桜霞
2022-10-01 16:45:45
28225文字
Public 【twst夢】フライパンは無敵
 

はじめてのおてつだい

#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主 2020/05/06にpixivに投稿したものの再掲です。


 
 
 
 
 たとえ異世界でも、年末年始ともなれば休日休暇が与えられるらしい。ナイトレイヴンカレッジにも、目と鼻の先に迫ったホリデーに、落ち着いた騒がしさが漂っていた。
 ホリデーの間、大抵の生徒は実家へ帰省する。長距離を箒で移動したり、闇の鏡を使用したりと、方法は様々だ。最近のリンは学生が申請する学割証明書の処理や、休暇中の連絡先についての情報入力などの事務作業に追われていた。
 細々としたアナログ作業をするために自分のデスクに戻るのも面倒だ。リンはオンボロ寮にあったスツールを持ち込んで、事務室の受付カウンターに居座っていた。
 この作業スピードなら今日は少し居残るだけで、早めに上がれるかもしれない。時計の針は午後一時過ぎを指そうとしていた。
 リンは今日の夕飯のことを考えながら、集中して作業を進めていた───そこへ。
 
「リンさん!!!!!!」
「のわぁ!?」
 
 すわ爆発かと思うほどの衝撃音が叩きつけられた。
 バァン、と跳ね除けられた扉と共に丸っこい塊がびょんっ!!! と顔に突撃をかましてくる。リンは「んぐっ、」と反射的にカウンターへ指を立て、どうにか倒れ込むのを阻止した。腹筋が痛いほどに唸り、やっとのことでバランスを取る。
 全身全霊全力でぎゅうううう、と抱き着いてくるこどもをなんとか引っぺがし、リンは素っ頓狂な声を上げた。
「チ、チェカくん!?」
 にっぱー!! と小さな太陽のように笑うのは、つい数ヶ月前のマジフト大会の折に顔見知りとなった夕焼けの草原の王子、チェカであった。目を白黒させるリンとは裏腹に、チェカは嬉しそうに耳と尻尾をぱたぱたと揺らした。
「リンさん元気? ぼくはめちゃくちゃ元気!!」
「あ、うん、そうだね、元気そうだね……私も元気だよ」
「良かった!!!!」
「んむ、」
 なりふり構わない抱き着き、再びである。リンは思わず息を止め、仕方なしに抱き締め返した。へへへ、と近くで嬉しそうにはにかむ声がするので、どうやらお気に召したらしい。
「おやおや、さすが、足の速いことで」
 不意に聞き慣れた声が降ってくる。チェカがもぞりと動き、リンは声のした方に意識を向けながらチェカが落ちないように注意した。
「学園長。あの、何かご存じで?」
「いえね、私もつい先ほどお付きの方から連絡をいただいたんですが、どうやら我が校を見てみたいと仰って聞かないらしく」
「ぼく宿題ぜんぶおわったもん!!」
 がる、とチェカが吠える。それは素晴らしい、とクロウリーはわざとらしいくらい芝居がかった口調で言った。それに乗せられて、チェカはリンの腕の中で得意げに胸を張った。
「宿題おわったらいっていいよって言ったのザージだもん、ぼくわるいことしてないもん!」
「それはそれは、左様でしたか」
「ザージだっていっしょに来るって言ってたよ、おそいからおいてきたけど」
「置いてきちゃったかぁ」
「さすが、こどもの行動力には驚かされますねえ」
 リンは苦笑し、クロウリーはにっこりと口元を笑みの形にした。あのねあのね、とチェカは矢継ぎ早に言葉を並べた。
「ぼくね、今日はね、リンさんに学校のいろんなところつれてってもらおーと思って来たの!」
 あぁそうなの、とリンはチェカに向き直った。
「でもリンさん、お仕事あるんだよ」
「ええーっ、リンさんお休みじゃないの!?」
 チェカが不満げに口を尖らせた。
「ホリデーは大人もお休みになるんでしょ!? ぼくの父さんと母さんはお休みじゃないけど、それいがいの大人はお休みになるって、ぼく知ってるもん!」
