Hizuki
2025-02-14 22:22:08
5317文字
Public あんスタ[薫あん]
 

お好みの味を、あなただけに

【あんスタ】薫あん。というより薫→←あん。みんなに渡すためのチョコレートの試食を薫に頼んだあんずの話。前半はあんず視点、後半は薫視点。本当に知りたいことは。



次の打ち合わせまで少し休憩しようとシナモンに立ち寄り、奥のカウンター席を陣取った。スマートフォンを鞄から取り出して、ホールハンズを立ち上げる。連絡先の一覧をスクロールしていって、今の私が探しているとある人の名前でその手を止めた。
は行の頭の方に名前が出てくるその人。
探している時ほど見つからないのはどうしてだろう、と小さく溜め息を吐く。会える時は何もない時にESの廊下ですれ違うことだってあるのに。仕事に関することならホールハンズで連絡すれば済むことだけれど、個人的な用事である今回はそうはいかない。だからこそ、こうして連絡もできずにいるわけで。もしかしたらここでなら会えるかもしれない、とわずかな期待を込めて立ち寄った部分も少なからずある。

「あんずちゃん、お疲れさま」
えっ!?あっ、お疲れさまです!」

そんなことを考えていると、不意にかけられた声に慌てて後ろを振り返る。そこに立っていたのは私の探し人、羽風先輩その人だった。私の慌てようを見て、先輩は小さく笑みを漏らした。

「隣、いいかな?」
「は、はい!」

断る理由なんてあるはずもない。まさか先輩の方から来てくれるなんて、これ以上ない好機だった。名前が表示されたままのスマートフォンを伏せてテーブルの上のトレーの横に置くと、先輩は私の右隣の席に腰を下ろした。先輩も私と同じ期間限定のホットドリンクを注文したらしい。トレーには同じマグカップが乗っていた。最近のお互いのことを話しながら、揃ってそれを味わって一息ついた頃、本題を切り出そうと口を開いた。

あの、お仕事、ってわけではないんですけど、先輩にお願いしたいことがあるんです」
「ん、俺に?」
というより、羽風先輩がいいんです」

視線はまだ半分ほど中身が残っているマグカップに向けた。テーブルの下で組んだ指に力を込める。控えめな声で続けたことも聞こえたらしい。先輩は小さく首を傾げる。

バレンタインにみんなに渡すチョコの試食をお願いしたくて」

今は1月の下旬。あと2週間ほどすればその日は来る。いつもお世話になっているみんなに感謝の気持ちを伝えたくて、ささやかだけど贈り物をしたいと思った。甘いものが得意じゃない人もいるから、味の基準を決めるための意見が欲しい。それが先輩にお願いしたいことだった。

「あ~、なるほど、そういうことね」
「はい
「もちろん、いいよ」

即答の返事にぱっと顔を上げて先輩の方を見る。

「他でもないあんずちゃんのお願いだもん。俺にできることなら喜んで」
「ありがとうございます!他の人には頼めなくて

多分断られることはないだろうとは思っていた。とはいえ、やっぱりちゃんと了承を得られてほっとしたのも本当のことだった。にっこりと笑って受けてくれた先輩に、まずはお礼を伝える。3日後の現場のスタジオが先輩の個人の仕事と重なっていたこともあり、そのタイミングで楽屋に持っていくと伝えた。
仮に同じことを他の誰かに頼んだとして、受けてくれるだろう人は他にもいる。けれど、今回だけは、どうしても羽風先輩でなければならない理由があった。



「うん、これくらいがいいんじゃないかな。ちょっとビター寄りで、でもほんのり甘さもあっていい感じだと思う」

そう言って先輩は楽屋のテーブルの上に並べた小さな密閉容器の一つを指し示した。見て分かるように容器の色が違うものを5つ用意して、先輩が選んだのは黄色のものだった。

「ありがとうございます。じゃあ、本番もこれにしようかな」
「っていうか、俺が知ってる限りあんずちゃんが作ったって言ったら、食べない人はいないと思うよ?」

最後に残っていた一つを摘まみ上げて口に運ぶ。指先に付いたココアパウダーをぺろりと舐めると、ティッシュで拭う。先輩が付け加えてくれた言葉に、嬉しいけれど少し気恥ずかしくもなってしまう。それをごまかすように視線を逸らして、空になった容器とふたに手を伸ばした。一応これで『表向き』の目的は果たされた。

先輩は、どんなのがいいですか?」

容器を自分の方に寄せながら、小声で尋ねてみる。2人しかいないのだから、届かないわけがない。

ん?えっ、俺?」
「はい先輩の、好みを聞いています

少し間が開いて、不思議そうな声が返ってきた。みんなに渡すものとは別の、それのための先輩の好みが知りたい。私の『本当』の目的はこっちだった。続けて返事に迷っているのか、唸るような、悩ましそうな声が聞こえる。その声を聞きながら容器とふたを重ねて、持ってきたミニトートに片付けていく。

「えっと俺は、もっと甘いのでもいいかな、って思うけど

返ってきたのは慎重な答え。所々に開いた間からはその質問の理由を尋ねたいという思いが見え隠れする。さっき選んでくれたものは、持ってきた中でも一番甘いものだった。みんなが食べられるように、というところを汲んでくれたところがそれなわけで、甘いものが好きな先輩からすれば、そういう答えが返ってくるのにも納得がいく。

き、貴重なご意見ありがとうございます!参考にさせてもらいますね!」

全部の片付けを終えて立ち上がると、勢いよく先輩に頭を下げる。さっきのお礼よりも大きくなった声に自分でも驚いてしまった。
何を言っているんだろう、私は。

「それじゃまた!お疲れさまです!」

恥ずかしくなってその場にいられなくなって、慌てて荷物を掴むと先輩の楽屋を出た。目的はちゃんと果たせた。でも、もう少しってどれくらいだろう。とはいえ、これ以上は先輩に聞けない。普段の先輩の様子を思い返しながら、早足でその場を離れる。まだ伝えられない想いは甘さに変えて、先輩のためだけのチョコレートに込めることにする。いつかちゃんと言葉にできる時が来ることを願いながら。