桜霞
2024-11-23 21:36:54
129129文字
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魔法歳時記 5

オリジナル主人公: 淋(リン) あだ名はベル。家名は無い。17歳。日本人だが、彫りの深い顔立ちに灰がかった青い目の美少女。 小さい頃から山の獣や人外に囲まれて育った。 自分の顔の良さには気付き始めたが、破壊力には気付いていない。初心。




 イギリス6年目の夏休みの滑り出しは好調とは言えなかった。
 7月1日、キングス・クロス駅から漏れ鍋へ辿り着いてから、ベルは質問攻めにあった。三大魔法学校対抗試合の結果や、ハリーとセドリックが賞金をどうしたか、ダンブルドアが生徒に語ったことが本当なのか、皆が確かめようとして、店じゅうのありとあらゆる視線と意識と聞き耳が漏れ鍋の隅の、いつもの席に陣取るベルを向いていた。
 たった半日だったが、ベルは随分と疲弊してしまった。次の日になって、店の隅で宿題をしようかどうか迷ったくらいだった。もしやもすると、財布には大打撃かもしれないが、飛行機の便を早めて帰る方が精神衛生上いいのかもしれない、とさえ思ってしまった。
「魔法省は、ハリーがおかしいって言ってるけど」
「臭いものにフタしてんのさ。皆だって、戻ってきたと思いたくないだろ。私も、他人に対してとびきり不寛容なやつがその辺をうろうろしてるかもしれないと思うと憂鬱だよ。でも、ハリーもセドリックも、ほんとに死ぬところだったんだ」
 何度目か───三度を越えたところで数えるのをやめた───ベルは根気強く、同じ回答を口にした。日刊預言者新聞を片手にベルの隣に座った男は「自分は信じない」といった顔を隠そうともしなかった。ベルが手元の羊皮紙に視線を落としたのを見て、他の客に向かって指をこめかみの横でくるくる回したのに、ベルはきちんと気が付いた。
「『例のあの人』じゃないんじゃ……そう名乗る死喰い人ってことはない? ハリーとセドリックは『あの人』の顔を知らないはずでしょ?」
 どこか勝ち誇った表情の噂好きのマダムに、ベルはピシャリと返した。
「それでも、あいつが戻ってきたと考えて、何か対策をした方がいいと思うけど。保険を張る、守勢に回るって、そういうことだろ」
「じゃ、あなたに何か考えがあるの?」
 それは私の仕事じゃない、魔法省のやるべきことだろうが、と言いかけて、ベルはふとしたことを思いつき、羽根ペンを置いてとても上品とは言えないマダムに向き直った。
「ヴォ……あいつは昔、何をしたの? 人殺し以外で」
「そりゃあなんでも、悪いことは全部さ」
「たとえば」
「暗殺や、スパイ───なんでもやった。魔法省の人間を何人も殺したし……
「どうやって? 最初は誰に取り入った?」
 ささくれのような苛立ちをなんとか深い呼吸で落ち着けながら、ベルは辛抱強くマダムに聞いた。
「さぁ……そんなことは……わたしゃ知らないよ、でも……そう……だって、ほら、分かるだろう……
 ごにょごにょ言って、マダムは少しずつベルから遠ざかり、テーブルを離れると、やがて慌ただしく店を後にした。
 ベルは苛立ちも隠さず嘆息した。すらりとした足が組み変わる。ベルの背と髪はまた少し伸びていて、その優美さに拍車をかけていた。
「そう怒るな、ベル」
 トムが紅茶と一緒にクッキーを持って、ゆっくり穏やかに、先程までマダムが座っていたところに腰を下ろした。
「美人が怒ると、普通の人より三倍怖い。客も落ち着かんのだから」
…………
 魔法省が下手を打ってるからだろ、とベルは内心怒鳴ったが、黙って紅茶をひとくち含み、唇を湿らせた。
……別に、私だって、皆を怖がらせたいわけじゃない」
 息を吐きながら、ベルは言った。
「大々的にニュースにならなくたっていい。混乱を避けるために、もう少し確かな証拠が出てから公表する意図なら分かるよ。間違ってないやり方だろう。水面下でヴ……あいつの勢力を拡大することを防ぐために何かやってるんだとしたらね」
 でも、これじゃ意味が無い、とベルは日刊予言者新聞に載っているコーネリウス・ファッジを睥睨した。
「ただ臭いものにフタしてるだけだ。よりにもよってハリーとセドリックを嘘つき呼ばわりとはね」
 ベルはハッキリ侮蔑を隠さなかった。
「戻ってきていない証明をしてからそういうことをやれってんだ。ウィゼンガモットは何してんだか……
「あそこは公平な裁きをすることが仕事だ」
「魔法省がやるべきは」ベルは仰け反るようにして背もたれに体を預けながら言った。「本当に戻ってきたのかの調査と、もし万が一戻ってきていたときのための対策だ。あいつが昔どうやって魔法界を恐怖に陥れたのか洗い出して、少なくとも同じ手を取らせないように先手を打つ。もう向こうはこっちに攻撃してきていることは確かなのに、どうして火消しに全力を注いで自分から無防備に隙だらけになろうとするんだか……その隙にいろいろ魔法省の腹をつついて足元から崩して背後から首をこう、だ」ベルは首を掻き切る仕草をした。「簡単じゃねえか、このままなら。私でもできる」
「ベル」
 ベルは動きを止めた。咎める声に顔を上げると、トムが今までに無いくらい、険しい目でベルを見ていた。
……私が言いたいのは、十六の小娘が考えられることを、どうして大人は考えられないのかってことだよ。三大魔法学校対抗試合に関わったスタッフ達は、皆素晴らしかったのに」
……ベル」
 先程の厳しい声音から、少しだけ落ち着いた、宥めるような声で呼ばれて、ベルは背もたれから体を起こし、トムに向き直った。
「そういうことを、あんまり大きい声で言わん方がいい。お前のためにもならない───セドリックのためにも」
…………
 ややあって、ベルは、がくりと項垂れるようにして頷いた。溜息を堪えられない。
「はー……悪かったよ、トム。八つ当たりだ。ごめん」
「構わんよ。昨年はふくろうで大変だったろう。それでなくてもドラゴンの世話に、普段の仕事だってある。ようやく戻ってきたと思ったら、三日四日も質問攻めだ。八つ当たりもしたくなるだろうというものさ」
……ごめん」
「いいんだ。だがな、ベル」
 トムは、心配そうな顔をしていた。その瞳の奥には、どうしたって消せない恐怖が燻っていた。
「昔を知る者は、つい、考えてしまうんだ。良くない方向に何かしら進んでいるのが確かなら、お前が、危険な目に遭うんじゃないかと……お前の怪我するところを、誰も見たくないんだ、ベル」
…………
 最後の言葉は、震えていた。ベルは漸う、「わかった」と絞り出した。


 夏休みが始まって一週間後、漏れ鍋にリーマス・ルーピンが現れたので、ベルはロンドンに戻って初めて歓声を上げた。
「ルーピン先生!!」
「おおっと」
 店に入ったばかりのルーピンに文字通り飛びついたベルを、ルーピンは少しよろけて、けれどもしっかり受け止めた。
「背が伸びたね、ベル」
「一年ぶり! お久しぶりです、お元気ですか?」
「君の薬湯のレシピのおかげで、だいぶ調子がいいよ」
「よかった!」
 にっこり微笑むベルに、漏れ鍋の空気にもサッと暖かな日が差したようだった。ルーピンはベルを促して、ひとまず彼女のテーブルにお邪魔することにした。
「ごめんなさい、散らかってて。すぐ片付けます」
「いいんだ。薬草学かい?」
 ルーピンがちらりとベルのレポートを覗き込んだ。
「そうなの、こっちは魔法史、こっちは魔法生物学……ハグリッドは私には宿題なんざ要らないだろうって言ってたけど……
「ふくろうはどうだった?」
「古代ルーン語が怪しいかも……他は受かってると思うな。でも、変身術と魔法薬学はEまでいってないかもしれない。スネイプはOじゃないと授業を受けさせないし」
「大きな失敗が無かったのならいいことだ。将来の職業に必要な授業が取れているのなら、問題ないよ。がんばったね」
 安心させるように言うルーピンに、ベルは「うん!」にっこり笑った。
「まっ、私の場合、もう仕事はしてるしね! 日本とイギリスを経費で行ったり来たりできる仕事がいいなって考えてるの、魔法省はちょっと厳しいと思うけど。私、国籍は日本だし」
「ああ、そうか、そうだな……いや、君の英語があまりにも自然だからつい、ね……
 少しだけ複雑そうなルーピンに、ベルはニヤリと笑った。
「で、何か用だった? 手紙で話してた薬湯改良レシピなら素案ができてて今度作ってみようと思ってたところ……甘くしても問題ないと思うよ、とろみがつくのは平気? 葛湯っていうのがあって」
「ありがとう、ベル。その話は、また今度、詳しくしよう」
 遮られて、ベルはまじまじとルーピンを見た。ルーピンはどこか、ほんの小さく、焦っているというか、周囲を警戒している素振りだった。記憶より数段、落ち着きがない。
……ひとつ、頼み事があって来たんだ。と言うより、提案に近いかもしれないんだが」
「提案?」
「そう。仕事ともいうかな……現場で話そう。荷物をまとめて、一緒に来てくれないか?」
 ベルの片眉が、じわり、持ち上げられる。ルーピンは、彼を見定めるようなベルから視線を逸らさなかった。
 本来なら、ベルは、仕事の内容について、自分がヨシと思えるまで、納得できるまでの話が聞けないのなら、どんなにいい依頼でも突っぱねる。面倒事に巻き込まれるのはごめんだからだ。
 しかし、ベルは立ち上がった。
「任せて。40秒で支度してくる」
 不敵な笑みでそう言ったベルは、実際、40秒も掛からずに荷物をまとめ終えて、再びルーピンの前に戻ってきた。
 ルーピンはベルのトランクを持つと、トムにしっかりと挨拶をして、バックヤードの方へ移動した。ベルはルーピンの空いている方の腕に手を引っ掛けた。ニコニコ顔のベルに、ルーピンは「今から姿くらましをする」とホグワーツで教えていた頃のように言った。途端にベルの口がへの字になる。
「ウエー、私あれきらい」
「我慢してくれ。後でチョコレートをあげるから。さ、しっかり捕まって……
 ベルはぎゅう、とルーピンに身を寄せた。直後、内蔵どころか全身の表裏がひっくり返るような気持ち悪い衝撃がベルを襲い、はた、と気がついたときには、地面を踏みしめていた。
 ふる、と頭を振って意識をしっかりさせたベルは、辺りを見回した。なんとなく、そこまで遠方に移動したような気がしない。目の前には廃墟とも見間違うタウンハウスが聳えていて、ベルは思わず顔を顰めた。
「まさか入るって言わないよね?」
「そのまさかだ」
「あれだ、魔法で中は綺麗ってやつ。違う?」
「残念ながら、違う。さぁ、行こう」
 ルーピンに促されて、ベルは嫌々ながら屋敷に足を踏み入れた。
 戸を潜った瞬間、ベルは「うへえ」と呻き声を上げた。埃は雪のように積もり、陽の光が無くても宙を舞う塵芥が見えている。よく見なくても木が腐りかけだというのが分かるし、その昔は輝きを放っていただろう調度品も、くすむどころではなかった。どこからともなく悪臭がするし、そこらじゅうに、所謂、害虫とされている魔法生物の気配を感じる。
「まず、この広間では音を立てないでくれ。奥の肖像画が大変なことになるから」
「はあ」
「あっちの居間に行こう」
 リビングルームは、玄関ホールよりかは少しマシだった。陰気だが、埃は少なく、掃除の努力が認められる。
 ルーピンはベルを椅子のひとつに座らせて、「紅茶とチョコレートを取ってくるよ」と来た道を戻ろうとした。
「ルーピン、戻ったの? まあ、ベル!」
 ちょうどそのとき、ウィーズリー夫人が現れた。ベルは微笑んで立ち上がり、腕を広げて駆け寄ってくれたウィーズリーおばさんとハグをした。
「よく来たわね、驚いたでしょ?」
「まあね。仕事があるって聞いたよ」
「ああもう、どこから手をつけていいやら分からないわ。ダンブルドアが、あなたに力を借りた方がいいって仰って、それでルーピンに迎えに行ってもらったの……まずは紅茶ね、ちょっと待ってて」
 フレッド、ジョージと声を張り上げながら、モリーはリビングを後にした。
「ジニー! ロン! ベルが着いたわ!」
 程なくして、ドタドタミシミシ、今にも家が壊れるんじゃないかというくらいの音が響いた。ジニーがバン、と扉を開け放ったと同時、ばちん、と音を立ててフレッドとジョージがベルの傍に姿あらわしをしたので、ベルは思わず「うわ」と声を上げた。
「よう、ベル!」
「ようこそ、我らが新しい城へ」
「一週間ぶりね!」
 ジニーが飛びついてくるのを、ベルはしっかり受け止めた。ロンにも挨拶して、ベルは「それで」と皆を見回した。
「ウィーズリー家の新しい別荘?」
「違うわよ! ウチがロンドンに家を買えるわけないじゃない」
「まあそうかもしれんが」
 ジニーはこの頃はっきりとものを言う性格に拍車がかかっている。ベルは苦笑した。
「ルーピンから何も聞いてないのか?」
「今から話すところでね」
 モリーを手伝いながら、ルーピンが居間に戻ってきた。冷やした紅茶とお菓子がベルの前にサーブされる。約束通り、ベルのソーサーにはチョコレートが乗った。ベルは嬉しそうにして、まずはチョコレートを食べた。
「さて、さて……どこから話せばいいか……まず、そうだな。まずはここの住所を知らせておこう」
 ルーピンがくたびれた背広から羊皮紙を取り出す。そこには「ロンドン グリモールドプレイス 12番地」と記載されていた。
「覚えたかい?」
「うん」
 羊皮紙はくるくると丸められて、再びルーピンの背広に仕舞われた。
「ここは、ブラック家のテラスドハウスだ。今は、『不死鳥の騎士団』というチームの本拠地として使用させてもらっている」
「不死鳥の騎士団」
「例のあの人に対抗するために、ダンブルドアが作った組織だ。三大魔法学校対抗試合の後、数時間で招集され、再結成された」
……それって、魔法省は知ってる?」
「いいや、……まあ、公然の秘密といったところかな」
 ベルは半眼になった。だからファッジがダンブルドアに対して全面的にいい顔しないんじゃん、という言葉は内心しまっておくことにして、ベルは「私の仕事は?」端的に聞いた。
「ここの掃除だ。人が住める環境にしてほしい」
「魔法は?」
「未成年の魔法使いが使っても咎められない範囲なら使用しても良い」
「代金は?」
「言い値で支払ってくれるそうだよ」
「はン、豪気だこと」
 半眼で口端を吊り上げるベル。モリーがすかさず「ベル」と咎めたが、ベルは気にせず立ち上がった。
「山の守り人を掃除屋として雇おうなんざ、世界広しと言えどもダンブルドアくらいのもんだろうな。日本円で10万、私の口座に。あとはチップをお好きなだけ。フレッド、ジョージ、どうせもう全部の部屋の事知ってんだろ。手伝え、バイト代出すから。二人で30ガリオン。どうだ?」
 双子は互いに目配せしあってニヤリと笑った。
「ベル、私もやりたい!」
 目を輝かせて手を挙げるジニー。
「ジニー、魔法でどのくらい掃除ができる?」
 途端にむっつりとして、手を下ろすジニー。
 ベルは微笑んだ。
「宿題してな。さあ、早速やるぜ」「私はこんなところで寝るくらいなら近くの森を選ぶね。この屋敷の主人はシリウスか? どこだ?」
「バックビークの部屋だな、こっちだ」
 ジョージが居間の扉を開けた。
「フレッド、ジニーの背丈くらいの木の棒を六本、見繕ってきてくれ」
「アイ、マム」
 わざとらしく敬礼し、フレッドがバチンと音を立てて姿くらましした。ジョージに案内された先で、ベルはシリウスへの挨拶もそこそこに、まずはバックビークへ飛びついた。バックビークも喉をくるくると鳴らしてベルに嘴を擦り付けていたが、やがて何事か強請るようにしてベルを何度か翼ではたいた。
「あー、外に出たいんだな、分かった。もうちょい待ってな」
「バックビークを外に出すのか?」
「後でな、ちょっとだけ。シリウスはこっち」
 背を押されるがまま、シリウスは部屋を出て、玄関と裏口を繋ぐ通路の、ちょうど中央に立たされた。ベルはシリウスに立たせた周辺の埃をてきとうに払うと、杖を取り出し、床をなぞった。杖がなぞったところから、白い線が続く。ベルはシリウスを囲うようにして円を描き、次に、シリウスが中心に来るようにして五芒星を描いた。
「何が始まるんだ?」
「大掃除! 動くなよ!」
 言うだけ言って、ベルはシリウスを置き去りにすると、ジョージに屋敷中を案内させた。ジョージによる屋根裏から地下の厨房までのつぶさな案内が終わる頃に、フレッドが長い棒を抱えて戻ってきた。ベルはそれを持って、まず外に出た。
「何するんだ?」
「ちょっとね。黄泉がえり」
 フレッドとジョージは顔を見合せた。何を言っているのかさっぱり分からないからだ。
「何を蘇らせるんだ?」
「家だよ。死にかけてるから」
「この家にかかってる防衛呪文はまだ生きてるって、シリウスもダンブルドアも、マッド・アイ=ムーディも言ってたぜ」
「うん、それはね、合ってる」
 ベルは地面をよく見て、棒を一本突き刺した。
「でもね、家っていうのは、幾ら丈夫に作っても、住む人がいないとだめなんだよ。シリウスが主人ってことは、ブラック家のことはよく知らないけど、ご両親はもうお亡くなりになってるんでしょう?」
「らしいな」
 たったか移動するベルを追いかけながら、ジョージが相槌を打った。
「母親の方は広間のカーテンの奥で喚く元気はあるみたいだけど」
「ということは、10年間、シリウスがアズカバンに居る間、この家は無人だったわけだ」
 ベルはもう一本の棒を地面に突き立てた。そして、また移動する。
「そうでなくても、なんだか、家がシリウスを拒絶してる感じがするし。ブラック家って長いの? 家が己の本分を忘れて主人を選ぼうとするなんて、相当だよ」
 フレッドとジョージは顔を見合せて、首を傾げた。ベルの英語は聞き取れても、意味のある言葉として理解することができないのだ。
「ま、確かに旧い家ではあるな、純血だし」
「さっき、どっかの部屋の壁にあった家系図を見ただろ? 樹みたいなやつ」
「あぁ、シリウスのところが焼け焦げてたやつね……あれのせいでもあるんだろうな……
 家をぐるりと一周するような形で棒を突き立て、ベルは屋敷の中に戻り、双子にバックビークを外に出すよう言いつけた。そしてジニーとロンを探し、モリーとルーピンから離れないように指示を出す。ベルがシリウスのところに戻ると、フレッドとジョージも裏庭から戻ってきたところだった。
「バックビークは、君の棒に繋いできたけど。良かったか?」
「うん、オッケー。じゃ、始めよう。全部終わるまでの間、私とシリウスは動けないから、なんかあったら宜しくね」
 フレッドとジョージは三度顔を見合わせて、今度はシリウスの方を見た。三人揃って、何が何だか分からない、という顔をしている。ひとまず双子はシリウスとベルを挟んで裏庭側と玄関側に分かれた。何をするんだと誰からともなく口を開きかけて、しかし、───ベルの一拍手に、声を発することを封じられる。
 それは、人の掌から発された音とは思えないほど、空を割くような拍手だった。
『───あはりや、あそばすとまうさん、あさくらに───あめつち、このちのところのみまもりのおおかみ───』
 聞いたこともないほどの低い声で、ベルが何事か唱え始める。何語なのか、皆目見当もつかない。やがてシリウスは、自分を中心に、屋敷の空気というか、気配と呼ばれるものが、が少しずつ振動し、渦を巻き始めたことに気がついた。あっという間に大きなうねりとなったそれに思わずたじろぎそうになるが、動いてはいけないというベルの言葉がシリウスを縛る。
『───急急如律令!!』
 ベルの怒号のような呪文が轟いた。瞬間、シリウスは己が何か、落雷のようなものに貫かれたと感じた。それくらいの衝撃を受けた───なのに、痛みがない。寧ろ、この家に戻ってきてから、ずっと胸の内の半分以上を占めて燻っていた何かが、綺麗さっぱり消えている。
 ポカンとするシリウスの横っ面で、ギャッと不快な悲鳴が上がった。ドクシーだ。フレッドの呪文が命中して、ぽとりと床に墜落した。
 今や、屋敷中が大混乱の嵐の真っ只中だった。部屋という部屋にドクシーが現れ、調度品からまね妖怪が飛び出し、屋根裏からは何がしかのうめき声や暴れる音が聞こえた。かと思えば広間の奥まった場所にあるカーテンが開かれ、嗄れた老婆の声が「裏切り者!! 穢れた血!!」と大量の羽虫の音にも負けずに叫んでいる。厨房からは屋敷しもべ妖精が現れ、わあわあと文句を言っているが、とても聞き取れやしない。
 シリウスは更に、ベルの顔を見て絶句した。ベルはこの状況が楽しくて仕方がないといった風情で、大口を開けて笑っていた。
「ベル!! どうすんだこれ!!」
「すぐ出て行かせる!! もう少し待て!!」
「早くしてくれ!!」
 双子がなんとか杖を捌いてドクシー達を近付かせまいと立ち回る。居間の方からもモリーやルーピンの声がくぐもって響いてきていた。
 このままではだめだ、外にドクシー達を追い出さなければ───シリウスがそう思ったところで、ばん、という音を立てて、窓という窓が開く。待ってましたと言わんばかりにドクシー達はあっという間に家じゅうの窓から出て行って、まね妖怪がルーピンに倒されてどこか家の外に逃げ出し、ちょうど屋根裏から何かが外に飛び降りたかのような気配と音がしたかと思えば、すぐさまどこぞへ掻き消えた。
「やあ、窓を開けるのは大正解だ、シリウス」
 ベルは満足気に笑っていた。その背後で双子がゼェハァ肩で息をして、ルーピンが信じられないようなものを見る目をしてあんぐり口を開けていた。ルーピンについてきたらしいモリー、ジニー、ロンは、何が起こったのかまるで分からないという顔をしていた。
「ベル、何をしたんだ」
 ルーピンに言われて、ベルはポリポリ頬を掻いた。
「んーと……説明が難しいんだけど……屋敷を屋敷らしくしたよ」
………………?」
 誰もが揃って、「はァ?」という顔をした。
「だめだ、セドリックを呼ぼう」
「それかハーマイオニーだ、通訳してもらおう」
「俺たちこんな事言いたくないけど、君には是非とも英語で喋ってほしい、つまり、俺たちの分かる言葉でってことだけど」
「私の説明下手はお前たちも認めるところだろ。あ、もう動いていいよ、シリウス。バックビークを屋敷の中に戻してくれる?」
「あ、ああ、分かった」
「あの部屋に置いとくのは気が引けるなあ。ニュート・スキャマンダーに手紙を書いてみるかな、ウン。まずは上から掃除だ……さっき屋敷しもべ妖精がいなかった?」
 ベルの声を背後に聞きながら、シリウスは裏庭に出て、大人しくしていたバックビークを繋いでいた紐を取った。ベルが地面に立てたらしい棒は、シリウスが触れる前から地面に倒れていた。
 裏庭の扉を再度開ける時、シリウスは何故か躊躇った。知っているはずなのに、知らない家のドアのような気がして、そんなことを感じているのもほとほと不思議だった。
 ドアノブを回し、扉を開け、バックビークと共に、屋敷の中へと戻る。
「───……、」
 は、と息を吐く。
 やはり、何か、違う。
 だって、胸の内、奥底の方を塞ぐような感じがしないし、嫌なプレッシャーも感じない。一番不思議だったのは、この家で過ごした最悪の時代の記憶が、感情と共に蘇ってこないことだった。記憶を引っ張り出してきても、「そんなこともあったなあ」と淡白に思っている自分に、シリウスは驚き、戸惑った。数分前の自分は、この屋敷に閉じ込められていることに嫌悪を感じ、ことある事に家族との対立と不和を呼び起こされることに、常に苛立っていたというのに。
 暗く重い、淀んだ空気はどこぞへ行って、今は夏の爽やかな風が屋敷の中を優しく走り抜けていた。陽の光が差し、薄暗く嫌な影を孕んだところなど、もうどこにも見られない。廊下に並んだ屋敷しもべ妖精の首さえ、どこか乾いて、今や近寄り難い気配など霧散していた。翌日にはフレッドとジョージが落書きをしていてもおかしくはない様子に、シリウスはただただ唖然とした。
「クリーチャー! また古いタペストリー出てきたー!! 虫食い!! これなにーーー!!」
「はい、はい、お嬢様、今クリーチャーが参ります、はい……
 クリーチャーの足音が上の方に消えていく。シリウスは呆然としたまま広間を見回し、零れ落ちんばかりに目を見開いた。
 老婆として描かれていた母親の像が、見違えるように小綺麗になっていたのだ。丸くなっていた背は伸びて、威厳のある佇まいになり、着ているものも品と艶のあるドレスになった。一番シリウスを驚かせたのは、肖像画を覆い隠していたカーテンが開いているにも関わらず、母親がまんじりとも口を開こうとしないところだった。相変わらず、不快なものを見る目で周囲を睥睨していたが、それでも一言も発しない母の肖像画に、シリウスはとうとう自分の頭がイカれたのかもしれないと思った。
「驚いたな、シリウス」
 ぽん、と肩に手を置いてくれたのはルーピンだった。
「君にも聞かせてやりたかったよ。淋に向かって散々なことを言っていた君の母君が、淋に一言、『あなたはもう死んでいるということを自覚した方がいいですよ』と言い放たれた途端、これだ」
 シリウスは絶句した。
 そうだ───彼女はとうに死んでいるのだ。
 知っていたはずなのに、シリウスはたった今、母親の訃報を聞いた気がした。
 シリウスはのろのろとバックビークを連れて母親の部屋だった場所に移動した。藁を敷き詰めてバックビークが寝やすいようにした部屋を、シリウスはなんだか申し訳なく思ってしまった。ここが一番広いから、バックビークの部屋にしようと決めたのは自分で、そこには仄暗い喜びがあったはずなのに。シリウスはショックを受けて、しばらく動けそうになかった。
 ベルは一体、自分に何をしたというのか。屋敷を屋敷らしくしたなんて、一体どういうことなのか。純血主義とかいう馬鹿げた思想を掲げていたこの家そのものに反発して十六の頃に飛び出した屋敷を、自分はいっそ憎んでいて、それこそがシリウス・ブラックだったのに。
「あ! いた、シリウス」
 バックビークを枕に───この一年でこの体勢がすっかり当たり前にってしまった───呆然としていたシリウスは、上体を起こしてベルを出迎えた。
「あのね、調度品とか、いろいろ修理して、部屋の模様替えをしようと思うの。あとね、水場のパイプとかね、ちょっと古いからこれも魔法で直しちゃう。壁とか床にちょっと穴を開けるけど、また戻すから。やってもいい?」
「あ……あぁ、好きにしてくれ」
「ありがとう!」
 楽しそうに部屋を出ようとするベルに、シリウスは待ったをかけた。
「ベル、本当に何をしたんだ? この屋敷にもだが……なんというか……私にも……
「シリウスには何もしてないよ。だって、元々この屋敷はシリウスのものでしょ?」
 きょとん、と小首を傾げられて、シリウスは咄嗟に言葉を詰まらせてしまった。ベルの言っていることはまるで空を掴むようで、まったく要領を得ない。
「あ、でも、シリウス、もしかして、家出とかした? 勘当とかされた?」
「、ああ、十六のときに……ジェームズ……ハリーの父親の家に家出して……
「あー、それでかー。まあ、よくあることだよ! 気にしないで。新生ブラック家だね! ハッピーバースデー!」
「はぁ……?」
 じゃ、私忙しいから、とベルは混乱の渦中真っ只中のシリウスを放ってさっさと行ってしまった。シリウスはちょっと待てと中途半端に伸ばしかけた手を、どうにもできずに、のろのと下ろした。
……あいつ、いつもあんな感じなのか?」
 困惑を隠しきれないシリウスに聞かれたバックビークは、そうだよと言わんばかりに、くわりと欠伸した。



