かいえ
2025-03-02 20:36:11
12269文字
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【とら武】DAYS

2023年7月2日芭流覇羅×花垣武道オンリーwebイベント『ヴァルホルの廃屋』で発行したとら武本から
料理上手な一虎君と、その一虎君に甘やかされている武道が同棲している可愛いお話
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 今日は待ちに待った給料日だった。そんなに沢山貰える訳ではないけれど、それでも、給料日はいつでも楽しい気分になってしまう。しかも、たまたまシフトを交代してあげた関係で、珍しく日中に終わる勤務時間になったのだ。
 退勤時間が来て、ロッカールームに駆け込むと、身に着けていた赤いエプロンを取って、自分のロッカーに片付けた。
 店を出た足で駅前のATMに行って、残高照会をする。給料分増えた残高を見てニヤついてしまった。先月より少し多く働いたから、残高がちょっとだけ多くなっているのだ。お金を下ろしても、手数料が取られない時間帯というのが、また嬉しくてウキウキしてくる。
 今夜は数週間振りに巡ってきた調理当番で、オレは一虎君に何を食べさせようか考えていた。最寄りのスーパーに向かって歩き出して、でも、今夜は一虎君と外食しても良いかもと思ってしまった。いつもより多い振込額が、オレの気持ちを大きくさせたせいかもしれない。自分が作った不味い料理より、たまには美味しいものを食べて貰いたいと思ったのだ。
 一虎君が勤めるペケジェイはまだ営業中だったから、直接お店に行って提案する事に決めた。
ペケジェイというのは、オレの相棒の千冬が経営しているペットショップだ。一虎君はそこで店員をしている。獣医を目指している場地さんも、将来的にペケジェイに合流する為、嫌いな勉強に日夜明け暮れていた。
 周囲の反対を押し切って、十代で店を持ったのは、場地さんの学費を何とかしたいと言う千冬の執念からだ。やはり、六年間に及ぶ高額な大学の授業料は、奨学金だけでは賄いきれないようだった。それに、日本の奨学金は、外国と違って借りるものがほとんどで、奨学金と言う名の教育ローンでしか無く、貰えるものだと思っていたオレには衝撃的な真実だった。例え、金利が一般のローンより低く設定されていたとしても、社会人のスタートラインになった時に、マイナスから始まるのは辛いものだ。だから、出来るだけ借りないようにしたかったのだろう。
 現状、千冬はいつも忙しそうにしているので、ペケジェイは結構繁盛しているようだった。お店が軌道に乗って、オレとしてもすごくホッとしている。同時に、同い年でオーナーになった千冬を尊敬していた。
「タケミチ?」
 お店のガラス扉を開けてすぐ、一虎君はオレに気が付いてくれた。
「どうした?」
 奥の方から駈け寄ってうれた一虎君が笑う。嬉しそうに笑いかけてくる一虎君は、やはりアイドルみたいにキラキラして眩しかった。
「実は同僚とシフトを変わってあげたので、こんなに早い時間に仕事が終わりまして。で、今夜は外食に行こうかと 思うんですけど、どうっスか? オレ、給料日なので奢りますよ」
「マジで?」
 一虎君はオレの提案に瞳を輝かして喜んでいる。オレの手料理を回避したのが嬉しいとかだったらどうしようと、内心オレは思ってしまった。
「マジっス」

 ところが、マジだと答えた途端、一虎君が今度は無言になってしまったから、オレは焦ってしまった。
「一虎君? 家で食べる方が良かった?」
 たまの当番のくせに手を抜くなという事なのかもしれない。だって、一虎君はほぼ毎日オレに夕飯を作ってくれているのだ。
「ちがっ外食行く! 絶対行くから!」
 ものすごい勢いで否定する一虎君に押されつつ、オレは「はい」と返事をするしかなかった。
「仕事終わるまで、そこに座って待ってろよ?」
 一虎君はお店の商談に使う応接コーナーに座るように指示したから、オレは素直に「分かりました」と答えて、椅子に腰を下ろした。それを満足そうに見てから、一虎君は「千冬、お茶出して」と声を掛けた。
