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桜霞
2022-10-01 16:45:45
28225文字
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【twst夢】フライパンは無敵
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はじめてのおてつだい
#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主 2020/05/06にpixivに投稿したものの再掲です。
1
2
3
もうすぐ夕飯時ということもあって、食堂はそれなりに賑わっていた。隅の方に寄せられた調理スペースに台車を滑り込ませたラギーが、端にあった長机をがたがたとかっさらい、即席のテーブル席を整える。
ぼくもつくるぼくもつくると壊れた音楽プレーヤーのように繰り返すチェカは、纏っていたショールを一度剥がされた。リンはチェカの胴をそれでぐるぐる巻にして、エプロンの代わりとすることにした。
勿論、レオナは何もしない。ただテーブルに座って眠そうに欠伸をするだけだ。チェカは普段では絶対にやらせてもらえないことが目の前に溢れていて、瞳をきらきらと輝かせていた。研いだ米を鍋に入れて水に浸し、リンはコンテナから手早く野菜を取り出した。次々と野菜を洗うリンの周りを、チェカはぴょんぴょん飛び跳ねた。
「ぼくも、リンさん、チェカも!!」
「はいはい、ちょっと待ってね」
リンは母親の気分を味わっていた。虚しくなるので、それ以前の過程を考えることは意識的に辞める。
どうやらちょうどいい踏み台が無いらしく、リンはチェカにまともな作業をさせてやることを諦めた。ボウルにいくつか野菜を入れて水を張り、そこで泥を落としてもらったり、頭と尻尾を落としたたまねぎの皮を剥いてもらったりしている間にじゃがいもやにんじんの皮剥きをさっさと終わらせてしまう。
しかし、何事にも限界はある。野菜を切るリンに、やはりと言うべきか、チェカは「ぼくも!」と言い出した。
「うーん、どうしたもんか」
途中から肉を多めに入れてもらう約束でリンの手伝いに参加したラギーも、いい案が浮かばない。せめてスツールがあれば、と辺りを再三見渡していたラギーの耳が、ぴこんと跳ねる。
「お、あれはもしや」
食堂に見知った、そして今もっとも頼れるだろう影を見つけ、ラギーはにぱっとにこやかな表情になって声を張り上げた。
「ジャックくーん!! ちょうどいいとこに!! ちょっとこっち来て!!」
「? なんスか、ラギー先輩、リンさんまで、って
……
!」
序列に従順であるジャックは、素直に先輩であるラギーの手招きに応じた。いつもの定席ではなく、隅の方で固まっているラギー達の影に隠れるようにして、ひょんとライオンの小さな尻尾が揺れている。
「あ! 前に会ったことあるひと!」
「ジャックくんて言うんスよ!」
「ジャックくん?」
「お、おう、いや、はい
……
?」
まさかチェカがいるとは思わなかったのだろう、ジャックはしどろもどろとしている。リンは何に納得したのか、「あぁ、」とどこかほっとしたように肩の力を抜いた。
「悪いんだけど、チェカくん持っててくんない」
「え? も、もって
……
?」
「野菜切りたいらしいんだけど、踏み台が無いから危なくて」
「あ
……
あぁ、いっスよ」
ジャックは調理台の傍に膝を着くと、チェカを自分の右肩に座らせた。普段は見上げる調理台が眼下に広がることに、おお、とこどもが歓声を上げる。
「リンさん、切っていい!? きるよ!! きるよ!!」
「まって!! まって!! ラギー!! 猫の手やって!!」
「あぁ、はいはい」
