まった。帽子の向きを正したキルゲと目が合って、慌てて駆け寄る。
「な、え、先生、なんで? だってまだ一時間しか」
「貴方、ずっと調子が悪いでしょう。今日はこれでおしまいにして、必要なら明日以降休養期間を設けなさい」
「
……
悪くないです」
「嘘が私に通じるとでも?」
きっぱりと切り捨てられ、一護は口をつぐんだ。眼鏡越しの瞳にいたわりの色が見えてばつが悪くなり、ずきずきと痛む腕で己の体をぎゅっと抱く。
「座りなさい。痛むのは? 腕ですか? 私の見立てでは、両手両足の関節かと思いますが」
「
……
なんでわかるんですか」
「貴方を見ていればわかります。
……
おそらく成長痛でしょうね。こればかりは耐えなければならない試練です」
「
…………
成長痛?」
訓練場に設置されたベンチに座って、思わず言葉をこぼす。目の前に膝をついて足を検分していたキルゲは、痛む関節に響かぬように撫でると顔を上げた。
「ええ。ここ最近、急に身長が伸びたでしょう? 体が追いついていないんですよ。陛下には私から伝えておきますから、しばらく激しい運動は控えなさい。稽古も取りやめますが、ストレッチと霊子コントロールの練習は欠かさないように」
「
…………
、」
「返事が聞こえませんね」
「
……
はい、先生」
「よろしい」
しぶしぶながらもうなずけば、しょぼくれた頭を撫でられる。「次の稽古を楽しみにしていますよ」と言い残してキルゲは去っていった。吹いた風が、ざあざあと木の葉を揺らしていた。
*
ノックをするか迷って五分経ったところで、一護は足を一歩退いた。抱えてきた枕を持ち直し、のろのろと背を向ける。そうして自室に向けて二歩進んだところで、後ろからぎい、と扉がひらく音がした。
「あ、
……
父さん」
「まったく、いつ開くかと思えば。入りなさい、そこでは冷える」
現れたユーハバッハに手招きされ、一護はおずおずと入室した。背後で扉が閉まり、目の前をゆく大きな背中を見上げる。少し髪が跳ねているのは、今の今までベッドにいたからだろうか。入ってこない一護を心配して、わざわざ部屋の明かりをつけて出てきてくれたのだろうか。
「何かあったか?」
「
……
そういうわけじゃ、」
「何もないのに枕を持ち歩くのか。変わった趣味だな」
「
…………
」
「そう拗ねるな、笑ったわけではない。
……
こちらへ」
先にベッドに腰かけたユーハバッハの隣に座る。抱えてきた枕を反対位置に置こうとするが、先にひょいと奪い取られた。一護の体格に合わせたサイズのそれが、ユーハバッハの大きな枕の隣に並べられる。
「キルゲから聞いた。関節が痛むそうだな」
「
……
はい」
「それで目が覚めるのか?」
「眠ってしまえば、あとは
……
。ただ、痛くて眠れなくて。斬月に聞いても、これはなくしちゃうとあんまりよくなくて、痛いってわからないと体がダメなのに動いちゃうんだから諦めろ、って」
「そうか」
「だから、父さんに気絶させてもらおうと思って
……
」
「
……
おまえは極端が過ぎるな。予想を軽々と超えてゆく」
「
……
?」
額に手を当ててため息を吐いたユーハバッハが、さっさとベッドに横たわる。それをじっと見ていると、赤い目が咎めるようにこちらを向いた。スペースの空いた寝台を手で叩かれて、ぱちぱちとまばたきを繰り返す。
「どうした、寝かしつけられたいのだろう? 首を絞められるほうが好みならば致し方ないが」
「
…………
いいの?」
「二度は言わん」
「
……
おじゃまします」
ごそごそと隣に潜り込む。緊張しながら収まりのいい位置を探していると、分厚い布団が体を覆った。すぐそばにあるユーハバッハの体温のせいか、部屋でひとりでいるよりもずっとあたたかい。
「
……
父さんは、痛くなかった?」
「さあな。覚えてはいない」
「ユーグラムも痛かったんだって。バズビーも。ロバートさんが、貴方はきっと私より大きくなるでしょうね、って。父さんと並べるかな」
「私を越えるつもりか。それもよいが、おまえは程々でいい」
「どうして?」
無言で微笑んだユーハバッハの手によって、部屋の明かりが落とされる。暗くなった部屋で、伸びてきた大きな手のひらが一護の頭をゆっくりとかき回した。
「髪が伸びたな。切らないのか」
「うん、おそろいがいいから」
「そうか」
「
……
もうちょっと、そっちいっていい?」
「ああ」
許可を得て体を寄せると、ほとんど腕枕のようになった。世界で一番安心する体温と心音をそばに置いて息をしていると、ずきずき痛んでいた体の感覚が遠ざかる。ふしぎな魔法のようだった。
「
…………
とうさん」
「なんだ」
「おれ、ちゃんと大人になって、とうさんの役に立つからね」
「
……
では、期待しておこう。今日はもう寝なさい」
「うん、おやすみ」
少しカサついた親指の腹が目もとを撫でる。こうやって眠りをうながされるのが好きだった。父の手はいつも優しくて、信頼できるから。だから応えたいと思うし、もっと強くなりたいと思うのだ。
いつか、きっといつか、隣に並べる日を夢想する。背が届かなくても、筋肉が足りなくても、強くなれば連れて行ってもらえるはずだ。用意された晴れ舞台で失敗しないよう、これからも頑張らなくてはならない。
「よい夢を」
これはそのための休息期間。ほんの少しのわがまま。
けれどこの先もずっと胸に抱く灯火となる、あたたかな夜のうちのひとつなのだ。
2025.02.19
煎じて飲まない
白黒斬 嗜好品の話
ごみ箱の中には爪があった。寝る前に一護が爪切りで切ったものだ。端っこをうまく切るのに少々苦戦しながら身をかがめ、皮膚を傷つけずにぱちぱちと音を立てて切り、ティッシュにくるんで捨てたもの。当の本人はベッドの中で深く寝息を立てている。時刻は深夜二時半だ。
中心に集めてからねじって丸めたティッシュを開き、斬月はその爪たちをじっと見下ろした。体から切り離された一部はただのごみとなり、こうして廃棄される。もう必要がないからだ。それで相手を裂く獣であればまだしも、ヒトの体において長すぎる爪に利便性は無い。気になったタイミングで不定期に処理されるそれらは、この世界でごくありふれたものだった。
爪切りのカーブに合わせて切られた乳白色の爪をつまむ。部屋の暗さは斬月の視界に支障を及ぼさない。切った拍子に筋の入ったそれを矯めつ眇めつ眺めて、斬月はそっと口の中に入れて喰んだ。硬く鋭いそれを舌の上で転がして、歯で圧して感触を確かめ、飲みこむ。喉に引っかかりを覚えたが大したものではない。仮初の、霊体の腹に落ちた主の爪が、ぼんやりと光を帯びて己の体に馴染むさまをまぶたの裏で思い描く。
一護が食べきった菓子の袋でたまにやるようにざらざらと一気に頬張ってしまいたい欲をこらえ、斬月はティッシュを元のようにしてくるりと丸めると、そのまま己の懐にしまった。夜は長いので、ゆっくり楽しめばいい。独り占めしたいところだが、片割れに抗議の目で見られるだろう。あれは自分からこういうおこないはしないくせして、一護が見ていないところではなかなか自分勝手に振る舞う。猫被りも甚だしい男だ。
それにしても、だ。まさか夜のうちにごみ箱を漁られているなどと思いもしないのだろうが、一護もいい加減、気づかないものか。どうしてこの部屋の掃除が楽なのか。一本たりとも髪の毛が落ちていないのか。
危機感が無いというのも困りものだ。まあ、そんなお気楽なあるじのために、こうして日々すこしずつ力を蓄えているのだけれど。
久方ぶりの嗜好品を胸に、斬月は満足した気持ちでその体を薄れさせた。何よりも落ち着く青天井に戻りながら、間違っても落としたりしないよう、服の上から胸もとをぎゅっと握りしめる。自然と上がる口角は抑えきれなかった。
2025.02.22
ねこのひ
猫になった一護とメゾンドの話
一護が猫になった。聞けば、死神のほとんどがこうなっているらしい。詳細は割愛する。
主人と思しき白黒のぶち猫を抱えた男が一度こちらの部屋に顔を出し、その旨だけを伝えると去っていった。同じ月の銘を冠す、落ち着いた印象の男だった。
おそらくは浦原喜助経由で聞いたのだろう。あれも猫になっているのかもしれないし、猫になってもべらべら喋っているのかもしれない。ならば四楓院夜一はどうなるのか、と考え始めたところで思考を遮断した。無駄なことにリソースを割く必要はない。
目下の課題は、すよすよと気持ちよさそうに眠る猫をどうするかだった。枕の下に鼻先を突っ込み、丸くなって目を閉じている。無言を貫く片割れがその体を撫でる動きがお気に召したのか、時折動く尻尾が手首に絡みついてはするりと解けていた。
