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桜霞
2022-10-01 17:00:12
31642文字
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【twst夢】フライパンは無敵
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それはまるでオタクによる解釈
#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主 2020/07/13にpixivに投稿したものの再掲です。
1
2
3
年間計画、というものがある。
これは読んで字のごとく一年間という長いスパンでどのように目標を達成していくか、というものだ。教育機関では「毎年この時期にこのイベントがあるからこの仕事をするならここが締め切りだな」というようにしていくのが一般的なのでは、とリンは考えていた。
計画を立てるときには、余裕を持って取り組めるよう、あらかじめ予備日というものを設定しておくのが大事になってくる。先の一週間の予定を改めて確認しようとスケジュール表を見て、リンは「はて」と首を傾げた。
記入漏れだろうか。明後日から三日間ほどの予定が記入されていないのだ。祝日が重なった連休というわけでもなさそうだし、何かしらの予備日とさえ書かれていない。そこには珍しく空白しかなかった。
平日にも関わらず、何も仕事らしい仕事がないということだろうか。ひとまず今日の仕事に取り掛かり、後で上司にでも何か知っていないか聞いてみよう、とリンが移動しようとしたその直後。
「無礼者ォーーーッ!!」
バァン、と派手な音を立てて事務室のドアが吹き飛んだ。
「!?」
「はっ?」
「え、なに」
「お、」
各々の仕事に着手し始めていた事務員たちは、揃って瞠目し、突然の闖入者をまじまじと見やった。
「どいつもこいつも、頭が高い!!」
「ここは今から受付兼我々の控室とする!! 即刻立ち去れ!!」
喧々囂々と怒声を張り上げているのは顰め面しい顔をしているらしいゴースト達だった。オンボロ寮に住み着いている彼らより上等な服、というか憲兵隊の制服のようなものを身に纏っている。
───塩もフライパンも無ぇ!!
つまりは武器が無い。リンは丸腰だった。
「死者が何を言ってるんだか」
「仕事の邪魔だ!!」
「オメーらの席ねーから!!」
優秀な魔法士でもある事務員たちは、慣れた様子でそれぞれが魔法石のついた装飾品を構えた。唯一何もできないリンは、邪魔にならないように壁際にぴたりと体を張り付けた。
「ええい、これだから最近の若者は!!」
ゴースト達が、一斉にぐわりとその手に火球を纏った。瞬間、事務員たちはぎょっと目を剥いた。
「バッカオメーーー書類が燃えるだろうが!!」
「火気厳禁!! 火気厳禁!!」
直後、先手必勝とばかりに誰かが水魔法を放つ。それをきっかけに、幾つもの魔法が弾丸のように飛び交った。窓が割れ、机上の書類が無惨に散り、がたんと音を立てて椅子が倒れた。
「雷魔法なんざ使うなバカーーーッ!!!」
「パソコンがダメになっちゃうでしょうが!!!!」
ごうごうと音を立てて竜巻が文房具を撒き散らす。その最中に、ゴーストのおどろおどろしい声はよく響いた。
「生者が調子に乗りおって!!」
「どわっ!!」
事務員の一人が、咄嗟にゴーストからの攻撃を受け流した。
すると、邪魔にならないように壁に沿って後退していたリンへ、魔法が勢い良く跳弾する。あっやべ、と誰かが口走ったのを、リンは確かに聞いた。
視界が炎の色に染まる瞬間、リンはぐい、と力強く引き倒された。
「!!」
「ギャッ!!」
跳ね返された魔法が複数体のゴーストに直撃する。ゴーストたちは壁をすり抜ける程に吹き飛ばされていった。
リンはそれを、暗闇の中で聞いていた。何かに腕を引かれてバランスを崩した瞬間、力強い何かに受け止められて、そのままがっしりと頭を押さえつけられたのだ。