「オーナーをこき使うなよ」
 レジから歩いて来た千冬が苦笑している。
「いーじゃん。オレ、今から1件予約入ってるからさ~」
「はいはい」
 千冬の返事も待たずに、店の一番奥にあるトリミングコーナーに一虎は向かって行った。すれ違う様にオレの方に近付いてくる千冬に手を上げた。
「ごめん。営業中に来ちゃって」
「何言ってんだよ。いつでも、来いよ、相棒。で、何が飲みたい? コーヒーか紅茶しかないけど」
 一虎君に言われた通り、千冬は本当にオレにお茶を出す気なんだとちょっと笑った。そして二人の関係性が良いとオレは思って胸の奥がじんわりとした。
「えっと、じゃあコーヒー貰える? 出来たら甘いやつ」
「オッケー」
 千冬は店の奥にある簡易キッチン付きの事務所に行き、コーヒーを持って戻って来た。コーヒーは紙コップでは無く、明らかに従業員用の陶器のマグカップで、コーヒーはリクエスト通り凄く甘かった。
 そう言えば働いている一虎君を初めて見る事に気が付いた。一虎君は手慣れた様子でドライヤーをした後のポメラニアンをブラッシングしていた。
「今日も良い子にしててお利口さんだったな、ロミ」
 抱いている犬に向かって話しかける一虎君という、かなりレアな場面を見てしまった気がする。犬相手にも容赦無くいつもの笑みを向けているのを知ってしまった。ロミはふわふわの尻尾を振って、一虎君の唇付近を舐める。くすぐったいと笑う一虎君にドキドキしたのはオレだけじゃ無いようで、迎えに来た若い女性の飼い主さんのハートも直撃してしまったようだ。
「一虎君ってモテそうだよね」
「へ?」
 オレの問いかけに千冬が何の事? という表情を浮かべながら返事をした。
「あんなに格好良いんだもん。お店で立ってたらナンパとかされちゃうでしょ?」
 一虎君がロミちゃんと呼ばれていた犬を飼い主さんに手渡していた。少し指先が触れて、飼い主さんま真っ赤になっている。
「いやどうだろう」
「一虎君の接客めちゃくちゃ笑顔が眩しいね」
「あー。あれは相棒がいるから張り切ってるだけだって。普段はあそこまで愛想は良くないぞ?」
「一虎君は中学校の時もモテモテでさ。バレンタインデーの日は毎年凄かった。下駄箱にも机の中に入り切れないチョコが詰め込まれててさ。千冬は学校が違うから知らないだろうけど。めちゃくちゃモテていたんだよ」
「へぇ、そうだったんだ」
 一虎君は自分がモテている事を東京卍會で話す事が無かったので、昔からの知り合いである千冬でさえ知らない。普通なら自慢しても良い話なのに、一虎君はそういう浮ついた話を全くしなかった。本当に硬派な不良だったんだなとしみじみ思う。
 だから、接客していてモテているという話も耳に入ってこないのだと知ってしまった。一虎君は現在進行形であの頃のままだったのだ。
 女性は「今度お茶でもしないですか? ロミも羽宮さんのこと大好きなので散歩がてらいかがです?」と、果敢に一虎君にアタックしている。でも、一虎君は営業用のスマイルでやんわりとお断りしていた。相変わらずガードが堅いんだなとか思って、もう一口コーヒーを飲んだ。
「なんで、オレなんかと暮らしているのか分かんなくなる」

「どうして一虎君に彼女がいないのか、千冬は分かる?」
「なんでだろうなよーく考えたら、おバカな相棒にも分かるかもしれないけどな」
「確かにオレはバカだけどさ。はっきり言う事ないじゃないか」
「ごめんごめん。でもさ、なんでって思ったんなら、この機会に自分でもっと考えてみるのも良くね?」
「うーん。一虎君に彼女がいない理由かすごく好きな人がいるとか?」
「それで?」
「んー死んじゃったとか?」
「そっちの方行くのかよ、相棒」
「だって。そういう漫画あったじゃん? 千冬が貸してくれた奴に」
確かにあったな。だが、これは作り話じゃなくて現実なんだよ、相棒。もっと現実的な方向で考えてみろよ?」
「じゃあ好きな相手は別の男と付き合っているとか?」
「そうくるか
「他にある?」
「たまに一虎君が可哀想に思えてくるよ」
「どういう意味?」
「何でもない。あ、お客さんだ。ちょっと席外すけど、寛いでろよ、相棒」
「ううん」