「うん、お休みにならない大人もいるんだよ」
「えぇー……やだあ……
 ぐにゃん、と骨が無くなったかのようにチェカが全身から力を抜いた。リンは「おわわ、」と慌てて腕に力を入れ直した。リンの細腕にこの年頃のこどもは少々支えきれないところがある。
「そうですよ、チェカ王子。学園の案内なら私が仰せつかりますから、」
「やだ! リンさんがいい!!」
 チェカがぐねぐねと身を捩る。手足がばたばたと動いて、顔を背けてそれを避けた。クロウリーはやれやれ、と呆れたように肩を竦めた。
「うーん、めんど、いや仕方がありませんねえ。では今日一日、彼女をお貸し致しましょう。私、優しいので」
「ほんと!?」
「ええ、本当ですよ。私、優しいのでね!」
 こいつ、わざわざ二回言ったぞ、とリンは目を眇めた。チェカはやったあと無邪気に喜んでいる。
「仕事はどうするんですか」
「明日にでもすれば宜しい。特に急ぎのものは無かったはずでしょう?」
……
 誰かが代わりにやってくれる、というわけではなさそうだった。リンはチェカ こどもの前でもあるので、百万語を押し殺して溜息をついた。
「チェカくん、学園長にお礼は?」
「ありがとーございます!!」
「どういたしまして」
 クロウリーはにっこりと笑った。リンはチェカを降ろすと、手早くカウンターに広げていた書類などを片付けた。
「ねえねえ、はやくいこーよリンさん」
「はいはい、ちょっとお待ちなすって、ちょ、力が強いなチェカくん」
 ぐいぐいと服を引っ張られて、リンは何度かたたらを踏んだが、どうにか片づけを済ませると、少々足をもつれさせながら「すいません、お先に失礼します」と声を張り上げた。リン史上、最速最短の退勤である。
 チェカはリンの手を取ってきゃらきゃらと笑いながら飛んだり跳ねたりしていたが、やがて飽きたのか、きょろきょろと辺りを忙しなく観察し始めた。
「リンさんリンさん、あれなあに?」
「あれは肖像画」
「リンさんリンさん、あれは?」
「あれはねえ、ランプのでっかいやつ」
「リンさん、おくつかっこいいね!」
「スニーカー? ありがと、新品なの」
「おけしょうしてる?」
「美人に磨きがかかったでしょ」
 ぱちん、と片目を閉じて見せると、チェカはきゃあと可愛い悲鳴を上げた。
「カッコイイ!! おじたんくらいかっこいい!!」
「あはは、ありがと」
 チェカの叔父と言えば、この学園で知らぬ者は居ないだろうレオナ・キングスカラーその人だ。
 あの整った顔と同じくらいとは。こどもならではの褒め方と語彙力に、リンの表情も穏やかになった。
「リンさん、あれなに?」
「あれはステンドグラス」
「あれは?」
「あれはねえ、メインストリート」
「白いのなに?」
「グレート・セブンの銅像のことかな。見に行く?」
「行く!!」
「よし来た」
 それならこっちだ、とリンはチェカの手を引いた。校舎内は一端切り上げて、外に出る。年の瀬の冷たい風が肌を撫でて、チェカはリンの腕を引き寄せて抱き着いた。
「おお、ちょっと歩きにくいな」
「だってさむくてびっくりしたんだもん」
「じゃ、これ、羽織っといで」
 リンは腰に巻いていたショールを折りたたみ、チェカの体に纏わせた。肩の辺りで結び目を作り、ずれたり、脱げないように固定する。チェカはリンの手作りショールを引き寄せると、ほにゃりと表情を綻ばせた。
「あったかあい、リンさんのにおいする」
「あら、臭くない?」
「うん、いーにおい」
「そっか、良かった」
 本当に良かった。リンは胸を撫で下ろした。これで臭いとか言われようものなら、心はばっきばきに折れている。
「あ! あのひと知ってる、ぼくの国の人だよ!」
 チェカはリンの腕をぐいぐいと引っ張って、とある像の前に立った。他の六つの像があくまでもヒトの形を取っている中、この像だけはどこからどう見てもライオンである。
