戸倉
2025-02-08 01:23:12
9201文字
Public 原作軸 牧台
 

Here’s to Love!

原作軸 牧台
はじめてサシ飲みした日
まだお互いに探り合い〜な時のイメージ

「ツイとるわぁ」
 人目を憚らず口角を上げ、左手に引っ提げた酒瓶をゆらゆら揺らす。バイク屋の中年男から譲り受けた希少な酒と共にこれから戻るのは、かなり良心的な値段で取れた宿のシングルルーム。さらに嬉しいことに旅の連れであるヴァッシュとは異なる階層の部屋が取れた。こちらは二階、アイツは三階。各階にある共用の便所で顔を合わせる可能性もない、ということはつまり翌朝まで一人の時間が取れるということ。もう慣れたとはいえ、常に薄い神経の膜を残したまま休息を取るのにも疲れていたところだった。

 一夜限りの、ささやかな我が城に戻り、まず最初に本日の主役である酒瓶を窓際のテーブルにそっと置く。換気のためカーテンと窓を全開にし、夕暮れの街を見下ろしながら深く息を吸った。空気すら美味いと感じるなんて相当に浮かれている。しかし、それほどこの酒は入手できるはずのない品だった。一度だけ、日銭を稼ぐための用心棒の仕事中に金持ちが飲んでいるのを見かけたことがある。この不安定な気候の惑星で何年も熟成させた琥珀色はどんな宝石よりも美しく、日々の暮らしで精一杯の自分には縁遠いものだと思っていた。それが何の因果か今目の前にある。案内人という役割は面倒事が多いが、こうして味わったことのない酒に出会えることだけは感謝してもいい。酒と煙草と美味い飯。クソったれな人生を彩る――誤魔化してくれる三種の神器。

 食料の調達のため街の中心部へ向かったヴァッシュはおそらくまだ宿に戻っていない。あの男は寄り道が多い。子どもに絡まれては一緒に遊び、老婆が荷物を持っていれば家まで送り、面倒事に巻き込まれていそうな人間へ自ら近寄っていくスタイルだ。アレをトラブルメーカーと呼ぶのは、自然と面倒事に巻き込まれてしまう本物のトラブルメーカーに失礼だとさえ思うようになっていた。

 もう少し酒瓶と見つめ合っているか、数日ぶりの風呂で汗を流すか考えていると、外から聞き慣れた呑気な声が聞こえてきた。玄関先で掃除をしていた宿のオーナーとヴァッシュの会話――。双方とも声が大きいせいで内容が丸聞こえだ。いい買い物ができたとか、面白い街だとか、当たり障りのない会話。会って間もないのだから話の内容に深みがないのは当然のこと。しかし、付き合いは浅いものの毎日顔を合わせて共に旅をする仲である自分も、ヴァッシュ・ザ・スタンピードとは中身のない会話しかしたことがない。元々、慣れ合うつもりもないし、明け透けに話せるような過去もない。けれど、今日会ったばかりのあの髭面の親父と自分が同じというのもなんだか面白くなかった。
 小刻みに左脚を揺らし、先ほど購入したばかりの煙草に火をつける。半分ほど灰になったあたりで、ゆったりとした足音が部屋に近づいてきた。そして、控えめなノックが二回――

「ウルフウッド、いるか?」
 ゆっくりと灰を落としてから再び煙草を咥え、不快な音を鳴らす床を踏みしめて扉を開ける。足元で見慣れた赤いコートの裾が揺れていた。
「飯屋の親父さんと話し込んでたら持っていけって、おまけしてくれたんだ」
 大小様々な大きさの紙袋を抱えたヴァッシュが破顔し、四つ抱えていた袋のうち最も大きなものを差し出してくる。
「これは日持ちしそうだからストック。こっちのは明日食べる用」
「おー、おおきに」
 扉に寄りかかり、ありがたく紙袋を受け取る。ずしりと重い袋の中を覗き込むと、一人分にしては多い総菜とパンが詰め込まれていた。
「おどれの分は?」
「ちゃんとあるよ。でも俺は……今日はちょっと飲みたい気分だから、飯は少なめでいいんだ」
 意外な言葉に少々面食らう。よく見れば、ヴァッシュの抱えた紙袋から酒瓶の先端が二つ飛び出している。常に路銀のやりくりに苦労していることもあり、食料に関しては分け合うことが多かったが、煙草や酒のような嗜好品は各々で工面するのが暗黙の了解だった。
「じゃあ、また明日。……お前も、あんまり飲みすぎるなよ」
 ヴァッシュは部屋の奥を一瞥し、唇で薄く笑う。そして返事を待つことなく階段のある方へと去って行った。

