桜霞
2024-11-23 21:36:54
129129文字
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魔法歳時記 5

オリジナル主人公: 淋(リン) あだ名はベル。家名は無い。17歳。日本人だが、彫りの深い顔立ちに灰がかった青い目の美少女。 小さい頃から山の獣や人外に囲まれて育った。 自分の顔の良さには気付き始めたが、破壊力には気付いていない。初心。





 ダンブルドアは、ベルが魔法生物達に朝の給餌をしているところにフラリと現れた。
「ベル、ちといいかの。急ぎの要件じゃ」
「? なんです」
 ベルは作業の手を止めて、ダンブルドアに向き直った。
「今朝方、ハリーが夢を見た。アーサーを襲う夢じゃ。ハリーがすぐに目を覚ましてマクゴナガル先生に知らせてくれたおかげで、アーサーは無事じゃったが」
「───なるほど?」
 ベルは片眉をゆっくりと上げて、それがどういうことかを考えた。
 ハリーには額の稲妻型の傷を通してヴォルデモートとの繋がりがある。その繋がりを通して、ヴォルデモートの視界や何がしかを視たり感じたりすることは不可能ではない。
「しかし、ハリーは蛇の目から見たと、はっきり言うた」
 ベルは眉を寄せた。それでは辻褄が合わない。
「蛇?」
「ヴォルデモートが飼っておる蛇じゃろうな。これがどういうことか、分かるかの?」
 むつかしい顔をして、ベルは考えながら言葉を選んだ。
「夢を見せるなら、魂的な……霊的な……物体ではない繋がりが必要なはず……だとしたら、蛇に、ヴォルデモートのそういうものが預けられている可能性はあるけど……有り得るかなあ……?」
 或いは、ハリーのように、魂や運命にも刻まれるような傷を、その蛇にもつけているのだろうか。
 ベルがダンブルドアを伺うと、彼はどこか思案する素振りを見せていた。最後になるほどと独りごちて、ダンブルドアは再度ベルを見つめた。
「ベルよ、ひとつ頼まれてくれぬか」
「まあハイ、そんなこったろうとは思ってましたけど」
「クリスマス休暇中、ロンドンに滞在し、ディゴリー家の護衛を頼まれてくれんかの」
「あら」
 ベルは驚いた。まさかディゴリー家をブラック家に招待するとは思わなかったのだ。
「ええ、構いませんけど」
「それと、アーサーを見舞って、ロンドンにもどこかで顔を出した方がいいじゃろう」
………………まあ、いいけどさあ……
 ベルは半眼になって了承した。ダンブルドアは「頼む」と言い置いて、すぐに裾を翻した。
 一通りの作業を終えて、ベルは大広間に顔を出した。直後、グリフィンドールのテーブルの方からガタリと音が立ち、ネビルが一目散に駆け寄ってきた。後からリー・ジョーダンもついてきた。
「ベル、おはよう、」
「おー、おはようさん」
「呑気なやつだな、知らないのか?」
「ウィーズリーの親父さんのことだろ、知ってる」
 リーは驚いた顔をして、苛立った表情から一転、すぐさま真面目な顔になった。
「昨日の深夜、マクゴナガルが来て、ウィーズリー達を叩き起こして連れて行ったんだ」
「それで、誰が君に知らせたの?」
 早口で捲し立てるリーに対し、ネビルは少し狼狽えながらベルに聞いた。ベルが「ダンブルドア」とあっさり言ったので、ネビルはホッと息をついた。
「ああ、良かった……じゃ……じゃ、ハリーのことも聞いた? すごく……えーと……魘されてて……
「聞いた」
 そりゃ魘されもするだろうな、とベルは内心ハリーを慮った。何せ見たくないものを見せられていたのである。
「お前もすぐに行くのか?」
「いいや」
 ベルはちょっと考えたが、まあこのくらいは良かろうと、ネビルとリーにゆっくり言い聞かせた。
「ダンブルドアは、親父さんが無事だとも私に教えてくれた」
 リーとネビルの表情がパッと明るくなった。
「ほんと!」
「マジか!!」
 ベルもつられて、小さく微笑んだ。
「まずは家族と会ってゆっくりすべきだろ。クリスマスも近いしな……私は後からのんびり行くよ」
「良かった! 良かった……ほんとに良かったよ……
「これで安心してあいつらにクリスマス・プレゼントを贈れるよ。ありがとな」
 ネビルとリーは連れ立ってグリフィンドールのテーブルに戻って行った。ベルも人の少なくなったスリザリンのテーブルについて、朝食に手をつけた。
 後でセドリックと話さなければならない。ダンブルドアがディゴリー夫妻に先んじて連絡を入れてくれているかどうかが問題だが。
 ベルの心配が杞憂だったと分かったのは、その日の放課後だった。授業が終わったその足でセドリックのことを探しに行こうとしていたベルは、教室を出て数分と経たずにセドリックと出会したので、思わず瞠目してしまった。
「淋、ちょっと話が───」
「ああ、うん、私もそう思ってたとこ」
 淋はセドリックの腕を取って生徒の流れでごった返す廊下から少し外れたところに移動した。
「さっきパパから手紙が来たんだ。キングス・クロスに着いたら、君について行くようにって……でも、他には何も書いてないんだ」
「うん。ダンブルドアから何か聞いてる?」
「何も」
 あいつめ。ベルは半眼になった。
……ウィーズリーパパが聖マンゴに運ばれたのは知ってる?」
「ああ、噂で……でも無事なんだろ?」
「無事だよ。だから、一緒にロンドンに行こう」
……?」
 ベルの言っていることを噛み砕こうとして、セドリックは何度か口を開いては閉じるを繰り返した。
「ホグワーツ特急に乗ったら話すから」
 諭されるように言われて、セドリックは渋々納得した素振りを見せた。
 翌日、ベルはセドリック、ハーマイオニーと一緒に汽車に乗り込んだ。
「私も、スナッフルズのところに行くわ」
 コンパートメントに腰を落着けて早々、ハーマイオニーが切り出した。ベルは驚いて、荷物を置いた姿勢のまま、目を丸くしてハーマイオニーを見やった。
「そんなこと言ったって、お前、スキーに行くんじゃなかったの?」
「うん、でも、ハリー達のことが心配だもの。もちろん、ウィーズリーおじさまのことも……
 パパとママにはホグワーツに残るって手紙を書いたわ、とハーマイオニーは当たり前のような顔をして言った。ベルとセドリックは思わず顔を見合わせた。
「ベルはどうするの? 漏れ鍋に泊まるの?」
「ううん、スナッフルズのところに泊まる。ダンブルドアからディゴリー家の護衛を頼まれたから」
 わァ、とハーマイオニーは感嘆して口を開け、セドリックは「えっ」と反射的にベルを見やった。ベルは「ダンブルドアに頼まれてな」と肩を竦めて見せた。
「そういうわけで、ディゴリー家の今年のクリスマスはロンドンで開催だ」
「君が? 僕達を? 護衛?」
「ベル、あなたもしかして、特別に騎士団に入れてもらったの? そうじゃないと、ダンブルドアがあなたにそんなこと頼むなんて信じられないわ」
「入ってぬぇーよ」
 ベルは目を眇めて嘆息しながら言った。
「あのな、私は似たようなことして毎年夏に200ガリオン稼いでんの、忘れたか? 死喰い人がディゴリー家を狙ってるかもしれないってだけで、私が仕事をするのに必要な情報としてはじゅうぶんなの」
……ふーん……そう……
 ハーマイオニーは全然信じてない顔で一応は納得した素振りを見せた。ベルは半眼のまま、再び嘆息した。
 監督生の二人は車内の見回りがあるため、一度コンパートメントを離れ、ベルはその間にかぼちゃパイなどで空腹をごまかした。今のベルにとっての心配事と言えば、ブラック家で鍋うどんをするのがクリーチャーに許されるかどうかといったところだった。
 三人はカードゲームをしたり、テストや授業の話をしたりして時間を潰した。一行がキングス・クロス駅を通過してグリモールドプレイス12番地に辿り着いたのは、ちょうど夕飯時だった。三人を一番に出迎えたのは安堵に満ち溢れたモリーだった。
「ああ良かった、三人とも無事で」
 モリーはハーマイオニー、セドリック、ベルを順番にぎゅうぎゅう抱き締めた。
「キングス・クロスからここまで二十分だぜ、ママ」
「ベルがヘマするわけないさ。なあ?」
 双子にからかうように言われて、ベルは片頬だけで笑って応えた。
 居間からディゴリー夫妻も顔を出したので、広間は一時賑やかになった。セドリックとの再会を喜んでいた夫妻は、当然のようにベルともハグをしてくれたので、ベルはちょっとだけ驚いて、小さくはにかんだ。
 荷物をクリーチャーに任せ、モリーに促されて、ベル達はどやどやとダイニングルームへ移動した。ダイニングルームでは既に食事が始まっており、ベル達も席に着いてすぐ、モリーとディゴリー夫人が子供たちの前に皿を並べた。更には揚げたポテトと、ほうれんそうとベーコンの分厚いキッシュが数切れ、そしてグリーンピースが添えられていた。ベルはいただきますと手を合わせた。
「ハーマイオニー、スキーとかいうやつに行くんじゃなかったのか?」
「ええ、でもこっちにしたわ」
 ロンに聞かれて、ハーマイオニーは当然という顔をして言った。
「ウィーズリーおじさんのお見舞いにもお伺いしたかったし」
 ありがとう、とウィーズリー達が口々に礼を言う。本当に無事でよかったわ、とハーマイオニーは脱力しながら言った。
「それで、えっと……ハリーは?」
「あー……トランクから出てこないんだ」
「トランク?」
 ハーマイオニーが訝しげに眉を寄せる。
「シリウスがバックビークのために作ったんだ」
 ジョージの説明に、ああ、とベルは声を上げた。
「私がクリーチャーに頼んでたやつ!」
 途端に、シリウスとクリーチャーが協力してたのはそういうことか、とウィーズリー達が納得し、ハーマイオニーとセドリックは小首を傾げた。
「ブラック夫人の部屋が飼育小屋になってたでしょ? ニュート・スキャマンダーならいい方法を知ってるんじゃないかと思うってシリウスに言っておいたんだけど」
 上手くやったんだね、と表情を柔らかくさせるベルとは裏腹に、ハーマイオニーとセドリックは首をさらに傾げた。
「まあとにかく、シリウスがダンブルドアに相談したんだ」ロンが説明訳を引き継いだ。「ニュート・スキャマンダーに協力を仰げないかって。そしたらダンブルドアが、彼に聞くより、トランクを使うといいって言って、……まあ、百聞は一見にしかずだな」
 食事の後、ロンの案内で、ベル達はロンとハリーに宛てがわれた部屋へ入った。ベルはモリーからサンドイッチの盛られた大皿をハリーに渡すように言いつけられ、シリウスからついでとばかりにバックビーク用の餌を渡された。
 ロンがトランクの鍵のダイヤルを弄り、ぱかりと開け、よっこいしょと足を突っ込んで徐々に沈んで行ったので、ハーマイオニー達は驚いた。セドリックに大皿を浮かしてもらい、ロンとジニーに続いて、ハーマイオニー達はトランクの中の世界に降り立った。
「わーぉ……
「どうなってるの!? 信じられない!!」
 すごい、とハーマイオニーがはしゃぐのも無理はないくらいに雄大な景色が、トランクの中に広がっていた。
 どこまでも続く平野、遠くに聳える山脈、すぐ側に広がる針葉樹林。川もあるのだろうなとベルは辺りを見回した。トランクに繋がる梯子の傍にはテントが張られており、中には簡易キッチンや、簡素なベッド、二人程度が寛げるだろうソファや、クッションの置かれたラグが敷いてあった。なかなかに居心地の良さそうな場所である。
「んー、たぶん、バックビークと一緒にいるんだろうな……
「よっしゃあ任せな」
 天幕にハリーがいないことを確認したロンに、ベルが手をメガホンのようにして口元を覆う。
 ホイッスルのような高い音が、トーンと空を裂いて遠くにまで響き渡った。ベルが何度か高い音を響かせていると、空にひとつ、ポツンと小さな影が現れる。ほどなくして、翼をはためかせたバックビークが、ハリーを背に乗せて現れた。
「ハーマイオニー!? ベルに、セドリックも……
「よう、ハリー、うわ、」
 バックビークに嘴をグリグリと押し付けられ、ベルは「こいつめ!」と歓声を上げてバックビークに抱き着いた。
「どうしてここに……?」
「あなたこそ、ご飯も食べないで何してるのよ。ほら、あっちで食べましょう」
 ハリーはちょっと嫌そうな顔をしたが、うんともすんとも言わなかったので、結局はハーマイオニーに押し切られる形で天幕の中に入って行った。ベルはバックビークが食べやすいように餌の入ったバケツを置くと、中に居るからなと一声かけて、天幕の中に入った。
「それで、ウィーズリーさんには会えたの?」
 ハーマイオニーの質問に、ロンとジニーが代わる代わる答えた。
「うん、今朝聖マンゴに行ってきたんだ。トンクスと、ムーディが一緒だった」
「最初は私たちがお見舞いしたの。その後、トンクスとムーディと、パパとママだけで話してたのを、伸び耳で聞いたの」
 ハリーは聞きたくないといった素振りで顔を背け、もそもそとサンドイッチを無理やり口に入れていた。ハーマイオニーやセドリックが勧めるから、いやいやしている作業に見えた。
「そしたら、ハリーの夢に出てきた蛇は、偵察に送り込まれたんだろうってムーディが言ったんだ」
「それにママは、ダンブルドアが、ハリーがこういう夢をみることを待ち構えていたように見えるって言ってたわ」
「あとは、馬鹿みたいな考えだけど、ムーディは、例のあの人がハリーに取り憑いてるって思ってるみたいなんだ」
 一同の視線がハリーに集まる。ハリーの眉間には険しい皺が寄っており、機械のように口がもぐもぐと動いていた。ハリーの全身から立ち上がる嫌悪に、ベルはやれやれと嘆息した。
「ムーディのおやっさん、義眼を洗った方がいいんじゃねえか。ヴォルデモートはハリーに取り憑いてねえよ」
「でも僕は見たんだ!!」
「夢の中でな」
 反射的に怒鳴ったハリーに、ベルは淡々と返した。
「ハリー、あなた、前にも似たようなことがあったじゃない」
 咄嗟にハーマイオニーが割り込む。それでもハリーの癇癪は収まらなかった。
「今度のは違うんだ!! 僕はハッキリ、蛇の中にいた、僕自身が蛇みたいだった───ヴォルデモートが僕をロンドンに運んだんだとしたら───」
「まあ、そのうち、あなたも読む時が来るでしょうけど」
 ハーマイオニーがうんざりしたような風情で言った。
「『ホグワーツの歴史』には、ホグワーツの中では姿現しも姿くらましも一切できないって、ちゃんと書いてあるのよ。例のあの人でさえ、ホグワーツの寮からあなたを瞬間的に運ぶのは無理なの」
「君はベッドを離れてないぜ、おい」
 そんなことを心配してたのか、とロンが目を丸くしてハーマイオニーに続いた。
「僕、君がベッドの上でのたうち回るのを見たよ。僕たちが叩き起すまで、少なくとも一分以上」
 ハリーは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、ぴたりと動きを止めていた。ベルはその手にサンドイッチを乗せた。ハリーの腕はノロノロと機械的に動き、サンドイッチを口元に運んだ。
「経験者の私から言わせてもらうと、自分の記憶の中に空白期間が無い限りは、誰かさんに取り憑かれてるとは言えないわね」
 ジニーが事も無げにすぱりと言う。ハリーは瞠目していた目をさらに見開いた。
「あのな、ハリー」
 ベルは聞き分けのない子供を諭すようにして、ハリーの稲妻型の傷を小突いた。
「お前には、ヴォルデモートとの繋がりがある。だから、繋がりを介して、ヴォルデモートがお前に見せようと思ったものをお前が見ることは、理論上可能だ」
「じゃあ……じゃあ、僕があいつに、ここの情報を教えてしまうようなことも───?」
「そんな事を無理やりしたら、お前の心が壊れて、下手すると廃人になる。情報を抜き取れるどころじゃない。ヴォルデモートほどの実力者が、それを分かっていないはずはねえ」
 ハリーは再び、虚を突かれたような顔をした。
「分かったか? 分かったら食え」
「んぐ、」
「紅茶入れるわ」
「僕も食べていいかな」
「ロン!!」
 咎めるようなジニーに、いいよ、食べて、と言わんばかりにハリーが皿を差し出す。ロンが手を伸ばしてサンドイッチを摘んだのを皮切りに、ハリーはガツガツと胃にものを入れ始めた。どうやら相当腹を空かしていたらしかった。大皿の上のサンドイッチは、あまり間を置かず、綺麗さっぱりなくなった。