 掃除は上から、とベルはまず屋根裏を綺麗にして、次に水場を綺麗にした。水が綺麗にならなければ空気も濁るので、いくら掃除したって意味がなくなってしまうのだ。そしてパイプの詰まりを直し、カビやよく分からない汚れを落とし、シャワールームやバスルームは見違えるほどに小綺麗になった。お湯もきちんと出るようになった。どこか萎びて今にも朽ち果てそうだった板間なども見違えるようで、ドアは全く軋まなくなった。調度品類は虫食いがひどく、須らく元通りというわけにはいかなかったが、ベルがルーピンに買ってきてもらった雑誌を元に、クリーチャーやシリウスの母であるヴァルブルガ・ブラックと共にああでもないこうでもないと言いながら手ずから整えたことで、ブラック家は快適に過ごすことのできる施設どころか、往時の姿以上に品性と親しみを持ち合わせた屋敷に生まれ変わったようだった。
 結果として、ブラック家を訪れた騎士団員の同じような反応を、ベルは10回以上も見ることになった。誰もが皆、まず玄関を開けて「ワーオ!」と歓声を上げ、むっつりと騎士団員を出迎えるヴァルブルガ・ブラックに目を丸くし、なんだかんだ屋敷しもべとしての仕事をしているらしいクリーチャーに驚き、余りにも様変わりした様子に「ここって本当にあのブラック家なんだよな?」と先に到着していた騎士団員に確かめるのだ。
 地下の厨房も整然と整えられた。古く貴重だが放置されていた食器は磨き直され、戸棚にきちんと飾られた。料理スペースは広く、清潔で、壁や床はほどよく磨きあげられて衛生的だった。虫食いだらけだったカーテンは綺麗に修復され、剥げていた壁紙は新しいものに貼り直された。椅子やソファでさえ、中身のクッションが生き返ったのか、まるで新品になったかのような座り心地だった。
 シリウスの衣服まで小綺麗になり、物のついでと、まるで悪戯を楽しむ子供のようにベルが魔法をかけたので、シリウスでさえこざっぱりとしてしまった。シリウスは複雑そうにしていたが、昔のシリウスを知る面々は、「プレイボーイが戻ってきたな」と揃って囃し立てた。
 唯一、マッド・アイ=ムーディだけが、声を荒らげてベルを叱った。
「バックビークを裏庭に出しただと!!」
「でも、この家、マグルには見えないんでしょ?」
「裏庭に!!!! 出した!!!! 外を敵のスパイがうろついとるかもしれん時に!!!!!」
「すぐにしまったって」
「窓も開けた!!!!」
「換気しなきゃならんかったからね」
「窓が開かなかったら俺たちドクシーに全身噛まれて死んでたぜ!!」
 ジョージが叫んだ。兄弟たちがこれに続いた。
「そうよ!! めちゃくちゃ大量に居たんだから!!」
「あいつらボウル3個じゃ収まらないくらい卵産んでたんだぜ!!」
 ウィーズリー家の子供たちが喧々囂々喚いたので、ムーディは一瞬閉口せざるを得なかった。その隙をついて、ベルが呆れたようにして言った。
「えげつねー安全策がドン引きするくらい敷かれてるのに、バックビークを裏庭に出したくらいでどうにかなるわけねーだろ。死喰い人が皆あんたの義眼持ってるなら話は別だけど……ま、文句あるなら私に仕事を発注したダンブルドアに言うんだな」
「───、……
 ぐむむ、とムーディが唸る。
 ベルはどこまでも飄々として、モリーを手伝い、時には二十人ぶんの食事を用意した。
「それにしても、ベルはどうやってクリーチャーを説得したの?」
 ニンファドーラ・トンクスが、モリーと食事の配膳をしているベルを見て、心底感嘆しながら言った。
「今までのクリーチャーとはまるで別人よ。クリーチャーは全く働こうとしなかったし。それに、ずっと私達に悪態ついてたでしょ、聞こえるところで陰口言ったり、慇懃無礼だったり……でも、もう言わないわね、穢らわしいだのなんだの……
「うん、ベルにも言ってたわ。それに、ベルがイギリス人じゃないこともひどく指摘したの」
 フィッシュアンドチップスを切り分けながら、ジニーが答えた。
「でも、ベルは、不思議な説得の仕方をしてたわ。『お前は個人に仕えるのか、それともただの屋敷の操り人形か、或いは歴史ある名家に仕える妖精なのか』って……クリーチャーのあんな顔、初めて見た。まるで初めて目が覚めたみたいだったの」
 そうしてクリーチャーは、「クリーチャーはブラック家に仕える屋敷しもべ妖精です」と、深く頭を垂れたのだという。トンクスは「私にはベルが何を言ってるのかさっぱり」と感心して肩を竦めるしかできなかった。
 クリーチャーは見違えるように働くようになった。花瓶の水は毎日入れ替えるし、自分の寝床に食器や家人の私物を持ち込まなくなった。朝は一番に起きて玄関先や庭の掃除をし、朝食を用意して、皆が部屋を留守にする隙に掃除をした。洗濯や、料理も率先して行った。その様は、モリーと仕事の奪い合いをしているようにさえ見えた。
 しかし、ベルがボロボロの写真立てを掃除のついでに直してやったのには、いたく喜んでいる様子だったが、主義主張が邪魔をするのか、深く頭を垂れるだけで、礼は言わなかった。ベルは気にしなかったし、どういたしましてとこちらも無言で頭を下げた。歴史ある名家に仕え、客人をもてなさないことで家の品格を落とすなどということはしない、誇りある屋敷しもべ妖精への、ベルなりの礼儀だった。
 そうこうして、夏休みが始まってから二週間経つ頃には、ブラック家のテラスドハウスは、そこそこカジュアルにエレガントな、小洒落た屋敷へと様変わりしたのである。

「───見事じゃ」

 玄関に入ったダンブルドアは、ブルーの瞳をキラキラさせながら、じっくりと屋敷のひとつひとつを見つめていた。次の予定のために時間が無いことなど分かりきっているはずなのに、それでもこの変化への喜びが勝ってしまって、しばらくそこから動きたくなかったのだ。
 何よりダンブルドアを喜ばせたのはクリーチャーだった。クリーチャーがシリウスへの嫌悪を棚に置き、またシリウスも、対立していた生家への全てを戸惑いながらも脇に置いた様子に、この上なく安堵が広がるのを、ダンブルドアは感じていた。その日の騎士団の会議中、ダンブルドアは己の機嫌の良さを隠しきれなかった。
 会議が終わって、お茶のお代りを用意したベルは、「それで?」とニヒルに笑いながらダンブルドアの隣に腰掛けた。
「ご満足頂けた?」
「ご満足頂けたか、とな? それはな、ベル、満足以上というものじゃ。君はガリオン金貨には換算できぬほど素晴らしいことをした」
「そうかなあ……?」
 ダンブルドアが屋敷の清掃以上の何に満足したのかがよく分からなかったので、ベルは片眉を寄せたが、特に気にはしなかった。
「ま、それなら、ルーピン先生から聞いてると思うけど、日本円で六万、私のこの口座ね。あ、スイスに銀行口座持ってる? そこ経由してくれない? 30ガリオンぶんはウィーズリーの双子に、あと3クヌート7シックルはルーピンね、経費ってことで。手数料はそっち負担でよろしく。あ、あと仲介手数料をルーピンに支払ってよね」
「承知したとも」
 ダンブルドアは鷹揚に、しっかりと頷いた。
「しかし、ベル、まるで本当に魔法だのう。特に、とても素晴らしい魔法じゃ、しかも、わずか一週間で……語り飽きたと思うがの、この老いぼれにもどんな魔法を使ったのか、教えてはくれんかの?」
「はァ、大したことじゃありませんよ」
 ベルは口をへの字にしながら言った。
「屋敷がね、屋敷のくせに、シリウスを当主だって認めてなかったから、屋敷らしくしろって、だから死にかけてんだろって、ちょっと喝を入れてやったの。ついでに、空気とか澱みすぎてて、いろいろ溜まってたから、全部祓った。これは日本的な考え方だから、こっちで通用するかわかんなかったから、祓え言葉を古代ゲール語に即興で翻訳したの。いやー、古代ルーン文字取ってて良かったわね、ちゃんと伝わって、上手く行ったから。同じ島国だっていうのも良かったのかな? とにかく、これでOWLの成績が酷かったら泣くと思うな、私。今からでも、せめてEにならないかな?」
「ほう、ほう、なるほどのう、それはなるほど、大変興味深く、おもしろいやり方じゃのう、ベル。これじゃから、外国との交流はやめられん」
 おもしろい、実におもしろい、とダンブルドアは目元を綻ばせて、何度もおもしろいと繰り返した。いっそ楽しげで、はしゃいでいると言っても過言では無かった。
「ハリーやセドリックも、これなら居心地良く過ごせるじゃろうて……しかし、ベル。このことはまだハリー、そしてセドリックには秘密にな」
「うん? なんで?」
 二人が来るなら手紙で知らせようか、或いはめちゃくちゃ酷い様相であると伝えてサプライズを仕掛けようかと思っていたベルは瞬いた。
「セドリックはともかく、ハリーにはヴォルデモートとの繋がりがある。ヴォルデモートが復活したことで、ハリーとの繋がりがいや増したかもしれぬ。わしは、ハリーをスパイにしたくはないのじゃ」
 なんだ、そのことか、とベルはすぐに納得した。
「じゃ、それを伝えるべきだな、ハリーに」
 あんた忙しいだろうから私が知らせるよ、とベルが言おうとして、しかしダンブルドアの静止の方が早かった。
「ベル、いかん。ハリーの負担になる」
「これくらいで負担になるなら賢者の石を守ろうとしねえしバジリスクに立ち向かおうとしねえし三大魔法学校対抗試合を乗り越えようともしねえ」
 ベルはぴしゃりと言った。そうして、ダンブルドアのブルーの瞳を、真正面から睥睨した。
「あんた、まだなんか隠してるな」
……
 ダンブルドアは答えない。表情にも出さない。ベルは深く追求しなかった。
「私なら、ある程度話すがね。ハリーが自分で自分を追い詰めないように。追い詰められたら、ヒトもケモノも短絡的になる。これは私の業界の経験談だけど」
 ベルは立ち上がった。
「本人が関わってる以上、何も知らせないで守ろうとすると、大抵、腕の一本や足の二本は犠牲になるもんだよ。あんたがそれでいいならいいけど」
 長い黒髪が翻る。
「代金、ちゃんと振り込んでくれよ」
 ダンブルドアは、黙ってベルを見送った。


 夏休みも三週目に入った半ば、ハーマイオニーとセドリックがグリモールドプレイス12番地に加わった。とうとうディゴリー家の周辺もきな臭くなってきたので、セドリックだけでも不死鳥の騎士団本部で預かることになったのだ。
 セドリックはヴォルデモートの死の呪いから逃げ果せた二人目のこどもだ。必ず報復があるだろうというのがダンブルドアの考えだった。即座に殺しはせずとも、どうやって死の呪いを回避したのかを、ヴォルデモートなら必ず知りたがる、とダンブルドアは確信を持っていた。
 そして、ハーマイオニーもハリーの友人であることは周知の事実であったので、一切の魔法的防御が無いグレンジャー家に対し、寧ろこの措置は遅すぎたくらいだった。
 夏の気配爽やかな屋敷に出迎えられたハーマイオニーとセドリックは、揃って感嘆した。
「私、こんな豪華なテラスドハウスって初めてだわ!」
「僕も……流石、ロンドンは違うなあ……
「よう、ふたりとも。長旅ご苦労さん」
 階段を小走りで降りながら、ベルが二人を出迎えた。入れ替わるようにして、ルーピンは「モリー達に知らせてくるよ」と地下に行ってしまった。
「ルーピン先生の姿くらましで一瞬だったわ……でも、ありがとう……あら、ありがとう」
 クリーチャーが黙って頭を垂れ、二人の荷物を預かって、二階へ上がっていく。ベルは二人を「こっちだよ」とホールの奥の方まで案内した。
「この屋敷の先代女主人、ミス・ヴァルブルガ・ブラックだ。こちら、セドリック・ディゴリーとハーマイオニー・グレンジャーです」
 ヴァルブルガがじろりと二人を睥睨する。自然と背筋を伸ばした二人は、揃って口を開いたが、ハーマイオニーの方がほんの少し早かった。
「あ───初めまして、ハーマイオニー・グレンジャーです。この夏、このお屋敷にお邪魔させていただくこと、私、あの……すっごく光栄です。えっと……
「寛容とご厚情に感謝します、ミス・ブラック。……セドリック・ディゴリーと申します」
 どもったハーマイオニーは唇をしまい込んでおそるおそる婦人を見上げた。ハーマイオニーの言葉を引き取ったセドリックは、堂々と婦人を見つめ返しているが、緊張しているのが分かる。
 やがて、ヴァルブルガはフン、と鼻を鳴らした。
……クリーチャーが世話をします。お行きなさい」
「失礼します」
「失礼します、ミス・ブラック」
 二人は礼をすると、踵を返してホールの奥まった場所から脱出した。ベルに促されてリビングに入ると、二人は揃ってホッと肩の力を抜いた。
「緊張したわ……すごく厳しそうなひとだったわね。マクゴナガル先生みたい」
「ありがとね、上手くやってくれて。さ、次は現当主様へのご挨拶だ」
「やめてくれ、ベル。必要以上に持ち上げるな」
「シリウス!」
 パッ、とハーマイオニーの表情が明るくなる。シリウスもニコリと微笑んだ。
「やあ、元気だったかな。ご両親もお変わりなく?」
「ええ、お陰様で。シリウスも、なんだかすっごくいい感じね」
 和気藹々と再会を喜ぶ二人に対し、セドリックは戸惑いを隠せずにいた。
「えーと……シリウス・ブラック? 犯罪者の?」
「あ、そう。言ってなかったっけ。それ冤罪なの」
「ん? えっ?」
「まあ、普通はそういう反応になるな。ハリー達でさえ、最初はもっと激しかった」
 困惑するセドリックに、シリウスは驚かなかった。そして、ゆっくりと穏やかに歩み寄る。シリウスの背が高いので、セドリックでさえ彼を見上げる形になったことに、ベルはちょっとだけ意外に思った。
「はじめまして、シリウス・ブラックだ」
「あ……セドリック・ディゴリーです……
 握手する二人。ベルは騎士団の中では周知の事実となっている、おおよそ一年前の話をすることにした。
 騎士団を裏切ったのはピーター・ペティグリューで、自身の死を偽造しマグルを十何人も死に至らしめてシリウスに冤罪を着せ、そのせいでシリウスは十二年もアズカバンに居たこと。黒い犬の動物もどきだったので脱獄できて、復讐のためにピーターを追ったが、既のところで逃がしてしまい、再び捕まってしまったこと。けれども、ハリーとハーマイオニーがバックビークと一緒に逃がしてくれたこと。
 ベルがそこまで話したところで、シリウスが口を開いた。
「ベルは、たまたま巻き込まれてしまってね。私や、ハリー、そしてハーマイオニー達のために黙っていてくれたんだ。どうか責めないでやってくれ」
「あ……ええ……
 分かってますと頷いたセドリックはしかし、部屋に案内されるとなって居間を出ると、「他にも言わなかった理由はあるだろ」と低い声でベルに聞いた。
 ベルは否定しなかった。
「ハリーの名付け親なんだよ、シリウスは。ハリーの親父さんと親友だったらしい、ルーピン先生と、ピーターと、四人でつるんで……
「そんな事だろうと思ったよ」
 セドリックは嘆息しながら言った。
「君が何か僕に秘密にすることがあるとしたら、大体ハリーのことだもんな」
「ハリーにとって、ほとんど初めての、身内という立場の理解者だぞ。セド、あんたに話して秘密が漏れるなんて思ってないけど、でも、私がハリーとハーマイオニーとの、誰にも言わないって約束を破りたくなかったんだ。バックビークも助けたかったし」
…………
 セドリックは溜息だけに留めた。ベルは肩をひくりと揺らして、小さく「ごめん」と謝ったが、セドリックは何も言わなかった。
……君が逃がしたのはバックビークだけだと思ってたよ」
「事実そうだよ。ハリー達がバックビークをシリウスの脱獄に使うなんて思ってもみなかったさ」
「僕の部屋、こっち?」
「ああ、そう、フレッドとジョージと同室」
「ありがと」
 ベルの方を見向きもせず、セドリックは三階まで早足で駆け上がって行った。ドアが開き、バタンと閉まる音が、いやに大きく響く。
 ハーマイオニーは、気遣わしげにベルを覗き込んだ。ベルは眉を寄せて、何かを堪えるような表情をしていた。
……ベル、大丈夫?」
「ン……まあ、うん。さて、ハーマイオニーは私とジニーと同室だ。こっちだよ。ロンはあの部屋。後で行こう」
 ハーマイオニーの荷解きをジニーと手伝って、三人はロンの部屋に押しかけた。ロンは面倒そうな仕草をしたが、それでも決して三人を追い出そうとはしなかった。
 双子は恒例の姿現しをしてハーマイオニーを驚かせ、ジニーは呆れ混じりに「いい加減にしなさい!」と何度目か声を張り上げた。
「ロンは一人部屋なの?」
「今はね」
 ハーマイオニーに聞かれて、ロンは肩を竦めた。
「でも、八月に入ったらハリーもここで寝るんだ」
「ああ、そうなの。パーシーは?」
 何気なく言ったハーマイオニーに、ウィーズリー達の纏う空気が音を立てて固まる。ハーマイオニーは盛んに目を瞬かかせた。
「えーと……私、なにかまずい事を言ったかしら」
「いいや。でも、親父とおふくろの前ではパーシーの名前を出すなよ」
「どういうこと?」
 ウィーズリー達は顔を見合せた。結局、口を開いたのはロンだった。
「この夏、パーシーが昇進したんだ。七月に入ってすぐだった」
「昇進? それってすごいことじゃない? まだ入省して……三年も経ってないんじゃ?」
 驚くハーマイオニーに、ロンは「そう、」と頷いた。
「で、パーシーはすごく得意げだったんだけど、パパは違ったんだ。ファッジがパーシーを騎士団のスパイにしようとしてるって考えたみたいで、すごい喧嘩しちゃったんだよ」
「まあ……そんな……
「それで、パーシーが荷物をまとめて出て行った」
「ロンドンで一人暮らししてるみたいだ」
 フレッドとジョージが吐き捨てるように続ける。
「そんな……
 気まずい沈黙が降りた。ベルは「そう言えばパーシーがいなかったな」と初めて気がついたがおくびにも顔に出さなかった。ベルの頭の中では不満そうなセドリックの顔がチラつくばかりで、どうしてもそちらが気になってしまっていた。
 ベルは空気を変えるようにパン、と膝を叩いて立ち上がり、「ちょっとお菓子でも探してくる」と言って部屋を出た。三階に上がり、フレッドとジョージに宛てがわれていた部屋を控えめにノックする。
「セド、いる? 入っていい?」
…………
 沈黙が返ってくる。中にいるのは気配で何となく分かっているけれど、無視というか、拒絶された事実に、ベルは視線を彷徨わせた。心臓がひっくり返って飛び出してしまいそうなくらい、気持ちが悪いし、息がしにくいし、頭がグラグラする。
 ベルはそっと踵を返した。音を立てないように階下へ降りて、厨房に入る。お菓子はどこの戸棚だったかなと引き出しを幾つか開けて閉めるのを繰り返した後にキャンディを見つけ、ベルは椅子に腰掛けた。包みをひとつ取り出して、飴玉を口の中に放り込む。
 セドリックに嫌われても仕方ないよな、とベルは眉根を寄せた。かろろ、と飴が音を立てる。
 何せ隠し事が多すぎた。その度に許してもらったし、謝罪を受け入れてもらった。ベルの中でセドリックはとっくに特別だが、魔法生物の世話があるからとデートの誘いを蹴ったり、ハリーのことを優先したりと、セドリックを特別扱いしないことが多かったように思う。そりゃあ、愛想を尽かされても仕方ない。きっと、たぶん。おそらく……、ベルにはよく分からないが、きっとそういうものなのだ。
 意識的に、呼吸を繰り返す。どこかに吹っ飛んでいきそうな内情をなんとか引き止める。
 何度か目を瞬かせ、自分が冷静であることを確認すると、ベルはキャンディの入った瓶を持って厨房を後にした。キャンディは双子には概ね不評だった。ベルはその日、結局セドリックとは一言も話せなかった。


 翌朝、ベルはどこか沈んだ気持ちで目が覚めた。なんとなく起き上がりにくいし、頭も重いような気がする。それでも、ベルは、ジニーとハーマイオニーを起こさないようにして着替え、部屋を出た。
 バスルームに入って顔を洗おうとするが、どうにも所作のひとつひとつが重い。嫌なのに、いちいち溜息をついてしまいそうになる。今まで通りクリーチャーとモリーを手伝って朝食の準備をするのも、どこかのろのろとしてしまって、とうとうベルはモリーに「先に座っていなさい」とダイニングに押しやられてしまった。
「おや、どうしたんだね、ベル」
 手ぶらでふらっとダイニングに現れたベルに、ウィーズリーおじさんが日刊預言者新聞から顔を上げた。
「んー。いや、どうもしないんだけど……
「どうもしないことないでしょう」
 さっきダイニングを出て行ったばかりのモリーがいつの間にか背後に立って、ベルの額を掌で覆う。熱は無いわねと呟かれて、ベルは目を瞬かせた。
「風邪なんか引いてないよ」
「熱がなくても風邪は引きます。今日は一日、ゆっくり休んでいなさい」
「うん、これだけの大仕事をやり遂げたのだし。疲れが出たんだろう」
「疲れてないってば」
 ウィーズリー夫妻はベルの主張など耳に入っていないかのようだった。モリーは紅茶にしょうがを入れましょう、それともホットミルクに蜂蜜の方がいいかしらとダイニングを出て行き、アーサーは「ハーマイオニーとジニーに伝えてくるよ」と席を立ってしまった。風邪を引いたことにされたベルは半眼で二人を見送った。なんだか二人を止める気力さえ湧いてこなかったのだ。
「そんなに疲れてるように見える?」
「少なくとも、何かあったようには見えるな」
 シリウスが日刊預言者新聞を手繰り寄せながら言った。
「セドリックと何かあったのか?」
……まぁ……ちょっと……でも、私のせいだし……
「気にするな。大抵の事は男側のせいだと思っておけばいい」
「なんつー理不尽」
 びっくりして思わずドン引いたベルに、シリウスは飄々としたものだった。ばさりと新聞を広げて、小さく眉間に皺を寄せながら記事を読んでいる。ベルが二の句を告げないでいるうちに、ホットジンジャーティーが朝食と一緒に運ばれてきた。モリーに礼を言って、もそもそ朝食を済ませながら、「今日一日寝て過ごしても良い」という事実に、どこかホッとしている自分がいることに気付く。
 疲れてたのかなぁ、とベルはこれまでを思い返した。物心ついてからこの方、風邪を引いて熱を出して看病されたなんて記憶がないベルは、正直自分が本当に風邪を引いているのか、疲れているのか分からなかった。
 身体的な疲労は分かる。だから、自分は疲れていないと言えると思う。それなら、今自分にのしかかっているのはまた別のもののような気がする。でも、これが風邪だとは断言できない。考えても分からないので、ベルは「寝たら大抵の事は解決するだろ」と今日一日を怠惰に過ごすことに決めた。夏休みの宿題のことは、一切合切忘れてしまおう。ベルはカップを両手で持って、ちびちびと紅茶で喉を潤した。
 アーサーが魔法省に出勤する時間になると、屋敷は俄に騒がしくなる。騎士団のメンバーが次から次へとやってきて、何事か連絡し合い、モリーに勧められて紅茶と軽食を食べ、またすぐに出かけてしまうからだ。
 普段ならベルはアーサーが出かける頃には厨房で洗い物をしていたり、掃除をしていたり、通行の邪魔にならないようなところで本を広げていたりするのだが、今日ばかりはさっさと部屋に戻ってベッドに潜り込んだ。ジニーとハーマイオニーはちょうど起き出したらしく、部屋には誰もいなかった。フレッドやジョージ、セドリックともすれ違わなかったので、ベルはちょっとだけホッとした。早起きは三文の徳とはこの事かもしれない。
 楽な格好に着替え、ベッドに潜り込む。口元まで毛布で覆って、ベルは足を引き寄せてころんと丸くなった。