にんじんやじゃがいもは既に下処理が終えられている。ラギーに野菜を押さえさえ、チェカには両手で包丁を持たせ、リンは何度か手本を見せた。
「いい、絶対ラギーの指が無いかどうか確かめてから、こうやって切るんだよ」
「うん」
「まっすぐだよ」
「うん」
チェカは真剣に包丁を握り締めた。慎重に包丁を入れ、一息に力をこめる。ざく、ざくと切っていくのが楽しくて、チェカはリンの言いつけを守って丁寧に野菜を切った。ラギーは何度か自分の指がきちんとついているかひやりとしながら、チェカの補助を担った。
そうこうしているうちに、学園長から言伝られたらしいユウ達が揃って顔を覗かせた。
「リンさん! 手伝います!」
「オワーッ!! 助かるう、ありがとぉー!!」
「いえいえ
……
学園長から話は聞きました。今日は
……
カレーですか?」
「カレーです」
腕まくりをして手を洗ったユウが早速包丁を手に取り、たまねぎを切り刻む。リンは残りのじゃがいもをラギー達に任せることにして、肉塊の切り取り作業に移ることにした。店の売り場でしか見ないようなそれに、ユウが目を見開く。
「うっわ、どうしたんですかそれ」
「サムさんの店で買い叩いたのよ、セールしてなかった?」
「あぁ、してました! デュースが、エースとグリムを『借りるぞ!!』って連れてっちゃって」
「それでひとりだったのか
……
」
「後で来ると思いますよ」
「二人分くらい余裕だわ」
リンは米を水から切り上げると、水を適量注いで火にかけた。この世界に、いや、この学園に炊飯器のような便利な調理器具は無かったのだ。
「はじめちょろちょろなかぱっぱ、あかごがないてもふたとるな、っと」
鍋の場合、米は炊飯器よりも早く炊き上がる。せいぜいかかってニ十分だ。早く炊き上がっても、後は蒸していればいい。
次いでリンはりんごを擦り下ろした。チェカが居るので本当は蜂蜜も入れたいところだが、我儘は言っていられない。やがてラギーが「終わりましたよー」と声をかけたので、リンは炒め物に移ることにした。既にユウがフライパンのおばけとも言うべきそれに油を敷いて、たまねぎを放り込んでいる。
リンは新しい鍋に油を敷いて、ユウと共に具材をごろごろと流し込んだ。
「モモンのみ、カシブのみ、マトマのみ、フィラのみ
……
」
「え、ユウさん、なにて?」
ユウはなんでもありませんと言って、けれどもぶつぶつ何か唱えるのはやめなかった。ジャックに抱えられたチェカがそうっとボウルを傾けているところで、ラギーが「潜影蛇手
……
」ぼそっと呟いたので、リンはうっかり噴き出すところだった。
具材を炒め終わったら、水やコンソメ、たまねぎ、ローリエもどきを鍋の中に投入する。この辺りで既にいい匂いがじゅわじゅわと漂い始めていた。幾つかの視線がちらちらと投げて寄越されているが、全員がそれらを黙殺した。
今回はカレールウではなく粉を使うので、バターを拝借して薄力粉と共にフライパンで炒める。そこに粉を入れてかき混ぜ、薄茶色がついたら、それを鍋に少しずつ移していく。灰汁を取ってくれていたラギーが「おぉ、」と歓声を上げた。徐々にカレーらしくなっていく鍋の中を見て、「錬金術みてえだな」とぼやいたのはジャックだった。
「リンさん、おなべのあわがぼこぼこしてる!!」
「触るなッ!!」
「ハイッ」
リンとユウが揃って声を張り上げた。凄まじい剣幕に、チェカは体をぴん、と硬直させた。最後に少しの砂糖や擦り下ろしりんご、塩コショウで味を調え、リンは皿を用意し、米の蓋を取った。ふわりと炊きたてご飯のいい匂いが広がる。
「よっしゃー、じゃああとは盛り付けて完せ」
「今ですリンさん!! まごころこめてッ!!」
鍋の様子を見ていたユウが叫ぶ。リンは咄嗟にカレー鍋へ向けて人差し指と中指でハートを作ると、ふっと指の間に息を吹きかけた。見えないハートがふわりと鍋の中へ飛び込んでいく。
直後、
───ドン!!