猫。一護だ。今はほぼ液体に似た何かだが、そのやわい皮膚の奥からは元の魂魄の拍動を感じ取れるし、霊圧も変わらずそこにある。世界一レベルで強い猫だ。けれど本人に力を誇示する様子はなく、突っ込んでいた頭を出してきて、黒い男の手に擦り付けている。感動からか男は震えていた。楽しそうでなによりだ。
「一護」
ぴん、と耳が動く。溶けていた体に芯が通り、器用にも片目だけを開けて猫がこちらを見た。普段にも増して飴玉のような色をした目だ。
「どうすんだ」
食事、風呂、排泄、睡眠。課題は多いが、そのすべてについて問うたつもりだった。どうされたいか、の意味でもあった。一護は斬月の言葉に首をかしげると、立ち上がってこちらに近づき、死覇装の袖を引っ張ってきた。そのまま浮かせてやると、足場を無くしてばたばたと暴れる。それが煩わしかったので仕方なく片腕で抱いてやれば、斬月の肩口に前足を押しつけ、無遠慮に首を伸ばして舌を出してきた。ざらざらとした表面が肌を撫でる。生ぬるく、湿っていた。
喉が鳴る。双方の。それに気づいて舌打ちすれば、一護は猫のくせに楽しそうに笑った。本能の重要性を説いたのは他でもない斬月だ。自由気ままに振る舞うことにしたのなら、騎馬はそれに付き合うしかない。どれだけ振り回されようと、あるじはただひとりなのだから。
「
……
ったく。あとで茹でダコになっても知らねえぞ」
にゃおん、と、いい返事が響く。ずっとそわそわしていた片割れに向かって突き出せば、恭しく受け取られた。体が大きいためか安心するらしく、ごろごろ音を響かせては抱かれることに甘んじている。男は男で、うっかり潰してしまわないように細心の注意を払っていた。ばかばかしい。その猫は血装と鋼皮を備えているのに、だ。
撫でろと言わんばかりに腹を見せてくる一護の顎を指先でくすぐってやりながら、斬月は放置されたスマートフォンを手に取った。指紋認証はお手の物だ。簡単にロックを解除して、猫の世話の仕方を調べる。そのさなか、カメラを向けてシャッターを切った。
せいぜい、あとから悶えればいい。本能をさらけ出した獣の姿を。甘えたの泣き虫の本性を。我が身が一番とばかりに振る舞うさまを。
撮り始めると止まらないもので、斬月はあれこれ理由をつけてシャッターを切り続けた。画像欄を猫の写真が圧迫していく。一秒とて同じものはない猫の姿が収められる。そのうち一護も慄いて、片割れの懐に潜り込んでしまった。尻だけを出した間抜けな姿も撮っておく。揺れる尻尾を握ってみると高く鳴いた。情けない声を聞くと気分がよかった。
カメラを内向きにして、その無様な姿と並んでやろうと思い、画角を調整する。手を伸ばし、一護と自分と、黒い男が入るように。スマートフォンの画面の中で、白い耳が揺れ、白い尻尾がぶんぶん揺れた。
「は?」
過去最高の声が出る。タイマー設定していたスマートフォンがひとりでに写真を撮った。半端に猫になった男と、気まずそうな黒い男と、相変わらず尻だけを懐から出している一護が写っていた。
早く言え、馬鹿野郎。
2025.02.24
粗悪品
浦一 再教育後の黒崎くんと浦原さんの話
あと数日もすれば目を覚ますでしょう。今はとにかく、ゆっくり休ませてあげてください。
そんなことを言えば、みな納得して安心したようにうなずいた。眠る本人よりもよほど深く隈を刻んだ一心は「そう、そうだな、疲れたよな。たまには寝坊させてやんねえとな」と繰り返し、そばから離れようとしなかった織姫は「黒崎くん、いつでも待ってるね」と目に涙を滲ませた。ほかの友人や仲間たちも同様だ。それだけの戦いだった。
ひとのいなくなった部屋で、浦原はじっと、眠る子どもの顔を見下ろした。滅却師との大戦が終結を迎えて三日。その間ずっと経過を観察しているが、目立った兆候は見られない。けれど、おおよそ成功と見做していいはずだ。
『
―――
……
馬鹿なことを。戻れなくなるぞ。それは
―――
……
』
声をかけてきた男は呆れたような口調だったが、浦原を止めはしなかった。それをいいことに無視して、浦原は誰にも邪魔されることなく処置を終えた。死にかけの体でユーハバッハを討ち取った、ぐちゃぐちゃに壊れきった黒崎一護の魂魄に手を加えて元のかたちを取り戻した。
長い黒髪はオレンジに。赤く染まった瞳は大地の色に。傷口は縫合し、痕も残さず治し、破損した内蔵をつくり、神経を繋ぎ、血管を構築した。満足のいく出来だった。
肝心の一護は目覚めないが、あれだけ魂魄に負荷をかければ当然のことだった。心拍は安定しているし、呼吸に乱れもない。嘘を言っているわけではなく、あとは時間が解決するだろうというところだった。はやく起きないかなァ、なんて独りごちながら、必要な作業をするかたわら一護の様子を確認する。
そして、その時が訪れた。まつ毛が震え、指先が跳ね、脳波が覚醒の兆候を見せる。黒崎サン、と重ねて名を呼べば、ゆっくりと目蓋が持ち上がった。緩慢にまばたきを繰り返した一護が、かさついた唇を震わせる。
「
……………………
、
…………
うらはら、さん?」
瞬間。頭の奥で、自分の声が「失敗した」とつぶやいた。
思考が停止する。見下ろしたまま固まる浦原をよそに、一護は身じろいで何度か空咳を繰り返した。慌てて水差しを含ませてやれば、飲みきった一護はほっと息を吐く。それから、こちらを見た。
「
………………
生きてる」
「
……
ええ、もちろん」
「浦原さん、おれのこと、助けてくれたのか」
そうだとは言えなかった。助けたなんて、口が裂けても言えなかった。
だから曖昧に笑って誤魔化した。一心サン呼んできますね、と告げてその場から逃げた。一護がうなずいたのを確認して、すぐに戻ると言付けて立ち上がり、襖を閉めてしばらく廊下を進んだところで立ち止まる。
『馬鹿なことを、戻れなくなるぞ。それは我々にとっての禁忌にほかならない。自分で完成させたものに、満足はできない性質だろう。私も、貴様も』
「
……………………
は、はは、」
男の言葉を思い出し、浦原は笑った。膝から崩れ落ちて叫んでしまいたかった。頭の奥では、さっきからずうっと声がする。あれじゃ駄目だ、あれは失敗だ、あんなものは彼じゃない、失敗作だ、出来損ないだ、黒崎一護はあんなふうじゃなかった。
―――
吐き気がする。頭が痛い。手が震えて、目を閉じた。
「
………………
おんなじだ、ボクも
……
」
一度弄り回してしまったら、もう元には戻せない。手を加えてつくったものを、かつてと同じには思えない。九十九パーセント一致するものが出来上がっても、残りの一パーセントに振り回されて、あの子をがらくた扱いしてしまう。もう一度やり直そうと考える。
一護が目覚めた霊圧の揺れを感じ取ったのか、どたばたと駆けてくる音がする。鼻を啜って顔を上げ、浦原は意図的に笑みを浮かべた。誤魔化すための、騙すための、最低最悪な男になるための笑みだった。
「一心サン。目、覚めましたよ」
2025.03.10
決戦後に虚弱になる黒崎くんと浦原さんと藍染さんの話 時々保護者たち 見たいシーンだけなのでぶつ切り、尻切れ
制されたことの意図はすぐに理解した。正直なところずっと重苦しく感じていた藍染の霊圧が急速にしぼみ始めたのだ。蛇口の栓を握るような変化は紛れもなく一護に対してのもので、ただの対処とも気遣いともとれるそれに一護はほっと息を吐いた。呼吸が楽になったのを実感したところで、藍染が「このあたりか」と小さく呟く。
「難儀なものだな。黒崎一護ともあろう男が、これほどまで霊圧を落とさねば私とまともに相対することさえできなくなるとは」
「サンキュな。助かったよ」
「
……
浦原喜助、何を呆けている。さっさと黒崎一護を運べ」
「アナタのその行動だけで安全だと信じろと? できませんよ」
「浦原さん、俺からも頼むよ。つーか、そのために来たんだろ」
重ねて言えば、浦原はぐっと眉を寄せて、それから重く長いため息を吐いた。視界の端で平子も似たような反応をする。彼らの警戒はもっともだが、このままでは話が進まない。
「何も起きねえって。今の俺を殺したところで、藍染に得なんてねえだろ。病人倒して喜ぶようなヤツかよ」
「
……
何かあれば、すぐに対処します。何もなくとも、アタシが異変を感じた時点でアナタを離します。いいですね?」
うなずいて、促す。車椅子を押した浦原が十数メートルにも満たない距離を詰め、多数の隊長格らが神経を尖らせて見守る中で一護は藍染と接近した。手を伸ばせば届くところまで来て、ぴり、と肌を刺すものを感じ取る。あれほど下げてもらったのに、やはり近づくと刺激になるらしい。倒れる前は平常時の藍染の隣に立ってもなんともなかったというのに、彼の言う通り難儀なものだ。
「黒崎一護、手を」
「手?
