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夢篠
2025-02-11 20:27:56
4188文字
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苦労人山本陣内の話
1
2
「わあ、
ナマエ
ちゃん今日も可愛いね。連れて帰っちゃいたい。閉じ込めたい」
「ふふ、雑渡さんてば冗談キツいですよ。私はまだ勉学に励みたいので、取り敢えず卒業まで待っててくださあい」
「そ、それは卒業したら合法的に囲って良いって事
……
!?」
ニコニコきゅるきゅるキャッキャウフフ
眼前に広がるのは見目麗しい少女と厳つい大男の一見和かな光景である。が、山本陣内は大きく深くため息を吐いた。彼はこのニコニコきゅるきゅるキャッキャウフフの裏に隠された真相を知っているからだ。
遡る程の事も無い。事は昨日起きている。そう、この大男こと、タソガレドキ忍び隊組頭雑渡昆奈門はその立場上阿呆のように忙しい筈なのに昨日も件の少女こと
ナマエ
に会いに来ているのだ。このクソ忙しい時にふざけるなと言いたいがその辺りについては一旦横に置いておく。問題は雑渡が
ナマエ
に対してあまりにも目に余る触れ合いをするからその尻拭い、もとい事後処理をしていた時だった。
「いつもウチの組頭が申し訳ない
……
」
少し無理して手に入れた南蛮菓子の手土産と共に
ナマエ
の許を訪れると彼女はいつものように綺麗な形の眉を困ったように寄せた。
ナマエ
の部屋はとても整えられていて物が少なかった。その少ない物の中に、以前雑渡が山本に助言を受けながら小間物屋で一刻以上悩みまくって選んだ簪が無造作に置かれている。あまりに長い事悩むから小間物屋の主人と山本は白目を剥いていた。ちなみに使われている形跡は無さそうだった。あの一刻半は何だったんだ。
「わあ、なんだかいつもごめんなさい。気を遣って頂かなくて大丈夫なのに」
にこにこと穏やかに笑う
ナマエ
は忍術学園に所属するくのたまだった。見目麗しく性格も穏やかでそれだけだと凡そ忍び向きには見えないが、聞けば腕も滅法立つようで、もうすぐ卒業するためかあちこちの城から引く手数多だそうな。勿論腕だけで無く、その為人を買われてだ。
実際山本も
ナマエ
と膝を突き合わせてみれば、嗚呼確かにこれは人好きするだろうなと思った。見目は入り口に過ぎない。この娘の所作や雰囲気のような物が本能的に人を惹き付けるのだろうと。そしてその雰囲気だかなんだかに。
「ウチの組頭も惹き付けられたようだ
……
」
「
…………
?なんだか申し訳ありません?」
ナマエ
はにこにこと人懐こそうに微笑んでいる。山本は彼女が嫌な顔をしている所を見た事が無かった。
ナマエ
に執心している雑渡がしつこく彼女を口説いたり馴れ馴れしくその身体に触れたりしても。山本から見れば年頃の娘に対してあまりに目に余る所業だ。以前からそれとなく嗜めてはいたが、正直言って暖簾に腕押し糠に釘といった有様だった。
だから、というとなんだが。そして、こう言うときっと
ナマエ
に対して失礼だとも思ってはいるが、山本は仄かに期待のような物を抱いていた。即ち幼い頃から目を掛けてきた、時として不安になるくらいタソガレドキのために身を粉にして働いている雑渡にも安寧とした「帰る場所」が見付かるのではないかと。
勿論この期待は
ナマエ
の感情一切を無視してしまっているから口にはしないけれども、彼女に構う雑渡の表情を見て仕舞えば仄かな期待がともすれば確信に変わってしまいそうになる。幸いウチの組頭は為人は勿論の事、最強で、懐は深いし、
ナマエ
に対する言動は兎も角として女の喜びそうな標準的な言動は知っているし、閨事にも長けているし、その職責上食うにも困らないし、最強だし。条件を数えていけばこれ以上も無い相手ではないか。欠点らしき欠点と言えば少しばかり、
……
否、かなりの悋気家だという事くらいだろうか。毎回毎回学園から帰ってきたら、やれ今日は下級生と距離が近かっただの、同級生の
ナマエ
に対する感情を調べてこいだのと煩いったらない。
……
兎も角、長年側にいる山本には分かる。雑渡は
ナマエ
の事を僅かにでも好いている。少なくとも気にはなっている。なのであとは
ナマエ
の気持ちだけなのだ。雑渡の気持ちはタソガレドキで明確にさせるので、それについて
ナマエ
が雑渡に頷けば良いのだ。それだけでタソガレドキは平和になる。
「その、それで、」
言い淀む山本を
ナマエ
は不思議そうに見詰めている。大きな目が丸く開かれていて、その奥に見える瞳は綺羅綺羅と輝いていた。もう数年もしたら今度は縁談で引く手数多だろう。それならば尚の事、今の内に唾を付けておかなければ、と山本は大きく息を吸った。
「その、ウチの組頭の事なのだが。
……
どのように思っている?」
「
……
?雑渡さんの事、ですか?」
「っそうだ。あのような真似をされて、その、どう感じている?」
大きな瞳が更に丸くなった。吃驚、という表現が相応しいし、大人びた顔は少し幼さを増した。それから