「おい、無事か」
「へ、は、はい、」
ふと拘束が緩んで、低く、淡々とした声が近くから降ってくる。反射的に顔を上げたリンは、それがクルーウェルであったことに、大きく目を見開いた。
クルーウェルは一言「Good」と零すと、すぐに事務員たちへ向き直った。
「撤退だ。いくらやってもキリが無い。一旦外に出る」
「ええ!?」
「正気ですか!?」
「GO!!」
まるで鞭のようにしなった指示棒がビシィと痛そうな音を響かせた。弾かれた様に飛び上がった事務員たちは、外で待ち受けていたトレインの指示に従い、運動場の方へと移動した。
クルーウェルに抱き留められていたリンも、背中を押されてエスコートされる。
「あ、あの、先生」
「なんだ」
「ありがとうございます、」
「あぁ、気にするな」
運動場へ行くと、バルガスが生徒達を大声で仕切っていた。寮長クラスの生徒達の中心にはクロウリーも居る。その傍らにフライパンを引っ提げたユウがグリムを連れているのを見て、リンはそっと安堵の息を吐いた。見たところ、怪我も無く、無事らしい。
リンはふと視線を巡らせた。そこかしこから、「ゴースト達に追い出された、」という話が飛び交っている。教室から、大講堂から、食堂から、生徒たちはゴースト達に追い立てられたらしかった。
しかし、フェアリー・ガラのときのような焦燥や不安感は無い。上級生は特に落ち着いている生徒も多く、リンは目を瞬かせた。
「
……
いや、何が起こってるんです?」
「この時期の風物詩と言えば風物詩なんが、いつもと様子が違うな」
「風物詩」
「あぁ、」
知らないのか、という風情で、クルーウェルが器用に片眉を上げた。
「毎年この時期になると、花婿を探して彷徨う花嫁のゴーストがこの辺りに現れる」
「てきとうに形代でっちあげて冥婚でもさせてやればよろしい」
「残念ながら、それができるタイプのゴーストではない」
冥婚できるタイプのゴーストもいるのか、とリンはまた一つ新しい知見を得た。
ちなみに冥婚とは、古くからある習慣を指す場合、赤子の内や若くして亡くなった方に、黄泉路が寂しいものとならぬよう、夫や妻を添える儀式を意味するときがある。まだこの世に魂があるうちに婚礼を挙げて黄泉の国へ送り出すという、東南アジアによく見られる習俗だ。
「花嫁とその臣下たちは毎年オンボロ寮を起点に花婿探しをして、二、三日で居なくなる」
「オイ待て初耳だぞ」
「文句は学園長に言え」
「というかこの学園、フェアリー・ガラと言い今回と言い、不法占拠されすぎなのでは? 事前連絡という概念が無い?」
「五百年続く慣習だぞ、連絡も何もあったものか」
「ヘイヘイツイステッドワンダーランド地獄ゥ、仕事してるゥ?」
突然地面に向かって野次を飛ばし始めたリンを、クルーウェルは「なんだこいつ」という目で見遣った。リンは「この世界の地獄ってEU地獄みてーなんかな」と埒外なことを考えていた。
「
……
お前の世界では地獄が死者の管理を?」
「ウチの国では死んだらまず地獄で裁判だから
……
すげえ怖いハシビロコウみたいな鬼の極卒いるらしいですよ」
「
……
そうか」
「まぁ本当にあるかどうかは分かりませんが」
「なんだそれは
……
」
クルーウェルはげんなりとして言った。リンのこういう話は毎回どこかふわふわとしていて、イマイチ要領を得ない。
「おーい、大体分かったぞー」
そうこうしているうちに、何が起こったのか学園長に話を聞きに行っていた上司が帰ってきた。
「なんでも、イデア・シュラウド三年生が花嫁に見初められたらしい」
「───」
そこには驚愕も、悲壮も、絶望も無かった。ただ一瞬、「えっ、誰だっけ」という間があり、ほどなくして誰もが「イグニハイドの寮長だ」と思い出した。リンはふわふわ宙に浮かぶタブレットしか思い出せなかった。
クルーウェルですら、ぽかんとしている。よりにもよって、という文字が顔にありありと書かれていた。
「これから学園は結婚パーティに使われるそうだ」
「
……
えっリアルガチの冥婚? イデアくんどうなるんですか」