…………!!」
……!! ………………!!」
 ───何事か、誰かの声が聞こえる。浮いたり沈んだりしていた意識が、やがてふっと瞼を震わせた。視界を差す光に、ベルはギュッと目を瞑り、何度か瞬いた。深く息をしながら辺りを見回す。
 部屋には誰もいない。ハーマイオニーとジニーのベッドは朝のままで、ベルは起こしかけた体を再びベッドに横たえた。
 くぐもった大声はロンの部屋の方から聞こえていた。どうも子供達が───そしておそらく主にジニーが───喧嘩しているようである。
 起きるか迷って、数分後、ベルはベッドからのろのろと足を下ろした。喉の乾きを無視できなかったのだ。しっかり寝てしまったらしく、小腹も空いていた。
 厨房に降りると、先客の姿があった。フレッドとジョージだ。カードで遊んでいる。ベルは「おはよお」と眠そうに言って、ヤカンに水を入れて火にかけた。
「よう、体調どうだ?」
「んーん、よく寝た。元気だとも。モリーママが大袈裟なんだよ」
「ルーピンが心配してたぜ」
「ふふふ、お菓子買ってきてくれそうだな」
 ベルはのんびりと手際よくサンドイッチを作ると、紅茶を入れて、いただきますと手を合わせた。
「今何時?」
「もうすぐ昼だよ」
「早く言ってよお」
 サンドイッチを持ったまま、ベルが眉根を寄せる。双子はへへへと笑うだけで、弁明も何もしなかった。
「それより、セドリックと喧嘩したのか?」
「うーん……喧嘩というか……話せてないかな。それがどうしたの?」
「君に冷たい態度を取ったから、ハーマイオニーと我らがジニーがおかんむりなのさ。それで朝飯の後にセドリックをロンの部屋に連行した」
「まったく、哀れな弟よ」
「あー……
 おそらく、ベルが隠し事してたのはしょうがないでしょ、ロンだって当事者なんだからベルの味方よね、というハーマイオニー理論で喧嘩の会場がロンの部屋に決まったのだろう。わざわざ双子の部屋を選ばなかったのは、そこがセドリックの部屋でもあるからで、退路を断つためだと思われた。なんという容赦の無さ。ベルはセドリックが気の毒になった。
「私のせいでもあるのに……
「おいおい、君のせいじゃないだろ。気は確かか?」
「やっぱり熱があるんじゃないか?」
「だって、隠し事してたのは事実だし。それに……それだけじゃないと思う」
 ベルの脳裏には今朝アーサーとシリウスが読んでいた日刊預言者新聞の見出しが明滅していた。
「それだけじゃないって?」
「世間から嘘つき呼ばわりされてるでしょ」
「そんなの気にする方が馬鹿だぜ」
 なあ、と言い合う双子を他所に、ベルはサンドイッチをぺろりと食べきった。
「そりゃ、あんたら、いじめる側しかした事ないから、そういう事が言えるんでしょうよ」
 双子は思わず顔を見合わせた。ベルは食器類をさっさと洗うと、気持ちだけは急いで、その実ゆったりとした足取りで二階へ戻った。どうも素早い動きというものができないでいる。寝起きだからだろうか。
 ドアの向こうから聞こえる声は相変わらず大きい。ベルがノックしても気付いていないようで、言い合いは止まることがない。ベルはひとつ嘆息し、ドアを開けた。
「あ、おい」
 ベルに気付いたロンに、ハーマイオニー達もハッと言葉を飲み込む。ベルは何を初めに言おうか迷って、「フレッドとジョージから聞いた」とりあえずそう言った。
 そうして、気付く。何を言うべきか何にも決めないまま来てしまった。
 えーと、と言葉に迷ったベルは、目配せしあうハーマイオニーとジニーに気付いて、二人に向き直った。
「ジニー、ハーマイオニー、私のために怒ってくれてありがとうね。でも、これは私とセドリックの問題だから、できればそっとしておいてもらえると嬉しかった」
「そんなこと言ってたらあなたがセドリックから身を引こうとするだろうから黙っていられなかったのよ」
「なんという」
 即座にジニーに反論されて、ベルは思わず目を剥いた。まさか一切何にも話していないジニーに自分の思考回路がバレているとは思わなかったのだ。しかし、驚きに固まったままでは再びジニーが爆発してしまう。ベルはロンに視線を移した。
「ロン、巻き込んですまんね」
「いいよ、べつに」
 ひょい、と肩を竦めるロン。いいやつだなあ、とベルはしみじみそう思った。威勢よく腕を組んでいたハーマイオニーは一転、自信なさげに眉を寄せていた。
「その……お節介だったかしら」
「流石だ、ハーマイオニー。学校一の秀才は頭の回転が僕達とは違うね」
 ジニーとロンがカッと目を吊り上げる。ベルはセドリックもこんなに皮肉を言うことがあるのかと驚いて瞠目した。ハーマイオニーは気まずそうに、そして申し訳なさそうにベルを上目で見遣った。
……ハーマイオニー、ジニー、しばらくこの部屋にいてくれる? セドリック、ちゃんと話そう」
 セドリックは眉間に皺を寄せ、むっつりとした表情のまま、黙って部屋の外に出た。
「ごめんな」
「いいのよ」
「気にしないで」
 優しい声音のジニーとハーマイオニーに微笑んで、ベルは扉を閉めた。
 セドリックの方を顧みて、行こう、と促す。女子部屋に入り、二人はベルに宛てがわれたベッドに並んで座った。
……
…………
 沈黙が降りる。セドリックは何も言わない。けれど、何も考えていないわけじゃないのを、ベルは知っている。だからなのか、ベルの心はいっそ凪いでいた。何を話そう、とベルも思案を巡らせた。
 まだ七月も三週目なのに、この夏は既にいろいろありすぎた。
 三大魔法学校対抗試合で起こったことへの質問攻めから始まり、頭のおかしい奴という目で見られ、トムに心配され、かと思えばルーピンに廃墟に連れてこられて、大掃除をするはめになり。
 セドリックとは再会できたが、隠し事のせいで、すぐに冷戦状態になってしまって。
 本当なら、今頃、セドリックの家に招かれていたはずなのに、とベルはまだ見ぬディゴリー家を思い浮かべた。セドリックのパパや、チラと見かけたママのことも。
 今頃、ディゴリー家の屋敷で、二人で宿題をしたり、取り留めもないことを話して、チェスでもして遊んで。
 なんでもない事で、笑いあっていたはずなのに。
…………セドリックのお家、見てみたかったな」
 ぽつりと零れ落ちたベルの言葉に、セドリックは数拍かけて反応した。
……覚えてたの?」
「うん。楽しみにしてた。すごく」
 ベルの口は、小さく尖っていた。
「本当は、すぐに梟を送るつもりだったの。チケット確かめて……でも、店の皆に質問攻めにされて、政治の話で、常連客とバトっちゃって……気付いたら二日経ってた。慌てて手紙出して……その後、ここで返事を待とうと思ってたんだけど。ふくろう、来なくて」
「ああ、君に僕の返事が届けられなかったみたいで、戻ってきたよ。……君が送り返したんじゃないの?」
「ううん」
 ベルは思わず目を丸くして首を横に振った。セドリックはどこか疑わしげな表情をしていて、ベルは胸がつきりと痛んだのを感じた。
……ここに来てから、ふくろうは見てないよ。日刊預言者新聞も、騎士団の誰かが持ってきてくれてるものを、皆で回し読みしてるんだもん」
 グリモールドプレイス12番地にはフクロウが来ないという事実に、セドリックは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「ここ、ふくろうを呼べないの?」
「たぶん……まあ、ある程度は届くようにしてるだろうけど、ダンブルドアが……
 検知不可能拡大呪文とか、位置発見不可能呪文とか掛かってるし、この家、とベルは部屋をぐるりと見回した。
……知らなかった。君が送り返したのかと思った……最初の手紙から、ずっと連絡が取れてなかったから。漏れ鍋に行こうかと思ったけど、パパが許してくれなくて……危ないから、日刊預言者新聞が僕のことを批判してるからって……
 セドリックの声音が少しずつ落ち込んでいく。やっぱりしんどいよなあ、とベルは眉を下げた。
「ひどいいじめだよね。臭いものに蓋をしたいのは分かるけど、もっとやりようはあるだろって感じ。私も、店で孤立しちゃって。トムに迷惑かけちゃった」
 セドリックは瞠目して、思わずベルを見やった。視線に気付いたベルは、セドリックに向き直って、ちょっとだけ微笑んだ。
「ハリーとセドリックが嘘つき呼ばわりされるの、癪に障っちゃって。セドリックなんて、ほんとに死にかけたのに。二人はヴォルデモートに会ったことないから、それが本人だって分かるはずがないとかなんとか言ってさ。そうだとしても、二人を悪く言っていい道理なんて無いのにね」
 筋を通すなら、ちゃんと調査すべきだろ、と静かに続けるベルの声音が、砂に染み込む水のように、セドリックの胸に溶け込んでゆく。つい先程まで燃え上がっていた苛立ちや憎しみといったものが、勢いを失ってしなしなと萎んでゆくようだった。
「僕、…………ごめん」
 昨日までは絶対に言いたくなかった謝罪が、こんなにもするりと紡げてしまう。セドリックは途端に、今までの自分の態度に羞恥が込み上がってくるのを感じた。ハーマイオニーとジニーにも、そしてロンにも、すぐにでも謝罪を済ませてしまいたい気まずさがもどかしく胸中を蠢いている。
 ベルは「大丈夫だよ」小さく苦笑した。
「誰だって、あんなふうに言われたら爆発するよ。私だって良くなかった……ごめんね」
「君のは、仕方ないだろ。……シリウスのためだって、分かってる。……ただ……
 ……ただ、ハリーだけじゃなくて、僕の心配もしてほしかった。
 だって、僕だって死にかけた。
 どうしてもその一言、二言が言えなくて、セドリックは再びむつかしい顔で黙り込んでしまった。
 言いたいのに、言えたらいいのに、どうしてか気道が塞がって、口も頑として開かない。ついさっき、ごめんと謝った時の滑らかさはどこへ行ったのか。いっそ腹立たしいセドリックの様子をどう受け取ったのか、ベルはしょんぼりと眉を下げた。
……平気じゃなかったよね」
 憂いを瞳に滲ませたベルの、優しい声音がセドリックを労る。そういうことじゃない、とセドリックは内心叫んだが、口から出たのは嘆息ひとつだった。
 どうしたって言えないのだと、諦念が瞼を降ろさせる。
……僕、たまに、僕が君の特別なのかどうか、分からなくなる時があるよ」
「特別だよ。間違いなく」
 ぼそりと言うセドリックに、ベルはきっぱり、はっきり言い切った。
「だって、…………キスしたいのは、セドリックだけだもん……
 徐々に掠れて小さくなっていく言葉。ぎこちなくセドリックから顔を背けたベルの耳元から首筋にかけてが、じんわり赤く染まっている。
 セドリックは、自分の胸が、ぎゅん、と音を立てたのを聞いた。



「じゃ、仲直りできたのね?」
 ジニーがどこか勝ち誇ったようにして言った。
「まあね。ありがと、ふたりとも」
 すっかり寝支度を整えた二人が、揃ってにっこり微笑んだ。
「いいのよ」
「いい方向に行ったのなら良かったわ」
「ママが呼びに行くまで、二人で何してたの?」
 ジニーがニヤニヤしながら聞く。ベルはくちを引き結んで、ちょっとだけ視線を逸らした。モリーが「お昼の用意ができたわよ」とベルの部屋に来るまで、セドリックに抱き締められてキスされて、離してもらえなかったなんて、ベルにとってはあんまり誰かに話せるようなことではなかった。
「ま、大体の当たりはつくけど。お昼からこっち、ずっと一緒だったじゃない」
「離れたら死ぬのかって感じだったわね」
「やめてよう……
 ベルが顔を覆ってベッドに転がる。ハーマイオニーとジニーはきゃらきゃらと楽しそうに笑った。
 実際、セドリックは、誰かに声をかけられない限りはベルの傍を離れようともしなかった。常に肩と肩が触れ合う距離にいて、隙があればベルのこめかみにそっと唇を寄せた。
「そういう……そういうふたりは……
「そうよ! ハーマイオニー、クラムとはどうなったの?」
「どうもこうも無いわよ。一応、手紙のやり取りは続けてるけど」
「え、そうなの?」
「そうよ」
 ロンが好きじゃなかったのか、と顔を上げたベルに、ハーマイオニーはこともなげにあっさりクラムとの関係を認めた。
「でも、この夏はビクトールの所に行けないって説得するのは、ちょっと大変かもね。ジニーはどうなの? マイケルと付き合ったの?」
「まあね。悪くないって感じだったし」
 目を白黒させているベルを他所に、女の子たちはポンポン会話のキャッチボールを続けていた。ベルは思わず口を手で押さえていた。
「マイケルってどのマイケル……?」
「レイブンクローのマイケル・コーナーよ。知ってる?」
「知らない……
 そのとき、ベルはハタと気付いたことがあった。
 一昨年はスリザリン生からのハグリッドの悪口を聞くのが嫌で、去年は忙しすぎてそんな暇がなかったために、ルームメイトやクラスメイトの女子達の噂話を聞く係を放棄していたのだ。道理で知らない情報が突然飛び込んでくることが多かったような。今更すぎる気付きにベルは震撼していた。
「ジニー、ハリーの事が好きなんだとばかり……
「そうね……そうね、でも、そればっかりでハリーと話せないのも嫌で、ハーマイオニーと相談してたの」
 ジニーはどこか遠いところを見るような表情で言った。
「それで、私が、他の人と付き合ってみるのはどうかって提案したの。そしたら、ジニーもハリーのこと、過度に意識しなくなって、ちゃんと話せるようになるかなって」
「いいのかそれは」
「今のところ上手くいってるわ。正直、思わず逃げ出してた頃より、話せてる今の自分の方が好きよ」
 ジニーの言葉を聞いて、ベルは「それって今付き合ってるやつに失礼なのでは」とかなんとか、余計なことを心配するのはやめた。
 ジニーがジニーらしく在れるなら、それが一番大事だ。
「ところで、ベルとセドリックって、キスしたの?」
 どんがらがっしゃん、とベルは内心ひっくり返った。現実には音もなく固まった。
「まさかしてないとか言わないわよね? だって一昨年のクリスマス休暇から付き合ってるでしょ?」
「そ、ジニー、その、もうその辺で、」
「まだまだ始まったばかりよ、ベル!」
 逃がさないんだからと言わんばかりにジニーがベルのベッドに飛び乗った。ベルはぎゃあと悲鳴をあげたが、ジニーを突き落とそうとはせずにしっかりと受け止めた。ジニーはますます嬉しそうにした。
「危ないわよ、ジニー」
 ハーマイオニーがのんびり窘める。ベルはもっと言ってやってと内心絶叫した。
「クリスマスパーティーは? 二人が抜け出したの、私見たわ!」
「やめろぉ……
 ベルが弱々しく反抗する。普段あんなにしっかりしているベルとてこんなに頼りなく見えることがあるのだと、ハーマイオニーは意外に思った。
「ちなみにハーマイオニーはクラムとしてるわ」
「してないったら!!」
 ハーマイオニーは咄嗟に掠れた声で絶叫した。
「え、ホントかハーマイオニー」
「してないってば!!」
 混乱したハーマイオニーが衝動のままに枕を振り回す。やったわねとジニーも負けじとベルの枕を強奪し、「私の枕!」ベルが悲鳴を上げ、その日の女子部屋はきゃあきゃあわあわあ騒がしくも楽しい空気が爆発していた。ベルは結局、セドリックとキスをした話を白状させられたが、その代わりに、ビルがフラー・デラクールと付き合っているらしいと聞いて、なんだかちょっぴり寂しい気持ちを感じるなどした。



 翌日、グリモールドプレイスは驚きと困惑に包まれていた。なんと、ヘドウィグがやってきたのだ。
「えーッ、すげーっ、ヘドウィグがいる!」
「そうなんだ。君達への手紙を持ってるよ」
 ルーピンが、ハーマイオニーとロン、そしてシリウスに手紙を渡す。梟に見つかってしまうとはこの屋敷の守りが薄くなっているのではと、ほとほと困り果てた騎士団のメンバーなぞ知ったこっちゃないと言わんばかりに、ヘドウィグは胸を膨らませ、ほー、と鳴いた。どうだと言わんばかりの姿勢に、ベルは思わず相好を崩した。
「賢いなぁ、おまえは!」
 ベルに褒められ、撫でられて、ヘドウィグは嬉しそうにクルルと喉を鳴らした。
 一方、ハーマイオニーは困ったように眉を下げた。
「ああ、やっぱり、どうしよう、ベル」
「ン?」
「ハリー、すごくイライラしてるみたい。また行動制限をかけられてるみたいなの」
「ええ? 行動制限? ハリー、何したの?」
 トンクスが驚いたようにして手紙を覗き込もうとする。こら、とモリーが窘めた。
「違うよ、ハリーが何かしたわけじゃないんだ。連中は魔法そのものが気に食わないんだよ……僕のにも似たような事が書いてあるな」
「車の出番か?」
 双子がニョキッとどこからともなく満面の笑みで割り込んだが、「余計なことはおやめ!」すぐさまモリーに回収された。
「魔法が気に食わないってどういうこと?」
「そのままの意味だよ。魔法を信じたくないの」
 はァ? という顔をするトンクス。一方、シリウスとルーピンは、もしかして、という顔で互いに目配せしている。ベルはあくまでも淡々と言った。
「ハリーは魔法の魔の字も許さないおじとおばに監視されてるから宿題をするのも一苦労で、下手すりゃ部屋に軟禁されて食べ物も与えて貰えないときがあるんだよな。ヘドウィグも飛ばさせてもらえないときがあるもんなー」
 ヘドウィグの頭をカリカリしてやるベル。気持ちよさそうに目を細めるヘドウィグ。
 あんぐり口を開けるシリウス。絶句するルーピン。
「十三人も人を殺したかどで捕まってたけど脱獄したテロリストが名付け親でハリーの様子を気にしてるってんで、多少待遇は良くなったみたいだけど」
……アズカバンに行って良かったと思うような日が来るとは……
 苦虫を数百匹噛み潰したような顔のシリウス。
 ルーピンはとうとう、顔を手で覆った。
「道理であんなに嬉しそうにシリウスとの同居に食いつくはずだ……
 ちら、と互いに目配せしあったロンとハーマイオニーも加勢した。
「去年は確か、私たちの誕生日ケーキでなんとか食べ繋いでいたはずよ」
「僕たちとワールドカップに行く前まで、って意味だけど。いとこのナントカっていう奴が太りすぎてて家族でダイエットすることになって、朝ごはんがグレープフルーツだけだったんだって」
「そんなのだめよ! 虐待だわ!」
 トンクスが悲鳴を上げた。
「予定を早めようって、ダンブルドアに言いましょうよ!」
「ああ、ハリーの健康状態が損なわれるようでは元も子もない……すぐになんとか捕まえよう。シリウス、キングスリーに伝言を頼む」
「分かった」
 シリウスが唸るようにして言った。今すぐにでも飛び出していかんばかりの苛立ちだったが、なんとか堪えているようだった。
「私も手伝うわ、リーマス。仕事を幾つかこっちに回してよ」
「ありがとう、トンクス。ムーディへ幾つか伝言を頼むよ。モリー、ベッドと食材、一人分追加だ」
「任せて」
 大人達があっという間にバタバタ動き出す。ベルはのんびりヘドウィグの毛を繕ってやった。
「今の話、ほんと?」
 セドリックに聞かれて、「ホント」とベルは頷いた。
「ハリーのやつ、夏に会う度痩せてるんだよな」
「そう、で、おふくろの飯でなんとか元に戻るって感じだ」
 フレッドとジョージが言葉を付け足す。セドリックは「僕だったら発狂してるよ」苦々しく言った。
「なんでその……親戚は、魔法を受け入れないんだろう」
「ま、往々にして、人間そんなもんよ」
 ねー、とヘドウィグに言うベル。ヘドウィグは気持ちよさそうに、ベルにされるがままになっている。
「魔法界が、ヴォルデモートの復活を信じたくないのと一緒よ。自分の理解できないものは、受け入れたくないし、存在してると思いたくないのよ、ねー」
 ほー、とヘドウィグがとろけるような声で鳴いた。
……君がハリーを気にかける理由が分かったよ」
「おっ、嬉しいね」
 微笑むベルに、セドリックも淡く苦笑した。ハリーに嫉妬していた自分が馬鹿みたいだった。夏に帰る度にそんな地獄を味わわなければならないなんて、そりゃあ気にもかけるし心配もする。セドリックだって、今やハリーがきちんと暮らせているか心配だった。
「淋、ちょっといいかい」
 居間にひょっこり顔を出したルーピンに呼ばれて、ベルは瞬いた。急いでいるらしくバタバタと手招きされて、ベルはシリウスにヘドウィグを任せると、急ぎ足でルーピンの所へ行った。
 こっちへ、とルーピンは階段のふもとまでベルを連れて行った。
「君が飛行機に乗る日だが」
「ああ、7月31日の夜便?」
「そう。実は、護衛を付けるという話になっている」
「ええ?」
 ベルは目を剥いた。
「いいよお、そんな事してもらわなくても」
「良くない。幸い、君がどうやってセドリックを救ったかどうかはまだどこにも漏れていないみたいだが、念には念をだ」
「えぇー……だって、キングス・クロスまで二十分だよ」
「ベル、頼むから」
「まさか飛行機に乗るの? 誰かが? パスポート持ってる?」
「いいかい」
 ルーピンにしっかりと見つめられて、ベルはむぐ、と口を噤んだ。
「ダンブルドアは、飛行機に乗りさえすれば、君は安全だろうと考えている。私も同じ意見だ。飛行機の傍を箒で飛ぶのも危ないし、あんな鉄の塊に呪いをかけようとしたら、凄まじく派手なことになるからね。メリットが少ない」
 なるほど、とベルは頷いた。
「だから、その前まで……えー、チェックイン、というものがあるんだよね? それが終わって、ゲートを潜るんだろう? そこに怪しい人や物が紛れ込まないか、私達で見張ることになっている」
 出国用の手荷物検査のことだな、とベルは当たりをつけた。
「当日は、ムーディと、エメリーン・バンスが君と一緒だ」
「えめ……?」
 小首を傾げたベルに、ルーピンはくたびれたスーツの内ポケットから、一枚の写真を取り出した。
「古い写真だが、……すまない、ちょっとどいてもらって……ああ、彼だ」
 たくさんの人が横に並んで、こちらに向かってにこやかに微笑んでいる。杖で指されたひとりがベルに向かって軽く会釈したので、ベルも思わず頭を下げた───瞬間、ベルはルーピンの腕をガッと音を立てて掴んだ。
「、淋?」
 ベルは写真のある一点を、食い入るように見つめていた。
 たくさんの人が並んだ列の端、涼やかな目に、細い鼻梁の、すらりとした女性が、にこりと微笑んでいる───ベルはゾッとした。夏なのに、ベルの周囲だけ、温度が二度以上下がったようだった。
 身体の芯が、すっと冷えていく感じがする。心臓が痛い。
 写真の向こうから微笑まれているのに、思わず後ずさりたくなるほど、その笑みはどこか空虚だった。
……淋?」
 ぎちりと音がするほど、淋の指がルーピンのスーツを握り締めている。力を入れすぎているのか、指は真っ白になっていた。
「淋、……流石に、ジャケットにこれ以上穴が空くのは私としても避けたいところなんだが……
………………ごめん、……
 ふ、と淋の焦点が戻ってくる。強ばる指をルーピンの腕から外し、淋は再度「ごめん」と謝って、居間に戻った。ルーピンは瞬いてそれを見送ることしかできなかった。
 その日、淋はずっと心ここにあらずだった。どこかぼうっとしている淋は気配が薄くなるので、双子でさえ隙だらけの淋を揶揄うのを忘れてしまうくらいだった。
 昼食も終わった午睡の頃、屋敷が夏の昼間の気怠い睡魔に覆われているのを見計らって、セドリックは淋を連れて屋根裏に移動した。自分達の部屋ではいつ誰が来るか分かったものではないからだ。
 セドリックが何故自分を屋根裏に連れてきたのか、淋は不思議そうにしてセドリックを見つめていた。そんな淋に、セドリックは自分の隣に座るように促した。淋は尚もきょとんとしながら言われるがままに腰を下ろした。
「君が気付いてるか分からないけど」
「なにに?」
「君が朝からぼーっとしてることに」
「、あぁ……
 淋の視線が、うろ、と彷徨った。ほどなくして、焦点がぼんやりと遠くの方を見はるかす。
……僕には話せないこと?」
「ん……いや……
「言いにくいことなら、いいんだけど。……でも、教えてくれるなら嬉しい。……話したら、楽になるかもしれないなら、尚更」
…………
 淋は何度か目を瞬かせた。はさはさと睫毛が震える。
……話せないことじゃないよ、全然……ただ、私も混乱してて……上手くまとまらないし……確証も持ててなくて……だから、あまり大騒ぎしたくない……
 うん、と相槌を打って、セドリックはそっと手を差し出した。淋が少しだけ戸惑って、けれどものろのろと、セドリックの手に自分のそれを重ねる。
 自分のそれより一回りは大きい指が、ぐ、と力強くも優しく、手を握ってくれて、淋はほうと息を吐いた。たったそれだけで、迷いや、混乱や、理由の分からない焦燥といったものが、さぁっと霧散していく。
 淋は瞼を伏せ、考え考え、言葉を紡いだ。
「さっき、ルーピン先生に写真を見せてもらって……
「うん。……なんの写真だったの?」
「えーと……前の不死鳥の騎士団の写真だった。ヴォルデモートが一度無力化される前の……たくさんの人がいて…………そこに………………
……? なに?」
 聞き取れなくて、セドリックは耳を淋の方に寄せた。
…………母、が。……写って、て」
「───」
 セドリックは瞠目した。
「ほんとに?」
 淋は力なく首を振った。
「分からない……でも、そうだと……ただ、私が彼女の写真を見たのが随分昔だから……本当にそうか……自信は持てなくて……
「淋……
 セドリックは淋に身を寄せて腕を回した。淋はどこか縋り付くようにしてセドリックに半身を預けた。
……日本に戻って、確かめる。……だからなんだって話だけど……
「そんなことないよ。父親が分かるかもしれない」
「分かって……分かったら……どうしよう……?」
 途方に暮れた声音に、セドリックは、不意を打たれたような衝撃を覚えた。父親が分かったら、そりゃあ、と言いかけて、何も出てこない真っ白な頭の中に、内心、どうしよう、と俄に心臓が焦りだす。
……ホグワーツに来た理由が、分かるかもしれない」
 なんとかしてセドリックが絞り出した言葉に、もぞりと淋が動いて反応した。
「確かに、……それは、気になるかも」
……
 ひとまず、淋が落ち着いて、後ろ向きではなくこの事態に向き合うことができそうというふうに見えて、セドリックは肩から力を抜き、淋を抱き締め直した。淋はもぞもぞと収まりの良いようにしながら、最後に母親の姿を写真で見たのはいつか、思い出そうとしていた。