……
触ればいいか?」
「黒崎サン」
「いいよ、大丈夫」
「生憎私は動けないのでね、彼から触れてもらうしかない。それとも寛大な君たちは、彼のために私のこの拘束を解いてくれるのかな?」
「俺挟んで喧嘩すんなって」
手を伸ばし、椅子の肘掛けに固定された藍染の手の甲に己の手のひらを重ねる。ベルトのような拘束具越しになるが、それで充分だったらしい。数秒目を閉じた藍染が、こちらを見て「今の状態は」と問うてくる。
「ぴりぴりする。静電気っつーか、毛が立つ感じ。痛くはねえけど、ちょっと熱い?
……
あ、いま落ち着いた、ッうわゾワゾワする、この感じ、どっかで
………………
点滴?」
「なるほど」
訳知り顔でうなずく藍染をよそに、一護はわからないことだらけだ。詳しく聞きたいところだが、すぐに浦原が車椅子ごと距離を取り、手を伸ばしても届かなくなる。過保護だな、と思いはするが、今の一護は一護本人が思っているよりも深刻な状況らしいので口を噤んだ。
「ユーハバッハの聖別を受けたことと、極限状態で戦い続けた疲労により魂魄が損傷しているな。君が今こうして起きていられるのは、ひとえに君自身の魂魄強度が並外れているからに他ならない。一般的な魂魄が同様の状態に陥れば、三秒と保たず自壊して死しているだろう」
「えっ」
「斬月はどうした? 置いてきたのか?」
「
……
わからねえ。探してくれた石田が言うには、俺を運ぼうとした時にはもう見当たらなかったって。消えた感じはしてねえから、俺の中に戻ったんだと思うけど
……
。まだ声は聞こえねえ」
「斬魄刀としての形より主人の命を優先したか。献身的なことだ」
藍染の話すことは難しく、一度聞いただけでは理解し難い。それは今に始まったことではなく、ましてや思想や知識はもちろん重ねた歳月も異なる男の言葉を理解しようとして、一護は首を傾げたまま背後を振り仰いだ。藍染と同じく、あるいはそれ以上に頭が切れるのかもしれない師にどういう意味なのかを問おうとしたからだ。
けれど、それは他ならぬ藍染によって阻まれる。
「端的に言おう、今の君からは決定的に力が欠けている。滅却師の力、虚と死神の力。それらの均衡を保ちながら回復をはからない限り、全快までは程遠い。血の近い滅却師の霊圧と、黒崎一心の霊圧を少しずつ摂取して体に馴染ませなさい。拒絶反応の具合を見ながらおこなうように」
「
……
アンタそうしてると先生みてえだな。わかりやすい」
「これでも教鞭を取った身でね」
「へー
……
」
「もういいッスか? 概要はわかりましたんで、あとはこちらでなんとかします」
「私に診せておいて礼もないのか。プライドだけは一流のようだ」
「ありがとな藍染、助かった」
「ああもう、アナタは言わなくていいんスよ!」
浦原が声を荒げて怒るさまがめずらしく、一護は不思議な気持ちだった。どうやら話せば話すほど困らせるらしいとようやく気づき、ぎこちなくうなずく。藍染は終始笑みを浮かべていた。戦った時よりもずいぶんと表情豊かに見えるのは気のせいだろうか。
一護以外の者がはらはらしながら見守った診察が終わり、藍染は当初の予定通り無間に再収監されることとなった。またな!と手を振ろうとしたところを平子に止められ、黙って見送る。終わってしまえばどっと疲れが出て、一護は長く息を吐いた。一護よりも、周囲のほうが疲れ果てたような顔だったけれど。
*
一護の呼吸が落ち着いてきたのがわかり、伏せていた顔を上げる。色のない頰にはわずかに赤みが差し、唇の震えも止まっていた。片手は繋いだまま、もう片方の手で汗をぬぐってやる。身じろぎとともにかすかに目蓋が持ち上がって、気のせいかと思うほどの声量で「おやじ」と呼ばれた。
「ああ。ちゃんといるぞ」
「
…………
ごめ、
……
きょう、しごと
……
」
「バーカ、ンなこと気にしてんじゃねえ。急患はいねえし、いても石田の奴がこっちに回してくれるよう手配してる。心配いらねえよ」
「
………………
せんせ、も、ぃそがし、のに、」
「それが医者だからな。あーホラ、無理して喋んな。寝れそうなら寝ちまえ。水飲むか?」
力なくうなずいた一護の口もとに水差しを近づける。半分ほどの量を慎重に飲ませたところで、体力を使い切ったらしい一護はぐったりと目を閉じた。繋がれた機械から発される警告音は鳴りをひそめたが、それでもまだ予断を許さない。一護は気づいていないようだったが、カーテンの向こうには竜弦も待機していた。急変に備えてのものだ。
「
……
落ち着いたか?」
「点滴を替える。そこをどけ」
おとなしく場所を譲れば、竜弦はてきぱきと処置を終えた。一護自身の血液をもとに精製し、一心の霊圧と竜弦の霊圧を混ぜ合わせて作られた特別製だ。一護以外に打てばたちまち魂魄自殺を引き起こすであろうそれの調整に時間を費やしているため、今の浦原は普段にも増して人相が悪くなっている。これが続けば、次に倒れるのは浦原だろう。
「
……
ちょっとマシになってきたところだったんだがな」
「長期戦になることは初めからわかっていただろう。情けない姿をこの子の前で晒すな」
「わーってるよ」
筋肉の落ちた息子の手を握る。先ほどよりも体温が戻っていて、一心はほっと息を吐いた。何度立ち会っても、急変の様子は心臓に悪い。
尸魂界にいるうちの一護はまだ元気だった。それが"元気なように見える"だけだったのだと思い知らされたのは、現世に帰ってきて肉体に戻ってからだ。魂魄バランスの急激な変化に適応できずにダメージを喰らった体は数分ともたずにその心肺機能を停止した。病院に運ばれ、蘇生処置を受ける一護の様子を、一心は呆然と見つめていた。泣き崩れる娘たちをなだめてやる余裕さえなかった。
*
「あ」
ふと覚えのある感覚に包まれて、一護は短く声を上げた。誰かに聞かれてやしないかと周囲を確認したが、人影は見当たらない。一心は瀞霊廷のほうに顔を出してくると言っていたし、花太郎は別室で診察の準備をしている時間だ。志波の屋敷には使用人がいないため静かで、響くものといえば風で葉が擦れる音と、己の呼吸音くらい。
「
……
そんなに隠れねえで、普通に来たらいいのに」
「普通に来ては大事になるだろう? 騒がしくするのは本意ではなくてね」
「まあ、そっか。ひさしぶり、藍染」
音も気配もなく現れた男が、足音も立てず一護がいる布団のそばに寄る。のろのろと体を起こそうとすれば、うっすらと透けた白い手に支えられた。ありがとな、と礼を述べて、上体を起こしたまま維持する。
「かなり回復したようだな。不完全とはいえ彼が具象化しているとは」
「ずっとは無理だし、この状態じゃ声も出せねえんだけどな。しんどい時は助けてくれるし、俺が動けねえぶん、警戒してくれる。会話は心ン中で通じるし、
……
こら、ちょっかい出すなよ?」
「まさか。ただ、興味深いと思ってね」
「その視線がコエーんだよな
……
」
我が物顔で座布団を持ってきて座る藍染はかなり面白い。この男、護廷の死神のほとんどが鏡花水月の影響下にあるからといって、こうしてほいほい脱獄しては一護のところに顔を出しに来るのだ。一度理由を聞いてみて「あの空間に娯楽があると思うかい?」と返され納得した。納得してんじゃねえ危機感を持て、と、その日の夜に夢の中で斬月にこっぴどく怒られた。
とはいえ、今のところ危害を加えられたことはない。むしろ先生が増えたような心地で、前述の通り薄気味悪さは拭えないのだが、的確な所見を述べてくれるので一護からすれば大いに助かっているのである。
「なあ藍染、こないだの話の続きしてくれよ。どこまでいったっけ? えーと、瀞霊廷の歴史の
……
、
……
?」
ふと、急速に近づいてくる慣れ親しんだ霊圧に顔を上げる。藍染もちろん気づいたようで、片眉を跳ね上げていた。
「
……
親父? なんかスゲー急いでる、
……
あんたがいるのバレたのか? 霊圧も消してんのに」
「
…………
