桜霞
2024-09-22 15:43:19
34126文字
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魔法歳時記

オリジナル主人公:
淋(リン)
あだ名はベル。家名は無い。13歳。日本人だが、堀の深い顔立ちに灰がかった青い目の少女。
小さい頃から山の獣や人外に囲まれて育った。







 ベルは何回かハリーに手紙を出した。誕生日プレゼントとしてちょっといい梟フーズをプレゼントしたら、ヘドウィグ───梟の名前だ───が大層喜んだと返事が来た。
 ハリーは他にも色々と教えてくれた。
 最近は家族みんながハリーを怖がって透明人間のように扱うこと。従兄弟のダドリーは化け物を見るような目でハリーを見ること。階段下の物置小屋よりはマシだから、部屋に引きこもっていること───ベルはハリーからの手紙に溜息をついた。
 ベルはあれから、ざっとハリー・ポッターの周辺の過去を漁ってみた。そうして分かったことと言えば、ヴォルデモートがどういったわけかハリーの1歳の誕生日に滅ぼされたらしいこと、そしてダンブルドアがハリーをその親戚の家に預けたということだけだった。
 ベルはダンブルドアに向けてペンを取ることにした。きちんと養育費は支払われているのか、魔法使いによる魔法力を持った子供の育児へのフォローはあったのか、ハリーはどうも健康的で文化的な11年間を送っていないように見えることを、つらつらと書いて、返事など期待せずに梟便でホグワーツ校長へ送りつけたのである。
 この国に、出る杭は打たれるという諺はないのだろうか。
 お盆の期間は日本へ帰省し、8月最終週、ベルは再びイギリスへ戻ってきた。時差ぼけをなんとかし、手紙で事前に知らせて、ベルは電車を乗り継いでリトル・ウィンジングまでやってきた。ハリーを迎えに来る時の予行演習でもあった。
 たまには日に当たらねえと腐るぞ、と手紙に書いたからか、その日、ハリーは庭に出てベルを待っていた。
「ベル! 久しぶり」
「久しぶり。ちゃんと食ってる?」
「食べてるよ。眠そうだね、ベル」
「日本とイギリスだと時差があるんだ」
「じさ」
「日本だと、今の時間帯はとっくに夕方ってこと」
「へえー」
 相槌を打つハリーの向こうから視線を感じて、ベルは顔を上げた。どこか落ちつかない様子で、今にも般若に豹変しそうな顔を堪えてぎこちなく微笑む御婦人がそこにいた。
……あれがおばさん?」
「あー……そう。その、すごく、普通の人なんだ。ウン」
「そうか。まあ、向こうの服はこっちだと目立つしな。当日も、ローブとかはトランクにしまっておいで。私らみたいなやつは、学校に着く直前で着替えるやつが多い」
「分かった」
 微笑んで、直後、ベルは「こんにちは」と少しだけ声のボリュームを上げた。声をかけられると思っていなかったのか、びくりと大仰にペチュニアおばさんの体が跳ねる。
「いいお天気ですね。洗濯物も、よく乾きそうで」
「え……えぇ、まあ……
「申し遅れました。リンと申します。発音が難しければ、ベルと呼んでください」
「はぁ」
「今日はちょっと、ご挨拶で伺ったんです。来週、9月1日、7時頃に、ハリーを迎えにきます」
「そ、そうですか」
 俄かに慌てるペチュニア。どうもベルの声が大きい故、近所に聞かれていないかどうか不安になっているようである。ベルは気にせずに続けた。
「駅まではバスで行きます。その後は地下鉄でキングス・クロスまで。着いたらまたご連絡しますよ」
「ご丁寧に、どうもありがとう」
 ペチュニアは、ベルに早く帰ってほしい風を隠さなかった。ベルは苦笑し、ハリーに「あと一週間、頑張れよ」と言って、「それじゃ、失礼します」爽やかにその場を去った。
 ハリーは目を釣り上げたペチュニアに今まで聞いたことがないくらいのきつめの早口で「さっさと部屋に戻りなさい」と言われ、その通りに素早く部屋へ駆け戻った。ヘドウィグもちょうど戻ってきていたらしく、その鉤爪にはこれまた立派なネズミが哀れにも転がっていた。