「えーっとね、ずーっと昔の王さまでね、ぼくのご先祖さま! それでね、えっとね、本当は王さまじゃなかったんだけど、努力して王さまになったすごいひとだって、おじたんが言ってた!」
「へえー……
 ライオン。サバンナを支配する百獣の王。
 初めてそれを聞いた時、この世界にもサバンナはあるのかと、リンは多少なりとも驚いた。
 この世界の常識であり、学園の導となっているグレート・セブンのことは、リンもそれなりに頭に入れている。
 チェカが紹介してくれたのは、生まれながらにして王ではなかったライオンだ。綿密に練った策で玉座を手に入れた努力家とされ、嫌われ者のハイエナも差別せず、共に暮らすことを提言したのだと言う。
 ヒト、いやライオンは見かけによらないのか、それとも玉座を巡る争いが美化されて後世に伝わっているのか、どちらかだなとリンは思った。
「ま、歴史なんてそんなもんだよな」
「ほえ?」
「見方によっては肉も野菜に見えるって話」
「えぇ?」
 チェカが眉を寄せる。リンは「あったかいもんでも飲みに行くか」と声音を切り替えた。チェカは、差し出されたリンの手を素直に握り締めた。
「リンさん、どこ行くの?」
「購買部。ミスター・Sのミステリーショップ。リンさん小腹が減ったから、おやつ買おうと思って」
「チェカもおやつ食べる!」
 ぴょおん、とチェカが飛び跳ねる。リンの腕もぶらあんと揺れた。
 メインストリートから購買部までは多少の距離も無い。おやつを食べられることにご機嫌のチェカがそう言えば一国の王子なのだと、リンは不意に思い出した。
 お付きの人だろうザージとかいう名のそれらしき人物は未だ姿を見せない。やはり王子であるが故に毒見とかした方がいいのだろうか。というかアレルギーとか無いよな? リンは今更ながらに一抹の不安を覚えた。
「リンさん、ここ? ここ?」
「そうそこ。ところでチェカくん、食べちゃいけなかったり飲んじゃいけなかったりするものって」
「おじゃましまーす!!」
「聞いてくれー」
 小さな戦車よろしく、チェカはショップの玄関扉に突撃をかまし、中へと転がり込んだ。リンの手からは既に離れている。頼むから物は壊さないでくれ、とリンは急ぎ足でチェカの後に続いた。
「おや? これはこれはいいところに!! ようこそミステリーショップへ!!」
「あぁサムさん、お邪魔してます」
「ちょっと待っててくれ、いいものがあるから!!」
「いや今回はおやつを買いに、って、聞けよお……
 サムはあっという間に店の奥へすっこんで行った。肩を落とすリンを他所に、ねえねえリンさん、とチェカが服の裾を引っ張る。その手には小さなキャンディが幾つか握りしめられていた。
「これ? 欲しいの?」
「うん」
「食べちゃだめって言われてない? アレルギーって分かる?」
「ぼく、これいつも食べてるし、ぼく、アレルギーはないよ!」
「それなら良かった」
 リンは本日何度目か、そっと安堵の息を吐いた。それを感じ取ったのか、チェカもにへ、と笑って見せる。リンはかごを手元に引き寄せると、そこに菓子を入れさせた。チェカはすぐにジュース売り場へ駆けて行く。
「リンさんのも取ってあげる!」
「じゃあねえ、リンさんはリンゴのやつがいい」
「いいよ!!」
 チェカは「ふんっ!」と背伸びをしてリンゴジュースを手に取った。はい! と自慢気に差し出されるそれをありがとうと受け取って、かごに入れる。チェカ自身は少しの間うんうん迷っていたが、やがて「これにする」とグレープジュースを選んだ。
 リンはかごをレジカウンターに置いて、「サムさあん? ミスター!」と奥の方へ声を張り上げた。サムはまだ何か作業をしているのか、店内に姿を見せてはいなかった。
「なーにしてんだろ」
「お店のひと、サムさんって言うの?」
 ぴょい、とチェカが器用にカウンターに肘をついてぶら下がる。リンがもう一度声をかけようかと口を開いた瞬間。
 