大方、この部屋に監視カメラでも置いてあるのだろう。君がいきなり何もないところに向かって話し出せば、親としては飛んでくるのではないかな」
「えっ俺のプライバシーは!?」
「いィィィちごォォォォ!!」
「やばいやばいやばい藍染逃げろ! いや鏡花水月あんなら逃げなくていいのか!? とにかく離れろ!!」
「ははは、では私はこれで。次は土産でも用意してあげよう」
どたばたと響く音をよそに、目の前の姿が幻のように消える。さてどう言い訳しようかと考えて、一護はひとまず布団の中に潜り込むことに決めた。
2025.03.12
父と子
√Q 何回書くねんのネタ
返り血を避けることに失敗して、一護は顔を思いきり眉をひそめた。足もとの瓦礫が邪魔だったのが悪いし、変な血飛沫の上げ方をした死神も悪い。最悪だ、と心中で吐き捨てながら、すでに汚れてしまった団服の袖で髪を拭う。途端べっとりと赤黒く染まって嫌になった。
汚いのは嫌だ、清廉でありたい。父が掲げる理想のように。父の隣に立つのに相応しい姿であるために。
刀を振り、念入りに血を飛ばしてから鞘に納める。担当区域の処理はもう済んでいた。戦況を確認しながら、瓦礫に気をつけて歩みを進める。
―――
進めようとしたところで、裾を引かれた。
「ま、てよ、一護
……
!!」
最悪だ。さっきまでは上半身と外套だけだった。今この瞬間、下半身も追加された。洗うのは大変だし、任せきりになるのも申し訳ない。何より、死神の霊圧がこびりつくのが嫌だった。蹴り飛ばして振り払えば、男の死神が吹っ飛んで大きな瓦礫にぶつかる。
「
……
ン、の、
……
ッにあわねー、ツラ、しやがって
……
!」
まだ息があるらしく、土煙の向こうで立ち上がる人影が見える。これを放置していけば、殲滅という命令に背くことになるだろう。何より殺し損ねるというのは気分が悪い。仕事はきっちり済ませたいたちだ。完璧であることが、偉大なる父に愛されるための自負となるのだから。
刀で横着したのが悪かったか、と、一護は片手の中に霊弓を生み出した。ほかの家族や仲間たちとは異なり、黒々とした不格好な弓だ。それは己が混ざりものであることが所以らしいが、父はこの力を褒めてくれたから、見た目の違いはすぐに気にならなくなった。
『誇れ。おまえのそれは異質だが、故にこそ脅威と成り得るのだ』
矢を引く。力をこめる。照準を合わせる。
髭面の男が顔を歪めた。何かを言おうとしているが、聞くに値しない。欲しいのは父からの言葉だけだ。それだけで一護はどこまでだって走っていける。
はやく仕事を終わらせて、父に褒めてもらいたい。浮かれた気持ちのまま、一護は最大出力で矢を射った。
*
「
…………
気味が悪い。なんなんだ、てめえ」
呟いた言葉に声は返らない。代わりにぎらぎらとひかる目で睨み上げられて、一護は半歩足を退いた。背筋を這うものが何かわからず、困惑のままに矢を番える。疲労からか照準がぶれて、きつくまばたきを繰り返した。
「
……
なんだ、だと? それはオメーが、いっちばんよく、知ってんだろ」
息も絶え絶えの男が、血混じりの泡を吐きながら笑う。一護の放つ矢は命中しているし、いくつかはその肉を貫通した。弾かれたものもあるにはあるが、ダメージは確実に蓄積されているはずなのだ。まともな抵抗もしない死神ひとりを殺すことなど造作もないはずなのに、一護はまだ男を仕留めきれないでいた。
どれだけ攻撃しても立ち上がる。腹に穴を開けても、足の骨を折ってやっても、左腕を斬り落としても、男は痛みに呻くだけで逃げようとはしなかった。刀の鋒はこちらに向けられない。ここに来た当初は、その斬魄刀は炎を巻き上げていたはずだった。解放する力さえ尽きたのか、はじめから戦う気など無いのか。
「俺の、見てねえとこで、
……
一丁前に、強く、なりやがって」
気味が悪い。気持ち悪い。もう立ち上がらないでほしい。
戦いたくない、と、思考の端で子どもが泣いた。それを幻聴だと振り切って、一護は霊弓のかたちを解いた。弓よりも刀のほうが扱いやすく、慣れているからだ。ひと思いに心臓を貫いて首を飛ばせば、さすがにもう起き上がってはこないだろう。まさか、ジゼルでもあるまいし。
じゃらり、鎖が鳴る。使い込まれた黒い刀を一護は気に入っていた。そばに置いておくと不思議と落ち着くから、毎晩抱いて眠るのだ。鞘はグレミィに生み出してもらったが、なくてもあまり支障はない。よく切れるのにもかかわらず、一護の体は薄皮一枚も傷つけないのだ。冗談だろうと試したキャンディスは指を切って喚いていた。仕組みは知らない。
うずくまる男の前に立って、男の体を蹴り飛ばす。簡単に仰向けに転がった男を跨ぎ、両手で柄を握りしめた。ここまで死ななかったのだから、集中しなければならない。間違っても失敗することのないように、胸の上に鋒を向ける。忙しなく上下する血まみれの肉が、男がまだ生きていることを示している。
「一護」
男が笑った。あおざめた顔で、くしゃくしゃの顔で、しょうがねえなと、ゆるすように。
「
……
護れなくて、ごめんな」
見たくなくて目を閉じた。肉を貫く感触が、いやに手のひらに染みついた。
2025.03.28
ポメガバース メゾンドと精神世界で眠る話
暖かいほうがいいだろう、と、黒衣の男はトレードマークの黒いコートをすぐさま脱いで手渡してきた。優しさのように思えるが、その実この男は、己の衣服に包まれて眠るあるじの姿が見たいだけだ。真面目な顔をしていればどうにでもなると思っている。一護に対しては通用するが、それを堂々と斬月の前でもおこなうのだから閉口するしかない。
「ほら、せっかくだ。寝るならこっちで寝ろ」
胡座をかいた斬月の脚の間に埋まっていた毛玉が震えて顔を出す。眠そうに目を細めたオレンジ色のポメラニアンが尻尾を膨らませ、やわく鳴いた。小動物らしい高い声は、顎を撫でてやることですぐに気持ちのよさそうな唸り声に変わる。こういうところはポメラニアンより猫に近い。
斬月の服はすぐに毛だらけになった。適当に丸めたそれを一護みずからが踏み、背を擦り付け、噛みつき、気に入りのかたちにしていく。満足するまで見守っていると、やがてきりっとした顔で得意げにこちらを見て舌を出し、それからくるりと丸まった。胡座の上からはどかなかったが、服ごと運べば移動も容易いので良しとする。
「ったく、幸せそうな顔しやがって」
「愛らしいではないか。よいことだ」
小さな頭を撫で、斬月はため息混じりに呟いた。精神世界は小春日和で、あたたかな風が吹いている。ビル群の一角に現れるこの草原は、一護が己の心を休めるために生み出した空間だった。仕組みも生態系も無視した箱庭では草花が風にそよぎ、蝶だって訪れる。大きな木が一本あり、その木陰で斬月たちと眠るのが、一護のいっとう気に入りの時間だった。
「おまえも人のことは言えないぞ」
「ンだよ、アンタがそれ言うのか。毎回毎回うれっしそーにしやがって」
「一護が心を預けてくれるのだ。これ以上の誉れはないだろう」
「
……
ま、言いてえことはわからねえでもねえが」
「まったく、素直じゃないな」
ふすふすと黒い鼻が動く。わずかに湿ったそこに触れて、斬月は木にもたれかかった。木漏れ日が眩しくないよう、一護の目もとを覆ってやる。ともすれば握り潰せてしまいそうなほど小さな体のあたたかさを感じていると、心が落ち着くのは事実だった。
「
……
今日は何をせがまれんだろうな」
「前回はフリスビーと縄跳びだったな。同じものを用意しておくか」
「噛むオモチャあったろ。天鎖斬月の人形。あれもな」
ひと眠りしたあとは大暴れが始まる。さんざん人を振り回し、付き合わせ、心の底から満足すれば一護はひとのかたちに戻るのだ。それまでの相手を務めるのも、騎馬の立派な仕事である。
眠気を誘う塊を抱いて、斬月はごろりと転がった。ひとまずは睡眠だ。雨は降らないだろうから、傘のたぐいは必要ない。一護を挟んで向こう側にも転がった大男の姿を確かめて目を閉じる。青い草の匂いと、陽だまりの香りが肺いっぱいに広がった。