「まぁ死ぬな」
「死!? は!?」
リンは思わず素っ頓狂な声を上げた。その反応を見て、何人かが意外そうに顔を見合わせる。
「え、イデアくんと知り合いだった?」
「いや、そういうわけじゃないですけど
……
生徒でしょ? どう助けるんですか」
事務員たちは何度か目を瞬かせた。リンは、エッ助けないの、と思わず身構えてしまった。
「学園長が寮長たちとどうにかするみたいだよ。オペレーション・プロポーズだのなんだの言ってたけど」
「
……
」
リンは愕然とした。
何故ここで生徒達を出動させるのか、まったくもって分からない。フェアリー・ガラのときも思ったが、下手をすれば世界の危機、下手をすれば落命という一大事に、どうして大人達が何もしないのか。アメストリスのブリッグスの北壁の爪の垢を煎じて飲ませたいと、リンは心底から思った。
リンの表情から何を察したのか、「この学園は弱肉強食がルールだぞ」クルーウェルが淡々と言った。
「普段から引きこもって外界との繋がりを断つといざと言う時に誰の手も借りられなくなる。シュラウド三年にとっては良い薬だ」
「それはそれ、これはこれでしょう」
「お優しいことだ。だが時には崖から突き落とすことも教育には必要だ。守るばかりが正しい導きになるわけではない」
「
……
それはその通りでしょうけど」
リンが押し黙る。クルーウェルは黙然と事務局長に話の続きを促した。
「
……
で、いつもなら、ゴースト達が居なくなってから、毎年、勝手に使われてるオンボロ寮の備品の確認ついでに学園の備品を総チェックするんだけど」
確かに、オンボロ寮の部屋の一部は式典などで使う机や椅子の物置代わりにされていた。
───嫌な予感がする。
リンは目を眇めて注意深く上司の言葉に耳を傾けた。
「どうも今回は近隣の墓所から墓石まで運び込まれてるみたいなので、その返却業務も追加で発生しました」
「───」
「普段ならできてる今日明日、明後日の分の通常業務も残ったままです」
「───」
───滅殺
自分の手に四角い方印が浮かんでいないことをこんなにも口惜しく思う日が来るとは思ってもみなかったリンである。
「たぶん徹夜作業が二日くらい続くので、学園長のオペレーション・プロポーズが今晩中に成功することを祈って、今の内に仮眠を取っておきましょう」
質問がある人、という上司の言葉に、何人かが手を挙げた。そのうちの一人が「そもそもそのオペレーション・プロポーズってなんですか」と口を開く。
「花嫁の希望する条件に合う生徒にプロポーズさせて、『断絶の指輪』を嵌めてもらうんだってさ」
「あぁ、花嫁ゴースト退治によく使われるやつですね」
さも当たり前のように言う事務員にリンは目を剥いて顔を歪めたが、深く追求することはやめておいた。字面からしてもきっと花嫁のゴーストの未練を強制的に断絶するマジックアイテム的な立ち位置なのだろう。
「しかし、スリの次は結婚詐欺か
……
」
「オイ、誰が面白いこと言えっつったよ」
「でも、確か花嫁さまの希望って、『理想の王子様』じゃありませんでしたっけ」
「理想の王子様」
ぼやいたリンに、クルーウェルが一言を添えた。
「そもそも花嫁が一国の姫君でな」
「ほぉ」
プリンセス。それが毎年家臣を引き連れて五〇〇年間も花婿を探している。
となれば、並々ならぬ執念である。燃え尽きるまで止まれないのが復讐だが、リンはそれと種類は違うが似たようなものを花嫁に感じた。
「そんな恋に恋する盲目な姫さんの理想の王子さまって時代錯誤もいいところじゃないの?」
「ええっと確か、」
リンの疑問に、記憶力のいい事務員が指を折りながらつらつらと条件を並べ立てた。
「一八〇センチ以上の高身長で、贅肉のついていないスリムなボディで、清潔感溢れる美肌で、切れ長の瞳で、チャーミングな笑顔で、キューティクルが光り輝く髪、思わずキスしたくなる印象的な唇
……
」
「外見重視派かあ」
まさに箱入り娘という感じである。まあこの学園の生徒は揃いも揃って顔の造形が整っているからそれぐらいならミッションも成功するかしら、と思案を巡らせるリンの耳に、とんでもない条件が飛び込んできた。
