桜霞
2024-10-23 01:33:35
91531文字
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魔法歳時記 4

オリジナル主人公:
淋(リン)
あだ名はベル。家名は無い。16歳。日本人だが、彫りの深い顔立ちに灰がかった青い目の美少女。
小さい頃から山の獣や人外に囲まれて育った。
自分の顔の良さには気付き始めたが、破壊力には気付いていない。

 七月。
 朝の気配を感じて、ベルはパチリと目を覚ました。
 むくりと起き上がり、ベルの体を鼻の頭まで覆っていた毛布を引き剥がす。ほう、と息を吐いて、ベルはまだ薄暗い周囲を見遣った。針葉樹の木々が緩やかな起伏にずらりと並び、恐ろしい夜の影が丘向こうの朝日に追い立てられて、急ぎ足で西へと向かっている。
 ベルは荷物を持つと、まだ眠そうな顔で獣道を進んだ。足元の草むらで小さな獣達が動き始めている気配を避けながらしばらく歩くと、突然目の前が開けて、こぢんまりとした湖が現れた。
 ベルは周囲に人の気配が無いことを確かめると、手早く全ての服を脱ぎ、杖を咥えて湖に飛び込んだ。いくらか泳いで水面に顔を出すと、ちょうど湖を朝日がサァッと照らすところだった。ベルは眩しさに目を細め、再び水中に潜った。泳ぎながら頭皮などを指で擦ってある程度の汚れを落とし、体が冷え切る前に湖から上がる。魔法でさっと体を乾かし、新しい服を着て、古い服は魔法で出した水球の中に放り込んだ。水球が服を掻き回して洗濯しているうちにその辺から落ちている小枝を集め、火をおこす。荷物からパンと肉の干物を取り出し、軽く炙って、ベルは「頂きます」と片手を立てた。
 もぐもぐしている間に、水球から洗濯物を取り出し、宙に並べる。直後、ベルの杖からドライヤーのような熱風が勢いよく吹き出し、全ての洗濯物をあっという間に乾かしてしまった。
 服を片付けながら、ベルは生地の様子を確かめた。そろそろ水だけで洗濯するより、洗剤も使わないと生地が傷みそうな頃合だった。

 ───そろそろチャーリーのところに戻ろうかな……

 ベルはくわりと欠伸をした。即席の朝食はとっくにベルの胃に収まっていて、ベルは湖から少しだけ水を頂いて煮沸消毒をした。魔法で熱湯を冷まし、水筒に入れたそれを荷物に詰め込んで背負う。
 水球を崩すついでに火の始末をして、ベルは荷物を背負って立ち上がった。直後、どこか、森の奥の方から、ぼんやりと風の唸り声のようなものが聞こえる。
「はー、やれやれ……
 ベルは魔法のザックから箒を取り出し、慣れた仕草で跨った。地を蹴ってふわりと浮いたベルは、徐々にスピードを上げ、次々と木々を避けながら森の奥へと真っ直ぐに進んでいく。
 やがて普通の人が来ないような森の最奥で、ベルは自分の十倍をゆうに越えた大きさの、翼を持つ爬虫類と遭遇した───ドラゴンである。
「ベル!!」
 ヒィ、と悲鳴を上げながら走る男の背は燃えていた。ベルは魔法で水をぶっかけてやると、男を浮かして、草むらのベッドに寝かせてやった。
 鎖に繋がれたドラゴンはまだ猛り狂っている。それを取り囲むようにしている魔法使い達は、ざっと十人ほど。ベルはキョロキョロと辺りを見渡して、草むらに転がった一抱えほどもある大きな卵を見つけた。
 よっこいしょ、とベルが抱えると、それを見つけたドラゴンがそれを寄越せとばかりに吠え立てる。
「はいはい今行きますよ……ここでしょ、ここに戻しゃいーんでしょ、ハイハイ……
 よっこいしょ、と巣の中に卵を戻したベルに、ドラゴンが唸ってベルと巣の間に頭を割り込ませる。ベルが「すまんね」と鼻面をぺしぺしと叩くと、ドラゴンはフン、と鼻穴から煙を出した。半眼でベルを見遣った後、瞬いて羽を折りたたみ、卵を守るようにして蹲る。
 ベルは箒を担いでドラゴンの巣から踵を返した。じゅうぶん距離を取ったところで、赤毛のそばかす男が駆け寄ってくる。
「ベル! 大丈夫か?」
「うん、大丈夫。おはよう、チャーリー」
「おはよう。いや、流石だな。こんなに手早く事が治まるなんて……すっかり懐いたな?」
「懐いてないよ」
 ピシャリと言い切るベル。チャーリー・ウィーズリーは片眉を跳ねさせたが、何も言わなかった。代わりに、ンン、と咳を払う。
「あー、今日は拠点に寄るよな?」
「うん。いろいろ補給もしたいし」
「それに、手紙も書かなくちゃな。さっき、ヘドウィグ達がウチに来た。今は休んでるよ」
「ランチはキャンプで食べるよ」
「キッチンに連絡しておくよ」
 チャーリーがニッコリ笑う。ベルも頬を緩ませ、差し出されたチャーリーの腕を掴む。瞬きひとつ、ベル達は姿をくらませた。
 後には、静かに辺りを警戒するドラゴンと、それらを見守る針葉樹の木々───そして、黒々としたルーマニアの森が、いつもの朝を迎えていた。

 そう。ルーマニアである。

 例年どおりなら、イギリスはロンドンにあるダイアゴン横丁のパブ兼宿「漏れ鍋」のすみっこで、ベルは夏季休暇課題と取っ組み合いを繰り広げているはずだった。ところが今年は漏れ鍋で過ごし始めて三日も経たずに、ダンブルドア、スネイプ、ハグリッド、そして魔法大臣コーネリウス・ファッジという錚々たる顔ぶれに取り囲まれ、何が何だか分からないうちにルーマニアのドラゴン保護区へ連れてこられたのである。
 何故ルーマニアに居るのか、ベルにもよく分かっていなかった。どうしてルーマニアでドラゴンの世話や森の世話を手伝ってやらねばならんのかといくら問い質しても、大人達はベルに何も言わなかった。
「先生達は森番が他所の土地に嫌われるってことを何にも知らないしよく分かってないんだ!! ドラゴン!! しかも四体!!」
「素晴らしい機会じゃねえか、ベル、え?」
「ハグリッドを連れてけよ!!」
「俺にはホグワーツでの仕事がある。授業の準備もせにゃならんし……
「私だって宿題がある!! この人からの宿題をなんとか1ヶ月で間に合わせるのに私が毎度どれだけ苦労してると思ってるんだ!!」
 スネイプに指を突きつけるベル。ダンブルドアは、顰め面しい顔で頷いた。
「うむ、きみの苦労は大変よくわかっておるつもりじゃ。そういうわけで、ベル、きみの宿題はこの夏免除となった。加えて、君が既にトムに支払っていた宿代は、全て学園および魔法省が立て替える」
「そんなはした金の心配をしてるんじゃねえーーーっ!!」
 ドッカン、と爆発したベルに、ダンブルドアは「おお、」と感心し、ハグリッドは「落ち着け!!」とベルを押さえ込み、スネイプはピクリとも表情を動かさなかった。だが、ベルにはスネイプの顔にハッキリ「はよ終われ」と書かれているのを間違いなく見た。
……八月には日本に帰りますよ、私は」
「今回の研修の目的は、きみが来学期、ホグワーツでハグリッドの手伝いをするのに、怪我をせんようにするためのものじゃ。ルーマニアのドラゴンキーパー達が問題ないと判断すれば、飛行機をキャンセルせずとも良い」
「何が何でも絶対帰ってやるからな!!!!」
 ドッカン。爆発、再び。ダンブルドアは神妙にその意気じゃと頷いた。
「なーにがその意気じゃ、だあのトンチキじーさん……無給でやらせていいことじゃねえからなこれは……
 ブツブツ言いながら、ベルは荷造りをし、手紙でハリーに「今年は助けになれん、すまん」と謝り、ウィーズリー家とハーマイオニーに後のことを託し、ルーマニアへと足を踏み入れたのだった。
 ルーマニアの森に入ってから、ベルはこれこそが地獄だという日々を味わった。魔法使いたちは森を管理しようとして、自分たちの定めた枠から外れた途端に動植物に魔法をかけていた。ベルに言わせれば、こんなのは傲慢以外の何物でもない。森は自然のあるがままの姿でいさせるべきで、人間が手を出していいのは人里との境界を守る時、そして森の秩序が崩れそうになった時だけだ。
 それなのに魔法使いたちは十人がかりでドラゴンの縄張りに忍び込み、住環境に勝手に手を出して、あまつさえ鎖で繋いで皮を剥ごうとしている。
 この環境を目の当たりにしたとき、ベルは絶句し、ヒーッと喉が潰れたような細い悲鳴を上げた。しかしベルの立場では大人たちの方針に口を出せることは少ない。ベルは心臓が潰れる思いで最初の二日間を過ごし、もう泣きそうだった。これなら故郷の森で殺気に晒されながら過ごす方がまだマシだとさえ思った。
 転機が訪れたのは三日目だった。ドラゴンキーパー達全員と顔見知りになり、ホグワーツから来た真面目な日本人の生徒、という印象が広まってほどなくして、その時は来た。
 とあるドラゴンが、何事かにプッツンとキレて、大暴れしたのである。いつもの事だったが、いつも以上に暴れたので、三十人ものドラゴンキーパーが導入された。ベルは拠点で待機するように言われたが、結局は怪我人の救助のために呼び出された。
 ベルは言われた通り応急処置に走り回っていたが、そのために避難の号令に気付けなかった。気付けば怪我人と取り残されており、ベルと怪我人の前にはドラゴンの頭が迫っていた。
 怪我人は、ベルと姿くらましをしようと、必死にベルに手を伸ばしたが、ベルはその手を払い落とし、すっくと立ち上がって、真正面からドラゴンと向き合った。
 この辺りのドラゴンは、全て人間に対し敵意を抱いている。自分達より矮小な生き物に辺りをちょろちょろされて、気分のいい生き物なんかそうそういない。
 しかし、ドクターフィッシュのように、己の利点さえ示し、或いは実力を認めさせることができれば、その寛大さを引き出すことができないわけではないのだ。ベルはそれを、生まれた時からその身に叩き込まれていた。
 ドラゴンが、す、と首を引く。ブレスが来る、と誰かが叫んだ。ベルはカッと目を見開き、杖を振り上げ、腹の底から呪文を叫んだ。
「───!!」
 ベルの落とした雷が、ドラゴンの咆哮をかき消した。
 仰け反ったドラゴンが、威嚇するように吼える。ベルは「いい加減にしろ!!」怒気を爆発させながら、もう一発雷を落とした。ドラゴンがたたらを踏んで、ベルから後ずさる。ベルは憤懣やる形ないといった風情でズカズカとドラゴンに近付き、躊躇わず、力一杯、首輪とそれに繋がる鎖を破壊した。魔法使いたちは悲鳴をあげたが、ドラゴンは飛び立たなかった。首輪の下に隠されていた炎症を、ベルが魔法で癒し始めたからだった。
 魔法使い達はこの隙に怪我人を拠点に運び、鎖と首輪を回収し、三人がかりで元の状態に戻した。
「ベル、足も見た方がいいか」
「ああ」
「分かった」
 険しい顔のままのベルに、しかしチャーリーは嫌な顔ひとつせず鎖を外し、足の皮膚に異常がないかどうかを確かめた。
「ドラゴンの皮膚でも荒れるのか……
「免疫が落ちてる。食べてるものが悪い。ということは、食物連鎖を遡って水やら土やらが良くない。あんた達がこの森のことをよく知りもせずに己らの常識の枠に当てはめようとするからこうなる……!」
 剣呑に目を吊り上げるベルに、しかし、魔法使い達は何も言えなかった。今までドラゴンが眠っている時以外で人間のやることを大人しく受け入れたのは、ニュート・スキャマンダー以来、これがほとんど初めてだったからだ。けれども、この土地での森番はベルではない。これ以上の手出しはできない。魔法使い達が色々と改めなければならないのだ。
「ニュート・スキャマンダーを見習えよ!! 遠くない将来、森ごと死ぬぞ!!」
 そういうわけで、ベルは最近出版された「幻の動物とその生息地」という本をドラゴンキーパー達に叩きつけた。
 それから数週間、見習い見学のはずのベルは、いろんな大人たちに引っ張り回されて、保護区じゅうを飛び回り、付き添いでやる姿くらましと姿現しの気持ち悪さにすっかり慣れてしまった。どこか陰鬱としていたルーマニアの森は少しずつ夏らしい明るい気配を取り戻し、ドラゴン達が癇癪を起こすのも一週間に一回起こるか起こらないかになった。
「君には本気で将来ドラゴンキーパーを目指して欲しいな……いや本気で……
 夕飯時、魔法使い達は代わる代わるベルを構いに来た。誰もベルが一人で一週間、森の中で野宿することに反対する者はいなかった。食糧は足りてるかとか、休みに行きたいところは無いかとか、いろいろ世話を焼いてくれた。
「ホグワーツを中退するようなことになっても俺たちはお前の味方だからな、何があっても拾ってやる」
「お、言ったな?」
「いや待て、やっぱり待て」
「馬鹿だなこいつスリザリンだぞ」
「スリザリン生の前で軽率に何があってもとか言うなよ、常識だろ」
「お前が言うのか、ベル!」
 ワハハ、と笑う大人達の片手にはビールが並々注がれたジョッキがある。ベル一人だけがバタービールを飲んでいた。
「しかし、本当に八月に日本に帰るのか?」
「うん、仕事があるし」
「日本人てのは皆ワーカホリックだって、本当なんだな。八月は旅行シーズンだろ、そうでなくとも今年はクィディッチのワールドカップだぜ!」
「早いやつはそろそろ会場に移動してる頃だな。チャーリーも行くんだろ?」
「ああ、家族全員でね」
 楽しんでこいよ、と皆が口々に言う。誰もがチャーリーの父で魔法省に勤めているアーサーの伝手でチケットを入手するのだろうことは察していたが、誰もそれを非難がましく言う者はいなかった。人徳だなあ、とベルはしみじみ思った。
「ベルも、休みらしい休みをすごすべきだぜ。ワールドカップに行くとか……
「私が買えるチケットなんかたかが知れてるよ。飛行機代だってバカにならないし」
「そうか……フレッドやジョージが誘うと思ってたんだけどな。母さんから仲がいいって聞いてたから」
 ベルは曖昧に笑って誤魔化した。ウィーズリーの双子は確かにベルとは友人だが、だからこそベルがあんまりクィディッチ観戦にそこまで興味が無いということを知っていた。
「でも、そのヒコーキってのに乗るために、ロンドンに戻る時に、友達と会うくらいはできるでしょ?」
 魔女のひとりが念押しするように聞いた。ベルは瞬いて、何かあるのかなと首を傾げながら「うん」と答えた。
「そうだね。誰かに何か渡さなきゃいけないものがあるなら預かるけど」
「大丈夫よ、そういうのじゃないの。今年はドレスを買わないといけないでしょ?」
「ドレス?」
「あら、学校からはまだフクロウは来てないの?」
「来てないけど……
 なんだってドレスなんて必要になるんだ、とベルは困惑した。周りの大人達は誰もが訳知り顔で互いを見やっている。
……なに。来年うちで何が起こるのよ。ドラゴン四体の世話にドレスが必要な催し物ってなに!?」
「そのうち分かるさ」
 チャーリーが生温い笑顔でベルをどうどうと宥めた。
「マリーが言いたいのは、友達と一緒の方が、ドレス選びは楽しいだろうってことさ」
 うぅ、とベルがむつかしい顔で唸る。
「これは、あれね。ドレスなんて何をどう選んだらいいのか分からないって顔ね」
「気軽に誘える友達がロンドンにすぐ出てこれるようなところにいないとかじゃないか?」
「やめろ!! どっちもだよ!!」
 ガオウと吼えるベルに、大人達は微笑ましい表情を崩さなかった。
「じゃ、私が一緒に行ってあげるわ。マグルの方法で行くより姿くらましの方が早いでしょ」
「それは大変助かります」
 何しろ交通費が浮く。ベルは深々とマリーに頭を下げた。
「でも、友達にも声掛けてみろよ。もしかしたらロンドンに出てきてくれるかもよ」
「うー…………そうする……
 大人たちがニッコリ笑う。ベルはむっつり口を引き結んだ。
 大人達がセドリックとベルが手紙のやり取りをしていることを知らない筈はなく、そしてベルがセドリックからの手紙を受け取るときだけはちょっとだけ雰囲気を和らげることに気付いていない筈もなく。
 そして、ベルは、大人達がセドリックとベルのことを勘づいていると、とっくの昔に気付いていた。ベルは恥ずかしくて暴れだしたいのを抑えながら、ベルに与えられた個室でセドリック宛の手紙を書いた。

「セドリック

 元気? 私は元気。
 森は日増しに良くなってる。優秀な魔法使い達がたくさんいると、こんなに効率的に物事が進むんだって、毎日驚いてるよ。皆良くしてくれるし、昔の授業の話や皆がどう勉強してたか聞くのも楽しい。最も、皆もうほとんど忘れてるみたいだけど。
 八月にクィディッチのワールドカップがある話も聞いた。セドリックは行く? もし行くなら、私のぶんまで楽しんでね。
 ところで、日本に行く前に、ダイアゴン横丁に行こうと思ってる。いろいろと荷物を揃えるつもり。良かったら一緒に買い物しない? ロンドンで会えたら嬉しい。

 淋」

 セドリックからの返事はすぐに届いた。

「りん

 君がどこも怪我してないなら安心だよ。僕も元気にしてるし、そう、ワールドカップにも行くよ。パパがチケットを買ってくれたんだ。何かお土産を持っていくから、楽しみにしてて。
 ダイアゴン横丁には、勿論行くよ! ルーマニアから直接日本に行くんだと勝手に思ってたから、すごく嬉しい。誘ってくれてありがとう。楽しみにしてる。日付が決まったら教えてね。

 セドリック」

 ───セドが会ってくれる!

 ベルは内心大喜びではしゃぎ倒した。セドリックに特別大切にしてもらっている自覚はあっても、会いたくないと思われたらどうしようという一抹の不安は燻ってしまう。ベルはぴょんぴょん飛び跳ねたかったが、大人達にからかわれたくないので我慢した。その代わり、ニマニマ顔はどうにもできなかったが。
「おっ、ベル、おはよう。何かいい事でもあったか?」
「うん! セドリック、会ってくれるって」
「そうかそうか、良かったな」
 ニマニマ顔だけでなく、嬉しい事も隠せなかった。今からはしゃいでいるのが声にも出ている。そんなベルを生温い眼差しで大人達は見守ったが、ベルは全く気にもとめなかった。そんなことより、セドリックと会える方が嬉しかったし、何倍も楽しみだったのだ。


 ホグワーツでもベルならじゅうぶんにやっていけるだろう、と判断され、ベルは八月に一時帰国することを許された。ベルはハグリッドにホグワーツの森で必要になるだろう準備を細々と書き連ね、キリリとした顔立ちのフクロウに分厚い封筒を任せた。
 ルーマニアで過ごす最後の日に、皆が送別会パーティを開いてくれたので、ベルは擽ったい気持ちでずっとテレテレはにかんでいた。何を褒められても嫌味じゃないよなと疑る自分が顔を出すのは止められなかったが、それでも素直に嬉しいと思えることがたくさんに増えたのは間違いなかった。
 飛行機に乗る日の前日に、ベルはドラゴンキーパーのマリーとダイアゴン横丁に姿現しをした。グリンゴッツ銀行で少しばかり金銭のやり取りをして、二人は漏れ鍋へ移動した。
「淋!」
 店へ入った途端に名を呼ばれて、ベルは驚いた。
「セド、んむ、」
「久し振りだ。元気そうで良かった」
 ひさしぶり、とベルはもごもご返した。セドリックが大きいので、抱き締められるとどうしても埋まってしまうようになる。
「セド、背ェ伸びたね……
「そうかな? そうかも」
 ニッコリ微笑まれて、ベルは胸がきゅうと引き絞られる音を聞いた。笑顔が眩しい。けれども、いつまでもボーッと固まっていられない。ベルは慌てて半身を引いてマリーを手で指した。
「あ、えーと、こちらマリーさん、ルーマニアでお世話になった魔法使いのひとりで、マリーさん、こちらセドリックです」
「よろしく」
 二人が名乗りあって握手する。その頃にはベルのトランクはとっくにセドリックの手の中にあった。ベルがあれ、と自分の周りを見回していると、「僕たちのテーブルに案内しますね」と空いている手でベルの手を引いた。
 楽しそうに跳ねる音符が見えるようである。パブの大人達は互いを見遣り、もにゅりと笑みを深めた。
「よう、ベル! ルーマニアはどうだった?」
「ア、うん、楽しかったよ」
「大変だったでしょう、宿題はいいの?」
「ウン、免除になった───」
「お荷物、お預かりしましょう」
「トム! ありがとう、」
「ようやく夏って感じね。後でフローリッシュ・アンド・ブロッツ書店には行くんでしょうね? 店主が心配してたわよ」
「うん、後で行く───」
 テーブルに着くまでに店の常連という常連に次々と話しかけられて、ベルはようやくセドリックの引いてくれた椅子に座った。
「随分と人気者だね、お嬢さん」
「エ、あ、えーと……いや……まあ……はい、皆さんにはよくして頂いてます……
 向かいになるように座っていた紳士にニッコリ微笑まれて、ベルは少し困惑しながらセドリックを見やった。
「僕の父だよ」
「!」
「エイモス・ディゴリーだ。息子がお世話になってるようで」
「こ、こちらこそ。えと、淋です、……あの、ベルって呼ばれてます、皆に……
「名前がベルの音だから? 面白いあだ名だ」
 ガッシリとした手で握手して、ベルはドギマギしながら浮いた腰をなんとか落ち着かせた。まさかセドリックのお父様と会うことになるとは思わなかったのだ。
「ごめんね、本当はひとりで来るつもりだったんだけど、ついて来るって聞かなくて」
「そりゃあ、噂のベル殿にお目にかかれるとあればどこへなりと飛んでいくさ」
「うわさ」
「いろいろ聞いているよ。君は魔法省でも評判だ。特にルーマニアのドラゴンキーパー達からね。私は魔法省の魔法生物規制管理部に勤めているから、君には是非一度会いたいと思っていたんだ」
「光栄デス……
 しかも、上司だった。ベルは緊張で肺すら働くのを辞めたのではないかと思った。
「父さん、知ってたの? ベルがルーマニアに居たって、」
「お前のガールフレンドと同一人物だと知ったのはつい最近だがな」
「ま、まりー、」
「うん? 紅茶が来たわよ、ほら、お飲みなさい」
 トムからティーセットを受けとったマリーがとてもいい笑顔でベルにカップを差し出す。

 ───知ってたな!!