 翌日から、淋は人が変わったように参考書とレポートの山に向き合うようになった。夏休みの宿題である。
 ひとまず、日本に帰ったらあの人やこの人に声をかけて母の写真の在処を探そうという、目先の方針が決まったことにより、史上最悪の進捗率である夏季課題がようやく淋の目に止まったのだ。
 やばい、と淋は慌てて教科書などを引っ張り出して、騎士団のメンバーに羊皮紙やインクなどのお使いを頼んだのだった。そうして食事の時間以外、居間はもっぱら、淋が占領するようになった。
 淋につられて、ハーマイオニーやセドリックも自分達の教科書やレポートを広げるようになったので、モリーは非常に満足気だった。セドリックやハーマイオニーに教えてもらえると気付いたジニーも積極的に教科書を引っ張り出したので、モリーは更に満足した。
 そして学生達は早々にシリウスがかなり優秀な部類である事に気付き、事ある毎にシリウスを質問攻めにした。シリウスが誰かに捕まっている時は、淋は遠慮なくルーピンやキングスリー、果てにはムーディの裾を捕まえたので、すぐに他の生徒達も真似をするようになり、居間は一時期小さな学校と化していた。
「なんとか……なんとか終わ……おわる……終わったーッ!!」
 イヨッシャー!! とベルが羽根ペンを放り投げる。つられて、居間で寛いでいた何人かの騎士団が口々に「やったね」「おめでとう」と歓声を上げた。
「シリウス本当にありがとうシリウス、シリウスがいなかったらホントに終わらなかった、ホントに変身術は鬼門で……
「どういたしまして。君の場合は変身術より英語を勉強した方がいいと思うが」
「マグゴナガル先生と同じこと言う!!」
 ベルが絶叫する。居間は笑いに包まれた。シリウスはこの二、三日、ずっとベルの変身術の課題の面倒を見てやっていたのだ。
「シリウス、九月からまたホグワーツの森で暮らさない? マジで変身術手伝ってほしい、いやほんとに」
「是非そうしたいところだが、ダンブルドアが許さないだろうな」
 シリウスは肩を竦めた。ルーピンやキングスリーも首肯した。
「シリウスの変身については、ワームテールがもう密告しているだろうからね。我々の傍に犬がいれば怪しまれる」
「そっかあ。じゃ、他のに変身すれば? 狼とか、狐とか。同じイヌ科じゃなかった?」
…………確かに…………?」
 目を丸くして思案する素振りを見せるシリウスに、キングスリーとルーピンは思わず顔を見合わせた。
「ベル、人間が別の動物になるには、とてつもない修練が必要なんだよ。とんでもない難易度なんだ」
「それに、犬ならまだしも、人の住む街や村に狼や狐がいたら目立つだろう? どちらも農家にとっては害獣とされる生き物だし、危険が増す。マグルにだって銃を向けられかねない」
「でも、ホグワーツの森なら大丈夫だよ。広いし、私やハグリッドが様子を見に行けるし」
「その間、ここの守りはどうする? 私達が安心して出かけられるのは、ここにシリウスが居てくれるからでもあるんだよ」
 ルーピンの言葉に、ベルは口を引き結んだ。シリウスの方を見やると、どこかシニカルな笑みを浮かべている。
「君がそんなふうに思っていたとは、初めて聞いたな、ムーニー」
「そうかい? パッドフット、君なら気付いていると思っていたけどね」
 二人して飄々と言葉を交わすルーピンとシリウス。ベルは半眼になってキングスリーの方に移動した。
「イギリス人の皮肉っぽい会話って聞いてて不安になるんだよな。これ大丈夫なんだよね?」
「君が心配することではないよ。もちろん、いい意味でね」
………………
 ベルは目を眇めてキングスリーの方を見やった。キングスリーは何が面白いのか、穏やかに微笑んでいる。
「荷物をまとめなくていいのかい? 明日出発だろう?」
「そーですよ。はー、やれやれ……
 ベルは居間のテーブルの上に散らかっていた教科書やレポートを纏めて片付けた。勢いよく放った羽根ペンも、指で招くとどこからともなく現れてベルの手の中に収まった。
「明日の夜の出発でしょ? まだ急いでやることもないじゃない?」
「トンクス、彼女は昼にはここを出るんだ」
「どうして? だってフライトの時間までに空港に着いてたらいいんじゃないの?」
「ところがどっこい、フライトの三時間前には空港に着いてないと飛行機に乗れなくなるのであった。というわけで、お昼を食べたら出発する」
「えーッ、私、明日の夜にあなたにサヨナラ言うつもりだったのに! 明日の昼はここには寄れないのよ!」
 言いながら、トンクスはベルに駆け寄って思いっきりハグをした。
「ウーッ、あなたって最高よ、ホントに! 旅を楽しんで、気をつけてね」
「ありがとう、トンクス」
「さあ、宿題やら片付けやらなんかしてる場合じゃないわ! セドリックはどこなの? 彼女と1ヶ月会えなくなるっていうのに!」
「いつものことだよ」
「だめよ!!」
 トンクスはそのままベルの手を取って居間を出た。
「ねえムーディ、彼どこなの? ついさっき話してたでしょう」
「彼? セドリックか?」
 ムーディが階段の方を見上げる。すぐに「呼んだ?」とセドリックが顔を出した。
「いた! ほら、片付けなんか私がやっておいてあげるから、」
「え? いやいや」
「いいからいいから!」
 勢いよく背を押されて、ベルは階段を上がることになってしまった。ベルはトンクスの方を少しだけ顧みて、トンクスに茶目っ気たっぷりにウインクされ、結局、小首を傾げたセドリックと階段を上がって行った。
……ムーディと何話してたの?」
「君の見送りに、明日、僕も一緒について行けないか頼んだんだ。まあ、ダメだったけどね……
「いいのに。でも、ありがと」
 誰もいないし、とハグをすると、セドリックは嬉しそうにして、思いっきりベルのハグに応えてくれた。
 その日は屋敷中がセドリックと淋をなるべく二人にしてやろうと気遣っているようだった。淋はなんだかむず痒かったが、セドリックは遠慮なく淋の傍を独占して、けれども少し寂しそうだった。
「なんだか恥ずかしいな、こうして気遣われると」
「そう? 君だって皆の立場ならそうしない?」
「するかもだけど……
「それだけの話だよ」
「むう」
 そうか……と納得するしかない淋。セドリックは淋を抱き寄せて、細い首筋と肩に頭をもたせかけた。髪の毛が擽ったかったが、懐かれているのか、じゃれつかれているのか、何にせよ満更でもなかったので、淋は黙ってされるがままになり、ちょっとだけセドリックの髪の毛をくしゃくしゃして遊んでやった。しなやかな指が頭皮を掻き混ぜるのが心地よくて、セドリックは目を細めて可愛い悪戯を受け入れた。


 翌日の昼、淋は皆に見送られてグリモールドプレイスを後にした。キングス・クロスから列車に乗って空港まで辿り着き、最後にムーディとバンス、それぞれと握手をして別れ、手荷物検査を超えたら、淋は細く長く、息を吐いた。
 帰国が、少しづつ、目前に迫っている。

 ───母のことを調べなければ。

 淋は何度目か、意識して呼吸を整えた。




 八月に入ってから、時間が経つのが今までの数倍になったかのようだった───あっという間に日々が過ぎた。
 まず、淋は日本で、今まで以上の仕事量に忙殺された。目標金額を今までの半分の日数で稼いでしまったので、淋は通帳を眺めながら目を点にした。
 なんとか隙間時間を作ってパスポートを更新し、一般の役所や領事館で所定の手続きを済ませ、そして徒人専門では無い、淋のような力を持った者達向けの役所に赴いて手続きを重ねなければならなかったので、母の足跡を辿ることなど、とてもできないまま、結局、淋は、母の写真を一枚、手に入れることしかできなかった。
 まず、淋は自分の生まれた診療所を頼った。出産時の詳しい話を聞くと、母には付き添ってくれた男がいたということが分かった。だが、夫ではないと主張したらしい。男は診療所に母を預けると仕事があるからと連絡先だけを置いてさっさと東京に戻ったという。
 本来なら個人情報故に開示できないところを、しかし診療所の院長は何を思ったのか、快く淋に男の連絡先を手渡した。淋は番号を調べ、───東京の下町にある歓楽街にまで足を伸ばすことになった。
 男は風俗店の店長だった。男の店は、どこにでもある、暗い店内の、床板は酒でベタベタとして、ギラギラとした照明が胸の内をざわつかせる、そんな場所だった。
 母はどこからかふらりとやってきて、男の店で働いていたという。写真は無いかと聞くと、派手に化粧をした写真と、寝巻きでだらけている写真を出されたので、淋は素顔が写っている方を選んだ。どういう状況で撮られたかは、深く考えないことにした。
「母は自分のこと、なにか喋ってた」
「いいや」
 酒くさい声だった。淋は必死に顔を顰めないように努めなければならなかった。
「なんも言わねえよ、俺たちは。なんも言わねえんだ、嬢ちゃん、お前みてえにな。だが、お前を産む前には、自分が死ぬと悟っているようだった……アリャちと不気味だったな」
……どういうこと?」
「そういう顔するやつはな、見りゃ分かるよ。死ぬ前のやつは他のと違う。俺たちは下町の、融通が効く産院を勧めた。だが、普通のところではだめだとアイツは意見を曲げなかったし、俺を言いくるめて、あんな田舎の診療所にまで徹夜で運転させやがった」
……
「俺が知ってるのは、これで全部だ」
…………
 淋は礼を言って、どろどろとした情念が胃酸を込み上げさせるような場所を後にした。こんなところによくもまあ長居のできたものだと、淋は呆れ果てた。
 母が担当していた客などに当たれば他になにか情報を掴めるかもしれなかったが、そんな時間は淋にはなかったし、どこを探せばそんな情報が出てくるのか、淋にはとんと検討がつかなかった。当時店に在籍していた女性たちは軒並みどこぞへ行って消息など分かったものではないし、男がこれ以上なにか教えてられるはずもなかった。
 淋の母が双子でなければ、おそらくは、不死鳥の騎士団の写真にいたのは、間違いなく母である、と───この夏、淋が手に入れた情報は、それだけだった。
 母の足跡を辿って、父が分かれば、或いはホグワーツに選ばれた理由が分かるかも、と思っていたが、仕事に忙殺される内に、淋は本当に自分がそれを知りたかったのかどうかさえ分からなくなってしまった。
 仕事の疲れを癒せないまま、飛行機の中で泥のように眠り、フラフラしながら昨年の記憶を辿ってトランジットを済ませ、再び泥のように眠り─── なんにも無かったわ、と淋は再びイギリスに戻ることになった。
「ベル、ベール!! 起きて!!」
 窓をガンガン叩かれて、ベルは息を飲んで上体を起こした。寝ぼけ眼で外を見れば、ハリーが手を振っている。
 キングス・クロスは九と四分の三番線、ホグワーツ特急である。さっきまで空港の夢を見ていたベルは、一瞬混乱したが、すぐに窓を開けて荷物を受け取った。
「はい、これベルの」
「ありがと」
「眠そうだな、え?」
「お、おぉ、おはよう、ムーディ」
 ムーディの杖がヒョイヒョイと窓から荷物を放り込む。その横から、ルーピンがひょこりと顔を出した。
「やあ、淋。空の旅は快適だったかい?」
「うん、おはよう、先生」
 淋はへにょりと笑って挨拶した。ルーピンは、向こうにトンクスもいるよと指し示した。ベルは身を乗り出してトンクスに手を振った。トンクスはハーマイオニーとジニーと、お別れのハグをしているところだったが、ベルに気付いて大きく腕を振ってくれた。
「よう、ベル!」
「新学期早々スリザリンに借りを作ることになるとはな!」
「ハイハイ毎度おはようさん」
 ドカドカといつも以上に大量の荷物を放り込まれ、ベルはすっかり目が覚めたような心地だった。コンパートメントはあっという間に子供たちでいっぱいになった。
「淋、久しぶり」
「おはよう、セド。久しぶり」
「さあさあ皆、ちゃんと全員乗ったわね」
 モリーがコンパートメントの中を覗き込みながら言った。
「忘れ物があったら送りますからね……ベル、貴方のぶんの教科書や新学期に必要なものは、漏れ鍋のトムが全部用意してくれていたわ」
「ありがてえことで。手紙書くわ」
「あと、これね。ふくろうの結果よ」
「あー、燃やしといてもろて……
「ダメ! ほら、受け取りなさい、でないと吠えメールで送り付けますよ」
 ベルは渋々と腕を伸ばして手紙を受け取った。
「謝礼くらいなら構わんが、迷うくらいなら書くなよ」
 ムーディが脅すような声で言う。生徒たちは半ば呆れながらも三々五々分かったと返事をした。
 汽笛が鳴り、がたんと列車が動き出す。
「さよなら!」
「またね!」
「手紙ちょうだいね!」
 手を振りあっているうちに、モリーやムーディ、ルーピンの姿はあっという間に小さくなった。どやどやと窓から全身を引っ込めてベルが窓を閉めると、「じゃ、俺たちはリーの所に行くか」とフレッドが立ち上がった。
「一日無駄にするわけにはいかないしな。またな!」
 双子は皆の返事も聞かずにとっととコンパートメントを後にした。
「僕たちも、監督生用の車両に移ろうか」
「そうね、分かったわ」
 セドリックに促されて、ハーマイオニーとロンが続いてコンパートメントを出て行った。ベルは改めて、残ったハリーとジニーに「久しぶり」と挨拶した。
「久しぶり。元気だった? 日本はどうだったの?」
「どうもこうも、昨年の倍も働かされてクタクタよォ……疲れたったら……あー見たくねえ……
 ベルはそっと手紙から羊皮紙を取り出した。そう言えばふくろう試験なんか受けたわね、と嫌になりながら薄目で結果を見やる。

「普通魔法レベル成績

 合格
 優・O(大いによろしい)
 良・E(期待以上)
 可・A(まあまあ)
 不合格
 不可・P(よくない)
 落第・D(どんぞこ)
 トロール並・T

 リンは次の成績を修めた。
 天文学 優 O
 薬草学 優 O
 魔法生物飼育学 優 O
 魔法史 良 E
 呪文学 優 O
 魔法薬学 良 E
 闇の魔術に対する防衛術 優 O
 変身術 優 O
 古代ルーン文字学 優 O」

……なかなかいいのでは?」
「めちゃくちゃいいじゃない!!」
 耳元で叫ばれて、ベルは思わず目を眇めた。
「おいこらジニー、」
「見てもいい?」
……いいけども」
 人の成績を勝手に見るんじゃない、と注意する気力さえ、今は睡魔に宥められて型なしである。ベルは成績通知をジニーに明け渡した。
「すごいわ、魔法史と魔法薬学以外、全部Oだもの……
「ベル、僕も見ていい?」
「ン」
 勝手におし、とベルは足を組みかえ、毛皮の半纏の襟元を掻き合せ、寝る体勢に入った。
「五年生のテスト結果ってこんな感じなんだ……
「そっか、ハリーは今年、ふくろうだものね」
「ウン、でも、僕はこんなにいい成績は取れないだろうな……ねえベル、テストってどんな問題が出るの?」
「ん?」
 ベルはフッと息を吸って、再び微睡みから引き戻された。
「問題? 問題……別にいつもと大して変わらん難易度のような気がしたけども」
「えーっ、絶対嘘よ。毎年誰かは精神的に参って泣き出すんだってフレッドとジョージが言ってたもの」
「まあ確かにな、就職にも関わるしな……
「そうなの?」
 目を瞬かせるハリーに、ジニーがそうらしいわと頷いた。
「詳しいことは分からないけど」
「ベル、わかる?」
「えあー……んーとね……
 ベルは座席に座り直した。
「あれだ、卒業したら働く訳だが、その働き口に行くために取ってなきゃいけないって科目があるんだよ。で、その科目を七年生の時にパスしてなきゃいけなくて、そのためには授業を取らないといけないだろ?」
 うんうん、と二人が頷く。
「その授業を受けられるかどうかがこのふくろうで決まるというわけだ」
「そりゃあ泣き出す生徒も出てくるだろうな……
 今から胃が重い、という顔をするハリー。
「ベルはなんでそんなに平気なの?」
「だって私、もう働いて稼いでるんだぜ。いざとなればルーマニアが拾ってくれるだろうし。次の山守が育つまで面倒見なきゃいけないし……
 くぁ、と欠伸をするベル。
 ジニーが少しだけ迷う素振りを見せて、けれどもやっぱり口を開いた。
「イギリスでは働かないの?」
「ンー……
 ベルは昨年の、スネイプとの面談を思い出していた。
 スネイプは淡々と「これはベルが将来どんなことをして働きたいかを確認するための面談で云々」と機械のように口上を読み上げ、ベルにどんな職業を希望するか聞いた。
 ベルは「経費で日本とイギリスを行き来できるような仕事がいいです」と正直に言ったが、スネイプは「そんなものはない」とにべもなく切り捨てた。
「イギリスで働くことは考えていないのか?」
「うーん、山の世話があるし……
「日本での就職希望ということか。では残念ながら我々の助力が及ぶところではない。できるだけ良い成績を修めることに注力したまえ。以上だ」
「───」
 ベルはスネイプの前を辞することしかできなかった。
 そういうわけで、ベルは特になんのプレッシャーもなく、試験を受けることができたというわけである。
 話を聞いたジニーとハリーは口をあんぐりと開けて呆れた様子を隠さなかった。
「ま、これには流石の私もびっくり……ん?」
 ふと気配を感じたベルがドアの方を見やると、ネビルとブロンドの女子生徒がコンパートメントを覗き込んでいるところだった。
「ネビルだ」
「ルーナも一緒だわ」
 ハリー達が手招いたので、二人は「ありがとう」とコンパートメントに入ってきた。
「どこも埋まってて、助かったよ……
「ルーナ、いい夏休みだった?」
「うん、とっても楽しかったよ……あんた、ハリー・ポッターだ」
 まるで標本のラベルを読み上げるように、ルーナはのんびりと言った。
「知ってるよ」
 慣れたもので、ハリーは苦笑して受け止めた。
「あんたは?」
「淋。ベルって呼んでね」
 ベルはルーナと握手した。
「こちら、ルーナ・ラブグッド。私と同学年なの。レイブンクローよ」
「計り知れぬ英智こそ、我等が最大の宝なり」
 歌うように言ったかと思えば、ルーナは鞄から雑誌を取り出し、逆さまにして読み始めてしまった。
 マイペースな気質らしい。慣れているのか、ジニーはネビルが持っていた鉢植えに興味を持った。サボテンに似ているが、針ではなく、おできのようなものが表面にたくさん生えている。
「ネビル、それなあに?」
「ミンビュラス・ミンブルトニア! すごく貴重な薬草なんだ。誕生日にもらったんだよ」
「何かの役に立つの?」
「いっぱい!」
 ネビルが薬草の効能について話そうとしたところで、コンコンとコンパートメントのドアがノックされた。
 ドアの外ではチョウ・チャンが控えめに微笑んで手を振っていた。
「あ……僕、ちょっと出てくる」
 ハリーがコンパートメントを出て、チョウ・チャンと連れ添ってドアの向こうへ行ってしまった。
 程なくして車内販売のカートが来たので、四人はカボチャパイと蛙チョコレートを買って、あっという間に食べてしまった。
「私、寝るわ。着いたら起こして……
 腹がくちくなってしまってはもう限界だった。ベルは欠伸混じりに足を引き寄せて半纏の中にしまいこみ、壁にもたれるようにして座席の隅に丸くなった。
 次にベルが目を覚ました時には、ハーマイオニーとロンがコンパートメントに戻ってきていた。それどころか、ホグワーツ特急はとっくに停車し、生徒の半分はホームに降り立っていた。
「ベル、早く着替えて!」
「へーい……
 ハーマイオニーが全員をコンパートメントの外に出し、ジニーがカーテンを引いてくれるのを横目に、ベルは寝ぼけ眼でのろのろと着替えを済ませた。ベルが着替え終わったのを確認して、毎年のごとくジニーが手を引いてベルを馬車に押し込んだ。
「ねえ、ベル」
「んにゃ」
 ヒソヒソ声で話しかけられて、ベルはなんとか目を瞬かせた。ベルに話しかけていたのはハリーだった。
「ベルには、あれ、見える? 外の……馬みたいな」
……ああ、セストラルか」
「せすとらる」
 ハリーが不安そうに繰り返す。ベルは欠伸を噛み殺しながら言った。
「ハグリッドが管理してる馬だよ。なんだ、急に見えるようになったのか?」
「、う、うん……ベルにも見えるの?」
 ハリーは相変わらずヒソヒソ声で喋っている。ハーマイオニーとロンは反対側の窓の外を見ながら監督生らしくこれからの話をしていて、ジニーとルーナが聞くともなしに二人の話を聞いていた。
「見えるよ。入学する前からな」
「ルーナも見えるって。でも、ロンには見えてないみたいなんだ」
「ああ……そうか」
 そうか、とベルは繰り返した。今度はベルがハリーの耳に口元を寄せる番だった。
「セストラルは、何かの死を目の当たりにしねえと見えん」
「───」
 音もなく、ハリーが固まる。
「お前がこの夏に何も見てなけりゃあ、おそらくはセドのだろう。たぶんな」
……そ、か……
 ハリーはそれきり、口を噤んだ。
 馬車は静かに校門前に到着した。ベルはジニーに手を引かれ、なんとか広間にまで辿り着いた。
「部屋戻っちゃだめかな……
「ちゃんと食べないとママに言うわよ。ほら、起きて」
「へぁーい……
 ジニー達と別れ、ベルはスリザリンのテーブルによっこいせと腰を下ろした。
「ハイ、ベル」
「久しぶりね」
「うん、久しぶり」
「日本はどうだった? おばあちゃんと離れて寂しくない?」
「はあ?」
 半分寝ている脳みそでは、どんな言語もただの記号や音となって上滑りする。何を言われたか分からない怪訝そうなベルの表情をどう受け取ったのか、ベルが咄嗟に名前を思い出せない女子生徒達はクスクス笑い合いながらチラリと目配せしあっていた。
「寂しくないわよね、だってハグリッドがあなたの味方をしてくれるんだもの、ね?」
……?」
 ほら、と指で示されるがまま、ベルは教職員テーブルの方を見やった。ハグリッドがいつも座る筈の席には、グラブリー・プランクが座っていた。
 ベルは何度か目を瞬かせたが、それだけだった。テーブルを挟んだ向かい側の女子達は、何を期待しているのか、未だにクスクス笑い合っている。ベルは嘆息した。
「あー……悪いな、今めちゃくちゃ眠くてマジで脳みそ働いてねえから何を期待されてるのかサッパリ分からん、どうもありがとう」
 女子生徒達の表情からスッと笑顔が引っ込んだ。彼女達は何か言おうとして口を開きかけたが、マクゴナガルが新一年生たちと大広間に入ってきたので、他の生徒達のように黙り込むことを選んだ。
 組み分けの儀式が終わると、ダンブルドアの「かっこめ!」という合図と共に、瞬きひとつで生徒達の目の前にご馳走が現れた。ベルは眠気と空腹が凄まじい戦いを繰り広げているのを感じながら、なんとかもそもそと骨付き肉やサラダを咀嚼した。
 テーブルの上のデザートがほとんど無くなった頃、再びダンブルドアが立ち上がった。ベルはほとんど寝ぼけ眼でダンブルドアの嗄れた声を聞いていたが、突然「校長先生、歓迎のお言葉恐れ入ります」と甲高い声が聞こえたので、思わず顔を上げて大広間の前、教授陣のテーブルの方を二度見した。
 ピンクのカーディガンを着た、背の低い女が、作り笑いを浮かべていた。ベルは素直に「誰だ?」と思ったが、女は名乗ることもせずに「良いお友達になれると思いますわ」などと宣っている。
「魔法省は、若い魔法使いや魔女の教育は重要であると、常に考えてきました。皆さんが持って生まれた類まれなる才能は、養って磨いていかなければなりません。魔法界独自の古来の技を後世へ繋いでいかなければ、永久に失われてしまいます。我らが祖先が集大成した魔法の知識の宝庫は、教育という気高い天職を持つものにより、守り、補い、磨かれてゆかねばなりません───」
 甲高い声が、脳みそを刺激する。ベルはテーブルに頬杖をついて険しい顔を隠さずにいたが、それでもその眦からは睡魔の一切がなりを潜めていた。
「ホグワーツの歴代校長は、この歴史ある学校を治める重職を務めるにあたり、何らか新しいものを導入してきました。進歩がなければ衰退あるのみ。しかしながら、進歩のための進歩は奨励されるべきではありません。試練を受け、証明された伝統は手を加えるべきではありません。古きものと新しきもの、恒久的なものと変化、伝統と革新、そう、バランスが重要なのです」
 大広間のざわめきは徐々に大きくなっていた。皆、早々にアンブリッジのことを尊敬できない大人として切り捨てたのだ。
「なぜなら、変化の中には、時満ちれば判断の誤りと認められるような変化もあるからです。古き慣習の幾つかは当然、維持されるべきですが、陳腐化し、時代遅れとなったものは放棄されるべきです。正すべきは正し、禁ずべきやり方と分かったものは何であれ切り捨て、いざ、前進しようではありませんか。開放的かつ効果的で、責任ある新しい時代へ」
 ダンブルドアが拍手し、教授陣の何人かは2、3度程手を叩くだけにとどまった。
「ありがとうございました、アンブリッジ先生。まさに啓発的じゃった」
 ベルは頬杖をやめて、腕を組んだ。
 ひとまず、あの女の名前は分かった。アンブリッジだ。先生ということは、今年新しく入った教授の一人だろう。魔法生物飼育学はグラブリー・プランクだろうから、もうひとつの空いているポストと言えば闇の魔術の防衛術である。
「アンブリッジって、あのアンブリッジ? 魔法省の?」
「ああ、間違いない。魔法大臣付次官だ」
 こういうとき、スリザリンで良かったなァとベルは内心、平坦に独りごちた。スリザリンには他の寮よりいわゆるお貴族様が多く、魔法省上層部の情報なら大抵の情報が噂として耳に入ってくる。
 つまりは、魔法省がホグワーツに内政干渉するということだ。ダンブルドアめ、ファッジと相当やり合っているらしい、とベルは半眼になった。
 これからやりにくくなるだろうな、特に先生方はとベルが嘆息したところで、ちょうどダンブルドアがお開きを宣言したため、生徒たちが一斉に立ち上がった。ベルもそれに続いて席を立ったが、踵を返す前にダンブルドアの節くれだった手がベルをちょいちょいと手招いた。
「?」
 なんぞ、とベルは目を丸くしたが、大人しく生徒達の流れに逆らって教授陣のテーブルの方へ進み出た。
「お呼びです?」
 うむ、とダンブルドアが頷いて、ほんの少し身を乗り出した。
『君にはこれからしばらくの間、校庭の小屋で生活してほしい』
 ベルは目を剥きそうになって、慌てて堪えた。ダンブルドアの視線がほんの少しだけアンブリッジの方に揺れる。
『荷物はもう運んである。通常の授業に加えて、森番を頼む。良いかの』
……りょーかい。それだけ?』
 あくまでもいつも通りを装う。ダンブルドアがひとつ首肯した。
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさい、先生」
 踵を返す。ベルは思わず、頬を弛ませた。なんというサプライズ─── まさかダンブルドアの口から日本語が飛び出してくるとは思わなかった。
 そばで聞いていたアンブリッジは必ず不思議がるし食いつくだろう。生徒をひとり小屋に住まわせて禁じられた森の世話を任せるなど、アンブリッジの言う「切り捨てられるべき禁じられた方法」そのものだ。
 確かに未だ成人もしていない学生に労働を課すのはご法度だろうが、自分の場合は事情が事情である。ベルは寧ろ、ハグリッドの小屋の方が、余程安心して眠る事ができる。
 それにしても、ハグリッドが不在なのは騎士団の任務故だろうか? ハグリッドならダンブルドアの助けになるならなんでもするだろうから、騎士団に入っているはずだ。ダンブルドアだって、ハグリッドの存在は貴重なはず。巨人族との交渉にハグリッドほど適切な人物はいない。
 しかし、ベルは、魔法省は人外を好まないというか、対等な立ち位置に置こうとしないというのはルーマニアで嫌という程味わっている。アンブリッジが言ったように魔法省がホグワーツに干渉してくるということは、ハグリッドが半巨人であるという理由で職を追われるかもしれない。
 そうしたら、ベルの次は、ハグリッドが標的になるだろうか? いや、それよりも以前から目をつけていた生徒が校舎内に戻るとなれば、アンブリッジの意識はますますその生徒に集中するはず───ということは。
「くそったれあのジジイ、私を隠れ蓑にしやがったな……
 どうやら、今年は臥薪嘗胆の一年になるらしい。ベルはひとまず考えることをやめて、たっぷり睡眠を摂ることにしたのだった。



