高梨 來
2025-03-14 21:30:00
10285文字
Public ときメモGS2/小説
 

blossom

氷上くん&ヒロインの二年生時のバレンタイン~ホワイトデーのお話。お互いを思い合うふたりが選んだとっておきの贈り物とは? 

※ゲーム本編とは異なるセリフや展開を含みます、パラレルワールドとしてお楽しみください。
※ヒロインデフォルト名は「海野あかり」 クラブ活動は未設定ですが、今回のお話内での彼女は生徒会執行部所属ではありません。女の子たちとは全員と仲良し、千代美ちゃんとはVS解消済み。


「ねえ氷上くん見て、すっごくキラキラしてるよ。羽ヶ崎の海みたいじゃない? それにほら、紅茶もとってもいい香りだよ。やっぱり期間限定メニューにして正解だったなぁ」
「ああ、そうだね」
 おなじみの明るく弾んだ声を前に、どこか落ち着かないまま僕はそっとそう答える。
 真っ白なレアチーズケーキの上にはきらめく海を思わせるようなブルーのゼリー。エディブルフラワーと季節のフルーツをちりばめたお皿はさながら、キラキラと陽の光を受けて輝く海のように色鮮やかだ。
 やや大ぶりのサイズにカットされたチーズケーキに、ガラスのカップになみなみと注がれた琥珀色の紅茶、サービスだと提供されたチェッカー柄のクッキー……あと数時間もすれば夕食だというのに、間食にしてはやや量が多すぎるんじゃないだろうか。いや、思春期の女子の食べる量に口を出すなんて、ナンセンスにも程があることくらいは百も承知だ。甘いものに目がない彼女が、僕には到底食べきれないような大きなケーキやパフェをうれしそうにぺろりと食べる姿にはいつ見たってあたたかく心を動かされてきたわけだし。
 すっかりなじみの場所となった放課後の喫茶店、向いの席には期間限定だというスイーツプレートと香り高い湯気を立てる紅茶を前に、満面の笑みを浮かべて見せる彼女の姿――申し分のないシチュエーションを前に、僕の胸の内はどこか晴れないままだった。
 いったい何を勝手に期待していたんだか。身勝手なのにも程があるぞ。
 胸の内でだけそっと喝を入れながら、彼女とは違う白いカップに注がれたコーヒーにそっと口を付ける。程よい苦みと酸味、鼻に抜ける心地よい香り――うん、やっぱりここのコーヒーは絶品だ。灯台の近くには腕のいいバリスタがいる評判のカフェがあるらしいけれど、ここだって充分負けていない気がする。
 満足感をかみしめるようにしながらふっと向かい側の彼女へと目をやれば、にこにことうれしそうに瞼を細めた優しい笑顔がそっとこちらを包み込んでくれる。
「ねえ氷上くん、よかったらこのクッキー、ひとつどう? コーヒーにも合うと思うんだけど」
 うれしそうに答えながら、きゃしゃな指先は小皿に載ったこじゃれたツートーン模様のクッキーを指し示してみせる。
 茶色の部分はおそらくココア生地だ。それならもしかして〝これ〟が? ……いや、いくらなんでもそれはないだろう。ただ偶然付け合わせとしてついてきたおまけにすぎないわけだし。
 ほんの一瞬ばかりの逡巡(気づかれていないことを祈るばかりだ)の後、取り繕うような笑顔で僕は答える。
「あぁ、ありがとう。いただくよ」