2025.03.30
となりの住人
現パロ浦一 プログラマー浦原喜助とアクセサリーモデル兼駆け出し翻訳家の黒崎一護がコインランドリーで出会う話
自動ドアが開くのと同時に、浦原は「うわ」と思った。「うわ」と思ったが、ドアが開いた以上、ここで引き返すのもおかしい。それで因縁をつけられてもたまらないので、なるべく感情をフラットにして軽く頭を下げた。
「こんにちは」
「ああ、
……
どうも」
長椅子に座っていた先客は、浦原の顔を見て眉をひそめるとぎこちなく頭を下げ返した。じゃらじゃらとしたピアスやネックレスや指輪、嘘みたいに明るいオレンジの髪。浦原の苦手なチャラついた容姿をした男の前を横切って、持ち込んだ洗濯物を手早く洗濯機の中に入れていく。
ごうごう動く機械がふたつ。外は三日目の雨で、十月に差し掛かったところだというのに湿気がこもって蒸し暑かった。コインランドリー内の長椅子はひとつしかないので、必然、男と並んで座ることになる。
人ひとりぶんの距離を空けて、浦原は座った。ここは喫煙可のランドリーだが、隣に人間がいると気を遣う。ちらりと横目で窺ったところ、男は黙って本を読んでいた。見た目の派手さに反し、雰囲気は静かだ。声をかけるのも憚られ、ため息を噛み殺してスマートフォンを取り出す。溜まったメールを見るともなく既読にして通知を消す作業を続けていると、遠慮がちに「あの、」と声をかけられた。
「
…………
何スか?」
「吸っていいですよ。俺、気にしないんで」
「ああ、
……
ドーモ」
はじめの彼とまったく同じ言葉を返し、浦原は曖昧に笑んだ。気まずさは残るが、いいと言われたからにはと煙草のボックスを取り出す。火をつけて煙を吸い込めば、飢えた体にじんわりとニコチンが染み渡った。
頭がクリアになれば、脳も回り始める。足を組み、浦原は煙越しに隣の男の手元を見た。睨まれるページはすべて英語で書かれており、カラフルな付箋があちこちから飛び出している。数文読んだ具合からすると中身は小説だろうが、物語を楽しむための作業にしては表情に難がありすぎた。
「
……
そこは"言葉は短いほどいい"ッスよ。直訳は、知恵の真髄」
「え?」
「ずっと詰まってるでしょう。ありきたりな訳でスミマセンね」
軽い礼、あるいはお節介のつもりで、浦原は口を開いていた。ぱっと顔を上げた男が、目をまるくしてこちらを見る。まじまじと観察したのは今が初めてだが、ゴミ出しですれ違う時よりもずっと子どもっぽい顔をしているように見えた。
「気にしないでください。ただの野次なんで」
「
……
あ、あの!」
「
……
何か?」
「俺、ひとの顔覚えるの苦手で
……
。同じ階のひと? で、合ってますよね?」
「
……
そうッスね。隣だと思います」
コインランドリーに入った時に不思議そうな顔をしたのは、頭の中で一致していなかったからだろうか。得心がいき、浦原は足を組み替えた。携帯灰皿に灰を落とし、もう一度唇に挟む。
「
…………
英語、得意だったりします?」
「
……
まァ、仕事柄、そこそこッスけど」
声をかけたことを今さらうっすら後悔しながら、けれど無視もできず正直に返す。すると、男の顔がきらきらと輝いた。ブラウンの瞳が大きくなり、ぱん、と音を立てて手が合わせられる。
「コインランドリー代、奢るんで! ちょっとでいいんで、ココ教えてもらえませんか!?」
「
…………
ちょっとだけッスよ?」
頭の奥で、古い友人が「売れる恩は売っとけ売っとけ。あとでまとめて回収して儲けたらええねん」と笑った。本当かなァ、なんて独りごちながら、まだ長さの残る煙草を灰皿に押しつける。
ごうごう回る洗濯物が、乾いてその場に溜まるまで。
浦原喜助と黒崎一護の出会いは、そんなありふれたものだった。
2025.04.21
俺たちしか知らない
グリイチ 原作軸 現世で同居してる話
「人間の肉って不味いらしいぜ」
観終えた映画のディスクを取り出しながら一護が言った。それを聞いて、すこし考える。ほとんど空になったコップの中身をストローで吸い尽くし、グリムジョーは口をひらいた。
「味なんざ重視しねえからな」
「あ、そっか。イヤそうじゃなくて、雑食だからっつー意味。だからヴィーガンは変わるとか
……
、そんな映画もあったな。次それ借りるか。グリムジョーも観るだろ?」
「別になんでもいい。あー
……
、長ェやつ」
「長いの
……
? ニューシネマパラダイスとか
……
? タイタニックも長かったっけか、あと
……
」
「長ェとずっとこうしてられるだろ」
検索をかけようとしたスマートフォンがソファに落ちる。ぐっと腰ごと引き寄せられ、吐息のかかる至近距離で見つめられた。ぱち、とまばたきをして、その真剣さに思わず口もとがゆるむ。
「そんな理由かよ」
「悪いか」
「いーや。けっこうグッときた」
仮面のない頰に手を添えて、褒めるように鼻先にキスをする。物足りなかったのかお気に召さなかったのか、ふんと鼻を鳴らしたグリムジョーはそのまま一護の体をソファに押し倒した。合わさった唇からは、さっきまで食べていたポップコーンの味がする。
グリムジョーは、義骸をよく使うようになった。最近ではほとんど現世に身を置いており、たまに虚圏に戻る、という具合になっている。高校卒業を機にひとり暮らしを始めた一護のアパートに居候している男は、すっかり大家とも顔馴染みになってしまった。どうなることかとハラハラしていたのは最初のうちだけで、グリムジョーは驚くほど生活に溶け込み、人に危害を加えることもなく、会話すらもこなしてみせる。
それが一護とともにいるための手段であることを、グリムジョーは知っていた。衝動で生きる獣が、理性でもってプライドをねじ伏せて、世界に迎合すると決めたのだ。
「
……
ッ、ふ、
……
ばか、そこ、見えるって」
「見せりゃいいだろ。俺のモンの印だ」
シャツの襟元を引っ張り、鎖骨をじゅうと吸い上げる。肌に舌を這わせながらこちらを見上げてくる男の色っぽさに一護は息を飲んだ。頭を抱え込んでしまうせいで、きれいにセットされた髪はぐしゃぐしゃに崩れている。前髪が下りるとほんの少しだけ幼い雰囲気になるのだけれど、それがまた男臭さとのギャップを生んでたまらない。
「俺もつける」
「ん、」
腰を掴んで体を起こされる。ソファにもたれながら、グリムジョーはあっさりと首をさらした。戦いで負った傷痕が残るそこへ、上書きをするように歯を立てる。一護はまだキスマークをうまくつけられないので、残すとなると噛むしかないのだ。
肌のにおい。かすかな汗の味。狙いを定めるようにひと舐めして、一護はゆっくりと力をこめた。吸血鬼ってこんな感じなのだろうか、と思いながら、ぶつ、と音を立てて皮膚を裂く。
人間の肉は、不味いらしい。そんな話を聞いてまず思ったのは、グリムジョーにやるならなるべく野菜食っといたほうがいいかな、だった。自分でもアホらしいと思ったが、好きな相手にはすこしでも喜んでほしかった。
滲んだ血を啜る。鉄臭くて、お世辞にも美味くはない。けれどその奥に、グリムジョーの霊圧を感じた。己の唾液と混ぜ合わせ、溶け込ませ、咀嚼して飲み込む。他者の霊圧が混ざることに関して斬月たちは文句を言うが、一護はこの瞬間が好きだった。
「黒崎、顔見せろ」
おそらくは、グリムジョーも。
「イイ顔してんな。ノッてきたか?」
「おまえは違うのかよ」
「馬ァ鹿。最初ッからそのつもりだ」
膝立ちでグリムジョーの体に乗り上げる。目尻に刻まれた仮面紋をなぞっていれば、グリムジョーの手はシャツの下、脇腹や腰のあたりを這い回った。一護がそうしたように、あらわになった腹の薄い皮膚に牙を立てられる。一護の意思で防御機構を外した体は、血装も鋼皮も機能することなく、易々とその暴挙を受け入れた。
雑食で、混ざりもので、不味いはずの肉と血を、グリムジョーはうれしそうに喰む。唇を赤で彩って、恍惚のいろを瞳に溶かし、興奮を隠さずに何度も何度も傷口を舐める。ざらざらした舌が往復するたび、背筋に弱い電流が走った。