音を立てて、鍋から光の柱が立った。
「!?」
「えっなにいまの」
「魔法!?」
瞬き一つで消えたそれに、ユウ以外が騒然とする。リンはごくりと生唾を呑み込んだ。
「ユウ
……
、あなた一体なにを
……
」
「
……
鍋に具材を放り込む時に、きのみの名前を唱えました」
「えっ」
それは、もしかしなくともオンボロ寮にあるフライパンへ円卓と名付けたら疑似宝具が展開できるようになったのと同じような概念付与ではないのだろうか。呆然とする一同に、ユウはぽそぽそと言葉を連ねた。
「リンさんのまごころこめられたカレー食べたくて
……
」
「いくらでもこめてあげるッ!!!!!!!」
「茶番はその辺にしてくださいねー」
「リンさん、おなかへったー!!」
「ウッス」
リンとユウは揃って纏う空気を入れ替えると、てきぱきと盛り付け作業に移った。運ぶのはチェカの、カトラリーの用意はジャックの仕事になった。ラギーは人数分の飲み物を用意してくれている。
「それでは皆様、お手を拝借」
席についたリンの言葉に、ぱん、と手を合わせたのはリンとユウだけだった。
「いただきます!!」
「いただきまーす!!」
「まぁす!!」
大小さまざまな頂きますの後、ぱく、はぐと一口目がそれぞれの口の中に消える。瞬間、皆が音を立てて目を見開いた。
「!!」
「っ、うまーー!!」
「おいしーー!!!」
「文句無しのリザードン級ですリンさん!!」
「ほんとだ!! すげえ!!」
「いや、アンタが作ったんでしょうが!!」
興奮気味にがつがつと食べる手を止めないジャックの片頬は既に丸く膨らんでいる。リンはいやいやと頭を振った。
「これはチェカくんが半分くらい手伝ってくれたからですね」
「へへへへへ」
満更でも無さそうにチェカがはにかむ。チェカはちゃっかり、レオナの隣を陣取っていた。
ラギーとレオナ、そしてジャックはあっという間に自分の皿を綺麗にすると、何も言わずに二皿目をお代わりしに行った。勿論レオナは動かずに、ラギーに自分の分の皿を持たせていた。リンとユウは呆れこそすれ、何も言わなかった。
そうこうしているうちに、グリムを追いかけるような形でエースとデュースも合流した。
「うわ~めっちゃ美味そう、いっただっきまーす!!」
「ゴチになりますッ!!」
エースとデュースは返事も聞かずに皿を持って鍋の列に並んだ。余りの図々しさに、リンは「わはは」と声を上げて笑ったが、ユウは二人の素行をリドル寮長に報告することと、洗い物を二人にさせることを決めた。
そんなユウも食べ盛りであるので、あとちょっとだけお代わりに行こうかしら、と腰を浮かしかけたその時、ぬっと長大な影がテーブルに落ちた。
「うわ〜うまそーな匂いさせてると思ったらすげーメンツじゃんなにこれ?」
フロイド・リーチである。ユウは驚いてびくりと肩を跳ねさせた。エースとデュースは息を詰め、グリムの喉がひゅっと鳴った。
フロイドはにっこり笑うと、長い脚で椅子を跨ぎ、リンとユウの間に腰を降ろそうとした。
「お邪魔しまあす」
「邪魔すんねやったら帰ってー」
「はーい」
素直に言う事を聞いたかと思ったフロイドは、座ろうとしていた位置からリンを挟んで反対側にくるっと踵を返してどかりと腰を降ろした。
「一緒に深海行きたいって?」
「言ってない言ってないちょちからつよいこわいこわいこわい目がこわい」
そのまま肩を組まれたリンが抜けだそうとするも、逆にかっ開かれた目が間近に迫ってくるだけである。リンはなんとか迫りくる鮫歯から逃れようと身を捩ったりフロイドの手を剥がそうとしたが、それよりも早くいつの間にか席を離れたチェカがフロイドに飛びつく方が早かった。
「リンさんに何するんだやめろー!!」
「あっチェカくん!!」
「ウワなにこのガキ」
チェカは全力でフロイドの腕を引っ張った。咄嗟に力を入れ損ねたフロイドはリンの肩を手離しこそすれ、バランスを崩したりはしなかった。んぎーっ、と唸るチェカがぷらーん、とフロイドの腕にぶら下がる形になる。チェカはじたばた暴れた。面倒そうな気配に、フロイドの眉間に皺が寄る。
「いいぞチェカ、噛みついてやれ」
「はぁ!?」
「煽っていいんスか!?」