 彼女とは、クラスや部活こそ違えど、羽ヶ崎学園の中でも一番仲のいい友人――のつもりだ。
 出会いこそ校門前で遅刻者を注意するだなんて、決して良い印象を与えるものではなかったはずなのだけれど、それ以降なぜか、彼女は変わりもので友達のいない僕に学内で出会う度にきさくに声を掛け、週末ともなればあちらこちらへと誘い出してくれるような関係になっていた。
 森林公園、博物館、遊園地、ゲームセンター、カラオケボックス――彼女と過ごす時間はどこでだって格別で、最初こそは価値観や考え方の違いに戸惑うことや、時にはついむきになって子供じみた不機嫌な振る舞いで答えてしまうこともいくらだってあったのに(今にして思えば、自身の狭量さにあきれるほかないのだけれど)、ふたたび学校で会えば、ちっとも気にもとめずに笑いかけてくれるのだから、その度に何度もあたたかい気持ちをもらったものだった。
 誕生日にはお互いにプレゼントを贈りあい、初詣にも共に向かい、下校の時間が重なった折には近況報告をしあいながら帰路につき、時にはこうして喫茶店に寄り道をして……社交的で明るい彼女の態度にいつしか心を揺り動かされるようになっていた僕が、自分から彼女へと休日の外出の誘いを持ちかけるようになったのはごく自然な流れだった。
 去年のバレンタインに(おそらくは友好の証として)愛らしいラッピングの手作りのチョコレートをプレゼントしてもらってから早一年――今年もまたきっと、と期待するのは無理もない話だ。てっきり去年と同じく、学校でばったり会ったタイミングで渡してくれると思ったのだけれど……
 ――勝手に期待して勝手に失望する、だなんてことほどばかばかしいこともあるまい。彼女にも、なにかしらの事情があるのかもしれない。うっかりバレンタインのことを忘れていたとか、用意したものを家に忘れてきたとか。ぶざまに疼く胸の内をごまかすように、ふっと窓の外へと視線を移せば、向かい側の彼女からは、少し遠慮がちな声がそっと掛けられる。
「あのね、氷上くん――その、ちょっといいかな?」
……あぁ、」
 ぱちぱち、とまばたきをこぼしながら相槌を打てば、やわらかくほころんだ笑顔がそっとこちらを迎え入れてくれていることに気づく。
 ごそごそ、とスクールバッグの中を漁るようにし、はにかんだように優しく笑いながら、彼女は答える。
「ほら、きょうってバレンタインでしょう? 私ね、氷上くんに渡したいものがあって――学校でって最初は思ったんだけど、周りにほかの子がたくさんいたでしょ? なんだかね、急に恥ずかしくなっちゃったの。ここじゃみんなが見てるよねって……
「あぁ、」
 心なしか、いつもよりも落ち着かないようすに見えたのはそうだったのかと、いまさら答え合わせをさせてもらったような気持ちを味わう。
 確かに、放課後の校内は同じようにバレンタインの贈り物を渡しあう生徒たちの姿で溢れていた。そんな中で風紀委員の腕章をつけた僕の姿をちらちらと横目で気に掛けるような視線はいくつも感じていたことだし。
『今日ばかりはお菓子の持ち込みは見逃すように』
 先生からは事前にそう通達を受けていたけれど、一般生徒たちにはそんな事情など知る由もないのだから、警戒をされたって仕方がない話だ。
 こほんと、小さく咳払いをこぼすこちらを前に、おずおずとうつむき加減の姿勢のまま、遠慮がちな言葉は続く。
「それにね、せっかくならちゃんと落ち着いた場所で渡したいなって思ったの。でも難しいよね、いつならいいんだろうって悩んでるうちに、出しそびれちゃって――ごめんねほんと、これなんだけどね?」
 囁くような言葉と共に、テーブルの向かい側からおそるおそると、かわいらしいペンギンのロゴの入ったビニール袋をそっと手渡される。どこかの製菓ブランドのものだろうか? どうやら、今年は手作りではないようだ。
「わざわざすまないな……ありがとう。開けてもいいかい?」
……うん、どうぞ」
 こくりと小さく頷く仕草に促されるままに、わずかに震えた指先でそっと袋の中身を取り出す。濃紺のブック型のケースには、金色のインクで印刷された星の降る夜の海へとこぎ出す船乗りのイラスト――子供の頃に読んだ児童書を思わせるパッケージに掛けられたビニールの包装をそっと剥がすと現れるのは、絵本風のイラストで描かれた美しい物語と、ひとつひとつがまばゆく輝く宝石のような美しさを放つチョコレートの数々だ。
「これはこれは……随分と結構なものを頂いてしまったな」
 天体観測を好む僕のことを考えた母から、星座や惑星のデザインを象ったチョコレートを贈られたことはあれど、この銘柄にお目にかかるのは初めてだ。近年に新しく生み出されたブランドなのだろうか。
『旅を愛する店主が営む喫茶店のオーナーの思い出を込めた特製メニューをお出しします』リーフレットに記された美しい物語を熟読していれば、テーブルの向かい側からは軽やかに弾んだ声が届けられる。
「ほんとはね、去年みたいに手作りにしようって思ってたの。でもね、このチョコがふっと目に入ってすぐに、『氷上くんだ!』って思って。ひーちゃんも一緒にいたんだけど、『素敵ね』って言ってくれたんだよ。――あ、お酒は入ってないから安心してね? 店員さんにもちゃんと確かめてから買ったんだよ」 