 翌朝、ベルは心地よく涼しい空気の中で目覚めた。朝露が芝生を優しく濡らし、生き物達が目覚めて朝を告げていた。
 ベルは厩舎の掃除や餌やりなど、生き物達の世話を終えてから、急ぎ足で大広間に足を運んだ。本当ならハグリッドの小屋や放牧場でサンドイッチでも頬張りたいところだが、今日は年度の始めなので、時間割が配られることになっているのだ。
 スネイプから時間割を受け取って、ベルは内容を確かめながらトーストの上にベーコンエッグを乗せた。ベルが魔法薬学がなくなった時間割と睨めっこをしている間に、ほとんどの生徒は大広間を後にして一時間目の授業に向かっているところだった。
「淋! おはよう」
「ン、あぁ、おはよう、セド」
 友人達の群れから抜けて、セドリックが小走りで駆け寄ってくる。淋は片頬をリスのように膨らませながら「列車ぶり」と言った。
「ほんとだよ」
 セドリックは脱力したようにして微笑んだ。
「話しに行ったのに寝てたから、ハーマイオニー達に追い返されたんだ。昨日も宴会の後、地下で待ってたけど、来なかったし……夜、どこかに行ってたの?」
 ベルはひとまず、口の中にあるものを全て飲み込んだ。
「昨日からしばらく、ダンブルドアに言われて、私はハグリッドの小屋で寝泊まりすることになった」
「え、……どうして?」
「分からん。ハグリッドがいないから、森番の代わりがいるんだと思う。昨日と今朝でちょっと見たが、一ヶ月は戻ってねえな。少し荒れてた」
 セドリックは素早く周囲に視線を走らせた。
「それって、……騎士団の任務?」
「知らん」
 キッパリ言って、ベルは残りのトーストを口の中に押し込んだ。セドリックは「ほんとかなあ」という顔でベルのことを見ている。ベルは紅茶でトーストを流し込んだ。
「本当に知らねえんだ。私、日本にいたんだぜ」
「そうだけど……あ、お母さんのこと、何か分かった?」
 淋の動きが、ぴたりと止まる。しかし、淋はすぐにナプキンで口元を拭い、時間割を引っ掴んでポケットに突っ込んだ。
「あんまり気持ちのいい話ではなかった」
 考え考え、淋は嘆息混じりにそう言った。正直に言って、朝から咽せ返るような酒とタバコの臭いを思い出したくはなかった。朝露の気配と共に目覚めたのだから、余計に。
「今話せることじゃねえな。時間が足りん」
「そうだろうね」
 二人は、特にベルはバタバタしながら立ち上がった。
「じゃ、また後で」
「うん、また」
 ベルは小走りで廊下を移動した。ホグワーツ城内は広すぎるが故に移動に時間がかかる。下手をすれば学期初日から遅刻だ。何度も抜け道を使ってショートカットして、ベルはなんとか、闇の魔術の防衛術の授業に間に合った。
 闇の魔術の防衛術の教室は、いつも以上に整理整頓されていた。整然とした教室に、生徒達が等間隔に座っている。ベルが最後に着席すると、アンブリッジは「時間通りですね」にっこりと笑った。
「さあみなさん、こんにちは!」
 シン、と教室が静まり返った。何人かの生徒は目配せしあったが、教室は総じてドン引きしていた。スリザリンの生徒達の感情がどうやら一致したらしいことに、ベルはいっそ「すげーなこのおばさん」と感嘆した。
「いけませんねえ。みなさん繰り返してくださいね、『こんにちは、アンブリッジ先生』……さあ、もう一度いきますよ。こんにちは、みなさん」
「こんにちは、アンブリッジ先生」
 クラスの半分がやる気のない声を出した。ベルはてきとうに口をパクパクさせた。それでもアンブリッジは満足したふうに「よろしい」と小さい鼻の穴を膨らませた。
「それではみなさん、杖をしまって、教科書と羽ペン、羊皮紙を出してくださいね」
 しばらくは生徒達がカバンを漁ったり羽ペンを机に置く音が教室中に響いた。アンブリッジは黒板を杖で叩き、現れた白い文字を羊皮紙に書き写すように言った。

 1.防衛術の基礎となる原理を理解すること
 2.防衛術が合法的に行使される状況認識を学習すること
 3.防衛術の行使を、実践的な枠組みに当てはめること

 役所か、ここは、とベルは内心突っ込んだ。
 教育指導要領のコピーアンドペーストじゃねえかと毒づいても、アンブリッジは生徒達を満足そうに悦に浸った目で見渡すだけである。ベルは無性にイライラしたが、できるだけ深い呼吸を繰り返して落ち着きを保たせた。
 アンブリッジはしばらくすると、防衛術の理論というタイトルの教科書の五ページを開き、第一章を読むように指示をした後、また満足そうに教室を見渡し、ゆったりとしたペースで机と机の間を移動した。監視である。
 五歳児でもできる授業だ。ベルは欠片ほど残っていたやる気をどこぞへ摘み出し、机と椅子の狭いスペースでなんとか楽な姿勢を取った。本を読むだけならまだこの授業を受ける苦痛は和らぐだろうと、文章に視線を落とす。
 もしこの授業の感想を聞かれたら、ベルはこう書こうと決めた───ウィルバート・スリングハードは紙に印刷された文字越しにとても素晴らしい講義をしてくださいました、と───。


 アンブリッジの前ではひとまず模範的な生徒で居た方がいいらしいというベルの勘は、あながち外れていなかった。その日の夕方、早速ハリー・ポッターがアンブリッジに罰を科せられたという噂がホグワーツじゅうを駆け巡ったからである。
「で、お前、何したんだ」
「べつに」
 ブスくれた顔でハグリッドの小屋にやってきたハリーに、ベルは呆れて口をへの字にした。
 ハグリッドの小屋に来たのはハリーだけではなかった。ハーマイオニーとロン、そしてセドリックも一緒だ。ハリー達は、小屋の明かりが着いていたので、ハグリッドが戻ってきたと勘違いしてしまったのだ。
「授業でアンブリッジに楯突いたんだよ。例のあの人のことで」
「あぁ、魔法省から来た女は、そりゃあヴォルデモートの復活を認められねえだろうな。お前そりゃあ、無謀ってもんだぜ、ハリー。後ろ盾が強すぎらあ。赤子が小枝でレンガの壁を崩そうとするようなもんだ」
 ベルはカラカラと笑った。ハリーはますますぶすくれた。
「ま、そういう剛気は嫌いじゃないが。それで貴重な放課後を潰すとあっちゃあ割に合わねえな。もうちょい賢く立ち回った方がいいぜ」
「マクゴナガルと似たようなことを言うね、ベルは……
「でも、アンブリッジの授業には参ったよ。実技をやろうとしないんだから」
 セドリックの援護射撃に、ロンとハリーは意外そうに目を丸くした。優等生のセドリックが教師を批判するとは思わなかったのだろう。
「ベルはもう、ほとんど無言呪文を使えるからいいかもしれないけど、僕はイモリ試験があるし、ハリー達はふくろう試験があるだろ。筆記試験だけじゃないからな」
「セドリックの言う通りよ。私たち、ちゃんと実技を練習すべきだわ。試験のためだけじゃなくて、例のあの人への備えのためにも……
 ハーマイオニーが熱っぽく言う。ハリーはいっそのこと狼狽えたようだった。
「君がそんなふうに考えてたとは思わなかったよ……
「あら、お生憎様、私たちってば生き証人の親友なのよ、これでも」
 キッパリ言い切ったハーマイオニーに、ハリーは弱々しく「ごめん」とボソボソ言った。
 べつに気にしないわ、とハーマイオニーがあっさりと、しかし威厳たっぷりに返す。ベルはカップを持ったまま両手を上げ、ハーマイオニーに向かってお辞儀をしながら両腕を下ろした。
「それで、ベル、日本はどうだった?」
「私たち、ムーディから聞いたの。正確には、ムーディから聞いたハリーから、なんだけど」
 ロンの言葉に、ハーマイオニーが慌てて付け足した。ベルは瞬いてハリーを見やった。ハリーは気まずそうにしながら、「気を悪くしないで欲しいんだけど」とチラリとセドリックを伺った。
「ムーディが、その、僕に気を遣ってくれて……僕の両親が写ってる騎士団の写真を見せてくれたんだ。そこに、君に似た日本人がいたから気になって、ムーディに聞いたら、……たぶん、君の母親だろうって、ムーディが……その、本当によく似てたから……
「それで私たち、セドリックにも知らせた方がいいんじゃないかしらと思って……あなたに伝えるのに、セドリックの方が適してると思ったの、でも、もう知っていたのよね?」
 ハリーとハーマイオニーの、どこか焦燥感のある様子に、ベルは、ふ、と相合を崩した。二人の気遣いは有難かったが、どこか大袈裟に感じたのだ。
「そこまでデリケートな話でもないよ。まあ、私も、最初は驚いて、パニックになったけど……意外なところから飛び出してきたし、……その……なんだ……
 ベルは手慰みに、マグカップを両手の指で、ぱたた、と何度か叩いた。
……私の育った場所にとって、母はとんでもねえ裏切り者だからな。私もあんまり触れないようにしてきた。禁忌っつーのか、地雷っつーのか……
 意味が分からない、とはっきり顔に出すハーマイオニーとロン。セドリックはむっつりと黙り込み、ハリーはどこかうっすらと傷そうな瞳でベルを見つめた。ハリーにも似たような経験があるのだろうなとベルは察した。
「だから、山とはあんまり関係ない場所で母のことをちょっと調べてみたよ。少なくとも、写真に写ってるのと同一人物か確かめねえといけねえからな。で、……私が生まれた時に世話になった病院で色々聞いて、母の知り合いと連絡が取れて、写真をもらった」
 ベルが指で招くと、トランクから一枚の写真がひとりでに宙を滑り、ベルの手に収まった。ベルは一番近くに座っていたハーマイオニーに手渡した。
……あの人だわ……間違いない」
「この写真、なんで動かないの?」
「マグルの写真は動かないの」
 ハーマイオニーの解説に、変なの、という顔をするロン。順繰りに回って戻ってきた写真を、ベルはトランクの方に放った。スイ、と宙を滑った写真が、素直にトランクにしまわれる。
「じゃ、ベルのパパは騎士団のメンバーのうちの誰かなのかな?」
 無邪気に言うロンに、ハーマイオニーが信じられないといった風情で瞠目した。
「さあなあ」
 対するベルの内心は凪いでいた。寧ろロンの反応を面白がる素振りすら見せた。
「たぶん、母はな、誰でも良かったんだよ」
 ベルは穏やかに言葉を選んだ。ロンのおかげで、自分から口にしなければならない可能性の一つが減ったというのは、随分とベルの心を軽くさせた。
「山から逃げたかったんだろうな。イギリスに行ったのも、ただ、山から逃れたかったからなんだろう」
「じゃ……どうして戻ったの?」
 ハリーの疑問に、ベルはほろ苦く微笑んだ。
「母にも力があった。おそらくは、相手の持っている力のことも知っていた。だとすれば、生まれる子供はおそらく確実に力を持っている。だったら、専門の知識があるところに預ける方が、まだマシだと判断したんだろう」
 実際それで苦労したんじゃねえの、とハリーの方を見やれば、確かに、とハリーは若干遠い目になった。ハーマイオニーとロンも、なるほど、とハリーの方を見て納得した素振りを見せた。
「自分に万一のことがあっても山には助けてもらえないと分かっていて、産む場所を選んだ……ま、なけなしの情なんだろうな……
 ベルの言葉に、誰もが言葉を失った。
 妙な感傷を抱かせたかったわけではなかったベルは、正直申し訳ない気持ちがあったが、ベルにはどうしようもなかった。
 複雑な沈黙を破ったのは、セドリックの静かな問いだった。
……どうして、君の母親は、山から逃げたかったの?」
 ベルは少しだけ迷ったが、幼い頃から耳にタコができるほど聞いていた話を素直に教えることにした。
「山の血筋の人間との結婚が決まってたんだ。そのこどもが次代の山守になるはずだった。私たちはそうやって血を繋いで、山を守ってきたからな」
「じゃ、ベルにもそういう人がいるの?」
 驚いたのか、急き込んで聞いてきたハーマイオニーに、ベルは「いねえよ」あっさり、カラカラと笑った。
「山にとっちゃ、私がいわゆる血の裏切り物で、『穢れた血』だからな」
 そんなことない、とハリー達が一斉に非難の声を上げる。ベルは物の例えだよ! と慌てて両手を上げて降参のポーズを取った。
「まあ何かって、山守の純血が絶えることになる。山を守るものがいなくなれば、ざっと五百年くらいで山が死ぬ。最近はもっと早いかもな……自分たちが死ぬきっかけを作った張本人の母と、その結果である私を、山は超絶嫌ってるってワケ」
 ハリー達は訳がわからない、という顔をした。その顔が揃いも揃っておかしかったので、ベルは苦笑した。
「日本の山はじわじわ死んでるんだ。最近はお隣さんの中国に買い取られてるところも多くて、滅びが加速してる。千年くらい前は一回死んでもまた生まれ直せるから大したことでもなかったんだろうが、最近はなあ。三百年経っても生まれ直しの兆しが得られるかどうか。だから怖いんだろ。初めての死の恐怖ってやつさ」
……ちょっと何言ってるかわかんなくなってきたんだけど……
「今まで通りのサークルオブライフは難しいってことだよ」
…………???」
 顔を見合わせるイギリスの魔法使い達。ベルは気にするなと手を振った。
「今言ったことは忘れちまえ。大したことじゃねえんだ。死なねえ生き物はいねえんだから。……で、私の方はあらかた喋ったが、あんた達の方は? 平和な引きこもり生活だったか?」
「あー……それが、ハリーが尋問にかけられて裁判したんだ」
「あンだって??????」
 今度はベルが頭上に疑問符を浮かべる番だった。ハリー達は代わるがわる、ハリーがプリペット通りの近くで従兄弟のダドリーと一緒に居る時に吸魂鬼に襲われたこと、ダドリーが「キス」されそうだったので守護霊の呪文を使ったところ、国際魔法使い機密保持法に違反したとして、ホグワーツを退学処分どころか杖を折られる騒ぎにまでなってしまったことを話した。
 すんでのところで騎士団の待ったが機能し、八月の尋問を以て処断が決定されることとなり、ハリーはダンブルドアに弁護してもらって、なんとか無罪放免を勝ち取ったのだという。
「プリペット通りに吸魂鬼ねェ……
「ヴォルデモートの仕業だと思う?」
 思案する素振りを見せたベルに、ハリーが身を乗り出して聞いた。ベルはロンがびくりと肩を跳ねさせたのを尻目に、いいやと首を横に緩く傾けた。
「ファッジにそんな度胸はねえとして、魔法省内の誰かだろうな。案外アンブリッジかもしれねえぞ。教職に就く前は省内の人間だったんだろ」
「どうしてヴォルデモートじゃないと思うの?」
「お前、今すぐにでもあいつと会って殺し合いしてえのか?」
 ベルの怪訝そうな声音に、ハリーは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。
「僕……そんな……そんなつもりじゃ……でも……
「焦ってもいいことねえぞ。あの墓地で、ヴォルデモートはお前を直接手にかけようとしたんだろ」
 困惑した表情のまま、ハリーはこっくりと頷いた。
「じゃ、ヴォルデモートじゃねえな」
「でも、例のあの人はハリーを殺そうとしたんだよ」
 ロンの反論に、ハリーもその通りだと言わんばかりの顔になる。ベルは嘆息した。
「あのなあ。ヴォルデモートが、魔法界を一度は壊滅にまで追い込んだほどの用意周到な男が、お前に逃げられて、己の復活を知ったダンブルドアが、お前に護衛をつけないはずがないと、どうして考えねえと思えるんだ?」
 ロンは何事か反論しようしたらしいが、結局は口を閉じた。
「実際、お前、護衛をつけられてただろ。セドも」
 ハリーとセドリックが戸惑いがちに頷く。やっぱりな、とベルは半眼で独りごちた。
「従兄弟を襲わせて、お前に人前で魔法を使わせて、お前をやり込めたいファッジにここぞとばかりに餌を与えて、ファッジが望み通りにアズカバンから離れている吸魂鬼とかいう特大厄ネタを見て見ぬふりして、お前がダンブルドアの力及ばず杖を折られて魔法界を追放されたとしてだ、ハリー」
 指で自分を示されて、ハリーはゴクリと生唾を飲み込んだ。
「ヴォルデモートは、お前をタダでは殺さんよ。お前という自分を一度打ち倒したもの、ヴォルデモートにとっての滅びを乗り越えたのだと世界に印象付けるために、できることはなんでもやるだろうな」
「───」
 ハーマイオニーとロンが心配そうにハリーを見遣った。
 緊迫した空気などなんとでもないと言った風情で、ベルは飄々と肩を竦めた。
「まっ、ヴォルデモートも復活して早々、自分の最大の敵に自分の存在を知られたとあっちゃあ、できることは限られてくるわな。お前を襲うなんてリスキーな真似はしないだろうよ。それよりも地盤固めだな。アズカバンを掌握して、昔の仲間という手足を取り戻して、魔法省を嫌ってる奴らに自分たちの陣営につけば甘い蜜があると思わせて連帯を呼びかけ、不安を煽り……あとはそうだな、これで前は負けたんだから、今度は何か新しい武器でも欲しいところだが」
 ベルの言葉を聞いたロンがハッと息を呑んだ。
「シリウスが言ってた、ヴォルデモートは武器を欲しがってるって」
「ベルもそう思う? 騎士団から、武器について何か聞いてる?」
「いいや、なんも」
 両腕を広げるベルに、ハリーとロンはがっくしと肩を落とした。一方のベルは眉根を寄せた。
「なーんでお前ら揃いも揃って私が騎士団から何か情報を流されてると思うんだ。私、未成年だぞ」
「だって……ベルって何か特別じゃないか……
「ダンブルドアから仕事も任されてるし……
「そりゃオメー、私は自分の力で稼いだ金で自分の身を立てて、もう十年超えてるからな」
 バッサリ切り捨てるベルに、ハリーとロンはとうとう言葉を失った。
「他人の稼ぎで生きてるお前らとは立場が違わあ。逆に言えば、私でさえ騎士団に入れてもらえてねえしスカウトも来てねえんだから、今私がペラッとてきとうに喋ったことを自分の頭で考えられるようにならねえうちは当事者といえども騎士団に入るだなんて烏滸がましいにもほどがあるってことだ。とっとと帰って試験対策でもしてな。すっかり話し込んじまった」
 小窓から外を覗くと、太陽はすっかり森の向こうに姿を隠している。生徒達は揃って目を丸くした。
「ほんとだ。いけない、急ぎましょう、みんな」
 ハーマイオニーに急き立てられて、ハリー達は慌てて小屋の外に出た。戸口まで見送ったベルに、突然立ち止まったセドリックが、「忘れ物した」と振り返る。
「? なに、ン」
 くちに、柔い感触。思わず固まってしまったベルに、セドリックは悪戯っぽく微笑んだ。
「おやすみ、淋。またね」
……おやすみ……
 先ほどまでのいなせな態度からは一転、ほそほそと返すしかできないベルに、五年生達は半眼になり、セドリックだけが満足そうに小さく微笑んでいた。



