夢篠
2025-03-02 09:25:12
2229文字
Public 兄弟星(雑渡双子弟)
 
1209298

兄弟星隠る、宙想う

雑渡の双子弟は押都と交流があった


死んでしまった者を偲ぶ事は、とても少ない。誰も彼も一人ひとり、名前も顔も交わした言葉も覚えているから忘れてしまった、というとそれは語弊があるが、過ぎ去った者の顔が過ぎると不都合な場面が多い事もまた事実だ。だから想い出す事はとても少なかった。その少ない機会にいつも浮かぶ顔がある。

彼は先代の組頭の息子だった。立ち位置は当代組頭の双子の弟にあたる。里では無能の誹りを受けていたがそれにしては妙に気配に聡く、同年代の中で一番気配を殺すのが上手かった私の気配を容易に見付ける事が出来た。その反面、気配を殺すのが下手糞だった。それが彼に、ナマエに抱いた最初の印象だった。

初めてナマエに近付いた事に特に意味は無かった。周りが軽率に槍玉に挙げる、私より幾分か年若の「噂の若様」とやらを少し観察でもしようかと、そんな軽々しい気持ちだったような気がする。思えばきっとこの時は、私も周りのナマエに対する振る舞いを馬鹿馬鹿しいと思いながらも、その能力について何の根拠も無く疑わしさを感じていたのだと思う。

物陰に潜んでじっと観察する。立ち居振る舞いは大人顔負けだが、気配の仕舞い方を知らないようだった。それは里に生きる者が生きる為に最初に習う事だった。此処に生きる者は皆、平時より気配を薄くさせる事が癖付いている。それ故に、ナマエはそこにいるだけでその存在が酷く目立っていた。

…………そこのお前。見えているぞ」

不意に声だけを向けられた。その声は明らかに私に投げ付けられていたから正直な所驚いた。私の気配自体は完全に消えていた筈だ。件の若様は幼い頃こそ、末は将来の組頭だと持て囃されたと聞いているが、今は正式な訓練も受けずにほっつき歩いていたのだから、まさかこの遊びに勘付かれるとも思っていなかった。

「これは、失礼を……

姿を現して平伏すると目の前の少年は私に目を向けた気配がした。顔を上げろと言われたので上げる。絡んだ視線に喉が上下するのを感じた。その目がとても強く光を放っていたからだ。忍びの里に生まれたのにそれ程強い力を放っていては目立ってしまうだろうと要らぬ心配が湧いた。

……、お前、押都だな」

……私の事をご存知ですか」

「知っている。里の人間は、その妻も子らも含め、顔も名前も皆知っている。我が父が手足と使う人々なのだから」

何でもない、当たり前の事のようにそれを言葉にされると少し感心してしまう。まだ十に満たぬ子ながら胆力があると思った。それと同時に周囲の下らぬ噂に少し疑義を持った。目の前の幼子はその顔貌に似合わぬ威厳の備わった佇まいをしていた。それは生まれながらの人を惹く才だと思った。

……当ててやろうか、押都。お前が何故私を見ていたか。お前は『噂の若様』とやらを揶揄いに来たのだろう」

……まさか、御冗談を」

口にした言葉は本音であった。まさかこれ程までに聡明とは思わなかった。隠密に向く特性を己は天賦の才として与えられたと思っていた。気配を殺せば大人ですら私を見付けるのは容易ではないというのに。私の言葉に彼は笑った。

「取り繕う必要は無い。だが、次も無い。用が無ければ私に構うな。行け」

そう言うと彼は私から視線を外して背を向けた。それが酷く、惜しいと思ったのを覚えている。だから、それから私は若様を見掛ける度に物陰に忍びその姿を観察した。

「押都」
「おい」
「良い加減にしろ」

毎回毎回、若様は忍ぶ私に気付き、私の存在を認知し、そして声を掛けた。「次は無い」そう言われたのに何度そんな下らない戯れを繰り返しただろう。若様は一度も私を罰しなかった。それは彼の立場なら容易に出来る事であったのに。

「お前も飽きないね」

初めて言葉を交わしてから数年は経った時、彼が初めて困ったように笑った。それは「若様」の面を外した、彼の素顔のように見えた。

いつの間にか私は若様をナマエと呼ぶ事を許され、ナマエは私を長烈と呼ぶようになった。それでもこの、児戯のような鬼事は続いていた。呆れるような言葉と共に殺していた気配を出す。ナマエは未だにその目立つ気配を入れる器が見つからないようだった。

ナマエの気配は分かりやすいからな。姿が見えずともそこにいるのが分かる」

それは戯れの言葉だった。ナマエは恐らく、忍びとして前線に出るのではなく後方に回るのだろうと思ったからだ。あんなに目立つ気配を隠す術など最早無いだろう、そう思っていた。なのに、ナマエは里から消えた。その名残すら残さずに。

それは「噂の若様二人」が大人になる前日だった。偶々見張りに出る筈だった者が怪我をして、何の巡り合わせか代役として私がその番をした。一晩中気を張っていた筈なのに、里から出る道はそこしか無いのに、そこを通った筈のナマエの気配を、私は感じ取る事が出来なかった。あれだけ目立つ、大きくて存在感のあった気配を、「本当のナマエ」は己の器に入れて仕舞えたという事だったのか。

その問いの答えは今となってはもう分からない、知る術も無い事だった。ナマエの本当の実力も、あの戯れの日々をナマエがどう思っていたのかも。