 待ちに待った9月1日、ハリーは5時に目が覚めて、何度もリストとトランクの中身を確かめた。ベルはきっかり7時にプリペット通り4番地に現れた。普通の格好をして、大きなトランクを引きずっていたので、ホームステイしに来た留学生のようだった。
「おはよう、ハリー」
「おはよう!」
「朝飯食ったか」
「うん、食べたよ」
「忘れ物はねえな? よし行こう」
 ダーズリー家による見送りはなかった。期待はしていなかったが、ここまでか、とベルは静かに嘆息した。彼女の祖母は山の麓まで見送ってくれたのに。
 ハリーが真っ白な梟を連れているので、通勤ラッシュの最中、二人は何度か視線を感じることがあった。ハリーは据わりが悪そうにしていたが、ベルにとって奇異の目で見られることは日常だったので、全くと言っていいほど動じなかった。
「ねえベル」
「うん?」
「ごめんね、その、変な目で見られてる……
「今更だ。ヨーロッパにアジア人は珍しいしな」
「えっ、そ、そうかな。学校にもベルみたいな人はいたよ」
 青い目は珍しいけど……ハリーがゴニョゴニョ付け足す。彼女はふと微笑んだ。
「今のうちに慣れておけよ。ホグワーツはこれの比じゃないんじゃないか?」
「やめてよ……
 ハリーが嫌そうに眉を寄せる。ベルは肩を揺らして小さく笑った。
「冗談だよ。少なくとも、先生方はお前を普通の生徒と同じように扱ってくれるさ。私もな」
「うん……ありがとう」
 あのね、とハリーはおしゃべりを続けた。
 買い物を終えた日、ハグリッドが、ホグワーツでみんな一から始めるのだと教えてくれたこと。魔法史の教科書を読んだこと。ヘドウィグは教科書に載っていた名前からつけたこと。魔法を使ってみたかったけど我慢したこと───これに関して、ベルはハリーを静かに褒めちぎった。
 キングス・クロス駅は大勢の客でごった返していた。ハリーは早速切符を取り出して、むつかしい顔で睨みつけている。
「ねえベル。9と4分の3番線なんてないよ」
「あるよ」
 切符には、ホグワーツ特急 キングス・クロス駅 9と4分の3番線から 11時発と書かれている。
「でも、ないよ」
 ハリーは9番線と10番線の間に9と4分の3番線を示す看板を探してみたが、やはりなかった。
「そりゃ、マグルには見えないようにしてあるさ」
 ベルは慣れた足取りでキングス・クロスを移動する。ハリーはカートを押しながら急ぎ足でベルを追いかけた。
「ちょっとご飯買おう。着くのは夜になるから、お前も何か買った方がいい。サンドイッチでいい? プレッツェルもあるけど」
「そんなに時間かかるの?」
「6時間くらいかかるな。着いてからも一年生の組分けがあるだろ、校長の話があるだろ。組分けに時間かかるからな、その分、夕飯も遅くなる。アフタヌーンティーはできないが、何かしら腹に入れておいた方がいい」
「組分け?」
「新一年生の寮を決めるんだ。古い帽子を被るだけだよ。後は帽子が相応しい寮を決める」
 試験のようなものがあったらどうしよう、というハリーの不安はものの数秒で粉砕された。ベルはさっさとハリーのぶんのサンドウィッチと飲み物を買ってくれて、「これで足りなかったら後は車内販売で買いなさい」魔法界の通貨が使えるようになる、とハリーに教えてくれた。
「去年はうっかり換金する前に列車に乗っちまってさあ、ひもじいったら無かったよ。ユーロ、せめてポンドは取り扱って欲しいもんだぜ」
「何が売ってるの?」
「キャンディとか、かぼちゃパイとか、チョコとか。お菓子が多いな」
 二人は再び、9番線と10番線の間に戻ってきた。ベルが壁の前で立って辺りを見回す。ハリーはここからどうするんだろうと、不安半分、期待半分の顔でベルを見上げた。
「この壁を杖で叩くの?」
「いい線行ってる。いいか、怖がるなよ。この壁が入り口なのは正解だ。杖はいらない」
 言って、ベルが壁にもたれた───かと思いきや、するりと壁の中に溶けて消えてしまった!
 ハリーは驚いて、目の錯覚ではないかと思わず目を擦った。直後、がっと腕を掴まれる。反射的に固まったハリーは、壁から腕が生えているのを視認した瞬間、気付けばカートごと、壁の中に埋まっていた。
 悲鳴を上げる暇もなかった。気付けばハリーは、奇妙な格好の人たちで賑わう、9と4分の3番線に立っていた。黒光りする汽車が煙を焚いていて、ホームは少し視界が悪かった。
「ここが9と4分の3番線。帰る時もここを通る。忘れるなよ」
「う、うん」
 びっくりがまだ抜けきらないハリーに、ヘドウィグがホー、と鳴く。気付けばベルは少し先を行っていて、ハリーは慌てて彼女を追いかけた。
 ベルに手伝ってもらって荷物を詰め込み、ハリー達はコンパートメントを一つ占領した。
「後からウィーズリーってやつが来るかもしらん。気のいい奴らだから、きっと仲良くなれるよ。いい?」
「うん、大丈夫。どんな人たちなの?」
「どんな……うーん。兄弟がめちゃくちゃいてな、今学校にいるのは確か三男と、四男の双子たちと、ああ、五男のロンがお前と同い年だ。今年入学だよ」
「本当? 仲良くなれる?」
「なれるだろうさ。お前が有名人なんで盛り上がるだろうが、ま、最初だけだろ」
……でも、マグル出身の人は、僕のこと知らないんじゃない? ベルみたいに……
「ウィーズリーは純血の魔法使いの家だ。今までの血筋にマグルの血が混じってないってこと。でも、ウィーズリーのパパさんはマグルの科学が大好きだし、他の家族も純血主義者ってわけじゃない」
「純血主義」
「意図的にマグルを自分たちの親戚から排除してるこだわりの強い奴らがいるんだよ。スリザリンに多い」
「じゃあ、ベルは大変?」
「そうでもない」
 飄々と言うベル。ハリーは思わず相好を崩した。確かに、ベルならそんな奴らともうまくやっていけそうだった。
「とにかく、いろんな考えのやつがいるよ。でも、ま、生まれなんて気にするな。私たちにはちょっと縁が遠い話だ」
……そうだね」
 ホームには益々人が増えていた。子供達が友達同士で再会を喜び合い、親とさよならのハグをしている。それをなんとも言えない気持ちで眺めながら、ハリーはサンドイッチをいつ食べようか考えていた。朝が早かったので、もう腹が空き始めていた。ホームの時計はもうすぐ出発時刻を指そうとしている。
……ウィーズリーって人たち、来た?」
「いいや。あいつらいっつも何かとギリギリだからな……あっ、来た」
 ベルがコンパートメントの窓を開けて、外に身を乗り出した。
「ウィーズリー!!」
「ベル!! ママ、ベルが向こうにいる!!」
 ふっくらしたおばさんの手を、赤毛の女の子が引っ張っている。ベルは「ジニー」と呼んで、とうとう一人で駆け寄ってきた女の子とハイタッチした。
「助かったぜ、ベル」
「新学期早々スリザリンに貸しを作ることになろうとは」
「毎年言ってんな」
 双子がカートを押して、女の子を追いやった。かと思えば、荷物が次々と窓から押し込まれる。ハリーは最初縮こまっていたが、ベルに言われてえっちらおっちら、荷物を運び込むのを手伝った。
「そいつは誰だ? 弟?」
「後輩。ロンと同い年だ、ロンは?」
「いるよ」
「あぁいた。ほら、寄越しな」
「入るか?」
「後でリーのところへ突っ込む」
「毎年のことだな」
 あっという間にコンパートメントが荷物で埋まった。男の子たちがドアの方へ駆けて行く間、ベルはママと呼ばれた女性とハグをしていた。
「モリーママ、パースは?」
「ホームに着いた途端、監督生用の指定席があるって、行っちゃったわ」
 これまたふっくらとした男性に持ち上げてもらったジニーが、思いっきりベルに抱きついた。このまま一緒に汽車に乗り込んでやろうという勢いだった。
「ジニー、ほら、下ろすよ」
「やだ!! 手を離してパパ、このままホグワーツに行く!!」
「あなたは来年からでしょ、ジニー」
 モリーが呆れたように言う。ジニーは尚も諦めなかった。
「だってホグワーツから入学の手紙が届くか分かんないじゃない!!」
「絶対来るに決まってるでしょ!?」
 驚いて素っ頓狂な声を上げるモリー。ベルはおかしそうに笑って、ジニーから少し体を離した。
「じゃ、来年こそは一緒に行こうな。ほら、次は兄ちゃんだ」
「やだ!! パパおろして!!」
 途端に離れるジニー。なんだよ、とベルの後ろから身を乗り出した双子達が揃って口を尖らせる。
「寂しがるなよジニー」
「そうだぞ、ホグワーツから面白いもの送ってやるから」
「ホグワーツのトイレの便座なんてどうだ?」
「ジョージ!!」
「冗談だよ、ママ」
 モリーはほとほと呆れ果てた様子だった。
「ベル、くれぐれもこの双子が今年こそはトラブルを起こさないようにしてちょうだい」
「ごめんママ、私、守れない約束はしない主義なの」
 汽笛が空をつんざいた。がたん、と車体が揺れる。
「体には気をつけて! ちゃんと食べるのよ!」
「パパとママもねー!!」
 三人の姿があっという間に小さくなっていく。子供達は駅が見えなくなってようやくコンパートメントの中に戻って、窓を閉めた。
「それにしても狭いな。さっさとリーのところに行こう」
「そうだな」
「おっと、自己紹介が遅れてた。俺はフレッド・ウィーズリー」
「俺はジョージ・ウィーズリー。君は?」
「あ……僕、ハリー・ポッター」
 えっ、とコンパートメント内の空気が固まった。
「ハリー・ポッター? ハリー・ポッターって、あのポッター?」
「え、え、じゃあ、あるのか、あれが」
 あれ、と言われて、ハリーは一瞬どれのことか分からなかったが、すぐに額の傷のことだと分かって、前髪をそっと持ち上げた。稲妻を見とめたウィーズリー達の目が丸くなる。
「マジかよ、マジかよ!!」
「おい、お前、よくも普通に後輩だなんて一言で済ませられたな」
「もっとこう、あるだろ何か」
「何がだよ、何も間違っちゃいねえだろ。見せ物にするなら窓から捨てるぞ」
 足蹴で双子を追い出そうとするベル。双子は「やめろ!」「流石はスリザリン!」なんて言いながらコンパートメントの外に出た。
「俺たちリーのところに行ってくるよ」
「またホグワーツでな」
「グリフィンドールで待ってるぜ」
 賑やかな双子が去ると、コンパートメントは一気に静かになった。やれやれとベルが嘆息し、ハリーは改めてロンに自己紹介した。
「僕、ハリー・ポッター」
「ウン、知ってる。僕、ロナルド・ウィーズリー」
 よろしく、と握手しあう二人。ロンはしばらくの間、呆けてジッとハリーのことを見ていたが、ふとした瞬間にハッと気が付いて、慌てて窓の方に視線を逸らした。
……ハリーはマグルの家で育ったからな。私みたいに、魔法界のことを何にも知らないんだ。クィディッチのことも知らないぞ、たぶん」
「えっ!? そうなの!?」
 ロンの顔が音を立ててハリーの方へ向く。ハリーはうん、知らないと頷いた。
「クィディッチを知らないなんて……最高のスポーツだよ、えーっと……マグルで言う……サッカーみたいなやつ」
「ボールを使うの?」
「ボールというか……クァッフルを使うんだ、他にもいろいろある」
 ロンは次々とクィディッチにまつわる話をし始めた。三種類のボールを使って箒に乗って空を飛ぶといった話だったり、どんなルールでどう得点を取るかだったり。自分が見に行ったプロリーグの試合で見たすごいプレーや、お金があったら買いたい箒の話など。先程までの人見知りっぷりが嘘のようだ。ベルは二人の会話を聞くともなしに聞いていたが、車内販売が来た時にだけ声を上げた。
「ハリー、魔法界のお菓子は初めてだろ」
「! うん、初めて!」
 ハリーは興味を持ったものを少しづつ、たくさん買った。自分のお金でお菓子を買うなんてことが初めてだったし、それをベルやロンのような人達と一緒に食べるのも初めてだった。
「ねえ、これ本物のカエル?」
「チョコでできたカエル。動くよ」
「ハリー、百味ビーンズなんて買ったの? ほんとになんでもありなんだから、気をつけなよ」
「どういうこと?」
「臓物味とか、鼻くそ味とかがある」
「ぞうもつ……はなくそ……
 ベルはハリーとロンにサンドイッチも食べさせてやらなければならなかった。ロンはコーンビーフを嫌がったので、それだけベルのサンドイッチと変えてやった。
 不意に、コンパートメントのドアがノックされる。顔を覗かせたのはいかにも気弱そうな男の子と、癖毛の強い女の子だった。
「こんにちは」
「こんにちは……ねえ、僕のヒキガエル知らない?」
「ヒキガエル?」
 そういえば、持ち込んでいい生き物リストの中にヒキガエルがいたかもしれない、とハリーは思い出した。
「見かけてないな」
「僕も。見かけたら教えるよ」
「ウン、ありがとう」
 ネビルが一歩下がる。入れ替わるようにして、ハーマイオニーが「あなた達も一年生なの?」と身を乗り出した。
「僕とロンは一年生だよ。ベルは今年三年生」
「そうなの! ねえ、どこの寮なの?」
「スリザリンだよ」
「ああ……そうなの。あなた達はどこの寮に入るかわかってる? 私やっぱりグリフィンドールがいいわ、レイブンクローも捨て難いけど……私ハーマイオニー・グレンジャー。宜しくね。こっちはネビル・ロングボトム」
……ロナルド・ウィーズリー」
「ハリー・ポッターだよ」
「あなたが? 私あなたについて幾らか本を読んだわ」
 ハーマイオニーはとうとうコンパートメントに入ってきた。
「『近代魔法史』や『闇の魔術の興亡』なんかに載ってたわよ」
「そう、なの?」
「そうよ。気にならないの? ねえ、他にも教科書は全部暗記したの、授業についていけると思う?」
 急に水を向けられて、ベルは思わず瞬いた。
「あー……大丈夫だ、英語がほとんど分からなかった私でも、進級できてるくらいだからな。予習はいいことだ、ウン」
「そう……なの? どういうこと?」
「日本人なんだ。イギリス三年目。発音が変でも流してくれよな」
「全然変じゃないわ。すごく普通の発音よ。日本人だと思わなかったくらい」
「ありがと」
「じゃ、私たちもう行くわ。ネビルのヒキガエルを探さなきゃ。またね」
 嵐のように来て去っていった女の子に、ロンは肩を竦め、ハリーはベルの英語が分からなくても進級できたという事実にちょっとだけ楽な気持ちになった。知らないことがたくさんありすぎて、きっと自分は成績で最下位を取るだろう、と思っていたからだった。
 ホグワーツ特急での旅は何事もなく終盤に差し掛かっていた。ベルはロンとハリーを外に追い出して着替えると、今度は二人をコンパートメントの中で着替えさせた。
「さーて。まあ、もう大丈夫だろう。ハリー、メガネ貸しな」
「? うん」
 ハリーの眼鏡はもう随分前から壊れていた。レンズが外れていないだけで、ネジは弛んで今にも外れそうだったし、ツルの部分はセロテープで補強していた。
「入学式だからな」
 ベルが杖を取り出す。ハリーは息を呑んだ。もしかして。
「レパロ」
 ひょい、とベルが杖を振る。ふわりと浮き上がったメガネは煩わしそうにセロテープを振り落とし、ネジはしっかりと穴の中に収まって、レンズも見事にぴかぴかになった。
…………!!!」
 初めて見る魔法らしい魔法に、ハリーは大興奮していた。頬を紅潮させながらメガネを受け取り、ありがとうという声は上擦っていた。
「すごいよ、魔法みたいに綺麗に直ってる!!」
「正真正銘の魔法だぜ、ハリー。学生は夏休み中、魔法を使えないからな。すぐに直してやれなくて悪かったよ」
「そんな……!! すごいよベル、ありがとう!!」
 ベルは照れくさくなって苦笑した。修復魔法ひとつでここまで喜ばれては、どうにもこそばゆい。
「ホームに着いたら、ハグリッドが迎えに来てくれてるから、ついて行きなさい。暗いから気をつけな」
「荷物は?」
「置いてけ、後で部屋に届けてもらえる。ヘドウィグは梟小屋があるから、そこかな」
「ベルは一緒じゃないの?」
「二年生以上は馬車で行く。まあ、馬は見えないんだが……その後に組み分けだ」
 組み分け、とロンの表情が険しくなった。
「どうしよう、僕だけグリフィンドールじゃなかったら……家族皆グリフィンドールなのに……
「大丈夫だよ、お前はグリフィンドールだ。ウィーズリーだからな。ハリーも、あまり気負うなよ。ヴォルなんとかがスリザリン出身だろうがなんだろうが、今は私がいる」
 な、とウィンクされて、ハリーは頷き、ロンはそれでもやっぱりスリザリンだけは嫌だと呻いた。


