竜胆さんから電話で頼まれた買い物の内容が、いつもとかなり違うとは思っていた。それが、まさかこんな理由からだとは思ってもみなかった。
いつものように蘭さんと竜胆さんの住むマンションのリビングのドアを開いたオレは、そこに広がっていた光景を見て、両手いっぱいのビニール袋を思わず床に落としそうになった。慌てて掴み直したのは、蘭さん用のモンブランを落っことして形が崩れたなんて事になったら、オレの顔も蘭さんの拳によって、崩れたモンブランみたいにされてしまうからだ。それにしても、どういう経緯でこんなことになるのだろうと、改めてリビングを見回してしまった。リビング自体はいつもと何も変わらない。この時間にリビングに竜胆さんの友人が沢山入るのも普通だ。けれども、リビング中央に置かれたソファに座る面々は、普通では見られない人物ばかりいたのだ。
ソファ中央に座っているのはハナガキという男だった。小柄でパッとしない容姿の男で、服装はいつもくそダサい。くせ毛は染めておらず、黒髪のままで放置している。お洒落な要素はミリも無い平凡な男だ。それなのに、ハナガキは蘭さんの大のお気に入りで、竜胆さんのお気に入りなのだ。その事に、オレには納得がいかなかった。どうして、あんなパッとしない、ファッションセンスの欠片も無いどころか壊滅的な男に、カリスマと呼ばれプロのモデルでもある蘭さんが夢中なのかが、オレには全然理解できなかった。
ただ、そのハナガキという男がいるかいないかで、蘭さんの機嫌がかなり違う事だけは、身をもって知っていたから、ハナガキの事を二人に贔屓にされていてムカつくと思っていても、魔除けのお守り程度には尊重はしていた。
少し前、ハナガキと会えないというだけで、蘭さんがどれだけ暴れたか思い出すと、今でもゾッとしてしまうのだ。あの暴力を伴う怒りから解放されるなら、オレも他の面々も、土下座してでもハナガキに蘭さんの傍にいて欲しいと思うくらいなのだ。
そのハナガキの両隣には、不死身のイザナこと天竺総長の黒川イザナと、無敵のマイキーこと関東卍會総長、佐野万次郎が座っていた。しかも、あのマイキーさんがぬいぐるみに抱き着く幼児の様に、ハナガキの首に巻き付いた状態で座っていて目を疑ってしまう。黒川イザナの横には、喧嘩屋の異名を持つ鶴蝶と常に日本刀を帯刀しているマジヤバの三途春千代と、闇の世界のマネー・ロンダリング王の九井一がいて、マイキーの右横には元東京卍會副総長ドラケンこと龍宮寺堅、元東京卍會弐番隊隊長三ツ谷隆、弐番隊隊長副隊長柴八戒、元東京卍會壱番隊副隊長松野千冬、元十一代目黒龍副総長乾青宗が座っていたりする。キッチンカウンターのスツールに腰掛け、酒を飲んでいるのは、不良の世界では既に伝説になっているベンケイこと初代黒龍親衛隊長荒師慶三と、ワカこと初代黒龍特攻隊長今牛若狭の二人だ。オレがいつも座っているスツールに、荒師慶三と共に初代黒龍を日本一のチームにした立役者であり白豹という二つ名を持つ今牛若狭が座っている事が、ひどく不思議でならなかった。
もちろん、抗争は終わり、天竺配下だった灰谷兄弟と東京卍會及び関東卍會の面々は一つのチームになった過去があるのだから、このように面々が一堂に会していてもなんら問題は無い。だが、しかし、二つのグループの間には見えない壁があり、喧嘩はしないが仲良くも無いという不思議な関係を築いていた筈だった。
「じゃあ、オレはこれで」
キッチンの台の上に、頼まれて買って来たものを置くと、オレはそのまま出て行こうとしたのだけれど、竜胆さんの手が力強くオレの二の腕をしっかり掴んでいたのだ。「もう少しいろよ」と、竜胆さんに請われるように言われたら、オレはもう「怖いから帰ります:とは言えなくなった。そもそも、竜胆さんの命令はオレにとって絶対で、断るなんて選択肢はオレにはないのだ。「ウッス」と返事をして、したものの、そのまま立ち尽くしてしまった。この変な緊張感の中に身を置く事が、思いのほか胃に来るのだ。
「突っ立ってないで手伝えよ」
「はいっ!」
オレは竜胆さんから手渡されたジャガイモの皮を剝きながら「竜胆さん、これは何事ですか?」と、背後で繰り広げられている異様な光景の理由を小声で尋ねた。竜胆さんは、オレの質問に答えるべく口を開きかけて止め、それからうーんと唸った。それから「全部兄貴のせい」と簡潔に答えた。そして。竜胆さんは手際よく野菜を切り始めた。