 裏切り者!! という顔をするベル。

 ───これが大人よ。

 マリーはニッコリ笑顔を崩さなかった。それどころか、ベルがいかに革新的で、チームにどれだけの利益をもたらしたのかをちょっと大きめな声で語り始めた。ベルは首を竦めて恐縮してしまい、ディゴリー親子はニコニコとマリーの話を聞いた。
「か、かいもの! 買い物行かないといけないから、マリー、もうそのへんで」
「二人で行ってらっしゃいな。私はもう少し話さないといけないことがあるから」
……!」
 ついてきてくれるんじゃなかったのか、というベルの内心の絶叫は、マリーの笑顔の前に叩き落とされた。苦笑したセドリックが、「行こうか」とベルを促す。ベルは戸惑いがちに、けれどもセドリックと手を繋いで漏れ鍋を後にした。
「何もあんな大声で話さなくたって……
 大勢の前で褒められて持ち上げられるという経験がすこぶる乏しいベルはドラゴンを相手取った時よりずっと疲弊していた。セドリックは「分かるよ」と繋いだ手を話して、代わりにベルの肩を抱いた。
「僕の父も、いつもマリーさんみたいな感じなんだ。褒められるのは嬉しいけど、ちょっと困るよね」
「ちょっと困るで済ませられるのか……すごいなセドは……
 真剣な顔でごくりと生唾を飲む淋。セドリックは苦笑するだけに留めた。
「さて、どれから行こう? 書店に行くかい?」
「いや、重くなるからまずは薬材類から行こう。えーと、リスト……
 今年、ベルは五年生になる。セドリックは六年生だ。ベルにはふくろう試験があるし、セドリックは今から来年のイモリ試験のことを考えなければならないらしかった。
「そろそろ本格的に無言呪文を使えるようにしないと。姿くらましと姿あらわしのテストもあるし」
「あれ、初めのうちはすっごい酔うぜ……
「え、きみ、できるの?」
「できないよ。付き添い姿くらましとかをしまくったの。ルーマニアの森は広いからね……箒で移動してたら間に合わなくてね……ファイアボルトを買おうかどうか、めちゃくちゃ真剣に考えたよ」
 結論、瞬きひとつの移動には、箒では絶対に敵わない。ベルは素直に大人達の腕に引っ付き、幸運にも一度もバラけることはなかった。
 二人はなんとなく、リストにあったドレスやドレスローブを後回しにして、フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店に顔を出した。店主はベルを見るなり開口一番「無事か!」と叫び、「ドラゴンを手懐けたんだって!?」店中に響くようなデカい声でベルに詰め寄った。
「ごめん、心配かけて……手懐けてはいないよ……
「だが、ドラゴンキーパー達とルーマニアで仕事をしたんだろう? なんだってそんなことになったんだ」
「私だって知りたいよ」
 一頻り話した後、店主は「お前がその辺で本を読んでいないから、夏が来たって感じがしなかったよ」と朗らかに笑った。ホグワーツの五年生用と六年生用の本がある場所をそれぞれ指し示し、ベルが好みそうな本もどこそこにあると教えてくれた。
「なんだか、横丁全体が、君の家族って感じだね」
「、……
 セドリックの言葉に、淋は小さく息を呑んだ。
……うん、……そうかも」
 くしゃり、淋がわらう。セドリックも笑みを深めて、そっと淋のこめかみに唇を寄せた。
 その後、二人はとうとうマダム・マルキンの店を訪れた。ベルはドレスを前にカチコチになって、うーんうーんと唸り、脳内のイマジナリージニーとイマジナリーハーマイオニーに助けられながらなんとかお気に入りのドレスを見つけた。セドリックはとっくに自分のぶんを選び終わっていたようで、外で父親とマリーと合流していた。
「ご、ごめん、お待たせ、」
「全然待ってないよ」
「ああ、買い忘れがないかどうかを確かめていたところだ。君も忘れ物はないかね?」
「大丈夫です」
「いいや、大丈夫じゃない」
「えっ?」
 顰め面しくエイモスに言われて、淋は戸惑った。どうしてエイモスがそんなことを言えるのか、咄嗟に分からなかったからだ。エイモスは一転して、にこりと笑った。
「1ヶ月ぶんの報酬を忘れてるよ、ミス・淋」
 エイモスから差し出された封筒を、ベルは目を丸くして受け取った。まさか報酬なんてものがあるとは思っていなかったのだ。雇用契約も結んでいないし、ダンブルドアでさえ、ハグリッドの手伝いを本格的に頼もうとしているといった話は一向に進んでいないのに。
 震えそうになる手で封筒を開けると、そこにはキラキラしたチケットが一枚入っていた。
「クィディッチワールドカップ、決勝戦……
「淋!! ワールドカップのチケットだ!!」
「、え、な、なんで、」
 大興奮するセドリックに対し、ベルはポカンと呆けるしかできなかった。
「まだ、対戦カードは決まっていないがね」
「で、でも、私、飛行機が、仕事もあるし、」
「ああ、息子から聞いているよ。だが、このワールドカップは、文字通り世界中から魔法使い達が集まる。勿論、日本からも」
 エイモスは、ベルを覗き込むようにしてゆっくりと言った。
「もし、都合がつくなら、チケットに書いてある場所から、ポートキーで会場まで来ることができる。一瞬だ。一晩泊まる事になるが、もしよろしければ、私達のテントにご招待しよう。翌日には───試合が一日で終わればだが───ポートキーで、また日本に一瞬で戻れるよ。流石に、二日間くらいは休めるだろう?」
…………!!」
 ベルは何度もガクガクと頷いた。
「では、我々とワールドカップをご一緒してくれるかね?」
「は───はい、お世話になります……
「やった!!」
 ベルよりセドリックが大喜びしている勢いだった。ギュウギュウ抱きしめられて、ベルもジワジワと嬉しいのが胸中を満たしていくようだった。
「ありがとう、父さん!!」
「なーに、可愛い息子と、そのガールフレンドのためだとも。……まっ、ネタを明かせば、ドラゴンキーパー達と、ダンブルドアからのプレゼントだがね。勿論、私も一枚以上噛んでいるが」
 胸を張るエイモスに、ベルはしっかりと頭を下げた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
 エイモスが満足そうに笑みを深める。ベルは、今度はマリーに飛びついた。マリーは難なくベルを受け止めて、「楽しんできなさいよ」と優しく囁いた。ベルはなんだか泣きそうになってしまった。
 後で、セドリックがこっそりベルに耳打ちしてくれた。
「ほんとは、淋のぶんのチケットも取れないかって、父さんに頼んでみたんだけど、断られてたんだ。八月も君に会えるんじゃないかって、もし上手くいけば、うちにも招待できると思って……だから、すごく嬉しいよ」
……うん。私も、嬉しい。仕事、頑張るね。絶対会いに来るから」
 へにゃりと笑った淋に、セドリックは言葉を詰まらせて、ぎゅう、と力一杯、淋を抱き締めた。


 八月。
 ベルはなんとか休みをこじ開けて、時間通りにポートキーに触れ、会場に到着した。同じくワールドカップ目当ての魔法使い達は、淋がホグワーツに通っていると聞くと驚いた。
「マホウドコロじゃないのかい? 珍しいな」
「ハーフとか?」
「たぶん、そうです。母は死んで、父がちょっと……分からなくて……
「ええ、なんかごめんね……
「ひとりで大丈夫?」
「はい、友達とその家族が待っててくれるので」
「そうか、それなら大丈夫か」
「あー、そうだ、十年くらい前に、イギリス魔法界がクーデターだのなんだのって、荒れてた時があったな。そうか、きっとそれに巻き込まれたんだな……
 訳知り顔で言う年嵩の男性に、淋は曖昧に微笑んだ。一同はポートキーで移動した後は指定のキャンプ場がバラバラだったため、そこで別れることになった。
 セドリック達は移動ポイントに迎えに来てくれるという話だったが、二人の姿は無かった。ベルは二人が割り振られたキャンプ場を役人に教えてもらい、たったか移動して、テントを張るのに苦戦している二人を見つけた。
「セド、ディゴリーさん」
「あ、淋!」
「なに! もうそんな時間か!」
 二人は揃ってへにょりと眉を下げた。
「ごめんね、迎えに行けなくて。迷わなかった?」
「うん、大丈夫。手伝うよ」
「ありがとう、助かるよ。マグル式はどうも慣れなくて……
 ベルは手早くテントの杭を打ちながら、ちらりと辺りを見回した。大体が普通のテントだが、たまに風見鶏がついていたり、煙突が生えたりしている。ここはマグルのキャンプ場だから、一応紛れる努力はしているようだった。
「出だしはちょっと転けてしまったかもしれんが、勿論巻き返すことができるとも」
 エイモスが胸を張る。しっかり立ったテントにお先にどうぞと促され、テントに巻き返しも何もあるか? と思いながら入口をくぐったベルは、わァ、と感嘆の声を上げた。
 テントの中に広がっていたのは小ぢんまりとしたアパートだった。小さいが必要な機能が全てコンパクトに揃っているキッチン、洗濯機、テーブルに椅子、そして二段ベッドと、ベッドになるソファが、収まりよく配置されている。
「すごい、こんなの初めて見ました!」
「そうかそうか」
「私、マグル式のテントしか知らないし、外もそんな感じだから、てっきり中もだと……
「そうだろう!」
「どういう魔法なんでしょう、空間拡張かな……へー……すごい……
 ベルはしげしげと部屋じゅう、いやテントじゅうを見て回った。その様子が知らない場所に連れてこられた猫のようで、セドリックはクスリと忍び笑いを零した。
「さて、私はランチの準備でもしていよう。少し見て回って来るかね?」
「うん、そうしようかな。淋、一緒に行こう」
「あ───すみません、お世話になります」
「勿論だとも。気をつけて行っておいで」
 エイモスに見送られて、二人はテントを後にした。
「淋、僕の格好、変じゃない?」
「うん? 変じゃないよ。どうして?」
「そっか、良かった。一応、マグルの格好しなきゃいけないから……
「ああ、そっか、そうだね」
「淋はいつもマグルの格好だよね」
「うーん、と言うよりは、楽で動きやすいのを選んでるだけだよ」
 二人はぶらぶら歩いて、いろんなテントを見て回った。決勝戦はアイルランド対ブルガリアになったらしく、そこかしこにアイルランドの紋章であるクローバーが飾られていたし、緑色の山高帽を被っている人もいた。対するブルガリアは赤、緑、白の国旗をはためかせていた。
「セドはどっちを応援するの?」
「うーん。アイルランドかな。シーカーとしては、ブルガリアのビクトール・クラムのことも応援したいけど」
「すごいんだ?」
「世界一だよ。ラフプレーも多いけどね」
 ちょっとだけ複雑そうな表情のセドリック。彼はフェアプレーを重んじる性格だった。
 極たまにホグワーツ生と遭遇し、その家族にも挨拶しながら、二人はテントに戻った。テントではエイモスがパンを焼いて、ソーセージとグリーンピースを茹でてくれていた。
「夜は屋台や行商人が来るから、それで簡単に済ませてしまおう。会場まで少し歩くから」
 夕方になると、エイモスの言った通り、指を鳴らせばテントが広がって屋台になるリュックを背負った行商人や、商品を天高くそびえるリュックに飾り付けてじゃらじゃら言わせながらテントとテントの間を練り歩く者も現れた。セドリックと淋はアイルランドのロゼッタを買い、エイモスは国旗を買った。途中でファーストフードを買って夕飯をてきとうに済ませたところで、ゴーン、と遠くから鐘が鳴った。
「近くの村の教会だよ。時間だ」
 パッ、と赤と緑のランタンが明々と灯る。競技場までの道だ。三人は連れ立って競技場へと進んだ。
 十万人を収容する会場は、既に熱気に包まれていた。両チームのサポーター達が、手に手にチームの何かを持って、声を張り上げ、応援合戦を始めていた。
 ベルは遠くの貴賓席に、ウィーズリー一家と、ハリー、そしてハーマイオニーの姿を見つけた。ベルの目には小さく映っていたが、楽しんでいる雰囲気はなんとなく伝わった。
「そう言えば、双子には誘われなかったの?」
「双子はたぶん、私がクィディッチ観戦に興味無いと思ってるよ」
「ふうん。ホントのところは?」
「プロの試合が、ちょっと楽しみ。すごいんでしょ?」
「───すっごいよ」
 力を込めて言うセドリック。ベルはニッコリ微笑んだ。セドリックが楽しそうで、ベルも嬉しいのだ。
「レディース・アンド・ジェントルメン……第422回、クィディッチ・ワールドカップ決勝戦へ、ようこそ!」
 アナウンスが響く。いや、正しくは、一人の声が競技場じゅうに反響するよう、大きくなっている。ベルは音の聞こえる方を探り、やはり貴賓席に辿り着いた。
 妙ちきりんな格好をしたブロンドの男が楽しそうに喋っている。ベルはすぐにピッチに視線を戻した。魔法で空に描かれていた広告は、今やブルガリア対アイルランドの得点カードになっていた。
「さて、前置きはこのくらいにして、早速ご紹介しましょう、ブルガリア・ナショナルチームのマスコット!」
 赤一色のスタンドからワッと歓声が上がった。
「あ!?」
 ベルはギョッとして目を剥いた。ピッチに現れたのはヴィーラだった。凄まじい美しさを身に纏う人外である。蠱惑的な踊りによって人間、主に男を引き寄せる。
「いいのかこれは……あ!?」
 どう思うとセドリックの方を見たベルは再び瞠目した。セドリックは両手で両目を塞いでいた。
「え、ちょ、セドリック、見ないの?」
「見ない。僕がヴィーラに誘惑されたら、君、僕のこと笑うだろ」
「───あっはっは!」
 ベルは寸の間キョトンとしたが、すぐに肩を揺らし、大口を開けて笑った。周囲はそんなベルのことなど気にもとめない。大半の男はヴィーラに注目してほしくて目立とうとしているし、そのパートナー達が彼らを止めようと必死だった。確かに、セドリックがそういうふうになったら、ベルは指さして笑うだろう。今後一生、物笑いの種にするかもしれない。こいつ、ヴィーラに一瞬惚れてたんだぜ、なんつって。
「はは、は……ふふふ……ふふ、うん……ふふふ……見たらいいじゃん……
「見ない」
 キッパリ言い切るセドリック。ベルはクスクス笑いながらセドリックの腕を引っ張ったが、笑っているので力が入らないせいで、ビクともしなかった。
「セド、セド、もう終わったよ、ほら、向こうに行ったから、大丈夫だよ……ふふふ……
「レプラコーンが出てきたぞ、セド」
 彼女に嫉妬させないためではないのか、と若干の困惑を残しながら、エイモスがセドリックを促す。セドリックはようやく両目から手を離し、ピントを合わせようとしてか、何度か瞬いた。競技場には、レプラコーンの金貨が雨のように降り注いでいた。
 実況解説のアナウンスに沿って、選手達が入場する。既にトップスピードに近い速さで、ベルは何度目か、目を見開いた。
「ワー! 速い!!」
 学校で見る生徒たちのスピードとは何もかも違う。きっと箒の性能差だけではないのだろうそれに、ベルは興奮しきりだった。
「すごいすごい、速い!! 見えない!! 誰がどれで誰?」
「最後に入ってきたのがシーカーだよ」
「じゃあアレと棍棒持ってる人以外がチェイサー、」
「そうそう」
 審判が入場し、ブラッジャーとスニッチが放たれた。ホイッスルと共に、試合が開始する。直後、瞬きひとつでクアッフルがあっちこっちを行ったり来たりした。あっという間にアイルランドが先制点を上げて、ワッとギャラリーが沸く。
「すごいすごい、めちゃくちゃ早い!」
「淋、スニッチ探せる?」
「流石に無理だって」
「そっかあ」
「私の事をなんだと思ってるんだ……?」
 オオ、と観衆が叫ぶ。ブルガリアのシーカー、ビクトール・クラムが急降下を始めたからだ。
「スニッチを見つけた!?」
「フェイントだ!!」
 セドリックが叫ぶ。瞬間、クラムが箒の柄を急上昇させた。追いかけられなかったアイルランドのシーカー、リンチが凄まじい勢いで地面に突っ込んだ。淋は思わず「いったァ」と大声を上げた。
「うあー痛い、マジで痛いよう……頭はだめだって……
「ウロンスキー・フェイントだ。引っ掛ける方も危ないのに、よくやるな」
 リンチが蘇生薬を飲まされている間、クラムは競技場をぐるぐると回ってスニッチを捜しているようだった。
「なんつー作戦。容赦ねえなあ」
 リンチが立ち上がり、試合が再開される。奮起したのはアイルランドのチェイサー陣で、瞬く間に追加点を上げた。会場の歓声は爆発し、留まるところを知らない。やがて得点が130対10になったところで、試合は泥試合になった。ブルガリアが粘り始めたからだ。これ以上得点されたら、スニッチを獲得した150点でも逆転勝ちできない。しかし、焦りが出たのか、ブルガリアのキーパーが過剰防衛で反則を取られた。レプラコーンが空中に「ハッハッハッ!」と文字を描き、ブルガリアのチームを煽る。これに真っ先に反応して怒ったのはヴィーラ達で、髪を打ち震わせながら歌い踊り始めてしまった。セドリックは咄嗟に耳栓をし、淋は苦笑した。阪神巨人戦の野次など、可愛いものに思えてくる。何せ、審判がヴィーラに魅了されて、試合どころの騒ぎでは無い。
「あーあー、もうダメだこりゃ」
 魔法医に正気に戻された審判は、どうやら本気でヴィーラ達を退場させようとしているようだった。遠目にも肩を怒らせているのが分かる。ヴィーラ達の肩を持つためか、ブルガリアのメンバーが審判に抗議したが、結果的にはペナルティを取られてしまった。
「なんだあこの審判」
 そもそも何故ヴィーラなんぞを応援団として許可したのか。せめて審判を女性にすべきだったな、と淋は嘆息した。
 試合はまもなく再開されたが、ブルガリアにはもう後がない。互いの猛攻は激しくなるばかりで、応援団の煽り合いも益々ヒートアップするばかりだった。レプラコーンに挑発されて怒り狂うヴィーラは我を忘れて本性を現し、鋭く獰猛な嘴を持つ鳥の後になっていたし、鱗に覆われた翼も生えだした。火の玉まで投げ始める始末で、最悪なことに、審判の箒に引火してしまった。
 とうとう応援団は上空の選手たちのことなどそっちのけで、地上で乱闘騒ぎを始めてしまった。淋は大笑いした。酒があって飲める年齢ならかっくらっているだろう勢いだ。魔法省の役人達は地上にかかりきりで、空中でクラムが顔面にブラッジャーを食らっても気付く素振りもない。
 上も下も大騒ぎの大混乱を切り裂いたのはアイルランドのシーカー、リンチだった。真っ直ぐ急降下している。スニッチを見つけたのだ。クラムもすぐにぴたりとリンチに寄せた。徐々に気付いた観客も、途端にリンチに歓声を飛ばした。淋もセドリックと「行けー!!」と叫んだ。クラムがとうとうリンチに並び、両者共に腕を伸ばす───
 ───果たして、スニッチを掴んだのはクラムだった。
 得点が変わる。

 ブルガリア 160 アイルランド 170

 どよめきは、爆発した歓声に掻き消された。
「そうか、アイルランドのリード……! ブルガリアは追いついてなかったのか!」
「もうこれ以上続けても、点差は縮められないって分かってたんだ……
 割れんばかりの拍手が夜空を彩った。レプラコーンを従え、アイルランドチームが競技場をゆっくりと一周する。その間に優勝杯が貴賓席に運び込まれた。ブルガリアチームがファッジと握手を交し、次いで整列したアイルランドチームの代表に優勝杯を授与した。
 歓声、賞賛、拍手が響く。淋も痛くなるほど手を叩いた。