 組み分けの儀式は何事もなく終わった。つまり、誰に長大な時間をかけることもなく、恙無く終了した。ハリーとロンはグリフィンドールになり、兄弟達に暖かく迎えられていた。
 そーれわっしょい、と二言三言話した校長が「かっこめ!」と合図をかけると、瞬きひとつでご馳走がテーブルの上にずらりと並ぶ。キッシュやチキンを自分の皿に取りながら、ベルはルームメイトの夏休み旅行自慢に相槌を打ってやった。
 明日から、また訳の分からない英語に溺れる日々が始まる。ベルは「時差ボケがある」とてきとうな事を宣って、早々にベッドに潜り込んだ。










 三年生になると、これまでの魔法薬学や魔法史、闇の魔術に対する防衛術などの必修科目に加え、選択科目を履修することになる。ベルは古代ルーン文字学を選択した。占い学は内容が胡散臭そうだったし、ルームメイト達の占い好きに拍車をかけることになるだろうのは明確だったので、距離を取るために別のものを選んだのだ。誰が誰を好きでいるとか、憎んでいるとか、そういうものを占うことは、彼女にとってはまったくもって興味の湧かない事柄だった。
 古代ルーン文字学は単純に相棒である杖との相性が良さそうだった。なんでそんなことを思ったのか、後に彼女はちょっとだけ後悔することになるのだが。