「───!!」
 
「、」
 チェカが吼えた。幼いとはいえさすがはライオン、そして国を治める王の家系。その咆哮は店内に並べられている物をかたかたと揺らし、リンの肩を跳ねさせた。
 そのまま驚きで固まったリンは、そろりと視線だけでチェカを見下ろした。こどもは「出てこないねー」などと宣って尻尾をふらふらと揺らしている。
……そうねえ」
「ミス・リン!!」
 バン!! と勢いよく玄関扉が開け放たれる。リンは今度はなんだとそちらを顧みた。
「あら、ミスター、外にいらっしゃったの」
「それよりライオンが居なかったかい!? すごい咆哮だった!!」
 顔色を変えたサムが警戒心を露わに、凄まじい勢いで視線を走らせる。リンはチェカを小脇に抱えた。
「すごかったって、チェカくん」
「へ? なに?」
 素直に抱き上げられたチェカは、するりとリンの肩に手を着いて体を起こし、リンの腕に腰かけた。抱き上げられることに慣れている重心の置き方だ。リンにかかる負担が少ない。
 チェカを見留めたサムは「おやまあ」と目を丸くして帽子を取って胸にあて、優雅に礼をした。
「これはこれは失礼を! まさか御身とは、気が付きませんでした」
「いーよ!」
「それで、何をしてらしたんです」
「これだよ!!」
 サムは店の外に二人を連れだした。じゃあん、と自前の効果音でサムが示した先には、コンテナに並べられた野菜や肉がうずたかく台車に積まれていた。
「はぁ、なんです、これ」
「いやぁ、お恥ずかしながら、誤発注しまくっちゃって!! これ全部で五千マドル!! どうだい!? 頼む!! 買ってくれ!!」
 ぱん、と手を合わせて拝むサムに、リンは困惑して眉を寄せた。
 積まれた食材は軽く見積もっても一週間分はある。常ならば諸手を上げて買い込むが、リンはつい先日食材を調達し、尚且つ衣服のために少ない貯金を崩したばかりだった。今月は既に足が出るかどうかの瀬戸際で過ごしているのだ。冷蔵庫に入りきらないし、腐らせてしまうのも勿体ない。作ればグリムが食べるだろうが限度というものがある。腹ペコ男子学生共に声をかければすぐに捌けてしまうかもしれないが、彼らはもうすぐ実家に帰省する。
「食堂に売った方がいいんじゃありませんか? モストロ・ラウンジとか」
「そことはもう話をつけてあるんだよ! それでも余るから、この後も緊急セールするつもりでね」
「どんだけミスったんです……
 リンはううん、と顔を顰めて唸った。いつも値切り交渉でお世話になっているサムが困っているのだ、たまには助けになりたい。しかしそれで金欠になるようなことがあっては困る。リンはぱちぱちと脳内で算盤を打ちながら手にしていた買い物かごを掲げた。
……これも一緒でいい?」
「勿論」
「三千」
 サムが目を据わらせる。彼は口をへの字にして素早く言った。
「四千五百」
「んん、もうちょい」
「四千」
「がんばれサムさん!! がんばれ!!」
「三千五百!!」
「買った!!」
「この鬼!!」
 サムはリンが差し出したマドルをふんだくって店の中へずかずかと入って行った。ばたん! と手酷く扉が閉められる。リンはコンテナの空いている場所に飲み物や菓子を移すと、玄関脇にかごを置いて、一度チェカを降ろした。そしてコンテナの中身を覗き込む。
「リンさん、なにこれ。食べ物?」
「食べ物。じゃがいも、にんじん、」
「うえー、」
「肉と……玉ねぎ、りんご……あとは……こまごまと……あら、カレー粉がこんなに。ここら辺の調味料は日持ちするかな……なんだ、野菜嫌いか? でっかくなれんぞ」
「だってえ」
 チェカはぶう、と頬を膨らませた。コンテナに蓋をしたリンは、よっこいせとチェカを持ち上げて一番上にチェカを座らせた。チェカは器用に体をずらしてコンテナからキャンディを取り出すと、一つは自分の口に含み、もうひとつは包装をといて、「はい」とリンに差し出した。リンはぱくりとそれを口の中に含んだ。
「あンがと」
「んーん。リンさん、これどうすんの?」
「ひとまずオンボロ寮に置きたいな。チェカくん、お化けって見たことある?」
「ない! この学園、お化けいるの!?」
「いるよぉ」
「ほんと!?」
「ほんとぉ」
 チェカの瞳がきらきらと輝いて、耳と尻尾がぱたぱた揺れる。リンは口の中でからからと飴を転がしながら、慎重に台車を進めた。遠くから賑やかな生徒の声が響く。運動場が近いのだ。ぴこん、とチェカの耳が跳ねた。
 授業中かしら、とリンは運動場がある方に背を向けた。チェカは興味があるようで、器用に体を反転させてリンに向き直った。コンテナに座っているため、ちょうど目線が同じくらいの高さになる。
「リンさん、あっち! あっち行こ!」
「ええ、でも」
「すぐもどるから! はこぶのおてつだいするからあ!!」
「えぇ……
 リンは渋ったが、結局は台車を方向転換させた。やったあ! とチェカが諸手を上げる。
 今は冬だ。外気温が冷蔵庫並みに冷えているので、多少遅くなったところで食材は痛まないだろうと判断してのことだった。
 幾つかの坂道を上るときはチェカと一緒になって台車を押し、リン達はメインストリートを横切って、スタジアムへと続く道を進んだ。横手に広がる芝生では、多くの生徒が飛行術の授業を受けていた。
 目を輝かせるチェカを他所に、リンは遠くの時計塔を見やった。もうすぐ授業も終わろうかという時間帯だ。道理で芝生に寝っ転がっている生徒が少なくないはずである。
「リンさん、ほーきだ!! ほーき!!」
「箒だねえ」
「リンさんとべる!? ぼくとんじゃだめって言われてる!!」
「リンさんはねえ、飛べないねえ」
「そっかあ……
 チェカがしょもん、と耳と尻尾を垂れ下げる。リンはよしよしとその頭を掻き回した。
 飛べない豚はただの豚、飛べないリンはただのリンだ。パイロットを生業にしている豚の獣人が居たら是非お会いしたいわねとリンは埒外なことを考えた。きっといい男に違いない。
 バルガスが笛を鳴らし、声を張り上げている。生徒達は機敏に応えたり、のろのろと移動したり、様々だ。そのうちの何人かに見知った顔を見つけ、リンはどこか新鮮な気分になった。体操服を着て運動しているところを見る機会はリンにとっても稀だった。
「あれ!?」
 リン達に気付いた生徒が素っ頓狂な声を上げる。あれは確かサバナクローの、とリンは軽く手を挙げた。生徒はみるみるうちに目を見開き、驚愕に染まった表情のまま、どっかんと大音声を爆発させた。
 