「そっちばっかでいいのかよ」
だから、拗ねたような顔をつくる。そうすれば、血肉に夢中になっていた男は、機嫌取りをするように舌舐めずりをして笑うのだ。首のうしろに手が添えられて、引き寄せられて、キスをする。互いの血が混じり合う。飲み下し、交換し、熱を上げ、ひとつになる。
自分たちだけが生み出す味が好きだった。ほかの誰にも知られない、ささやかな秘密の共有が、この恋愛におけるスパイスだった。
2025.05.10
未来IF隊長パロ藍一 コンビニでホットスナックを食べる2人の話
「藍染、これ食ったことある?」
「あると言ったらどうするのかな」
「しばらく斬月たちと笑い転げたあとに平子と冬獅郎に報告に行く。浦原さんでもいいかも」
「随分と趣味が悪くなったようだ。無いよ」
「だよなあ、あったらマジでしばらく話のネタに引きずってた。
……
すみませんこれ二つお願いします、骨なしのほうで」
深夜の店員はローテンションだった。雑な受け答えを気にすることもなく代金を払い、商品を受け取る。店を出たところで藍染に袋を手渡せば、拒まれることなくその手に収まった。黄色と白のポップなストライプ柄があまりにもミスマッチだ。
「唐揚げもつくねもいいんだけどさ、俺はこっち派だな。たまーに無性に食べたくなるんだよ。だからお裾分け」
「気遣いに感謝するよ」
うすく笑って、藍染は袋の封を切った。匂いを確かめているらしいさまを横目に、一護もミシン目から袋を破る。湯気の上がり具合を見るに、揚げてからそう時間が経っていないようだ。タイミングがいい。脂とスパイスの香りが鼻腔をくすぐって、小腹の空いた腹が切なく鳴く。
やけどするかも、と考えはしたが、思いきりかぶりつきたい欲求には抗えなかった。歯を立てた瞬間にあふれる肉汁をすすり、べたつく唇を舐めて、柔らかな肉を咀嚼する。記憶とまったく変わらない味付けだ。
冬の深夜のコンビニ付近に人気はない。成人男性ふたりが立ったままホットスナックを貪っていても、誰にも気にされない。ここが尸魂界なら、パンダよろしく遠巻きにひそひそ眺められていただろうが。
「
……
香辛料が強すぎる」
「いーんだよこれはこういうので。味が薄いのがよけりゃサラダチキンでも食ってろってんだ」
「だがまあ、悪くはない。あの金額なら妥当かな」
「これで炊き込みご飯作るレシピあるんだよ。鶏ガラ、ごま油、刻みネギ。最後に黒胡椒かけてさ」
「
……
ほう?」
「ピラフみてえになんのかな。今度やろうぜ」
最後のひとかけらを口に放り込み、片手で包み紙を丸める。そのまま一護は尻ポケットに入れていた義魂丸を取り出した。現世遠征の時だけはぬいぐるみから出されてケースで持ち運びされる、今も変わらず現役のコンだ。
「藍染、任務開始。時間は?」
「記録済みだ。三分でいけるね」
「俺とお前で十分かかったら、それはもうとびきりの緊急事態だろうがよ」
オレもチキン食いたかった、とわめくコンを残し、二人揃ってその場から離脱する。任務対象の霊圧が遠方より飛来するのを確かめて、一護は背に負った愛刀の柄を握りしめた。久方振りの戦闘だ。できれば、斬月たちが不満を持たないくらいの手応えは欲しい。
「後ろは任せたぜ」
「任されましたよ、隊長殿」
藍染が戦闘領域一帯に結界を張る。それを視認しながら、一護は踏み固めた宙を蹴った。
2025.05.11 (最終更新:2025.05.26)
寝てもさめても
グリイチ 決戦後原作軸 初デートの話
待ち合わせまでにかかる時間は逆算していた。十五分前には着いておきたかったから、それに合わせて電車を検索した。その電車に乗るためには何時に家を出るといいのか、身支度を済ませるためにいつ起きればよいのかを確かめた。三日前からおこなっていたが、念のため眠る前にも。
だから時間の管理は完璧だった。姿見の前でうろうろしてしまったため少々慌てることにはなったが、家を出る時間は予定通りだった。駅までならゆっくり歩いても乗りたい電車には間に合う。少しだけ安心できて、息を吐いた、そのときだった。
「
……
よう」
「
………………
えっ」
マンションのエントランスを出て三歩進んだところで、一護の足は止まった。駅に向かう必要がなくなったからだ。待ち合わせをしようと決めた相手がそこに立っていた。民家の外壁に寄りかかった男の目のさめるようなブルーと、その髪に彩りを添える、外壁からはみ出して垂れ下がるミモザイエローが浮かれた脳へと鮮烈に焼きついた。
「な、なんで」
「
……
べつに、いいだろ。どうせ会うんだ」
「いつから」
「
………………
六時半」
「六時半!?」
まさに、一護が目覚ましをかけていた時間だった。シャワーを浴びて、朝ごはんをしっかり食べて、髪のセットにいつもより時間をかけて、服の組み合わせに最後まで悩んで、そうして今が、予定の八時四十五分。
二時間と少し、グリムジョーはここで待っていたことになる。気まずそうに目を逸らす男を前に、一護は顔を青ざめさせていた。よくよく探れば霊圧だってわかるだろうに、どれだけ浮かれていたのだろう。
「あー
……
、その、」
歯切れも悪く、がりがりと頭を掻く。もたれていた壁から離れて背筋を伸ばしたグリムジョーが、一歩二歩、こちらへ距離を詰めた。首をわずかに持ち上げて見上げた先の男が、唇を開いては引き結び、やがてこちらをまっすぐ見据える。
「
……
てめえの一番がよかったんだよ。しかたねえだろ」
「は、」
「待ち合わせっつーのは、またそのうちだ。これから何度だってできるしな」
注がれた言葉を飲み込み、かみ砕き、咀嚼する。じわじわと熱が上がる。硬直したまま、一護はグリムジョーの全身を改めて確認した。義骸は浦原が用意したものだが、服は初めて見たものばかりだ。白のTシャツとグレーのスラックス、ネイビーのジャケット。アクセサリーはゴツくない程度にシルバーでまとめられ、リムレスのアイウェアが顔の造形の良さを引き立てている。髪のセットも、いつもとすこし違っていた。
「
……
何時に起きたんだよ、おまえ」
「四時」
「浮かれすぎだろ」
「そうかもな。だがまァ、待つのも悪くなかったぜ」
駅までの道のりをたどり、ふたり並んで歩く。思いがけず時間に余裕ができたので、人気の店にも一番乗りできるかもしれない。行くスポットを増やしてもいい。手持ち無沙汰な手を拾われて、リングはつけていないことに気づく。触れあうときに邪魔になるからだ。
「てめえが起きて、メシ食って、色々悩んでんのがここからでもわかった。そうだとは思っちゃいたが、すげえわかりやすいのな」
「
……
な、あ、」
「俺のことしか考えてねえっつうのは、気分が良い」
指が絡む。やさしい顔で笑われる。心臓がぎゅっと引き絞られて咄嗟に相棒に助けを求めるが、管轄外だと匙を投げられた。結局ろくに言葉も返せず、小さな抗議として肘で脇腹を打つ。たまにおこなう戦いとは程遠い、お遊びのような弱いそれ。
「
…………
今日、」
「ん」
「楽しもうな」
「ん。」
レンズ越しでも曇らない瞳が、愛しむように細められる。歩幅を合わせ、熱を分けあい、春の朝を歩いていく。浮かれきって飛ばないように、一歩一歩を踏みしめて。
現世のことに詳しくないグリムジョーは、一日の行程についてのほとんどを一護に任せていた。投げやりというわけでなく、てめえが行きたいところにしろ、という優しさだった。
繁華街にまで出て、ショッピングをして、行きたかったカフェに入った。看板メニューのハンバーグに加えてデザートにザッハトルテもつけ、大満足だった。グリムジョーはがっつりとステーキを食べていたが、かぶりつくさまがとても似合っていて、思わずじっくり眺めてしまったものだ。