 お祭り騒ぎはしばらく終わらなかった。アイルランド勢はいつまで経っても花火を打ち上げた。
 三人はテントに戻って、ココアを一杯飲み、明日の朝も早いからとベッドに潜り込んだ。
「実は今日、二時起きだったんだ。ポートキーのところまで、移動しなくちゃいけなくて」
 セドリックの目は眠そうにトロンとしていた。
「ほとんど徹夜じゃん。そりゃ疲れるよ。おやすみ」
「おやすみ……
 まだ話し足りなそうだったが、セドリックはすぐに規則的な寝息を立て始めた。淋も微笑んで二段ベッドの上段の枕に顔を埋めた。エイモスはとっくにソファでいびきをかいている。
 楽しい一日だったな、と頬が緩むのを堪えられない。
 きっと、明日からも頑張れる。いつもは体力回復のための休みを取る事しか考えていなかったけれど、たまにはこういうのもいいかもしれない。
 うつらうつら微睡んでいた淋は、やがてスコンと眠りに落ち、───外のざわめきにハッと息を呑んで覚醒した。
 寝坊した、と淋は跳ね起きた。慌てて辺りを見回し、時計を確認する。想定の時間よりも二時間以上前であること指し示す時計に、淋はホッと息をついた。途端に眠気が瞼に伸し掛ってくるが、淋は毛布をのけて、二段ベッドの上から飛び降り、音もなく床に着地した。長い黒髪がふわりと浮き上がり、沈む。エイモスは未だいびきをかいていた。
 淋は上着を引っ掛けると、テントからひょこりと顔を出した。遠くの方で、頭からすっぽりと黒いローブを着て、仮面で顔を隠した集団が、杖を手に何やら騒いでいる。その杖の先で宙に浮いているのは人のようだった。情報が錯綜しているのか、灯りが消えた中を、人々が森の方に向かって急いで駆けている。
 混乱、動揺、そしてそれらから生まれる恐怖の気配がじわじわと伝播し、膨らんでいくようだった。淋は眉を顰めてテントに引っ込むと、エイモスをゆさゆさと揺さぶった。
「ディゴリーさん、起きて。何か変です」
「ンン……何かね……トイレならそっちの……
「違います、外がちょっとおかしいんです。ハメを外しすぎてる。魔法省のお知り合いに伝えた方がいいかも」
 エイモスは眠そうに顔を顰め、唸りながら起き上がり、渋々といった体でテントの外に出た。
「───なんということだ」
 エイモスの声がハッキリ覚醒する。淋の方を振り返ったエイモスに、もう睡魔の影は無かった。
「テントに入りなさい、さぁ。セド! セド、起きろ!!」
 揺り起こされたセドリックはまだ眠そうで、欠伸をしながら「なに……」と眠そうに目を瞬かせた。
「上着だけ着て、森の方に行くんだ」
 エイモスがセドリックに上着を投げ、自分もパジャマに上着を羽織った。そしてもたもたするセドリックの腕を引っ張って無理やり立たせ、「杖は持ったな?」と厳しい声で確認した。
「いいか、森の方に行け。決して離れてはいけないよ。セド、何かあったらお前が淋を守るんだ、いいな」
 セドリックはしっかりと頷いた。瞼に眠気は残っていたが、瞳に宿る光はしっかりとしていた。
「さぁ、ほら、早く。片付いたら迎えに行くから」
「気をつけて、父さん」
「お前たちもな」
 二人は手を繋いで森の方に走った。途中、母親とはぐれたのか子供が泣いていて、しかし誰もが気にもとめようとしなかった。混乱と恐怖が渦巻いて、針でつつけば今にも破裂しそうだった。
「淋、平気?」
「うん、大丈夫。暗いのには慣れてるし」
「頼もしいな」
 こんな時なのに、セドリックは笑みを深めた。淋が落ち着いているから、自分もまた落ち着くことができそうだった。
「ねえ、セド。あの黒いローブの人達、なんなの? なんで皆逃げるの? ディゴリーさんは、血相変えてたけど」
「たぶん……死喰い人の真似をしてるんだ。皆、念の為逃げてるんだと思う」
「ですいーたー」
「ハリーが『例のあの人』を打ち倒す前に活動してた純血主義者の特に過激派……かな。マグルや純血じゃない魔法使い達、自分たちに楯突く人たちを軒並み殺したり、拷問したりしたんだ」
 ふうん、と淋は来た道を顧みた。後には闇の色をした木立が広がっているだけだ。
「セド、この辺でいいよ。これ以上はやめとこう」
「分かった、そうしよう」
 森のことでは君の方が詳しいしね、と言われて、淋はちょっとだけはにかんだ。
 階段のようになっている木の根に腰掛けて、淋は「ルーモス」と唱えた。杖の先に光が灯る。普段なら夜の森で灯りをつけるなんてことはしないが、後でエイモスに見つけてもらうなら自分の周りは明るい方がいい。セドリックも淋に倣った。
「髪、地面についてるよ」
 セドリックの手が、淋の長髪を掬う。毛先の砂を軽く払って、肩から体の前に流すようにしてもらい、淋はちょっとドギマギしながら「アリガト」と口にした。
 生まれてこの方、髪をはじめとした自分の一切に興味を持たなかった淋としては、己の髪さえ大事にされると、妙にこそばゆい。
「下ろしてると、また印象が変わるね」
「そうかな」
「いつもの髪型もクールだけど。こっちもいいね」
 淋はきゅむりと唇をしまいこんだ。恥ずかしいのをごまかしたくて、そっと杖先の灯りを遠ざける。それを追いかけるようにして、セドリックの杖先が淋を照らした。
…………
…………
 ニッコリ微笑むセドリック。
 半眼でセドリックを見る淋。その片頬は小さく膨らんでいる。
「ふふ、リスみたい」
「イチャついとる場合か!!」
「大丈夫だよ。きっと模倣犯だ。はしゃぎすぎたのかも」
「そういう油断が命取りなんだよ。森では大丈夫なんて無いからね」
「ハイハイ」
 淋はジロリとセドリックを見やった。
……そういう奴は森とか山から守って貰えないんだぞ」
 セドリックは瞬いて、ふざけた雰囲気を一呼吸で柔く引き締めた。
「ごめん」
「分かればよろしい」
 エイモスが二人を迎えに来たのは、それから大分時間が経ってからだった。二人は人の流れがなんとなく森の外に向かっているのを見て取って、自分達も移動することにした。二人と合流したエイモスは疲れきっていて、明け方まで間もなかったが、テントに戻ると、泥のように眠った。
 朝日が差して間もなく、淋は二人に見送られて、日本行きのポートキーを使って故郷に帰った。静かな夜ではなかったことをエイモスは申し訳ないと言ったが、淋は「帰ったら時差のおかげで日本は夕方ですから、すぐに寝れますよ」寧ろ時差ボケにならずにすむかも、気にしないでください、カラリと笑った。



 九月。
 今年もやっぱり、淋はギリギリまで日本にいることになった。そして、ウィーズリー家と、彼等に世話になったらしいハリーとハーマイオニーも、列車の発車時刻ギリギリに、9と4分の3番線に姿を見せた。
「新学期早々スリザリンに借りを作ることになるとは!」
「ハイハイ新学期新学期、荷物寄こしな」
「ベル! 久し振りだな」
「───ビル!?」
 荷物を受け取ろうとしたベルはびっくらこいて、眠気なんぞどこぞへ吹き飛んでしまったかのように目を丸くした。ビルは最後に会った時よりも余程ハンサムになっていた。長い髪をひとつに束ね、ドラゴンの牙を耳元でちゃらちゃら言わせているのに、軽薄な感じはしない、不思議な人だった。
「ワー! ビルだ!! ホンモノ!?」
「本物だよ。元気か? 綺麗になったな」
「あらやだお上手。ビルも相変わらずカッコイイよ」
「そりゃどーも」
 ぱちりと片目を瞑るのがこんなに様になる人を、ベルは他に知らなかった。
 ハグの片手間に荷物を受け取って、コンパートメントに放り込む。どやどやとベルの上からハリーとハーマイオニー、そしてウィーズリーの下の兄弟たちが顔を出した。
「ベル、また今度な」
「おぉよ」
 ごつ、と拳をぶつけ合うベルとチャーリー。入れ替わるようにして、ハリーとハーマイオニーが声を上げた。
「おばさん、いろいろとありがとうございました」
「ホントにお世話になりました!」
「あら、こちらこそ楽しかったわ。クリスマスにもご招待したいけど……ま、ホグワーツに残るなら教えてね」
 はーい、と子供たちの声が揃う。直後、ガタン、と車輪が動き始めた。
「お行儀よくするのよ!」
 はーい、再び子供たちの声が揃う。列車はすぐにスピードを上げ始めた。ベルはハリー達をコンパートメントの中へ押しやると、すぐに窓をピシャリと閉めた。かと思えば、ザッと音を立てて豪雨が激しく車体を打つ。
「チャーリーに随分気にいられたな。将来はルーマニアか?」
「さぁね……
 くゎ、と欠伸をする淋。フレッドとジョージは揃って肩を竦めた。
「だめだ。どうやら、おねむの時間だ」
「さてはまた昨日まで日本にいたな?」
「め〜ちゃくちゃギリギリだった。おやすみ……
 毛皮の半纏で口元まで覆い、ベルは膝を抱えて椅子の上で器用に丸くなった。一同は揃って「いつものことだ」と顔を見合せ、フレッドとジョージはコンパートメントを出てリー・ジョーダンの元へ向かい、残った四人は潜めた声でお喋りを楽しむことにした。
 豪雨はホグワーツに着いても止まなかった。ベルは寝ぼけ眼で、自分と、うとうとしているベルを引っ張ってくれるジニーに雨避けの魔法をかけてやった。城に着いてからはピーブス「どうせビショ濡れだろ!」と水風船を投げつけてきたが、全てプロテゴで防いだ。
「ベル、起きてる?」
「むにゃむにゃ……
「寝てるわ」
「おいおい逆にすごいな」
 ジニーに「起きて!」と言われながら見送られ、ベルはスリザリンのテーブルへ辿り着いた。うつらうつらしながら帽子の歌を聞き、組み分けの儀式を目を瞑ったまま過ごし、食事がテーブルの上に現れてもすぐには動けなかった。
 スープをちみちみ飲んで、キッシュとポテト、サラダをなんとかモシャモシャ食べたベルは、今にも寝落ちそうな顔でダンブルドアの話を聞くことになった。
 ダンブルドアがフィルチからの注意事項を伝え、いつも通りの禁則事項を諳んじ、しかし今学年のクィディッチトーナメントを取りやめると発表したところでベルはちょっとだけ目が覚めた。
「クィディッチ中止!?」
「寮杯はどうなるんだ?」
 にわかにざわつく生徒達を遮るように、ダンブルドアは言葉を続けた。
「これは、10月に始まり、今学年の終わりまで続くイベントのためじゃ。先生方もほとんどの時間とエネルギーをこの行事のために費やすことになる。しかしじゃ、わしは皆がこの行事を大いに楽しむであろうと確信しておる。ここに大いなる喜びを持って発表しよう。今年、ホグワーツで───」

 ───雷が落ちた。

 魔法の天井ではない。外からの雷鳴である。大広間の扉が派手に開け放たれ、中央には男が一人立っていた。長い杖に寄りかかるその足は義足だと、ベルにはすぐに分かった。
……?」
 男が黒い旅行マントのフードを外すと、ぎょろぎょろとあちこちを見回す義眼が現れた。誰もがその異様な風体に息を呑んだが、ベルは目を窄めてその男を見やった。
 なんだかこの男、どうにも違和感を覚えるというか、なんというか。
 男はダンブルドアと握手すると、教職員テーブルの空いた席に座った。
「新しい『闇の魔術の防衛術』の先生をご紹介しよう。ムーディ先生じゃ」
 ダンブルドアとハグリッドだけが拍手した。マクゴナガルなども拍手しないことが意外で、ベルはちょっとだけ目の覚める気分になった。
「先程の話の続きじゃが、これから数ヶ月にわたり、我が校は、誠に心躍るイベントを主催するという光栄に浴する。この催しはここ百年以上行われていない。この開催を発表するのは、わしとしても大いに嬉しい。今年───ホグワーツで三大魔法学校対抗試合を行う」
 生徒達全員が笑った。ベルはくわりと欠伸した。三大なんちゃらなんて、ベルには興味のない事だった。
 ダンブルドアは、そんな生徒向けにも、三大魔法学校対抗試合についての説明を始めた。
 曰く、それはおよそ七百年前にヨーロッパの三大魔法学校───ホグワーツ、ボーバトン、ダームストラング───の親善試合として開催された。各校から代表選手が一人ずつ選ばれ、三つの魔法競技を争った。開催は五年ごとの持ち回りだったが、夥しい数の死者が出たために、競技そのものが中止された。
 話を聞く内に、ベルはだんだん、自分の血の気が引いていくのを感じていた。
 つい数ヶ月前のことが鮮明に思い出される。今学年、ホグワーツに新たに迎える魔法生物の世話の手伝いのためと称して、ベルは七月までルーマニアに居たのだ。そして、ドラゴンの世話をした。
 つまり、今学年、ドラゴンがホグワーツに来ることになる。百歩譲って、そこまではいい。吸魂鬼の代わりにドラゴンを置くという話もあったし、魔法生物飼育学でドラゴンのことをやるのかもしれないと冗談半分で思っていた過去の自分をぶん殴りながら、ベルはほとんど確信に至っていた。
 ドラゴンは、まず間違いなくこの三代魔法学校対抗試合のためのものだ。三つの種目のうち、ひとつは確実にドラゴンと相対するものになるに違いなかった。
 嘘だろう、と叫びたい。嘘であってくれ。素人の学生にドラゴンの相手をさせるなんて正気じゃない。間違いなく。
 ワナワナ震えそうなのをどうにか押さえ込んでいるベルの傍ら、ダンブルドアの説明は進み、優勝賞金に一千ガリオンが出ること、10月末にボーバトンとダームストラングの生徒達が来ることが発表された。生徒達は俄に沸き立ち、17歳になっていない6年生はいかにルールを掻い潜って代表選手に名乗りを上げるか、今から話し合っていた。
 ダンブルドアの話が終わると、生徒達はめいめい立ち上がって、自分たちの寮へ向かうために大広間を後にした。どこか青い顔でその流れに紛れているベルを、スネイプが呼び止める。
「ベル。こちらに来たまえ」
………………
 ベルは思いっきり、「正気か?」という顔をスネイプに向けた。スネイプはニヤリと意地悪く片頬を釣り上げた。
「どうやらほとんど正しい推測をお持ちのようだが、念の為に確認しておこう。校長の話で気付いたことはあるかね?」
「試合で生徒を殺す気でいらっしゃる」
 フン、とスネイプが鼻を鳴らす。
「ゆめゆめ、誰ぞに喋ろうなどと思わぬことだ。良いな」
……………………………………………………ハイ」
 スネイプがさっさと行けと手を払う。踵を返しかけて、「あ、そうだ」くる、とベルはスネイプに向き直った。
「先生、あのムーディとやらは本物ですか?」
……は?」
「あー、じゃあ、いいです」
 おやすみなさーい、とベルは今度こそ踵を返してスリザリン寮へと急いだ。たったか遠くなっていくベルを、スネイプは訝しげに見つめていたが、やがてひとつ鼻を鳴らし、漆黒のローブを翻して己の居室へ消えて行った。


 ベルはハリー達に自分がルーマニアにいてドラゴンの世話をしていたことを話すなよと手紙で伝えようか迷ったが、下手に突くと薮から蛇どころかドラゴンが飛び出して来そうだったので、やめた。それに、正直に言ってそれどころではなかった。
 ハグリッドが夏の間に、勝手にマンティコアと火蟹を交配して、新種の魔法生物である尻尾爆発スクリュートを生み出していたのだ。しかも、それを授業で扱おうとしたので、ベルはまず、「私が1ヶ月ルーマニアでドラゴンと取っ組みあって、1ヶ月故郷で働き通している間に何をお前は!!」どっかん、と怒りを爆発させた。ハグリッドの大きな図体が恐怖でピャッと飛び上がった。
「違法に決まっとろうが!! 大馬鹿野郎!! そんなもんを授業に出すな!!! 授業と!!! 趣味は!!! 違う!!!! 復唱しろ!!!!!」
「じゅぎょうとしゅみはちがう……
「ディリコールとか、二ーズルの世話からぐらいでいいだろうが!!! ノーバードやバックビークの二の舞にさせたいか!!?!?」
 ハッ、と息を呑むハグリッド。直後、彼の目には真剣な色が宿り、生徒達が来ないような城から一番遠い飼育場で尻尾爆発スクリュートを管理することを決めた。
「ダンブルドアには言ってるんだろうな……
「いやぁ……
「言え!!!!! 今すぐに!!!!!! うっかり事故でこうなっちまったとな!!!!!!」
 ハグリッドは言われた通りに自分の不注意で尻尾爆発スクリュートがこの世に爆誕したことを伝えた。ダンブルドアはその寛容さを発揮し、魔法省に必要な手続きを取ると共に、三代魔法学校対抗試合の三種目のうちのひとつにこの生き物が使えるかもしれないから、そう悪いようにはならないだろうとハグリッドを励ました。これを見たベルは、「甘やかしやがって……」自分のことを棚に上げ、ケッ、と吐き捨てた。
「いいか、これはお前の責任だからな。私は手ェ出さんぞ。いいな」
「分かっちょる」
 しっかりと頷くハグリッド。ベルは「ホントに分かってんのかなこいつは」という顔を隠しもしなかった。
 一方、学校は誰が代表選手に立候補するのか、代表選手はどう選ばれるのか、そして新しい闇の魔術からの防衛術の授業の噂で持ち切りだった。
 ムーディの授業は確かに、学生達には刺激が強かった。ムーディは、闇の魔術がなんであるかを知らねばならんと、生徒たちに禁じられた呪文である「磔の呪文」「服従呪文」「死の呪文」を目の前で披露した。
 マグルの社会に銃が生まれたなら、魔法界にだって杖の一振で人を殺せるような方法が生まれていたっておかしくないと思っていたベルは、やっぱりな、とどこか得心さえしていた。この三つの呪いが猛威を奮っていた時代に生きていた人間を親に持つ生徒たちは、その呪いを目の当たりにしたことはなくても話を知ってはいたようで、しばらくはいわゆる暗黒時代の話もよく生徒達の口の端に上ることになった。
 しかし、ベルがその話を詳しく聞くことはなかった。来たるドラゴンのために、森の一部を整備して、最終調整の手伝いをしなければならないからである。
 毎週土曜日と日曜日、ベルは森に入り浸って、効率的に魔法生物の世話ができるようにしたし、どの生物の世話を生徒たちに任せるかをハグリッドと相談した。森ではケンタウロスがドラゴンの到来を既に知っており、森の生き物たちにある程度周知していてくれたので、ベルが「はいちょっとお邪魔しますよ」と杖を片手に現れても「おっ、ケンタウロスが言っててハグリッドが夏の間にちょこちょこ来てたアレか」と大した騒動もなくベルの言うことを聞いた。皆ドラゴンに踏み潰されたくはないのである。その間、ベルは宿題を免除された。ベルは当然だと思ったが、生徒達は何故ベルだけがと訝って、ヒソヒソと噂しあった。
 そうこうしている間に、気付けばハロウィンが目の前に迫っていた。
「よう、プリンセス」
「プリンスのご登場だぜ」
「お前らなぁ」
 ベルは呆れて口をへの字に曲げた。双子はセドリックの両肩に腕を回していた。セドリックは戸惑いがちに、それでもニコ、と微笑んだ。
「なんだよ。冷やかしか?」
「違うよ。今話せるか?」
「いいよ。ちょっと待って」
 ベルはよっこらせ、と今年もベルの背丈ほどに育ったかぼちゃを転がした。
「なにしてるんだ?」
「こうやって転がさないと、日光が均一に当たらなくて、綺麗に染まらないの。で、なに?」
「最近、いろいろ噂されてるぜ。知ってるか?」
「いつものことでしょ?」
「皆知りたがってるんだよ。お前が頻繁に禁じられた森に行く理由」
 ベルはちょっとだけ片眉を持ち上げた。双子がどうなんだと無言で促す。セドリックは黙ったままだ。
 ベルは数拍思案した。双子はおそらく、ベルが三代魔法学校対抗試合に関わっていると見ている。このぶんでは、セドリックもそうかもしれない。けれども、この三人を特別扱いして秘密を話す訳にもいかない。
 ベルは視線だけで三人について来るように促すと、森の縁をなぞるようにして放牧場の方へ進んだ。城が枝葉の影に隠れるほど遠くまで来ると、───双子は揃って「ゲェッ」と呻き声を上げた。
 魔法をかけられて頑丈になった戸板で囲まれた敷地の中には、伊勢海老のような多足の生き物が犇めいていた。
「なんだアレ……
「尻尾爆発スクリュート。夏にハグリッドが作った」
「作ったァ!?」
「授業に使うためにな」
「マジかよ……
「私が止めた。どういたしまして」
 言いながら、ベルは踵を返した。双子とセドリックは時折尻尾爆発スクリュートの方を振り返りながらベルの後に続いた。
「ハグリッドがあれにかかりきりになるときがあるからな。森での用事が増えたんだよ」
「なるほどな」
「じゃ、お前が三代魔法学校対抗試合に関わってるって噂はガセか」
「いろいろと聞こうと思ったのに、アテが外れたぜ」
 ちぇっ、と舌まで打つ始末。ベルは半眼で双子を顧みた。
「お前ら、あれに参加するつもりか?」
「あったりまえだろ! 一千ガリオンだぜ!?」
「何するんだよ一千ガリオンで」
「ウィーズリー・ウィザード・ウィーズだよ!」
「なにそれ」
「イタズラ専門店さ、俺たちの。卒業したら店をやるんだ」
 商品開発もしている、と二人はローブを自慢げに広げた。ローブの内側には不思議な色をした飴やら偽物の杖やらがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
「そのためには金がいるだろ」
「一千ガリオンでも足りないくらいさ」
「ふーん」
 仕事さえ選ばなければ、一千ガリオン───日本円にしておよそ百万円───など一晩で稼げる、と喉まで出かかって、ベルはそれを飲み下した。
 ベルが一ヶ月かけて200ガリオンを稼ぐのは、ひとえにベルの良心のたまものだった。
「ま、その前におっ死んだら意味ねえけどな」
「昔の話だろ!!」
「多少のスリルが無いと面白くないだろ!!」
 ぎゃんぎゃん喚く双子を「あーあーうるせー」といなし、ベルはやれやれと嘆息した。
「今のうちに市場調査するなら、地道にやってく方がローリスクだとは思うがね」
「つっても、商品開発にも元手はいるし」
「年齢を数ヶ月ごまかせる方法を知ってたら教えてくれよ!」
 かぼちゃ畑が近くなってきたところで、双子は手を振って城の方へ行ってしまった。
……戻んないの?」
「うん。なにか手伝おうか?」
「ううん、大丈夫。あとはファングの散歩だけ。……一緒に行く?」
「うん」
 セドリックが嬉しそうに笑みを深める。ベルも、なんだか自分から余計な力が抜けていくのを感じた。
 ハグリッドの小屋からファングを出してやり、校庭まで一緒に歩いていると、ふと、セドリックが口を開いた。
「ねえ、ベル」
「ん?」
「ベルはきっと、三代魔法学校対抗試合のために、先生たちを手伝ってるだろ。特にハグリッドを」
 ほとんど確信めいた問いだった。ベルは目を丸くして「どうして?」と聞いた。
「だって、フレッドとジョージに噂がガセだって言われた時、そうだよって言わなかっただろ」
…………
 耳ざとい。ベルは思わず半眼になった。
「教えてくれないの?」
「聞かないでよ」
「違うよ、そうじゃなくて……手伝ってるってことくらいは、教えてほしかったってことだよ」
 ファングが蝶々を追っかけてはしゃいでいる。ベルは立ち止まった。セドリックも足を止める。
「聞かないよ。僕だけなんて、他の生徒にとってはフェアじゃないだろ」
……
 作業でほつれた髪を、セドリックの指の背が撫で付ける。ベルは唇をもにょりとさせた。
……ごめん」
「うん」
「でも、言っちゃいけないのは本当」
「うん」
「意地悪で秘密にしてたんでもないし……
「分かってる。怒ってないよ」
……
 ほんとう? とベルの上目が雄弁に聞く。セドリックは柔らかく苦笑した。
「君にとっての、ほんの少しの特別が欲しかっただけだよ。ダサいだろ?」
……そんなことないよ」
 セドリックと腕を組み、ベルは喉を高く笛のように鳴らしてファングを呼んだ。ファングはすぐに二人に追いつき、ハグリッドの小屋まで、二人と一匹はゆっくりと校庭を横切った。