「リンさんこども居たの!?」
 
 ───リンはがくっと肩を落とした。
 
「ウオ、リンさんこども!?」
「こども居たのリンさん!!」
「結婚してたの!?」
「マジで!!?」
「違わい!!!!」
 驚きと事実無根の虚偽があっという間に伝播する。変な噂が生まれる瞬間と、それに尾ひれはひれがついて拡散される瞬間を目の当たりにし、リンは思わず顔を手で覆った。
「えっ違うの?」
「違うって」
 でも、と生徒のひとりがぽつりと呟く。
「あれ、どうみてもライオン……だよな……
「エッ」
「まさか」
「レオナさんいつの間にパパになってたんスか!?」
「寮長こども居たの!?」
「エーーッ!!?」
 こどもォ!? と生徒達が揃って素っ頓狂な声を上げる。さしものバルガスも騒ぎに気付き、何事だと眉をひそめた。当事者であるチェカはきょとんとして小首を傾げている。
 一方、地上での騒ぎは遥か上空にまで響き渡っていた。箒に立って空を飛び、くわりと欠伸をしていたレオナは、りょうちょーっ!! と響く声に視線を地上へ巡らせた。
……アん?」
 まるでひとがゴミのようだ。もぞもぞと動き回る生徒達は何事か指示して声を上げている。それをバルガスが手を伸ばして止めようとしている。わあわあと騒がしい地上に、一体何が起きたと面倒そうに周囲を見回していたレオナは、「ゲッ」と顔を歪めた。
 見覚えのある毛玉が何故かそこにいる。何故。どうして。国に居るはずのチェカが伴もつけずに台車に乗せたコンテナの上にちょこんと座っているのだ。
 はっと息を呑んで逃げようとしても、もう遅い。敏感に視線に気付いたチェカが凄まじい瞬発力でレオナを捉えた。きゅう、と細められた瞳孔が喜色に染まる。
 
