氷紀
2025-02-21 18:43:19
5240文字
Public とある息子たちの話
 

とある放蕩息子の追想

ゲ謎派生パラレルワールドの〓×6期の👹 『とある~』シリーズの続き。
かつてゲタくんが出会ったある人間のこと。
『とある放蕩息子の追憶』の後日談的なお話なのでモブゲタ的な要素が混ざっています。

「あの、これ……
 そいつが僕に向かって差し出したのは、金貨三枚が入った透明なケース。いつも使ってる傷薬を棚にしまおうとして、隙間からこぼれ落ちたのを、拾い上げてくれたのだ。
 薄い擦り傷だらけのケースの中に、明治三年、という文字が見て取れる、ぴかぴかの金貨が三枚。……確かに、この安アパートの風景に対しては明らかに不釣り合いだろう。
 僕は思わず苦笑した。なつかしい顔を思い出す。ずっとしまい込んだままだった――あれから流れ流れて、この街に居付くまでの間も手放せず、ずっとしまい込んでいたもの。売れば相当な金になるらしい代物で、どう見ても流れ者でしかない僕が持っていたら、やっぱりおかしいよな、と思う。これをカバンにしのばせたまま職務質問にひっかかったら、盗品の疑いを掛けられるに違いない。
 それくらい、ここにあるのが不自然な品だ。
 ……それでも、手放せないでいる。ずっと。
「もらいものサ」
「だ、誰から……?」
 あまりにも不審だった所為だろう、そいつはやや固まった表情で僕を見上げて、問いを重ねてくる。
 苦笑を深くしながら、僕はいつものように、煙草に火を付けた。――そういえば、あの人の前では、僕は一回も煙草を吸わなかったっけ。
「もう何年前だったか……、こことは違う街で、ちょっとトラブルに巻き込まれたことがあってナ。ドジ踏んで怪我した僕を、通りがかりに見かけて、何故か手当てをしてくれた、妙な人間がいたのサ。その人からもらったんだヨ」
「怪我の手当てと、……こんな、きれいな金貨まで?」
……うん。その人は、元々は大学で昭和の文学を教えてた先生でネ。定年で大学を辞めて、……奥さんを亡くして、独りで暮らしてた人だった」

 田中君、と呼びかけてくれた声は、今でも思い出せる。
 ――今はもういない、忘れられない人間の一人だ。

 あのとき連れて行かれた家には、古い本がたくさんあった。水木さんが生きていた時代のものもいっぱい――それで、そのひとはほんの一時だけだったけれど、僕に『居場所』をくれた。ここを君の図書館代わりにするかい、って。