 ハロウィンの前日、生徒達は授業を早めに切り上げて、玄関ホールの前に集合した。生徒達は皆、ボーバトンやダームストラングがどうやって登場するのかザワザワしていた。
 やがて、森の上空から、黒い影が徐々に大きくなって姿を見せた。十二体の天翔る馬を擁するパステルブルーの馬車である。天馬は象ほども大きく、また馬車も大きな館ほどだった。
「ハー、やれやれ……こいつは大仕事だね……
 ベルはもういっそ諦念さえ抱いていた。森の程近くにある使われていない飼育場は、この天馬───パルミラのために開放した方がよさそうだった。
 この大きな馬車がちょうどいいサイズだと思えるくらいの大きな女性が馬車から降りた。ボーバトン校の校長、マダム・マクシームである。ダンブルドアをはじめ、ホグワーツは拍手でボーバトンを出迎えた。マダムはダンブルドアと握手を交わし、馬車から生徒たちを下ろして手短に紹介した。生徒達はマントも何も着ていなかったので、素人目にも分かるほどオシャレではあったが、皆寒そうにしていた。
「ベルはおるか」
「はいよ」
 生徒をかき分け、前に出るベルの背に、いくつもの視線が突き刺さる。ベルは積極的に無視をした。
「ハグリッドが来るまで、馬の世話を頼む。このパルミラは、シングルモルト・ウィスキーしか飲まんそうじゃ」
「はいよ」
 ベルはローブを脱いだ。作業の邪魔だ。マダム・マクシームは怪訝そうな目でベルを見やった。ベルはきょろきょろと辺りを見回し、両手を挙げてぴょんと飛び跳ねてくれたジニーにローブを投げ渡した。
 腕を捲りあげ、杖を取り出す。ベルは自分を杖で軽くトントンと叩いた。淡い光がベルを包み、すぐに消える。次いでベルが杖を鞭のように振るうと、ぐうんと魔法の手綱が伸びた。自分より遥か上空にある天馬の馬銜にしっかり合わせ、ベルは力を入れて杖を引いた。魔法の力で何倍にもなったそれが正しく天馬に伝わり、ベルの引き手に沿って歩き出す。おお、と小さな歓声が響いた。ベルは気付かなかったが、ボーバトンのものだった。
 ベルが天馬を連れて城の周りに沿って校庭まで進もうというところで、生徒達がいっせいにどよめいた。
 湖の水面が突然揺れて、渦を巻き、その中心から竿のようなものが上がってきたかと思うと、瞬く間に帆柱となり、見事な船が浮上した。横目でチラとそれを見たベルは、ほーんすっげーと凪いだ感想を抱いた。そんなことよりホグワーツにシングルモルト・ウィスキーがあるのかどうかの方が、ベルにとっては重要だった。
 馬車を校庭に、そして合流したハグリッドと共に飼育場へ天馬を繋ぎ、ベルはようやく城へと戻ることができた。
 大広間に戻ると、既に宴は始まっていた。ベルに気付いたジニーがマントを持って駆け寄って来てくれた。
「ありがとうジニー、助かった」
「どういたしまして。さっきの、すごかったわ。どうやってやったの?」
「魔法だよ。ほら、もう戻んな」
 ジニーはまだ話したそうだったが、ベルに促されて友人達のところに戻って行った。ベルはスリザリンの端の、余ったスペースになんとか腰を乗せた。
「やあ」
「どうも」
 ダームストラングの生徒に声をかけられて、ベルは口元だけで微笑んだ。料理のほとんどは既に取り分けられていて、ベルは大皿に残ったほんの少しをかき集めて口の中に押し込んだ。
 ダームストラングの生徒はどこか会話の糸口を探っているようだったが、ベルは澄まし顔で食事を続けた。下手に世話を焼こうものなら、他の生徒から茶々を入れられるに違いないのである。
 しばらくすると、ダンブルドアが立ち上がり、まず魔法省からの客人を紹介した。魔法省国際魔法協力部部長のバーテミウス・クラウチ、そして魔法ゲーム・スポーツ部部長のルード・バグマンである。クラウチはきっちりとした魔法使いの正装に身を包んでにこりともしなかったが、バグマンは人好きのする笑顔で生徒たちに手を振っていた。
 二人の紹介が終わると、とうとう三代魔法学校対抗試合の代表選手をどう選ぶかについて話題が移り変った。ダンブルドアはフィルチに一抱えもある箱を持ってこさせた。
「試合は三つの課題で成り立っておる。課題の内容は既に検討が終わっており、代表選手はあらゆる角度から試されることとなる。魔力の卓越性、果敢な勇気、論理・推理力、危険に対処する能力などじゃ」
 広間が完全に沈黙した。ベルは内心、危険どころじゃねえだろ、と突っ込んだ。
「選手は課題の一つ一つをどのように巧みにこなすかで採点され、三つの課題の総合得点で優勝者を決定することとする。代表選手を選ぶのは、公正なる選者───『炎のゴブレット』じゃ」
 ダンブルドアが杖で箱を叩くと、ひとりでに蓋が開く。
 手を差し入れると、中から大きな荒削りの木のゴブレットが現れた。ゴブレットは溢れんばかりに青白い炎を戴き、ダンブルドアはそれがよく見えるようにゆっくりと動かした。
「代表選手に名乗りをあげる者は、羊皮紙に名前と所属校をハッキリと書き、これから二十四時間のうちにこのゴブレットに入れるように。ただし、17歳に満たぬ者は、わしの引く年齢線を超えることはできぬ」
 最後に、とダンブルドアは厳かに言った。
「『炎のゴブレット』が一度選んだ代表選手は、魔法契約によって拘束され、途中棄権は認められん。最後まで試合を戦い抜く義務がある。己の容易に心底から確信の持てる者のみが名乗りをあげるように」
 ダンブルドアがおやすみと言ったのを皮切りに、生徒たちは椅子から立ち上がって広間の出口に向かった。ベルは生徒たちでごった返す廊下に上手く紛れて気配を消し、さっさと寮に入って自室のベッドに閉じこもった。
 明日は土曜だ。朝から仕事がたくさんあった。


 誰が立候補するのかで持ち切りの城を他所に、ベルはパルミラをはじめとした生き物の世話に追われた。昼からは小雨が降り始めたので、ランチついでにハグリッドの小屋へ行くと、ハリー達が遊びに来ていた。
「お、来てたのか」
「ベル!」
「よう、元気か?」
「ねえベル、課題の準備を手伝ってるって本当?」
「私はハグリッドを手伝ってるんだよ」
 ベルが慣れた仕草で杖を振るうと、キッチンからひとりでに追加の紅茶が現れた。ベルは懐からサンドイッチを取り出して、てきとうなところに座ってパクパク食べ始めた。
「ベル、それ、自分で作ったの?」
「? いや、厨房から貰ってきたけど」
「奴隷労働!!」
「なんだって?」
 叫んだハーマイオニーに、ベルはギョッとした。ハリーとロンはやれやれといった風情だった。
「屋敷しもべ妖精が無償労働をしているのが気に食わないんだって」
「気に食わないんじゃないの、間違ってるって言いたいの!! だから私、しもべ妖精福祉振興協会を作ったの」
 ふん、と自慢気に胸元の缶バッジを見せるハーマイオニー。缶バッジには協会名の頭文字を取ったのか、「S.P.E.W」と書かれている。
「ふーん。人間らしくていいんじゃないか」
「、……?」
 ベルの所感に、ハーマイオニーはキョトンとしてハリー達と顔を見合わせた。
「ベルも協力してくれる?」
「しない。毎年の飛行機代の200ガリオンのためにカツカツだから」
 キッパリ断られて、ハーマイオニーは面食らったようだった。けれども、飛行機代のことを出されたら強くは言えないようで、口をモゴモゴさせていたが、結局はベルに缶バッジを買ってもらうのを諦めて、それをポケットに突っ込んだ。
「ベルも試合に挑戦したらいいのに。きっとベルなら一発だよ」
「ウン、スリザリンの応援はしたくないけど、ベルの応援ならするよ」
「おー、ありがとよ」
「ベルはまだ17歳じゃないでしょ! フレッドとジョージが髭を生やして笑いものになったの、もう忘れたの?」
「なぁにその面白そうな話、何があったの?」
「今朝、フレッドとジョージが年齢線を越えたんだよ。そしたらダンブルドアの魔法に弾かれちゃって、ながーい立派な髭が生えちゃったの」
「マジで!?」
 バカじゃん、とベルはケタケタ笑った。ハリー達も思い出し笑いをし、ハグリッドは「奴らにはいい薬だ」と苦笑していた。
 ムーディの授業でひたすら服従の呪文に抵抗させられた話をしたり、ハグリッドが実は夏の間にまた新たな怪物を育てていたことを話したりしていると、時間はあっという間に過ぎた。そろそろ城に戻ろうと、皆で小屋の外に出たところで、ハグリッドはボーバトンの生徒達がマダム・マクシームと城に向かうところを見つけてしまい、ポーッとなりながらそっちに行ってしまった。
「やれやれ。さーて、楽しい話ばかりだったが、いろいろと大丈夫か? 夏はハリーのとこに行けなかったからな」
 ハリー達は顔を見合わせた。ハリーはなんでもないと言いかけたが、ハーマイオニーとロンに小突かれて、周りをきょろりと見渡してから声を潜めて話しだした。
「実は、夏に、変な夢を見て……そしたら、額の傷が痛んだんだ。それをシリウスに言ったら、シリウスがイギリスに戻ってきたみたいで……吸魂鬼に見つかってないか心配。大丈夫みたいだけど……
「フム」
 ベルはぴろ、とハリーの前髪を持ち上げた。ジッ、と額の傷を見て、戸惑う風情のハリーの目を覗き込み、ぺろんと前髪を戻す。
「適度な警戒はしておいた方がいいかもな。夢はどこにだって繋がるから。間接的にでも呪いの傷をつけられているんだし、何かしら繋がりがあってもおかしくない。魔法界における後見人に話したのは正しい判断だ」
「でも……
「シリウスからダンブルドアにも連絡を取ってる筈だ。入国するのに手引きがいるはずだからな。いざとなればルーピンも味方だし。大丈夫だよ、上手くやってるさ」
……うん」
 ベルはハリーのくしゃくしゃの髪を掻き混ぜた。やめてよ、とハリーが頭を振る。
……まあ、あんまりビビってるのも良くない。大丈夫だよ。気をしっかりな」
「うん。ありがとう、ベル」
 微笑んで、ベルは自分を杖でトントンと叩いた。土や泥の汚れが瞬きひとつで落ちてゆく。
 大広間にはほとんどの生徒が集まっていた。ハリー達と別れて、ベルはスリザリンのテーブルに座ろうとしたが、席が空いていなかった。壁際にでも立っていようかと辺りを見回すと、「空いてるよ」と声をかけられる。
「ああ、悪い。ありがとう」
「どういたしまして。ビクトール・クラムだ」
「こりゃご丁寧に。淋だよ。ベルって呼んで」
 軽く握手をしながら、はて、どっかで聞いたことあるような名前だな、とベルは思ったが、そんなことより目の前の食事の方が大事だった。しかし、クラムの周囲のダームストラング生はそうでもないようで、次々とベルに自己紹介して握手を求めた。ベルは目を瞬かせながら握手に応じた。
「パルミラを杖一本で連れて行ったのは君だろ?」
「ああうん、そうだよ」
「全然そんな感じがしないけど、すごい力持ちなんだな」
「え、いや、まあ……魔法でどうにでも……
「ダンブルドアに指名されてたってことは、すごく優秀なんでしょ? 違う?」
「試合には立候補した? 君みたいな人が選ばれたら強敵だろうなって話してたんだ」
「あー……えー……そりゃどうも……でも、立候補はしないよ。まだ17歳じゃないし……
「そうなの?」
 誰もが意外そうに瞠目した。ベルは知ったばかりの顔にじっと見つめられるのがなんだかいたたまれなくて、ごまかすようにしてミートパイにかぶりついた。
「じゃ、何年生?」
「五年生」
「授業には出てるよな? 見かけない気がして」
「出てるよ」
「さっき一緒に居た生徒達って寮違うよな? 知り合い?」
「うん」
 ベルへの質問はひっきりなしに続いた。ベルはどうしてこんなに声をかけられるのかが本当に分からなくて、終始戸惑いを隠せなかった。
 実のことを言えば、ベルはホグワーツの中でも一、二を争うくらいには顔の造形が整っていた。長く艶のある黒髪に灰がかった青い瞳はよく映えたし、普段外で過ごすことが多いにも関わらず、肌は白く澄んでいた。身長に見合った手足はスラリとしていて、立ち姿にもそこはかとない健康美がある。ヴィーラの血を引くボーバトンの生徒のようにどこか蠱惑的な雰囲気を纏っているわけではないし、常に気配を静かなものにしているので公にならなかっただけで、目を引く華やかさがあるのは確かだった。
 その威力、魔法の魔の字のつくもの全てを忌み嫌うマグルの男を手のひらでコロコロ転がせるほどである。にも関わらず近しい友人の姿がなく、パートナーも無しにひとりでふらりと過ごしていることが多いとなれば、もしかしてワンチャンあるんじゃないか、と思う生徒は多かった。
 ただし、スリザリン生は表面的に、ベルを孤立させていた。昨年末のクィディッチの試合で、ベルがことごとくスリザリンの味方をしなかった───常に中立の立場であり続けたので、優勝杯を逃したということになっているからだった。誰もがそんなことはないと内心分かっていて、けれどもそう言い出す勇気が持てずに、「俺だけが実情を知っている」という優越を皆が内心に秘めた結果、ベルは例年通り、半分以上の時間をひとりで過ごすことになった。もう半分は言わずもがな、セドリックをはじめとした友人達との時間である。
 ベルがなんとか初対面との慣れない会話を一段落させたところで、ダンブルドアが立ち上がった。
「さて、あと一分ほどで代表選手が発表される。名前を呼ばれた生徒は大広間の一番前に来て教職員テーブルに沿って進み、隣の部屋に入るように」
 ダンブルドアが杖を一振する。途端にくり抜きかぼちゃ以外の灯りが全て消えた。ゴブレットの青白い炎が、一際目立つ。
 ふと、炎がパッと赤くなった。パチパチ火花を散らしながら、炎が少しずつ大きくなる。すると、焼け焦げた羊皮紙が炎の先からハラリと落ちた。
「ダームストラングの代表選手は、───ビクトール・クラム!」
 ワッと歓声が上がった。ベルは拍手をして隣で立ち上がったクラムを見送った。
 再び、炎の勢いが強くなる。
「ボーバトンの代表選手は───フラー・デラクール!」
 シルバーブロンドの美少女が優雅に立ち上がって、レイブンクローとハッフルパフの間のテーブルを滑るように進んだ。
 フラーの姿が隣の部屋に消えると、ホグワーツの生徒たちの緊張感がいやという程高まった。炎が、三度、羊皮紙を選ぶ。
「ホグワーツの代表選手は───セドリック・ディゴリー!」
 ハッフルパフのテーブルで大歓声が爆発した。
……え?」
 セドリックはニッコリ笑って立ち上がり、友人達の激励を受けながら隣の部屋へ消えて行った。
 ベルは呆然としながら手を叩いた。セドリックが参加する? 試合に? そんな噂があったような気がする、でも本人はそんな素振りは一度も───

 ───聞かないよ。僕だけなんて、他の生徒たちにフェアじゃないだろ……

…………!」
 胸が詰まる。息が上手くできない。
「ハリー・ポッター!」
 は、とベルは我に返った。痛いほどの沈黙が、ある一点を襲っている。ハリーだった。彼は呆然としていた。ポカンと口を開けて、放心している。ベルは混乱した。今、一体何が起こっているのか?
 ダンブルドアがもう一度ハリーを呼び、ハリーはフラフラとダンブルドアの方へ行った。ハリーは何度か首を横に振ったが、ダンブルドアはハリーの背を押して隣の部屋へ行くように促した。
「さて、選ばれなかった生徒達も含め、皆打ち揃って、代表選手たちを応援してくれることと信じておる。では、もう寝る時間じゃ。おやすみ、諸君。駆け足!」
 ざわめきが反響した。教員達は揃って隣室に駆け込んだ。ベルは残ろうかどうか迷ったが、ハロウィンの飾り付けを片付けるのを手伝うようにフィルチに言われたので、大人しく従った。
 杖を振るいながら全てのくり抜きかぼちゃを厨房へ運ぶ荷台に移し終わる頃に、代表選手達が順々に出てきた。まずはボーバトン、次いでダームストラング。最後にホグワーツ───ハリーとセドリックだ。
「よう」
「ベル……
「ハリー、大丈夫か?」
 ハリーの肩に手を置くベル。セドリックは瞬いた。ハリーは未だ混乱の渦の中にいて、うんともすんとも言えなかった。
「僕、入れてないんだ、それなのに……誰かが名前を入れて……でも僕は年齢が足りないから選ばれないはずで、どうして───?」
「誰かがどうしてもお前を危険な場所に放り込みたかったんだ、ハリー。しっかりしろ」
 ベルはハリーの両肩をゆさぶった。ハリーは何度も目を瞬かせて、揺さぶるのを止められると、ふう、と息を吐いた。ベルはまっすぐハリーの目を覗き込んだ。
「お前の名前を入れたやつは、お前のことをなんとも思ってない。殺してえのか、お前が七転八倒するところを見たいだけなのか、目的は分からん。だから、ハリー、いいか。勝たなくていい。でも、負けるな」
「───」
「這ってでも生き抜け。泥水啜ってでも。皆に笑われても。誰に何を言われようとも。お前のことをなんとも思ってないやつなんかに負けるな」
……うん、分かった」
「よし」
 ハリーの肩が、ぱん、と音を立てる。ハリーは再度、ふー、と意識して大きく呼吸し、よし、と気合いを入れ直した。
「ありがとう、ベル。おやすみ」
「おやすみ」
 ハリーの姿は、すぐに階段の向こうに消えた。入れ替わるようにして訪れたのは、奇妙な沈黙だった。
 ベルはセドリックの方を向かなかった。セドリックは、なにか期待していたわけではないが、こんな反応は予想外だったので、「淋?」ほんの少しおっかなびっくり、名前を呼んだ。
 ベルは───淋は、果たして、能面のような顔でセドリックを見た。
……私には教えろって言ったくせに」
「、淋」
「しばらく私に近付くな。……フェアじゃねえんだろ」
「───」
 それは、セドリックが初めて聞く、淋の声だった。