まさかレオナが野次を飛ばすとは思わず、ラギーとジャックは揃って目を剥いた。相手はレオナでさえ相手取りたくないと渋るようなフロイドである。下手をすれば傷つくのはチェカだ。未来の王が傷つけば、煽ったレオナもただでは済まない。しかし、レオナは飄々と嘯いた。
「自分の群れも守れねえようじゃ、国は任せられねえさ」
「群れって
……
」
「そうは言っても
……
まだこどもだろ」
聞くともなしに聞いて居たリンは、嘆息して立ち上がった。フロイドの腕からチェカをべりっと引っぺがし、チェカを元の席に戻す。レオナは意地悪い笑みから一転、どうして俺の隣に再び座らせるんだと顔の全面に押し出してリンを見やった。リンはそれを華麗に黙殺した。
「チェカくん、ご飯食べる時は立っちゃだめでしょ。いてて」
「リンさん、だいじょうぶ?」
わざとらしく肩を抑えるリンに、チェカは心底心配そうに手を添えた。エースとジャックは互いに目配せすると、スプーンを咥えながら「いたそー」「かわいそうになぁ」と小さくは無い声を上げた。それを聞き拾ったリンが「ぴえん」と両手で顔を覆う。フロイドは口をへの字に曲げた。
「
……
え、なにこの空気。オレが悪者みてーじゃん」
「実際悪者だろ
……
」
「リンさんがぴえん
……
ふふっ」
「オイ誰だ笑ったやつ」
「ハイサーセン」
エースが首を竦ませる。「皿洗いの刑」とリンは仰々しく言い渡した。そこへ、かつかつと忙しない足音が近付いてくる。
「フロイド、そこで何をしてるんです」
「おっ、さすがアズールくん、来るのが早いっスねえ」
ラギーの揶揄に、アズールはぴくりと眉をそよがせたが、それまでだった。後方に控えるジェイドも微動だにしない。きっとこの二人はチェカが夕焼けの草原の王位継承権第一位のこどもだと分かってるんだろうなあとラギーはなんとなく推察した。
フロイドは「だってー、」とこどものように駄々をこねた。
「すっげー美味そうな匂いすっから、食べたかったんだもん」
「それならたべたいっていえばいーのに! ぼく、よそってきてあげる!」
ぴょん、と椅子から飛び降りたチェカが、とてててて、とジャックの元まで駆けて行く。
「えぁ、え? アンガと」
「いーよ!!」
チェカはジャックの腕をぐいぐい引きながら鍋の元へ移動した。口をもごもごさせていたジャックは、それでもチェカを抱えてやって、チェカがカレーをよそうのを手伝った。
「宜しいんですか?」
「宜しいよ」
どこか戸惑いを見せるアズールに答えたのはリンだった。
「私が出資元。サムさんの誤発注を買い叩いたやつだから、夕飯まだなら食べてって」
「そうでしたか、それなら
……
有難く頂戴します。行きましょう、ジェイド」
「はい、アズール」
オクタヴィネル寮の寮長と副寮長が揃ってテーブルに背を向けたところで、レオナとラギーがじろりとリンを睨みつけた。またもや独占するどころか他者と、しかもいけ好かない野郎どもとご馳走を共有する羽目になっている。
せめて同じ寮なら許せたし、ユウとグリムはリンの世話を担うオンボロ寮の監督生であるので仕方がないと諦められるが、ハーツラビュルの一年に、オクタヴィネル寮のスリートップとは。リンは「なによ」と二人の棘のある視線を何とも思っていない表情で受け流した。
「食べ物は粗末にしちゃいけないでしょ?」
「
……
そりゃそうっスけどねえ
……
」
ラギーが渋々と言った体で口を尖らせる。フロイドがきゅう、と目を細めた。
「なあに、喧嘩?」
「違いますよ先輩、ただの我儘です」
「ふーん」
フロイドへと言葉を添えたユウは、レオナにぎろりと鋭い眼光で射抜かれたが、つんと澄まして視線を顔ごと背けて見せた。レオナは苦々し気に顔を歪め、水で口の中をすっきりさせた。
「はい、どーぞ!」
「うわ、うまそー! いただきまーす」
役目を負えたチェカは、そろそろてきとうに後片付けでも始めようかしらと視線を巡らせていたリンの腕を引っ張って座らせると、それがさも当然であるかのようにリンの膝の上によじ登った。
「
……
」
「
……
」
されるがままだったリンは、まじまじとチェカを見つめていたが、まぁいいかと自分のコップを手元に移動させた。こどものすることに一々気を取られていてはリンの方が参ってしまう。