ナマエ
はほわり、と微笑んだ。それはまるで慈愛に満ちた顔そのもので、山本の期待は最高潮に膨れ上がった。
ナマエ
の柔らかそうな唇が言葉を発するために開かれる。
「そうですねえ。死ねば良いのにって思ってます」
え
空気が凍ったのは山本だけだったようで、
ナマエ
は相変わらずにこにこしていた。慈愛に満ちた顔も変わらない。少し尖らさられた唇も変わらず愛らしい。え?目を瞬かせる。そうか、聞き違いだな。聞き違いならば仕方が無いので山本は再度確認しようと思った。
「その、組頭の事は」
「死ねば良いと思います」
……
やはり聞き違いではなかったようだ。
ナマエ
は世界の理を述べるかのように答えた。一分の迷いも無く。これは、もしかして相当まずい状況なのでは?山本は内心で冷や汗が滝のように流れているのを感じた。
「その、」
「女の敵です。最低。誰にでもああいう事をされるんですか?もし他のくのたまにも同じ事をしているんだったら、私絶対許しません」
ナマエ
は変わらずニコニコしている。ニコニコしているのに部屋の空気感のせいで般若のそれに見えてしまう。相当怒っているようだ。それもこれも彼女の雑渡に対する相当に拗れ歪んだ認知のせいだ。否、
ナマエ
は悪くない。悪いのは全て雑渡の
ナマエ
に対する振舞いのせいだ。雑渡が全部悪い。
「え、あ、否、あの人は決して他の女には
……
」
「え?でもこの間、街で綺麗な方と一緒に歩いているのを見かけました。目許の涼やかな少し背の高い方と」
っ、それは多分高坂の女装!山本は叫び出したいのをすんでの所で堪えた。まずい、まずいぞこれは。拗れている。見事に拗れている。ありとあらゆる事象が雑渡の純粋で不器用過ぎる好意の表現をあらぬ方向に捻じ曲げている。
「兎に角、私は雑渡さんの言動を本気にしませんけど、勘違いする子もいるんですから。ちゃんと弁えてくださいって雑渡さんにお伝えくださいね」
ニコニコと可愛らしい笑顔で有無を言わせない般若を背負う
ナマエ
に山本はようやっと、彼女が優秀であるという事を理解した。
と、いうわけで山本は今、とても悩んでいる。それは勿論雑渡に対してどのように忠告すべきか、という事だ。現状のままでは雑渡の想いが
ナマエ
に届く事はまず無い。万に一つも無い。忍びとして常にあらゆる可能性を考える事が癖付いているが、これだけは他の全ての選択肢を秒で消して確信を持って言える。このままでは雑渡は
ナマエ
に振られる。
かといって四十を越えた男がこれまた四十に片足を突っ込みそうな大男に恋愛事のいろはのいから指南するというのか?なんて気持ち悪い字面なんだ。
うーーむ、と一人悩む帰り道。隣に立つ雑渡がはあ、と憂うように息を吐いたのでそちらを見る。彼の隻眼が思い悩むように伏せられていた。
「どうしました」
「んー?
……
別に」
全く持って「別に」ではない声音に山本もため息を吐いてしまう。幼い頃から肝心な事は「別に」と誤魔化してしまうこの男に「別に、とは思ってもいないでしょうに」と笑った。雑渡は拗ねたように唇を尖らせているように見えたが、諦めたように唸った。昔から、彼は山本に負けるとこうやって降参の音を出す。
「
ナマエ
ちゃんはさあ、」
おっと、そっちか。山本は身構えた。もしかしたら今なら雑渡の本心が聞けるかも知れない。もしそうなら、それに応じて
ナマエ
への言動を改めさせる事が出来るかも。山本は口布で隠れた雑渡の口許に注目した。
「私の事どう思ってるんだろ」
「お、」
これはもしかするともしかするかも。正直な所、山本はまだ雑渡がどれくらい
ナマエ
の事を好いているのか量りかねていた。好意はあるだろうが、それが例えば娶りたいくらい好きなのか、とかそういう。だが、これは、もしかして。
「
……
あの子を前にすると、上手く口が回らないんだ。もっと、言いたい事が沢山あるのに」
大の大男がしょんぼりという効果音が付きそうなくらいへにゃへにゃしている一方で山本は雷に打たれたように硬直していた。まずい、まず過ぎる。
雑渡昆奈門は、本気だ!
山本の頭の中を沢山の考えが足早に駆けていく。死地ですらこれ程頭を使った事はないだろう。赤兎馬も斯くやと言わんばかりの駆け足で計画を纏めた山本は雑渡の胸倉を掴む勢いで詰め寄った。
「組頭
……
、否、昆」
「な、なに、陣内」
「特訓だな」
「え、何の、は、」
雑渡が何か言い終わるよりも先に既婚者山本陣内による「気になるあの子の落とし方講座(実習付き)」は幕を開けた。講座は全くの秘匿で行われたのにも関わらず、頻繁に雑渡の悲鳴が聞こえて来るのでタソガレドキの忍びたちは皆背筋を凍らせていたそうな。
***
それからふた月程も経った頃だろうか。
雑渡が妙にそわそわしている事に気付いた尊奈門が山本に相談に来た。明らかにいつもと違う。何かあったのではないかと心配する尊奈門に山本は笑って何も心配する事は無いと言った。
逢瀬の前の男子など、幾つになってもあんなものだから。
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