 ベルは徹底的にセドリックを避けた。ハリーのことも避けたし、代表選手に選ばれた生徒達も避けた。カルカロフに言われたのか、スリザリンと行動を共にすることが多いダームストラング生は、ベルを見つけるなり声をかけるようになったが、ベルは何を言われても澄まし顔しかしない女を演じるのには慣れていた。
 何人かのハッフルパフの生徒がセドリックの代わりにベルを捕まえようとしたが、徒労に終わった。森で命懸けの追いかけっこをすることなんてざらなベルが、城の中で生徒達に尾行を許すはずもなかった。
 ベルは黙々とルーティンをこなした。朝は早く起きて生き物たちの世話をして、森の様子を確かめた。自分の授業をこなしながら、ハグリッドの授業の準備を手伝ってやり、植物や木々の世話をして、日が沈む頃にはまた生き物達の世話をしたり、厩舎の掃除をしたりした。パルミラはベルによく懐いた。ベルが姿を見せると傍に寄って、ベルが仕事をしやすいように道を空けたり、じっと大人しくしたりした。
 生徒達になんと言われようと、ベルが世話をしている生き物達は、ベルを裏切らない。ベルにはそれだけでじゅうぶんだった。


 第一の課題まで残り数日となったところで、ベルはルーマニアに呼ばれた。できるだけ人目につかないようしてドラゴンを運ぶためだ。何も気にせずに空を飛べば一両日でイギリスに着くが、そのためには通過する国々のマグルの首相達に許可を貰わなければならないらしかった。
 ベルはそこで、初めてスフィンクスを見た。
「あー……残念ながらウチに砂漠はないんだけども……
「構いませんよ、小さな守人」
「雨風凌げるようにはするよ……
 ウワァ喋ったァという顔をしながら、ベルはチャーリーと合流した。
「やあベル、上手くやってるかい?」
「まあまあかな。それ、何?」
 チャーリーは何事かの液体や粉末を大量に抱えていた。
「眠り薬や眠り粉だよ。ドラゴンを眠らせて運んだ方がいいと思って」
……チャーリーは自分が寝てる間にまったく知らん場所にいたらどうなる?」
「まずパニックになるな」
「じゃ、それ、どうすればいいか、分かるよね?」
………………
 チャーリーは踵を返して他のドラゴンキーパー達と相談しに行った。結果として、ドラゴンを眠らせるほどではなく、気分を落ち着けさせる程度には魔法薬を使用することになった。それは寧ろした方が良いだろうと、ベルも頷いた。
「じゃ、我が懐かしの岩のお城に向かって出発だ!」
 ドラゴンキーパー達が箒に乗って地面を蹴る。ベルもそれに続こうとしたところで、ぱく、とドラゴンに首根っこを咥えられ、ポーンと背中の方に飛ばされてしまった。
「なにごと!?」
「わー!! チャーリー!! ベルが!!」
 固い鱗を転がったベルが起き上がる頃には、ドラゴンは地面を離れていた。ベルはゆらゆら上下左右に揺さぶられながら、なんとかドラゴンの首の方にまで移動した。
「ベル! 何やってんだ!!」
「私の台詞だわ!!」
 人間達の怒鳴りあいなど我関せずといった体で、ドラゴンは翼を打った。
 旅は概ね順調に進んだ。魔法薬の効力が切れそうになる頃に人目のつかない郊外に到着し、ドラゴンキーパー達は休息を取りながらドラゴンに魔法薬を投与した。薬が効き始める頃に、一同は再び空を移動した。これを繰り返すこと数度、ドラゴン達は夜の闇に紛れながらホグワーツに到着した。
「ほーれこっちだ、ようチャーリー……こっちだこっち、いいぞ、その調子だ……お前はこっち……
 夜の闇を、ハグリッドがカンテラを持ってあっちこっちに移動し、ドラゴンを誘導する。
「おお、ベル、お疲れさん」
「ただいま」
 ドラゴンが頭を下ろす。その鼻面を滑るようにして、ベルは地面に降りた。
「よう懐いとるな。え?」
「そうかなあ。眠いだけだと思うよ」
 ベルの言う通り、ドラゴンは眠り薬の効果もあって、早々に翼を折りたたんで寝る体勢に入った。
 ベルはドラゴンキーパー達のキャンプ用に用意した敷地へ皆を案内した。ハグリッドが用意してくれていた石や薪は自由に使うように伝え、紐が括り付けられた木より奥に行かないように忠告した。
 ベルは城に戻ろうとしたが、「明日は土曜だろ?」とドラゴンキーパー達がベルをキャンプに誘った。久々に出会う仲間と積もる話をしたがったのだ。
 小さな焚き火を囲みながら、ベル達はいろんな話をした。ベルが日本に帰った後、ルーマニアはちょっと大変だったこと、それでも皆でなんとかしたこと。ベルはクィディッチのワールドカップの話をした。たった2、3ヶ月前の話なのに、随分と昔の事のような気がする。久し振りに、なんだか楽しい気持ちになったが、同時に、ドラゴンと対峙しなければならないセドリックとハリーのことを思うと、胃の腑が沈み込むようだった。
 セドリックのことも、ハリーのことも、フラーのことも、クラムのことも、ベルは死なせないと決めている。本当にマズいとなれば、ドラゴンキーパー達と一緒に会場に乱入する気でいる。それでも、大なり小なり、マダム・ポンフリーが治せるレベルの負傷では、手を出さないとも決めている。
 どうして皆が試合に、課題に挑戦したがるのか、ベルは不思議でならなかった。
 ベルが七月にドラゴンと対峙したのは、新学期が始まってから、何も知らないまま森でうっかりドラゴンと遭遇して怪我をしてしまうリスクを回避するためだ。フレッドとジョージのように絶対に賞金が必要だという理由があるなら分かるが、ハリー以外の三人に、これと言って必死にならなければならない理由があるようには見えなかった。
 そこまで考えて、ふと、セドリックが何故試合に参加しようと思ったのか、聞いてなかったなと、ベルは気付いた。

 ───試合の前に、聞いた方が良いかしら。死なせないと決めていても、万が一はあるのだし。

……
 いいや、とベルは内心頭を振った。
 セドリックがベルと仲がいいのは周知の事実だ。セドリックがベルの伝手を利用しているのではないかと疑われるのが、やはり嫌だ。
 意識して、深い呼吸を繰り返す。ベルは、第一の課題当日まで、キャンプに世話になることに決めた。


 第一の課題、当日。
 百では効かない人間が傍近くに集まっているとあって、ドラゴン達は終始落ち着かない様子だった。厄介なのは、人間でいうソワソワが、ドラゴンになると周囲の木々をまとめて薙ぎ払いかねない威力になることだった。しかし、試合の直前に失神呪文を使ってドラゴンにダメージを与えることは選手へのアドバンテージになる。ドラゴンキーパー達はどうにかこうにか、ドラゴン達が怒って空に飛び立たないように必死だった。
 やがて、ルード・バグマンが、「順番が決まった!」とチームに伝えに来た。
「スウェーデン・ショート-スナウト、ウェールズ・グリーン普通種、中国火の玉種、そしてハンガリー・ホーンテールだ!」
「ベル、行けるか!?」
「行ける!! 卵頼む!!」
 ドラゴンキーパーひとりにつきひとつ卵を抱え、メンバー達は行動を開始した。卵を運ぶのについて行くように、しかし決して卵の先を越させないように、ベルが上手く立ち回る。ドラゴンが競技場に姿を見せた途端、観客席を埋め尽くす生徒達は、悲鳴とも歓声とも取れる音を発した。
 卵を所定の位置に配置したメンバーはすぐに場外へ退避した。ドラゴンが卵を守るように陣取ったのを見て取って、ベルは首輪から繋がる鎖を地面に強か埋め込んだ。
 最後に杖を一振し、眠り粉などの効果を全て打ち消す。瞬間、蠢く人の気配と喧しい歓声を浴びたドラゴンは、不快感を顕に、凄まじい咆哮を轟かせた。ベルはその隙にさっさと退散した。
「さあ、一番手はこの選手! セドリック・ディゴリー!!」
 ベルは心臓の音がドキリと跳ねるのを聞いた。しかし、何事も無かったかのように所定の位置に着く。あくまでも冷静に競技場を見据えようというベルに、チャーリーは「無理するなよ」とだけ言った。
 無数の応援に見守られながら入場したセドリックは、何をするのかと思いきや、岩を犬に変身させた。会場がセドリックの応援でいっぱいになる。セドリックは犬を囮に上手くドラゴンとの距離を縮めたが、たかだか犬ごときで自分の巣に迫る不届き者をごまかせる筈もない。吼えるドラゴンに、セドリックは避けようとして、しかし放たれた炎からは逃れられなかった。観客が悲鳴を上げる。
……
 ベルは、努めて規則的に息をした。心臓はずっとドコドコうるさかったが、聞こえないふりを徹底する。
 セドリックは、しかし、ドラゴンから距離を取らなかった。顔が未だ焼けていても足を止めず走り続け、魔法で身を守りながら放たれる炎を掻い潜り、───最後には金の卵を抱えて巣穴から飛び出した。
「出るぞ!!」
 歓声が爆発するのに混じって、チャーリーの合図でドラゴンキーパー達が競技場に入った。卵を取られたことに憤るドラゴンに、ドラゴン自身の卵は取られていないことを確認させ、眠り薬や眠り粉を使う。大人しくさせたら、場外まで誘導する。ベルはすぐに、ウェールズ・グリーン普通種と共に場内へと戻った。
 二番手のフラーは、ドラゴンに魅惑の呪文をかけた。呪文の効果でうつらうつらとしたドラゴンの鼻息で衣服が燃えたが、緊張と恐怖に震えながらもきちんと対処し、金の卵を獲得した。
 三番手のクラムは、迷わずドラゴンの目に攻撃魔法を命中させた。これにはドラゴンキーパー達は揃って複雑そうな表情をした。直後、痛みにパニックを起こしかけたドラゴンがたたらを踏んで卵を潰してしまったので、ドラゴンキーパー達の顔は険しいものになった。そりゃあ誰だって、日々命をかけながら保護しているものを傷付けられたら、誰だって虫の居所は悪くなるというものだ。
 四番手のハリーは、誰もが思いつかなかった方法でドラゴンを出し抜いた───箒を呼び寄せたのだ。世界最速のファイアボルトは、ドラゴンの中でも一番気性が荒いハンガリー・ホーンテールさえおちょくった。ハリーが空に飛んだ瞬間、ドラゴンキーパー達は、自分達だって箒に乗ってドラゴンと対峙することがあるのに、揃いも揃って「その手があったか!!」なんて思ってしまった。ベルもその内のひとりだった。
 ハンガリー・ホーンテールをどうにか大人しくさせて禁じられた森まで連れ戻す頃には、競技場はとっくにスッカラカンになっていた。きょろりと辺りを見回すベルに、チャーリーは苦笑した。
「先に戻っていいって言っただろ」
……でも……
「うん?」
 ベルがむつかしい顔で口を尖らせる。
「私、生徒なのに、ここまでガッツリ運営に関わってるし。セドリックやハリーが、変に疑われたら嫌だよ」
……お前、ホントにスリザリンなんだよな?」
 チャーリーはやれやれと呆れ返った。
「お前はドラゴンの世話で忙しかったから知らないかもしれないが、マダム・マクシームも、カルカロフも、自分達の生徒にドラゴンのこと教えてたんだぞ。でなけりゃ十八歳が目を狙うはずがない。だろ?」
「よそはよそ、うちはうち……
「変なところがママに似たな」
「だってフェアじゃないって先に言ったのあいつだし!」ベルがワッと叫んだ。「だからって私も言うつもりなかったけど!! 私だって!! 心配で!!」
 チャーリーはちょっとだけ目を丸くした。常に冷静沈着なベルがここまで感情的になって声を荒らげるところを見るのは初めてだったのである。
「知らなかったのもショックだし!! ビックリしたせいでなんか喧嘩別れみたいになっちゃったし!! 丸焼きになりそうだったし!! ドラゴンて!! 馬鹿だろ!!!!!!!」
 どっかん。ベルが爆発した。ゼーハーゼーハー肩で息をするベルを、チャーリーは「ストレス溜まってたんだなあ」と慰めた。ベルは膝を抱えてその場に蹲った。
「もうやだ……絶対セドリックに嫌われてるし……心配するより先に自分の感情優先させるとか何事だよ……お前がドラゴンに喰われろよ……
 チャーリーはベルを慰めようとしたが、ほとんど同時にドラゴン達の出発の準備が整ってしまった。遠くから「チャーリー! ベール! 行くよー!」名前を呼ばれて素早く立ち上がったベルの表情はスン、としていて、先程まで幼子のように喚いていた女子とは同一人物とは思えなかった。


 ベルがルーマニアからの旅を終えて戻ってくる頃には、冬期休暇が目の前に迫っていた。スネイプは待っていましたとばかりに宿題の山をどっさりとベルに押し付けた。残念ながら、他の先生も同様だった。マクゴナガル先生は、ベル専用に、正しい英文法で学術的なレポートが書けるようにするための宿題まで用意した。
 何故かって、ベルは今年、OWL試験を受ける五年生だからである。
 ドラゴンの世話をしていた時間をそっくりそのまま課題に当てることになり、ベルの精神は癒されるどころか更に摩耗した。自分の眼窩がひどく落ち込んでいることまで、ハッキリと分かる。
「ベル、ベルったら。起きて、起きなさい!」
 小声で叱られて、ベルはハッと息を呑んだ。目を瞬かせて、混乱しかけた頭を落ち着ける。
「あ、……じにー……?」
「そうよ。もう、こんなところで寝てたらいくらベルだって風邪引いちゃうわ。ほら、マダム・ピンスにも叱られるわよ」
「ジニーってこんな可愛かったっけな……
「ええ?」
 心配そうな顔から一転、ジニーはおかしそうにクスクスと笑った。
「ほら、もう、早く立ってよ」
 腕を引かれて、立ち上がる。ベルは大きく欠伸しながら、思いっきり腕を伸ばした。
「ベル、ちゃんと寝てる?」
「寝てるよ。寝てます。ママに言うなよ」
「どうしようかなぁ」
「ジニー?」
「だってママったら、ベルのことすごく心配してたのよ。日刊預言者新聞に、ベルのことが載ってたから……
「あ?」
 ベルが剣呑に眉を顰める。ちょうどマダム・ピンスが通りがかったので、二人は揃ってなんでもない風を装って、図書室を後にした。
「で、なんだよ日刊預言者新聞に載ってたって」
「やっぱり知らなかったのね。確かこんな風だったかな……『ホグワーツはドラゴンの世話を生徒に任せ、魔法省もそれを容認している』とかなんとか」
「当たらずとも遠からずってやつだな」
 ベルはくわりと欠伸した。ジニーは犬みたい、と思ったが言わなかった。
「魔法省は寧ろ抗議すべきなんじゃないか。ドラゴンキーパー達の事を都合よく無視してやがるんだから。流石に四体は私の手にも余るぜ」
「四体じゃなかったらなんとかなるの?」
「なんとかするさ。必要ならな」
 あっさり言ってのけるベル。ジニーは呆れ顔にベルらしいわねと書くのを隠さなかった。
「ちなみに、どうやってなんとかするの?」
「雷落とす」
「えぇーっ、雷ってドラゴンに効くの?」
「効くともさ。食物連鎖の頂点だぜ、それを更に超えるのはもう自然の猛威しかないってワケ。まっ、今回は出し抜いて卵をとるのが課題だったから、陽動作戦は間違ってないってことだ」
「あの卵のこと、ベルは何か知ってる?」
「知らん!!」
 ベルの声がホールに響く。図書室の奥からマダム・ピンスがジロリとベルのことを睨んだ。
「もしこれ以上試合の手伝いをさせられるなら、OWL試験を無しにするか来年に回してもらわないと割に合わんね!!」
 心底からの本音に、ジニーは苦笑した。
「ベル、お仕事お疲れ様」
「ありがとう、ジニー。疲労困憊の姉に労いのハグしてくれてもいいんだぜ」
 さあ来い、と腕を広げるベル。ジニーは「そうしたいけど」悪戯っぽく笑った。
「私のハグより効きそうなのが来たかも」
「ん?」
「後ろ」
 うしろ、とベルが首を捻る。
「やぁ、淋。久し振りだね」
 にっこり。───セドリックが、満面の笑みでそこにいた。
「───!?」
 バッ、と音を立ててジニーを振り返るベル。
 ニマニマ笑いを隠さないジニー。
 静かにベルとの距離を詰めるセドリック。
 ぼのぼの汗を飛ばしながら、セドリックの方を見たり、ジニーの方を見たり、ワタワタするベル。
「そうそう、私、えーっと、友達と、今度のドレスとお化粧の相談をしようと思ってたんだった……じゃあね、ベル、居眠りしちゃだめよ」
「じっ、ジニー……!?」
 ジニーはあっという間にグリフィンドール塔へ続く階段へ駆け出した。思わず浮かした手を、腕ごとそっと下ろされて、引き寄せられる。優しいけれども有無を言わせぬ力でセドリックの方に向き直させられて、ベルは自分でもよく分からないまま息を詰まらせた。

 ───セドリックの顔に、傷はない。

 じわ、と視界が滲んだ気がした。眉間に力を入れて、無理やり焦点を合わせる。ほとんど無意識に、淋はセドリックの頬に触れていた。
…………いたい?」
 ほとんど響かない、消え入るような、震える声。セドリックは瞬き、どこか切なそうに目を細め、柔く笑みを深めた。
「大丈夫」
 くしゃりと淋の顔が歪む。泣かせたいわけじゃなかったのに、とセドリックは苦笑した。のろのろと伸びてくる腕の中に身を滑り込ませ、淋をしっかりと抱き締める。すん、と小さく音がした。
「ごめんね、淋」
 淋は小さく首を横に振った。ほとんどセドリックの肩に頭を擦り付ける形になってしまった。
「心配かけたね」
 んん、くぐもった唸り声が返ってくる。薄い背を宥めるように擦ると、細腕に籠る力が強くなった。
「試合、もう手伝わなくていいの? 僕たち、また前みたいに一緒にいられる?」
……ハグリッドのことは、手伝うから。もしかしたら、何か言われるかも……
 淋がそっと、セドリックから離れようとする。しかし、セドリックは淋の腰を抱く腕を外さなかった。
「でも、もう近付くな、なんて言わないだろ? 君は第二の課題に関わってない。そうだろ?」
……うん……
「じゃ、大丈夫だよ」
…………
 未だ不安そうなベルに、セドリックは大丈夫だと繰り返した。
「僕だけじゃなくて、生徒全員から距離を取っていたんだから。君が課題のこと、ちゃんと隠そうとしてたの、すぐに分かったよ」
「、…………
 淋が再び顔をくしゃりと歪めた。ベルはなんだか喚きたい衝動に駆られたが、なんとか堪えて、半ば喘ぐようにして言葉を絞り出した。
「どうして、参加したの」
 セドリックは、一度開けた口を閉じた。少しだけ視線を彷徨わせる。淋は、これがセドリックの思案する素振りだと知っていたから、ジッと彼が言葉を選ぶのを待った。
 やがて、ゆっくりと、セドリックが口を開く。
……君に、負けたくなくて」
「───」
 ちら、とセドリックが視線だけで淋を見る。
 淋は、灰青の瞳を丸くして、ポカンと小さく口を開けていた。セドリックは思わず目を丸くした。てっきり、何をそんなくだらねえ、とでも言われるかも、と思っていたから。
「ま、……まけてないよ、ぜんぜん……
「そう?」
 がくがくと頷くベル。
「でも、君はドラゴンに雷を落とせるらしいし」
「そういうことじゃなくて、……私、酷い態度だったのに、……ごめん……
「おあいこだよ」
 セドリックが朗らかに笑う。ベルはぎゅっと顔の中心に力が入ったのを感じた。
「そういうところだよ……
「?」
 セドリックが小首を傾げる。ベルは嘆息を堪えきれなかった。
 一大決心をした友人に、頑張れの一言もなくいきなり「近付くな」なんて言って、秘密裏に手助けをするどころか情け容赦なく突き放した奴を、「ルールを守ろうとしたんだろう」と微笑んで許せる奴の、どこが淋に負けているのか。淋はぐるぐると唸った。何を思ったのか、セドリックが指の背で喉の辺りを擽ってくる。
……とにかく。セドリック、そんな、……あんまり、余所事に囚われないで、……集中してね、適度に休んで……死なないようにはなってると思う、ドラゴンキーパー達、というか、大人たちはすごかったから……
「うん」
 苦い顔で言うベルの言葉を、セドリックは微笑みながら聞いた。
「でも、ほら、ハリーみたいなこともあるし、何があるか分からないから、気をつけて、本当に……万が一はあるから……ほんとに……
「うん。それじゃ、君が一緒に居てくれたら、百人力なんだけど」
「そりゃもう、これ以降のことは何も知らないし、うん、」
「クリスマスも一緒にいてくれる?」
「それくらい、もちろん、全然」
「じゃ、ダンスパーティーも一緒に行ってくれる?」
「うん、いいとも、任せたま、……え? なんだって?」
「やった! ありがとう、淋。楽しみだなぁ」
 セドリックは嬉しそうに笑って、再び淋をぎゅっと抱き締めた。淋は「???」と疑問符を飛ばしながら、ひとまずセドリックに腕を回して、ぎこちなくハグに応えたのだった。