ラギーとジャックはまだカレーが余っていないか確かめるために席を立った。入れ替わるようにしてアズールとジェイドが戻ってくる。
「フロイド、ちょっと寄ってください」
「ふぇっふぁふまいお!!!!」
「ウワびっくりした」
「なんですって?」
「呑み込んでから喋りなさい」
それまで静かにもくもくと食べていたフロイドが突然大声を上げたので、ユウは驚いて思わず肩を跳ねさせた。心臓に悪い。フロイドは言われた通り、口の中にあったものをごくりと呑み込んだ。
「めっちゃんまいんだって!!!!!」
「もうちょっとそっち詰めてください」
「足が邪魔なんですけど」
「聞けよ!! は!? 食えよ!! ちょ小エビちゃん詰めて」
「アッハイ」
ユウは素早く長椅子の端っこの方に移動した。フロイドも移動しながらばくばくと食べ続ける。アズールとジェイドが食べ始める頃、どこからかチーズを手に入れて勝手にカレーにアレンジを加えていたラギーとジャックが戻ってきた。リンがふと鍋の方を見やると、コンロの上にあったそれはいつの間にか洗い場の方に移動していた。
「えっ、完売?」
目を瞬かせたリンに、ラギーとジャックが口をもごもごさせながらサムズアップしたりこくこくと頷いたりする。リンは「はーっ、」と目を丸くして呆れ果てた。
「よく食うな
……
」
「いやお前も大概だろうがよ」
レオナのぼやきに、リンは反射的に突っ込んだ。レオナは大盛りを二皿と半分、ぺろりと平らげていた。
「ごちそーさま!」
ようやく自分の分を食べ終わったらしいチェカが満足そうにリンに寄り掛かる。はいお粗末様、とリンはチェカの頭をわしゃわしゃとかき回した。
「チェカくん、これで口の周り、拭いた方がいいよ」
「ん!」
ユウから紙ナプキンを受け取って、チェカは口の周りをぐいぐいと拭いた。そして、新しく食卓に加わったアズールへ「ねえねえ!」と声をかける。
「リンさんのカレーね、ぼくもお手伝いしたんだよ! おいしい? おいしい?」
「ええ、とても。我がモストロ・ラウンジでシェフをしていただきたいくらいには」
アズールはにっこりと綺麗に笑った。滲み出る胡散臭さにリンはうっかり噴き出しそうになったが、「おいしいって!! よかったねリンさん!!」と太陽のように嬉しそうに笑うチェカに「そうだねえ」と答えることでどうにか堪え切った。
「僕は本気ですよ」
アズールが身を乗り出す。リンは思わず少しだけ顎を引いた。
「聞けば、最低賃金の概念など消え失せた契約を結んでいらっしゃるとか。いかがです? 転職先に考慮していただいても構いませんよ。我がモストロ・ラウンジの福利厚生は完璧ですので」
「すまんな、飲食では絶対働かないことにしてるんだ」
「えっ」
ばっさりと切って捨てたリンに、アズールは思わず体を強張らせた。
「定食屋なら考えたんだがなあ」
「あぁ、
……
そういうことですか。それなら無理強いをするわけにはいきませんね」
リンのぼやきに、アズールは意外にもあっさりと身を引いた。
宜しいんですか、とジェイドが囁く。仕方ありませんよとアズールはカレーを食べるのを再開させた。
リンは確かに料理が苦手ではないが、モストロ・ラウンジで提供されるような洒落たものを作れる器用さは持ち合わせていない。リンが振るう料理の腕はどちらかというと家庭的で、そしてそれはモストロ・ラウンジのイメージとは方向性が違う場所にあった。
リンの言葉から正しくそれらを把握したアズールは、だからこそあっさり掌を返したのだ。
リンを改めて勧誘するのは、二号店の目途がしっかり立ってからでも遅くは無い。
しかし、フロイドは不満気な声を上げた。
「えー、別に兼業してもいーじゃん。昼には仕事終わるしさあー、センセーだって研究職やりながら教員やってんでしょ?」
「フロイド、そういうことではなく」
「いーじゃん、ホールだけでも。バックは盛り付けだけやってもらえば。イソギンチャクが居なくなったからしんどいんだよねえ」
「へえー、それは大変ですねー」
「エース、僕達、そろそろ片付けないと寮に戻るのが遅れるぞ」