 翌日から、ブラック家のクリスマスの飾り付けが始まった。シャンデリアには柊の花飾りと金銀のモールがかかり、ラグにはうっすらと雪が積もった。マンダンガス・フレッチャーがどこからか手に入れてきたクリスマスツリーには本物の妖精が飾られ、屋敷しもべ妖精の剥製はサンタ帽を被っていた。
 ベルは、エイモスが騎士団のメンバーと一緒に出勤、退勤できないときと、ディゴリー夫人がロンドンの街に出かける時にだけ護衛として付き添った。何度か不躾な視線を感じることがあったので、ベルは念の為に何度かそれらを手慣れた風情で撒いた。
 クリスマスの朝、ベルのベッドの足元にはプレゼントがこんもりと山になっていた。ベルは皆にはいつも通りちょっといい羽根ペン、クィディッチや杖の手入れ道具、リップなどの化粧品などの消耗品をプレゼントとして贈った。ベルには皆の個性的なプレゼントが届いていた。ハーマイオニーは英語を勉強するための本、フレッドとジョージからは悪戯専門店のグッズ、ロンからはお菓子、ジニーはカードをくれた。モリーは今年もセーターを編んでくれたし、なんとディゴリー夫妻からもクリスマスカードがあった。カードにはセドリックを助けたことに対する深い感謝が綴ってあり、ベルは唇をむい、とさせて、頭をぽりぽり掻くくらいしかできなかった。
 着替えて厨房に降りると、リーマスとディゴリー夫人がモリーを挟んで座り、モリーが目を真っ赤にさせて鼻をすんすん鳴らしていたので、ベルは驚いた。
「おはよう、メリクリ。どしたの?」
「ああ、淋。メリークリスマス。いや、なに……新しいセーターかい?」
「そう、おニューの、さっき届いたやつ」
 紺色のセーターには、中央に大きなベルが編み込まれている。ふふん、と自慢気にするベルに、リーマスは「よく似合ってるよ」ニッコリ微笑んだ。
「ママはどうしたの?」
「あー……
 リーマスが言葉を濁し、ちらりと視線を走らせた。そちらを追いかけると、投げ出されたセーターが目に入る。セーターにはPの文字が編み込まれていた。
「パーシーの?」
「送り返されてきたんだ」
「無礼なやつだな」
 吐き捨てたベルを、ルーピンが顎を引いて上目で見遣る。ベルは咄嗟に「ゴメン」と謝った。
「でもほら、人からもらったものだし……どんな理由があったにせよ……
「淋」
「ごめなさい」
 淋が口を噤んで顎を引く。いいのよ、とモリーが弱々しく言った。
 そっと、ディゴリー夫人が立ち上がる。
「そろそろ、皆も起き出すでしょう。朝ごはんの用意をしなくちゃ……ベル、バックビークに餌をやってくれる?」
「うん、行ってくる」
 ベルはバケツに給餌用の餌を移し、厨房を後にした。途中すれ違った双子に、「おふくろ、どうだった?」と聞かれて、「だめだった」と短く首を振る。
 階下に移動してしまったハリー達に一応部屋に入るねと声を張り上げて、ベルはトランクの中に飛び込んだ。バックビークはテントの近くで待ち構えていて、ベルはバックビークが餌を食べている間、ブラシで毛繕いもしてやった。
 トランクの出口まで運んでくれたバックビークにお礼を言い、ベルも朝食をとりに厨房へと戻った。
 ランチの前にはビルも合流した。クリスマスランチの後に、皆でアーサーのお見舞いに行くからだ。
 聖マンゴ病院へ歩いていくつもりだったベルは、マンダンガスがどこかから拝借してきた車に瞠目した。車の中は十人でも乗り込めるように魔法が掛けられており、ベルは終始違和感を拭えなかった。
 車はいやに人気の少ないショッピングストリートへ入り、一行は寂れた洋服店の、緑色のエプロンを着たマネキンが立っているショーウィンドウから聖マンゴ病院へと足を踏み入れた。受付ロビーはクリスマス仕様で、赤や金色に塗られた球が至る所に飾られていた。ツリーは施設の部屋の角という角に置かれ、魔法の雪や氷柱で覆われてキラキラしていた。
 ウィーズリーおじさんは起こしたベッドにもたれかかっていて、膝に七面鳥の皿を乗せていた。皆は順々に挨拶し、プレゼントやカードを渡した。
「あなた、おかげんはいかが?」
「ああ、とてもいいよ」
 取り繕ったような声だった。ベルは何度か瞬いた。
「みんないいクリスマスだったかい? プレゼントは何をもらったのか……あぁハリー、こりゃいい!!」
 アーサーが目をキラキラ輝かせる。ハリーはヒューズの銅線とネジ回しを贈っていた。ハリーと握手しようと伸ばした夫の腕を見て、モリーは眉をぎゅっと寄せた。
「あなた、包帯を変えましたね? 明日までは変える必要はないんじゃなかったの?」
「えっ?」
 アーサーが素っ頓狂な声を上げる。ベルは再び目を瞬かせた。
「いや、その、なんでもない……ただ、そう、オーガスタス・パイがちょっと思いついて……ほら、研修癒の……それが興味を持っているのが、えー……いわゆる補助医療で」
……つまり?」
「つまり、えー、マグルの療法なんだが……縫合と呼ばれているものでね、マグルの傷にはとても効果が」
「あなたのおっしゃりたいのは、マグル療法で馬鹿なことをやっていたというわけ……?」
 モリーの声音がどろどろと地を這う。ルーピンはゆっくりとアーサーの向かい側のベッドに移動し、ビルと双子はお茶でも飲みに行こうとサッと身を翻し、ベルとセドリックの腕を掴んだ。
「モリーや、馬鹿なことじゃないよ。ただ、あー……お前が知っているかどうか、縫合というものだが……
「あなたの皮膚を元通り縫い合わせようとしたみたいに聞こえますけど……?」
 ベルがまともに聞いた会話はここまでだった。戸惑うセドリックがどこに行くのと聞くのを、「だいたいそんなことだって、どういうことですか!?」モリーの微かな怒声が遮った。
「パパらしいや」
 双子がクスクス笑い、ビルはやれやれと肩を竦めた。
「実際、縫合ってのはどういうもんなんだ? 本当に肌を縫うのか?」
「縫うよ。めちゃくちゃ痛い」
 妙に実感の籠った声音で言うベルは、いっそウィーズリー氏を尊敬していた。
「あんた達の親父さんは相当タフだよ。蛇の毒があるから下手に麻酔とかできなかったろうに、縫合に耐えるとは……
 双子は思わず顔を見合わせた。
「一応聞くけど、縫合の経験があるみたいだな?」
「あるよ。厳密に言うと、外科医に掛かったわけじゃないけど……毒持った風にやられてね、その場で綺麗に塗ってもらったはいいんだけど、まあ痛いわ頭ぐわんぐわんするわ吐くわで、散々だったな」
「大変だったな……
「いやあ、焼くよりマシだし」
 あっけらかんと言ったベルに、ビル達は揃って目を剥いた。
「焼く!? 傷を!?」
「そうだよ。縫合しても間に合わないやつとかは皮膚を焼いて繋ぎ合わせる。意識失ったら死ぬ」
 再び顔を見合わせる双子の顔色はどこか血の気が引いていた。
「まさか、お前、それも」
「流石にそこまでリスク負うほどやべー現場には行って
 ない。でも知り合いのめちゃくちゃタフな人が絶叫してるの聞いて、マジでビビった」
「じゃ、縫合は仕事のときに?」
「ああ、まあ……
 ベルはちょっと苦笑した。
「地元でな、まあ、ちょっとした……試練みたいなもんさ」
 それ以上何も言わないベルに、ビル達は何も聞けなかった。

 六階の喫茶室の一部はプレゼント置き場になっていた。看護師が何人か行ったり来たりして、プレゼントを持っては病室へ、持っては病室へ言っていた。ビル達の話を聞きながら紅茶を飲んでいたベルは、ふとプレゼントのうちのひとつに視線を吸い寄せられた。
「淋? どうしたの?」
……いや、あれ……
 ビルや双子も気が付いて、ヒーラーが杖で浮かせているプレゼントをまじまじと見やった。鉢植えの植物で、枝は触手のようにニョロニョロとしていた。
「あれが? どうしたって?」
……なんか……なんだったっけ……あの……あれ……なんか……温室の……奥の……生徒が入れないとこの……
 あの、あれ、と繰り返すベルは、自分の脳みそを引っ掻き回すより、ビルの腕を掴んでガクガク揺さぶった。
「とにかくちょっと引き止めて、なんでもいいから」
「ええ?」
「早く!! 行く!!」
 席から推し出されたビルが戸惑いながらもヒーラーに話しかける。ベルは「なんだっけ、」ウーッと唸り声を上げた。
「スプラウトが自分のとこで育ててるシリーズ、知らない? セド」
「えーと……スプラウト先生が個人で育ててる植物があるのは知ってるけど、それって温室にあるの?」
「ある……あるのもある……部屋にもある……って前に聞いた……気が……あーーーなんだっけ前になんか……なんかで……ほら……あの……ジメッとした……マンドラゴラの世話を手伝った時にチラッと……近付いちゃだめなやつ……
「ここまで来てるな」
 フレッドがこめかみの辺りで手のひらをかざした。
「ビルもそろそろ限界みたいだけど」
「セド、なんか思いついて、ジメッとしたとこに生息して近付いたら危ないツタ系植物」
「ええ……?」
 セドリックは眉間に皺を寄せた。脳内の魔法薬草学の知識を総ざらいした。
「あー……ヒラヒラ花? 違う……毒触手草……ではないな……キーキースナップ……は、危なくない……悪魔の罠?」
 まさか、と言わんばかりのセドリックに、ベルは息を飲んで「それだ!」と勢いよく立ち上がった。椅子を蹴ってビルの元に駆け寄るベルの後を、セドリックと双子もぞろぞろ追いかけた。
「その、それ、誰宛ですか、」
「このひらひら花? これはミスターブロデリック・ボートへのクリスマスプレゼントですよ」
 ヒーラーがのんびりと答える。ビルの表情から戸惑いの色が削げ落ちた。
「それ、僕から届けさせてもらってもいいですか? 知り合いなんです」
「まあ! まあ、まあ、それなら、ええ、是非そうしてくださいな。彼は五階の49号室です、分からなくなったらスタッフに聞いてちょうだいね」
 ヒーラーはことのほか嬉しそうに言って、鉢植え植物をビルに預け、他のプレゼントを持っていそいそと喫茶室を後にした。
「ベル、これ、ほんとに悪魔の罠なのか?」
「悪魔の罠? これが?」
「たぶん……そう……私の記憶が正しければ……
「えーと……スプラウト先生の温室にある危険な植物と、その植物が似ているみたいなんです」
 セドリックがベルを補う。ベルはコクコクコクと必死に頷いた。
「リーマスとムーディなら分かるだろう。少なくとも、この状態でムーディに何も言わなかったら、僕は騎士団をクビになるな。ありがとう、二人とも。そろそろ母さんの爆発も落ち着いた頃だろうし、病室に戻ろう」
 ビルがムーディ、ルーピンと話している間、ベル達はハリー達から五階にギルデロイ・ロックハートが入院していたと知らされた。続け字が書けるようになったからサインを押し付けられたと辟易していたが、ベルは頑なにロックハートのサインを受け取らなかった。