 どうやら三大魔法学校対抗試合が行われる年のクリスマスはダンスパーティーを開催するのが伝統であるとベルが知ったのは、毎年恒例のクリスマスの準備に駆り出された折、とんでもない量の飾り付けの準備を目の当たりにした時だった。
「こんなにやる必要がありますか? 氷柱って……洞窟じゃあるまいし……
「いいからやるのです、ベル」
 マクゴナガル先生に言われて、ベルは箒に乗りながら、大広間をあっちこっち移動した。冷たくない雪を降らし、ハグリッドが運んできたモミの木に多種多様な飾り付けを施し、柊の葉や枝で壁という壁を飾り付けた。
「間違いなく今年が一番派手だな……
「お客様がいらしているのですから、当然です」
「いつものやつも好きなんだけどなあ。あったかくて」
「そうですか」
 例年、クリスマスの飾り付けを取り仕切るマクゴナガルは、チラリとベルの方を見た。
……ところで、ベル。今年は魔法薬用の鍋で料理をしないように。いいですね?」
「毎年恒例の伝統行事じゃないですか!」
 ショック! という顔をするベル。マクゴナガルはにべもなかった。
「今年ばかりは、私はハッキリとスネイプ先生の味方です」
「もう小豆を頼んだのに!!」
「来年に取っておきなさい」
「そんなあ!!」
 ベルは今まで一番情けない声を上げた。
「あんまりだ!! 一年で一度のお楽しみを!! こんなに手伝ってるのに!!」
 ベルはグリフィンドール塔の近くまでマクゴナガルについて行ってワアワア食い下がったが、取り付く島もないマクゴナガルに、とうとう徒労に終わった。
「なんだあいつ!!」
「ベル? 何してるの?」
 ひとり憤慨していたベルに声をかけたのはハリーだった。ロンとハーマイオニーも一緒だ。
「マクゴナガルが私に毎年恒例のアレをやるなって言ったんだ」
「毎年恒例のアレ……
「ああ、あの、何を作ってるのか分からないアレ」
「前の野菜のシチューは美味しかったわ! でも、今年は私たちだけじゃないし、自重すべきよ」
「クソ……スネイプの罰則はもうあって当然のものとして、マクゴナガルから罰則食らったことないから何が来るか分からんな……
 ベルが歯噛みする。この人やる気だよ、とハリーがハーマイオニーとロンの方を見た。二人は揃って肩を竦めた。
「ところでベル、ダンスパーティーは行くの?」
「ああ、行くよ」
「誰と行くの?」
 ロンが急き込んで聞いた。
「セドリック」
「やっぱりね」
 ハリーとハーマイオニーがしたり顔で頷く。ロンは複雑そうな表情だった。
「まだパートナーがいなかったら、ハリーと一緒に行って貰えないか、頼むつもりだったのに」
「ああ、ハリーも行くのか?」
「皆行くよ。ハリーは代表選手だから、皆の前で踊らないといけない」
 ベルは片眉を跳ねさせた。そしてグリフィンドール塔の、マクゴナガルの事務室がある方へ向かって、大声で叫んだ。
「聞いてねーーーぞ!!!!!」
「まあまあまあまあ」
 ハリーとハーマイオニーが左右それぞれからベルの肩を抑えた。
「踊れねえよ!!?!? どうすんの!!?!?」
「練習しましょう、皆で」
「スネイプは寮生に何も教えてないの?」
「さては私が居ない時を見計らって皆に言ったな……!!」
 ここのところ、生き物たちの冬支度のために、ベルは授業以外の時間のほとんどを城の外で過ごしていたのだ。
「セドリックからも聞いてないの?」
「聞いてない……どうしようハーマイオニー、私、生まれて初めて選んだから、ドレスが変かもしれない」
「見てあげる。ジニーも呼びましょう、ネビルに誘われてたの」
「大丈夫だよベル、僕のなんか中古で、フリルだかレースだか着いてるんだぜ。取り外せないか試してみるけど」
「あ、繕いものならできる。やってやろうか?」
「マジで!?」
「ベル、私の髪もどうにかできない? 編み込み、とっても上手だから」
「任せろ、なんとかしてやろう」
 善は急げだ、とハーマイオニーはジニーを呼びに、ロンはドレスローブを取りに、寮の中へ入っていった。
……ハリーは、誰を誘いたいんだ?」
「、」
 ハリーの頬がじんわり赤くなる。あらあ可愛い、とベルは頬を緩めた。
「誰にも言わない?」
「言わない。誰?」
 ハリーはきょろ、と辺りを見回して、ヒソヒソとベルに耳打ちした。
「チョウ・チャン。知ってる?」
………………ウン……知ってる」
 ベルの反応が微妙だったので、ハリーは小首を傾げた。
「いや、違うんだ。あいつはいいやつだよ、話したことないから知らんけど……」ベルは慌てて取りなした。「でも、ほら、同じアジア系統なのに、私はいろいろあって、向こうには何も無い時期が長かったからな、まあ私が勝手にこう、ちょっとな」
「あー……
「うん、だから、私はハリーを応援するよ。がんばれ」
「ありがとう。……でも、誘いに行こうとすると、皆クスクス笑うだろ? どうにかできないかな……フレッドなんか、アンジェリーナを誘う時、すごく慣れてて、アンジェリーナもあっさりしてたんだけど」
 ベルはちょっとだけ、フレッドがアンジェリーナに「ダンスパーティー行くかい?」と誘うところを想像してみた。アンジェリーナは、ちょっと考えて、あっさりと「いいわよ」と応えたのだろう。想像に難くない。
「なんか、ホグズミードに行くかい? のノリだな」
「フレッドにしかできないよね……セドリックはどうだった?」
「いや……なんか……話の流れで……気付いたらなんかそんなことになってて……? 私にもよく分からんというか……
「うーん……参考にするには難しいかな……
 ちょうどその時、ロンがローブを持って、ハーマイオニーがジニーを連れて戻ってきた。一同は空き教室に移って、ダンスパーティーについて自分たちが知っていることをいろいろと話した。誰が誰を誘ったとか、どこの店のドレスは最悪らしいとか、今年の大広間はすっごい気合いが入ってる、とか。ベルはロンのドレスローブを「びびでばびでぶ〜」と言いながら直し、ついでに色もちょっと変えて、ローブはだいぶどころかずっとマシになった。
「じゃ、ベルはセドリックとパーティに行くのね?」
「うん、そうなったよ」
 ハリー達に話を聞いたジニーはニッコリ笑った。
「良かったわね、ベル。どういたしまして」
「あ? なんで」
 ジニーは悪戯っぽく笑いながら言った。
「あの日、実は、セドリックに頼まれて、ベルを探してたのよ。あなたに謝ってパーティに誘いたいけど、あなたはかくれんぼが随分得意だから」
「───」
 ベルは、きゅ、と口を窄めて、黙り込んでしまった。ハーマイオニー達は顔を見合わせてニヤニヤし、ハリーは女の子たちがクスクスする理由が、なんとなくわかった気がした。


 クリスマス当日、女子生徒たちは特に殺気立って、かつ、それを表面的には隠し通そうとしていた。誰も彼もがお互いの身につけるものや化粧について探り合い、褒めそやし、互いに背を向けた途端、身内で集まってあれやこれや好き勝手言っていた。ベルは大広間の準備を手伝ってから自分の準備に取り掛ることになっていたので、廊下をほとんど走って移動しなければならなかった。何人か、ドレスローブやドレスに身を包んだ生徒達とすれ違う度、ベルは「なにをやってるんだ?」という視線に晒された。
 誰もいなくなった寮の部屋で、ベルはセーターを脱いだ。そして、ジニーとハーマイオニーに言われて一通り揃えたヘアメイクアップセットをベッドに並べた。ジニーが羊皮紙にまとめてくれた手順に沿って、髪を編み込み、すっきりと上げる。これでいいのかしらと鏡に映る困り顔とにらめっこしながら薄化粧を施し、ベルは二人に大丈夫だと太鼓判を押されたドレスを身に纏った。
 普通に歩いても間に合う時間に寮を出ることができたのに、ベルはとても焦っていた。何せ、初めての事だらけで、勝手の分からないことばかりだった。ダンスなんて縁が無かったし、ドレスもメイクも初めてだし、パーティは談話室でお祭り騒ぎするやつしか知らないし、しかもベルはその全てを欠席していた。
 大広間に近付くにつれ、生徒たちのざわめきが大きくなっていく。間に合った、とベルはひとまず胸を撫で下ろした。
「セドリックのパートナー、本当にちゃんとしたドレスで来るのかな?」
「さっき、急いで寮に戻ってたぞ……間に合わないかも」
「毛皮のドレスで来るんじゃない?」
 聞き覚えのある哄笑が、ベルの足元まで木霊した。獣臭いガールフレンドなんかごめんだ、と誰かが声を張り上げた。笑い声がさらに大きくなる。
 ベルは少しだけ立ち止まったが、早足で来てしまったために乱れた息を整えた。そうして、力強く、一歩を踏み出した───理不尽な悪意に晒された時、どういう姿勢で、どういう態度でいればいいか、ベルはよく知っていた。
 いくつかの視線が、ベルを捉える。ベルは堂々と、ただ静かに、いつものようにそこに立っていた。凛とした立ち姿は、下品な悪意ある軽口を叩きのめすのに、十分すぎる威力を持っていた。
 ベルは冬の夜空を纏っていた。首元は夜空に小さな星の光が控えめに瞬き、剥き出しの肩と腕の白さを引き立てていた。ドレスは胸元から少しずつ濃紺に移り変わり、小さく波打つ裾まで美しいグラデーションを描いていた。
 セドリックが微笑んで、手を差し伸べてくれたので、淋はもう、それだけでじゅうぶんだった。ほんの少し燻っていた不安が、ホッと小さく吐き出されて霧散する。
「かっこいい、セドリック」
「きみも。最高だよ」
「毛皮じゃないけどね」
 ふっ、とセドリックと、近くに話が聞こえたらしいハリーが噴き出した。ハリーの隣のチョウ・チャンも、小さく忍び笑いを零している。
「毛皮でも、きっと似合うんだろうな」
「任せてよ」
 ベルが得意げにふふんと胸を張る。
 とうとう堪えきれなかったセドリックが、ふは、と肩を揺らして笑った。ベルもくつくつと喉の奥を震わせる。セドリックが隣で笑ってくれるなら、理不尽な悪意など物の数ではない。
「揃いましたね? 代表選手とそのパートナーはこちらへいらっしゃい」
 マクゴナガルが扉の脇に代表選手達を移動させた。大広間の扉が開くと、生徒達が代表選手達を通り過ぎて広間へ進んで行った───途中でベルと、クラムの隣に立つハーマイオニーを恨みがましい目で見ているのをごまかしきれず、それでもつんと澄ましていた───ネビルとジニーを覗いて。ジニーのドレスはロンのドレスローブのように、ベルの魔法のおかけできらきらしい輝きを放っていた。元々部分的にピンクだったものを、淡いグリーンの色に揃えただけだが、ジニーがとても楽しそうに手を振ってくれたので、ベルもほとんど満足していた。
 代表選手達は大広間の一番奥のスペースへ、マクゴナガル先生の後をついて行った。広間の壁は霜に覆われ、夜空を彩る天井からはヤドリギや蔦の花綱が絡んでいた。最奥のテーブルには教職員と審査員が座っていたが、クラウチはいなかった。代わりに、昇進したというパーシーが座っていた。
 ダンブルドアがメニュー表を見て自分の皿に「ポークチョップ」と注文したのを皮切りに、皆めいめいに好きなものを注文した。乾杯の合図も特に無く、食事の時間が始まった。
 セドリックは、淋が優雅な仕草でナイフとフォークを扱うので、内心少し意外だった。彼女はいつも、どちらかと言えばカジュアルに大口を食べて一度にたくさん頬張り、さっさと食事を終えて授業や生き物たちの世話に行ってしまうので、ゆっくり食べているところが少し新鮮だったのだ。
 流石淋、と感心するセドリックの傍ら、ベルはチラリとハーマイオニーの方を見遣った。クラムと話し込んでいたハーマイオニーは、それでもベルの視線に気付き、よくやってるわよ、と言わんばかりに微笑んだ。ベルにマナー師範をしたのは誰あろう、ハーマイオニーだったのだ。ベルはハーマイオニーと、ハーマイオニーが見つけてくれたマナー本に深く感謝した。
 食事を食べ終えると、ダンブルドアが立ち上がり、全員立ち上がるように促し、杖を振った。音もなくテーブル達が壁際に寄り、大きなステージが立ち上がる。同時に妖女シスターズが拍手で迎えられた。バンドが楽器の準備を終えたかと思うと、ふ、とランタンの明かりが消えた。
「淋、立って」
「、あ、ウン、」
 抑えた声で言われて、そうだった、踊るのだ、と淋は慌てて、けれども静かに立ち上がった。
「セドリック、私、踊ったことない、」
「そうなの? 大丈夫だよ、リードするから……
 煌々と照らされたダンスフロアへ誘われる。淋はガチガチに緊張していたが、明るく照らされたダンスフロアに入ってしまうと、周囲が暗くなって観衆の顔の判別がつきにくくなると気付いて、肩の力を抜いた。妖女シスターズが、スローテンポの曲を奏で始める。腰を抱いて引き寄せられ、「手はこっち」とセドリックの腕に置くように囁かれ、淋は先程とは違う意味で息を詰まらせた。

 ───ちかい!

 ハグをするとき、いつもこのくらいの距離のはずなのに。
 どうしてか、いつもより、セドリックとの距離が近く感じる。淋は自分の顔がほんの少し熱を持つのが分かった。恥ずかしいから、ハグをするなりなんなりしてごまかしたいのに、それができない。灰色の瞳から、目が逸らせない───淋はほとんど無意識に、セドリックのリードに沿うように動いた。元々の運動神経と反射神経の良さで、傍目から見る限り、淋の動きは初心者のそれとはかけ離れていた。
「本当に初めて?」
「───、え、なに?」
……ううん、上手いよ、淋」
「ほんとう?」
 ベルが困ったように眉を下げる。
「足、踏んでない?」
「うん」
「あ、ねえ、リードやめないで、」
「ふふ、ごめん」
 意地悪しないでよう、とベルが口を尖らせる。セドリックはなんだか楽しくなってしまったが、それ以上は自重した。ちょうど、曲の終わりが近付いていた。
 妖女シスターズは拍手がひと段落した後、打って変わってテンポの早い曲を奏で始めた。教職員達は静かにダンスフロアを離れ、生徒達はめいめい顔を綻ばせてステージの前に集まった。
「行こう、淋」
「へ、あ、うん、」
 手を引かれるがまま、淋は群衆の中に混じってリズムに乗って体を揺らした。音に乗せて体を動かすのは楽しかったが、同時に難しかった。途中、セドリックの友人の六年生達がワッとセドリックに群がって、淋ごと飲み込んでしまったので、淋はええいままよと皆の真似をした。生徒達の盛り上がりは最高潮だった。
 しばらくすると、淋はセドリックの上着を肩にかけて、何故か外に居た。まだドラムのビートがどかどかと内蔵にまで響いているようだった。
 火照った体が、冬の空気で余計に際立つ。まるで酔っ払ったみたいだ、と淋はちょっとだけふらふらしていた。
「淋、大丈夫?」
「ン……
 大丈夫、と答えようとして、淋は失敗した。なんだか自分の中身がごちゃごちゃしている。セドリックは淋の腰を支えるように抱いた。
「あっちに座ろう」
 魔法で作られた薔薇園の中には、いくつかベンチが置かれていた。妖精がたくさん、ちらちらと辺りを漂っているので、薔薇園の中は仄かに明るかった。そのうちのひとつに座って、二人はどちらからともなくホッと息を吐いた。
……冷えない、」
「僕が? 平気だよ、ありがとう」
 はい、とバタービールの瓶が差し出される。淋は礼を言って、乾杯、と瓶を鳴らし、ひとくちだけ口に含んだ。
……楽しかった?」
「ん……でも、しばらくは、いいかな……
 慣れないハイヒールを履いたから、どっと疲労がまとわりついていた。足など、もはや感覚が遠くなりかけている。
 セドリックが淋を抱き寄せてもたれさせてくれるのに甘えて、淋は再び息を吐いた。上着がほどよく重くて暖かくて、このまま眠ってしまいそうなくらい、淋の目はとろんと溶けていた。
 そっと、額と前髪の境目あたりに、柔らかいものが当たる。セドリックが口付けてくれている。
 いつもはドギマギしてしまうのに、どうしてか、覚めやらぬ興奮がとろとろと溶けていくようだった。
「疲れちゃった?」
…………
 もう少し甘やかしてほしいな、と欲が出るのを感じながら、何か言い出せるわけでもなく、淋の指がぱたた、と音を立てる。
「りん、」
 淋は瞬いた。自分の名前ってこんなに甘やかな響きになるんだ、とぼんやり思いながら、ゆるりと顔を上げる。
 ───いっそ、騒がしいくらいの雄弁な瞳が、じ、と淋を見つめていた。淋はそれを言葉にすることはできなかったが、セドリックが何がしか、たくさんの言葉でたくさんの想いを巡らせて、たくさんのことを考えているのだと分かったから、そして、それがどうしてか、すとんと胸の内にぴったりと落ちるようだったから、……ほんのすこし冷えた指を、そっとセドリックの頬に寄せた。
 どうしてこんなことをしているのか、淋には言葉で説明できなかった。ただ、セドリックの瞳にあてられて、熱を移されて、……ほんのすこし、首を傾けて、瞼を閉じたのだ。
 ───くちが、塞がれる。柔い感触が、ふゆりと、淋を蕩かしてゆく。
 ダンスより、こっちの方が好きだなと、淋は思った。すっかり力の抜けてしまった体を、このままでもいいんじゃないか、なんて放置してしまう。ちかちか、ちらちら、妖精の光なのか、セドリックと近すぎるせいか、瞼が上手く開かなくて視界が効かないのも、どうでもよかった。もう一度先程の気持ちいいのがほしくて、淋はセドリックの頬を、かり、と爪でかいた。少しだけ顎を上げて自分から近付けると、想像より早く、くちびるが合わさった。
 こてん、とセドリックの肩に頭をもたせかけた淋の表情は、とろりとして、普段の涼やかな佇まいからは想像できないほど甘やかだった。もう一度キスしたい衝動を堪えながら、セドリックは淋の頭に自分のそれを重なるようにした。ちらちら、ちかちか、妖精達が薔薇園の中を漂っている。
 ふたりとも、何も言わなかった。うるさいくらいの何かがここには満ちていたのに、ふたりして適切な言葉を紡ぐことはできなかった。淋は言わずもがな心地よい疲労という微温湯にほとんど身を浸していたし、セドリックも羞恥の方が勝ってしまった。
 しばらくすると、ごくたまに漏れ聞こえていた歓声とバンドの音が一際大きくなった。そろそろ解散の時間だ。
「淋、起きてる?」
「、ん」
「寝てた?」
「おきてた……半分」
 ほとんど残っているバタービールの瓶は、セドリックに回収されてしまった。足がもう動きたくないと言っているのを無理やり動かして、淋はセドリックに支えてもらいながら玄関ホールに入った。ちょうど生徒達が寮に戻る流れができているところだった。
 淋はセドリックにローブの上着を返した。ひやりとした空気が、剥き出しの肩を撫でる。おかげで、ほんの少しだけ、視界がシャッキリした気がする。
「ハリー、」
 声を発したのはセドリックだった。ハリーもどこか疲れた風情で、チョウと寮に戻ろうとしているところだった。少し待ってて、というような事を言って、ハリーがこちらへ駆け寄ってくる。
「淋、悪いんだけど、チョウと待っててくれない?」
 淋は一度セドリックを見上げた。視界はシャッキリしても、頭はほとんど眠っているようだった。数拍して言われたことを理解した淋は、するりと腕を解いて、チョウの方へ移動した。チョウは民族衣装のモチーフを取り入れた、白地に生成の、綺麗なドレスを着ていた。
「ハイ」
「こんばんは」
 なんだかんだ、同学年のくせに、まともに話すのは初めてかもしれない。ニッコリ挨拶してくれたチョウに、淋も微笑んだ。
「選手同士で話があるみたい。……ここで待ってていい?」
「もちろん」
「ありがと」
「外にいたの?」
「うん……
 淋はチョウの隣に並んで、ハリー達の方に視線を向けた。何やら真剣な表情で話し合っている。チョウは、そっと淋との距離を詰めた。
「あのね、正直に言うと、意外だったの。ハリーは、ハーマイオニーか、あなたを誘うんじゃないかって思ってたから」
 淋は瞬いた。ちらりとチョウの方を見やると、彼女は人の好さそうな顔で微笑んでいる。
……ハリーは、最初から、あなたを誘いたかったみたいよ」
「そうなの?」
「でも、変にからかわれたり、注目されたりするのは、ちょっと、……おなかいっぱいみたい」
「あぁ……そうだったの。そうよね、ただでさえ、だものね……
 それきり、淋は口を噤んだ。疲労が重たいローブとなって押し寄せていて、気を抜けばその場で眠ってしまいそうな勢いだった。気を遣って何が喋るべきかと思ったが、ちょうどいい話題を探せるほど、淋の脳みそは起きていなかった。
……チョウは、たのしかった?」
 だから、月並みなことしか聞けなかった。
「ええ、とっても。あなたは?」
「うん。まあまあ、……ねむい」
「ええ?」
 チョウはおかしそうにクスクス笑った。淋はちょっとだけホッとした。勝手に嫌な感じを抱いていた相手も、実際話してみるとこんなもんだと、どこか胸のつかえが取れた気がした。
「お待たせ」
 話が終わったのか、ハリーが戻ってきた。
「ベル、もう寝そうだよ。コケないでね」
「うん。たのしかった?」
「とっても!」
 にこ! と笑うハリー。ベルも優しく眦を弛めた。
「よかったよかった。おやすみ、ハリー。チョウも」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 二人が階段を上がっていく。手を振って見送っていると、「送るよ」と自然にセドリックに腕を組まれた。
 地下にある寮への道を、二人はゆっくりと進んだ。生徒たちはもうほとんどいなかった。
「なにをはなしてたの……
「第二の課題のことだよ。卵の謎について、ちょっとね。……実は、ハリーに、ドラゴンについて教えてらったんだ。君は完璧に孤立していたから、ハグリッドが誰かだと思うんだけど」
…………あぁ……マダム・マクシームも来てたし、カルカロフも来てたからな……
 ふぁ、と淋の欠伸が混じる。
「それで、第二の課題は、……たぶん、君も関わることになると思う」
……?」
 こてん、と首を傾げる淋。セドリックは静かに言葉を続けた。
「第二の課題は、大切なものが、おそらく水中に奪われる。僕は一時間以内に、それを取り戻さなきゃいけない。……君じゃないといいんだけど」
 淋は、改めてセドリックの顔を見遣った。心配そうな顔に、私だって同じような気持ちを味わったさ、とは思えども、それを口にするのは違う気がした。この空気を壊したくなかったのだ。
 大丈夫だよ、死なないよ、と言おうとして、これも違うかも、と飲み下す。
……取り戻してくれる?」
「もちろん」
 しっかり答えて、セドリックは立ち止まり、淋をまっすぐ見つめた。淋もセドリックを見つめ返し、微笑んだ。
「じゃ、待ってる」
……分かった、任せて」
 ハグをして、おやすみと言い合って、ふたりはそれぞれの寮へ戻った。談話室に生徒の姿はほとんどなく、淋は気楽に自室へ進み、ドレスを脱いで身軽になって、ベッドの中に飛び込んだ。