「愛の歌を即興でデュエットしてくれて」
「なにて?」
「いつでもピンチに駆け付けてくれる犬を飼っていて」
「うん?」
「モンスターを倒せる剣の腕と先祖代々伝わる伝説の剣を持ってて」
「え?」
「楽器ができて」
「急に普通」
「どこまでも追いかけて来てくれて」
「メンヘラか?」
「そのあたりにしておけ、キリが無い」
「まだあんの!?」
止めに入ったクルーウェルを素っ頓狂な声を上げて煽いだリンに、とうとう耐え切れなくなったのか、何人かが勢いよく「ブフッ」と噴き出した。リンの一言ひとことが的確すぎるのだ。
「まぁこれらもすべて噂にすぎん。何せ五〇〇年分だからな」
「はー
……
宝塚にもいるかどうか怪しい理想の王子様だな
……
」
リンが呆れたようにして言う。タカラヅカ? とクルーウェルは思ったが、地名か何かだろうなと深く問わない事にした。
「唯一それらしいのが一八〇センチ以上の高身長であるということですけど」
「クルーウェル先生それぐらいあるじゃないですか。ミッション参加しないの?」
「俺か? ふむ」
半ば投げやりにリンにそう言われたクルーウェルは、少しだけ思案する素振りを見せると、徐に皮手袋を取り外してリンの手を取った。
「、え、なに、」
「さしもの俺もプロポーズはしたことがないからな」
「なんです、」
ぐい、とまるでワルツを踊るように手を取られ、リンは、有無を言わさぬ力でしっかりと腰を抱かれた。
リンは思わず顎を引いて胸を逸らせた。そうでもしなければクルーウェルとの距離が取れない。
「このくらい近付けばいいのか? 俺から逃げられないように抱きしめて?」
「へ、」
端正な顔が、リンが取った距離の分だけ近付いてくる。透き通る白髪がぱさりと落ちて、クルーウェルの双眸をまばらに遮った。
「───俺と、生涯を
……
」
「、」
真剣な囁きが、甘く降りかかる。
まるで魔法にかけられたように、リンはこれっぽちも動けなくなった。
「
……
共に、生きてくれるような、愛の言葉を?」
「
…………
へ」
「情熱的に? それとも冀うように?」
「や、あの、」
「教えてくれるだろう?」
クルーウェルは一転、にこりと綺麗に微笑んだ。すう、と細められた瞳には、冷徹な光しか宿っていない。
「たかだか上背だけで人身御供になれと言うのならな」
「そこまでは言ってないですけどこの件では何の役にも立たないくせに生意気言ってすみませんでしたァ!!」
クルーウェルは「フン、」と鼻を鳴らすと、ぱっとリンを解放した。たたらを踏んでクルーウェルから距離を取ったリンは、ぜえはあと荒ぶる呼吸を整えた。
「
……
まぁ、先生には生徒の監督というお仕事もありますから」
上司がその場の空気を取り繕うようにして言った。
「我々は来る事後処理に向けて休んでおこう。教職員用の寮は流石に手出しはされてないだろうし。街から通ってるひとは空いてるベッド借りてもらって」
「あ、じゃあ、私はユウの様子見てから行きます」
「馬鹿者、あれは今、学園長の傍にいるだろうが」
クルーウェルが鋭く切り込んだ。
「学園長の前に顔を出してみろ、ここぞとばかりに面倒事を吹っ掛けられて事後処理まで体力がもたなくなるぞ」
「や、流石にそれは上手い事受け流」
「Shut Up!」
リンを遮って一喝したクルーウェルの指示棒が空を切る。瞬間、リンは糸が切れた人形のように、がくりとその場に崩れ落ちた。
地面に倒れ伏す寸前に、クルーウェルの腕がその肢体を支える。
「
……
助かりました」
これで戦力が減らずに済む、と事務員が嘆息交じりに言う。
魔法をかけられたリンは、すやすやと規則的な寝息を立てて、深い眠りに落ちていた。
◆
前にもこんなことあったな、とリンは大きく欠伸した。
ぐるりと周囲を見回すと、そこは中々に広々とした作りの部屋だった。暗いのでよく分からないが、簡素な机は整然としていて、窓にはカーテンではなくブラインドがかけられている。