 何事もなく、一週間が過ぎた。
 闇の魔術に対する防衛術の授業は相変わらず教科書を読ませるばかりだったので、ベルは既に一通り読破してしまった。来週から二週目に入るか、新しく本を取り寄せるか、悩ましいところである。
 セドリックは、イモリ試験対策に、教授陣から大量の宿題を出されたらしく、ベルが放課後に飼育場へ行こうとすると待ってましたとばかりにベルを捕まえた。
「助けてほしいんだ」
「ええ? 魔法生物のことくらいしか助けになれないよ」
「無言呪文ができるだろ!」
「セドも何個かできるようになってたじゃないの」
 夏の間に、セドリックは杖一つでベッドメイキングと簡単な掃除ができるようになっていた。料理の乗った皿だって、フレッドやジョージなどより余程安全に、綺麗に運ぶ。
「試験でできるようにならなきゃいけないのは他の呪文なんだよ、ベル。もっと難しいやつ」
「と言っても、コツはほとんど一緒……
「お願いだよ、君の作業の邪魔はしないから」
「まあ……いいけども……
 よし、とセドリックが拳を握る。ベルはポリポリと頬を掻いた。それ以降、セドリックは監督生の仕事がある時以外、ほとんどベルと一緒に過ごすようになった。週末の土日まで、セドリックはわざわざ飼育場にまで来て作業を手伝ったり、ハグリッドの小屋の掃除まで手伝ったりしたので、ベルは不思議に思うのを隠しきれなかった。
 だって、セドリックは人気者だ。ガールフレンドがいたって、お構いなしにホグズミードやクィディッチに誘ってくる友達が、セドリックにはたくさん居た。その友達は、もちろんベルのことも誘ってくれるのだが、ベルが断ったり、セドリックが断ったり、逆に友人達が気を遣ってくれたりで、なんだかんだ上手くやっていたと、ベルは思っていた。つまり、土日両日、セドリックがベルとずっと一緒なんてことは、今までで一度もなかったのだ。
「セドさあ」
 昨年までは魔法薬の調合に使われていた鍋の中を掻き回しながら、ベルはできるだけなんでもない風情で口火を切った。
「ハッフルパフで、何かあった?」
…………
 皿の用意をしてくれていたセドリックが、ゆるりと動きを止める。
……言いにくいなら、いいよ。私はいつだってウェルカムだからね」
 暖炉から鍋を取り上げて、セドリックが敷いてくれた鍋敷の上に鍋を置く。今日はアイリッシュシチューと、セドリックがベルの指示を聞いて焼き上げたパンだ。それと、畑で採れた葉物野菜のサラダが少々。
 いただきます、と手を合わせた淋が食べ始めたのに続いて、セドリックも夕飯に手をつけた。
「ン……美味しい」
「よかった」
 ハグリッドがさあ、とベルはトマトをフォークで刺しながらとりとめもないことを喋った。
「かぼちゃにさ、肥らせ呪文をかけたからさ、土にもそれの影響がちょっと出ちゃって、他の野菜も大きくなっちゃって……これだってプチトマトのはずだったんだぜ。ナスなんか、中身スッカスカになっちゃって。キュウリとネギなんか、こっちのはただでさえデカくて太いのに、それがもっとこう、もうどうしろって感じで」
 つらつらと喋る淋に、セドリックは時折クスリと忍び笑いをこぼした。淋はホッとして、魔法生物の話や、森で見聞きしたことも淡々と喋った。どんぐりが落ちていたからもうすぐ秋も終わるだとか、動物たちがもう冬支度を始めているだとか、今年のハロウィンはどうなるか、だとか。
 ベルは食べながらも器用に喋り、二人は揃って食事を終えた。ハグリッドの小屋のキッチンはベルとセドリックが並んで立ってちょうどいいサイズだったので、二人は一緒に食器や鍋を洗った。
……ハッフルパフで、何かあったっていうわけじゃないんだ」
 ふと会話が途切れた折に、セドリックがポツリと言葉を零した。
「ただ……ヴォルデモートが帰ってきたってことを、信じたくない人にとって、僕は……なんていうのかな……ほら、臭いもの、みたいな……
……うん」
 ベルは腕の水気を取って、セドリックに向き直った。
「ハリーも、そうだと思うよ。日刊預言者新聞でもそう……僕たちのことを、頭のおかしい、狂ってるやつだと思ってる人が、一定数いて……僕の友人の中には、僕をその状態から元に戻したいと思ってる人もいるみたいなんだ」
……
 どんな言葉をかけたらいいものか迷って、淋はそっとセドリックに身を寄せた。
 セドリックも、半身を預けてくれる。淋はなんだか、ますます胸が苦しくなった。
……泣かないでよ」
「泣いてないよ……
 泣いてない、と淋は繰り返した。それでも、その瞳に薄く水の膜が張って、辛そうに眉根が寄っているのを見て、セドリックは苦笑した。淋のこれは、泣いているようなものだ。
「大丈夫だよ。きっと、みんな、いつかは分かってくれるよ」
「でも、辛いよ……
「うん……そうだね。ちょっと挫けそうだ。でも、ハリーが頑張ってるなら、僕も頑張らないと。一番辛いのは、きっとハリーだから……
……
 それは、確かにそうだろうと、淋も思う。
 でも、と淋は言葉を飲み込んだ。代わりに、セドリックの瞳を、真っ直ぐに見つめる。
「でも、セドの辛いのは、セドのものでしょう」
「、」
「誰かと比べて、なくなるものじゃないんだから、……その……私、なにもできないけど……でも、話を聞くくらいならできるし……だから、その、……いつでも、時間作るし……私からも、声かけるようにするし……
 しどろもどろに、なんとかセドリックの支えになろうとしてくれる淋に、セドリックは、ほんの少し丸くなっていた眦を弛め、詰めていた息を、ゆっくりと吐いた。
 淋の言葉だけで、変わってくれない寮生や、信じてくれない友人達からの言葉と態度からくる辛さや苦しさがなくなったわけではない。
 けれども、淋の言葉だけで、こんなにも肩が軽くなって、息のしやすくなることと言ったら。昨日までは憂鬱だった寮への帰り道が、こんなにも軽やかに感じるのは、セドリックにとっても、正しく救いだった。
「ありがと、淋」
「ン……
「キスにも慣れてね」
「そ。れは、あの……ちょっと……ちょっとずつで……
 途端に赤くなり、固まる淋。堪えきれずに、セドリックは、肩を揺らして、小さく笑った。
 セドリックが気の抜けたように微笑んでくれたので、淋も、その日は、そっと胸を撫で下ろしたのだった。
 しかし、安寧は長くは続かなかった。
 週明けに発令された教育令により、アンブリッジがホグワーツ高等尋問官なるものに任命されたのだ。これにより、アンブリッジは教授陣達に対してその職位に在ることが相応しいか査察することになるという。
 淋は一抹の不安を感じた。嫌な予感というやつだった。こういう時の感覚は、大抵外れない───淋の予想通り、数日後の放課後に、アンブリッジが厩舎を訪れた。
「こんにちは、えーと……ベル、だったかしら?」
……ええ。こんにちは」
 訂正する気も起きず、ベルは礼儀として挨拶した。ベルの邪魔にならないように厩舎の隅でレポートをやっつけていたセドリックは、瞬きして、視線だけを二人に向けていた。
「ごめんなさいね、異国の方の名前の発音は、どうにも難しくって」
「いえ。構いませんよ」
 掃除用具を片付けるふりをして、ベルは自分を落ち着けさせた。フードをかぶるようにして、特大の猫をかぶる。表情筋が自分の意思化に置かれていることをしっかり確認し、ベルはアンブリッジに向き直った。
「それで、何のご用でしょう」
……あぁ、そうね、あなたにメモをお渡しするのを、私すっかり忘れていました」
「メモ?」
「査察のことをお知らせするメモです」
……なるほど?」
 ベルは小首を傾げてみせた。
「査察対象は教授陣ばかりかと思っていましたが」
「ええ、確かにあなたは生徒ですけれど、こうしてスタッフが担当する業務も引き受けていらっしゃるでしょう? 課外授業の一環とお見受けしますれど、私の見解に相違はないかしら?」
 アンブリッジは、ニタリと口端を吊り上げた。ベルは片眉をひょいと上げただけで、特に動じもしなかった。
「ええ、もちろん。以前はハグリッドと、今はグラブリー・プランク先生と、相談しながらやってますよ。まあ、グラブリー・プランク先生よりかは私の方が経験年数が長いし、先生には授業の準備もあるし……私が積極的にお手伝いさせていただいています」
「では、これらを一から全て説明できるのね?」
「ええ。ご説明しましょうか? 今から、お時間の許す限り。もし詳細な説明をお求めでしたら明日朝五時……正確には四時半にここに来ていただくことになりますが。畑の世話のこともご説明差し上げた方がよろしいでしょうね? 手順を一から説明するとなると、まずはこちらの糞尿をですね」
「結構です、よくわかりました」
 早口で遮られ、ベルはうっかり笑い出してしまうところだった。チラリと横目で見れば、セドリックも奥歯を噛み締めている。ベルは何事もなかったかのように、「そうですか」とあっさり言って、再びアンブリッジに向き直った。
「あなたは……あー……禁じられた森にも入っているのよね?」
 アンブリッジは、クリップボードを羽ペンでトントンと叩きながら聞いた。
「ええ、入っていますよ」
 ベルは神妙に頷いた。
「生徒にとっては禁じられている森よね? どうしてあなたにだけ特別に許可が降りているのかしら?」
「私が日本で森番のような仕事をしているからです。私の実力と実績、そして生徒であるということを鑑みて、私に危険のない範囲で森番の仕事を手伝うことを許可いただきました」
「それはいつから?」
「一年生の最後の方ですね。夏休みに入る前だったと思います」
「一年生に、禁じられた森へ入る許可を出したというの?」
「ハグリッドの同伴がある場合のみ、ですけど。勝手に森に入ることはもちろん禁じられてます。現在のような特例を除いて」
 アンブリッジは疑わしそうにベルを睨め付けた。ベルは素知らぬふりできょとんとした顔を保ち続けた。実際、ベルはハグリッドの同伴なしで禁じられた森に何度か入って遊んでいるし、魔法植物に捉われたり魔法生物に追いかけられたりしているウィーズリーの双子を「何やってんだ」と助けてやったことも数知れずあるが、そんなことは一切何もなかったことになっているのだ。
「それで……一年生の手助けが必要なほどの仕事があったの?」
……というよりは……私にそういう居場所が必要だったんです」
 ベルは少しだけ瞼を伏せ、小さく眉を寄せた。飄々とした態度から、じんわりと滲む苦しそうな気配に、アンブリッジも瞬いてベルの表情を覗き込もうとした。
「ご存知かと思いますので隠しませんが、私は日本人とイギリス人のハーフで……こちらへ来た当初は英語もろくに喋れずに、まあ、いじめられていたんです。城の中は、私にとって、それなりの期間、安全な場所ではなかったんです……生き物達の側にいたり、慣れ親しんだ森の気配が近くにあった方がよく眠れて……ダンブルドアは、私に逃げ場所が必要だろうと、特別に許可を出したんだと思います」
「まあ……まあ、まあ、それは、大変だったわねえ……
 アンブリッジの猫撫で声に、ベルは「ありがとうございます」とほろ苦く笑った。
「ええ、ええ、事情はよく分かりましたわ。ですが、あなたに真に必要なのはこのような違法労働ではないということは確実ね……ええ、あなたにはもっと相応しい場所があると思いますよ」
……はい?」
「査察の結果は追ってお知らせします。あぁ、もし不明な点があれば、いくらでも聞いてちょうだいね。それでは」
 ヒールをそれと分かるほど高く鳴らし、アンブリッジはセドリックに目もくれずに厩舎を出て行った。
 ベルはきゅむりと顔を歪めた。うまいことやり込めたと思ったのに、最後の最後でケチがついた気がする。
「セド」
「うん」
「違法労働とか私が国籍的には日本人だというのを理由にアンブリッジが私を学校から追い出そうとしてる気がするんだけど」
「気のせいであってほしいけど……淋はこの手の勘を外さないからな……
「くっそー、いじめからの逃亡場所っていうので上手く切り抜けられたと思ったのに」
 歯噛みする淋に、セドリックはほんの少し眉を下げた。
「それ、僕、知らなかった。君がいじめられてたことも……
「ああ、いい、いい。先生達だって手出しに相当苦労したんだから、私が英語で助けてって言えなかったからね……ハグリッドがいてくれて本当に良かったよ」
「うん。本当にそう思うよ」
 しみじみ言うセドリックに、淋は首を傾げたが、特に追求はしなかった。セドリックは、今の自分にとっての淋が、きっと、当時の淋にとってのハグリッドなのだろうと敏感に察したが、敢えて語ることではないと、言葉を飲み込んだ。
 翌週、飼育場にはセドリック以外の姿もあった。ハリーだ。珍しく一人でいる。
「おう、ハリー。どうした? ハーマイオニーとロンは……おい、その手はどうした、何があった」
 ハリーは慌てて自分の利き手を背中に隠した。
「なんでもないよ」
「そんな訳あるか。見せなさい」
 ハリーは助けを求めるかのようにセドリックを見たが、セドリックも心配そうに「怪我したのか?」と聞いてきたので、ややあって、渋々と利き手をベルに差し出した。
 雑に巻かれた包帯を解くと、ハリーの手には痛々しい怪我の跡が刻まれていた。何やら文字のように見えるが、裂傷が激しすぎて判別できない。
「痛かったろうに……
「大したことじゃないよ」
「クィディッチの練習でこんなことにはならないだろう?」
……アンブリッジの罰則だよ」
 ハリーは半ば投げやりになって言った。ベルは信じられない気持ちで口をあんぐりと開けてしまった。
「体罰じゃねえか」
「まあ、うん。書き取り型の」
「どういうことだ」
「呪いの羽根ペンで文字を書くと、ここにそれが刻まれるんだ」
「拷問だな」
 ベルは首を横に振りながら、ハリーの手に自分のそれを重ねた。すると、優しく淡い、木漏れ日色の光が、ほわりとハリーの傷口を照らした。
『華氷柱念……
 ベルが何事か呟くと、ハリーの傷口から、すっと熱と痛みが引いていくようだった。しばらくすると、ハリーはほとんど痛みを感じ無くなっていた───この感覚は、覚えがある。不死鳥のフォークスが涙で傷を癒してくれたときと似ている。
「よし、治ったな」
 ベルの掌が退くと、ハリーの手の傷はすっかり良くなって、綺麗に元通りになっていた。ハリーは信じられない気持ちでしげしげと自分の手を見つめた。
「すごいよ、ベル……ありがとう」
「どーいたしまして」
 ひょい、と肩をすくめるベル。
「で、なんか用だったのか?」
「それとも、君もここに息抜きに来たのかい?」
 セドリックがハリーと肩を組む。セドリックの言わんとするところを、ハリーは数拍かけて察し、「あ、違うんだ、」と首を振って否定した。
「でも、ベルに助けてもらいたかったのは合ってるかも……ハーマイオニーとロンが、とんでもない事を言い出して……
「うん、まあ、ハーマイオニーは特にそういうきらいがあるな、頭いいから。で、今度はなんだって?」
 ベルはまたハーマイオニーがしもべ妖精福祉なんたらと似たような組織を立ち上げようとしているのかと訝んだのだが、実際はそういうことではなかった。
「ハーマイオニーとロンは、僕が闇の魔術の防衛術の先生をやるべきだって言うんだ。全くバカげてるよ」
「え、どうして?」
 セドリックが素直に驚いたので、ハリーの方も意表を突かれたのか、度肝を抜かれた様子だった。
「どうしてって、そうだろう? まさか君もハーマイオニーみたいな事を言い出すつもりかい?」
「ハーマイオニーが具体的になんて言ったのかは分からないけど」
 セドリックは思案しながら言葉を選んだ。
「僕達、今の授業のままじゃ、試験どころかまともに魔法を使えないのは確かだ。自分達で勉強するのに、良い先生は必要だと思うよ」
「僕にだって良い先生が欲しいよ!!」
 ハリーがたまらないといった風情で絶叫した。
「ハーマイオニーもロンも、僕が優秀だから今までのいろいろを乗り越えられたと思ってる!! 全然違うのに!! たまたま運が良かっただけなんだ、一年の時は僕だけじゃなかった、二年の時だってベルとフォークスがいた!! 三年の時は、あれは確かに、吸魂鬼は僕が追い払ったけど……でも、ハーマイオニーがいなきゃどうにもならなかった……昨年だって……昨年だって……分かるだろ、セドリック、君なら……
……ああ」
 セドリックが、宥めるようにハリーの肩を叩いた。
「そうだな。僕は死んでた」
「僕は何もできなかった……
「ハリー、君が僕を連れ帰ってきてくれたんだろ」
「父さんがそうしろって……僕は無我夢中で……
「土壇場で人の指示聞けるなら、それだけでも大したもんだぜ、ハリー」
 突然二人に割り込んで声を上げたベルに、ハリーは驚いたような顔をした。
「それで? さしずめ、私に指導役を譲ろうと思ってここに来たんだな?」
「あ……そう、だって君の方が経験豊富だし……
「ふむ」
 ベルは腕を組んでセドリックの方を見やった。
「どう思う、セド」
………………あー………………
 気まずそうなセドリックに、ベルはそりゃそうだろうと納得したように頷く。ハリーひとりだけが困惑して、ベルとセドリックを交互に見やった。
「えーと……つまり? どういうこと?」
「ハリー。確かに僕はあの時死んだけど、それは放たれたのが死の呪文だったからで、他の呪文ならおそらく自分で防げただろう自信があるんだ。ちゃんと反応できたからね」
「え? あ、うん……?」
 ハリーはひとまず相槌を打った。言われてみれば確かに、セドリックはあの時、呪文が放たれるより先に体が動いていたような気がする。
「それはね、ベルが第三の課題が始まる前まで、僕に個人授業をつけてくれてたからなんだけど」
「そうなの?」
 だったら益々、ベルの方が先生役に適任なんじゃないかと目を丸くするハリー。しかし、セドリックは慎重に言葉を選びながら否定した。
「教えて貰った僕が言うのもなんだけど……、ベルは、教えるのが、あんまり上手くない」
「えっ」
 思わず声を上げたハリーに、ベルは「うむ」と顰めつらしく頷いた。
「自他ともに認める説明下手、そう、私だよ」
「自慢することじゃないからね、淋」
 セドリックに言われて、ベルはふざけたポーズをするのをやめた。
「あとはな、ハリー、人って教える才能がないと、自分がどうやって学んで身につけたかをそのまんま伝えることしかできねえんだ」
……つまり……?」
「私が教えるとなると、実戦あるのみになる」
………………
 ハリーはうっかり絶句した。それをどう受けとったのか、ベルは堂々と言い切った。
「私は壊滅的に教える才能がない。というわけで、実戦したくなったらいつでも呼んでくれ。いくらでも揉んでやるから」
「最低限、呪文を唱えて、魔法がちゃんと発動するようになってからの方がいいよ。……僕はそれでも無理だったけど……
「無理だったの……!?」
 ふはははは、と悪役のように笑うベル。ドン引いた目でベルを見るハリー。
「でも、お前はいい先生になると思うぜ、ハリー」
 今度はベルがハリーの肩を叩く番だった。ハリーは当惑した顔に、デカデカと「なんでそんなことを言うんだ」と書き殴っていた。
 自分の思った通りの結果を得られなかったため、期待はずれでがっかりした素振りだったハリーは、結局、ハーマイオニーとロンの案を呑んだようだった。後日、ハーマイオニーの方から、セドリックとベルに「一緒に闇の魔術の防衛術を自習しないか」と打診があったのだ。
 ベルはハグリッドの代わりの森番の仕事があるからと言って断り、セドリックは昨年からベルに指導してもらっていると言って断った。ハーマイオニーは残念そうだったが、特にしつこく引き留めるようなことはしなかった。
 ホグワーツにおける学生による組織、団体、チーム、グループ、クラブは、高等尋問官の承認なしに結成できないという告示が出されたのは、その直後のことだった。
 バタバタと野菜畑に現れたハリー達に、ベルは「最近はよく人が来るなあ」と自分の身の丈ほどに大きくなったかぼちゃを転がす手を一旦休めることにした。
「どーした、そんなに慌てて」
「ベル、あの───セドリックは?」
「あそこ」
 ベルは森に近い飼育場を指で示した。セドリックはヒッポグリフ数匹に囲まれて、杖を使って毛繕いをしてやっているところだった。
「無言で浮遊呪文を使えるように練習中」
「セドリックにも来てほしいの、あの、あなた達に確かめたいことがあって……二人を疑うわけじゃないんだけど……
「あン?」
 ベルは首を傾げたが、ひとまずセドリックを呼んだ。どうかしたの、と顔を出したセドリックに、ハリー達は少し気まずそうにしながらも目配せしあった。
「あの、アンブリッジが出した告示のことは知ってる? 全てのクラブの解散の」
「あぁ、知ってるよ」
 セドリックが溜息をついて苦い顔をした。
「まさかクィディッチチームも再結成しなきゃいけないとは恐れ入ったよ。慌てて申請をして、今、審査中だ」
「そんなことになってたの?」
 ベルは眉を顰めて身を引いた。ベルは寮に戻っていないので、寮の談話室に貼られた掲示物などの情報を知らないのだ。
「あの……それで、まさかとは思うけど、私たちのやろうとしていること、アンブリッジに話したりはしてないわよね?」
「まさか!」
 セドリックが目を見開く。ベルも「してないよ」と首を横に振った。
「私なんかまともに喋ってもいねえぜ」
「あぁ、良かった」
 ハーマイオニーがホッと胸を撫で下ろした。
「まあね、そんな筈ないと思ってたけど、ほら、特にセドリックは監督生だしさ……
「それ以前に、君たちの味方だってこと、忘れないでいてほしいね」
 セドリックが腕を組む。ごめんなさい、とハーマイオニーとロンが謝った。
「あの、ありがとう。黙ってくれてて」
「当たり前だろ。でも、確か、あれを破った生徒は退学処分だったはずだ。気をつけた方がいいことには変わりないな……
 ベルは今度こそ目を剥いた。
「それだけで退学処分? 重くないか?」
「でも、そう書いてあるのよ」
 ハーマイオニーがほとほと弱りきった声音で告示内容を誦じた。
「学生による組織、団体、チーム、グループ、クラブなどは、ここに全て解散される……組織、団体、チーム、グループ、クラブとは、定例的に三人以上の生徒が集まるものと、ここに定義する……再結成の許可は、高等尋問官に願い出ることができる……高等尋問官の届出と承認なしに存在してはならない……高等尋問官の承認なきものを結成し、またはそれに属することが判明した生徒は退学処分……
「ははあ、なるほど」
 ベルはニヤリと笑った。
「つまりは、アレだ。不定期に集まる二人以下の自習は、特に問題ないわけだ」
「───」
 息を呑んで、目を見開くハーマイオニー。対する男子生徒達は、揃って眉を寄せ、首を傾げ、顔を見合わせた。
「そういうことなら、人手が要るな。私もハリーを手伝うのにやぶさかじゃないよ」
「本当! 嬉しい、それってすっごく助かるわ!! 私たち、二十人くらい居るのよ」
「思ったより大所帯だな……よし、セドも教師役で追加だ」
「えっ? 僕も?」
「そうだよ。私とハリーだけじゃ手が足りないもの」
「じゃ、じゃあ、これに名前を書いてほしいの」
 ハーマイオニーが人名が連なっている羊皮紙を二人に手渡した。ベルはちょっと目を眇めてハーマイオニーを見やったが、嘆息一つで済ませ、特に問いただすことはなかった。少しだけ申し訳なさそうに羊皮紙を回収し、ハーマイオニーはそれを丁寧に鞄にしまった。
「とっても助かる……でも、皆に一度説明しないといけないわ、ハリーに教えてもらうってことで納得してもらったんだから……でも、二人とも成績優秀者だし、きっと大丈夫よね……ありがとう、二人とも! 私、早速皆に伝言を回すから……
 城に戻ろうとするハーマイオニーを、ハリーとロンが慌てて追いかけようとする。しかし、ハリーは立ち止まると、急いでベル達のところに戻ってきた。
「どうした、まだなんかあるのか」
「うん、ちょっと……忠告があって。今朝、ヘドウィグが怪我したんだ」
「おや」
 ベルは瞬いた。あの賢い白梟が、任務中に怪我をすることなぞ考えられなかったからだ。
「今、グラブリー・プランクに診てもらってる。でも、マクゴナガルが、ホグワーツからの通信網は見張られてる可能性があるって……だから、二人とも、手紙を出すときは気をつけて」
 それだけ、と言い置いて踵を返そうとするハリーを、今度はベルが引き留めた。
「授業計画はお前が立てろ。いいな? セドはともかく、私にはお前の指導要領が必要だ。分かった?」
 ハリーは短く何度か頷いた。今度こそハーマイオニーとロンを追って城に駆けていくハリーを見送って、ベルは一つ息をついた。
「ごめんな、セド、巻き込んで」
「構わないよ。誰かに教えることで、自分の身になることもあるしね」
 ベルは内心、ホッと胸を撫で下ろした。
「それにしても、検閲まで入るようになったか……
「僕も、両親に手紙を出すときは考えなくちゃな……
…………
 ふと、ベルが眉間に皺を寄せる。どうしたのと聞くセドリックに、ベルは苦々しげに言った。
「ハリーのやつ、さてはシリウスに手紙を出したな」
「そりゃ、出したいだろう。名付け親なんだし」
……まあ……そうか。そうだな……
「ハリーのことだ。分からないようにして書いたと思うよ」
……そうだね」
 頷いて、ベルはかぼちゃを転がす作業に戻ることにした。セドリックも、ヒッポグリフのところへと戻り、無言でブラシを浮かす練習を再開させた。