 ホグワーツの冬は雪深い。ベルはフィルチや他の教職員と薔薇園を片付け、噴水や彫刻を片付け、大広間の飾り付けも取り外し、綺麗さっぱり元の城を取り戻した。
 数日後、生き物たちの世話をする傍ら、ベルは「あれ、」と首を傾げた。アブラクサン用のウィスキーがそのままで置かれていたからだ。ハグリッドはアブラクサンの世話は自分から率先して行い、体が小さくて危ないからという理由でベルには手伝わせなかったのに、来ていないのだろうか。ベルは厩舎を掃除し、天井に積もった雪を下ろし、シングル・モルト・ウイスキーをたっぷり与えてから、ハグリッドの小屋へ行った。昨日だか一昨日くらいまでは元気だったのに、風邪でも引いたのだろうか。ベルはカーテンを締め切った小屋のドアを、無遠慮にガンガンガンとノックした。
「ハグリッド、起きてるか? 寝坊か?」
 ファングが吠える。ドアをカリカリと爪でかいている。
 少しすると、「ほっといてくれ」と嗄れた弱々しい声が返ってきた。
「風邪か?」
「いいから、帰れ」
「なんだあ、それ。薪は足りてんのか」
「ほっといてくれ。戻れ、ベル。来ちゃなんねえ」
「お前またドラゴンの卵でも隠してんのか? 言えよ、怒らねえから」
「違う! いいから、戻ってくれ。どっか行ってくれ……
 ベルは眉を寄せて、ひとり困惑したまま、しばらくドアを見つめたが、結局は戸惑いながらも踵を返した。何度か小屋の方を振り返っても、ハグリッドは中でジッとしているのか、何かが起こるどころか、身じろぐ気配すらなかった。
 ハグリッドがどうしてそんなことになったのか、明らかになったのは夕方になってからだった。
「おお、ベル。ここにおったか」
「あれ、ダンブルドア先生」
 ほーれご飯だよー、と給餌をしているところに、ひょっこり顔を出したダンブルドアに、ベルは瞬いた。校長がこんなところに来るのは珍しかった。
「どうしたんスか」
「ひとり、紹介したい先生がおってのう。こちらじゃ、ミス・グラブリー=プランク」
「こんにちは」
 灰色の髪の初老の女性が挨拶した。ベルは「はぁどうもこんにちは……」と軽く会釈した。
「こちらは淋。皆にはベルと呼ばれておる。スリザリンの五年生じゃが、特別にハグリッドの仕事の一部を手伝ってもらっておる。ホグワーツの魔法生物のことで分からないことがあれば、べルに聞いてくだされ」
「承知しましたわ、校長先生」
……新しい先生ですか?」
「ハグリッドが休む間に、代わりを務めてくださる先生じゃ」
「やっぱり風邪ですか?」
「それよりもちと厄介じゃのう」
 ダンブルドアは、ベルに日刊預言者新聞を差し出した。ベルは給餌用のバケツを置いて新聞を手に取った。パフスケインがバケツの中を覗き込もうとしたが、「こーら」とべルに言われて大人しく自分達の飼育場に戻って行った。
 見出しには、「ダンブルドアの『巨大な』過ち」と大きく書かれている。冒頭は、リータ・スキータという特派員が、ダンブルドアの教職員の選定について批判を寄せていた。ところが途中から、記事はハグリッドの話に擦り変わった。ハグリッドが危険な生物で生徒を脅しており、新種の魔法生物を生み出すという違法行為に手を染めており、かつ、純粋な人ではなく、かつて魔法族と敵対していた巨人と人の子だとまで暴露していた。
……
 ベルは少し遠目で新聞の一面を見た。
「これ、日刊預言者新聞から日刊文春砲に名前を変えた方がいいんじゃないか」
「ふーむ、一考の価値がある意見じゃな」
 このじいさん、文春砲を知っている……? ベルは訝しげにダンブルドアを見やったが、別のことを口にした。
「ハグリッドが自分でこのリータ・スキーターに喋ったのか?」
「尻尾爆発スクリュートのことはそうかもしれんが、自分が半巨人であることは違うじゃろうな。はてさて、リータ・スキーター女史はどうやってこの情報を手に入れたのか……城での生徒や教職員への取材は断っていたはずじゃがのう……
「どこの世界でもマスコミはがめついね。察するに、巨人族の血を引いていることが魔法界では不利になるんだな?」
「残念ながら、そういう現実があるということは、否定できん」
「クソッタレ」
 吐き捨てたが、淋は新聞を丁寧にたたみ、ダンブルドアに返した。
「ハグリッドは、軽はずみな悪意に晒されて苦しんでおる。なんとか元気づけてやらねばならんが、それと同時に、リータ・スキーター女史への対策もせねばなるまい」
「部外者が忍び込んでるなら目立ちそうなもんだがな……分かった、森の方は探してみる」
「頼む。グラブリー=プランク先生、後はよろしく頼みましたぞ」
「任されました。じゃ、今のあなたとハグリッドの仕事を教えてちょうだい」
 ダンブルドアは踵を返して城の方に戻って行った。ベルはこくりと頷いて、朝から晩までの一日のスケジュールをグラブリー=プランクに話して聞かせた。グラブリー=プランクは授業構成の手伝いはしなくても良いと言い、ベルもこの人なら必要なかろうと納得して身を引いた。
 グラブリー=プランクが授業に使うための一角獣を探しながら、ベルは見慣れない姿の動物や虫がいないかどうか探り始めた。シリウス・ブラックが犬に化けて城に紛れ込んでいた例があるので、リータ・スキーターもそうしている可能性がある。人が化けているなら見れば分かるが、そのためにはベルの視界に入らなければならない。ベルはいつもより長く森に留まるようになった。しかし、特に成果を得られないまま、一月に入って新学期が始まり、あっという間に週末になってしまった。
 ベルから話を聞いたセドリックは、「ホグズミードに居るかもしれない」と思案しながら言った。二人はデートをする素振りでホグズミードに行こうとしたが、「前にハリーとハーマイオニーがリータ・スキーターに面白おかしく書かれてただろ!」とセドリックの友人達に叱られ、五、六人でホグズミードに繰り出す事になった。
 何はともあれひとまずバタービールで温まってからリータ・スキーターを探そうということになり、一同は三本の箒に入った。
「あ、」
「いた」
 スススーッと奥の方に進んで空いているテーブル席を占領する生徒達に混じって、ベルも瞬きながらテーブルに座った。
「え、いた? どれ?」
「あれだよ、バナナみたいな女」
 振り返らずに言った生徒の頭上から店内を見渡すと、確かにバナナ色のコートを着た女がジョッキを片手に自分の周りで羽根ペンをフワフワさせていた。隣には腹の出たカメラマンらしき男がいる。
「探す手間が省けたな」
 人数分のバタービールがふわふわと漂ってきたのを受け取り、それぞれ飲んで温まったところで、ひとりがテーブルに肘をついて身を乗り出した。
「で、これからどうするんだ?」
「うーん。そうだな……
 ダンブルドアはホグズミードでの取材を禁止したわけではない。ここで変に接触することは避けたい。スキーターの姿と気配はもう見て覚えたから、あとは彼女が動物に変身していようと、ベルなら見つけられる。
 しかし、こういうところで先手を打たねば、後でまた悔やむことになるかもしれない。ベルは黒い日記帳のことを思い出していた。
……追いかけられるようにしたい。印みたいなものをつけたいんだけど……私がちょっと、たまたまスキーターにぶつからなきゃいけないな……誰か羊皮紙持ってる? 切れ端でいいんだけど、あと羽根ペン」
 ひとりがポケットから羽根ペンを出し、ひとりが羊皮紙を取り出して、数センチぶんちぎった。
 ベルはサラサラと羽根ペンを走らせた。
「それなに? ミミズ?」
「日本語だよ。日本語の古い文字……ミミズがのたくってるように見えるよね、分かるよ、私もばあちゃんが書いたやつは読めないときが稀によくある……できた」
 ベルは羽根ペンを返し、羊皮紙を丸めてぎゅっと握り込み、フッと拳の中に息を吹き込んだ。
「それ、なんの魔法?」
「故郷の……まぁ、魔法か……えーと、まね妖怪みたいなのがうちにもいるんだけど、そいつと本物を見分けるためにつけることが多い……かな」
 へー、と生徒達が揃って感嘆する。
 本当は山で悪さをしたときにつけられる焼印のようなものなのだが、ベルは黙っておくことにした。何も知らなかったベルが焼印で人外や異形を見分けていたことは事実なので。
「じゃ、作戦はこうだ。俺たちが今からあそこのテーブルのうちの生徒に話しかけて通路を塞ぐから、お前とセドリックはカウンター側を通る。で、まあ、何かあってベルがよろける。これでいいか?」
 オーケー、と口々に言い合って、それぞれのバタービールを飲みきり、「じゃ、そろそろ行こうぜ」と生徒達は立ち上がった。ベルとセドリックは人数分のジョッキを抱えてマダム・ロスメルタの方へ行き、ニッコリ笑って挨拶した。
「気をつけなよ、そこ、狭くなってるから……
「ああうん、だいじょうわっ!!」
「淋!」
 どたた、とコケかけたベルは、しっかりとスキーターの腕を掴んだ。ベルの手の中で焼印が羊皮紙ごと、じわりとスキーターの中に滲んで消えてゆく。
「あら……あら! あらまあ、」
「あ、その、ごめんなさい、」
「いいえ、怪我してない? どうぞお座りになって、お話しない? あなた、ドラゴンキーパー達の手伝いをしてた生徒さんでしょ? ハグリッドの手伝いもしてたのよね? ハグリッドについてなにか一言聞かせてくれない?」
「え、ああ……
 マシンガンのように喚き立てられて、ベルはセドリックに立たせてもらいながら小さく眉を寄せた。スキーターの向こうでマダム・ロスメルタが「早くお行き!」と口パクで怒鳴っている。
 ベルはしょんぼり、寂しそうにした。
「ハグリッド、最近、誰かに何か言われたか、嫌なことされたみたいで。他人にそういうことをしてもいいと思っている人がいることが、悲しいです」
「───」
 ぴし、とスキーターが固まり、羽根ペンさえ動きを止めた。セドリックは思わず、ぐ、と奥歯をかみ締めた。
「お姉さん、失礼ですけど、遠くからいらしたんですか? この村の人じゃないですよね? あんまり見ない、不思議なコートだから。お似合いだなと、さっきから思ってたんです。ところで、ハグリッドや私のことを、いったいなにでご存知になったんですか?」
 ひく、とスキーターの口元が引き攣る。あくまでもキョトンとした、純新無垢な態度のべルに、羽根ペンは今や、まともな文字を書くことができず、ぐちゃぐちゃとした無茶苦茶な線を引いて、羊皮紙とインクを無駄にしていた。
「淋、皆が待ってるから、そろそろ行こう」
「あ! ごめんごめん。じゃ、お姉さん、良い一日を! マダム、ごちそうさま!」
 お手本のような笑顔で手を振り、淋は生徒たちと合流して、店を後にした。三本の箒が見えなくなるくらい離れたところで、生徒達は「見たかよ、あの顔!」ワッ、といっせいに笑いだした。先程の綺麗な笑顔はどこへやら、ベルは半眼でニヤリと意地悪く片頬を吊り上げていた。
「どうだ、これがスリザリンの真骨頂ってやつだぜ」
「ヒーッ! おっそろし〜!」
 ワハワハ笑う生徒達に混じって、淋はちょっと気分が上向いた。
「強烈なパンチだったな……
「こういうところで、この村の人じゃないですよねって、そりゃほとんど禁句だぜ、ベル」
「あのだっさいコートを、よくもまあ、あんなに上手く皮肉ったものよね!」
「ありがとありがと」
「次は変な女に騙されたセドリックの記事が出るんじゃないか?」
 生徒のひとりがくつくつ喉奥で笑いながらセドリックをからかった。ベルは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんね、セド」
「いいよ。なんだかおもしろくなってきたんじゃないか? 父さんは嫌がるかもしれないけど」
「申し訳よ……でも、ディゴリーさん、尻尾爆発スクリュートは違法じゃないって、記事を出してくれないかなぁ……忙しいかしら……
「え、マジで尻尾爆発ナントカって学校にいるのかい?」
「うん、今は私が世話してる」
「違法じゃないのよね?」
「ウン、違法じゃないよ」
 心配そうに、顔を見合わせる生徒達。シラッとするベル。
 正しくは違法じゃなくさせた、ということを知っているセドリックは苦笑したが、今となっては違法ではないのは事実なので、何も言わなかった。
「なぁ、それって校庭をうろついたり、人を襲ったりしないよな? つまり、僕たちは安全だよな?」
「うん、城からは一番遠いところにいるし、躾てあるし。でもあんた達がビビると向こうもびっくりして反射的に暴れるからね、スクリュートに限らず。何が出てきても『お、なんかおるな』くらいの気持ちでいるがいいよ」
「それができたら苦労しないわよ……
 城に戻ったところで、ベルは生き物の世話のために生徒達と別れた。そのうちの一人が、怖々とべルに声をかけた。
「スクリュートの世話もするの?」
「うん」
……手伝いって、いる?」
 ベルは、うっそりと笑った。
「本当に見たいか?」
「おっとそうだ宿題があった!」
「あっはっは! 賢い選択だとも! いやホント! あれめっちゃくっせぇから!!」
 遠くなっていく生徒達にバイバーイと手を振って、ベルはダメ元でハグリッドの小屋へ行くことにした。
 ハグリッドは、果たして、小屋の外に出ていた。目は腫れ上がり、髪はぐしゃぐしゃだったが、それでもどこかスッキリとした、晴れやかな顔をしていた。
……おかえり、ハグリッド」
「おう、ベル。……ただいま」
 ハグリッドが鼻を啜ってはにかんだ。ファングが嬉しそうに尻尾を振っている。ベルはファングの耳の後ろをカリカリ撫でてやり、ぽん、とハグリッドの腕を叩いて、いつものように生き物達の世話に向かおうとした。
「何も聞かねえのか」
「聞いてほしいか?」
 優しい声で意地悪に言われて、ハグリッドは思わずぐぅ、と顔を顰めた。
「どうせハリー達だろ」
「ダンブルドアもだ。辞表は受け取らんと、直接言いに来てくれなすった」
「お前、これから何かする前に逐一私に言えよ、マジで。辞めるこたァねえだろう!?」
「辞めん。ハリーが頑張っちょるのに、おれが頑張らんわけにゃいかん」
「お、おお……そうだよ、その意気だよ」
 あんまりキッパリ言ったハグリッドに、ベルは驚いたが、頬を綻ばせた。気合いの入ったハグリッドは、やはり頼りになる男だった。


 二月。
 いよいよ明日は第二の課題とあって、セドリックは淋の傍に居たがった。淋はセドリックの顔が険しくなるところを、ほとんど初めて見た気がした。
 生き物達の世話があるので、ベルの夕飯はいつも遅めだ。この時間に食事をする生徒はほとんどいないから、セドリックとベルは、ベルが夕飯を食べ終えても、二人で他愛ない話をしていた。
「ベル、ここに居ましたか。話があります、ついていらっしゃい」
 セドリックが、ぐ、と隣に座るベルの手を握った。ベルは気にせずに立ち上がった。マクゴナガルが踵を返した隙に、さっと身をかがめて、セドリックの前髪あたりに唇を寄せる。ベルが不安定なとき、いつもセドリックがしてくれていることだった。
「おやすみ、セド」
……おやすみ」
 手が離される。ベルは微笑んで、マクゴナガルの後を追った。
 マクゴナガルの部屋にはダンブルドアがいて、ベルの他に、ハーマイオニー、ロン、そしてボーバトンの下級生が集められていた。ガブリエルといって、フラーの妹ということだった。
「あなた方には、今から湖の底に居てもらいます」
「えっ?」
 ベル以外の三人が、目を丸くした。
「そして、代表選手が挑戦する課題に協力して頂きます。選手たちは、一時間以内に、湖に沈められたあなた方を取り戻さなくてはなりません」
「先生」
「なんです、ウィーズリー」
「僕たち、死にませんか?」
「死にません」
 ベルは思わず吹き出しそうになったが、なんとか堪えた。ロンは真剣だったし、ハーマイオニーは困惑していたし、ガブリエルは恐怖で顔が青ざめていた。
「今から、あなた達には複数の呪文をかけます。水の中に長時間いても体が冷えないようにする魔法、息をしなくても死なないようにする魔法などです。結果的にあなた達は眠っている状態になり、水面に顔を出した瞬間に全ての魔法の効果が途絶え、通常の生命活動状態に戻ることができます」
「ハリー達が間に合わなかったらどうするんですか?」
「当然、私達が助けに参ります」
「水魔とか───大イカとか───」
「水魔にはダンブルドア校長が既に話をつけております。大イカは元々穏やかな性格で人を襲うものではありませんし、念の為、魔法で近付けないようにしてあります。選手達の勇気を試すのはドラゴンでじゅうぶんです」
 ロンとハーマイオニーは心配そうにベルを見上げた。つられてガブリエルもベルの方を見た。
「大丈夫だよ。この課題に私は関わってないけど、ドラゴンの時だって、大人達はすごかったんだから。絶対死なないよ」
 ロンとハーマイオニーは顔を見合せた。ベルはしゃがみこんで、ガブリエルと目を合わせた。
「英語、分かる?」
 うん、とガブリエルが頷く。
「いつもより、ちょーっと長く眠るだけ。怖くないよ。お姉ちゃんか、先生が迎えに来てくれる。分かる?」
 うん、と先程よりしっかり、ガブリエルが頷いた。
「よし、じゃあ、一緒に行こう」
 立ち上がったべルに、ガブリエルは手を伸ばした。ベルは瞬いたが、そっとその手を握り返してやった。まあこれから揃って眠らされるので、あまり意味は無いのだが、とはさしものベルも言わなかった。
「では、よろしいですね?」
 はい、と生徒達がそれぞれ答える。マクゴナガルが杖を振るった。直後、ベルの意識はふつりと途切れた。