欲しかったスニーカーの色を選んでもらい、映画館に行き、並んで映画を観た。みなの思うグリムジョーのイメージはガラが悪く横柄で傲岸不遜というものだけれど、実のところ、とても静かなことが多い。草むらでじっと身をひそめる獣のように、感覚を研ぎ澄ませて周囲のすべてを把握している。もちろん、言動が激しいときもあるにはあるが。
グリムジョーの蒼い瞳に反射する光を、一護は横目で眺めていた。スクリーンで繰り広げられる人間模様よりも、瞳の上で踊るそれらのほうがずっと綺麗に見えてしまった。
「じゃあ、またな。ちゃんと歯ァ磨いて寝ろよ」
「ンだよそれ、ガキじゃねえんだから」
すっかり日も暮れて帰路につく。ちゃんと帰るまで送る、と言ったグリムジョーに甘え、オートロックの先、自宅のドア前まで一緒に来てもらった。ひとりでエレベーターに乗って帰ることができるかほんの少し心配だが、まあ、うまくやるだろう。学習が早い男なので。
「
……
あのさ、グリムジョー」
「おう」
ドアに鍵を差し込んで回しながら、名を呼ぶ。返事が返る。心臓がばくばくと脈打っていた。おさまれと内心叫んでみるが、だれも助けてはくれない。自分自身で向き合って、決断しないと意味がない。
「もしよかったら、なんだけどさ」
情けなく震える声をグリムジョーは笑わなかった。ただじっと、静かに続きを待っている。つま先ばかり見つめてしまう視線を無理やり上げて、一護は息を深く吸った。こうなったらもう、やけくそだ。
「
……
俺、明日も休みで」
「
……
」
「バイトも休みにしたんだ。一日空いてる。だからその、
……
」
「
……
その?」
「
………………
ウチ、泊まっていかねえ?」
「泊まる」
迷いも逡巡もない即答だった。緊張とともに精いっぱい吐き出した空気が「へぁ」と素っ頓狂な声に変わり、じわじわと顔が熱くなる。シャツの裾が皺になるまで握りしめていた手のひらを取られ、覆うようにして握られた。グリムジョーの手も、一護に負けず劣らず熱い。
「いいのか」
「
……
ダメなら誘わねえ」
あまり意味のない照れ隠しは、嬉しそうな顔で受けとめられた。前髪をかき上げられ、あらわになった額に唇が触れる。ここ外、と文句を言う前に、一護たちの体は開け放たれたドアの向こうに滑り込んだ。毎日聞いている開閉音がいつもとは違うように聞こえ、狭い玄関先で靴を履いたまま抱きしめあう。心臓の音が速い。
だって初めてだった。好きな人と出かけるのも、好きな人と映画を観るのも、好きな人に家まで送ってもらうのも。グリムジョーだって同じだ。それだけのささやかなことが、どうにもならないほど嬉しかった。
*
いざ、となるとどうしても体は竦み上がった。インターネットからさらった上澄みだけの知識と、肌を寄せて触れあってみたいという欲だけが脆い足場を支えていて、そんな一護の覚悟は些細なきっかけでヒビが入った。
ひとまずはとお互いシャワーを浴び、髪を乾かしあって、ゆるやかにそういうムードに移行して、キスをした。ここまではよかったと思う。あ、キスするな、と思ってからは早かったし、目を閉じて身を任せたのも上出来だった。グリムジョーの大きな手のひらに後頭部を支えられ、体ごと引き寄せられて、膝立ちで跨るかたちになって唇が触れあう。いつもよりほんの少し強く長く、舌も絡ませて。
柄にもなく緊張していた。だから、体を密着させているうちに下腹部に触れたものがそれであることにすぐに気づいた。だって同じ男だ。一護だって反応していたのだから、グリムジョーのものが兆すのも当然だ。むしろ、ふにゃふにゃのままであるほうが自信をなくすところだった。
体重をかけないようにと気を配っていた体は、次第に弛緩して制御できなくなった。完全に体をあずけてしまえば、満足そうな顔でにんまり笑ったグリムジョーに抱え上げられる。浮遊感は一秒にも満たず、次の瞬間には一護はベッドに横たえられていた。
「黒崎」
呼ばれる名が、甘い。ぎしりと軋むベッドと、明かりを遮る男の姿に心臓はばくばく早鐘を打っていた。風呂上がりであたたかくほんのり湿った手のひらが腹のあたりを這い、ルームウェアの裾から侵入する。
自分とはちがう体温が無防備なところにふれるのを実感して、
―――
次の瞬間には、ほとんど反射で蹴りを入れてしまっていた。
「お」
「
…………
あ、」
義骸に入り、ヒトの姿をしていようと、身体能力は健在だ。獣の動体視力で易々と蹴りを受けとめたグリムジョーは、掴んだ足首をそうっとベッドに下ろすと「どうした」と声をひそめた。
「嫌だったか」
「ちが、
……
イヤ、なワケじゃなくて」
体を起こして向き直る。視線をさまよわせて言葉を探す一護を、グリムジョーは急かすことなく待った。その誠実さに応えるために、なるべく隠さず素直な感情を告げると決める。
「
…………
ちょっと、怖かっただけだから。もう大丈夫だ」
「
……
やめとくか。無理にするモンでもねえだろ」
「でも、せっかく」
「なら尚更だ。この先いつでもできるんだからよ」
大きな手がわしわしと頭をかき混ぜてきて、じんわり眉間の奥が熱くなった。情けなさと恥ずかしさと安堵とがないまぜになり、グリムジョーの服の裾をぎゅっと握る。どうしようもない不安が、ずっと腹の底を渦巻いている。
「
……
俺は、グリムジョーに、さわりてえのに」
「
………………
、」
俯いて絞り出した声に、はああああ、と深いため息が返る。心臓がいやな音を立てて、冷や汗が噴き出した。顔が上げられない。怖い。体の震えが止まらない。冗談だと、笑わなければならないのに。
「てめえなァ。そういうの、他の男にもやってんのか?」
「
…………
? 付き合ったのは、グリムジョーが初めてだけど
……
」
「俺だけか、ならいい。ちょっとこっち来い黒崎」
手招きされてにじり寄る。窓際に背中をあずけて足を伸ばしたグリムジョーのそばまでゆくと、膝立ちでまたがるようにと指示された。座っていいのだろうか、と思いつつ、筋肉質な太もものあたりに腰を下ろす。グリムジョーを見下ろすようなかたちになり、いつものヘアセットとは異なるふわふわした風呂上がりのシャンプーの匂いが鼻腔をくすぐった。
「好きなだけ触れ」
「
……
えっ」
「てめえにだけだ。いいな?」
それきり、グリムジョーは目を閉じて黙り込んだ。一護はといえばグリムジョーの言葉をぐるぐる噛み砕いて、理解した瞬間に火が出るほど顔を赤らめた。グリムジョーが見ていなくて本当によかった。
唾を飲んで、指先を握り込む。自分だけが、このおとこを好きにしていい。触れて、抱きしめて、キスをしていい。なにもかもがゆるされている。
先ほどまでの恐怖ではなく緊張で震えながら、グリムジョーの頰を両手で包んだ。ほんの少し顔を上向かせてから、普段は触れない額を撫でる。閉じた目蓋をなぞり、鼻筋を辿り、骨のラインを確かめて、喉仏まで。
どこまでしていいのかわからずにそこで止めると、目を開けたグリムジョーが「てめえも」と言って一護の手を掴み、己の腹へと導いた。寝巻き代わりのTシャツの裾から指を這わせると、隆起した筋肉のかたちがよくわかる。おそるおそる手のひらを広げて撫でると、呼吸に合わせて上下する腹筋がぴくりと動いた。
「硬い」
「てめえよりはな。
……
つーか、触るならもっとちゃんと触れ」
「
……
顎撫でていい?」
「は?」
想定外だったのか素っ頓狂な声を出したグリムジョーは、やがて「まァ、いいけどよ」とうなずくと再び目を閉じた。撫でやすいようにか首を持ち上げてくれるのに感謝しながら、犬猫にするように顎を指でカリカリ引っ掻いて撫でる。ぐる、と唸るような音がして、一護は思わず笑った。調子に乗って続けていると、眉を寄せたグリムジョーが目を開けてぐわ、と口をあけてくる。
首筋へのそれは甘噛みだった。本気になればこの体でも喉笛を引き千切れるだろう男が、痕にもならない加減で柔く歯を沈める。次第にべろりと舐め上げられ、一護の体はぴくりと跳ねた。少しずつ、施される動きに不埒さが混ざってゆく。
「もう震えてねえな」
「
……
ん」
「ンなビビらなくても最後までしねえよ」
「びびってねえし!