 ───やめろ。言うな。
 
「おじたん!!」
 
 願い虚しく、甲高いこどもの声がこれでもかと響き渡った。レオナは思わず顔を覆い、頭を抱えてしゃがみ込んだ。箒はびくりともしない。凄まじい安定感であった。
 おじたーん、とこどもは懸命に手を振っている。傍に居る大人はくつくつと肩を震わせている。レオナは無性に苛立って、凄まじい形相で舌を打った。
 どよどよと騒がしい生徒達を後目に、レオナは箒の高度を上げた。レオナ自身はぐらつきもしない。凄まじい安定感であった。バルガスは感心して「やればできるじゃないか!」と満足そうに腕を組んだ。
……おじたん……?」
「おじ……?」
 疑問符が大量発生している。その視線の先には、どんどん遠ざかっていくレオナが居た。リンはンン、と笑いをかみ殺すと、バルガスに声をかけた。
「いやあ、お邪魔してすみません」
「構わんさ、もう終わるところだ」
 バルガスはリンの方を顧みると、気風良く言った。そしてわざわざ傍に寄って、チェカの顔を覗き込んだ。
「坊主、遊んでいくか?」
「いいの!?」
「いいぞ、箒に乗りたいだろう」
「のりたい!!」
「落とさないでくださいよ」
「誰に言ってる」
 バルガスはばちこん! とウインクを飛ばすと、チェカを肩車して運動場へ移動した。リンは勢いよく飛ばされたハート型のウインクを容赦無く叩き落とした。幸いなことにバルガスの視界にそれは入らなかったが、何人かの生徒はしっかりと目撃した。
 授業終了の鐘が鳴る。生徒達は挨拶もそこそこに、時折こちらに視線をちらちらと寄越しながら校舎の方へ移動して行った。チェカは姿勢を正し、目をきらきらと輝かせてバルガスの述べる注意事項をしっかりと聞いている。
「何があっても箒から手を離すのはだめだ」
「はい!」
「体から余計な力は抜く。力を入れていいのは、体のど真ん中だけだ。分かったな? 絶対に俺の腕の外に出ようとしないこと」
「わかりました!!」
「よぉし、搭乗開始!!」
 言って、バルガスはチェカを箒に跨らせた。チェカはしっかりと箒を握り締めた。それに覆いかぶさるようにバルガスが箒に跨る。直後、音もなく、ふわりとその巨躯が宙に浮いた。綺麗な姿勢は安定しており、瞬きひとつでみるみるうちに高度を上げた。チェカの歓声が遠くなっていく。
……楽しそうだこと」
 リンがぽつりと零した呟きは、バルガスの笑い声とチェカの歓声に掻き消された。
 うんざりとしていたレオナが色を変えて立ち上がる。チェカを乗せたバルガスが迫って来たのだ。すぐに逃げの一手を打ったレオナを、バルガスは見事な操縦で追いかけた。
 百獣の王が追われている。笑ってそれを眺めていたリンは、ふとこちらに近付く足音を聞き拾った。
「誰かと思えば、リンさんじゃないっスか。お疲れっス」
「ラギーか。お疲れさん」
「何してんスか? リンさんが美人になってこども連れてたって、主にオレらの間で変に噂になってたっスよ」
「ああ……、美人になったのは真の姿を取り戻したからなんだけど」
「なんか封印魔法でもかけられてたんスか?」
「そうそう、強奪誘拐強制転移っていう魔法を……いやそれが解けたわけじゃないんだけど、寧ろ解けてほしいんだけど。今は、ほら、アレ」
 リンは上空を指示した。アレ? とラギーがそちらに視線を巡らせる。
「遊びに来たチェカくんのお守り」
「あぁ……
 ラギーが頬を引き攣らせる。追われているのが我らが寮長レオナ・キングスカラーだと気付いたらしい。ラギーは見なかったことにするらしく、そっと顔ごと視線を逸らし、あからさまに話題を変えた。
「それで、この大荷物はどうしたんスか?」
「これ? これはね、サムさんの誤発注の尻拭い」
「え、いくらっすか?」
 得できる話に目が無いラギーが食いつく。リンは「わはは、薄情!」と視線を台車に移した。
「えー、五千が三千……五百にしたんだっけかな」
「えーっ!! オレも行けばよかったっス……
「通りがかっただけだからなぁ」
 とほほ、と大きな耳が垂れ下がる。今回は巡り合わせが悪かったと思って諦めるんだな、とリンはラギーの肩を軽く叩いた。
「しっかし、この量はねえ……何を作ったもんか、迷っちまうわ」
「いくらでも協力するっス!!」
「調子のいいヤツめ……
 途端に元気を取り戻したラギーに、リンは半眼になって片頬を引き攣らせた。上空ではきゃあきゃあと楽しそうなこどもの笑い声が響いている。
「それにしても、いーんスか? 万が一何かあったら、首が飛ぶだけじゃ済まねえっスよ」
「そう言われてもねえ」
 リンは追いかけっこを眺めながらぽけらっとぼやいた。無責任で呑気な奴と思われたのか、ラギーが嫌そうに顔を顰める。
……そんな顔するならあんたが様子見に入りなさいな。私は飛べないただのリンだもの」
「えぇ……
 ラギーはそのまま上空へと視線を移した。ラギーに一瞥をくれていたリンも同じように空を見上げる。追いかけっこは終盤なのか、チェカとレオナは何かを言い合っている様子だった。ひょん、とチェカの尻尾が揺れる。
「あっ……!?」
「お、」
 ラギーはざっと血の気が引く音を聞いた。チェカが箒の上に立ったのだ。箒を操るバルガスは流石とも言うべきか抜群の安定感で一切バランスを崩さなかったが、チェカの両手は空を切っている。
 