 ハリー・ポッターの話を耳に入れないようにすることは不可能に近かった。誰もがハリーの話をしたし、ハリーが今何をして授業でどうなったかを逐一噂していた。ハリーは生まれた時から有名人で、英雄だったから、こんなに狭いコミュニティでは格好の餌食だった。ベルはハリーのことを素直に哀れに思ったし、気苦労していないかだけ心配した。
 しかし、授業に集中したいのも本音だった。英語の文章レベルは更に上がるし、かつ授業内容そのものも難しくなる。基本的についていくのに必死のベルは、正直言ってハリーがちゃんと食べて寝ていたらそれでよかった。飛行術の授業が始まる頃にはみんなが今年のクィディッチ選手について話し始めて、どこそこの誰が骨折したとか、ハリーがグリフィンドールの最年少シーカーになったとかで盛り上がっていたが、ベルには興味もなかった。
「ベル、お前さん、本当に行かんでいいんか?」
「いいよ。薪はやっといてあげるから、見て来たら」
 週末、ベルはハグリッドを手伝っていた。この日はホグワーツにおけるクィディッチシーズン開幕戦で、誰もが盛り上がるグリフィンドール対スリザリンの対戦カードだった。他寮の生徒も幾らか観戦に行くようだった。
 当のスリザリン生であるベルは、あんまり興味が湧かなかったので、いつも通りに城の外に出て、森に一番近いハグリッドのところで暇を潰していた。慣れた仕草で斧を振り下ろし、綺麗に薪を割る姿に、ハグリッドはやれやれと踵を返してフィールドの方へ行った。
 ホグワーツ城の傍には禁じられた森と名付けられた針葉樹の森が広がっている。正しくは、森があった場所に人が入り、城を築き、村が拓かれ、やがてホグワーツ魔法魔術学校と名づけられるに至ったのである。禁じられた森には古くからある生態系が今もまだ残っており、ヒトが魔法生物と名付けた生き物達がそれぞれのルールに従って生きていた。ハグリッドはそれらと魔法使いの仲介役で、生まれてこの方、ハグリッドのような立ち位置で生きてきたベルとしては、城の中にいるより、ハグリッドの小屋や森にいる方が居心地が良い時さえあった。
 簡単な英語しか喋れなかった一年生の頃から、ハグリッドには随分世話になった。英語を喋れない日本人など格好の餌食で、ベルは散々笑いものにされたし、それを助けてあげることによる点数稼ぎに利用されてもいた。けれどもハグリッドはそんないじめっ子達をまとめて追い払ってくれたし、自分も頭は良い方ではないと言いながら英語や魔法界における日常生活の色々なことを教えてくれた。
 自然はベルをいじめない。放課後になって、ベルが湖の側で過ごしたり、ハグリッドを手伝って森の世話をするようになるには、そう時間は掛からなかった。
 二年生になってから、ベルはダンブルドアに認められて、正式にハグリッドを手伝っても良いことになった。ハグリッドがダンブルドア、ないしは教職員にベルを借りたい旨を伝えて、承諾されれば、ベルは森を自由に駆け回ることができることになったのだ。
 いじめられていることに、助けてとさえ言えなかったベルへの、せめてもの詫びか、セーフティネットのつもりかとベルは推測して、それはあながち間違いでもなかった。
 ベルが薪を用意し終えて、野菜の世話もひと段落つけた頃、ハグリッドたちが一年生たちと帰ってきた。ハリーはクタクタで、ロンとハーマイオニーが心配そうに付き添っていた。
「おかえり。初試合、どうだった」
「勝ったよ」
 へへ、とハリーが笑う。彼女は湯を沸かしながら「そりゃおめでとう」とロックケーキを用意した。
「ハリー、すごかったよ。スニッチを飲み込んだんだ。もしかして、見にこなかったの?」
「悪いな、それよりもゆっくりしたい気分でね」
「本当に変わってるんだな……フレッドとジョージの言ってた通りだ」
 ベルは全員分の紅茶を入れてやった。
「スリザリンなのにスリザリンっぽくないやつ」
「そうか? 私は結構スリザリンだと思うがな。お前のおばさんと話してる時とか」
 カップで示されて、ハリーは夏にベルがペチュニアおばさんと話している時のことを思い出した。確かに、あの時のベルの表情は、マルフォイやスリザリン生がスネイプや教師たちに向けているものと似ていたかもしれない。
「しかし、初陣に勝ったって雰囲気じゃないな。何があったんだ?」
……
 部屋の空気が音を立てて澱み、沈む。ファングさえシン、として、ベルは思わず何度も目を瞬かせた。
 漸う、口を開いたのはロンだった。
「スネイプが試合中、ハリーに呪いをかけたんだ」
「まさか。教師だぞ」
 驚いたベルに、ハーマイオニーが噛み付いた。
「本当よ! 私ちゃんと見たもの、じーっとハリーを見て呪いをかけてた! 私がマントに火を着けて視線を逸らしてなかったら、ハリーは今頃二十メートル以上の高さから落っこちてたわ!!」
「マクゴガナル先生は? スネイプが呪っていたら気付きそうなもんだが。来てたろ、あのクィディッチ大好きおばさん。去年うちに負けた時に今までで一番の絶望した顔をしてた」
「リーの実況を監視してたんだ」
「あぁ、そりゃそうか」
 ベルは頭をかいた。クィディッチの観戦に行かないまでも、リーがいかにお調子者で、ふざけた実況をするかは知っていた。聞こうとしなくても耳に入ってくるくらいには有名なのだ。
「お前さん、どう思う。ハリーの箒はニンバス2000だ。スネイプが生徒を狙う筈がねえ」
「でも、授業中にずっとハリーのことをいじめてるんだよ」
「ハリーのようなマグル出身者が分からない質問ばかりして、答えられなかったら減点するのよ!」
「それで週に一回、グリフィンドールの点数が目減りしてんのか……
 ベルは苦虫を噛み潰したかのような顔をした。
「ウチの寮監がすまんな、みみっちい真似を……あいつは授業さえちゃんとやってりゃ、意地悪だけど何もしてこねえから……
 ハリーたちは思わず顔を見合わせた。ベルの様子に、ハリーはオズオズと言葉を選んだ。
「もしかして、ベルもスネイプにいじめられたことがあるの?」
「一年の頃なんかそりゃあもうしごかれたもんよ」ベルはしみじみと二年前を懐かしんだ。「何しても爆発するからな、私の鍋は。腹いせに実家から送ってもらったコメを炊いてやった。何故だかうまくいったんで、今でも納得がいかん。勿論怒られて、スネイプに減点された。自分の寮を減点することになったスネイプの顔は、そりゃ見ものだったぜ」
 へえ、と目をキラキラさせるハリー。ロンとハーマイオニーは思わずといった様子で顔を見合わせていた。
 英語さえ理解できず、異文化どころか異世界に放り込まれた己の寮生を、スネイプは助けようとすらしなかった。監督生に面倒を見るように言って、しかし当時の監督生は寮内の統治に長けていたが、弱者に寄り添うお優しい性格はしていなかった。結果、ベルは入学からこちら、ずっと寮監に捨て置かれている。
「とは言えそんなこと言ってたら成績悪くなって留年どころか退学だからな、実家で使ってる鍋取り寄せて、それで同じようなやつ作ってなんとかしてたよ」
「すごい、東洋の魔法ってこと!? すごく興味深いわ、どの本を参考にしたの?」
「あ、いや、本とかではねえんだ、すまんな。ばあちゃんに教えてもらったもんだから……
 なあんだ、とハーマイオニーが浮かしかけた腰をソファに戻す。ベルはたとえそれが日本語の本でもこの子なら全部なんとかして読みそうだし日本語マスターしそうだな、と確信した。ハーマイオニーが日本語をマスターするときに「ねえねえこれ何」攻撃を受けるのは確実に自分だと察したベルは、日本から持って来ている薬草についての本や煎じ薬の調合本のことなどは絶対に秘密にしようと心に決めた。
……ベルから見て、スネイプは、事故に見せかけて僕のことを殺そうとすると思う?」
 ハリーに聞かれて、ベルはハッキリと否定した。
「いいや。あくまで教師だ。加えて保身のスリザリンだぜ。いいか、学校で子供が死んだら責任を取るのは教師だ。自分の立場を悪くしてまでクィディッチの試合中なんていう大観衆の前で堂々殺人未遂するような豪胆な性格じゃあないと思うがね。私がスネイプで、お前のことが嫌いなら、そうだな。お前の食べるものに毒を混ぜる。キッチンに責任転嫁できるしな」
「───」
 ハリーは思いっきり嫌そうに顔を歪めた。今にも吐きそうな表情だった。これから勝利のご馳走が寮で待っているというのに、パンのひとかけらだって口に入れたくないと言わんばかりだった。ロンとハーマイオニーに咎めるような視線を向けられて、けれどもベルはそれがスリザリンだと言わんばかりに飄々と肩を竦めて見せた。
「少なくとも、スネイプは、リスキーな真似は犯さないってことさ。これからも安心して空を飛べばいい」
「安心してご飯を食べられる方がよっぽどマシだよ」
「なんだ、多少の毒くらいで、弱気なやつだな。マダム・ポンフリーがいるんだ、早晩毒殺なんか成立しやしないよ。大体、食事は全てキッチンから大食堂のテーブルまで屋敷しもべ妖精の魔法で移動するのに、どうやって毒なんか仕込むんだ」
「冗談としてタチが悪すぎるよ」
 ハリーの心底からの文句に、ベルはようやく、どうやらハリーは本当に命を狙われたらしいと理解した。すまんと真摯に謝ったベルに、ハリーは視線を合わせないまでもいいよと答えた。
「俺が言った通りだろう、三人とも」
 それまでずっと黙っていたハグリッドが、ファングを撫でてやりながら口を開いた。
「スネイプは生徒を殺そうとしたりはせん。お前さんたちは関係のないことに首を突っ込んどるんだ……あの犬のことも、犬が守ってるもののことも忘れるんだ。あれはダンブルドア先生とニコラス・フラメルの」
「ニコラス・フラメルって人が関係してるんだね?」
「───」
 打って変わって何かを得たと言わんばかりのハリーに、ハグリッドは無言で自分自身に対して強烈な怒りを抱いたようだった。唯一話の意図が見えないベルだけが、頭上に疑問符を浮かべていた。