 頬を上気させながら告げられる言葉のひとつひとつに、軽やかに弾むような思いが込められていることが手に取るように伝わる。
 これはその――少しくらいは期待をしたって許されるんじゃないだろうか。少なくとも、〝その他大勢の友人〟以上のなにかを。
 ……いや、思い上がりは禁物だ。感情表現が豊かな所は、前々から感じていた彼女の素晴らしいところのひとつなわけだし。
 努めて冷静に、思い上がりすぎないように――高鳴る胸をどうにかなだめながら、ぽつり、と囁くように僕は答える。
「すごくうれしいよ、ありがとう。君が僕のことを思って選んでくれたんだと思うと、なんだかすごく誇らしい気持ちになるな」
……あぁ、うん。どういたしまして」
 ひどく恥ずかしげに――それでいて、うんと、満足げなようすで頬を染めながら伝えられる言葉に、ぐらりと甘く心が揺れる。
 どう表せばいいんだろう、こんな気持ちのことは。居てもたってもいられないような心地のまま、思わずぎゅっと指先を握り込むようにすれば、もの言いたげに震えた唇は遠慮がちな言葉をそっと漏らす。
「あのね、その……氷上くんはね、ほかの子にもチョコをもらったりはしたの?」
 甘く揺れるまなざしに魅入られるような心地のまま、ぽつりと囁くように僕は答える。
「あぁ……、生徒会と風紀委員の仲間からはいくつかあったかな。男子全員に一斉に同じものを配られてね――女子たち皆でお金を出し合って買いに行ったそうだよ、『お返しを期待しています、3倍返しのルールをくれぐれもお忘れなく』ってね」
……そうなんだ」
 答え終わるのと同時に、どこか強張って見えた彼女の表情はぱあっと華やぐ。
 それはその……まるで。
 言葉にならない浮き足だった気持ちを飲み込むようにと、湯気を立てるコーヒーカップに口をつけ、ソーサーの隅に置いたままにしていたクッキーをそうっとかじる。さっくりとした食感とバターの風味が心地よい。甘いものは熱心に取るほうではないけれど、勉強の合間の適度な糖分補給にはよさそうだ。
「うん、このクッキーもなかなかうまいな。コーヒーによくあうよ、甘さのバランスと素材がいいんだろうな。君も食べてみたらどうだい? きっとその紅茶との相性もいいはずだ」
 すっかりおしゃべりに明け暮れてしまったせいで手つかずになっていたスイーツのプレートへと視線を落としながらそっと声を掛ければ、「ああ、うん」だなんて、すこし遠慮がちな返答が返される。
 桜貝みたいな爪先がそっとクッキーをつまむと、丁重な手つきで口元へと運ぶ――次の瞬間、たちまちに広がるのはうんと満足げなほころんだような笑顔だ。
「美味しいね、氷上くん。あ、そうだ。よかったらこのチーズケーキも少し食べてみない? ほら、まだ口をつける前だから。フォーク……の予備はないか。じゃあそのティースプーンでもいいかなぁ。ここのスイーツね、どれも甘さ控えめだからぺろっと食べられちゃうの。はるひなんて三個は余裕って言ってて。あ、でもお小遣いが厳しいからさすがにそんなには一度に頼めないみたいだけど」
「あぁ、その……そこまでいうのなら」
 どこかかしこまった気持ちになりながら、三角形のピースの端を遠慮がちにそっとティースプーンで崩し、口元へと運ぶ。
 真っ白なレアチーズケーキの上には海を模した鮮やかなブルーのゼリー、口の中に入れればたちまちにとろけるなめらかな口当たりとあっさりと爽やかな味わいは、確かに甘党の人なら「いくらでも食べられる」だなんて類のものに違いないはずだ。
「うん、これもうまいな。甘さがしつこくないから食べやすい。……すまないな、君よりも先にいただいてしまうだなんて」
「ううん、そんな。あげたいってお願いしたのは私の方でしょ?」
 じゃあ私も。小さな声で囁き、少しだけ欠けたピースをそっと崩す――ひとたび口に入れた瞬間に広がるのは、花の咲き誇るような満面の笑みだ。
「わぁ美味しい! ねえ、氷上くん?」
……あぁ、そうだな」
 にこり、と笑いながらコーヒーカップにそっと口をつければ、喉をつたうあたたかさと心地よいほろ苦さの奥で、いくつもの言い知れようのない感情が溶けていくのを僕は感じる。
 同じ時間を過ごして、同じものを分け合うことはこんなにもいとおしくてたまらない――そんな、いつしか〝当たり前〟になりすぎて忘れてしまっていたことの尊さを改めて教えてくれたのもまた、彼女だった。

 2月14日はチョコレートを贈りあうことを通して、身近な人との感謝や愛情を確かめ合う日――人によってはそれは、大切な人への一世一代の愛の告白を意味することもある。
 僕たちの間にあるものはまだ、〝それ〟には少し遠いようだけれど――いまこの瞬間にしか分かちあえない喜びを寄せ合うように穏やかに笑いあう。いまはただそれだけでも、こんなにも十分すぎるほどに幸福だ。
 やわらかに満ち足りた思いに心ごと沈み込んでいくかのような心地になりながら、ほんのひとときだけ、瞼を閉じてみる。
 ――大丈夫、夢なんかじゃあるはずもない。ほら、証拠だってちゃんと残っているから、こんなにも確かに。
 手の中にそっと降りてきた小さな星を慈しむかのようにそっとパッケージをなぞり、気づかれないようにと小さく息を吐く。
 ホワイトデーまではあと一月。この素敵な贈り物に見合うだけのお返しを探すことも、明日からのとっておきの楽しみのひとつだ。