 行っるに行ったる禁じられた森やハグリッドの小屋、飼育場ほど温室に行かないので、思い出すのに大変時間がかかってしまうのだ。えー……、いや、……ベルはビルの腕を引っ掴んで二人の間に割り入った。彼とは年が明けた。
 ベルは新年早々、すき焼き風うどんを作った。ベルはいつも通りひとりで楽しむつもりだったが、醤油の焼ける匂いは万国共通で空腹を刺激する良い匂いらしく、こども達はこっそりつまみ食いをしようとして失敗したので鍋焼きうどんを食べるために何度もベルに挑んだが、尽く返り討ちにされた。
「いつもは食べるかって勧めるくせに!!」
「それはそれ、これはこれ。私のぶんがなくなるのは頂けない」
 ベルにとっては貴重な日本成分の補給である。こどもたちからはブーイングの嵐だったが、ディゴリー夫人とモリーは揃ってベルにレシピを教えてほしいと言い、ベルは素直にレシピを羊皮紙にしたためた。
 ホグワーツに戻る前日、アーサ・ウィーズリーが退院した。快気祝いのその日の夕飯はクリスマスに負けず劣らずの豪華さだったが、何故だかシリウスの機嫌は宜しくなかった。
 翌朝は屋敷中がドタバタしていた。ウィーズリー家のこどもたちはあれがないこれがないと何度も階段を往復したし、ベルはバックビークと離れ難かった。トランクの持ち込みはルーピンにすげなく禁止されてしまった。
 皆が何枚も重ね着してコートの下にマフラーを仕込んでいるところで、ベルはシリウスがハリーに何かの小包を渡すのを見た。ハリーが開けようとするのを制したシリウスが、「これで連絡してくれ」などというような言葉が耳に入る。
「ベル、手袋はしたの?」
 モリーに聞かれて、ベルは「しないよ、ママ」とポケットに手を突っ込み、スタコラサッサと玄関ホールへ移動した。それっとばかりにフレッドとジョージもミトンを嵌めろ攻撃から逃れようとベルに続く。
 玄関ホールではセドリックが両親とさよならのハグをしているところだった。ディゴリー夫妻は当然のようにベルの方にも腕を広げた。
「君の仕事の間、何事もなくて良かったよ」
「ええ、ほんとに。今年の夏は是非、うちに来てね」
「いやあ、いいんですか……?」
「勿論だとも! まあ、丘と海以外、特に何も無い場所だが?」
「海!」
 パッとベルの目が丸く輝く。
「私、海に入ったことないんです!」
「まあ。それじゃ、夏の予定はひとつ、決まりね」
 ディゴリー夫人が楽しそうに微笑む。いいんですかとはしゃぐベルに、ルーピンが小さく咳払いをして一同の注意を引いた。
「悪いが、そろそろ行かなくてはね」
「じゃ、また、手紙をちょうだいね」
「はい!」
 ベルは笑顔でセドリック達の後に続いてブラック家を後にした。ルーピンが杖腕を道路に向かって差し出すと、

 ───バーン!!!

 派手な音を立てて、紫色をした三階建てのバスが現れる。夜の騎士バスだ。危うく近くの電灯にぶつかりそうなところを、電灯の方がバスを避けてスペースを譲っている。
 バスからひょいとニキビだらけの若者が飛び降りて「ようこそ、」と口上を述べかけたのを、トンクスが「はいはい、ごくろうさん」と遮った。
「さあ、皆、乗って乗って……
 バスの中にはてんでばらばらの椅子が、一応は並べられていた。先程の急停車の折に吹っ飛んだらしく、何人かの魔女や魔法使いがぶつくさ言いながら起き上がり、床には誰かの買い物だろうカエルの卵やカスタードクリームがぶちまけられていた。
 一行は二手に分かれて座った。ロンは一度これに乗ってみたかったとワクワクしていたが、乗務員らしい若者に11シックルを渡してバスがバーーーン!!! と発車した直後から、ロンの顔からワクワクは消えていた。
 バスはスピード違反を取り締まる警察がびっくりして声も上げられないほどの猛スピードで高速をぶっちぎり、バーーーンと派手な音を立てて田舎道に移った。ロンはバスが音を立てる度にひっくり返り、虚無の表情を取り繕えないベルはもはや座ることを諦めた。ハーマイオニーは顔を手で覆っている。バスがぶつかりそうになる度に建物や車が避けるのを見ていられないのだろう。
 バスがホグズミードを走り、ホグワーツの校門前に停車して、一行はようやくひと心地ついた。
「なんで汽車だとだめだったんだ……
「まあまあ……ほら、校庭に入ってしまえばもう安全だから」
 ルーピンとトンクスが荷物を下ろすのを手伝って、生徒たちと別れを告げる。ベルは二人ともに思いっきり抱き着いた。
「さあ、いい新学期をね。オーケー?」
「体に気をつけてね」
 ルーピンは最後にハリーを手招いた。何事かほそほそと話す二人が別れてハリーが合流するのを待って、一同は城まで続く馬車道を滑らないように気をつけながら歩いた。
「最後にルーピン先生と何話してたの?」
「あー……実は、……秘密にしておいてほしいんだけど……君のとこの寮監と、週一で課外授業を受けることになったんだ」
「へえ? なんの」
 瞠目するベルに、ハリーは嫌そうな顔をしながら「閉心術」端的に言った。
「はーん……字面から察するに、心を閉じて、ヴォルデモートの夢を見なくてもいいようにする類のやつか」
「そう。ダンブルドアの指示なんだって」
「安眠のためだ、頑張れよ、ハリー」
 ハリーはどこか縋るようにしてベルに聞いた。
「君は閉心術を使える? 同じスリザリンなら、君に教わる方が何倍もマシだよ」
「さぁ……どうかなぁ……
 ベルは首を傾げながら遠くをみはるかした。
「うちの山にはサトリっていう、人の考えをなんでも読み取る妖怪がいるんだが」
「ええ……嫌な奴だね……
「ハハハ、まあうん、否定はしないが。そいつに自分の考えを読み取られないようにする修練はしたから、似たようなことはできることになるのかな……? ま、ひとまずは安眠のために頑張りなよ」
「コツとかある?」
「うーん」
 ベルが眉を寄せて首を捻る。ハリーはベルが人に物を教えるのを得意としていないのをふと思い出した。
「はじめは、そうだな、拒絶から入った。でも、その後は受け入れた」
………………?」
 訳が分からない、という顔をするハリー。
「君、たまに、ケンタウロスみたいな喋り方するね」
「そうかあ?」
 ベルはちょっと嬉しそうにはにかんだ。褒めてないよ、というのを、ハリーは飲み込んだ。城の入口の大扉が、ハリー達を出迎えるようにして開いたからだった。


 冬休み明けの飼育場や厩舎は、掃除や動物たちの世話が隅から隅まで行き届いているかと言われれば、否と言うしかない状態だった。ごみがいつもより溜まっていて、飼育上場には雪が少しだけ積もり、必要最低限のことはされているがちょこちょこと足りないところが雑多にある状態だった。ベルは杖の一振でそれを解消し、ハグリッドのことは責めなかった。手のかかる弟がいるのだから仕方の無いことだ。
 ある朝、ベルが早めに朝食を済ませて火トカゲに粉唐辛子を刷り込んでやっていると、バタバタと足音がして、ハリー、ハーマイオニー、ロンが現れた。
「ベル!!」
「あん? あ、おい、来るな来るな、粉唐辛子使ってんだから!! 吸ったらまずいから外出てな」
 ハリー達は慌てて作業場の外に出た。ベルは最後の仕上げだけをサッサと済ませ、手袋をその場に放り、ゴーグルを頭に上げ、マスクを下げて「なんだよ、」と扉の間から半身ほど外に出した。
「ベル、これ見て、これ、」
「君がシリウスの娘だって書いてある」
「はァーーー?」
 口をへの字にして何を言ってるんだかサッパリ分からないという顔のベルに、ハリー達はベルが自分の父親を本当に知らないのだということを確信した。
「とにかく読んで、ここよ、」
 ハーマイオニーが日刊預言者新聞の一面記事をベルに押し付ける。
「ウワ、アズカバンから集団脱走? 穏やかじゃねえなあ……あ!? バーティもかよ!?」
「そこもだけど!!」
 ハーマイオニーが唸る。
「シリウスがそいつらの旗頭なんじゃないかって……それで、君を利用するんじゃないかって書いてる、」
 ロンの乱暴な要約は、当たらずとも遠からずだった。
 アズカバンからの集団脱獄、魔法省の危惧───かつての死喰い人、ブラックを旗頭に結集か、という見出しの後に、魔法省が───つまりはコーネリウス・ファッジが───昨夜遅く、特別監視下にある十人の囚人が脱獄したことを確認し、マグルのイギリス首相に警告したと発表したとの記事が続いた。記事はコーネリウス・ファッジの各自危機管理を怠らないようにというコメントの後も、つらつらと続いていた。