 ───落ちたら、やべえ。
 
 ラギーはほとんど無意識にマジカルペンを構えていた。どうしよう、と思考が完結する前に、小さな影がひらりと宙を舞う。
 
 チェカが箒を蹴って跳躍したのだ。
 
「───っ!!」
 
 その場の空気が張り詰めた。ラギーは駆け出そうとして、しかしその足は地面に縫い留められたように動かなかった。咄嗟のことに、体が言う事を聞かなかった。こんなことは初めてだ。
「馬鹿が!!」
 怒声が轟く。弾かれた様に、体に自由が戻ってくる。ラギーが駆け出そうとした瞬間、長い腕がこどもを掻っ攫い、しっかりとその小さな影を抱き留めた。
「あら、」
 上空で、レオナが深々と息を吐き出した。ラギーもどっと疲れたような気がして、力の抜けそうな手足を叱咤して引き締めた。リンさんがちゃんと見てないからですよ、という軽口を叩こうとして、しかし、ラギーはひゅっと息を呑んだ。
「、」
 まったくもって動じていないリンがそこにいた。その双眸には、安堵も、焦燥も、恐怖も無かった。ただ静かに凪いでいて、だからこそ不気味だった。
 薄く色づいた唇が割れる様が、殊更ゆっくり動いているように見えて、ラギーは思わず息を止めていた。
 