 もう吸えない長さになった煙草を灰皿へ押し付け、耳を澄ます。三階の、ちょうど真上の部屋で扉の開く音がした。これから朝まで一人の時間を満喫できる。万が一あの男が逃げようとしても、足音や気配ですぐに気づくだろう。
 食料の入った紙袋をベッドの上に置き、その横に寝転がって薄汚れた天井を見つめる。
――飲みたい気分、なぁ」
 ヴァッシュの口から初めて聞いた言葉を反芻する。酒で誤魔化したいことがあるのか、それとも浮かれるようなことがあったのか。どちらにせよ案内人として勝手にヴァッシュについてきている身としては、関係ないことだ。
 二十分ほど経っても真上の部屋から音は聞こえてこず、不気味なくらい静かだった。
 風に吹かれてテーブル上の酒瓶が揺れる。床が歪んでいるせいでガタガタと揺れる液体を見ていると、何故だか脳裏にヴァッシュの顔がチラついた。気高く何にも侵されない存在でありながら時折ひどく不安定に見えるあの男は、部屋で静かに独り酒をあおるのだろうか――

 乾燥で中途半端に剥けた唇の皮を指で軽く引き千切る。裂けた部分からじわりと赤色が滲んだが、滴り落ちる間も無く出血は止まった。
……まぁ、せっかくのいい酒やしな」
 どうせ辛気臭い顔で部屋に閉じこもっているであろう男に少し見せびらかしてやろう。そんな軽い気持ちで相棒の十字架と酒瓶を手にして部屋を出た。