兄貴…蘭さんのせいなのか…と思いながら、だったら仕方がないのかと、オレは頼まれたジャガイモの皮剥きを黙々とするしか無かった。
「ところで何作ってるんですか?」
かなりの数のジャガイモを剥き終わって、ふと、これは何に使う為にしているのだろうという疑問が浮かんだのだ。
「わかんねー。でも、何かしてないと、間が持たないから野菜切ってる」
竜胆さんの返答にオレは「なるほど」としか言えなかった。竜胆さんの気持ちは痛いほど分かるからだ。
「そういえば…蘭さんは?」
「寝てる」
「そうですか」
オレがここに呼ばれて引き止められている理由が段々分かってきて、何度もあった事だけれど、やっぱりゾッとした。いつものように起きてきた蘭さんが、この現状を見てどうなるかなんて考えるだけで恐ろしい。何といってもハナガキは蘭さんのお気にいりなのだ。それなのに、今はマイキーさんに抱き着かれた状態でリビングのソファに座ってるのだ。それを蘭さんが目にした時、このリビングは血の海になるのではなかろうかと思って怖くなった
蘭さんも怖いけれど、マイキーさんも怖い。その横のイザナさんも相当怖い。というか、ここにいる人たちが全員漏れなく怖い人だった。
何といっても、日本を制覇した不良たちが勢ぞろいしているのだ。しかも、一人一人が暴走族のトップを張れるくらいは強いから、やっぱり全員怖いのだ。
そんな伝説の不良と呼ばれるような面々が一堂に会して、全員がハナガキを可愛がっているの目の当たりにして、オレはハナガキって一体何者なんだろうと思ってしまった。
その時、リビングに面した蘭さんの部屋のドアノブが動く音がした。オレも竜胆さんも即座にその音を耳にした。それは逃げ遅れたらどんな目に合うか分からないという経験が磨いたものだった。どんな喧騒の中だとしても、少しの物音で、部屋の主が部屋から出てくる事を察知出来るようになっていた。
蘭さんの部屋のドアが開き、とうとう恐れていた時間が来たことを知った。さっと横目で竜胆さんを見ると、竜胆さんも包丁を構えて、ぎょっと目を見開いているのが見えた。
もう恐怖しかないのは、手に取るように凄く分かった。
そんな蘭さんの第一声は意外な事に「オハヨ。皆さん、お揃いで」という穏やかな挨拶だった。
蘭さんがソファを見ながらにっこり笑っているが、目は全然笑っていなくて、背筋が凍るような恐ろしさだった。
「あ、蘭君、おはようございます」
ソファに座っているハナガキが、マイキーさんを首に巻き付けたまま背後を振り返った。
「オハヨ、ハナガキ。楽しかった?」
蘭さんは、先ほどとは違う本当の笑みを浮かべてハナガキを見つめる。
「はい」
全然空気を読まないハナガキが元気良く返事をするから、見守っているこちらとしては、肝を冷やすしかない。
「じゃあ、もうイイよな?」
「何がです?」
「そろそろ、寝る時間だろ?」
蘭さんはそう言って、ソファの背もたれ側からハナガキに手を伸ばし、ハナガキの両脇の下を手で掴むと、後ろ向きに高い高いするみたいに持ち上げてしまった。その過程でハナガキの首から落とされたマイキーさんは呪いをかけるような光の無い漆黒の闇のような瞳で蘭さんを見上げていたから、ホラー映画を観ているような気分になって背筋が凍る思いだった。
蘭さんは確かに背も高いけど、見た感じはここまでパワーがあると思えない容姿をしている。だから、実際軽々とハナガキを一番力が入らない状態で持ち上げているのを見ると、やっぱり竜胆さんの言う通りゴリラ並みの怪力の持ち主なんだと思い知らされるしかない。そして、そんな怪力ゴリラに殴られているオレたちの兵隊の耐久力凄いよなと、自画自賛したくなった。
「ちょっ! 蘭君、怖いですって!」
ハナガキは足をじたばたして顔を蒼くしている。183センチの蘭さんに高い高いされたら、2メーターは優に超すわけだから、ハナガキが怖いというのは良く分かった。
「ワリィ。これならイイだろ?」