外から入り込む光の感じからして、今は夜だ。リンはベッドから降りると、靴を履いて電気のスイッチを探した。
それらしきものをカチ、と押すと、数拍置いて部屋がふんわりと明るくなる。
改めて部屋を見渡したリンは、ふと机上にある時計が頂点を指そうとしていて、思わずそれを二度見した。リンがゴースト達に追い出されたのはもうすぐ午後の最後の授業が始まろうという時間帯であったから、そこから数えると六時間以上は眠っていることになる。
───道理で空腹なわけだ
……
リンは嘆息して、こつこつと踵を鳴らした。机上には時計の他に、ペン立てや本が数冊並べられていた。その中央に、ぽつんと小さな紙が畳まれて置かれている。
そこには「リン」と記されていた。私宛かしら、とその紙を取ろうと腕を伸ばして、不意に彼女はスン、と鼻を鳴らした。
どこか覚えのある煙草の匂い。そして見覚えのある筆跡。
───
……
ここ、クルーウェルの宿直の部屋か
教師が宿直の担当になったときに使われる部屋は、各員に用意されていた。教員によっては、己の研究資料などの倉庫代わりになっている部屋もあるらしい。
リンは手紙というには簡素なそれを手に取った。
『Good Morning Darling、
早速だが仕事だ。スマホにデータを送ってある。オンボロ寮を確認しろとのことだ。残党がいたらすぐに呼べ。
プロポーズの指南書以外の忘れ物をしないように。
デイヴィス』
「
……
こんなに茶目っ気あるひとだったっけねえ」
リンはスマホを確認した。上司からオペレーション・プロポーズが成功してイデア・シュラウドが無事帰還した旨と、備品のチェックリストが送られてきている。
改めてクルーウェルからのメモに視線を落とし、喉の奥をくつくつと鳴らしながら、リンは机上のペンを取った。ペン立ての横に置かれていたメモ用紙を一枚拝借して、すらすらと字を走らせる。
『魔法のおかげで、大変気持ちよく寝られました。
でも次からは無理やりじゃなくてもっと優しくしてください。
プロポーズのご予定があるの?
きっと素敵なひとなんでしょうね。結婚できるなんて。羨ましい。
リン
紳士諸君よ、誠実であれ!』
リンの手の中でくるりとペンが回る。
「
……
まぁ、怒られはしないでしょ」
先にふざけたのはあちらの方だ。リンはメモ用紙を折りたたんでからちょっとだけ迷ったが、結局『デイヴィス』と記してペンを置いた。ベッドのサイドテーブルにメモを放り、部屋を後にする。ドアは自動でがちゃりと鍵がかかった。
教職員の寮からは鏡で移動し、リンは鏡舎の普段は生徒が立ち入らない部屋へ降り立った。少しだけ出口が分かりにくかったが、それらしい扉を開けた先には見慣れた道が伸びている。
「あ、新人ちゃんじゃね!? 新人ちゃーん!!」
オンボロ寮に向かおうとして、しかしリンは呼び止められた。聞き慣れた声に振り返ると、いつもの面子が揃って鏡舎に向かうところだった。そこからフロイドがひとり飛び出して、リンに飛びついてくる。
「新人ちゃん、オレ今ちょー傷ついてっから慰めてェ。あと腹減ったあ」
「おおよしよし。悪いが今から仕事でな、徹夜決定なんだ。飯はまた今度な」
「ええ~~~じゃあもっとよしよしして」
「よーしゃよしゃよしゃよしゃ」
でかい図体をぐにょりと曲げて、フロイドが頭を差し出してくる。リンはぐしゃぐしゃとフロイドの頭を掻き回した。何が面白いのか、フロイドはケラケラ笑っていた。
「ところでなんで傷ついてんの?」
「丸太みてーに転がされた」
「あ? 何やってたの」
「花嫁のゴーストにプロポーズしに行ったら超めんどくてー、絞めていーい? って聞いたらビンタされてー、六時間くらいずーっと金縛りにあってた」
「あぁ、オペレーション・プロポーズだっけ。あ、もしかして、ここのメンバー、皆それに参加したの?」
「若干名足りませんが、まぁ
……
」
リンの声に応えたのはトレイだった。
「そっか。イデアは? 助かったって聞いたけど」
「今はアズールが傍についています」
「あぁ、部活が同じだったっけ。で、ミッション成功者は?」