「おう」
「どうしたんだ、珍しい」
 ちょうど風呂に入ろうとしていたらしいヴァッシュの横を通り過ぎて部屋に入り、壁にパニッシャーを立て掛ける。部屋の主の了承を得ないままベッドの端へ腰かけ、宿のオーナーから借りたグラスを二つテーブルの上に置いた。
……ここで、飲むのか?」
 問いかけに黙って頷き顔を上げると、いつもの赤いコート姿ではなく黒いインナーだけで義手すら取り外した状態のヴァッシュがそわそわした様子で立っていた。ベッド上には無造作に置かれた左手。
「えーと、どうして?」
 嫌がっているというよりは戸惑った雰囲気のヴァッシュへ、黙って酒瓶のラベルを見せてやる。すると、ヴァッシュはみるみるうちに顔色を変え身を乗り出してきた。
「あれ? それ、もしかしていい酒なんじゃないか?」
「おう、バイク屋の親父にもろうた希少品や」
「バイク屋の親父さんが? へぇ、それはかなりラッキーだったな」
「知っとるんやな、この酒」
「うん、噂に聞いたことはあるけど飲んだことはないよ」
 琥珀色の液体がグラスを満たしていくのをヴァッシュは頬を緩ませながら見つめる。並々注いだグラスを渡してやると、殊更嬉しそうに微笑んだ。
「いいのか? 俺が飲んでも……
「グラスまで受け取っておいて何言うとんねん」
「そっか。ありがとう。えっと、乾杯する?」
「何にやねん」
「そうだな、愛と平和に……?」
「クッサい台詞やのー。ほれ、乾杯」
 雑にグラス同士をぶつけると、中身の液体が豪快に揺れる。ヴァッシュは慌てて身を低くしてこぼれそうになった酒を啜った。
……うん、……美味い」
……不味くはないけど、思ったほどでもないなぁ?」
「そう? 美味いよ! 香りの余韻が続く感じがあるし、味も柔らかい。あぁ、そうだ!」
 若干興奮気味のヴァッシュが荷物の中からトマのジャーキーを取り出す。手持ちのナイフで薄く削ったそれを渡され、奥歯で噛み千切り咀嚼した。悪くない。口の中で広がる旨味を存分に味わいながら黙って天井を見上げる。ヴァッシュは二人分のグラスに新たな酒を注ぎ、ふっと息を漏らした。
「君は、いいことがあると人と分け合うタイプなんだな。知らなかったよ」
「はぁ? そらおどれやろ」
「いや、君だろ」
「おんどれみたいな能天気と一緒にすな」
「いや、きっとそうだよ」
 ひひ、と浮ついた笑みをこぼしたヴァッシュは立ったまま上機嫌に身体を揺らす。片腕がないせいでバランスが取りにくいのか、覚束ない様子が危なっかしい。思わず伸ばしてしまった行き場のない手でヴァッシュから酒瓶を引ったくった。
「お前、酔うとるんやったら、あとはワイが……
「おい待てよ、今さら独り占めは感心しないぜ」
 ヴァッシュは膝の頭が触れる距離に座り、右手でスーツのジャケットをぎゅっと握り締める。普段ではあり得ない距離の近さに思わず頬が引き攣り、革靴の先端は自然とヴァッシュと反対の方を向く。
「放せや」
「酒持ってどっか行く気だろ」
 まだ少量の酒しか飲んでいないにもかかわらず、青い目は若干据わっている。
「はー、おんどれ素面でも酒飲んでもメンドクサイやっちゃな。知らんかったわ」
「君は、酔わないように制御してるのか、酒にメチャクチャ強いのか、どっちなんだ?」
「酔うたことあらへんな」
 さりげなく肘でヴァッシュの胸元を押し身体を遠ざけようとしたが、至近距離でじっと見つめられることに居た堪れなくなり静かに断念する。
「へぇ。じゃあさ、あの、綺麗なオネーサンに誘われた時ってどうやって断ってるんだ? 酔わないんならそういうフリで断るの難しくないか……?」
「そないなフリせんでも面と向かって断ったらええやろ。ちうかなんで断ること前提やねん」
「えっ? いや、あー、なんとなく、君は誰彼構わずってタイプではないと思ってさ。……まぁ、聞いてみただけ」
 さっきまで意地でも放さないようジャケットを握り締めていた傷だらけの手がだらりと下に落ちる。ヴァッシュはふいっと外方を向いて酒をあおった。
「おどれの酔うたフリ、ド下手やろな。想像つくわ。ふらっふらしながら壁にわざとぶつかってボク酔っちゃった~とか言うんやろ。想像しただけでキッショイわぁ~」
「そんな喋り方したことないだろ!? ボクってなんだよ! お前の口からボクって出てくる方がキモイよ! ほら鳥肌! 見ろ!」
 羽根を毟った鳥のように逆立った右腕の肌を見せつけ、ヴァッシュはベッドをギシギシ鳴らす。
……鳥といえば、このジャーキー美味いな」
「おい、話逸らすな!」
「美味いんやけど、ちぃっとだけ炙ったほうがもっと美味いと思うで」
「だから話を逸らす……………。まぁ、確かに炙ったほうが美味い、とは思う」
「せやろ。あぁ、マッチ持っとるわ。炙ったろ」
 やや凹んだマッチ箱をジャケットの懐から取り出し、火をつける。ゆっくりと軸に火を燃え移らせヴァッシュの前に差し出してやると、さっきまで騒々しく喚いていた男は大人しく薄く切った肉を火へ近づけた。肉の表面が炙られて野生の獣特有の匂いが鼻を抜ける。
「おい、焦げるで」
「わっ」
「ちんたらしとるからや」
 少し焦げてしまったジャーキーを横目に自分の肉を炙ってからマッチの火を吹き消す。ヴァッシュは文句を言い返してくることなく、焦げの少ない部分から口に入れて奥歯で噛み千切った。熱したことで柔らかくなった肉の旨味が口の中で広がり、ヴァッシュは頬を緩める。