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 また、驚くべきことに、シリウス・ブラックには娘がいることが、ホグワーツ高等尋問官のドローレス・アンブリッジ氏により判明した。
 氏は魔法省および理解ある諸兄の厚意により運営されているホグワーツ魔法魔術学校はあくまでもイギリスおよび北アイルランドに籍を持つこどもたちに注力すべきであると考え、アルバス・ダンブルドア校長に対し、日本国籍を持つリンという少女が五年以上ホグワーツに在籍していることを許可した理由を追求したところ、該当生徒の父親がシリウス・ブラックであるということが明かされた。
 日本は二重国籍を法的に許可していないことから、彼女がイギリス人ではないということは明らかであろう。
 シリウス・ブラックと、彼の妻でありリンの母親であるシラギク・ヤマノカミとの関係は定かではないが、アンブリッジ氏によれば病没死しているとのこと。また、氏によれば、驚くべきことに、アルバス・ダンブルドアは労働基準法の児童労働に関する部分に反している可能性がある。魔法省は、ブラックが自分の娘を利用することも視野に入れ、今後の対応を検討するとした。
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 ベルは愕然とした。
 頭が真っ白になって、まともな言葉ひとつ浮かんでこない。
 ハリー達は心配そうな顔で、ベルを見つめている。
……つまり……私は…………
 たっぷり数秒かけて新聞を丁寧に畳み、ハリーを訝しげに指すベル。
……お前の姉?」
「だめだこりゃ」
 ロンが呻く。直後、三人は素早く動いた。
「僕、セドリックを呼んでくる」
「さあ、ダンブルドアに手紙を書くのよ、ベル」
「ヘドウィグ連れてくるよ」
「あいつ私に返信したことねえぜ」
 ハーマイオニーに羊皮紙と羽根ペンを押し付けられたベルは、ドアにもたれて片足を曲げ、太腿をテーブルにひとまず「ダンブルドア」と宛名を書いた。
「ハリー、あいつ、遅刻しねえか?」
「今ならまだ間に合うわ、ギリギリかもしれないけど……
 ベルが書き出しに迷ってハーマイオニーに相談しようとしたその時、火トカゲが鳴き声を上げた。ベルはドアから身を起こし、ハーマイオニーもついでに中に引っ張りこんだ。
「ベル、なに、」
「しーっ、」
 ベルはハーマイオニーにゴーグルとマスクをつけさせ、問答無用で手袋を嵌めた。
「サラ、これ燃やせ」
 サラと呼ばれた火トカゲが火を吹いて、ベルの放った羊皮紙と日刊預言者新聞を瞬きひとつで灰にする。ベルがゴーグルとマスク、手袋をつけて粉唐辛子のすり鉢を引き寄せた直後、バン、と音を立てて作業場のドアが開け放たれた。
 ドローレス・アンブリッジだった。彼女は煤けた作業場には不釣り合いなピンクのコートに身を包み、にたーっと嫌な笑いを浮かべた。
「おはようございます、先生」
「おはよう、ベル」
 朗らかに挨拶をしたベルに、アンブリッジも機嫌よく答える。
「何をしているの?」
「粉唐辛子を火トカゲに塗り込んでるんです、寒いから」
「あなたは、何をしているの?」
 アンブリッジに聞かれて、ハーマイオニーは咄嗟に言葉に詰まった。
「ハーマイオニーは、火トカゲが病気になったときの処置の仕方を見たいと言ったんで、見学です」
 フォローしたベルの言葉に、こくこく、とハーマイオニーが頷く。アンブリッジは疑わしそうな表情を隠しもせず、一頻り作業場を見渡し、やがて一応は納得した素振りを見せた。
「ベル、話があります。授業の後……あと……
 ず、とアンブリッジが鼻を啜った。みるみるうちに小さな目から涙が溢れ、皮膚に赤みが増してゆく。
「か、かゆ、あつい!!!」
 だっ、と音を立ててアンブリッジが作業場から逃げ出した。
 ゴーグルとマスクに隠れていても分かるほどポカンとしているハーマイオニーを促し、ベルはすり鉢に蓋をして、ハーマイオニーを外に出し、ゴーグルとマスク、手袋を回収した。作業場の中に放りこみ、杖で一振すると、道具たちは自分から定位置に帰り着いた。
「じゃあな、いい子にしてろよ」
 キュウ、と火トカゲが鳴くのに微笑んで、ベルは作業場の扉を閉じた。扉には、「ゴーグルとマスクと手袋をするように」と大きく注意書きが書いてあった。
「何をしたの?」
 移動しながら聞くハーマイオニーに、ベルは「なんにも」飄々と肩を竦めた。
「ただ、そうだな、あの粉唐辛子にはハバネロとか、やべーもんがいろい入ってる。素手で触ると火傷だ、気をつけろよ」
「でも、アンブリッジは粉に触れてなかったわ」
「数秒程度なら問題ねえんだけどな、素肌で長くあそこにいるとああなる。目に見えないくらいの粒子が舞ってることがあるから。ほんとはあの注意書きもなかったんだ、ハグリッドは平気だから。でも、私が入り浸るようになってから書かれるようになった」
 城に辿り着いてから、ベルはハーマイオニーに真面目な声音で告げた。
「歩いているうちに考えたんだが、私のことは教師役から外せ。たぶん、魔法省の監視が強まる。スリザリンの生徒に私を見張らせることも増えるだろう」
「でも……
「大丈夫だ、上手くやるから。ジニーにも心配するなって伝えといてくれ。ハリーとロンが遅刻したらスマン。新聞も、燃やしちまって悪かった」
 ぽん、ハーマイオニーの肩を叩き、DAで使っていた金貨を素早くハーマイオニーのローブのポケットに突っ込んで、ベルは早足で行ってしまった。あとにはハーマイオニーだけが、城の廊下にぽつねんと放り出されてしまった。
 マダム・ポンフリーに軽い火傷などを治療してもらったアンブリッジとベルが再会したのは、昼休みになってからだった。
「あなたは、今学期が終わるまで、城の外に一歩たりとも出てはいけません。魔法生物飼育学の授業を受ける時は、私があなたに付き添います」
「はあ」
「また、あなたはこの件に関し、ダンブルドアを初めとした教職員に、質問をしてはいけません」
「はあ」
「手紙を出す際は、逐一私が確認します。いつでも申し出るように」
「そりゃどーも」
「私の手が空かないときは、他の先生方があなたを監視します」
「お好きになすって」
 監視と聞いたところで、どこまでも泰然とした態度のベルに、アンブリッジは一呼吸の間肩を怒らせたが、やがてフン、と鼻を鳴らした。
「いつまでその態度が持つか見ものだこと」
 ベルは片頬だけで笑ってアンブリッジの前を辞した。廊下にはスネイプが待ち構えていた。
 移動する道すがら、ベルはスネイプに話しかけた。
「お手数お掛けしましてすみませんね」
「まったくだ」
 ベルは肩を揺らして笑みを深めた。彼の不機嫌・仏頂面は、今までとあまり大差ないのが、なんだか救いだった。
 いつかのバジリスク騒ぎの時のように、早速先生がひとり、ベルの教室移動に付き添うことになった。生徒達はベルが通ると進んでサッと道を開け、怯えた顔をして傍を通り過ぎた。
 その日の夕方から、ベルのところにはひっきりなしに吼えメールや手紙が届くようになった。娘や息子に手を出したらただではおかない、お前は即刻退学になるべきだ、お前は人殺し、などなど、脅しや苦情が多岐にわたる表現でベルの元に届けられた。ベルが杖を一振すると、手紙は順繰りに並んでベルの前で立ち止まって封を切り、ベルが読み終わるや否や静かに燃えた。吼えメールの傍で優雅に紅茶を傾けたベルは、手紙が爆発する瞬間にさっと手を振って爆発から身を守った。
 ベルが一番可哀想だなと思ったのはベルのルームメイトだった。ベルは彼女たちに自分のことを一切話さなかったので、彼女たちにとって見れば顔見知りのルームメイトが実は殺人鬼の娘でいつか死喰い人と連絡を取るかもしれないなんて、恐怖以外の何物でもないだろう。ベルが部屋に入ると皆揃ってお喋りをやめ、慌ててカーテンを締め切ってしまうので、ベルはなんだか申し訳なかった。
「ベル、あなた平気なの?」
 アズカバンから死喰い人が集団脱獄してベルがシリウスの娘だと報じられてから十日ほど経った頃、薬草学からの移動中、スプラウトが心配そうにしながら、けれども決して話しているという素振りをとらず、そっとベルに囁いた。ベルはあくまでも気楽に答えた。
「平気ですよ。寧ろ歩きやすくて助かってます」
 スプラウトは呆れたのか感嘆したのか、よくわからない溜息をついた。
「ディゴリーに伝えたいことは?」
「先生達がずっと一緒に居てくれるんで変にいじめられることがないからいっそ安心だって伝えといてください」
 ベルは同じようなことをマクゴナガルにも言われた。ウィーズリーの双子やハリー達に伝言はあるかと問われ、ベルは「モーゼごっこは楽しい」と伝えてもらうことにした。
 フリットウィックは、「これは独り言ですが」と前置いて、ベルがいかに呪文学に長けていて、この扱いは全く不当であり、親のことで子供が要らぬ業を背負うことはないと何度もベルを励ました。ベルは真面目に授業を受けてて良かったなぁ、としみじみ思った。
 放課後に城の外に出られなくなって生き物たちや森の様子を見に行けなくなってしまったので、ベルは放課後を持て余すようになった。そういうわけで、ベルは自分から職員室にお邪魔することにした。これにはさしものアンブリッジも度肝を抜かれたようだった。
「あ、あなた……何故ここに?」
 びっくり仰天、信じられないという顔をするアンブリッジ。
「ここなら先生方が誰かしら私の監視につけるでしょ? 先生方のお仕事も邪魔しないし、私は好きな時に質問できるし……あ、勿論、授業や宿題で分からなかったとこベルは静かに目を丸くした。についてですけど」
 ニッコリ朗らかに笑うベル。
 全くへこたれていない様子に、アンブリッジはあんぐりと口を開け、マダム・フーチとシニストラは、アンブリッジに分からないように揃って口パクで「よくやったわ」と言い、ベルはぱちりと片目を瞑って見せた。
 よく考えなくても、とベルは幾らか冷静になった頭でぼんやり考えた。
 シリウスが親だろうがそうでなかろうが、ベルにとっては何ら関係はなかった。日刊預言者新聞で久しぶりに見た母の名前にはなんの感慨もなく、寧ろ他人の、知らない人の名前のようだった。ベルは本当に母のことを知らないのだが。
 加えて、ベルはあともう少ししたら成人する。おそらくは日本で働くことになるだろう。イギリスに来ることはめっきり減って、セドリックとの関係だって、いつまで続くか分かったものではない。
 セドリックは真面目で律儀だから、ベルがハッキリ別れようと言うまで、また自分が納得できるまでベルと別れるようなことはしないだろうが、義理だけでセドリックを縛り付けておきたくはない、とベルは考えていた。それに、シリウスの汚名が晴れない限り、セドリックにも殺人鬼の仄暗い噂がついてまわる事になる。セドリックは気にしないと言うだろうが、ディゴリー夫妻にとってはたまったものではない。
 それに、シリウスだって被害者だ。彼女は───母は、逃げるために自分を傷物にできるなら、誰だって良かったに違いないのだ。
 シリウスもビックリしてるだろうなぁと考えて、ベルはハリーにシリウスへの伝言を頼むことにした。ハリーがシリウスへの通信手段を持っているのを思い出したからだ。
 ベルは授業中にこっそり内職し、シリウスとセドリック、そしてハリー達に手紙を書いた。


 雪が降りにくくなって積もった雪もほとんど溶けだした二月、ハリー達が中庭で過ごしていると、そこに一匹の猫が通りがかった。
「あら、かわいい」
 なあん、と人懐っこくハーマイオニーの足に擦り寄った黒猫は、灰がかった青の瞳をしていた。
「誰かの猫かしら。それとも野良かな?」
「あっちいけよ、お前にやるもんなんてないぞ」
 猫はしなやかにロンの肩に飛び乗った。ごろごろと喉を鳴らし、かと思えばハリーの胸に飛び込む。ハリーは慌ててびろーんと伸びる猫を抱えてやった。
「随分人懐っこいな」
 ずるん、とハリーの腕から逃れた猫が、ずぼ、とローブのポケットに顔を突っ込む。ハリーは「何も入ってないよ」そっとローブを持ち上げた。
 猫は満足したのか、なあんと鳴いて、再びどこぞへと行ってしまった。
 野良猫が生徒にじゃれつくのはいつものことだ。ハリーは何も気にせずポケットに手を突っ込んで、……そこにあるはずもなかった羊皮紙の感触に、思わず眉を寄せた。
 小さく折りたたまれた羊皮紙を広げるのにはだいぶ時間がかかった。ハリーの様子に、ハーマイオニーとロンもハリーの手元を覗き込み、あっと声を上げそうになるのをすんでのところで堪えた。
 羊皮紙は、ベルからの手紙だった。

「ハリー、ハーマイオニー、ロン

 元気か? 私はモーゼよろしく、気楽にやってるぜ。
 最近は職員室に入り浸ってる。アンブリッジのいらつく顔の面白いことといったら。
 それはそうと、この間の日刊預言者新聞のびっくり記事で、スナッフルズもびっくらこいてひっくり返ってんじゃねえかと思ってな。同封してるスナッフルズ宛の手紙を届けてくれ。読み上げてくれていいから。
 ほら、クリスマスホリデーからホグワーツに戻る時に、スナッフルズからいいもん貰ってただろ。あれで通話できるみたいな話が聞こえちゃったからさ。ごめんな、盗み聞きみたいで。気を悪くするなよ。
 返事はいらん。私のことで誰かと張り合って罰を受けるようなことはするなよ。私のために怪我なんかしないでくれ。頼むぜ。

 追伸
 猫は私の使い魔みてーなもんだ。日本式魔術ってやつ。役目を終えたら燃えるから、気にするな。

 ベル」

「スナッフルズ

 正直、母がすまんかった。
 母は帰国後、風俗で働いてた。そんな奴のことなんか忘れて、そんな奴がたまたま孕んじまったこどものことなんか、責任感じなくていい。来年、私、成人だし。
 あんたの息子はハリーだけだよ。これからもね。
 私とは今まで通りでよろしく。いつかワームテールを捕まえようぜ。

 ベル

 追伸
 だいたい、アンブリッジが日本人を追い出したいからこじつけてんだと思うよ。母があんた以外と関係持ってた可能性もある。あんまり気にするな」


 誰もいないグリフィンドールの談話室で手鏡越しにベルからの手紙を聞いたシリウスは、なんとも言えない顔をした。ハリー達も、あまりにもベルがあっけらかんとしていて、かける言葉を失ってしまった。
……彼女は、私達の間では、ノースポールで通っていた」
 数時間ともとれる沈黙の後、シリウスがぽつりと独りごちた。
「私達は……特に私と、リーマス、そしてジェームズ……君のお父さんだが……それにリリーも……彼女のことはノースと呼んでいた」
「彼女も騎士団だったって、ムーディから聞いたけど……
 ハリーの言葉に、シリウスはそうだと頷いた。
「リーマスが、任務に巻き込んでしまってね。事故だった。けど、彼女は、私達の知らない魔法を使って、私達のフォローをした後、あっさり『お仲間でしょ?』と言って、まるで以前からそこにいたように騎士団の仲間入りを果たした」
 旅行に来ているのだと言っていた、とシリウスは続けた。
「彼女の旅行が家出のようなものだと聞いてから、確かに私たちの距離は縮まったな。私も十六で家出をした。私達は傍目には恋人のように見えていただろうが、ヴォルデモートのこともあったし、私にも任務があった。観光客という名目でノースがイギリスに滞在することができる期限が切れて、彼女とは別れたよ」
「だからって、ベルのことを知らんぷりするの?」
「そういうわけにもいかないと思ったが、本人がそれを望んでいるように聞こえるがね、ハーマイオニー」
 批難するようなハーマイオニーに、シリウスはあくまでも淡々と答えた。かと思えば、ふ、と自嘲するように片頬だけで笑う。
「まあ、ベルだって、日がな一日引きこもっているだけの父親など御免こうむるだろうが」
「ベルはそんなつもりで言ったんじゃないよ、おじさん」
 シリウスは瞠目した。ハリーも自分の声が予想以上にきっぱりしたものだったので、思わず自分の喉に自分の手で触れてしまった。
……僕、おじさんに、一緒に暮らさないかって言われて、すごく嬉しかった。すごくだよ。ダーズリー達から逃げられるし……
 考え考え、ハリーはゆっくりと言葉を紡いだ。何故だか、シリウスの顔は見れなかった。
「今でも、おじさんと一緒にいたいよ。でも……僕が、少しでもヴォルデモートに情報を渡してしまう可能性があるなら……迷惑じゃないかなって思う……本当のこどもも、いるんだし……
 ハリーは奥歯をかみ締めた。何故だか、鼻の奥がツンとして、目の前が眼鏡を外したときのように滲んだ。
 今まで通りに戻るだけだろう、ハリー、と自分で自分に言い聞かせる。無理やり息を吸って、ハリーはシリウスとベルが一緒にいる景色をできるだけ真っ白に塗り潰していた。そうでもしないと、二人に対して絶対に言いたくないことをぶちまけてしまいそうだった。
 好きでいたかった。ふたりのことを。血の繋がりを越えて、本当の家族のように接してくれたふたりを。
「ハリー」
 シリウスが、ゆっくりと、しかし力強くハリーを呼んだので、ハリーはのろのろと顔を上げた。
「迷惑か、そうじゃないかなんて、気にしなくていい。君は、私の、息子だ。ハリーの居場所は、誰がなんと言おうと、ここにある。私の傍だ。いつだって帰って来れる」
 うん、とハリーは頷いた。
「ベルにも、そう伝えてくれ。……ありがとう、ハリー」
 喉が痛かった。ハリーはなんとか声を出したかったが、できなかった。代わりに、何度も何度も、繰り返し頷いた。