「一応
……
エース、ってことでいいのかな」
「エース!? エース・トラッポラ!?」
「ウワうるさ」
フロイドが嫌そうな顔をして仰け反ってリンから離れて行く。リンは驚きに瞠目したまま、「はー、意外」と素直に口にした。
「ハッ、あんなん成功の内に入るかよ。結局とんだ茶番だったじゃねえか」
「いの一番にフラれた貴方には言われたくないでしょうねえ」
鼻で笑ったレオナに、ジェイドが噛みついた。リンはレオナが参加していたということにも驚いたが、彼が真っ先にフラれたということにも驚いた。
「え、お前真っ先にフラれたの!? 何したの!?」
「何もしなかったからフラれたのよ。プリンセスとデュエットできなかったの」
「は? 彷徨いすぎてトチ狂ってたんか?」
小馬鹿にするようなヴィルの言葉に反射的に口走ったリンに、フロイドは大爆笑し、ヴィルは唖然とした。レオナは衝動的に耳を立てて尻尾を揺らし、つかつかとリンに歩み寄った。
「お? お? なに? なになになに?」
レオナはリンのことを抱き締めた勢いそのままに、リンのことを抱き上げて一回転した。生徒たちは苦笑するやら呆れるやらで、リンだけが状況を呑み込めず、されるがままになるしかない。
「お主とまったく同じことを言って、レオナは手酷くフラれたんじゃよ」
リリアが説明してくれて、リンはようやく納得した。
「そりゃおめー、真っ向から本人に言ったら平手打ちくらいされるわ」
リンはレオナの頭もわしゃわしゃと掻き回した。レオナはすぐさま「やめろ」と唸ってリンから離れた。
「しっかしエースだけが成功ってことは皆玉砕かぁー。ルークなんかめちゃくちゃキマってんのに」
「そうかい? Merci beaucoup!」
得意げに微笑んだルークは一転、瞼を伏せて哀愁を漂わせた。
「寮服をイメージして選んだんだ。散ったヴィルに、敬意を表したくて
……
」
「いつの間にヴィル死んじゃったの?」
「ちょっと、勝手に殺さないでくれる? アタシもアタシの顔も死んでないわよ!」
「え、ヴィルもビンタされたの? ん? 玉砕したらもれなくビンタ!?」
目を丸くしたリンに、ジェイドが微笑んで答えた。
「乙女心を理解しない、無礼な偽りの王子には自分が耐えたのと同じだけの時間金縛りに遭ってもらうと仰っていましたね」
「えぇ
……
死ぬじゃん
……
」
花嫁のゴーストが耐えた時間と言えば、彼女が彷徨った五〇〇年間だ。それなのによくもまあプロポーズ作戦に参加しようなどと思ったな、とリンは生徒たちにどう言葉をかけたものか迷ってしまった。
「まぁ
……
なんか
……
お疲れさん
……
、他の若干名にもリンさんが労ってたって言っといて」
「伝えておきます」
「アズールもきっと喜びますよ」
トレイとジェイドが微笑んで返す。ジェイドにもたれながら、「ねえねえ」とフロイドがリンに声をかけた。
「アズールもフラれたんだけどさ、なんつってフラれたと思う? 当ててみてよ」
「え? うーん
……
、」
アズールが理想の王子様像に沿って愛の言葉を捧げる図を想像して、リンは胡乱気に顔を歪めた。
「
……
あからさまに胡散臭いから?」
「ぎゃはは!! だーいせーいかーい!!!」
フロイドは手を叩いて喜んだ。閉店後のモストロ・ラウンジだったら床に寝っ転がってドタバタ暴れそうな勢いだった。
「流石リンさん、よく分かっていらっしゃる。今のも伝えておきますね」
「おー、そういうとこも可愛いよって言っといて」
「トドメじゃん!!」
フロイドがヒィヒィ笑う。流石だのう、とリリアも小さく肩を揺らした。
「ところで、リンさんは今まで何を? オンボロ寮も占領されたとユウ達に聞きましたが
……
」
トレイの問いに、リンは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「これから墓石の返却とか勝手に使われただろう備品のチェックとか後回しになる諸々の仕事とかでたぶん四十時間は連勤するんだけど、そのために強制仮眠取らされてた」