 ハリーたちが抱えているらしい秘密を、ベルは教えてもらえなかった。三人は揃って複雑そうな顔をして、ベルになら教えてもいいが、スネイプなどのハリーたちにとって敵と思わしき人々と近い場所にいる彼女と秘密を共有することで、それがバレたくない人にバレてしまうことを恐れているようだった。
 ベルはちょっと拗ねたが、特段追求したり、ぐちぐちネチネチ文句を言うようなことはなかった。あ、そう、とあっさりしたものだった。実際、そんなことを気にしていられる余裕はなかった。ハロウィンの片付けが終わったばかりにも関わらず、今度はクリスマスの装飾の準備が迫ってきているからだった。


 クリスマス休暇とも言う年末年始休暇には、ほとんどの生徒が一度実家へ帰省する。ホグワーツに居残るのはハリーやベルのような生徒だけで、この時期だけはベルもこの城が好きだった。何せ煩わしいいじめっ子たちが軒並みいなくなるからである。
「うまいもんだな」
 ベルが杖を振って大広間の飾り付けに勤しんでいるのを、感心したように眺めていたのはフレッドとジョージだった。二人は帰省の準備にバタバタしている他の生徒に比べて、随分とのんびりしていた。
「今年は残るの?」
「そう。ママ達がルーマニアのチャーリーの所に行くんだ」
「それで俺たちお留守番ってわけ」
「暇なら手伝ってよ」
 実際、手伝いは必要なかったが、ずっと見られながら飾り付けをするというのもなんだか据わりが悪いので、ベルはわざとそう言った。
「飾りをもっと派手にしていいなら付き合うぜ」
「てっぺんの星をミラーボールにするとか」
「お前をそのまま高いところに飾るとか」
「安心しろよ、ご馳走は俺たちが箒で運んでやるから」
「結構ですー」
 リボンを器用に広間の壁に飾るのに忙しいベルの背後で、双子がニヤリと笑う。壁を一通り飾り終えたベルが今度はモミの木を飾るマクゴガナル先生やフリットウィック先生の手伝いをしようと踵を返すのを、飾ったはずのリボンが遮った。
「えっ、わ、わっ!?」
 思わずたたらを踏んだベルに、まるで蛇のようにリボンが絡みつく。ベルは足をもつれさせて、わあと声をあげて転んだ。うまく受け身を取ったので、痛そうな音は全くしなかった。
 声を上げて笑うフレッドとジョージに、「ウィーズリー!」マクゴガナル先生が叱声を上げる。
「でも先生、ベルにはリボンがなきゃ! そうでしょ?」
「そのようなつまらない冗談で、私たちの助手の邪魔をするんじゃありません!」
 減点しますよと言いかけたマクゴガナルを遮るように、リボンまみれになったベルが半眼でむくりと起き上がる。
「───よくもやったな!!」
 ムキャ!! と怒ったベルが言うが早いが、今度はいくつもの銀色のモールが八岐大蛇のように双子へ襲いかかった。双子がぎゃーっと悲鳴をあげる。生徒達がキャアキャアわあわあ言いながら飾り付けに魔法を掛け合って戯れるのを見て、先生達は嘆息し、後でまとめて注意しようとひとまずは己の担当する装飾へと向き直った。


 クリスマス休暇のほとんどを、ベルはウィーズリー達と過ごした。クリスマス当日、ベルの元には昨年同様、モリーからのセーターと、ハグリッドから新しい栞が贈られた。
 ベルはハリー達に羊皮紙や羽ペンのインクなどの消耗品を贈っていた。
 今年のクリスマスは、ベルにとって一番賑やかであっという間のクリスマスだった。昼には皆で雪合戦をして、寒い中箒で空を飛んで、簡単なクィディッチ戦をした。ベルはうまく飛んだが、なにぶんボールを扱うのが下手だったので、よく箒から落ちそうになってはハリーをヒヤヒヤさせた。

 休暇が明けた途端、今まで楽しかったのが嘘だったかのようにほんの少しだけ憂鬱な日々が戻ってきた。進級試験が迫っているので、先生達は容赦なく宿題を出したし、授業内容も難しくなっていく一方だった。にも関わらず、ハグリッドは何か忙しいのか、畑の世話や授業で使う魔法生物の世話をベルに頼んでくる。冬なら冬でしなければならない支度はたくさんあるので、ベルは首を傾げながらハグリッドの仕事を手伝っていた。当のハグリッドは、小屋のカーテンを全て閉め切って、誰にも会っていないようだった。
「ベル。ベル!」
 ハグリッドがベルに会いたがらない理由は、ハリー達から知らされることになった。
 放課後に植物園で一人野菜の世話をしてやっている彼女に、ハリーとハーマイオニーがロンを庇いながら現れたのだ。
「お願い、助けて欲しいんだ」
「なんだ、どうした」
 誰かに見られるのを憚られるようにして、ロンがそっと片手を差し出した。見たことがないくらい腫れ上がっている様子に、彼女は瞠目するだけではなく顎まで引いてまじまじと三人を見やった。
「何に噛まれた」
 三人は揃って口篭った。
「何故私に見せる。保健室に行け」
「行けないんだ。その、エート……
「ベル、ハグリッドから何も聞いてないの?」
「最近仕事を言いつけられるばっかりだ」
 ベルは剣呑に眦を細めた。睥睨された子供達が身を竦める。
「何を隠してる。今度こそ言わねえと協力できねえぞ。薬は毒にもなるんだ。私はウィーズリーの弟を殺したくない」
 彼女の言うウィーズリーが双子であることを、三人は敏感に察した。ベルがフレッドとジョージと仲がいいのはもちろん知っていたし、だからこそ色々とよくしてもらったのだろうとロンは分かっていたから、だからこそベルの視線が悲しくて、心苦しかった。そんなロンを見て、ハリーが「絶対に秘密にして欲しいんだけど」抑えた声で切り出した。
「ドラゴンなんだ。ノルウェー・リッジバックっていう種類みたい……ハグリッドが卵から孵しちゃったんだ」
……
 ハリーの言葉を理解したベルが、じわじわと眉間に険しい皺を寄せる。やがてベルはそれとわかるほど高く舌を打った。
 道理で小屋の周りだけ雪が少なかった筈だ。
 ドラゴンの雛をどうこうするより先に、目前のロンの指である。確実に毒だが、症状としてベルに叩き込まれた祖母の知識でどうにかならない範囲ではなかった。
「完治はしないだろうが症状は抑えてやる。ちょっとした虫に噛まれたくらいでごまかせるようになったら保健室に行け。絶対だ。いいな」
 ベルの気迫に、コクコクと三人が頷いた。ベルは魔法でサッとロンの指を冷やした。対症療法だが、しないよりマシである。
「ちょっと待ってろ」
 戸惑うハリー達を置いて、ベルはさっさと踵を返して植物園を行ったり来たりした。幾つかの薬草を拝借し、水を汲んで、魔法で清める。鉢とそれなりに太さのある棒を取り出し、水を混ぜながらゴリゴリと擦り潰すベルの所作は慣れたもので、ハリーとハーマイオニーは謎の安心感を覚えていた。唯一ロンだけが、得体の知れない薬を飲むことになるのではないかと全身を強張らせていた。
 結局、ベルが煎じた薬は飲むものではなく、塗るものだった。清潔な布にペースト状のそれを塗りたくり、ベルは丁寧にロンの指に巻いた。上から包帯で巻いて固定すると、不思議なことにスーッと痛みが引いて、いくらか頭がスッキリする。ここでようやく、ロンは自分が噛まれただけではなくて、何かしら毒のようなもので気分を悪くしていたのだと自覚した。
「上手く行けば早くて二日半で腫れが引く。そうなったら、ムカデか何かに噛まれたと言ってマダム・ポンフリーに診せなさい。それ以前に体調が急変したら必ず保健室に行く事。それと、激しい運動は控えて、よく食べて、よく寝なさい。いいね」
「分かった。ありがとう、ベル」
「どーいたしまして」
 鉢を片付けながら、ベルは「それで」言葉に迷いながら話を続けた。
「アレはどうするんだ」
「チャーリーがルーマニアでアレの研究をしてるだろ。引き取ってもらうよ」
「懸命な判断だな。いつ渡す」
「土曜の夜。ねえベル」
「なんだ」
「たぶん、マルフォイにバレてるんだ。なんとかならない?」
 ハリーに言われて、ベルは形容し難い顔をした。嫌そうというか、面倒そうというか、とかく好意的な表情ではなかった。三人はそれでもなんとか食い下がろうとしたが、それより先に、廊下の方から響いた、スプラウト先生の「ベル、作業は終わったの?」という声に、会話を中断せざるを得なくなった。ベルは素早く言葉を選んだ。
「どうにもならん。だが、あいつならお前らが捕まるところを特等席で見たがるだろう。ドジを踏むな。がんばれ」
 それだけ言い残して、ベルはスプラウト先生の方へ行ってしまった。三人は先生に見つかるより先に別のドアから廊下の方へ回って、温室を後にした。
「さっきのベルの言葉、どういう意味だと思う?」
「私、たぶん分かったと思う……つまり、マルフォイは、私たちの計画を事前に先生達に告げ口せずに、当日、私たちを捕まえようとするのかもしれないわ」
 ハーマイオニーの言葉に、ハリーとロンは揃って「確かに」マルフォイはそういうことをしそうなやつだと頷いた。