「あっ、いっけね」
エースとデュースはいそいそと取り皿を下げて洗い場に移動した。後片付けの洗い物は食べるだけで何もしなかった一年生の宿命である。なんとなく居心地が悪くて、グリムも二人の後を追った。
元イソギンチャク組がテーブルを離れたからではないが、ユウは「あの、」とおそるおそるアズールに声をかけた。
「どうかしましたか?」
「ホールだけでも枠があるなら、バイトしたいんですが」
「おや」
「小エビちゃんが?」
フロイドが目を丸くする。アズールも意外そうに瞠目した。リンは静かにユウの言葉へ耳を傾けた。
「理由をお聞きしても?」
「一番はやっぱり、週に一回くらい、勉強以外のことしたくて。どうせならバイトしようかなって
……
部活にも入ってないですし
……
、土曜日と祝日の昼間とか
……
、
……
シフトの最低日数とかあります?」
「
……
いえ、ユウさんには以前、お世話になりましたから。ある程度の融通は利かせましょう」
「えーっ、それならオレもそういうの欲しいんスけどお」
既にモストロ・ラウンジでバイトに勤しんでいるラギーが声を上げる。アズールは眉を顰めた。
「その系列のあなたとのやり取りは既に済ませています」
「ちぇ、ケチ」
「なんとでも。ユウさん、具体的な話はまた後日改めて」
「あ、はい」
「ごちそうさまでした。対価は後片付けでよろしいですか?」
「あら、お粗末様。どうぞお構いなく」
にっこりと微笑むリンに、アズールは慣れた仕草で会釈した。ジェイドとフロイドも立ち上がり、洗い場の方へ移動する。エースとデュース、そしてグリムがひえっと飛び上がるところへ、フロイドは至極楽しそうに絡みに行った。
「
……
意外っスね。もっと反対するのかと思ってたんスけど」
「ユウのバイトのこと?」
リンは「こどもじゃないんだから、」と頬を緩ませた。
「まあ、夜とか、放課後とかは、ちょっと心配だから送り迎えぐらいしたかもしれないけど。勉強とか生活とか、いろいろちゃんと支障が出ないようにできる子だってのは分かってるから」
ユウはへへん、と自慢気に胸を張った。
「あ、でもこの世界の最低賃金は調べてからにしな」
「はい!」
「そこらへんは大丈夫っスよ。まー結構ぎりぎりっスけど。
……
ぎりぎりと言えば、チェカくんもぎりぎりっぽいっスね?」
「お?」
一同の視線がリンの膝の上に座っているこどもに集まる。それに応えるかのように、かくん、とチェカの首が項垂れた。
随分静かに大人しくしているなと思ったら、どうやら満腹故に眠ってしまったらしい。リンは使わなかった野菜等々をユウとグリムに任せ、先にオンボロ寮へ帰ってもらった。エースとデュースも、オクタヴィネル寮のスリートップから逃げるようにしてハーツラビュルへと戻って行った。
国の人間と顔を合わせるのが嫌なのか、レオナはいつの間にか姿をくらましていた。ジャックとラギーも、別にチェカを見送らなければならないわけではない。チェカが起きていたらまた違ったかも知れないが、気持ちよさそうに寝ているこどもを起こしてまでさよならを言いたいかと問われれば、それは否だった。
リンにごちそうさまでしたと愛想よく声をかけて、さっさと鏡舎への道を進む。
「いやー、満腹満腹! 後片付けをしなくていいっつーのは楽っスねえ!」
「そうっスね」
弟妹たちの世話を思い浮かべていたジャックは、「あ、」とラギーが立ち止まったのにつられて歩を止めた。鏡舎はもう目の前だ。
「あっちゃー
……
忘れ物した。ジャックくんは先戻っといていっスよ!」
「あ、ウス」
何度か自分の体をぺたぺたと触ったラギーは、「じゃ!」と手を挙げて颯爽と走り去って行った。あっという間にその姿は暗がりに溶けて行く。
ジャックは特に疑うことなく、サバナクロー寮へ続く鏡を通り抜けた。
無事にチェカを付き人に引き渡し、リンはオンボロ寮へ戻る道筋を辿っていた。季節故か、辺りはすっかり真っ暗だ。
数ヶ月滞在してようやく慣れてきたその道の街頭の光が当たる場所より少し遠く、一層暗がりが濃くなる場所に佇む影を見留めた時、リンは咄嗟に息を詰め、腰を落として身構えた。
「オレっスよ、ラギーっス」
「
……