 何にせよ一度は全員で集まらなければならないということで、ベル達は水曜の夜八時に、城の七階に呼び出された。大きな「バカのバーナバス」のタペストリーの向かい側の石壁の前で、ベルは伝えられた通りに「呪文を練習する場所が必要です」と念じながら三往復ほど廊下を行ったり来たりした。何度目か廊下を折り返し、石壁の前を通り過ぎようとしたところで、ベルは思わず壁の方を二度見した。先ほどまでは何もなかったただの壁に、磨き上げられた扉が出現したのである。
「ホォー……
 ベルは一応、念のため、周囲の気配を探って誰もいないことを確かめてからドアをノックして、中に入った。部屋の中には既にメンバーが全員揃っていた。
「おいおい、ずいぶん多いな……悪いね、遅れて」
「ううん、時間ぴったりよ」
 ハーマイオニーが微笑んで出迎えてくれる。セドリックが渡してくれたクッションに腰掛けると、扉の鍵を閉めたハリーが戻ってきた。
「えーと……ここが練習用、というか、会合用に僕たちが見つけた部屋です。……ここでいいかな?」
「もちろん! すごく素敵だわ」
 チョウが一番乗りに賛成する。他の生徒達もそれぞれで頷いた。皆の好意的な反応に、ハリーの表情から少しだけ緊張が取り除かれた。
「えーと、それで……なんだい、ハーマイオニー?」
 挙手していたハーマイオニーは、「リーダーを選出すべきだと思います」ハキハキしながら言った。
「ハリーがリーダーでしょ?」
 チョウが何を言っているんだ彼女は、という目でハーマイオニーを見遣る。しかしハーマイオニーは意に介さず言葉を続けた。
「でも、ちゃんと投票すべきだと思うわ。それで正式になるし、ハリーに権限が与えられるもの。じゃ、ハリーが私たちのリーダーになるべきだと思う人?」
 みんなが挙手した。一人、ザカリアス・スミスだけが不承ぶしょうという体だったが、それでも全員だ。
「えっと、うん、ありがとう」
 ハリーはちょっとだけ赤くなりなら、それでもなんとか礼を言った。
「それで……なんだよ、ハーマイオニー」
「名前をつけるべきだと思います」
 またしても挙手して、ハキハキ言うハーマイオニー。ベルは活き活きしてるなあ、と生ぬるい目でハーマイオニーを見守った。
「反アンブリッジ連盟ってつけられない?」
「じゃ、『魔法省はみんな間抜け』、MMMだ」
 アンジェリーナとフレッドが真っ先に声を上げた。ハーマイオニーがムッと眉を顰める。
「私たちの目的が誰にも分からないような名前じゃないとダメよ。この集会の外でも安全に名前を呼べるようにしないと」
「それなら、防衛協会は? ディフェンス・アソシエーション、頭文字を取ってDA。どう?」
「うん、いいと思う」
 チョウの案に、ジニーが賛成する。
「でも、ダンブルドア・アーミーの頭文字にもなってるわね。魔法省が一番怖いのは、ダンブルドア軍団でしょ?」
 いいぞ、と双子が囃し立てる。ハーマイオニーが取り仕切り、「DAに賛成の人?」と挙手した人数を数えた。DA軍団というチーム名は、賛成多数で可決された。
 ベルはちょっとだけダンブルドアを哀れに思った。自分の知らないところで魔法省が一番やって欲しくないことをやろうとしている集団の名前に、自分の名前が使われるなんて、自分の預かり知らぬところで魔法省との関係に大きな亀裂を生むようなものである。
 ま、有名税ってことで、とベルは黙ってハーマイオニーがダンブルドア軍団と書いたメンバーリストを壁にピン留めするのを見守った。
「じゃ、次は、どうやって練習するかだけど……みんな、この集会が一応、今のところ、校則に違反してるのは知ってると思います。そこで私、考えたんだけど……基本的に、こうやって集まる回数は最低限にしようと思うの」
「じゃ、どうやって練習するんだ?」
 ジョージが声を上げる。
「これを使うわ」
 ハーマイオニーがカバンの中から巾着袋を取り出した。中にはガリオン金貨が大量に入っていた。
「言っておくけど、偽物の金貨だから、間違って使わないように気をつけてね。本物と違うところは、鋳造番号のところよ。ここに、日付と時間が現れるようになっているの」
 金貨をかざしながら、ハーマイオニーが説明する。
「金貨には、変幻自在呪文をかけてあるの。ハリー、セドリック、そしてベルが金貨の日時を変えると、それに相対する金貨が変化するわ。これが、それぞれの練習時間」
 実際に、ハーマイオニーが一枚の金貨の日時を変えると、もう一枚の金貨の日時が変化した。
「練習場所は、ここでもいいし、空き教室でもいいと思う。とにかく、私たちは、二人ないし三人で、たまたま、そういう話の流れになって、呪文の練習をしようってことになったっていうのを装うの───どうかしら」
 ほんの少しだけ自信がなさそうに、ハーマイオニーは生徒達を見まわした。
「いいと思う。クィディッチとの練習と被らなさそうなのが、特にいい」
 確かに、その通り、とクィディッチの選手達から賛成の声が上がった。
「時間と場所を不規則にするのは、とてもいい案だと思うわ。ごまかしやすいし、安全よね」
「でも、毎回教わる相手が変わるのか?」
「それについては、僕から説明するよ」
 ハリーがハーマイオニーから説明役を引き取った。
「まず、今日ここで、皆がどれくらいできるのかを見せてもらう。その後で、僕と、セドリック、ベルに皆のことを割り振る。僕たちは週に一回くらい、皆がどれくらいできるようになったかを話し合って、月に一回、皆で集まる───そこで、もう一回、皆の希望とかも聞いて、割り振りを変える───どう?」
 生徒達は概ね賛成の態度を取った。ハリーの表情からは再び、ホッと強張りが解けたようだった。
「場所はここでいいのか?」
「場所も、金貨で報せられると思うわ。製造国のところを変えればいいはずよ。でも、数字より目立つから、ちょっと気をつけたほうがいいわね」
 ハーマイオニーの言葉に、生徒達は揃ってわかったと頷いた。
「それじゃ、早速やろう……今日は、武装解除呪文をやろうと思う」
「おいおい、頼むよ」
 ザカリアス・スミスが呆れたようにぐるりと目を回した。
「例のあの人に対して、『武器よ去れ』が僕たちを守ってくれると思うのか?」
「僕は奴に対してこれを使った」
 ハリーは即座に、キッパリと言った。
「六月に、この呪文が僕の命を救ったんだ」
「それに、僕の命もだ」
 セドリックが続く。ハリーは少しだけ、困ったように笑った。
 スミスはポカンと口を開いていた。他のみんなは黙っている。沈黙を破ったのは、「よっしゃ」と大義そうに立ち上がったベルだった。
「じゃ、二人ずつ組になってくれ。九時まで残り三十分だ、時間がねえ。さっさとやるぞ」
 生徒達が皆立ち上がって、側にいた生徒とペアを組んだ。ネビルはハリーが相手になることになった。
「じゃ、いくよ、三つ数えたらだ───いーち、にー、さん、」
「エクスペリアームス!!」
 部屋中に呪文が木霊し、杖が四方八方に飛んでいった。当たり損ねた呪文が本棚に当たり、本が宙を飛んだ。
「あーあー」
 ベルは思わず苦笑した。セドリックはとんでもないところから飛んできた呪文をなんとか躱し、あらぬところへ飛んでいった杖を呼び寄せ呪文で回収してやっていた。
 しばらくすると、ハリーはネビルをハーマイオニーとロンに任せ、ぐるりと部屋を一周した。
「ベル、セドリック、どう思う?」
「お前がリーダーで良かったよ。私だったら全員怪我させてた」
「基本からやるのは大事なことだね。いい再確認になったと思うよ」
 ハリーは今度こそ、ほっと息を吐いて肩の力を抜いた。
「えーと、じゃあ、分担だけど……
「ウィーズリーの双子とジニーは私がもらうよ。マイケルも私がもらおうか?」
「その方がいいかも」
「アーニーとスミスは僕が教えられるかもしれないな……
「チョウとそのお友達も私が担当しよう。練習にならなかったら意味ないからな」
 ニヤリと意地悪く言うベルに、ハリーがやめてよ、と唸る。セドリックも忍び笑いをこぼした。
「えっと、ネビル、ルーナ、ジャスティンは僕で……
 仕切り直すかのように、ハリーが真面目な表情で指を折ってメンバーを数える。
「クリービー兄弟も僕が教えるよ。ロンは僕が担当しようか?」
「ハーマイオニーは私が教えるでもいいが……
 セドリックとベルの言葉に、うん、とハリーは頷いた。
 三人で均等な人数を教えることができるようにメンバーを割り振り、ハリーがどこからか見つけたホイッスルを鳴らして、生徒達の練習をやめさせた。
「今から、メンバーの割り振りをするよ。ハーマイオニー、金貨を配るのを手伝ってくれ」
 ハリーは金貨を配りながら、来月の集会までに仕上げる予定の呪文を紹介した。
「まずは、今日練習した武装解除呪文、それから、妨害の呪いと、粉々呪文だ。これは第三の課題の迷路でめちゃくちゃ使った呪文だ……この三つをそれぞれ練習してきてくれ」
 もうまもなく九時が迫っていた。ハリーが秘密の地図を確認しながら生徒達を順番に寮へ戻している間、ベルとセドリックはハーマイオニーと相談して次の練習の日を決めていた。今やハーマイオニーは皆の予定を一手に集約するマネジメントカレンダーと化していた。ベルは忘れないうちに、さっさと金貨の数字を変えた。
「とりあえず、週に一回、皆と会えたらいいんだな」
「そういうことになるわ。細かい時間調整は自分たちでしてもらって構わないわよ」
「ありがとう、ハーマイオニー」
「ベル、今ならまっすぐハグリッドの小屋に行けるよ!」
「おっと。じゃ、お先に失礼」
「淋、」
 呼び止められて、ベルはちょっとだけ肩を跳ねさせたが、すぐにセドリックの側に身を寄せた。
 互いの頬を触れ合わせ、「おやすみ」と小さく囁き合う。淋は恥ずかしいのを誤魔化すように小さく微笑んで、すぐに踵を返した。
「気をつけてね」
「おう、お前もな」
 おやすみと言い合って、ベルは急いで部屋を出て、早足で、けれども静かに廊下を進んだ。
 みんなの前で恋人らしい触れ合いをすることは、やっぱりいつまで経っても慣れる気がしなかった。


 翌週から、ベルは放課後の一時間を校舎内で過ごすようになった。夕方に予定している生き物達の世話を昼間の自由時間や昼休憩時にさっと済ませたり、魔法を使って時短したりと、工夫が必要になった。
 ジニーはベルの指導などほとんどいらない実力ぶりだった。狙いは滅多に外れないし、威力も十二分だ。フレッドとジョージも、ベルの予想以上に器用だった。ベルは正直言って、なんとなく二人の実力を低く見積もっていたことを認めざるを得なかった。だが、調子に乗りすぎるのが玉に瑕で、何度でもベルに足元を掬われていた。
 チョウ・チャンとマリエッタ・エッジコムは、学年相応の実力者といった印象をベルに抱かせた。ベルは二人の発音を矯正し、正しい杖の振り方を細かく修正した。
 マリエッタはベルに発音を直される度に少々不服そうな顔をした。ベルは彼女の目が「日本人のくせに」と言っているのをハッキリと読み取ったが、気が付かないふりをした。
「ねえ、あの……少し気になったんだけど。どういう基準で、私たち、割り振られたのかしらって……
 二回目の練習の時、とうとう堪えきれなかったのか、チョウが控え目にベルに問いかけた。ベルはニヤリと笑って見せた。
「何も意地悪でハリーからあんたを遠ざけたわけじゃねえよ」
「、あ、……もう、」
 じんわり、チョウの頬が染まる。ベルは眦を緩めた。素直に、チョウが可愛いと思えたのだ。人気があるのも頷けた。
「私は教えるのが下手だからな。ジニーや双子は、長い付き合いだから、私の言わんとするところを察してくれる。二人の場合は、今やってるような、発音と杖の振り方の細かい最終調整しか直す、というか、磨くところがない。あとはほとんど練度を上げるだけ、っていうメンバーが私のところに割り振られてる」
 マリエッタが意外そうに眉を跳ねさせた。ベルは苦笑した。
「みんな、別に、できないってわけじゃない。私だって、二人のことは、ちゃんとできるって思ってるよ。もっと完璧にするにはどうしたらいいか、ちょっとだけ手伝ってるんだ。ハリーとセドだってそうさ……でも、ほら、相性があるだろ」
 ベルは肩を竦めて見せた。
「モチベーションを重視した方が上手くいくタイプ……ネビルとか、ロンだな。こっちはハリーが向いているし、丁寧な説明が一番効果的なタイプ……クリービー兄弟とかだな。こっちはセドの方がいい。私は簡単なことしか教えられないから……でも、それさえできてしまえば、あとは完璧ってタイプには効果抜群だ」
 ベルのこの説明は、マリエッタの態度を改善させるには大変役立った。どうやら、ベルが二人を下に見ていないと納得させるのに必要だったようで、ベルはこっそりチョウに感謝した。チョウはハリーが自分を選ばなかった理由を知って、一応は納得したようだった。

 他の生徒に怪しまれることも無く、1ヶ月が過ぎようとしていた。ハロウィンが何事もなく終わる頃、DA軍団は再び必要の部屋に再集合し、それぞれの練習の成果を見せあった。メンバーの割り振りを考え直そうかと相談しようとしたところ、クィディッチの選手達がいっせいに「クィディッチシーズンが開幕するから練習量を減らしたい」と言い出した。
 ハリーとセドリックもクィディッチの練習があるので、教師役が三人から一人に減ってはまともな授業もできやしない。シーズンがひと段落するまで、DA軍団は休止することになった。
 直後、シーズン開幕戦のスリザリン対グリフィンドールを意識してか、寮生同士の小競り合いが城内の至る所で勃発した。寮監同士の対立も激しかった───マクゴナガルは宿題を出さなかったし、スネイプは競技場を限界まで予約した。
 流石にチームプレイの要となるキャプテン兼重要ポジションのシーカーであるセドリックを孤立させておけなかったのか、セドリックの周りには再び彼の友人達の姿があった。ベルはハッフルパフとスリザリン双方から忠告されるはめになった。真っ先にベルを捕まえたのはスプラウト先生だった。
「いいこと、ベル」
「はあ」
「しばらく、セドリック・ディゴリーとは一定の距離を開けるように。なにも、貴方がセドリックに何かするとは思っていません。勿論です。あなたは私が知る中で一番模範的なスリザリン生です」
「はあ……
「でも、一昨年のこと、覚えているでしょう? 貴方にとっては忘れた方がいい事かもしれないけど、あろうことか、スリザリンの生徒たちは、貴方に向かって呪いを放ったんですよ! 飛行中に!」
「あー……そッスねー……
 シリウス・ブラックが脱走したので吸魂鬼達がホグワーツ城に配されたときに、吸魂鬼達はあろう事か、警護の役目を放って観客達の生気を吸いに競技場まで侵入したのだ。これに怒髪天を突いたダンブルドアが、ベルに守護霊の呪文を習得させ、試合中、競技場をベルに警護させたのである。スリザリン生の多くはこれをベルが試合に介入するチャンスだと思ったらしく、何度かベルを利用しようとしたが、ベルが尽く袖を振ったので、しばらくの間、ベルはスリザリンの裏切り者と渾名され、最後には箒からの墜落を狙われて、白昼堂々襲われたのだった。
「彼らに科した罰則を聞いて私はもう……たった一晩の書き取り罰!!」
 スプラウトは今でも怒っているのか、髪をうち震わせて唸った。ベルは「わァ」と眉根を寄せて瞠目したが、それだけだった。一昨年の話など、まったき他人事だったのである。
「もう二度とあんなことがあってはいけません」
「いや、今年はもう警護は無いっすけど……
「それでも、あなたは気を付けなければならないんです。他寮に付け入る隙として貴方が使えるのではないかと思わせてはなりません。分かりましたね?」
…………
 ベルはひとまず、分かりましたと素直に頷いておくことにした。
 驚いたことに、寮生の方もスプラウトと同意見だった。
 彼らはスプラウトと同じようなことをベルに言った。
「お前のことは信じてるよ。でも、あいつら、どんな卑怯な手を使ってくるか分からない」
「俺たちが近付くなって言った方が、セドリックとも拗れなくて済むだろ」
「セドリックには、私達から言っておくから」
 口々にちょっとばかし仲良くなったハッフルパフ生に言い募られて、ベルは瞬き、むい、と口を尖らせて、「わかった」とボソボソ言うしかできなかった。
 一方、スリザリン生達は、ベルを捕まえるのに苦労した。ベルは授業に関わる時間はひっそりと気配を潜めてしまうし、すぐに次の教室へ移動してしまうので、声をかけるチャンスを失ってしまえばもう話しかけられない。ベルは今、森番の代理としてハグリッドの小屋に寝泊まりしているから、談話室でも捕まえられない。スリザリン生は誰もハグリッドの小屋に近づきたがらなかったのだ。
 しかし、ベルをサンドバッグにしてもいいという共通認識は未だ健在のようで、ベルがもし一人で廊下を歩いていようものなら、どこからともなく何がしかの呪いが飛んでくることがあった。勿論、ベルは容赦なく返り討ちにするのだが、彼等は何度やっても懲りるということを知らなかった。
 ベルの預かり知らぬことではあったが、とあるスリザリン生がベルに返り討ちにされて顔じゅうがおできだらけになったのを、グリフィンドール生のせいにしようとしたことがあった。しかし、目撃者だった絵画とゴーストにより自作自演が露見し、ことの仔細がアンブリッジホグワーツ高等尋問官の耳にまで入ってしまったため、マルフォイが火消しに走り回るはめになったために、一部のスリザリン生はグリフィンドールの次にベルを目の敵にしているのだった。
 ベルにとってなんだか嫌な空気が流れてるなあという雰囲気を感じながら、ベルは例年通り、クィディッチシーズン開幕戦は、日がな一日野菜や魔法生物、そして森の世話をして過ごした。ハロウィンも終わって十一月も半ば、そろそろ本格的な冬がやってくる。生き物達は冬支度を始めたし、野菜達も寒さに凍えないような対策が必要だった。今年のクリスマスツリーになるだろう木も見繕い始めなければならないし、小屋に薪だって必要だ。
……?」
 森の中で背負えるだけの薪を切ったベルは、ふと何かしらの気配を感じて森の奥の方を顧みた。
…………んん?」
 いつもより、なんというか。
 気配が慌ただしい、というか。
 ケンタウルスにでも話を聞けば分かるだろうか。彼らはこれから起こる出来事のほとんどを予見して、かつ、それをハッキリと言葉にしない思慮深さを持ち合わせている。予言はほとんど呪いの類だと思っているベルにとって、その思慮深さは好ましいものだった。理解が難しくても、身構えることはできるし、人外が英語を理解して喋ってくれているというだけで、だいぶ歩み寄ってくれているとも言える。
 ベルはもう一度辺りを見回した。ケンタウルスの気配はなく、傍目に分かるほど森が荒れているわけでもない。どうやらベルにできることは今のところなさそうだ。
 ベルは首を傾げながら小屋に戻った。
 クィディッチの試合が終わった頃から、空はどんよりとして、雲行きが怪しくなっていた。空気も凍え、肌の下、骨から冷えてゆくのを感じながら、急いで作業を終わらせた。
 ベルの焦りが当たったのか、夕方から、ホグワーツは雪と風に見舞われた。地面にはあっという間に雪が積もり、ベルは暖炉に火を炊いて、魔法薬学の鍋でくつくつとシチューを煮込んだ。
……作り過ぎたな……
 器にシチューをよそって、ベルは思わず苦笑した。セドリックと作っていた時の感覚が抜けていないのだ。
 鍋を火から降ろし、余った分は明日の昼にグラタンにでもしようかしらと考えながら、ベルは一人静かに黙々と夕飯を済ませた。
 あとは寝るだけだが、まだ眠るには早い時間だ。宿題をさっさと済ませてしまおうと、ベルは参考書と羊皮紙をテーブルに引っ張り出した。
 しばらくの間は、火の粉がパチパチ爆ぜる音や、羽ペンが羊皮紙を引っ掻く音、参考書のページをめくる音が小屋に響いていた。風は音もなく吹きすさび、雪は暗闇の中でも白くちらちらと舞っていた。ベルが集中して作業に取り掛かってから一時間も経つ頃、ふとベルは顔を上げて、玄関の方を見た。反射的に手が杖を掴む。
「フィー、帰った帰った……
 ガチャリと鍵を開けて小屋に入ってきたのは、ルビウス・ハグリッドその人だった。
「ハグリッド!!」
 ベルは飛び上がって、その勢いのまま机を飛び越えた。
「おぉー! ベル! お前さん、来とったんかい」
「私があんたの代わりをしてたんだよ、ハグリッド!!」
 飛びつこうとしたベルは、しかし満面の笑みを徐々に歪めていった。
 ハグリッドが旅行マントや帽子を脱ぐ。灯りに照らされたその姿を見て、ベルはギョッとして目を剥いた。ハグリッドは顔の左半分がズタズタに切り裂かれるような怪我をしていたのだ。
 勢いよく尻尾を振ったファングが飛びかかろうとするのを「こら!」と諌めながら、ベルは杖の一振りで教材を片付け、椅子をハグリッドの方へ移動させ、やかんに水を汲み、暖炉に引っ掛けた。
「ハグリッド、その怪我どうしたの!?」
「ん? あぁー、なんでもねえ、なんでも……
 どっかと椅子に腰掛けたハグリッドが、やれやれと大義そうに長く息を吐く。
「流石に無理があるだろ……まあいいや、先に治そう」
「構わねえよ、ドラゴンの肉を調達してきた」
「あぁ、あれ、確かに痛みには効くけど……
「俺には魔法よりこっちの方が効くんだ」
 旅行カバンから取り出した新聞包みから、ハグリッドは緑色のどでかい塊を取り出した。ベルにとっては懐かしの、ドラゴンの生肉である。
「わかんないよ、私の治癒は種族関係なしに効くから……他にも怪我してるでしょ」
「うんにゃ、これっくらい平気だ」
「いーから、湯が沸くまでの間だよ」
 よく見たら、手にもたくさんの傷がある。一言断って、ベルはサッとハグリッドの胴、そして足に触った。肋の骨に少しだけヒビが入って、足は挫いているようだった。
「マダム・ポンフリーのところには行かねえの」
「自分で処置できる」
……ダンブルドアに知られたくねえのか?」
 ぴた、とハグリッドが動きを止めた。ベルは嘆息して、ハグリッドの顔の左側に手を翳した。仄かな木漏れ日色の光が、傷口を優しく包んでいく。
「言えよ。今度はどんなやつと出会ってランデブーしてきたんだ」
 ハグリッドが体をゆすって笑った。
「お前さんにはなんでもお見通しだな……
「隠したっていいことねえぜ。人間ひとりでできることなんかたかが知れてら」
「あぁ、そうだな……本当にそうだ……
 少しずつ、目元の腫れが引いていく。幾重もの筋状の傷は細く薄くなり、暗闇ではその存在が分かりにくくなったところで、ベルは手を退けた。
「だいぶマシになったな」
「あぁ、随分楽になった……ありがとよ」
 ベルは嘆息して、ひとまず紅茶を淹れようと踵を返した。そこへ、コンコンとドアがノックされる。
「ハグリッド! 僕だよ!」
 ハリーの声だ。立ちあがろうとしたハグリッドを制して、ベルが杖の一振りでカーテンを全て閉めて扉を開けた。しかし、外には誰もいない、ように見える。
 ベルは人が入れるように体を傾けた。真横を気配が通り過ぎていく。
「まだ脱ぐなよ」
 言いながら、ベルはサッと杖を振った。雪に残った三人の足跡が、あっという間に消えてゆく。他の場所との違いが夜目には分かりづらくなったのを確認して、ベルは扉を閉めた。
「もういいぞ」
 何もないところから、ハリーとロン、そしてハーマイオニーが現れる。ハリーは手早く自分たちを覆っていた透明マントを小さく畳んだ。
「よく来たな、お前さんら。帰ってからまだ三秒と経ってねえぞ」
「ごめん、グリフィンドール塔からハグリッドの影が見えたから、つい……
 ベルは戸棚から追加でマグカップを出してやった。
「ハグリッド、どうしたの? すごい怪我して……
「なんでもねえよ。大丈夫だ……いや、お前さんたちにまた会えて嬉しいぞ───夏休みは楽しかったか?」
「マダム・ポンフリーのところに行くべきだわ、ハグリッド」
 ハーマイオニーが諭すように言った。
「自分で処置しとる。ベルも手伝ってくれとるし……問題ねえさ。なあ?」
「ハーマイオニー、私が言ってもこれだ。今日中の説得は無理だな」
 ベルの杖が紅茶の入ったマグカップを静かに四人の前に運んだ。ベルはハグリッドの側に膝をついて、今度は足に手を翳した。
「それで、ハグリッド、何があったの?」
「話せねえよ、ハリー。極秘だ。漏らしたらクビになっちまう」
「ハグリッド、巨人に襲われたの?」
「巨人?」
 ハグリッドの声が僅かに裏返った。ベルは思わず半眼になった。隠すのが下手すぎる。
「誰が巨人なんぞと言った? 俺が何をしたと───?」
「そう思っただけよ……
「ウン、それに、なんていうか、……見え見えだし」
 謝るように言うハーマイオニーを、ロンがフォローする。ハリーも頷いた。
 ハグリッドは三人をジロリと見やり、やれやれと特大のため息をついた。
「お前さんらみてえなのは初めてだ。知り過ぎとる。……褒めとるわけじゃねえぞ。知りたがり屋、とも言うな。お節介とも」
 ひく、とハグリッドの髭が笑う。ハリーもつられてニヤリと笑った。
「それじゃ、巨人を探してたんだね?」
 ハグリッドはややあって、しょうがねえとぼやき、ほとんど吐き捨てるように「そうだ」と応えた。ハーマイオニーが身を乗り出して声を顰めた。
「見つけたの?」
「まあ、正直言って、連中を見つけるのは難しくねえ。でっけえからな」
「どこにいるの?」
「山だ」
 至極当然のロンの単純な疑問に、ハグリッドはあっさり答えた。
「ダンブルドアが知っていなさった。そこに着くまでに一ヶ月かかったぞ」
「一ヶ月?」
 ロンが素っ頓狂な声を上げる。
「そこに行くのに魔法が使えなかったの? マグルみたいに行動しなきゃならなかったの? ずっと!?」
「ずっと、ちゅうわけではねえが」
 ハグリッドは言いたくなさそうに顔を顰めた。
「気をつけにゃならんかった。オリンぺと俺はちいっと目立つし……
「オリンペ?」
「マダム・マクシームのことよ」
 あぁ、とベルは合点が入ったようにして、ハグリッドの足から手に作業場所を移した。
「ダンブルドアと組んでるとみなした者全部を、魔法省は狙っとる。かつ、俺たちは追跡されやすい。だから、俺たちは一緒に休暇を過ごすふりをした。フランスに行って、オリンペの学校のあたりを目指しているふりをして……ディー・ジョンのあたりでなんとか撒いた」
 ワッ、とハーマイオニーが歓声を上げたが、ハリーとロンの視線に、たちまち大人しくなった。
「そのあとは、ポーランドの国境で、狂ったトロール二匹に出会したり、ミンスクのパブで吸血鬼と言い争いをしたが、それ以外は全くスイスイだったな」
 ハグリッドは紅茶で喉を湿らせながら話を続けた。
「ほんで、連中を探して山の中を歩き回って……いやあ、オリンペはすごかったぞ。あの人は身なりのええ、綺麗な人だし、『野に伏し、岩を枕にする』のはどんなもんか訝っとったが、あの人は一切弱音を吐かんかった」
「へえ。フランス人にしてはやるな」
「全くだ」
 ベルの言葉に、ハグリッドは心底から頷いた。
「連中の近くに着いてからは、魔法は一時お預けにした。連中は魔法使いが嫌いだからな。それに、例のあの人もすでに巨人に死者を送っている可能性が高いとダンブルドアに忠告されたからな。死喰い人がどこかにいるかもしれんかった」
「いたのか」
「いた。マクネアだ……覚えとるだろうが? ビッキーを殺しに来たやつよ」
 あぁ、とベルが顎を上げて頷く。ハリー達は顔を見合わせた。
「戦ったの?」
「いいや。だが、そいつらのせいで、あまりうまくはいかんかった」
 ふーっ、とハグリッドが再び息を吐く。見えるところの傷はほとんど綺麗になったので、ベルもキッチンに腰掛けた。
「俺たちは、巨人に貢物を持って行った。尊敬の気持ちを表すためにな。んで、俺たちは約束を守るってことを証明するためにだ。俺たちは貢物を高々と掲げて、ガーグのカーカス───ガーグは巨人達の頭って意味だ───だけをしっかり見つめて、他の連中は無視して……ダンブルドアの教えて下すった通りにやった。1日目は上手く行った……あいつらは、自分たちに不利な魔法を使う魔法使いが嫌いなだけであって、魔法そのものは好きだからな。『グブレイシアンの火の枝』は大層気に入られた」
 わーっ、とハーマイオニーが歓声を上げる。ハリーとロンは何それと言わんばかりに顔を見合わせた。永遠の火だよ、とベルはそっと耳打ちしてやった。
「1日目は、2日目に話すための足掛かりだ。翌日も貢物を持ってきたら話してくれと頼んで、2日目はゴブリンの作った戦闘用の兜を贈った。で、約束通り、カーカスとは話せた」
「どうだった?」
 子供達が身を乗り出す。しかし、ハグリッドの表情は淡々としていた。
「だいたい聞いとったが……カーカスは、ダンブルドアがイギリスで最後の生き残りの巨人を殺すことに反対したっちゅう話を聞いたことがあってな。他にも数人、英語がわかるやつも興味を持ったみてえだった」
「何人くらい残ってるの?」
「八十人くらいか」
 ハーマイオニーの問いに、ハグリッドは「違うな」と首を横に振った。
「今はもう、さらに減って、六十人くらいか……2日目の晩に、殺し合いが起こったからな」
 子供達が息を呑んだ。ハグリッドは、あくまでも静かに言葉を並べた。
「一緒に暮らすようにできてねえんだ、連中は。数週間ごとに違いを半殺しの目に遭わせる。食いもんだ、一番いい火だ、寝る場所だってな……自分たちが絶滅仕掛かっているっちゅうのに……カーカスの頭は、翌朝、湖の底に沈んどった」
 ハーマイオニーが信じられないといった素振りで口元を手で塞いだ。
「いや、最初のガーグと友好的に接触して2日後に頭が変わるたあ思わなんだ。そんで、新しいガーグのゴルゴマスは、俺たちの言うことに興味がねえ。貢物を持ってった途端、足を掴まれて逆さ吊りにされとった。オリンペが今までで一番の早技で呪文を唱えてなかったら、ダメだった。実に冴えとったわ……俺を掴んでた二人の両目を結膜炎の呪いで直撃だ」
 初手で目を狙うとは、えげつない。ベルは思ったが、口には出さなかった。
「だが、連中の嫌いな、連中に不利な魔法を使ったってんで、もうあとは逃げるしかねえ。しかし、ダンブルドアがお任せ下すったのに3日で帰るわけにはいかねえから、策を練り直した」
「ゴルゴマスと対立している巨人に接触したのか」
 ベルの言葉に、ああ、とハグリッドは短く頷いた。
「まもなく、ゴルゴマスのところにマクネアが来とったのが分かった……いや、オリンペが奴らに飛びかかろうとするのを止めるのに苦労したわい。怒るとすごいぞ、オリンペは」
「誰だって怒るとすごいさ。で、ゴルゴマスはお前達のことをマクネアに話したか?」
「あぁ、接触せんようにするのが一苦労だった。ダンブルドアは、できれば死喰い人には関わるなと仰せだったからな」
「ゴルゴマスをガークにしたくなかった連中は説得できたのか」
「話はできた。が、その後に、ゴルゴマスが奴らの隠れてた洞穴を襲撃してな。それからは一切、俺たちに関わろうとせんかった」
 ベルは嘆息した。
「じゃ……じゃ、巨人は一人も来ないの?」
「来ねえ」
 ロンの言葉に、ハグリッドが端的に返す。その一言は、いやに重たく、小屋の中に響いた。
「だが、やるべきことはやった。ダンブルドアの言葉は伝えたし、耳を傾けた巨人もいた。ゴルゴマスのところにいたくねえ連中が、もしかすると山を下りて、来るかもしれんが……
 沈黙が小屋に降りた。ハーマイオニーは何か聞こうとしているのか、何度か口を開閉させていた。それを横目に、ベルはあくまでもなんでもない風に、ハグリッドに聞いた。
「あんたの母親のことは何かわかったか」
「あぁ……何年も前に死んどったよ。連中が教えてくれた」
 ハーマイオニーが音を立てて固まる。ベルは静かに、そうか、と返した。
「私も少し母のことを調べたよ。風俗で日銭を稼いでいたらしい」
……そうか」
 ハグリッドはそれ以上何も言わなかった。ベルも何も言わず、紅茶を飲み干して、キッチンのシンクに静かに置いた。直後、カーテンの隙間から外を見たベルは、すぐさま鋭い声を放った。
「ハリー、ロン、ハーマイオニー、マントを被れ」
「えっ?」
「アンブリッジだ」
 三人の動きは素早かった。弾かれたように立ち上がり、一番広いスペースに集まって、あっという間に透明マントを被った。ベルは三人のマグカップを杖の一振りで消失させた。
 目を白黒させているハグリッドに、「新しい先生だ」とベルが一言告げた直後、ドンドンドン、と激しく扉がノックされる。
 ベルは一つ大きく息を吐いて、戸に飛び掛かるファングを下がらせ、戸を引いて開けた。
 アンブリッジが立っていた。緑のツイードのマントに、お揃いの耳覆い付き帽子を被っている。
「こんばんは」
「こんばんは、アンブリッジ先生」
 ベルはにこやかに笑って、半身を引いてアンブリッジを招き入れた。その背後で、ハリー達の方に杖をちょっと動かし、三人の気配を完璧に消した。
「それで、あなたがハグリッドなの?」
 ずかずかと小屋に押し入ったアンブリッジは、ジロジロと部屋中を品定めするように見回しながら言った。ハグリッドは大義そうに立ち上がり、少々困惑しながら言った。
「あー……失礼だとは思うが、どちらさんで?」
「私はドローレス・アンブリッジです」
「ドローレス・アンブリッジ? 魔法省の……ファッジのところで仕事をしてなさる人じゃねえですかい?」
「大臣の上級次官でした。そうですよ」
 アンブリッジは小屋の中を歩き回り、ありとあらゆるものを観察し始めた。
「今は闇の魔術の防衛術の教師ですが」
「そいつあ豪気なもんだ。今じゃ、あの職に就く奴はあんまりいねえ」
「それに、ホグワーツ高等尋問官です」
「ホグワーツ高等……そりゃなんですかい?」
 顔を顰めるハグリッドに、アンブリッジは答える気がないようだった。
「あなた、どこに行っていたの? 学校は二ヶ月前に始まっていたのよ。あなたがどこにいるのか、お仲間の先生は誰もご存知ないようでして。連絡先も置いていかれなかったようですし」
「あー……ちっと……えー……
「フランスに」
 ベルが助け舟を出した。
「ああ、そう、フランスだ。南の方にな、ちょっと海に……なんて言ったか……
「ニースだろ」
「それだ」
 ベルは片頬だけで笑った。アンブリッジがジロリとハグリッドを睨め付ける。
……その割には日焼けしてないわね」
「あぁ、俺はちっと、肌が弱いもんで」
「そう……山にでも登って遭難したのかと心配しておりましたわ」
 全く心配していないつっけんどんな口ぶりで言うアンブリッジに、この場にいた全員が悟った───こいつ、知っている。
 ハグリッドは「山?」と鸚鵡返しに、キョトンとした顔で言い、ベルの方をチラッと見やった。
「山なら寧ろこいつでしょう、こいつの故郷はそりゃもうえれえ山が連なってて」
「とにかく、大臣にはあなたが遅れて戻ったことを報告します」
「あ、あぁ」
 アンブリッジの勢いに押されて、ハグリッドが頷く。
「それに、高等尋問官として、私は同僚の先生方を査察するという義務があることを認識していただきましょう。ですから、間も無くあなたにお目にかかることになると申し上げておきます」
 アンブリッジはくるりと向きを変え、戸口に向かって闊歩した。
「魔法省はね、ハグリッド、教師として不適切な者を取り除く覚悟です。では、おやすみ」
 アンブリッジが出て行き、戸を閉めた。
 誰かを突然訪う時間帯についての常識はなくとも挨拶はできるらしい、とベルは内心やれやれと溜息をついた。
「まだ脱ぐなよ」
 アンブリッジが城に戻っていくのを、ハグリッドとベルは二人してしっかりと確かめた。
「なんと……査察だと? あいつが?」
「そうなんだ」
 ハリーが透明マントから顔を出しながら言った。
「もうトレローニーが停職候補になったよ」
「あの……ハグリッド、授業でどんなものを教えるつもり?」
 ハーマイオニーが心配そうに聞いた。一転、ハグリッドは嬉しそうにニッコリ笑った。
「おう、心配するな。授業の計画はどっさりあるぞ。ふくろうの年用に取っておいた動物がいる。特別の特別だ」
「えーと……どんなふうに特別なの?」
「教えねえ。びっくりさせてやりてえもんな」
 ハーマイオニーは切羽詰まった表情になった。
「アンブリッジは、あなたがあんまり危険なものを授業に連れてきたら、絶対気に入らないと思うわ」
「危険? バカ言え、お前達に危険なものなんぞ連れてこねえぞ!」
「ハグリッド、アンブリッジの査察に合格しなきゃならないのよ」
 ハーマイオニーが真剣に言った。
「そのためには、ポーロックの世話の仕方とか、ナールとハリネズミの見分け方とか、そういうのを教えているところを見せた方が絶対いいの!」
 いやあ、それでもマルフォイとかのタレコミですぐに露見するだろうなあ、とベルは若干遠い目になった。
「だけど、ハーマイオニー、それじゃ面白くもなんともねえ」
「アンブリッジは、ダンブルドアに近い先生方を追い出すための口実を探しているのよ! お願い、ハグリッド、OWLに必ず出てくるような、つまらないものを教えてちょうだい!」
 しかし、ハグリッドは大欠伸をして、取り合わない素ぶりを見せた。
「さあ、今日は長い一日だった。それに、もう遅い。ええか、俺は大丈夫だ。ほんで、お前さん達の授業用には、本当にすんばらしいやつを持ってきてる。任しとけ……さあ、もう城に帰った方がええ。足跡を消すのを忘れるなよ。ベル、お前さんもだ」
 こんな吹雪の中を帰らせるのかい、とベルはハグリッドをちょっとだけ信じられない気持ちで見やったが、仕方がないと杖の一振りで荷物をカバンに詰め込んだ。
 ベルはハリー達を先に行かせ、消却呪文で足跡を消しながら、荷物を引きずって念入りに証拠を隠滅した。
「ハグリッドに通じたかどうか怪しいな」
 ロンが言った。
「だったら私、明日も来るわ。いざとなれば、私がハグリッドの授業計画を作ってあげる。トレローニーがアンブリッジに放り出されたって構わないけど、ハグリッドは追放させやしない!」
 おう、その意気だぜ、とベルもマフラーの下で同意した。
 どちらにしろ、ハグリッドが何かしら森に隠しているのは事実らしい。ベルは何が出てきても驚かねえぞと心に決めて、明日の森の探索に備えることにした。