「んーっ! 美味い!」
「せやろ」
……いい夜だ」
 そう言って微笑んだヴァッシュの横顔に数秒気を取られ、酒瓶を取られたことに気づくのが遅れた。片手しか使えない男はグラスをベッドの平らな部分に置いて酒を注ぎ、勢い余って溢れた分がシーツの上に染みを作る。
「あっ、もったいない!」
 ヴァッシュは指についた酒を慌てて舐め取る。伏せられた長い睫毛と濡れた唇をじっと見つめながらグラスに口をつけていると、さっきから同じ酒を飲んでいるはずなのに、急にアルコールの度数が上がったような錯覚を起こしてしまう。
「もう一回、乾杯しようぜ」
 視線に気づいたヴァッシュがグラスを持った右手を伸ばしてくる。黙ってグラスを軽く合わせてやると、これまで見たことがないくらい穏やかに、そして嬉しそうに微笑んだ。
……なんかええことでもあったんか?」
「え? どうして?」
「飲みたい気分やって言うとったやろ。しかもずっとなんや知らんけど楽しそうやし」
「あぁ、いや、別に特に何かあったわけじゃないんだ。ただ時々………、夜ってすごく長いから」
 俺だけかな、と笑って付け加えたヴァッシュの頬は薄暗い室内でも分かるくらい赤みを帯びている。
「眠れへんちうことか?」
「たまにだよ」
……そういうなかなか寝れへん奴にはなぁ、怖い話しておもっきしビビらせてから布団でぐるぐる巻きにしてやったらそのうち寝るねん」
「それ子どもたちの場合だろ? 俺は……!」
「見た目が大人のガキなんぞ腐るほどおるわ」
 皺の寄せられた眉間を指で強めに弾いてやると、ヴァッシュは額を押さえすっと身体を後ろへ引いた。
……怖い話は嫌だ。してくれるなら、楽しい話がいいよ」
「誰がおどれに話したるなんて言うてん」
「なんだよ、俺に話せるレパートリーすら持ってねえってのか。牧師のくせにっ……!」
 ヴァッシュは酒瓶を小脇に抱え、右手にグラスを持って立ち上がる。酒を注ぐためグラスをテーブルに置こうとして身体のバランスを崩し、雪崩れ落ちるように床へ座り込んだ。義手に頼るようになってどれほどの年月が経ったかなんて知る由もないが、アルコールが入るとバランスが取りにくいように見えた。
「ソレ、つけへんのか?」
 手を伸ばせば簡単に届く距離にある、ベッド上に置かれたままの義手を顎でしゃくる。ヴァッシュは酒瓶を片腕で抱え込んで無言を貫く。
「義手、つけへんのか?」
 聞こえていないはずはないのだが、今度は無視できないようはっきりと呼びかける。ヴァッシュは顔を背け、大きな溜息を吐いた。
……もし、今襲われたとしても、義手をつける時間くらい君が稼いでくれるだろ?」
 ヴァッシュは背を丸め、拗ねたように口先を尖らせている。
……そういう甘ちゃんなこと言うとるといつか足を掬われんで。まぁ、今までもウンザリするほどあったんやろ。信じて裏切られて、なんてこと……
……うん、やっぱり甘いよなァ、俺」
 ヴァッシュはのろのろと立ち上がり、酒瓶とグラスをテーブル上に置く。そして、振り向きざまに視線がぶつかると、にこりと綺麗な笑顔をつくった。何度裏切られても信じることをやめないくせに、何度だって同じように傷つき、それでも笑うことをやめない男――。空っぽのグラスを掴んでいた手から力が抜け、鈍い音を立てて床下へ落ちる。ベッドに乗り上げ、義手を掴もうとしていたヴァッシュが目を丸くした。
「大丈夫か? グラス割れなかった?」
 一瞬だけ見せた傷ついた表情はもうどこにもなく、いつもの顔で笑うヴァッシュがいた。その瞬間、今更になって今夜のヴァッシュが楽しそうな理由が分かったような気がして思わず後頭部を掻きむしる。こんな得体の知れない牧師でさえ、ヴァッシュ・ザ・スタンピードにとっては、長い夜を少しでも短くする相手になり得るということ。それを甘さと呼んでもいいのか、今の時点で答えを出せそうにない。ただ無性にヴァッシュに作り笑いをさせた自分自身に腹が立っている。躍起になってヴァッシュの手の中から冷たい金属の腕をひったくった。
……思ったより重いんやな」
「そうか? 君のパニッシャーの比じゃないぜ?」
「こんなもんぶら下げてよう戦っとるわ」
 ヴァッシュの手が届かない、ベッドの隅に義手を置き直し、素知らぬ顔で床に落ちたグラスを拾い上げる。残念ながらヒビが入っており、もう使い物になりそうになかった。
「代わりのグラスもろうてくるわ。ちうかこれは弁償やな」
「まだ飲むのか? ……ここで?」
 ヴァッシュは大きな目を何度も瞬かせる。
「まだおどれの買うてきた酒飲んどらへんやろが。ワイのだけガバガバ飲みよって割に合わん。せやから……
……うん」
「ついでにワイの部屋戻って煙草も取ってくるわ。長なりそうやし……。なんやねんニヤニヤして」
「いや、その、考えてみれば、義手をつけずに誰かとこうして二人で飲むのが久しぶりで、ちょっと嬉しくなっちまって……
 返事はしなかった。というよりも相槌すら何が正解なのか分からなくて黙ったまま部屋を出た。いつもより大股歩きで自分の部屋へと急ぐ。お守りなんて、案内人なんて、面倒で厄介でしかないのに――、旅の連れと、部屋でふたりきり、他愛のない話をしながら長い夜を共にする。それはまるで――