 あっという間に一月が過ぎた。気が付けばバレンタインデーが迫っていて、生徒達はにわかに浮き足立っていた。
 ふとした瞬間に、ベルはセドリックはどうしているかなと考えた。
 この間セドリックに送った手紙は、他愛ないことしか書けなかった。いざ最近あったことやそれについての思うことを書こうとすると長文になりすぎて、うまく説明できないし、とっちらかってまとまらなかったのだ。結局、自分は上手くやってるから心配するな、先生達の心配は寧ろ大袈裟、アンブリッジが手紙を全て検閲してる、ハリー達のことを今まで以上に頼む、と書いて終わってしまったのだ。
 ハリーたちへの手紙も、シリウスへの手紙も、ものの五分もかからず書き終えたのに。ベルはセドリックへの手紙を書く時だけすぐに煙を上げてショートする脳みそを力なく罵った。
 バレンタインだし、何か書こうかなあ。でも、セドリックが嫌だったらどうしよう。ベルはここのところ、ずっとそんな調子で、同じことをぐるぐると、堂々巡りの考えを事ある毎に繰り返していた。
 あの手紙も、もしかしたら迷惑だったかもしれない。返事を貰うのはリスキーだから、式紙に手紙を届けたら燃えるよう組み込んだのは失敗だったかも。でも、猫を出すタイミングはトイレの個室からなど、自分で選べても、猫が戻ってくるタイミングは選べないベルは内職用に羊皮紙を一枚余分に広げていたが、結局真っ白のまま、何も書けずに、バレンタインデーを迎えることになった。
 バレンタインデー当日、ベルは暇を持て余していた。ホグズミードにも出かけられないし、森にも行けない、かつ教職員の目の届くところに居なければならないとなれば、一日職員室の隅の椅子に縮こまって座るしかない。
 結局ベルは、椅子の上で膝を抱えて小さく丸くなってぼーっとしているうちに転寝をしたらしく、目が覚めた時には窓から差し込む光はオレンジがかり、夕暮れであることを示していた。
 は、と息を飲んで目を覚ましたベルは、自分の指が何事か掴んでいるのに気付いた。はてこの硬い感触はなんぞやと寝ぼけ眼を何度も瞬かせて視界をはっきりさせると、そこには小さな薄紅の花をつけた枝があった。桜である。
 ベルは静かに目を丸くした。よもやイギリスで桜を見ることになるとは思わなかったのだ。ざらりとした手触りの細い桜の枝には黄色いリボンが巻かれていた。何かしら文字のようなものが見えた気がして、それを解いてみると、リボンの内側に几帳面な文字が並んでいた。

「Happy Valentine S.D.」

 たったの16文字を、ベルは何度も何度も、繰り返し読んだ。この筆跡には見覚えがあるし、何なら、嘘でも良かった。誰かに騙されていてもいいとさえ思った。ただの義理でも、セドリックが何かしてくれたことが、ただ、ただ、胸のうちを、柔く綻ばせてくれるようで。
 ベルは、リボンと、桜の枝を全力で抱き締めたくて、それでも懸命に堪えた。いっそ胸が張り裂けそうなくらい苦しかったが、折角の贈り物を、台無しにしたくはなかったのだ。
 ベルはひとつに結んでいた髪を解いた。リボンを丁寧にゴムに巻き付ける。そして桜の枝を魔法でコーティングし、ちょっとやそっとでは壊れないようにした。ベルは黄色のリボンを巻いたゴムでもう一度髪をひとつに縛ると、桜の枝を簪のようにして、長く垂れる髪をまとめあげた。
 軽く頭を振っても、そう簡単には崩れないことを確認していると、ふと、フィットウィリックと目が合った。ベルはきゅむりと口を引き結んだが、フィットウィリックはニコリと笑って、「よく似合っているよ」優しく言った。
「さて、それでは夕食に行こうか。穴熊からの贈り物のお披露目だ」
 ベルは唇をもにょりとさせて、じんわり赤くなるのをごまかすように首を竦め、大人しくフィットウィリックの後について行った。


 テーブルの隅で、ほとんどの生徒から離れてひとり静かに食事をするベルの髪に、自分の贈った花が咲いているのを見つけたセドリックは、年が明けてからようやく、心穏やかに安堵の息を吐いた。行儀悪く机に着いた頬杖の下、緩まる頬が堪えきれない。
 日刊預言者新聞がシリウス・ブラックと淋について報じてからこちら、セドリックはベルと一言も話せていなかった。友人達はセドリックが騙されていたのだと言い、寮監のスプラウトからもやんわりと止められた。何より、淋が、セドリックの方を、一切見向きもしなくなったのだ。
 セドリックは苛立っていた。セドリックが淋に手紙を書く度に、皆が口を揃えて、キャリアのためにも、安全のためにも、ベルから離れるべきだという主張を曲げなかった。両親でさえ、淋との関係について、セドリックを励ますようなことは手紙に書かなかった。頭では、自分達や騎士団の安全と、セドリックとに、最大限配慮した結果だと分かっていても、渋面にならざるを得なかった。
 淋から送られた黒猫もあっという間に姿を消してしまったし、肝心の手紙にはスプラウトから聞いたようなことしか書いていなくて、セドリックからの手紙を受け取っていないことが察せられた。きっと、アンブリッジに塞き止められているのだ。手紙を書く気力さえ砕かれたセドリックが閃いたのは、友人達にホグズミードに連れ出されたときだった。
 バレンタインで浮足立つホグズミード村では、行く先々で、誰かが誰かに花やプレゼントを贈っていた。その様子を見て、セドリックはピンときた───ただの花ならば、検閲も何もない。だってただの花である。
 ホグズミードに来ていた花屋の屋台は、赤い薔薇に埋め尽くされていた。バレンタインデーだからだ。しかし、屋台の奥の方には、季節の花も用意されていた。
 セドリックは最初、友人達と一緒に屋台を通り過ぎたが、てきとうに言い訳をしてひとりになると、再び屋台に戻った。セドリックは薔薇ではなく、桜を選んだ。薔薇はあからさますぎて、気恥しさの方が勝ってしまったのだ。
 ハーマイオニーやハリーと諸々の用事を済ませ、再び友人たちと合流したセドリックは、ローブの内側に枝を隠し、花が潰れないように気を付けながら、城に到着すると、先生に用があるとうそぶいて、一人職員室へと向かった。
 職員室は静かなもので、何人かの先生が書き物をしたり、本を読んだり、小さな声でおしゃべりをしていた。職員室を見渡すと、隅の方で、見覚えのある影が、小さく丸くなっていた。
 セドリックは軽くノックをして、目が合った先生に会釈し、そっと職員室に足を踏み入れた。アンブリッジがいないことにラッキーだと思いながら、静かに淋に近づく。
 淋は静かに規則的な寝息を立てていた。起こすのもなんだか忍びなくて、セドリックは彼女を起こさないように気を付けながら、桜の枝を、そっと細い指と腕の間に挟んだのだった。
 果たして淋が気づいてくれたか不安だったが、それは杞憂に終わった。淋は分かりやすく、セドリックのプレゼントに返礼の気持ちを示してくれていた。髪留めにするとは、セドリックの予想外だったけれど。
 しかし、ツカツカとまっすぐに淋に歩み寄るアンブリッジの姿が、セドリックの幸せな気持ちをみるみる強張らせた。アンブリッジは淋のすぐ真後ろで立ち止まると、眦を釣り上げた。
「これはいったい、どういうことなの?」
 スープを飲もうとしていたベルは、「はい?」と真後ろを振り仰いだ。
「あなた、外に出たの?」
「出てませんよ」
「では、その頭に刺さっているのは、なんだというんです」
「ああ、」
 ベルは嬉しそうに笑った。
「私が職員室でうたた寝してる間に届いたプレゼントです。誰かを知りたいのなら、他の先生方に聞いてください」
「嘘ね。外に出たんでしょう、」
「出てませんよ」
「いいえ、あなたには書き取り罰です、それから減点を───」
「まあまあアンブリッジ先生!」
 ベルが流石に次手を打ちかねていると、フリットウィックがひょこひょこやってきて、アンブリッジをどうどうと宥めた。
「彼女は今日一日ずっと職員室にいましたとも。我々がしっかり見ておりました。ベルはこの辺りの魔法生物と非常に仲が良いですからね、桜の枝のひとつやふたつ、プレゼントするようなものもいるでしょう。もし私だけの証言では足りなかったら、他の先生方にも聞いてください、さあさあ……
 フリットウィックはベルにぱちりと片目を瞑って見せると、ベルが生き物たちを厩舎に追い立てるようにしてアンブリッジを教職員テーブルの方へと促した。ベルはやれやれと前を向いて座り直し、……ばちりと灰色の双眸と目が合った。
 淋は盛んに目を瞬かせた。今すぐ、この桜の枝とっても気に入っててすっごく嬉しいのとセドリックに向かって叫びたい衝動が突き上げたが、結局は、口パクでありがとうと言うしかできなかった。セドリックは頬杖を着いていたが、それでも目を優しく細めて微笑んでくれたから、淋は顔の筋肉という筋肉がだらしなく緩みそうになるのを、俯いてごまかした。


 二月も終わりに近付き、春の足音を遠くに感じる頃、ホグワーツ城は騒然とした───ハリー・ポッターとセドリック・ディゴリーのインタビュー記事が雑誌『ザ・クィブラー』に掲載されたのだ。
 ハリーとセドリックには朝から大量の梟が届いた。アンブリッジは勿論カンカンで、ハリーとセドリックに一週間の書き取り罰を下し、グリフィンドールとハッフルパフからそれぞれ五十点も減点した。
 アンブリッジはザ・クィブラーを持っている生徒を退学処分にすると法令を出したが、生徒たちの方が数段上手だった。あらゆるところでインタビューの内容が伝えられ、ベルにさえその内容が伝わった。
 インタビューで、ハリーはリドル家の墓地で何があったかを詳細に語り、そしてなんとセドリックは、淋についての詳細を語った。
 淋は祖母に育てられたこと。ずっと一人で生きてきたこと。彼女が本当に魔法生物を愛していること。彼女は自分の力を暴走させないように、きちんとコントロールするためにホグワーツまで来たこと。初めは英語が喋れないことでいじめられていたが、今では学年でもトップを争うくらいに優秀で、無言呪文を完璧にマスターしていること。彼女は最早完璧に自立していて、殺人鬼等とは何の関係もないのだということ───淋は苦笑した。
 人の内情を勝手にペラペラと、よくもまあ、暴露してくれたものである。ダンブルドアもセドリックも、他人に暴露する前に、淋に一言か何か、そうと分かるように示してくれたらいいものを。
 しかし、淋はセドリックを責め切れなかった。セドリックは、皆が凡そ目の当たりにして知っていることを、改めてはっきり言葉にしたにすぎないとも言えるからだ。
 おそらくは、ハーマイオニーが一枚以上噛んでいることを、淋は確信した。記者はなんとあのリータ・スキータだと、マクゴナガルが大きな独り言で教えてくれたからだ。淋は移動教室の度に先生の独り言を聞く羽目になっていた。
 ハーマイオニーも、ハリーも、セドリックも。淋がどうやってセドリックを助けたかを言わなかった。セドリックは、失神呪文を心臓に喰らって、倒れたことになっていた。その事実が、何故だか淋は、無性に嬉しかった。三人ともが、淋の名誉よりも、淋が安全に、これ以上孤立しないように、ヴォルデモートに、皆に注目されないように気遣ってくれたのだという事実は、淋のこころを、痛いほどに和らげた。