 一方、ベルはハグリッドに一言物申してやりたい気持ちでいっぱいだった。なんだって秘密にされたのか、頼ってくれなかったのか、やるせないというか、虚しいというか、友情を感じていたのはベルの一方的な思い込みだったのかも知れないという憂鬱が、ベルの胸を塞いでいた。
 どうにか時間を作ってハグリッドのところに行けたのは、週の半ばになってからだった。出会い頭に怒鳴ってやろうと、悲痛な気持ちをいっそ怒りに変えようとしていたベルは、森から出てきたハグリッドがいつもよりも数段険しい顔をしているのに気がついて、自分の気持ちがするすると萎んでいくのを感じた。
「ハグリッド」
 いつものように声をかけると、「ベル、お前さんか」ちょうどいいところに来た、とハグリッドはベルを手招いた。
「森で 一角獣 ユニコーンの死体を見つけた」
「死体? 衰弱死か」
「いいや、殺されとった。酷い殺され方だった……ありゃあ森の獣じゃねえ。捕まえるか……さもなくば追い払わねえと」
……
 森番らしいハグリッドに、ベルの胸中に再び怒りの炎が沸き起こった。
「テメエがドラゴンの雛に浮かれて森番疎かにしたからだろうが」
 ハグリッドが瞠目して息を呑んだ。震える声でなんで知っとると宣ったハグリッドに、ベルは地を這うような声音で続けた。
「噛まれたロンが、保健室なんぞに言ったらお前のことがバレるかも知れねえと私に助けを求めに来たんだ。お前は生徒を一人殺すところだったぞ。アレは毒だった」
「そ───俺はそんな───」
「森を預かるヒトの端くれとしてあんたは同業だ、ハグリッド。だからこそ、……頼ってもらえなかったのが悔しいよ。獣を愛すのはあんたの美点だが、忘れちゃならねえこともあるだろう。どうして教えてくれなかった」
「───」
 ボロリ、ハグリッドの毛むくじゃらの顔を、大きな水滴が伝い落ちる。
「すまねえ、リン、すまねえ、俺は……
「ハァ、いいさ。もう過ぎたことだ。あとはチャーリーに任して、こっちはこっちのことをやろう。大丈夫だ、あのウィーズリーのとこの次男だもの、悪いようにはならないよ」
 啜り泣くハグリッドが何度も頷く。少しして泣ききったハグリッドは、 一角獣 ユニコーンを襲う何者かが森に侵入していることを教師陣に報告しに行った。罷り間違って生徒を襲うこともあるかも知れないからだ。その姿は、まさしく頼れるホグワーツの森番だった。



 果たして、引き渡し実行役のハリーとハーマイオニーはドジを踏んだ。ホグワーツ城の管理人で生徒達のルール違反を逐一チェックすることを趣味としているフィルチに、寮へ戻るところを見つかったのだ。ネビル・ロングボトムというおまけをつけて。
 また、マルフォイも策士策に溺れて、マクゴガナル先生に見つかったため、懲罰対象となった。
「そういうわけで、あなたにも手伝っていただきます」
……はい?」
 マクゴガナルに言われて、ベルは職員室で怪訝そうな声を上げた。
「今度の懲罰では、書き取りなどでは足りません。禁じられた森での、傷付いた 一角獣 ユニコーンの捜索に彼らを加えます」
「はいぃ?」
 今度こそ素っ頓狂な声が出た。ベルは初めて、マクゴガナルの正気を疑った。
「生徒を殺す気ですか!? 最近の森はどうにもおかしい、魔法をちょっと齧った一年生を放り込む場所じゃありません!!」
「夜中の一時に連れ立ってベッドを抜け出すような子供にはちょうどいい場所でしょう。ハグリッドにはもう伝えてあります」
「いやいやいやいやいや!! あんた正気ですか!?」
「もちろん正気です。さあ、もうお行きなさい。今夜の準備のために、午後の授業を休む場合は、私の名を出して結構」
 言うべきことは言ったとばかりに、マクゴガナルは一切の口を噤んだ。絶句したベルは、開いた口が塞がらないとはどういうことか、身をもって体験することになった。
 森という場所は、ただでさえ素人には危険な場所だ。プロでさえ知らない現実があることを知っているリンのような者たちにとっても、油断できる場所ではない。禁じられた森はリンのホームグラウンドではないし、最近は 一角獣 ユニコーンを殺すことのできる何かが森を彷徨いている。そこに、素人どころか何をしでかすか分からない子供を連れて行く。しかも四人。加えて夜。ただでさえ薄暗い森は、夜になると文字通り一寸先は闇である。
「ふざけやがってあのババア……クィディッチのヒーローと秀才に罰則破りでその日のうちに裏切られたからって……
 彼女の怒りは頂点に達しようとしていた。それもこれも、ハグリッドが己の趣味に走ってしまった結果である。ハリー達が介入しなかったらチャーリーに預けるという発想もなく、あの木造の小屋でドラゴンを育てようとして、いずれ大惨事になっていたに違いなかった。
 森の比較的安全な場所を見つけて、そこで暮らせるように躾ければ良かったのに。いくらでも協力したのに。体躯で勝る今なら、ドラゴンだろうがなんだろうが、全力で躾けてやったのに。
 残念ながら、やり場のない怒りの八つ当たり先はなかったので、ベルは午後の授業を休む旨を端的に書いた手紙を教師宛に出した。今誰かに会えば、誰彼かまわずに、何もかもを怒鳴り散らしそうだった。