 ───あ、その前に、校長室寄っとくか。

 ベルはミセス・ノリスとフィルチに見つかりませんようにと十字を切った。

 日曜の朝、何事もなく、ベルは久し振りに一人用のベッドで目を覚ました。ハグリッドのベッドはベルにとってはダブルベッド以上なので、なんだか狭く感じる。
 朝一番に畑や生き物の世話をしてから、ベルは広間で遅めの朝食を摂った。一晩で随分と雪が積もったので、昼からは雪かきや雪を溶かす作業が待っている。誰かが置き忘れていった新聞を片手間に読みながらのんびりと食事を済ませ、ベルはしっかりと防寒し、城の外に出た。
 先に雪かきをしようかと思ったが、ハグリッドが何を隠しているのかが気になる。また怪物に近い魔法生物を連れて来ていて、授業に出そうとしているのなら、全力で止めなくてはならない。
 昨日まで寝泊まりしていた小屋に行くと、ハグリッドの姿はなかった。ベルは雪にハグリッドの足跡を見つけたので、それを追いかけることにした。
 足跡はところどころかき消したような跡があったが、たかだか足跡を分かりにくくしたくらいでベルの追跡を逃れられるはずも無い。ベルは念の為に自分の足跡の痕跡を消しながら進み、やがて、随分と奥まったところにまで歩を進めた。途中から獣道さえなくなり様々な蔦や生い茂る植物が行く手を阻もうとする。ベルはちょっと迷って、手近な木にひょいと掴まり、ある程度の高さまで登ると、次いで枝から枝へとひょいひょい跳んで移動した。
 しばらく進むと、ベルはハグリッドを見つけた。そして、ハグリッドが話しかけているらしいものの全容を視界に収め、───あんぐりと口を開けた。
 巨人である。六メートルほどもある。ハグリッドは必死に、「な? グロウプ、いい子だ。な?」と声をかけている。
 身内か、とベルは敏感に悟った。
 声を掛けようとして、ベルはしかし、思いとどまった。
 今すぐ踵を返して、なにも見なかったことにしたい気持ちがふつふつと湧き上がっていた。おそらくグロウプという名前の巨人は、いやいやをするように腕を振り回し、ハグリッドを傷付け、周囲を更地にしていた。何事か唸り声のようなものを上げ───おそらく巨人特有の言語なのだろうが───何事か訴えているようである。
 それでも、ハグリッドは、必死にグロウプを世話しようとしていた。
 ベルは枝の上でしゃがみこみ、腕を組んで、深々と溜息をついた。
 果たして、ベルは軽い音を立てて、ハグリッドの傍に着地した。ベルに気付いたグロウプが目を丸くして、動きを止める。何事だとグロウプの視線を追いかけて後方を振り返ったハグリッドは、「ベル!」驚いてピャッと飛び上がった。
「よう、ハグリッド」
「お、お前さん、どうしてここが……
「森で私に見つかりたくなかったら、もうちょい頑張らねえとな」
 ベルは顎でグロウプを示した。
「誰だ」
「あ……あー、グロウプだ、俺の弟で……父親は違うんだが……グロウプ、こいつはベルだ、ベールー! 言いやすいだろうが?」
 グロウプはぱちくりと瞬いただけで、なんの反応もしなかった。
「英語が分からんらしいな」
「そのうち分かるようになる、今教えとるとこで……
「ハグリッド」
 ベルはハグリッドに向き直った。
「弟を連れてくるのを、森に対して先に知らせたか?」
「ん、ん? いや、そんなことは……別に構わねえだろうが、森は皆のものだろう」
「だとしても先に成立している生態系があるならそれに対して敬意を払うべきだ。ケンタウロスが嫌がるから言わなかったんだな?」
 ハグリッドは黙り込んだが、ややあって、「やっこさんらはなんでもお見通しだろう」難しい顔でボソリと言った。
 ベルはやれやれと嘆息した。
「これじゃそのうち森の一部が禿げちまわァ。移動させよう。弟だろ? 野ざらしにしてやるなよ」
 ハグリッドはベルがそれ以上怒らずにさっさと踵を返したことにポカンとして、少し戸惑ったようだったが、先を行き始めたベルを見て、慌ててグロウプを促した。グロウプはなかなか動かなかったが、やがてハグリッドに押されるようにして歩きだし、めきゃめきゃと木々を薙ぎ倒しながら進んだ。
 ベルはできるだけ木々の間が広い場所を選びながら進んだ。しばらく歩くと、地面に傾斜がつきはじめた。岩場も多くなり、ベルは時折ハグリッドとグロウプがついてきているか振り返って確かめながらゆっくりと進んだ。
 目的地に到着し、ベルはひょいと跳躍して一段上にある岩場に立った。
 ここだよ、と身振りで示すと、グロウプはハグリッドに促されずとも自らその洞穴に入っていった。
「なんてやつだ、ベル、お前さんってやつは、」
 ハグリッドも慌ててグロウプの後を追う。ベルはコウモリのように洞穴の入口を上から覗き込んだ。グロウプは洞穴の奥の方で、早速寝そべっていた。
「おっ、意外にピッタリだな」
「まったくだ、まるで誂えたようじゃねえか……なあ、良かったなあ、グロウプ、え?」
 ハグリッドがグロウプに構っている間、ベルは洞穴の周囲にマグル避けの呪文と簡易な結界を刻んだ。これで獣の類も近寄らなくなるはずだ。
 ベルの作業が一段落する頃、ハグリッドもグロウプに別れを告げて、洞穴から外に出た。ベルも最後に「じゃあな」と声をかけ、ハグリッドと共に元来た道を進んだ。
「あそこは去年、シリウスが使った洞穴だ。ダンブルドアも知ってる」
「なんと、そうだったのか……あすこにあんな洞穴があったとは……
「これからはあそこに通えよ。森が荒れねえならケンタウロス達も文句は言わねえだろう」
 でもな、とベルは幾分か声を落とした。
「ダンブルドアには、あんたから言え。いいな」
……分かった」
「今日行けよ。雪かきはやっといてやるから」
「うん、そうだな、善は急げだ……すまんな、ベル……お前さんが居てくれて俺ァ……
「分かった分かった」
 二人は行きより倍の速さで森を進み、昼過ぎには城に辿り着いた。ベルは城に行くハグリッドを見送って、厩舎に移動した。屋根に積もった雪を下ろす前に、中にいる動物たちの様子を確認しようと、中に入る。
…………何これ?」
 真っ先に視界に入ったのは、山盛りのパフスケイン。そして、大量のパフスケインに埋もれて、もとい潰されている人間だろうものの、足。
 ベルはスゥ、と息を吸い込んで、「コラッ!!」一喝した。ワッとパフスケイン達が飛び上がって、いっせいに自分たちの寝床へぴょいぴょい飛び跳ねてゆく。
 パフスケインに押し潰されていたのは、なんとセドリックだった。セドリックの周りにはパフスケイン用の夜用の餌がぶちまけられている。傍にはほとんど空になったバケツが転がっていた。
「やられたねえ」
 ベルはにやりと笑って手を差し出した。セドリックは気まずそうな顔でベルの手を取って起き上がった。
「ごめん。君の真似をしようと思ったんだけど」
「優しいから舐められてんのよ」
 杖を一振して、ベルが餌をバケツに戻す。ベルはそれを魔法生物達では届かない所に置いた。
「頭打ってない?」
「大丈夫」
「可愛い顔でおねだりされたんだ?」
「まあ、そんなとこ……
「ふふ」
 ベルはざっと厩舎を見渡した。どうやら昼食はほとんどの魔法生物達に行き渡っているようである。
「うーん、あとは雪かきだけど見た。ちゃっちゃと終わらせてくるね」
「手伝おうか?」
「いいの?」
 もちろん、とセドリックが頷いたので、二人は外に出た。ベルが梯子を杖で手繰り寄せ、二人で天井に積もった雪の上に上がる。
「落ちたら最悪死ぬから気をつけてね」
「あっさり言うなあ」
 二人は雪を魔法で切り裂き、ヒビを入れ、少しだけ押した。ドサドサドサ、と雪の塊が落ちて、こんもりと山を作る。ベルは屋根の高さになったそれを魔法で加工し、滑り台にした。ベルの後にセドリックが滑り台を滑って地面に立ったのを確認すると、ベルは梯子をしまい、滑り台を呪文で消失させた。
「すごいな……
「昔ハグリッドがやってくれてね。秘密だよ」
「残しておかないの?」
「一年生達が屋根から落ちて頭打つかもしれないから」
 二人は雪と格闘しながら飼育場へ移動した。切り裂き呪文で積もった雪を加工し、浮遊呪文で浮かして脇に避けるのを繰り返す。セドリックは至極当たり前の顔をして浮遊呪文を無言でやってのけたので、ベルは「おおー」と感嘆した。無言で試した切り裂き呪文は、縦ではなく斜めになってしまったが。
「熱風の魔法で溶かさないの?」
「うん、溶かした傍から凍るからね」
「あ、そっか」
「それに、冷たいのと暑いのに交互にやられたら芝生が死ぬから」
「なるほど」
 飼育場に到着した二人は、手際よく柵に囲われたエリアから雪を掻き出した。こんもりと積もった雪山を目ざとく見つけた他の生徒たちが、我先にと突っ込んで、きゃあきゃあはしゃぎながら雪合戦を始める。ベルとセドリックは切り裂き呪文を使うのはやめて、スコップで残りの雪かき作業をすることにした。万が一生徒に当たったら処罰だけでは済まないからだ。
 ベルが夕方までかかるだろうと思っていた作業は、セドリックのおかげで、予想よりも数時間早く切り上げることができた。二人は、きゃあきゃあはしゃぎながら行き交う生徒たちを横目に城に戻り、広間で一息つくことにした。
「はー、助かったよ、セド。ありがと」
 瞬きひとつで現れたホットココアをちびちび飲みながら、ベルは気の抜けた顔で笑った。セドリックも「どういたしまして」と微笑んで返す。
「ハグリッドには会った? 昨日帰ってきたみたいだって聞いたけど」
「うん、ちょうど寝る前くらいに帰ってきた。だから私、昨日は寮で寝たんだ」
「そうなの? 君が戻ってないって噂になってたけど」
「戻ったよ。みんなが寝た後に戻って、みんなが起きる前に出たからな。そりゃ誰とも会ってないさ。あ、でも血みどろ男爵には会ったかな」
 寮の入口を潜る前にすれ違ったので、いつものように目礼したのだ。
「それがどうしたの? アンブリッジに誰かがチクった?」
「かもね」
 セドリックは肩を竦めた。
「君に会う前に、アンブリッジが校長室の方に行くのを見たから。その後、まあ、スリザリンの生徒に、いろいろ言われて……大したことじゃないけど……君を早く探したくて、パフスケインに頼ろうと思ったんだ。君によく懐いてたし」
「森番の代理って仕事を上がっていいか、私がダンブルドアに確認しないとでも思ったんかね、アンブリッジは」
 セドリックがまじまじとベルを見やる。ベルは肩を揺らしてにやりと意地悪く笑った。
「当たり前だろ? 報告と連絡と相談は仕事の基本だよ」
「じゃ、アンブリッジは、君の潔白を知っている人のところに、わざわざ飛び込んで行ったってわけだ」
「そゆこと。大体、だったらどうして私を寮に送って行こうとしなかったんだか」
「、え? アンブリッジがハグリッドの小屋に来たの?」
「来たよ」
 ベルはさりげなく辺りを見回して、セドリック以外には聞き取れない程度の柔らかな低い声音で昨日の一部始終を端的にまとめて語って聞かせた。
「そうか……ハグリッドも大変だったんだな……
「ハグリッドにしかできないことだったさ」
 二人はしばらくの間大広間に居座って、おしゃべりを楽しんだ。ベルはそこで初めて昨日のクィディッチ戦の話を聞いた。グリフィンドールが勝ったがハリーとジョージがマルフォイの挑発に乗ってしまい、アンブリッジにクィディッチを終身禁止されたという事件の話だった。マルフォイがハリーとウィーズリーの母を馬鹿にしたのだという。同じようにマルフォイに飛びかかろうとしていたフレッドも箒を取り上げられたのだと知って、ベルは終身とかいう規模の大きい言葉を選ぶところが「らしい」という感想以外にまともな言葉が浮かばなかった。
 夕飯時になるとセドリックの友人達がどやどやと大広間に顔を出したので、ベルも誘われて、一緒に食事を楽しんだ。一同は寮に戻るまで一緒だったが、ベルは少しだけ意図して集団の後ろの方を歩き、ハッフルパフ寮の前で皆と別れる直前、勇気を出してセドリックの頬に口付けた。セドリックも微笑んで同じように口付けを返し、ベルはふわふわした気分をそのままにしたような表情でおやすみを言って、寮への道を一人、小さく音符を飛ばしながら進んだ。


 週明けから、ベルは不思議な感覚に見舞われた。寮の部屋で目を覚ますのがおおよそ二ヶ月ぶりだからか、もうすぐクリスマス休暇だという気分になれなかったのだ。ベルはちょくちょく、まだあと二ヶ月は学期が続くような錯覚に陥っていた。
 しかし、ハグリッドが戻ってきたので、ベルは自分の課題やDAのメンバーに割く時間を増やすことができた。ハリーはクィディッチを禁止されてしまったからか、以前よりも綿密に授業計画を立てるようになっていた。誰が誰に教わるかというマネジメントにも手を出しているらしく、ベルはちょっとどころでなく感心した。
 クリスマス休暇前に、これまでの練習の成果を共有しようということで、DA軍団は久し振りに必要の部屋へ集まった。
 皆かなり上手くなっていた。ジニーなどはベルが熱心に教えたせいで、いっそ兄達を圧倒していた。年長組は技に磨きがかかり、無言呪文に挑戦するメンバーもかなり増えた。
「だいたい、順番が分かったよ」
 練習の合間に、アンジェリーナは朗らかにベルに話しかけた。
「まず、ハリーと練習する。その後、君と練習する。で、君に言われて分からなかったところを、セドリックに教えてもらう。これで私の失神術は完璧になった」
 直後、フレッドが見事に無言で失神させられ、クッションの海に倒れ込んだのを見て、ベルは心底からの敬意を込めて拍手した。
 チョウ・チャンなどの年中組は、無言呪文に挑戦できないまでも、確実に呪文の成功率が跳ね上がっていた。
 そして、年少組で目覚しい上達を遂げたのは、間違いなくネビル・ロングボトムだった。ハリーとセドリックのストップが掛かっていたので、ベルはまだネビルを教えたことはなかったが、年明けからはネビルを教える機会も増えるかもしれない、とベルはちょっとだけ楽しみになった。
「よし、みんな、随分上手くなった」
 練習の最後、解散間際に、ハリーはちょっとだけ悪戯っぽく言った。
「休暇から戻ったら、なにか大技を始められるだろう───守護霊とか」
 生徒達は待ってましたとばかりに声を上げた。皆メリークリスマスと言い合って、バラバラに必要の部屋を後にした。
「淋、休暇はどうするか決めてる?」
「んー……ホグワーツには残らないかな……でも、今年は鍋うどんをするっていうのは、決めた」
 神妙な顔をして言う淋に、セドリックは思わず吹き出した。
「そっか。ホグワーツに残らないとしたら、どこに行くの?」
「ロンドンかな」
 淋は言葉を選んだが、セドリックは淋の意図を正しく受け取った。
「何人か、遊びに行くならいいんだけどね。でも、こっちは家族で過ごすでしょう。あのひと、ひとりだから」
「そうだね。確かに……
 思案するような素振りのセドリック。ベルは瞬いて小首を傾げた。
「どうかした?」
「うん……うーん……実は、君をクリスマスに僕の家に招待しようかと思ってたんだけど」
「え!」
 ベルは目を丸くして思わず立ち止まった。単純に招待が嬉しい気持ちと、家族との時間にそんな、という気持ちが同時に沸き起こって、ベルの表情をころころ変える。
「行きたい、でも申し訳ない……家族の時間なのに……うーんでも嬉しい……うぬぬ……
 ベルが百面相をしながらうろうろしだす。セドリックは苦笑した。
 手紙でベルの招待について家族に相談したときも、父は招待に賛成だったが、母は彼女が気遣うかもしれないし、何よりウィーズリー家や、他の家で過ごしたいんじゃないかと心配していたのだ。どう切り出したものか迷っているうちに休暇直前になってしまったので、ベルに他の予定が入っていても仕方ないよなと、セドリックは半ば諦めていた。
 しかし、彼女がホグワーツを出るなら、休暇中にも彼女と会える。
「じゃ、クリスマスに、ダイアゴン横丁で待ち合わせるかい? その、両親が一緒かもしれないけど」
「!」
 パッと目を輝かせたベルがコクコクコクと頷く。
 セドリックとベルはほんわりと暖かいものを胸に、その日は眠りに着いた。翌朝もその温もりは変わらずそこにあったが、二人がほんの少し浮かれていられたのは、ダンブルドアから、アーサー・ウィーズリーが襲撃されたとの報せが届くまでだった。