……
ホントにしねえの?」
「そのうち嫌ってほどヤッてやるから安心しろ」
あまり安心できない台詞を吐いて、グリムジョーは一護が身にまとうスウェットパンツに指をかけた。必要なぶんだけを器用にずらして、下着の中からまだ柔らかい性器を取り出す。
「え、ちょ、ッ」
「なんだよまだ文句あんのか」
「ないけど! ちょっと、心の準備とか
……
!」
「するモンでもねえよ。やりながら覚えろ」
同じようにして取り出されたグリムジョーのものと、己のものがぴとりとくっついた。骨張った大きな手のひらにまとめて握られて、ぞわぞわと悪寒にも似た電流が背筋を走り抜ける。
「声、我慢すんじゃねえぞ」
(続きのR15版は別で投稿してあります)
2025.06.02
面会室
霊王√白黒 一護の未練や記憶や想いを、一護の頼みによりひとつずつ潰していく白さんの話
部屋にある唯一の窓がステンドグラスになっているのは、他でもない一護の意識を反映したことによるものだった。イメージが乏しいまま"きっとこんな感じ"だと思われたがゆえに、この部屋に射し込む光はカラフルな色を宿している。正直なところ場違いにも程があるのだが、今更変えろと言うこともできない。
「おはよう」
椅子に座る青年が、斬月を前にして微笑んだ。その笑みから目を逸らし、後ろ手で扉を閉める。真四角の白い部屋の中央には向かい合わせに椅子があり、奥側は青年が埋めていた。正面に腰かけると、ステンドグラスも相まってまるで後光が射しているように見える。
「挨拶くらい返せよな。基本だろ」
「
…………
、おはよう」
「スッゲー顔。そんなにイヤか?」
「てめえは、」
乾いた喉を潤すために言葉を切った。視線を手元から戻し、顔を見る。
青年というより、子どもに近い。声変わりを迎えたばかりの、ランドセルを手放して制服に袖を通したころの姿だ。黒い学ランに身を包んだ男に向かって、斬月はできうる限り慎重に言葉を選んだ。
「
……
てめえの未練は?」
「いきなりだな。まあ、落ち着いて話そうぜ。とはいっても、この場限りの関係だけど」
苦笑しながら手を差し出される。拒む理由もなく、斬月はぎこちなく握手を返した。剣ダコも何もないやわくあたたかな皮膚の感触を確かめる。知れば知るほど苦痛が増えるだけだと理解しているくせに、どうしたって彼のかたちを、心を、声をこの身に刻むのをやめられない。もっと効率よくできればよかった。そんな真似が出来ないことなど、初めからわかっていた。
「俺の終わりまで、よろしく。仲良くしてくれよな」
十三歳の一護が笑う。この部屋で彼を殺すまでの、長く短い面会時間の始まりだった。
まばたきののちに、面会室の風景は一変していた。無機質な白い箱は教室に。並ぶ窓の向こうには青空が見え、吹き込む風が薄く透けた白色のカーテンを揺らしていた。春夏用の制服を着た一護は前の席にいて、背もたれを抱き込むようにしてこちらを向いて座っている。斬月もまた、彼と同じ格好に身を包んでいた。
グラウンドからは部活動に勤しむ生徒たちの声がする。放課後なのだろう、教室の中にはカバンや荷物がいくつか残るが、人の姿はない。
「本当はさ、もうどうでもいいことだったんだ。俺はそんなこと気にしてなかったし、高校が楽しかったから考えることもなくなった。だけどさ、こう、やっぱりどうしても残るんだよな。そういうモンだろ」
「
……
これが未練か?」
「そう。俺の名前、わかる?」
微笑みを浮かべる一護を前にして、斬月は逡巡したのちに首を振った。見当はつくが、確信は持てない。結論を急いでも意味がないのだ。
答えなかった斬月に一護は「正直だなあ」と笑った。よいしょと立ち上がった彼のあとに続き、教室を出る。西陽が射し込む廊下は、確かに"一護"の記憶に刻まれている馬芝中学の風景と同じだった。
「ここの窓、割っちまったんだよな。俺がっていうか、パンチ避けたら向こうが勝手に窓殴って割ったんだけど」
「知ってる」
「なのに俺が怒られてさ、すっげえ理不尽だった。違うって言っても信じてくれねえし、もう面倒になってすみませんでしたっつったら余計怒られて、ウチ帰るの遅くなって親父にも怒られて」
「
……
メシ食わずに部屋行って」
「はは。遊子がすっげえ泣きそうな顔するから、これっきりだったな」
あどけなさを残す横顔を見ながら進む。階段を上がり、二階、三階へ。屋上に続く扉には鍵がかかっていたが、一護が触れると南京錠ごと腐り落ちた。がしゃんと鈍い音を立てて転がるそれには見向きもせず、生白い手のひらがドアノブを回す。風が頬を撫でる。
「いい景色。中学ン時もこうやって外で昼飯食えたらなあ」
青い空を背景に、一護が振り向いて笑った。眉はずっと、困ったように寄せられている。この頃を生きていたほんとうの一護はしなかった表情だ。彼が心の底から笑えるようになったのは、もう少し先の話だから。
「おまえ、制服案内似合うなあ。兄弟とか、ダチとか、なんでもいいから一緒にいてくれたらよかったのに。そしたら俺も、
……
」
「
……
茶渡泰虎がいただろ」
「うん、チャドには出会えてよかった。でも、これは俺の我儘だから」
「こんなことが?」
「うん」
「まだ何もしてねえ。ただてめえと、教室からここまで歩いただけだ」
「うん」
「いくらでも他にあんだろ。授業だけじゃねえ、文化祭も体育祭も、通学も、メシ食うのも、寄り道して帰んのも、絡まれて叩きのめすのも、三年かけりゃ飽きるほど出来るだろ」
「うん」
「
……
ッわかってんなら、この程度で満たされてんじゃねえよ! こんなモン、願ったうちにも入らねえだろうが!」
「それを決めるのは、おまえじゃなくて俺なんだよ」
グラウンドの喧騒が、打球の音とともに遠ざかった。気づけば空は消えていて、殺風景な白い壁に囲まれるばかり。立ち上がった拍子に倒れた椅子が視界の端の端に転がっていて、己の荒い呼吸ばかりがむなしく響いている。
「ありがとう。もういいんだよ、斬月」
"諦観"のかたちをした一護が、目を伏せて微笑む。何を言っても無駄だとわかって、斬月は歯を食いしばり、深呼吸を繰り返した。足を動かせば、三歩も進まないうちに眼前へとたどり着く。こちらを見上げる瞳には、一切の恐怖が滲まない。
無二の親友以外の誰かとも、中学時代を過ごしてみたかった。この子どもが抱えていたのは、ささやかでくだらない思いつきのような未練だ。騒がしく楽しい高校時代があるからこそ生まれた、そういえば、と思う程度のもの。
けれど、斬月にとってはそうではないのに。彼が思うならいくらでも、一日どころか一ヶ月でも一年でも三年間丸ごとでも付き合って、現実と夢想の境目すら溶かしてやるのに。
やるせなくてどうしようもない。前の彼みたいに怒って暴れてくれたらよかった。その前の彼みたいに泣き喚いてくれたらよかった。こんなふうに受け入れられてしまったら
―――
……
王に請われてしまったら、己はもう、そうするしかない。
「一護」
名を呼べば、うれしそうに笑った。諦観が無くなるというのは、期待もしなくなるということだ。ここからはきっと加速するだろう。何もかもに興味をなくしてしまったら、感情なんて持っているだけ無駄になる。
細い首に指をかけた。柔らかな肉から伝わる鼓動と骨の感触が悍ましくて吐きそうになるのを堪え、斬月は目を逸らさず指先へと力を込めた。
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