 睡眠は万事を解決してくれる。
 一寝入りして遅めの夕食をとったベルの機嫌は比較的落ち着いていた。
 ベルは私服で夜のホグワーツを歩いていた。ポケットに杖を突っ込んで、いまから街に出かけようかといった雰囲気だった。何故なら制服が汚れては後でまたぞろ変な噂を立てられるだろうし、ローブなんぞ森の中では邪魔になりこそすれなんの役にも立たないからである。
 森の入口ではハグリッドが待っていた。ファングも眠そうにしていたが、ハグリッドの傍に控えている。
「待たせた?」
「いいや、時間ちょうどだ。フィルチ達を見たか」
「知らん。一年はあんたが面倒見なさいよ」
「流石に四人は俺の手にも余る。ハリーとハーマイオニーは俺のせいだから、俺が面倒見るが……
「残りのふたりはお前が頑張れ、ファング」
 ファングは眠そうにくわりと欠伸した。
……まぁ、生徒が死ぬようなことにはならんだろう」
「死んだらマクゴガナルの責任だ、せいせいすらァ」
 ハグリッドは何か言いたそうだったが、結局は何も言わずに黙りこくった。責任の一端を感じているようで何よりと、ベルも何も言わなかった。
 三十分ほど待って、気持ち悪いくらいに上機嫌のフィルチが一年生達をようやく連れてきた。散々脅されたらしいハリー達は緊張に体を強ばらせて夜闇にも分かるほど青ざめていたが、ハグリッドとベルの姿を見ると、あからさまにホッとした様子を見せた。
「俺たちはもう三十分くらい待ったぞ、フィルチ。大丈夫か、ハリー、ハーマイオニー」
「こいつらは罰を受けに来たんだ。あんまり仲良くする訳にはいきませんよねえ、ハグリッド」
「それで遅くなったと、そう言うのか? 説教を垂れてたんだろう、え? お前の役目でもあるまいに。ここからは俺が引き受ける」
 ハグリッドに睨めつけられて、フィルチは忌々しそうに嫌味ったらしく言った。
「夜明け頃に、こいつらの体の残ってる部分だけ受け取りに来るよ」
 ランプをゆらゆらさせながら、フィルチは城に帰っていった。
「じゃ、私は先に行くよ。合図は?」
「見つけたら緑だ。何かあったら赤で知らせろ、すぐに行く」
「分かった」
 えっ、と呆けた顔をした一年生たちを尻目に、ベルはさっさと森の夜闇に溶け込んで行った。ベルはランプを持たなかった。生まれた時から山に育てられたベルにとって、夜の光は月と星々だけでじゅうぶんなのだ。
 森は水を打ったように静かだった。昼に動く獣もいれば、夜になって動き出す獣もいる。虫の類もそうである。しかし、今晩───いや、ここのところ、森では生命の営みの音や気配というものが微塵も感じられなかった。皆何かに怯えて息を殺して潜んでいるのだ。
 やっぱり、何かいる。普段はこの森に居ないもの。招かれざる客。
  一角獣 ユニコーンの血を啜ってまで生きながらえたいと生に執着する、死にかけの何か───
 ───瞬間、パッと夜空が赤く染まった。一年生達の方に何かあったようである。
 これで何かあっては寝覚めが悪い。ベルはやれやれと踵を返した。
 花火が上がった方にしばらく進んで、ベルは「ハグリッド」声を上げた。石弓で撃たれてはさしものベルでも敵わない。ハグリッドは「ベルか」と少しだけ警戒を緩めた。
「何かあった?」
「マルフォイがネビルを脅かしたらしい」
「はぁ? 死にてえのか? だったら一人で死に腐れよ」
 ベルの言葉に、ドラコはショックを受けたようだった。ハグリッドは仕方ないといった風情で組を変えると言った。
「ベル、やっぱりハリーかハーマイオニーか、どっちかを見てやってくれんか。余った方をネビルとファングで組んで、こいつは俺が見る」
「分かった。ハリーと一緒に行こう」
 マルフォイは絶望に打ちひしがれたようだった。ベルはしつこいくらいのマルフォイからの縋るような視線を一切顧みることはしなかった。マルフォイといては命がいくらあっても足りないかもしれない。それならまだ幾らか気心のしれているハリーの方がマシだった。
 ネビルはハーマイオニーと組むことになって少しホッとしているようだった。ハグリッドはマルフォイを連れて別の道に進んで行った。
「ベル、ランプは無いの?」
「私には必要ない。こういう闇の中で、明かりを持つのは逆に危険なんだ。自分の居場所を知らせることになる。手を繋ごう」
 ハリーは大人しくベルと手を繋いだ。ベルは言葉の通り、迷いなく獣道を進んで行った。彼女の気配がいつも以上に静かで、ハリーはベルまでもが恐ろしかった。
 しばらくするとハリーの目も夜闇に慣れてきて、大きな段差に躓くことはなくなった。ベルの歩き方も慎重になる。獣道が途絶えて、開けたところに出ようとしていた。
 不意に、ベルは無言でハリーを大きな木の影に押しやった。繋いでいた手を解き、ぐっとハリーの肩を抑え、静かにフーッと息を吐く。ハリーが気付かぬ間に、ベルの右手には杖が握られていた。
 ベルの視線の先には 一角獣 ユニコーンの死骸があった。四肢をぐったりと投げ出し、真珠色の海に沈んでいる。そこに音もなく覆い被さるものがあった───おおよそ人の形をしているが、フード付きのローブでも着ているのか、判然としない。時折響く音から、おそらく 一角獣 ユニコーンの血を啜っている。……いつ、こちらに気付くか知れない。
 全身の肌が粟立っていた。何度深呼吸を繰り返しても、緊張が解れない。気配を隠すことで精一杯。ベルをかたちづくるすべてが、全身全霊で未知の敵だろう存在を警戒していた。
 じゅうぶんな量を啜ったのか、ベルの視線に気が付いたのか、ソレが顔を上げた、ようだった。口元からだらりと銀色を零し、彷徨う視線がベルを捉える───瞬間、ベルは魔法を放とうとして、
「ベル!!」
 しかし、力強い蹄の音に遮られた。
 ひらりと頭上を飛び越えて一角獣に覆い被さっていたものを追い払ったのはケンタウルスだった。
「フィレンツェ……!」
 ベルは思わずホッと安堵に肩の力を抜いた。正体不明の気配が遠のいたのを確認し、ベルはようやく立ち上がった。
「こんばんは。怪我は無いかい」
「こんばんは、おかげさまで。助かった……正直、死ぬかもしれないって思ってた」
 フィレンツェは微笑み、ベルとハリーが立ち上がるのを手伝った。淡いサファイアブルーの視線が、じっとハリーの額に注がれている。
「君は、ポッター家の子だね。早くハグリッドの所に戻った方がいい」
 ベルは改めてハリーの顔を見て、驚いて目を丸くした。ハリーの顔色は夜闇にも分かるほど真っ青だった。
「ハリー、すまん。大丈夫?」
「う、うん」
「嘘つけ。どこが痛む」
「ええと……今は大丈夫、でも……さっき、これが痛んで……
 言って、ハリーはそっと額の傷に触れた。ハリーがなんとか呻き声ひとつ上げずに済んだのは、ベルが肩を抑える手が力強かったのと、既に地に膝を着いていたからだった。
「急ごう。暖かい紅茶が要る」
「私の背に乗るといい、その方が速い」
「フィレンツェ、私は残るよ。 一角獣 ユニコーンを弔わなきゃ」
「そんな、ベル、危ないよ」
「ハリー・ポッターの言う通りですが、……すぐにハグリッドを呼んでこよう。気をつけて」
「ありがとう」
 フィレンツェの背にハリーを乗せるのを手伝って、ベルは二人を見送った。これで気を付ければいいのは自分自身のみになる。……本当は、ハリーの様子を気にかける余裕なんて、彼女には全く無かった。
 ベルは緑の花火を打ち上げた。上手く行けば途中でフィレンツェとハグリッドが合流してくれるかもしれない。
 ベルは四方に簡単な結界の魔法を張った。先程の何かが近づけば即座にベルに伝わるものだ。周囲に気を配りながら、ベルは辺りの血を杖から出した魔法の水で洗い流し、 一角獣 ユニコーンの体を清めた。
  一角獣 ユニコーンのツノやたてがみ、尻尾の毛は魔法薬の素材になる。しかし、それはあくまでも生きている 一角獣 ユニコーンから採取するものだ。ツノは生え変わるし、毛は言わずもがなである。死んだものの一部が魔法薬の素材として活用できるのか、ベルには判断がつかなかった。それくらい、 一角獣 ユニコーンを殺すことは非情極まりないことだった。
 ここまでの事をしてでも、生きながらえたいのは誰か。
 かつ、ハリーの傷に、痛みを引き起こすような相手。
……
 ハリーの額の稲妻型の傷は、ヴォルデモートを打ち払った時につけられたものだ。ハリーは一歳だったから、当然、両親が傍にいて、文字通り命懸けで彼を守ったのだろう。
 ベルの知識には無いが、これだけの魔法の歴史があって、人を殺さない呪文がひとつも無いなんてことは有り得ないとベルは考えていた。もし、ヴォルデモートがそう簡単には防げないような死の呪いを放ち、ハリーの額の傷が、その爪痕だったとしたら。
 ハリーの両親がハリーを守ることに必死で、ヴォルデモートの呪いを跳ね返すことで精一杯になっていたのだとしたら。
………………
 ヴォルデモートは、生き永らえることに必死にならなければならないほどの状態にまで追い詰められた。しかし、それから11年が経って、一角獣を殺してその血を啜ることができる程度にまでは、回復した。してしまった。
………………ありうる」
 特段、13歳の少女の突飛な想像、妄想とも言えなかった。
 ベルの合図を見て、フィレンツェにも知らされたハグリッドが合流し、一緒に 一角獣 ユニコーンを弔ってやりながら、ベルは後で図書館に行くことに決めた。