新手のオレオレ詐欺かと思ったわ」
嘘だ。本当は獣か何かかと思った。リンは肺が空になるほど息を吐きながら強張った体から力を抜いた。
「どうしたの、何か用?」
「さすが、話が早いっスねえ」
「
……
」
いや、これぐらいのことでそんなこと言われても。ラギーはひょこひょこ街頭の下に躍り出て、こちらをじっと窺っている。
「
……
チェカくん、結局寝たままでした?」
「ん? うん。起きたらぐずるかもって言われた」
そして、レオナさまにもお会いしたのですね、とも。
付き人は一度聞いただけでは読み取れない感情を、その言葉に込めているようだった。それがレオナの立場や、置かれている状況、彼らのレオナに向ける思考などを如実に表しているようだった。リンは深く追求はしなかったが、ただ「本人はとても楽しそうでしたよ」とだけ言い添えた。
「今日は、おじたんおじたん言う暇がないくらい、いろいろやりましたもんね」
「こどもってのはそんなもんでしょ。元気があって良い事よ」
「元気がありすぎるのも困りもんでしょ。箒からジャンプしたときなんか、肝が冷えましたもん」
「あぁ、あれは、さすがにねえ」
ラギーと同じように先刻を思い返して苦笑するリンに、ラギーは顔から感情の一切を削ぎ落した。
「───あのとき、あんた、なに考えてたんスか」
「
……
なに、とは?」
リンがゆるりと小首を傾げる。ラギーは一度深く呼吸して、言葉を吐き出した。
「助けるんだ、って、言いましたよね。あんた、レオナさんが、チェカくんに手を伸ばしたのを見て」
「あぁ。そうだな、言った」
「、」
存外あっさり認められて、ラギーは思わず面食らった。
「お前はそうは思わなかったのか?」
「、え」
予想外の追撃に、ラギーは言葉を詰まらせた。
「単純だろ。欲しいなら奪えばいい。お前達、前に似たようなことを言っていたじゃないか」
「それ、は───」
ラギーは戦慄く唇を無理やり口内に抑え込んだ。
リンの言っていることは正しかった。レオナが本当に玉座を狙うなら、王とその嫡子をどのような結果になろうとも廃さなくてはならない。そう考えると、先刻は絶好ではないかもしれないが、正しく機会ではあった。万一のことあらばすべての責をリンに擦り付けることもできた。
だがレオナはそうしなかった。計画性が無かったと言えばそれまでだが、───それでも、レオナは、「馬鹿が」と怒鳴りながらもチェカをしっかり抱き留めたのだ。
「
……
直接、話を聞いたわけではないし。人伝の、想像が多分に含まれているほとんど妄想みたいな推測しか、私は知らなかったからさ」
俯いてしまったラギーに、ぽつりぽつりと言葉が落ちる。
リンは淡々と続けた。
「だから
……
あぁ、助けるんだ、今は、って
……
、
……
助けない選択肢を作れないんだなって。それだけ」
「
……
たすけない、選択肢
……
」
「だって、ほとんど反射的に動いてたろ、あいつ」
「
……
」
その通りだ。ラギーは今度こそ口を噤んだ。
チェカに危険が及ぶこと、それは即ち国の未来に危険が及ぶことに他ならない。
国の未来のためにチェカを守ったなどと、レオナがそんなに優しい中身をしていないことは、ラギーが一番よく知っている。
「
……
答えになった?」
「え、」
「何を考えてたかって聞いたでしょ」
反射的に顔を上げたラギーが見たのは、どこか困ったように眉を寄せる、見慣れたリンの表情だった。
「
……
おれ、」
握りしめた拳が痛い。ラギーは胸の裡にぐるぐるととぐろを巻く何かを吐き出したくてたまらなかったが、それはどうしても言葉という形にならなかった。奥歯がぎり、と軋んだ音を立てる。リンはただ静かにラギーの言葉を待った。年の瀬の冷たい風が、二人の間をそっと通り過ぎた。
「
…………
びっくり、して」
「
……
うん」
「
……
だって、こども、っスよ」
「そうだな」
「アンタ、血も涙も、ねえのかよって、」
「うーん、
……
うん、まぁ
……
」
「でも、あのひと、そんな単純なこともできねえくらい、裏切られて、大事にされて、全部全部、一度は諦めちまうくらい、
……
、
…………
」
それ以上を、ラギーは言えなかった。