蘭さんは器用にハナガキを反転させて、自分の二の腕に座らせた。ハナガキはそれでも怖いみたいで、蘭さんの両肩を子供みたいにぎゅっと握っている。その瞬間、蘭さんは、見ているこっちが恥ずかしくなるような甘い笑みを浮かべてハナガキを見上げた。まるで愛おしい恋人を見るような表情に、オレの方が赤面してしまう。だって、今まで見て来た蘭さんはいつもクールで無表情で、笑った時は殴る前兆でしか無かったのだ。ともかく、あんな蕩けるような甘い顔をした事など一度も無かったのだ。
「蘭君、怖い怖い怖い! 落ちますって!」
「大丈夫だって。オレがオマエを落とすわけないだろ?」
二人の甘い会話を周囲が殺気を立てて注視しているのがヒシヒシと伝わってきて怖い。
こんなにも名だたる不良を夢中にさせる何かがハナガキにあるのだと思うと、それを感じられないオレはやはり一門の不良には成れないのかと思うくらいだった。
「じゃあ、皆さん、オヤスミ♡」
「あ、おやすみなさい!」
蘭さんの言葉に、ハナガキも慌ててそこに居る面々へオヤスミの挨拶をした。蘭さんはすたすたとハナガキを持ったまま歩き、そのまま自身の部屋にハナガキを連れ込んで扉を閉めたから、リビングには六本木とは縁もゆかりもない面々が取り残されてしまった。
この後はどうするの? と、竜胆さんを見上げると、竜胆さんがどうしようもないと、力無く首を振った。流血沙汰にはならなかったけれど、ハナガキがいなくなったリビングは凍り付いたみたいに静かだった。どうやって、ここからお帰り頂けば良いのか、オレには何も手立てが浮かばなかった。
「じゃあ、解散だな」
スツールに座ってビールを飲んでいたワカさんが言った。
「そうだな」と、ベンケイさんが続く。
その声に呼応するように、ソファに座っていた面々がマイキーさんを覗いてのっそりと立ち上がる。
「ほら、行くぞ」と、ドラケンさんがマイキーさんを持ち上げるようにして立たすと「ケンチン、おんぶ」とドラケンさんの背中にコアラの子供のようによじ登った。ドラケンさんは、慣れた様子で「しょうがねぇな」と言い、それから「車までだからな」と、マイキーさんに言い聞かせるように話かけた。
イザナさんはその様子を確認した後、鶴蝶さんに先導されるように歩き出した。
「竜胆、騒がせてすまなかったな」
キッチンにいる竜胆さんに視線を向け、イザナさんが一応悪いと思っているという素振りを見せたから、オレは驚いて固まっていた。イザナさんはもうその辺りの不良とは違っていて、普通の人間なら目にすることの無い裏社会のTOPなのだ。蘭さんとは違う感じの王による威圧感たっぷりのオーラが半端なくて足が竦む思いだった。
「元々は兄貴のせいなんで」
それなのに、竜胆さんはイザナさんの悪のオーラに屈することなく軽く返すから、やっぱり竜胆さんは格好良いと心の中で叫んでしまった。
そうして、反社や元不良や伝説の不良は思ったよりあっさりと、帰ってくれたので、オレはホッと胸を撫でおろした。竜胆さんも同じ気持ちのようで、はぁと息をついている。二人してカウンターのスツールに腰を下ろし、余ったアルコールを乾いた喉へ一気に流し込んだ。
「何も起こらなくて良かったですね」
「ああ、本当にそうだな」
「ところで、ハナガキって何者なんですか?」
「ん? オマエ、あの時いなかったけ?」
「あの時って?」
「ほら、昔さ、オレらが天竺だった時に、東卍と抗争したじゃん」
「ああ、いましたけど?」
「じゃあ、見ただろ? マイキーの横で喧嘩してたハナガキを」
「ん…ハナガキ…ハナガキって、あのハナガキですか? 花垣武道?」
「そうそう。なんだよ、オマエ、分かってなかったの? おもしれーやつ」
「だって…花垣武道はもっと格好良かったっスよ? リーゼントは微妙だったけど…あんな変なTシャツ着てると思う訳ないじゃないですか? だって、殴られても殴られても絶対膝をつかず、拳銃で足を撃たれても倒れなかった男の中の男ですよ! 嘘ですよね? あのポテチ食べてソファでゴロゴロして映画を観たりゲームしているごく潰しみたいな奴が、あの花垣武道だなんて、信じられないっスよ?」
「ウケる。けど、それ、兄貴の前で言うなよ? ぶっ殺されるから」
竜胆さんはそう言ってゲラゲラ笑い、それからリビングを片付けるのを手伝ってとお願いしてきたのだった。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.