 しかし、アンブリッジはただでは転ばなかった。
 トレローニーを追い出して自分に近しい教師を採用しようとしたところ、ケンタウロスのフィレンツェを連れてくることで阻んだダンブルドアを、とうとう停職に追い込んだのだ。廉はもちろん、課外授業と偽って、淋に違法労働させていた疑いである。
 しかし、直々に迎えにきたファッジの前で、ダンブルドアは「みすみす捕まるつもりはない」と逃亡したのだという。
 夏の報酬、スイス銀行経由して振り込んでおいてもらってヨカッタ〜〜〜と淋は心底安心した。スイス銀行からの金銭の動きは公開されないからだ。そもそもがマグル側の銀行口座であるので、ゴブリンに聞いたところで預かり知らぬ話であろうし、淋はいつものように知らぬ存ぜぬを貫き通すことにした。ダンブルドアの報酬が違法なら、淋の毎年の仕事だって、立派に違法労働である。最早慣れたものであった。
 アンブリッジは校長室に入れなかったらしく、自分の部屋に校長室というプレートを貼って、対外的には校長の立場を欲しいままにしていた。高等尋問官親衛隊なるものも組織し、監督生を減点できる権限を与えたという。筆頭はドラコ・マルフォイだとかなんとかで、彼はわざわざ忙しい昼食の席で、親衛隊のバッジを見せつけながら、ベルに話しかけた。
「あなたがスリザリンであることをこんなに残念に思ったことはありませんよ」
「私が日本人だから減点したかったって?」
「それどころか退学になるべきだ」
 ニヤニヤ笑いを引っ込めて、マルフォイは剣呑な声音で突っかかった。ベルはセドリックが立ち上がりかけたのを、他の生徒に制された音を聞いた。思わず、ふ、とベルの口端が吊り上がる。ドラコもマルフォイも、ベルが大人しくしておけば、彼女が一端のスリザリン生だということを、どうも忘れがちのようである。
「二年前、私をサラザール・スリザリンの子孫だと勘違いしていたお前は、私が日本人であることを気にしたのか?」
「───」
 ベルの声が柔らかく、遠くまで響く。広間のざわめきが、一瞬だけシン、と引いて行った。
……健康的な顔色になったじゃねえか」
 ざわめきの波が寄せる頃、ベルは鯔背に笑って立ち上がった。背の高いベルは、少しだけマルフォイを見下ろした。
「何よりだが、まだまだ数手足りねえな。午後も頑張れよ、後輩」
 じゃれあうように肘でどつき、ベルは堂々、教職員テーブルの方まで歩いて、スプラウトと共に教室に移動するため、ローブを翻して広間を後にした。
 ウィーズリーの暴れバンバン花火が大爆発したのは、その直後のことだった。城じゅうで花火が爆発し、失神呪文や消失呪文をかけるとその数を倍に増やすものだったので、夕食の時間まで花火のバンバンいう音がそこかしこから聞こえていた。先生たちは「自分たちに花火を消しても良いという権限があるか分からない」と言い、アンブリッジとフィルチを午後いっぱいまでこき使い、このトラブルの処理に当たらせた。
 フレッドとジョージは、暴れバンバン花火だけで終わる双子ではなかった。事件から数日後、またしても大事件を起こした。
 ベルがマクゴナガル先生と移動中、二人は何故だかバタバタと走り回っていた。
「二人とも、廊下をそんなにバタバタと、何事です!」
「ああ、先生!」
「ベルもいるのか!」
 揃ってちょうどいいや、という顔をする双子。
「いやあ、先生にはお世話になりました」
「ベルにもお世話をしてやりました」
 双子が優雅に礼をする。ベルは思わず、フッと吹き出した。
「まあ、否定はしねえけど」
 フレッドが優しくベルに微笑んだ。
「新しいヘアスタイル、よく似合ってるぜ」
「ジニーも褒めてた」
「ありがと」
「じゃあな、弟妹たちを頼んだぜ、兄弟」
 遠くからバタバタと新しい複数の足音が近付いてくる。それに気付いた双子は顔を見合せてニヤリと笑い、
「フゥーーー!」
 歓声を上げながら大広間へ続く階段の手摺を滑り降りていった。
 ベルはマクゴナガルを見上げた。彼女は小さく口をポカンと開けていた。彼女のような威厳のある人でも呆けることがあるのだなあ、とベルは大広間の入口に視線を戻した。四方から現れた尋問官親衛隊に、移動中の生徒たち、そしてとどめにアンブリッジが現れて、玄関ホールはたちまちの内に大捕物の現場と化していた。
「さあ!」アンブリッジが喜色たっぷりの大興奮した声で一歩前に進み出た。「じゃ、あなたたちは、学校の廊下を沼地に変えたら面白いと思っているわけね?」
「相当面白いね、ああ」
 フレッドが毅然として言った。
 ベルはちらりとマクゴナガルを見やった。彼女はもう口を閉じて、いつもの厳格な姿勢を崩さず、黙って事の成り行きを静観していた。
 マクゴナガルが出て行ったら間違いなくこの場はシラケるだろうなあ、とベルは廊下の手摺にもたれて玄関ホールを覗き込んだ。
 フィルチが人混みを掻き分けて、アンブリッジに羊皮紙を渡す。
「いいでしょう……わたくしの学校で悪事を働けばどんな目に遭うか、これから思い知らせてあげましょう」
「ところがどっこい、思い知らないね」
 フレッドがニヤリと笑う。
「ジョージ、俺たちはどうやら、学生稼業を卒業しちまつたな?」
「ああ、俺もずっとそんな気がしてたよ」
「俺たちの才能を世の中で試す時が来たな?」
「まったくだ」
 双子が、さっと杖を振り上げる。
「アクシオ! 箒よ、来い!!」
 城のどこかで、ドガチャン、と音がした。ベルは無言でマクゴナガルの腕を引いて自分の方に寄せた。直後、マクゴナガルのすぐ右横を、凄まじい速さで二本のクリーンスイープが駆け抜けて、双子の前で静かに停止した。
「またお会いすることもないでしょう」
「ああ、連絡もくださいますな」
 さっさと箒に跨った双子は、すぐに五メートルの高さにまで浮いた。
「上の階で実演した携帯沼地をお買い求めの方は、ダイアゴン横丁九十三番地まで! ウィーズリー・ウィザード・ウィーズでございます!」
「我々の商品を、この老耄ババアを追い出すのに使うと誓って頂いたホグワーツ生には、特別割引を致します!」
「捕まえろ!!」
 アンブリッジの小うるさい金切り声が聞こえた時には、二人はもう、手の届かない高さにまで行ってしまっていた。
「ピーブス、俺たちに代わって、あの女を手こずらせてやれよ」
 ピーブスがサッと帽子を脱いで敬礼をしたところを、ベルは初めて見た。
 そして双子は、花火をバンバンさせてアンブリッジの出した指令の貼り紙をズタボロにしながら、輝かしい夕焼けの空へと、文字通り飛んで行ってしまった。
「行っちまったなあ」
 大歓声の中、ベルは自分の隣を見た。リー・ジョーダンが、どこかぽけらっとした顔で、夕焼け空を見はるかしている。
 ベルは腕を伸ばし、ジョーダンと肩を組んだ。ジョーダンもまた、ベルの肩に手を置いた。




 双子が劇的な中途退学をした後、ホグワーツは史上稀に見る治安の悪さだった。誰もが悪ガキ大将の後釜を狙い、至る所でクソ爆弾をぶちまけたし、双子の売り残していった悪戯グッズを使いまくったので、マダム・ポンフリーは大繁盛したし、フィルチはブチギレるどころではなかったし、生徒達は泡頭呪文を覚えなければならなかった。
 加えて、双子は、携帯沼地の消し方を残していかなかった。とうとう沼地を消せなかったアンブリッジは、フィルチに生徒たちを小舟で運ぶ仕事を言いつける他なかった。
 結局、生徒たちから新しい悪ガキ大将が現れることはなかった。誰も、ピーブスを越えられなかったのだ。


 ホグワーツクィディッチ杯のグリフィンドール対レイブンクローの決勝戦が終わると、とうとう試験が目前となった。ベルは普段の居場所を、職員室から保健室に移された。先生達の傍にいることで、ベルが特別有利にならないようにするためだ。
 マダム・ポンフリーはベルにベッドをひとつ専有する許可を出したし、なんなら寮に戻らなくても良いとまで言った。
「あなたはもっと早く、ここで療養すべきだったんです。もちろん」
 マダム・ポンフリーは威厳たっぷりに言った。
「あんなイカれた記事が出た時から。あなたは平気と思っているかもしれないけれど、心の傷は、時に本人が一番鈍いときがあるのよ。あなたはきっと、その典型です」
 ルーピンに有無を言わせず保健室に連れてこられたことのあるベルは、マダム・ポンフリーに何も言い返せなかった。
 保健室で過ごしていると、五年生と七年生によく遭遇するようになった。生徒達はベルがいることに意外そうにはしたが、それよりも試験のストレスが尋常ではないようで、ベルが参考書を開いて羊皮紙に羽根ペンを滑らせていると、それだけで「ヒッ」とひきつけを起こす女子生徒まで現れた。
 レイブンクローの男子生徒はブツブツ言うのが止まらなくなったし、ワンワン泣いてパニックになりながら動き回る生徒もいた。
 マダム・ポンフリーにとっては毎年恒例のことなのか、驚く素振りもない。
「プレッシャーに感染しちゃだめよ、ベル。あなたはまだ六年生ですから」
 ポカンとするベルに、マダムはそれだけ言って、生徒のひとりに手際よく鎮静水を処方した。
 ベルは試験が終わるまで、保健室に寝泊まりすることにした。ただでさえ凄まじい重圧の中、一応殺人鬼の娘ということになっている生徒がいるのは、五年生と七年生の精神衛生上良くないと思えた。
 同時に、ベルは、保健室を訪う生徒の中にセドリックがいないことに、毎回小さくホッとしていた。普段からコツコツ頑張れるセドリックのことだ、重圧はあってもなんとか乗り越えられるのだろうと考えていたベルの予想は、少し以上に外れていた。
 ある日の夕食のとき、セドリックは友人たちと疲れきった顔で大広間を訪れた。その顔色があんまりにもベルの記憶とかけ離れていたものだから、ベルは普段セドリックの方を見ないようにしているのに、思わず二度見してしまった。
 ハッフルパフの七年生たちは何やら話しているようだったが、そこにいつもの朗らかさはなかった。誰も彼も目をどんよりと濁らせ、顔色は悪く、朗らかな日差しの雰囲気などどこぞへ行って、まるで泥沼だった。
 ベルは思わず、よし、と心にあることを決めた。

 翌日、セドリック達が図書室で勉強していると、足元をするりと何かが通り抜けた。なんだと生徒たちが足元を覗き込むと、艶艶しい毛並みの黒猫が、ちょうど生徒たちの足の柱をくぐり抜けて、椅子の座面に脱出しようとしているところだった。
 青い目の黒猫は音もなく移動し、生徒たちの勉強の邪魔にならないところで、大人しく丸くなった。生徒達は疲れた目で「なんだ、猫か」と瞬いた後、再び勉強に戻った。
 猫は生徒たちの何を気に入ったのか、付かず離れず、ついにはハッフルパフの寮にまでするりと紛れ込んだ。仕方がないので、一番懐かれたセドリックが面倒を見ることになり、セドリックはローブのポケットに顔を突っ込む猫を抱え直して部屋に戻った直後、見覚えのない羊皮紙の切れ端を目の当たりにした。

「無理しないでね。 R」

 セドリックの瞼から疲労が吹っ飛んだ。瞠目したセドリックに見つめられ、しかし黒猫は消えなかった。人懐っこくなあんと鳴いて、するりとセドリックに身を寄せる。
…………
 暖かいそれに、セドリックは、胸の内から、ほろほろと強ばりが解けて、肩から力が抜けてゆくのを、心ゆくまで味わった。

 猫はすっかり、セドリック達に受け入れられた。特にセドリックは黒猫を可愛がったので、それを遠くから眺めることになった淋は、なんだか複雑なもやもやを胸中に抱えることになるのだった。