だって、レオナは何も言わなかった。せいぜい今の自分がどういう立ち位置かを自嘲に似たそれと共に吐き捨てるくらいで、過去に具体的に何があったかなんて、誰にも語らなかった。
知らないことは、語れない。勝手に推し量るのは、相手が誰であっても失礼で、浅慮で、誠意に欠けていた。
───いつもなら、言えるはずなのに。
ラギーは苦しそうに顔を歪めた。
リンの真っ直ぐな瞳が、じっとラギーを見つめている。
だから言えないのだ、とラギーは難癖をつけてリンの双眸を罵った。お前の瞳が、あまりにもまっすぐだから、濁流のようなこの百万語が押し留められているのだと。
「
……
知らないことについては、言えないけれど」
漸う、リンが口を開く。
「でも、お前が世話を焼いてやろうと思ったのは、今のあいつだろ」
「、へ、」
ずい、とリンに顔を覗き込まれ、ラギーは盛んに目を瞬かせた。
今のレオナ、という言葉が、他人事で混乱しそうになっていた思考回路を瞬く間に鎮めてくれる。
───そうだ、オレは、今のレオナさんしか知らないのに。
リンはじっとラギーの瞳を見つめながら話を続けた。
「今のあいつは、お前達は、反射的に手が出てしまうことを不思議に思わないくらいには、好きでもないこどもを守るのが当たり前なんだろ」
「え」
「それは別に、間違ってないよ」
ラギーは瞠目した。
まちがってない、と意識の外側で口が勝手に動く。応とも、とリンが首肯した。
「間違ってなどいるものか。それに、そこから始まる覇道もあるのだろうし」
「
……
」
「のし上がる方法はひとつじゃないってこと」
最後にラギーの頭をわしゃわしゃとかき回して、リンはラギーの傍を通り過ぎた。
「風呂入って寝な。カレー臭いわ」
「、」
「おやすみぃ」
ひらりと手を振ったリンが、夜闇の中に溶けて行く。ラギーはぽつりと「おやすみなさい」と零したが、それは特に響かずに、冷たい風の中に呑み込まれていった。
「
……
」
ラギーは自分の腕を鼻に寄せて、何度かすんすんと匂いを嗅いだ。確かにカレーの匂いが漂っている、気がする。
「
……
風呂入って寝よ」
そして難しいことを考えるのはやめよう。もう少ししたらホリデーなのだし、何か考えたところですぐに答えが出るわけもない。
というかそもそも考えるって何をだ。お人好しで中立だが善人寄りで、悪戯の類に抵抗がそんなに無いだろうとこちらが勝手に判断していた平々凡々な女が思っていたよりも辛辣で冷たくて冷徹なことを見抜けなかった事か。それとも。
……
それとも、自分達の側に立ってくれていると思っていたひとが、案外こちらの事情に対して非情に他人事のように思っている感じが否めないからだろうか。
「
……
あぁもう!!」
ラギーはぐしゃぐしゃと頭を掻き回し、ぶんぶんと振って雑念を追い払った。
他人事だ。他人事だとも! ラギーにとってもリンにとっても、他人事には変わりない!!
「今日は、もう、寝る。おやすみ!!」
誰にともなく言い切って、ずんずんと鏡舎への道を進む。
───それでも、
……
たとえ、他人事だと、しても。
「
……
」
歩幅が少しずつ狭くなる。早かった歩みが、少しずつ穏やかなものに変わっていく。
───
……
だって、
……
ひとりではどうにもならないことは、自分じゃない誰かに頼れって、
……
教えてくれたのはアンタなのに。
レオナは実家に帰りたくないと吐き捨てるだけだった。ラギーたちには、何も言わない。
何も。
ケッ、とラギーは地面を蹴り上げた。ちょうどそこに転がっていた石が鋭く飛んで何かにぶつかり、かこん、と乾いた音を立てた。空気が冷えているからか、それとも乾燥しているからか、妙に響かない。それが虚しさに拍車をかけたので、ラギーは今度こそ、本当に、考えるのをやめてサバナクロー寮へと続く鏡へと身をくぐらせた。鏡が眩い光を放つ。
後には、静かな夜の帳が降りているだけだった。
年の瀬という新たな時の境界は、静かに、ひそやかに、その世界に迫っていた。
To be Continued...?
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