つきのせ さぶろく
2025-02-27 19:37:02
1937文字
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2025/02/27習作 ドッグタグ・キス

グドモ重病人|救世燈痲🕯️
未完成(2025/02/27現在) 現状シナリオネタバレなし


 木漏れ日をかき分けた先に、カーテンを閉め切ったドアが見えた。そんな小さなプレハブの建物で長く過ごしていたことを思い出した。都心郊外の山近い場所、少し車を走らせれば小規模な住宅街があって、大きくはないが商業施設もいくつかある。決して住みにくい街ではないが、都会に慣れていれば少々不便を感じるだろう静かな街だ。海は遠くにあって、若葉の匂いだけが高く香っていた。最寄駅でさえ車で数十分はかかる。ここまでやってくる人間は、大抵人目を避けたい者ばかりであった。そして、ここで暮らしていた己自身もまた、誰の目にも留まらないほうがいい人間だったことは間違いない。
 医師免許を手にしてまだ十年も経っていなかったが、少ないながらも途切れずに患者は現れる。ただし、どの人間も国民保険すら入っていない。これだけで厄介だと通常は忌避するのだが、この道を選んだからにはこれが当たり前だと思い込むようにしていた。実質、自身も医師免許はあれどそれはほぼ機能していないつもりでいた。歴史的人気漫画家の医療ものの主人公みたいだと言われたこともあったが、そのキャラクターほどの信念を抱いているかと言われれば、きっと持ち合わせていなかっただろう。
 その頃は、ひたすらに訪ねてくる患者の最期を見送っていた。ある程度の苦しみは取り除くが、もう道を歩くことはできないと悟っている人間の背中を無理に押し出すことなどできなかったからだ。人体の内側は並の想像以上に脆く、一つの末端が傷つくだけでもう数日の命になることさえある。
「ここの庭、バラがあったんですね」
 最後の患者は、このプレハブの外に目を遣っていた。これほど余裕があるように見えるのは、患者が運命を受け入れているからだった。
「え、ああ……。どうもそのようだよ。俺が来た頃にはもう枯れていたんだけどね」
「植物は専門外?」
「さすがにね。……言葉がわかれば、どうにかしてあげられたりするかな」
「へえ、先生意外とロマンチックだ」
「からかうなよ、消えそうな命は無視したくないってだけさ」
「お医者さんって感じ」
「まあ、これでもお医者さんだからねえ」
 細い口のやかんから白い湯気が燻る。窓の外で揺れる緑の間に、背の低い枯れ木が俯いていた。とうに花も葉も落ちており、もうあとはそのまま朽ちて土に還るのを待つばかりのものだ。それをじっと眺める瞳には、大輪のバラたちが見えていたのだろうか。
 マグカップに温かいコーヒーが注がれて、ほろ苦い香りが部屋を満たした。細く開けた窓から風が入り込んでカーテンを揺らしている。
「飲んでいいの?」
……もちろん」
 きっと来月には、白湯すら口にできないだろうから。その事実は隠したままでいたが、態度までは隠し通せないだろうと悟っていた。

 その患者がやってきて半月ほどで、強い鎮痛剤が目に見えて減り始めた。もう窓越しにバラを夢見るその人はいなかった。痛みは他人には測ることができない。なんとか数値にして表現しても、本質は共有できないのだ。この歯痒さを抱えながら、来る日も来る日も数ある鎮痛剤を選分けていた。人間はどうしても、死の間際の激痛を避けることができないのだ。せめて心だけでも通わせて、安らかであれと願うしかない。
 人が永い眠りにつく時、機械的にリズムを刻む音がだんだんと遅くなる。浮いた肋の上下運動もどんどん緩慢になって、最後は顎で呼吸をする。静かに、緩やかに、溶けるように、消えていくのだ。命の灯火とは言うが、命とは炎の方ではなく、蝋燭の蝋の部分だろうと毎度思わされる。生きることそのものが炎であり、命はその炎を支える蝋であるのだ。
 痛みに喘ぐだけの患者の手を強く握った。微かな炎は手を握り返して、その熱を伝えてくる。まだ生きていることが刺さるように伝わってくる。死の恐怖は足が遅いくせに、いざ目の前に来ると酷い重圧で心を押し潰そうとする。その重圧を少しでも分散するのが看取る側の責務だ。痩せた手からだんだんと力強さが失われていく。
 長く途切れない電子音と共に灯火は消えた。消えたばかりの蝋燭が熱いように、握っていた手のひらにもまた、ほのかな熱が残っていた。何も持たない患者たちは、どうしてこの辺境の診療所までやってきたのだろうか。無論、患者のバックグラウンドは人格分析に必要なものだが、込み入ったことは話したがらないのが常だ。この穏やかな時間に、抱えているドス黒いものを混ぜたくない。だれもがそんな意思を垣間見せていた。それならと、極力穏やかな時間を作る努力だけしていた。