 ぱっ、と世界が明るくなった。息が戻ってきて、体は元気なのに全身が濡れて、服が重いのが不快だった。
「セド、」
 瞬いて水気を散らし、眩しいのに目を細めながら掠れた声で言うと、ほ、とセドリックの纏う雰囲気が緩んだ。
「淋、良かった、」
 良かったと震える声で繰り返したセドリックに、淋は忍び笑いを零して擦り寄った。セドリックはすっかり冷えきっていたが、淋を軽々と横抱きにして湖から上がった。淋は歩けたが、セドリックは淋をガッチリ抱えていて下ろす気が無さそうだったので、大人しく甘えることにした。湖を上がると、マダム・ポンフリーが毛布を持って駆け寄ってきて、二人をそれぞれぐるぐる巻きにした。
「んー、濡れた服がなかなかに不快。ドライヤーやりてえな、杖どこだ……
「その前にこれを飲みなさい」
「マダム私全然元気嘘です飲みますごめんなさい」
 剣呑に釣りあがったマダム・ポンフリーの目がほんの少しだけマシになる。ベルは大人しく元気爆発薬を飲み、セドリックと一緒にピーと両耳から湯気を出した。
「セドリックが一番?」
 きょろ、と辺りを見回した淋に、うん、とセドリックが頷いた。
「でも、一分過ぎちゃったんだ。だから、ちょっと焦ったよ。君が息しなくなったらどうしようって」
「なんだ、脅し文句でも入ってた?」
「時間内に取り返せなかったら、永遠に失われるってね」
「ははは、最初にドラゴン出されたら、ちょっとガチっぽく聞こえるよなぁ」
 本当にそう、とセドリックが脱力するように頷く。ちょうどそのとき、クラムがハーマイオニーと戻ってきた。フラーも戻ってきたが、「ガブリエルが!!」と再び湖に戻ろうとするのを、マダム・マクシームが慌てて止めていた。
 やがて、ハリーも水面に戻ってきた。ロンと、なんとガブリエルも一緒だ。
「ワハハ、ハリーらしいなあ」
「ガブリエル!!」
 フラーが駆け出そうとして、よろめいた。マダム・マクシームが慌ててフラーを支える。ガブリエルはハリーとロンに支えられて、なんとか数歩ぶん歩いたところで、マダム・ポンフリーに真っ先に毛布でぐるぐる巻きにされた。ロンは青ざめたパーシーに毛布でくるまれていた。同じように毛布にくるまれたハリーは、疲労困憊といった様子で、元気爆発薬でようやく健康的な顔色を取り戻した。
「冷えてきた。ほうじ茶が欲しい」
「いいね。僕のぶんも頼むよ」
 ハリー、やったわね! とハーマイオニーも合流してはしゃいでいる。自分を大切なものとしていたクラムなど蚊帳の外に放っておく勢いに、ベルは思わず肩を揺らして静かに笑った───その顔が瞬きひとつ、真剣な眼差しに変わった。
……淋?」
 淋は目を細めてハーマイオニーの髪を注視した。ハーマイオニーの髪には小さな虫がついていた。クラムに指摘されて、ハーマイオニーは鬱陶しそうに虫を払い落とし、水面に叩きつけた。
………………
 うっかり言葉を失った淋に、セドリックは「大丈夫?」と顔を覗き込もうとした。
「いや、……うん、まぁ、……因果だろ、きっと……
「淋?」
「後で話すよ。私は大丈夫」
 ダンブルドアが水魔と話し、審査員達で協議して、結果はセドリックとハリーが同点で一位となった。次点でクラム、そしてフラーだ。
 城へと戻る道すがら、淋は「リータ・スキーターを見つけた」と小さくセドリックに耳打ちした。
「ほんと?」
「ホント。ちっせー虫になっとったわ。もう少し近くで見たかったが、まあ間違いなかろ」
 セドリックはハーマイオニーが虫を湖に叩きつけたところを思い出した。
「生きてるかな」
「自業自得ってやつだ、たぶん」
 南無阿弥陀仏、と淋は毛布の下で十字を切った。
「じゃ、虫の動物もどきってこと? 虫だけど」
「虫も生き物だろ。問題は、どんな虫だったかよく見えなかったってことだ。あと、ハーマイオニーがターゲットにされてるらしいってこと」
「言ってあげた方がいいんじゃない?」
「うん。明日の日刊預言者新聞が届く前に言うよ。お祝いの邪魔したくないし。ほら、セドも」
 淋に示された先には、ハッフルパフの生徒達がこぞってお祝いムードで、セドリックのことを今か今かと待っていた。
 不意に、セドリックは、こういうとき、淋はいつも一緒にいないことに気が付いた。
「淋も行こう」
「私は先に風呂に入るよ。流石にちょっと冷えたしね。セドも風邪引くなよ。試合、お疲れ様。じゃあね」
 さっさと先に行く淋を、セドリックは引き止められなかった。入れ替わるように生徒達がワッと押し寄せてきたので、セドリックは促されるままに寮へ戻ることになったのだった。


 翌日、ベルは朝早くにハーマイオニーを飼育上に呼び出した。
「虫!! ハリーの言ってた通りだわ!!」
 リータ・スキーターがおそらく虫の動物もどきであるという話を聞いたハーマイオニーの第一声である。
「ハリーも気付いてたのか?」
 ベルは驚いて、給餌の手を止めてハーマイオニーを顧みた。
「ううん、ハリーの言ってたことは、つまり、盗聴器ってことよ。盗聴とか盗撮をするための小さな機械を、ドラマとかだと虫って言うのよ」
「へー。初めて知った」
「でも、文字通り虫なんて……しかも、これ、違法だわ」
 ハーマイオニーは勝ち誇ったかのように笑った。
「登録済みのアニメーガスなら、絶対に学校の図書館にある本に載ってるもの。リータ・スキーターの名前は無かった!」
「とんでもねえ執念だなあ」
 虫にまでなって人様の生活を覗き見て秘密を暴こうとすることに割くエネルギーは、ベルにはなかった。
「でも、ハーマイオニー、お前、きっと何か書かれるぞ。クラムの大切なものだったんだし」
「そうね……きっと、夏に遊びに来ないかって誘われたことが書かれると思うわ。うーん……私はハリーのガールフレンドってことになってるらしいから……
「おっ、二股か。やるなぁ、ハーマイオニー」
「もう!! やめてよ、ベルったら!! 私がどっちもと付き合ってないことなんか、知ってるでしょ!!」
「ハハハ、悪い悪い……ロンのことが好きだもんな?」
「シーッ!!!」
 びっくり仰天して、なんで分かったの、と潜めた声で悲鳴を上げるハーマイオニーに、ベルは意地悪くニヤリと笑った。
「フラーにポーッとするロンを見るお前の顔と来たら! ま、確信したのは今だけどな」
「カマかけたの!? 最低よ!!」
「私ぁスリザリンだぜ、お嬢さん。だーいじょうぶだよ、ここに例の虫はいねえさ」
 ベルはハーマイオニーを誘って、ハグリッドの小屋で朝食を済ませた。ハーマイオニーの言っていた記事が出たのは、それから数週間経って、三月に入ってからだった。今度はハーマイオニーがベルの事を呼び出した。と言うより、ハリーとロンを連れて、ベルが生き物達の世話をするところにやって来た。
「なんだ、どうした」
「ベル、今度のホグズミード、一緒に行けない? セドリックと行く?」
「まだその予定では無いけど。どうして?」
 三人はいっせいに辺りに誰もいないことを確かめて、念には念を入れたのか、ハーマイオニーがこっそりべルに耳打ちした。
「シリウスがホグズミードにいるみたいなの。バックビークもきっと一緒だと思う」
「!」
 瞠目したベルは、すぐに「分かった、行こう」と頷いた。
「食べ物をできるだけ持ってきて欲しいって。おじさんのぶんは僕が持ってくから、えーと……もう片方のぶん、頼めるかい?」
「任せな」
「ありがとう。実は、おじさんも、べルに会いたがってたんだ。スキャバーズのこと見抜いてたって話したら、会ってみたいって言ってた……去年の、脱走する前の話だけど……
「まぁ、信用してもらう必要があるのは分かってるさ。大丈夫だよ、ハリー。上手くやるから」
「うん、そうだろうね」
 ハリーはベルがいかに上手くダーズリー一家へ取り入ったかを思い出していた。問題は、シリウスがあそこまでちょろいかどうかだった。
 土曜の昼、ベルはダービシュ・アンド・バングズ店の傍でハリー達と合流した。
「ベル、セドリックにはバレてないよね?」
「セドは私がビーキーを逃がしたと思ってるよ。だから今日も、ビーキーに会ってくるって言ったら、快く見送ってくれたさ。そういうわけでセドにこの事を聞かれたら森でスキーターが化けてる虫を探してたらたまたまビーキーを見つけたってことにしといてくれ」
「しょうがないなぁ」
 ハリーは口をへの字に曲げた。ベルは素知らぬふりで続けた。
「お前たちはたまたま私がビーキーを見つけたのを知った。オーケー?」
「オーケー」
「パートナーに嘘をつくの、どうかと思うけど、まあ、しょうがないわね……
「こいつは方弁だ、嘘じゃねえやい」
 四人はホグズミードの郊外から山の麓まで降りた。道なりに進むと柵があり、そこに大きな毛むくじゃらの黒い犬が、新聞を咥えて待っていた。
「やぁ、シリウスおじさん」
 犬はハリーのカバンを嗅ぐと、すぐに向きを変えてトコトコ走り出した。四人は柵を乗り越えて犬について行った。岩石だらけの道を、ベルはシリウスに続いてひょいひょい進んだが、ハリー達はすぐに息を切らした。ベルは途中から、三人の後ろに立って、たまに背を押して山を登るのを手伝ってやった。
 不意に、シリウスが姿を消す。そこまで進むと、狭い岩の裂け目があり、中が薄暗い洞窟になっていた。一番奥に、バックビークが縄で岩に繋がれていた。
「ビーキー!」
 ぱっ、とベルの表情が輝く。ベルは三人を洞窟に入れると、周りに誰もいないことを確かめ、自分も洞窟に入った。ハリー達と一緒にお辞儀をして、ベルはビーキーに飛び付いた。バックビークも嘴をグリグリとベルに擦り付けた。
「良かった、元気そうで、良かった……ああ肉な、ハイハイ待て待て今出すから……
 バックビークが鞄を啄くのをやめさせながら、ベルは肉の塊と飼料を出した。
「勝手に持ってきて大丈夫? ごまかせるの?」
「うん、大丈夫だ。何かあった時のために余るように用意されてるから」
 そして、古くなった飼料は廃棄されるか畑の肥料になる。肉類は厨房に回されるが、大体は廃棄か、土の肥やしにする。今日はもうすぐ廃棄予定のものをちょろまかしてきたので、おそらく問題は無い、筈だ。
 黒い犬から人間の姿に戻ったシリウスも、まずは食事にありついていた。ほとんどネズミばかり食べていたというボヤキが聞こえたが、ベルは久しぶりのビーキーを堪能するのに忙しかった。
「シリウスおじさん、どうしてこんなところにいるの?」
「名付け親としての役目を果たしている。私のことは心配するな、愛すべき野良犬のふりをしているから」
「でも、ベルみたいに見抜ける人がいるかもよ」
「そこだ。動物もどきは、完璧に動物の姿になる。何故彼女は見抜けるんだ?」
 ハリーがベルの方を見る。ハーマイオニーがベルを揺さぶった。
「うん? なに?」
「ベル、どうしてスキャバーズがネズミじゃないって気付いたの?」
 代表してロンが聞いた。ベルの答えはあっけらかんとしたものだった。
「見たら分かるだろ」
…………
…………
…………
…………
「悪かったよ説明が下手くそで」
 ベルは眉間に皺を寄せた。
「まぁ、あれだ、私の生まれた場所だと、人外が人間に変化するのは珍しくないんだよ。で、大体悪さしようとするそいつらを見抜くために経験を積んだら、見た目と中身の気配が違うやつを、一目で見分けられるようになったわけ」
 ハリーたちは顔を見合せた。
「人間に化ける魔法生物っているのかな」
「まね妖怪くらいじゃないかしら」
「じゃ、イギリスの魔法使い相手なら大丈夫かな?」
「パパ・ウィーズリーが気付かなかったんなら大丈夫じゃないか?」
 ベルの言葉に、なるほどと三人が納得した。
「改めまして、淋だ。ベルって呼んで。ビーキーがお世話になっております」
「こちらこそ。君もハリー達に協力してくれていると聞いた」
 ベルの差し出した手に、シリウスはしっかり応えてくれた。シリウスはボロボロのローブを着て、黒い髪はぼうぼうだった。シリウスはジッとベルのことを見つめて、はて、と首を傾げた。
「? 顔になにか着いてますか」
「いや……いや、いや、まさかな。なんでもないよ」
「おじさん、この場所のこと、ダンブルドアには報せである?」
「ああ、一応ね。最近、ますますきな臭くなっているからな」
 ロンが拾い上げた新聞を、シリウスは手に持ったチキンの骨で示した。「バーテミウス・クラウチの不可解な病気」「魔法省の魔女、未だ行方不明───魔法大臣自ら乗り出す」などと書かれている。
「まるでクラウチが死にかけてるみたいだ」
 ハリーが思案する素振りを見せながら言った。
「でも、この前、ホグワーツに来てたのに……
「いつ?」
「第二の課題の前。秘密の地図で、スネイプの部屋にいるのをハッキリ見たんだ。姿は見てないけど」
「ウィンキーをクビにした、当然の報いじゃない? 世話してくれるウィンキーがいないと、どんなに困るか分かったんだわ」
 つっけんどんに言うハーマイオニー。ロンはやれやれと肩を竦めた。
「ウィンキーをクビに?」
 興味を持ったシリウスに、ハリーがワールドカップで起こった出来事を話してくれた。夜空に闇の印が打ち上げられたこと、それがハリーが落とした杖を使ったものだったということ、そしてそのハリーの杖を持っていたのがウィンキーだったということ。話を聞いて、ベルは思わず口をへの字にした。
「そんなことが起こってたのか」
 道理でエイモスがあんなに疲弊していたはずである。
「整理しよう……はじめは、しもべ妖精が貴賓席に座っていた。しかし、クラウチは試合には現れなかった?」
「うん。あの人、忙しすぎて来れなかったって言ってたと思う」
……ハリー、杖をなくしたのは、本当に森か? ワールドカップの会場からテントに戻った時にはちゃんとあったのか?」
 べルに聞かれて、ハリーは眉を寄せた。
「うーん……確かめてない。必要なかったから……森で初めて、万眼鏡しかないことに気付いたんだ」
「闇の印を作り出した誰かが、ハリーの杖を貴賓席で盗んだってこと?」
 ハーマイオニーが聞いた。「貴賓席ってわけでもねえだろう」とベルが腕を組みながら答えた。
「すごい人だったろ? ポケットに入れたものなんか、スられてもおかしくない、……でもそれなら、別にハリーの杖でなくても良かったよな……
 今度はシリウスがハリーに質問した。
「ハリー、貴賓席、特に君の後ろには、他に誰がいた?」
「いっぱいいた」
 えーと、と今度はハリーが腕を組んで唸った。
「ブルガリアの大臣とか、コーネリウス・ファッジとか、マルフォイ一家とか……
「あとは、ルード・バグマンね」
 ハーマイオニーが付け足す。凄まじいまでの記憶力である。
「闇の印が現れて、妖精がハリーの杖を持ったまま発見された時、クラウチは何をした?」
「茂みの様子を見に行った。何も無かったけど」
「そうだろうとも……自分の家の屋敷しもべ妖精以外だと決めつけたかっただろうな……それでしもべ妖精をクビにした?」
「そうよ」ハーマイオニーの声が熱くなった。「テントに残って、踏み潰されるがままになっていなかったのがいけないっていうわけ」
「ハーマイオニー、頼むよ。ちょっと黙ってくれ」
「いや、ハーマイオニーは、クラウチのことをよく見ている」
 意外にも、シリウスがロンを遮った。
「バーティ・クラウチがずっと不在だ。わざわざしもべ妖精に席を取らせたにも関わらず観戦に来ない、三校対抗試合の復活にも尽力したのに来なくなった、……クラウチらしくないな……
「おじさん、クラウチを知ってるの?」
「ああ、」シリウスの顔が曇る。「知ってるよ。私をアズカバンに送れと命令を出したやつだ。裁判無しで」
「えっ!?」
 生徒達が揃って目を丸くした。シリウスはチキンを食べるのを再開しながら話を続けた。
「あいつは当時、魔法法執行部の部長だった」
 シリウスがハーマイオニーとベルに向かって「警察のようなものだよ」と付け足した。
「次の魔法大臣だと噂されていた。ヴォルデモートの支持者ではなかったがね。むしろハッキリ対立していた。……ハッキリしすぎていたがな」
 ハリー達は顔を見合せたが、ベルには凡その察しがついた。
「疑わしきは罰せよに傾いたのか」
「そんなところだ」
 シリウスは頷いた。
「闇祓いに、捕まえるのではなく、殺してもよい、拷問してもよい、という権力が与えられた。裁判なしに、吸魂鬼に引き渡される者が増えた。私もその内のひとりだが……クラウチは、暴力には暴力で立ち向かったんだ。クラウチを次の魔法大臣にと望む声は大きかったが、……息子が死喰い人と一緒に捕まった」
「息子が捕まった?」
 ハーマイオニーが息を呑む。
「バーティの息子が本当に死喰い人だったかどうかは分からない」
 パンを食べながら、シリウスは話を続けた。
「息子がアズカバンに来た時、私は既に収監されていた。一緒に捕まった連中は死喰い人だったが、息子がどうだったかは分からない。たまたま運悪くその場に居合わせただけかもしれん」
「まだ生きてんのか」
 ベルが短く聞いた。ハリー達は、どうしてベルがこんなにも淡々と話をすることができるのか、不思議でしょうがなかった。
「いや、収監されて一年後に死んだ。バーティ・クラウチと奥方が面会に来て、しかし遺体は引き取られなかった。吸魂鬼が監獄の外に埋葬したのを見たよ」
 奥方もそのうち亡くなられたらしい、とシリウスはカボチャジュースの瓶を開けた。
「いろいろと落ち着いてから、世間は息子に同情し始めた。十九歳くらいだったからな。若者が大きく道を誤った原因を、世間は父親のワーカホリックだと結論づけた。そこで、コーネリウス・ファッジが魔法大臣になったんだ」
 ふうん、と相槌を打ったのはベルだけだった。三人はすっかり沈黙していたが、ふと、ハリーが口を開いた。
「ムーディは、クラウチが、闇の魔法使いを捕まえることに取り憑かれてるって言ってた……
「ああ、ほとんど病的らしいな」
「そして、学校に忍び込んで、スネイプの研究室を家探ししたんだ!」
 閃いた! という顔をするロン。ベルは首を傾げた。
「なんでスネイプのところにいたんだろうな?」
「あいつは元死喰い人だ」
「あらまあ」
 シリウスがはっきり言ったので、ロンはますます自慢気だった。
「でも、一年生の時は、スネイプはハリーを守ったわ。それに、ダンブルドアがスネイプを雇用したのよ」
 ハーマイオニーが口を挟む。それだ、とシリウスが同調した。
「私にはそこが不思議でならない。難を逃れる狡猾さを持ち合わせていることは確かだが」
「ルーピン使ってマーリン勲章だかなんだか掠め取ろうとしたようなやつだからな……でもまあ、その程度だろ。ダンブルドアを騙す度胸のある奴じゃないさ」
「自分のところの寮監を、はっきり言うな」
 シリウスがニヤリと笑う。ベルは半眼で鼻を鳴らした。
「別に、好きでもなんでもないからね、あんなやつ。優秀ではあるんだろうけどさ……やな奴だよ」
 ベルが嫌そうにしながら言ったので、シリウスは「そうか」と少しだけ上機嫌になった。
「さて。バーティ・クラウチが最後にどこにいたか、分かればいいんだが」
「僕の兄がバーティ・クラウチの秘書をやってる。上手くいくかわかんないけど、聞いてみるよ」
「ありがとう。ついでに、バーサ・ジョーキンズの手がかりについても聞き出してくれ」
 何時かな、とシリウスは目元を擦った。ハーマイオニーが三時半だと腕時計を見ながら言った。
「じゃ、そろそろ帰るか。結構遠いしな。バイバイ、ビーキー」
 ぎゅう、とベルがバックビークに抱き着く。バックビークは目を細めてクルクルと喉を鳴らした。
「麓まで送ろう。その前にふたつ。ひとつめは、私のためにホグワーツを抜け出したりしないこと。連絡を取る時は、ここにメモを送るんだ。いいね」
「でも……
「安全のためだ、ハリー」
 シリウスはぴしゃりと言った。
「そして、学校で私の話をするときは、『スナッフルズ』という名前にすること」
「わかった」
 四人は頷いた。バックビークを撫でて、ベルが思案しながら言った。
「森に来てくれたら、私が食糧を渡せるよ、シリウス」
「そいつは助かる」
 洞窟を出る時、シリウスは黒い犬に変身した。ベルはシリウスとハリー達がこけないように気を配りながら山を降りた。シリウスは村境で四人に頭を撫でさせると、村ハズレを走り去って行った。
「実は、ちょっとファングが羨ましかったんだよな」
「おじさんは犬じゃないよ」
「分かってら」
 じとりとハリーに睨めつけられて、ベルは苦笑した。