「え、てことはオレらがビンタされてるとき寝てたの?」
「せめてユウ達の様子を見てからオンボロ寮だけでも取り戻せないか探るつもりだったんだけどなあ。クルーウェルに魔法で無理やり」
今まではオンボロ寮だけが占拠されていたが、今回、ほとんどのゴーストは本校舎である城の方へと移って行った。廃墟に近いオンボロ寮は手薄になって、ともすれば捨て置かれていた可能性もある。
「ま、起きていたところで、役に立てるはずもないけど」
「そうかい? もし貴女の視点から何かアドバイスを頂けていたら、彼らの頬には見事な紅葉が刻まれなかったかもしれないよ」
「うーん、どうだろ。私はそこまで恋愛ごとに興味なかったからなあ」
ルークの言葉に、リンは首を傾げて何かを思い返す様子を見せた。そんなリンに嘆息しながら言葉をかけたのはヴィルだった。
「興味はなくとも言い寄られたことぐらいあったでしょう。アタシには及ばないかもしれないけど、アンタ結構いい線行ってるし」
「え、彼氏いたの? めっちゃ気になる、教えて教えて」
「恋バナというやつか! 良いのう良いのう、わしにも聞かせるが良いぞ!」
「おいおい、プライベートなことだろ。少しは控えた方がいいんじゃないか」
「そう言うトレイさんこそ、気になるんじゃありませんか?」
「いや、まぁ、否定はしないけど」
「どうだろう、貴女の美しさに気付けない輩ばかりだったのかな?」
「どいつもこいつも失礼な奴だな」
レオナがぼそりと吐き捨てる。リンは一度だけ忍び笑いを零したが、「いや、本当に大した話は無いけどさ」と首元を擦りながら前置いた。
「
……
でも、あんた達、」
細い、しなやかな指が襟元を揺蕩って、シルバーの細いチェーンを引きずり出す。月明りに照らされて、それは鈍い光を放った。
「いったい、私のどういう話が聞きたいの?」
「───」
それを見て、生徒達は一様に言葉を失った。今日一番の驚きと言っていい。
チェーンネックレスの先に、すっきりとしたシルバーリングが小さく揺れている。リングには小ぶりだが、宝石が幾つか、なだらかな曲線を描くように埋め込まれていた。
うっそりと、リンが微笑む。
「まぁでも、今日は時間が無いからね。そろそろ本当に仕事に取り掛からないと」
袂を指で引っ掛けて空けた胸元のスペースに、リンは指輪をすとんと落とした。あ、と誰かが声を上げる。
「アンタ達はさっさと寝なさいね。もう日付変わっちゃったでしょ」
リンがくるりと踵を返す。彼女はこちらを軽く顧みながらひらりと手を振った。
「おやすみ。良い夢を」
細身のシルエットが、あっという間に街灯の向こうの闇へ溶けて消える。
「ア、ア、アズール~~~~!!!!」
フロイドはジェイドを引っ掴んでイグニハイド寮へ繋がる鏡へ一目散に飛び込んで行った。アズールは今イグニハイド寮長のイデアの部屋へ顔を出していた。愚痴やら何やらを聞いてやるためだ。
「
……
まさか、本当にフィアンセがいらっしゃるとは」
「さすがに
……
予想外だったわね」
「あぁ
……
てっきり仕事人間かと
……
」
トレイが眼鏡を押し上げる。その視界の端に、ひょんとレオナの尻尾が揺れた。
「お? お主、あんまり驚いとらんな」
「あ?」
リリアに顔を覗き込まれ、レオナは面倒そうに顔を歪めた。
「あいつに相手がいねえ方がおかしいだろうが。くだらねえ。俺はもう寝る」
欠伸をしながら、レオナはサバナクローへ戻って行った。それを見て、トレイはやれやれと嘆息した。
「俺達も戻るか。お疲れさん」
「うむ、ではわしも戻ろう。リドルとケイトに宜しゅうな」
「あぁ、伝えておくよ」
リドルとケイトはハーツラビュルのルールを順守するために、超特急で先に寮まで戻っていた。
「
……
ヴィル、」
「レオナの様子を見に行くなら明日になさい。今日はもう寝るわよ」
「仰せのままに!」
ポムフィオーレ寮へ続く鏡に立った波紋が消えたのを最後に、鏡舎にはようやく、夜の静けさが満ちた。
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