 世界が白んでいくのをどこか虚しいような気持ちで横目にしながら、ベルは図書館で自分の顔の二倍はある分厚い本を取り出した。一番最後の索引で目当ての名前を見つけ、よっこらせとページをまとめて捲る。
  一角獣 ユニコーンの血はとても強力な力を与えてくれるとはいえ、それは一時的なものである。また、禁断の森にしか生息しないというわけでもない。ダンブルドアの居るホグワーツに近付くというリスクを犯してまでこの場所を選んだのには、何か理由がある筈だった。そしておそらく、ハリー達はある程度までその理由を知っていると、ベルは推測していた。
 クリスマス休暇前に、ハリーとハグリッドはとある名前を口にしていた。「ニコラス・フラメル」である。
 彼女が今までに何度もお世話になったこの本は、あらゆる魔法の基礎的なことから、魔法界における歴史までが詳らかにされている。そこには勿論、ニコラス・フラメルの名前も掲載されていた。
「あった、………賢者の石については何世紀にも渡って多くの報告がなされてきたが、現存する唯一の石は著名な錬金術師であり、オペラ愛好家であるニコラス・フラメル氏が所有している…………
 賢者の石。魔法を知らない女の子でも、一度は耳にしたことのあるメジャーな単語である。紀元前古代ギリシャから長年に渡って研究されてきた、非金を金に変えるもの。永遠の命を与えるもの───
…………
 確かに、死に瀕している生き物にとっては、文字通り喉から手が出るほど欲しいものだろう。ベルは椅子の背にもたれながら腕を組んだ。
 何か物を預けるなら、グリンゴッツを除いて、確かにホグワーツ城が一番安全だ。何しろダンブルドアのお膝元である。そう言えば、ダンブルドアは今年の初めに、「とても痛い死に方をしたくない人はどこそこには近づかないように」とか何とか言っていたような。あんまり話を聞いていなかったせいで記憶が曖昧だ。
 記憶が9月にまで遡ったついでに、ベルの脳みそは7月末の記憶も呼び起こした。ハリーと初めてグリンゴッツで出会ったときのことである。ハグリッドはハリーの付き添いでグリンゴッツに来ていたようだが、もし、ついでに賢者の石をグリンゴッツから回収する役目も担っていたのだとしたら。
…………あー………………なるほど………………
 つまりはこうである。
 なんかしらの方法で賢者の石が狙われているのを察知したニコラス・フラメルとダンブルドアは、ハグリッドにグリンゴッツから賢者の石を回収させ、ホグワーツ城に移した。おそらくそれに気付いたヴォルデモートは、禁断の森に潜みながら様子を伺っている。

 ───とんでもねえものと鉢合わせてんじゃねえか

 マクゴガナル、もしかして知らないのでは。でなければ罰則とはいえ禁断の森にハリーを放り込むなんてことはしないはずだ。おそらくダンブルドアは賢者の石を狙っている何者かがヴォルデモートであることを周囲に伏せている。
「ばっかやろ〜……気付きたくなかった……
 しかしアイデアロールは成功してしまった。朝の光がきらきら差し込む図書館にひとり、ベルの恨めしい呻き声が小さい煙のように漂っていた。











 ハリー達に混ぜてもらうか、ダンブルドアに答え合わせの手紙を出すか迷っているうちに、学期末の進級試験が始まってしまった。彼女は言わずもがな毎回必死になってようやく平均より上に届くので、賢者の石の件はひとまず忘れておかなければならなかった。
 ようやく試験を乗り越えた頃には、ベルは毎度の如く脳みそから煙を上げてベッドに寝そべっていた。試験最終日はテスト終了後すぐにベッドに潜り込んで最後の追い込みで連日削った睡眠時間を取り戻すのに費やしたので、ベルがハーマイオニーとロンに会えたのは全てが終わった後だった。


 睡眠は万事を解決する。しかし賢者の石が奪われそうになっていたのを阻止するところまでやってしまうとは思わなかった。
 ハリー達はダンブルドアがホグワーツを留守にしている間に、ハグリッドのケルベロスを初めとした様々な罠を乗り越えて、最後には見事、闇の魔術からの防衛術を担当していた教師のクィレルから賢者の石を守り抜いた、らしい。
 クィレルかー、というのが噂を聞いたベルの感想だった。流石にそこまでは分からなかった。ハリー達も自分達に呪いをかけられたことから主犯はスネイプだと思っていたことだろうし、ベルにもそれ以外の情報が無かった。
 ヴォルデモート本人ではなくクィレルが実行犯だったということは、ヴォルデモートは城に侵入できるほどの体力が無いか、或いはそもそもが他人に依って 一角獣 ユニコーンの血を啜るほどのことをしなければ現世に介入できない程度の弱さにまで落ちているのかもしれない。だとすればとんでもなくしぶとい。
 ハリー達の無謀な蛮勇は勿論評価された。それぞれに高得点が与えられ、毎年行われている寮対抗の点数獲得競走は、最後に急激な追い上げを見せたグリフィンドールが、十点差でスリザリンを逆転し、優勝してしまったのである。

 学年度末の盛大なパーティーで、生徒達が例年以上に盛り上がっている中、大広間におけるスリザリンのテーブルは、いわゆるお通夜状態だった。寮杯になんの興味も持っていなかったベルは、これがほんとの最後の晩餐、なんちゃって、なんて心の中で舌を出していた。


「ベル!」
 キングス・クロス駅の9と4分の3番線で、ベルはハリー達に声をかけられた。
「よう、ハリー。ハーマイオニーに、ロンも。見舞いに行けなくて悪かったな。元気そうで良かった」
「ありがとう。えーっと……その、つまり」
 ハリーは少し言いにくそうにした。
「僕ら、この一年、何度もベルに助けてもらったのに、ちゃんとお礼を言ってなかったと思って……ホントにありがとう」
「僕の指も、おかげさまで綺麗になったし」
「私も、その……ごめんなさい、ずっとその、信用できなくて。スリザリンだからって、あなたはマルフォイみたいな人じゃないのに」
「おや、分かっていただけて何よりだ」
 わざとらしく言うベル。三人は気まずそうにしたが、そんな三人に、ベルはカラリと笑った。
「気にすんなよ、自分や友達の命が狙われてんのに冷静になれる方がちょっとどうかしてるんだ。ましてや11歳だぜ。でも、これからは頼りにしてくれよ。ちょっと寂しかったんだから」
「ごめん。ありがとう」
 ベルは笑みを深めて、ハリー達とハグをした。ちょうど順番が来たので、一緒に壁を通り抜けてマグルの世界に戻る。改札の前では、ウィーズリー夫妻や、ダーズリー夫妻が子供たちを迎えに来ていた。
「ベル!」
 ジニーが駆け寄ってくるのを抱きとめて、ベルは「また大きくなったなぁ」と破顔した。
「おかえりなさい。忙しい一年だった?」
「ええ、とても。お菓子とセーター、ありがとうございました、ウィーズリーおばさん」
「まぁ、どういたしまして」
 ハリーの返事に、モリーは嬉しそうに驚いた。
「準備はいいか」
 無愛想かつ無遠慮に、バーノンが割り込んだ。ハリーのおじである。
「ハリーのご家族ですね」
「そうとも言えます。さっさとしろ小僧、お前のために一日を潰すわけにはいかん」
 言うだけ言って、バーノンはさっさと踵を返してしまった。にこやかに話しかけたモリーを初め、ハリーとベル以外の全員があんぐりと口を開けてバーノンを見送った。
……じゃ……夏休みに会おう」
「その……いい夏休みになればいいけど……
 不安げなハーマイオニーに対し、ハリーはなんてことないと言った風情だった。
「大丈夫だよ。僕たちが魔法を使っちゃいけないことを、あいつら知らないんだ。この夏休みはダドリーと大いに楽しくやれるさ」