 試験期間が始まった。
 七年生のNEWT試験やOWL試験は学年末試験よりも長い期間で行われる。ベルは授業の合間に見かける疲れきった五年生と七年生を見て、何人か生徒が倒れて運ばれてくるんじゃないかと思っていたが、実際はそんなことはなかった。保健室は静かなもので、ベルの羽根ペンが羊皮紙を引っ掻くカリカリいう音だけが響く時間の方が圧倒的に長かった。
 ベルは昨年と同じように、筆記試験は文法でちょっとだけ悩み、実技試験は苦もなく切り抜けた。
 さて明日も朝から試験だと早々にシーツを引っ被ったベルは、真夜中近くに、物音で目が覚めた。
「ここは保健室ですよ、校長」
「わたくしはここに彼女を宿泊させる許可を出した覚えはありません」
 ベルは狸寝入りからの二度寝コンボをキメようか迷ったが、結局はのそりと起き上がった。保健室に差す月明かりは眩しく、ベルはじんわりする目を瞬かせながら「おあよござます……」欠伸混じりに言った。
 カーテンを開けていたアンブリッジは、「来なさい。杖の所持は許しません」とだけ言って、さっさと踵を返した。
 ベルは嘆息し、何度か瞼を開閉させた。ようやく視界がハッキリしてくる。
「何の用?」
「それが、何も言わないのよ、あの女」
 マダム・ポンフリーの口調の激しさに、ベルの脳みそが覚醒し始める。マダムが渡してくれるローブを引っ掛け、靴下を履いて、ベルはベッドから出た。
「気をつけて」
 大丈夫とハンドサインだけで答え、保健室を出たところで、ベルを待ち構えていたのはアンブリッジだけではなかった。四人の大人の魔法使いが、アンブリッジに付き従っている。きな臭さに、ベルは片眉を持ち上げたが、何も言わなかった。
 アンブリッジは校庭に出ると、つかつかとハグリッドの小屋の方へ進んだ。
「外に出ていーんで?」
「何かしたらすぐさま逮捕します」
 ベルは半眼になった。逮捕なぞ、教育機関の長が能動的に使っていい言葉ではない。
 それにしても、魔法生物飼育学以外の時間で、ベルは久し振りに城の外に出た。歩きながら、ううーん、と体を伸ばし、脱力する。
 前にもこうやって、真夜中に叩き起されて、パジャマでハグリッドの小屋に行ったことがあったなあ、とベルはぼんやり思い出していた。あのときはハグリッドの代わりに森番をすることになったが、アンブリッジはそんなことをベルに許すはずもない。
 ハグリッドがノックされたドアを開けると、アンブリッジは返事も待たずにズカズカと無遠慮に押し入った。大人達もそれに続き、ベルもなんとなく後に続く。
「よう、ハグリッド」
「ベル? お前さんまで、なんだって……
 久し振りのハグリッドの小屋である。ベルは勝手知ったるとばかりにソファに腰掛けた。
「それで、何の用ですかい?」
「それはね、ハグリッド、あなた達ふたりが共謀して、わたくしの部屋の金品を強盗しようとした疑いがあるからよ」
「はぁ?」
 ハグリッドとベルは、揃って素っ頓狂な声を上げた。ぽかんとする二人に対し、アンブリッジは目をギラギラさせていた。
「なんだって俺とベルがそんなことせにゃならん」
「あなたはこんな暮らしだし、そこのこどもは孤児です。貴重な金品を、魔法生物を使って強奪し、転売しようとしていても不思議じゃありません」
 ベルは呆れてものも言えなかった。よくもまあそんなことを堂々と他人の前で言ってのけられるものだと、いっそ感嘆さえしてしまった。
「証拠はあるのか?」
「証拠など、魔法でどうとでも消せます」
「私は常時先生方の傍に居て、ハグリッドは杖を持っていないが」
「魔法生物を操るのに魔法は必要ありません。この件で生徒がわたくしに口答えすることは禁止します」
「民主主義が死んだな……
 やれやれ、とベルは嘆息した。アンブリッジはニタリと笑った。
「あなたは退学、そしてルビウス・ハグリッド、あなたは解雇です」
「解雇? 停職でもなく───解雇ですかい?」
 狼狽えるハグリッドを、アンブリッジはせせら笑った。
「わたくしにはこうなることが分かっていましたわ。あなたは半分ヒトではないし、このこどもは英国人ですらない……
「───だからなんだっちゅうんだ、え?」
 ハグリッドの目元が吊り上がる。声音が一段と低くなって、地を這った。
「俺が半巨人で、ベルが日本人だから、なんだっちゅうんだ。ダンブルドアがベルをここに通わせると決めなさったんだ」
「ホグワーツは、イギリスおよび北アイルランドの魔法族のヒトの子を育むための場所です!! あなたのような半端者や、穢れた血など───」
「なんだと!!」
 ハグリッドが怒りで腕を振った。テーブルにあったものが軒並み吹っ飛んで壁にぶち当たる。ベルは目を丸くして思わず膝を抱えた。
「もういっぺん言ってみろ!!」
「ハグリッド、大人しくしないと───」
「大人しくしないと、なんだ!?」
 ひとりが杖を振り上げる。まずい、とベルも立ち上がってハグリッドの服を掴んだが、止められなかった。
 派手な音を立てて、扉が吹き飛んだ。何が起こったのか、ベルには分からなかった。アンブリッジ達は外に退避し、躊躇なくハグリッドに失神光線を放った。ハグリッドはベルをむんずと小屋の中に押し込むと、雄叫びを上げて魔法使いたちを追い払おうとした。ベルはなんとか腹から声を押し出した。
「やめろ!! ハグリッド!!」
「大人しくしろ!!」
「大人しくしろがクソ喰らえだ、ドーリッシュ!!」
 ベルが叫んでも、ドーリッシュ何某が怒鳴っても、ハグリッドは止まらない。
「こんなことで捕まらんぞ、俺も、ベルも!!」
 応えるようにファングが吠えた。ひとりに飛びかかり、しかしその横から杖がファングを狙う。
「ファング!!」
 ベルは咄嗟にハグリッドと小屋の隙間から飛び出してファングに飛び付き、跳躍した。芝生に転がるはめになったが、失神光線は避けられた。
 ハグリッドが吼えて、ファングを狙っていた男を投げ飛ばす。数メートル吹っ飛んだ男は起き上がらない。
 未だアンブリッジ達に飛び掛ろうと牙を剥いて唸るファングをなんとか抑えようとするベルの耳に、「なんということを!!」絶対的な安心感を連れてきてくれる声が響いた。マクゴナガルだ。
「おやめなさい!! 何もしていないのに、こんな───」
「せん、」
 瞬間、ベルの体は反射的に動いた。全力で走って跳躍し、驚いたマクゴナガルの体に飛びつく。勢いのまま倒れ込むその瞬間、凄まじい衝撃が、ベルの背を貫いた。



 ふと気付くと、ベルは宙を浮いていた。耳朶を石畳の上の足音が叩く。四肢は重力に従ってだらりと垂れ下がり、よくよく探ると服に背に違和感があった。どうやら、釣り上げられるような形で浮いているようだ。
「見つけた!!」
 誰かが叫ぶ。ベルはぎゅっと目に力を入れ、何度か瞬いた。何メートルか下に床が見える。そこに向かって自分の黒髪がカーテンのように垂れ下がっていた。
「見つけた、見つけました、マルフォイ」
「よくやった、ペティグリュー。さあ、全員、杖を下ろしてもらおうか」
 マルフォイと呼ばれた男の声は低く、落ち着いていたが、少し息が弾んでいた。杖の先が、自分に向けられている気配がする。向こうの方で何事か鋭い囁き声が交わされ、女の気狂いのような甲高い笑い声が部屋中の空を裂いた。
「綺麗な黒髪じゃないか、え? さぁさぁ、可愛いお顔をよくお見せ───大好きなボーイフレンドの前で、めちゃくちゃに切り刻んでやろうねえ、」
 わざとらしく作り上げられた苛立つほどの可愛い声で女が煽り立てる。ベルは髪をまとめてむんずと捕まれ、無理やり顔を上げさせられた。青い目が、ぱっちりとベラトリックス・レストレンジを映す。目を開いているベルに、女はギョッとしたようだった───ベルにとっては、それだけでじゅうぶんだった。
 ばきゃ、とベルの手足が女の胴にめり込んだ。目が飛び出でるほど見開いた女が、乾咳を吐いた直後、ベルは自分の髪を掴む女の腕を持って細い肢体を合気の要領で投げ飛ばした。
 浮遊されているからといって、それはベルを拘束しているということにはならない。手近にいた杖を持っている小汚い男の腕を回し蹴りで吹き飛ばすと、パッと体に自由が戻って、ベルはその場に着地した。
「捕らえろ!!」
「淋!!」
「させるか!!」
 自分を狙っている気配が二つほど吹き飛ばされたのを感じて、ベルは逃げるのをやめた。視界には悲鳴を上げて腕を押え、ベルから逃げようとしている男と、いつか見た長髪ブロンドの男。おそらくルシウス・マルフォイだ。距離の近さからして、この小汚い男がペティグリュー。
 気付いた瞬間、ベルは小汚い男に掴みかかった。ルシウスが杖を振り上げた瞬間、ベルはペティグリューを自分の盾にした。ペティグリューが失神させられ、ベルはペティグリュー越しにルシウスの信じられないものを見るような顔を目の当たりにした。
「いずれはお前がこうなるだろうさ」
 直後、ルシウスが何かに吹き飛ばされた。代わりに現れたトンクスが、「大丈夫!?」と駆け寄ってくる。今や部屋中で呪いがマシンガンのようにあちこちを飛び交い、怒号や罵声が混乱を産んでいた。
 ペティグリューを杖で受け取ったトンクスと移動しようとしたところで、ベルは女のしゃがれた「ま、て」という声を聞いた。
「き、さま……ゆるさん、きさま、だけは……
 ぜひゅー、ぜひゅー、と苦しそうに喘鳴し、全身を震わせながら、それでも女は立ち上がろうとした。ベルは素早く動き、立ち上がろうとした女の顎に一撃を見舞わせた。今度こそ女がどさりと倒れ、動けなくなる。しかし、見開かれた目だけはぎょろぎょろと忙しなくあちこちを行き交っていた。
「タフだなぁ、おばさん」
 ベルは人差し指と中指を揃えて、とん、と女の額を小突いた。ぐるん、と女の目が白く回り、今度こそ全身から脱力する。
「さあ、行くわよ。痛いところは?」
「ちょっとだけ背中が……
 意識を取り戻した直後に動き回ったからか、ベルは呼吸する度に鈍い痛みを肺の辺りに感じていた。正確には、呪文が直撃した部分だ。
「トンクス!!」
 ふたりがハッと息を呑んだ瞬間、二つの呪文が衝突して爆ぜた。二人を狙った呪文に横入りしたのは、セドリックの呪文だった。
「よくやった、小僧!!」
 ムーディが声を張り上げるより手早く、セドリックは二人を狙っていた男を気絶させた。ルーピンが男を縛り上げるのを横目に、ベルはムーディと合流した。
 誰かが叫ぶ。部屋中の空気が、ある一点へと集中した───ダンブルドアだ。
 ダンブルドアが杖を振り、逃げようとした死喰い人達を見えない糸であっという間に拘束し、ひとところに取りまとめた。
「さあ、皆を探さないと。ネビルはハリーと……ああ、シリウスがいるわね。ロンとハーマイオニーはどこ? あともう一人の女の子は? ジニーと一緒?」
「脳みその部屋だと思う、たぶん。ルーナとジニーは分からない、」
「了解。さあ、リーマスと一緒にいるのよ」
 ピーター・ペティグリューはムーディによって部屋の中央でまとめられた死喰い人と一緒に拘束された。
「ハリー、怪我は?」
「大丈夫、ネビルが……
「ぼぐもだいじょび」
 大丈夫ではなかった。ネビルは鼻が潰れていて、血で顔の半分以上を真っ赤に染めていた。
「ハリー、予言はどうした、」
 ムーディに聞かれて、ハリーとネビルは揃って固まった。
「えーと……壊れました」
「壊れただと!」
 ムーディは大声を上げ、呵呵大笑した。
「壊した!! 予言を!! あの人が欲した唯一の武器を!!」
 怒られると思っていたらしいハリーとネビルはキョトンとした顔で顔を見合わせた。嘘だ、と死喰い人達が拘束されながらも身じろぐが、ハリーは「ネビルを助けながら階段を上がっていたら、ポケットから落ちて、割れました」とトドメを差した。ムーディは更に爆笑した。
「で、お前は予言を聞いたか?」
「聞こえませんでした」
「そりゃそうだ、何しろあんな騒ぎの中だ!!」
 機嫌良く笑うムーディとは裏腹に、ハリーは顔を顰めて額の傷を抑えた。痛むのだろう。
「───そうか、貴様が壊したのか」
 瞬間、ザッと音を立てて部屋の血の気が引いた。騎士団達はそれでも階段の上から姿を現したその男に、真っ直ぐに杖を向けた。
 男は、漆黒のローブを身にまとっていた。その顔を見た時、ベルは蛇が人間に化けているのだと思った。
 この男が、スリザリンの秘密の部屋で邂逅した青年と同一人物であるということが、ベルには到底信じられなかった。
……トム」
 ダンブルドアが進み出る。
「よう来たのう。しかし、愚かじゃったな。間もなく闇祓い達がやって来よう」
「その前に俺様はもう居なくなる。しかし、野暮用を済まさねば───」
 蛇の目が、キロリ、ベルを射抜く。
 ザワ、と全身の毛が粟立った。瞬間、ベルの目前に生っ白い無骨な指が伸びていて、ベルは反射的に腰を落とした。手首を掴んで投げ飛ばそうとする体は血の気がなく、強ばり、見開いた視界に、姿くらまし特有の回転の残像が映る───

 ───あ、ミスった、

 直後、ベルは強か体を床に打ち付けていた。頭がガンと痛んで、目の奥に星が散る。部屋は再び混沌に満ちていた。呪文が飛び交い、誰かがハリーと叫び、セドリックに助け起こされたベルは、ハリーが階段を駆け上がるのを端目で見た。ヴォルデモートが瞬きひとつで姿を消し、ダンブルドアが素早く階段を駆け上がる。
 それに続こうとするシリウスを、ムーディが止めた。
「待て!! こいつらを見張らねばならん!!」
「ハリーが殺されようとしているんだぞ!!」
「ダンブルドアの仕事を増やすな!! 坊主だけならどこかに縛り付けておけばいいものを、」
「私が役たたずだと!?」
「ハリーの目の前で死ぬような真似をするなと言っている!!!」
 怒鳴り声を上げたのはシリウスを止めたムーディではなくルーピンだった。
「君が囮になれると思っているんだろう、シリウス!! 君にはもう守るべきものがあるのに!! そしてそれは、ハリーだけじゃない!!」
 部屋は水を打ったようにシン、と静まり返った。ベルは何度か瞬いた。どうも思考回路のキャパシティーが限界を迎えている気がして、ベルはこのまま意識を失ってしまいたいとさえ思った。
「わかった」
 やがてシリウスがぼそりと言った。
「わかったよ、リーマス」
 一息ついて、ムーディが杖を打ち鳴らした。
「さあ仕事だ。トンクス、生徒は全員揃ったか」
「ええ、皆ひどい怪我だわ」
「キングスリー、起きろ!! 今すぐ他の闇祓いを叩き起こさねば」
「生徒達も学校に帰そう。皆マダム・ポンフリーに見てもらわないと」
「でぼ、ハリーが、」
「大丈夫だ、ダンブルドアがついてる」
「ベル」
 セドリックに促されて、皆のところに移動しようとしていたベルは、足を止めてシリウスの方を顧みた。
……怪我は無いか」
「頭にコブができるかな。誰かさんに命を助けてもらったおかげで」
 セドリックは少し罰が悪そうな顔をした。ベルはニヤリと笑った。
「失神呪文を四本も背中に受けたと聞いた」
「ああ、うん、大丈夫。マダム・ポンフリーになんとかしてもらうよ」
 そうか、とシリウスは頷いた。シリウスは何事か続けようとしたが、意識を取り戻したらしいキングスリーに呼ばれて、もう行かなければならないようだった。
「夏に、また会おう」
 ベルはちょっとだけ口を引き結び、身構えた。今更親子として振る舞うには、ベルは大人になりすぎていた。それを知ってか知らずか、シリウスはきっぱりと言った。
「私たちふたりとも、ダンブルドアに話を聞かなければ」
「───それは、本当に、そう」
 ベルはしっかり頷いて、夏休みになったらグリモールド・プレイスに行くことを心に決めた。