 結局、答えは出ないまま、オレは千冬の背中を見送った。
「ごちそうさま」
 店の外に先に出ていた一虎君は、オレに気が付いて暖簾を持ち上げてくれながらそう言った。会計の時に外に出て待つのも、店から出てきたオレへ律儀にお礼を言ってくれるのも、ちゃんと躾けられた感じが出ていて、一虎君の知らない側面を見た気がした。そういえば、いつもお奢って貰ってばかりで、オレが奢ったのは初めてかもしれなかった。
「いえ、いつも美味しいものを食べさせてくれているお礼ですから」
 外はすっかり日が暮れていたけれど、昼間の暑さが辺りに漂っていて、締めっぽくて温い空気に全身が包まれた。もう夏だと、梅雨も明けていないのに思ってしまった。
 居酒屋からマンションまでは徒歩数分だったから、オレと一虎君は歩道のない道を並んで歩いた。こういう時、一虎君はさりげなく車道側を歩く。他の人には感知できない一虎君の優しさをオレは直ぐに気づいてしまう。
「タケミチ、オレの料理好き?」
 一虎君も酔っているのか上機嫌で、居酒屋にいる時からずっとにこにこしていたが、横を歩く一虎君は今も機嫌が良いままだった。
「はい、好きですよ」
 一虎君がふふっと笑った。あの時、犬にキスされて笑ったみたいに、どこか照れた表情だったから、オレはまたドキドキしてくるのを感じていた。
 多分、オレも少しだけ酔っぱらっていたのだと思う。だから、変なことを聞いてしまった。ポメラニアが一虎君の口元を舐めるから、あの映像が脳裏から消えてくれないのだ。
「一虎君、キスしたことあります?」
 一虎君は「え?」と驚いた顔をしてオレを見た。
 ハッと我に返って、何言っちゃってんだろうと、オレは両手で口を塞いだけれど、もう既に時は遅しという感じで。
「タケミチ、キスしたいの?」
 横を歩く一虎君の少し掠れた低い声。
「いえ、そういうんじゃなくてあのすみません。聞かなかったことに」
「聞いちゃったからムリ」
 いつの間にか、住んでいるマンションに到着していた。
「ねぇ、キスしたいの?」
 ぐいっと両手首を掴まれて、マンションのエントランスで一虎君と向き合っていた。オレを見る一虎君の視線に甘い感じは無くとても鋭い。オレから切り出した話題なのに、酷く持て余し展開についていけなくて、何も言葉が出てこなかった。
「いいよ、キスしてやろうか?」
 一虎君の瞳がキラキラして、画面の向こうにいるアイドルみたいで、現実離れして見えた。そのせいで、自分までもがドラマの主人公になったみたいな感覚に陥いってしまう。とても現実の事とは思えなくて、映像を見ているような気分なのだ。
 けれども、この湿度の高いねっとりとした温い空気が、これは現実で、目の前で起きている事なのだと教えてくれた。首の後ろがしっとりと汗ばむ感覚に息を飲む。
口の端を軽く上げた一虎君は、オレと違って経験が豊富そうに見えた。誰かと付き合っているとか、今まで聞いたことがなかったけれど、これで経験が無いなんてありえないとオレは思ってしまう。
ずっと一緒に居た気がして、一虎君の事は何でも知った気でいたけれど、今日初めて職場での一虎君を見たように、四六時中一緒に居た訳ではない。オレに他の友人がいたように、一虎君にもオレとは違う誰かがいたのだ。そんな当たり前の事に気が付いて、なんとも言えない気分になった。
 その時の気持ちを何と言うか分からなかった。裏切られたような、心の一部が切り取られたような。ともかく、何かを喪失したようなもやもやとした気持ち。不安定な場所に立っているような、初めての感情に我を忘れた。
 一虎君の唇が、オレの唇の表面に軽く触れて、微かな電流が唇から脳天を貫いたから、身体が勝手にびくっと反応してしまった。マンションのエントランスに人影はない。でも、こんな公共の場で、唇が隙間なく触れあっているのが不思議な気分だった。
 なんでキスされてるんだろう。
 探るような一虎君の瞳に、心の奥底まで見られているようで恥ずかしくなってそっと瞼を閉じる。一虎君の唇が微笑んだ気がして、さっき感じたモヤモヤした気持ちが薄れていくのを感じる。触れあったところが熱くて、ドキドキが加速して、オレはそのまま柔らかいキスを受け入れてしまったのだった。