「かなり年配で、僕が初めて会ったその頃から、もう病気を抱えてたみたいで。僕にその金貨と、そこそこまとまったお金と、本を二冊だけ遺して、……逝っちゃったヨ」
「そう……なんですか」
 ケースの中の金貨を見つめたまま、そいつは呟いた。
 僕は灰皿の上で、煙草の灰を落とす。
「あと、あれもいつだったっけなァ……、ねずみの奴に、『この金貨、売れば金になる!』って目をつけられて、一回カバンからスられたこともあるヨ。少し懲らしめてやったら、すぐ返してくれたけどナ」
 冗談めいた声音で、その『少し』の中身はごまかしておく。金貨を取り返して以降、ねずみが僕を訪ねてくることはなくなった。カラスたちの噂によれば、僕がフラフラしている範囲には、ねずみは一切近づこうともしないらしい。……あのとき僕がやったのはそれくらいの所業、ってことだ。具体的に何をしたかは、あんまりそいつには言いたくない。
 でも、言わなくても何となく、僕の所業が伝わっちまったんだろう。そいつは僕の表情をうかがうような視線を寄越したので、軽く肩をすくめて答えた。
「憎からず思った人の形見に手をだされたら、さすがに見逃せないだろ」
「こっちでも相変わらずなんですね。ねずみ男……
「そっちとこっちには、僕とお前くらいの差しかないからナ」
「ねずみ男の差もそれくらい、なんですね」
 そいつはかるく息をついて、手の中のコインケースを少し傾ける。
 金色の反射光を眺めているらしかった。
……きれい」
「どうも、売れば金になる、ってのはホントらしくてネ。三枚セットで売れば、この街の外れに、小さい家が土地付きで買えるくらいの額になる、って砂かけ婆に言われたけど……売れないヨ」
 声に、つい本音がにじむ。
 森を離れて、おおよそろくでもない時間を過ごしている僕にとって、ほとんど唯一の――やわらかな時間と、静かな思い出をくれたひと。
「他の何かと引き換えにできるものじゃない、……ですよね」
「うん。あの本も……
 また、煙草の灰を灰皿に落とす。僕は視線で壁際の棚を差した。
 元々コインケースが入っていた隙間の隣には、古い本が二冊ある。新書版の南極越冬記と、帝国血液銀行について書かれた、四六版のハードカバーだ。
 同じように棚に目をやったそいつが、あ、と小さく息をつく。その本の意味に気づいたんだろう。僕は腕を伸ばして、棚から二冊の本を引き出した。貰ったあの頃より更に古びた感じになっていて、安アパートにはしっかり馴染んで見える。
「南極越冬記って、水木さんが読んでた」
「そう。あとこっちは何か、論文集?みたいので、内容は難し過ぎてよく分からないンだけどサ。資料の写真が、いっぱい載ってて……
 四六版の方を、開いて示す。そいつは大きく息を呑んだ。
 ……そうだろう。あの人の本棚でこれを見つけたとき、僕も同じ反応をした。
 帝国血液銀行の建物。水木さんと同じ時代、同じ場所で生きた同僚の人々。なつかしい街の風景――写真は全て白黒で、決して画質がいいとは言えないけど、あの時代を実際に生きた僕にとっては、想像で充分補える程度のものだ。その中に一枚でも、あの顔は映っていないかと、つい探してしまうくらいには。
 そいつはコインケースをテーブルに置き、かわりに四六版の本を手に取って、食い入るように見つめながら、ページをめくりはじめた。その気持ちは、とてもよく分かる。
 黙り込んでしまったそいつの隣で、僕は煙草を一本吸い終わった。
 でもまだそいつは本に夢中になっているので、僕は二本目に火を付ける代わりに、南極越冬記の方を開く。本文ではなく、挟んでおいた縦型封筒の方が目当てだ。
 封筒はよくある事務用の封筒。そのままでは本からはみ出してしまうから、二つ折りにして本に挟んで、持ち運んでいた。そして今もここにある。
 折り目こそついているけれど、封筒も中の便箋も、しっかりしたものだ。便箋を取りだして広げてみれば、もう何度も見返した文字が、また視界に映った。

『こんなものしか残せないが、君の生活の足しになれば良いと思う
 私の人生の最後に現れてくれて、ありがとう

 黒岩くろいわただしより 隻眼白髪はくはつの君へ』

 ずっと封筒に入れて挟んでいたお陰か、便箋も書かれた文字も、ほとんど褪色はしていない。文字は少し弱々しい印象だけれど、ブルーブラックはまだ鮮やかで――
 顔も、触れた感触も覚えてる。死の床についた、老いた体の温度。
 あの家に通っていた期間なんて、多分、半年にも満たないだろう。二十年かそこらの放蕩生活を考えれば、ほんの少しの時間、と言っていい。
 それに黒岩さんに会ったからといって、僕の何かが変わったわけでもない。黒岩さんが逝ってしまってから、僕は元の通りの放蕩生活を続けていた。
 人間の嫌な面は山ほど見た。いっそ絶望してしまった方が楽だったのか、とは何度も考えた。それでも、今の人間に絶望しきってしまえないのは、この金貨三枚と二冊の本があるからだ。水木さんのようなことをする人間が、まだこの世界に残っているという事実。
 結局、僕は今もぼんやり生きている。
 人間だったら百年少々を耐えれば終わる、でも幽霊族の時間は長い。長すぎるほど長い。自分の命を持てあまして彷徨っている事実は、変えようもなかった。
 もう一度筆跡に目を落とす。
 ほんの僅かに心が疼いた。恋しい、というにはあまりにも微かすぎる疼き。いくら慕ってみたところで、その人はもういない。
 僕は何も言わないまま、便箋を封筒に戻して畳み、南極越冬記の中に挟んだ。
 隣のそいつはまだ、ハードカバーの本に食らいついている。
 でもその手の中にある残りページの厚みを見れば、あともう少し、というところだろう。僕は二本目の煙草に火を付けて、しばらく黙っていた。