…………で、一体何がどうしてこうなったの?」
 一夜明け、ホグワーツの保健室のベッドに寝かされている生徒達は、揃ってポカンとしてベルを見やった。見舞いに来ていたハリーとセドリックも同様だった。二人は入院するほどの怪我をしていなかったのだ。
 ベルはやれやれと半眼になった。
「皆様お忘れかもしれねえけども、私ってば失神してから目を覚ましたのがちょうどピーター・ペティグリューに運ばれてる時でね」
「じゃ、君は拷問されてなかったんだね?」
「マダム・ポンフリーが拷問の痕を見つけてねえなら、そういうことだろうな」
 生徒達は肺が空になるまで息を吐き、口々に良かったと言い合った。
「えーと、君がマクゴナガルを庇った後、アンブリッジが君をロンドンに送ったんだ。尋問するからって」
「マクゴナガルはそりゃもうカンカンだったぜ」
 ロンが身震いした。
「あんなに怒ってるのは初めて見た」
「そしたら、ハリーが、次の日に、あなたが拷問されてる夢を見たのよ」
「ウン、魔法史のテスト中に、居眠りしちゃって……
 ハーマイオニーがジロリとハリーを睨めつける。ハリーは居心地が悪そうにした。
「たぶん、ルシウス・マルフォイが、ヴォルデモートに、君がホグワーツを離れて魔法省に居ることを報せたんだと思う」
 セドリックが静かに言った。
「君が居なくなった次の日の朝、マルフォイがわざわざ僕に教えに来てくれてね。まあ、ぼかした言い方だったけど……つまり、アンブリッジは、マルフォイに情報を流して、協力してくれるように頼んだんじゃないかな」
「それで、私達、ハリーの見た夢が現実で、……パパの時みたいに、あなたが危ない目に遭ってるんじゃないかって、すぐにマクゴナガルに知らせたの」
「マクゴナガルは、すぐに騎士団に知らせてくれたみたいなんだけど。でも、キングスリーがなかなか連絡を寄越さなかったから、テストも終わったし、皆でロンドンに行くことにしたのよ」
「へぇーっ?」
 ベルは無謀なことをしたなあ、と言いかけたが、実際それで助かっているので、口を閉じて続きを促した。
「ハリーとセドリックが魔法省への入り方を知っていたから、それでハリーが夢で見た君が居るだろうところ……神秘部ってところなんだけど。そこに忍び込んで、ルシウス・マルフォイと遭遇して、まあ……僕が覚えてるのは大体この辺までだな……
 神秘部の部屋にある脳みそに攻撃されたというロンが渋面で唸る。ハーマイオニーが続きを引き継いだ。
「私達が抜け出したことに気付いたマクゴナガルが、騎士団に知らせてくれてたの。それで、ルーピンやトンクスが来てくれて……
「そしたら、騎士団を無力化するために、ピーター・ペティグリューが君を連れてきて、……後は君も知っての通りだ」
「ルシウス・マルフォイは、君を人質に、有利に事を進めるつもりだったみたいだけど、君が起きてた。誤算だったな」
「それにしても、君ってほんとにすごかったよ。杖もなかったのに、ベラトリックス・レストレンジを倒しちゃった」
 ネビルが熱っぽく前のめりになった。ベルは肩を竦めた。
「ああうん、間合いに入ってくれて助かったよ」
 ベルはやれやれと皆から聞いた話を頭の中で整理した。
「まあ、ひとまず、皆無事で何よりだ。一応は、敵の情報に踊らされるでもなく、ちゃんとマクゴナガルに報告はしたんだし」
 ハリーがさりげなく視線を外したのに、ベルは気付いたが、ちょっと微笑むだけで何も言わなかった。
「皆、ありがとな。でも、誰も死んでなくて、ホントに良かった」
 万感の思いが籠ったようなどこか深い声音に、生徒達はしんみり頷き、ハリーとセドリックは、確かに自分たちは暴走気味で、ハーマイオニー達を巻き込んでしまったかもしれない、と反省した。


 翌日の新聞で、魔法省がヴォルデモートが復活したことをとうとう認めたことが報じられた。そして、吸魂鬼がアズカバンを放棄したことも報じられた。
 ダンブルドアも元の立場に復活し、何よりハリーを喜ばせたのは、ピーターが捕まったことで、シリウスの冤罪が証明され、名誉が復活したことだった。これでシリウスは白昼堂々、街を歩けるようになったし、ついでにベルが死喰い人と通じるかもしれないという疑いも晴れた。ベルの所には掌を返したようにこれまでの十六年間、ひとりで生きてきたことへの励ましと賞賛の手紙が大量に届けられたが、ベルは煩わしそうにそれを一瞥し、開封作業はセドリックやジニー、ハーマイオニーとロンに任せていた。
「ベル、ほんとに読まないの?」
「勝手に哀れまれて同情されて励まされるほど、嫌味でムカつくことってないぜ、ジニー」
……分からないではないけど」
 ジニーは溜息をついて、空っぽになった封筒をゴミ箱に投げ込んだ。ゴミ箱は封筒で溢れかえり、麓に小さな山を作っていた。セドリックは手紙から顔を上げて、不思議そうに首を傾げた。
「でも、クレームメールは読んでたじゃないか」
「あれは、私に毒物とか呪いとかを送り付けてきてねえか確かめてたんだよ。こんなに早く冤罪が晴れるとは思わなかったんだ。もう少し長い付き合いになると思ってたんだけどな」
 ベルは少し思案する素振りを見せた。
「まさかあそこにピーターが来るとは……絶対にヴォルデモートの側仕えから離れねえだろうと……いや、でもそうか、バーティ・ジュニアが戻ったから、用無しになったのか……そういやあそこに新聞に載ってたあの顔はいなかったな……
「シリウスやルーピンも不思議がってたってハリーが言ってたけど、きっとそれね」
 伝えておくわ、とジニーが新しい空っぽの封筒をゴミ箱に放り投げた。封筒は見事に、ゴミ箱のてっぺんに着地した。
 学期が終わる前日に、アンブリッジは職を解かれてホグワーツを出て行くことになった。アンブリッジはこっそり出て行こうとしたらしいが、ピーブスがそうは卸さなかった。チョーク粉の入った袋やら何やらでアンブリッジを叩きながら罵詈雑言を吐いて追い立て回し、生徒達のブーイングもそれに重なって、アンブリッジは逃げるように馬車道を走って行った。アンブリッジが姿をくらました瞬間は、歓声がホグワーツを包んでいた。
 退院したベルは、これもある種のパワハラだよなあと思ったが、自分の利益のために他人に冤罪を吹っかけることに躊躇の無かった様子を鑑みるに、批判は野暮だと口を噤むことにした。
 最後の宴会で、ダンブルドアは再び生徒達に連帯と団結を呼びかけた。また、この夏は、いつも以上に気をつけて行動するように注意した。ただし、情報に踊らされないようにすること、という忠告も忘れずに、ダンブルドアはいつものように、生徒達をホグワーツから見送った。
 闇祓い達に捕まった後で何があったのか、ドラコ達はホグワーツ特急でハリー達を待ち構えていたが、横から現れたDAのメンバーに返り討ちにされ、でかいナメクジに姿を変えさせられていた。ベルはやれやれと嘆息し、生徒達を叱るのはこの度めでたく卒業したセドリックに任せ、監督生用の車両に近いところでドラコとクラッブ、ゴイルを元の姿に戻してやった。
「まったく。お前の父さん、どうせロクな目に遭ってないんだから、せめて無事に帰ってやれよ」
「うるさい!! お前に何が分かる!!」
「次はてめえらだってことは分かる」
 ベルは静かに言った。ドラコは咄嗟に言葉に窮したようだった。
「あの雰囲気からして、取り仕切ってたのはお前の父親なんだろう。実際失敗しちまったから、ヴォルデモートはお前の父親を罰するか、その罰や報復を恐れて自分の元から逃げないように、お前達に何かしら圧力をかけるだろうな」
……っ、……
 ドラコは細かに震えていたが、それでも何も言えなかった。ごくりと、喉が動く。
「まあ、私にはいまいち分からんが、どんな生き物でも親にとってはこどもが弱点だ。たぶん、お前になんかしら、……まあ、……あれだ……
 ドラコの白い肌がだんだん青くなるのを見てとって、ベルはそれ以上怖がらせたり怯えさせたりすることになるのもなんだかなあ、と口をまごつかせた。
「あー……上手くやれよ。ひとりじゃどうにもならんが、皆でやれば、だいたいのことは、どうにでもなるからさ」
 結局、ベルが言えたのはこれだけだった。最後に肩をぽん、と叩き、ベルは踵を返して皆のところに戻った。
 ハーマイオニーがむつかしい顔で預言者新聞を掻い摘んで読み上げるのを聞いたり、爆発スナップをしたり、チェスをしたりしているうちに、ホグワーツ特急はあっという間にキングス・クロス駅に到着した。ベルはそこで、ハリーがチョウ・チャンと別れた事を初めて知った。ハリーは「女の子ってよく分かんないよ」と肩を竦め、バレンタインのデートで上手くいかなかったんだと何でもなかった風情で言った。
 ジニーはクィディッチの最後の試合でグリフィンドールが勝ったことに、マイケル・コーナーがぶつくさ言っていたので棄ててやったとあっさり言った。そのマイケルは、今はチョウと付き合っているらしい。そしてジニーは、もうディーン・トーマスを次の彼氏に選んだらしかった。
 ベルは思わず言葉を失って両頬を手で覆った。こういうところでは、絶対皆に敵わないと、ベルは心底からそう思った。
 キングス・クロス駅では、ウィーズリー夫妻と双子、ディゴリー夫妻、グレンジャー夫妻の他に、ムーディ、ルーピン、トンクスが来ていた。シリウスもだ。ベルは驚いたが、すぐに皆がキングス・クロスに来た理由が分かった───ハリーを迎えに来たダーズリー家に忠告をするためだ。
 ハリーが虐待されたとしたら忽ちムーディ達の知るところになると告げられ、バーノン・ダーズリーは怒りで体を膨らませた。
「つまり、あんた方は、わしを脅迫しているということか?」
「その通りだ」
 あっさり認めるムーディ。
 忠告ではなく、脅迫だった。ベルは思わず額を手で抑えた。セドリックは苦笑した、
「それで、わしがそんな脅迫に乗ると思うのか!?」
「ふむ、どうかな」
 マッド・アイが、義眼を隠していた山高帽をくいっと上げた。ヒッ、とダーズリー家が息を飲み、みるみる顔色を悪くさせていく。
 まあしょうがねえよな、誰だって最初はそうならあな、とベルは思ったが、ムーディにとってはそうではなかったらしく、彼は機嫌よく山高帽を元に戻した。
「どうやら、そういう人間に見えると言わざるを得んな」
 ムーディはハリーに向き直った。
「だからポッター、我々が必要な時は一声叫べ。お前から三日続けて便りがないときは、こちらから誰かを派遣する」
 ペチュニアが絶望的なか細い悲鳴を上げる。絶叫したいのと、ここが衆目の面前であることがぶつかったらしかった。
「では、さらばだ、ポッター」
「気をつけるんだよ、ハリー。連絡してくれ」
「できるだけ早く、あなたをあそこから連れ出しますからね」
 ウィーズリーおばさんがハリーを抱きしめる。
「またすぐ会おうぜ、おい」
「ほんとにすぐよ、ハリー。約束するわ」
「元気で」
 セドリックは短く、けれどもしっかりとハリーと握手した。ベルもハリーと手を握った。
「次会う時は姉さんって呼んだ方がいい?」
「好きにしろ。ちゃんと食って寝ろよ」
 最後にシリウスとハグをして、ハリーはにっこり笑って手を振り、皆に背を向けて駐車場に向かって歩いて行った。
「じゃ、私達も行こうか」
「ベルはどうする」
 ムーディが聞く。ベルは「漏れ鍋に行くよ」事も無げに答えた。
「まずは仲直りだ。喧嘩してたわけじゃねーけど。でも、一人はだめって顔だな」
 ベルは苦笑した。ベルの言う通り、大人達は揃って、諭すようにベルをじっと見つめていた。
「分かったよ。トムや、常連の何人かと話をして、フローリッシュ・アンド・ブロッツに顔を出して……それから、グリモールド・プレイスに行くよ」
「それがいい」
 ルーピンがどこか安堵しながら言った。
「私達も一緒に行こう」
「さっ、荷物、持っててあげるわ」
 トンクスに促されて、今度はベルが皆に別れを告げる番だった。ベルは双子とハイタッチして、ジニーをぎゅっと抱き締め、モリーおばさんにぎゅっとハグされ、ロンやハーマイオニーと握手した。ディゴリー夫妻ともハグをして、ベルは最後にセドリックに抱き締められた。
「会いに行くよ、必ず」
「うん。私も会いたい」
 頬に小さく口付けて、ベルは皆に笑顔で手を振って別れを告げた。
 魔法界の暗雲とは裏腹に、キングス・クロスは太陽に燦燦と照らされ、明るく賑やかな夏の気配に満ち満ちていた。