「───なんだ、助けるのね」
 
「───」
 
 ラギーは唖然としてリンを見やった。
 リンがチェカの身分や立場を分かっていないはずがない。万一のことがあれば責任を追及されることだって想像できているはずだ。いくらバルガスやラギーが居たからとは言え、いや、だからこそ、リンの独り言ちた言葉はラギーにこの上ない衝撃を与えた。
 チェカはきゃらきゃら笑いながらレオナにじゃれている。リンはラギーを越えて、地上に降りようとしている二人を見ていた。
「チェカくん、」
 間延びする声は、気味が悪いほどに穏やかだった。
「そんなだから乗っちゃダメって言われるんだよ」
「だっておじたんがにげるんだもん!!」
 チェカはまるで猫の子のように首根っこを掴まれて運ばれてきた。ぷらぷらと四肢が揺れるが、慣れているのだろう、チェカはまったく気にしない様子で可愛らしく頬を膨らませて見せた。
「怪我は無いな?」
「無い」
 声を張り上げたバルガスにレオナは吼えて箒を投げ飛ばした。難なく受け止めたバルガスは苦々しく顔を歪めたが、「まったく肝が冷える」とぶつくさぼやきながら踵を返して校舎の方へと移動して行った。
 レオナはずかずかとリンの方へ距離を詰め、ずい、とチェカを突きだした。
「───目を、離すな」
「お、おう。すまんな」
 リンはレオナの鋭く力強い眼光と地を這うような唸り声にどこかたじろぎながら、チェカを受け取って抱き上げた。
「じゃ、これを置きに行くか! オンボロ寮に行こうぜ、チェカくん」
「リンさん、これでなにつくるの?」
 コンテナの上に座らされたチェカが可愛らしく小首を傾げる。リンはむつかしい顔をして、思案する素振りを見せた。
「うーん、今日は取り敢えずカレーかなぁ」
「大盛り二皿」
「ぼくもつくるー!!」
「ええ……?」
 不遜に言い放ったレオナに、リンは「まあいいけど、」とぼそぼそ言ってラギーにも声をかけた。チェカの元気な挙手は黙殺された。
「あんたも来る?」
「え、」
「カレー。嫌い?」
「え? いや、好きっスよ、オレなんでも食べるんで、」
 へらりと笑った頬が痛い。レオナが訝し気にこちらを見ている。リンも小首を傾げていた。ラギーは「そうだ、どうせなら、」となんとか言葉を続けた。
「食堂で作ってくださいよ。オレ達の寮だと取り分が減るんで!」
「ええ? でもそれだと余計に……
「レオナさんの居るところに乗りこんでくる馬鹿はいねーっしょ!」
 シシシ、といつものように笑って見せる。
「まさか、オンボロ寮に一国の王子様を連れて行く気ですか? 正気を疑うっスねえ」
「ううん……、」
 リンはどうせなら先に買った材料を消費しようと思ったのだ。しかしこのまま寮に戻るのも面倒に思えてきた。
 それに、上手くいけばユウ達と合流できるかもしれない。そうしたらこれぐらいの量、一気に使い切れてしまうだろう。
「ま、その方が捌けるか。いいよ、じゃあ食堂に行こう」
「でっぱーつ!!」
「はいはい、でっぱつでっぱつ」
 がらごろと台車が音を立てる。チェカは楽しそうに尻尾をゆらゆらと揺らした。確認するまでもなくご機嫌だ。
「何かあったか?」
「、え?」
 静かに降ってきた声に、ラギーは思わず瞬いてレオナを見上げた。レオナはじっとこちらを見降ろしていたが、ラギーが何度か目を瞬かせると、ふん、と鼻を鳴らして「紛らわしい」と吐き捨てた。
「なんスか、もう……
 いつもの癖で、自然、目元に険が宿る。ラギーは内心、ほっと体の力を抜いた。
 
 ───助けるのね。
 
 ほとんど響かない声だった。きっと風向きによればラギーにすら届かなかった声だ。けれどもラギーの耳はその言葉を拾ってしまった。
 レオナがこどもを見殺しにするかもと、そう思っていたのだろうか。王位のために、純真に己を慕うこどもを。
 分からない。ラギーには分からない。だってラギーの知っているリンはあんな冷徹な眼差しをするひとではなかったから。
 抜け目のない、しっかりとした、学生気分がまだ残っている親しみやすい大人の女性。情に篤く、筋目を通す、強かな人間。それがラギーの抱くリンへの印象だった。
 それが、あんな。レオナやチェカのすべてを黙殺し、立場だけを鑑みた発言が飛び出てくるなんて。
 そこでラギーは、はたと気が付いた。
 
 ───……もしかして。
 
 リンがどういうつもりで、どういう思考の元でああ言ったのかは、ラギーには分からない。ただ単純な興味かもしれない。まったくの他人事で、気まぐれにぽとりと零れただけなのかもしれない。敵対が予想される関係なのに、その実そうでもないのかと安堵したのかもしれない。でも。
 
 ───もし、レオナさんが聞いていたら。……過去に、同じようなことを、……今でも、国で言われていたら?
 
 第二王子、恐ろしい力を持つ厄介者と、本当の自分を見てもらえるわけでもないのに。尚且つ、チェカの命を狙うというような、変な先入観や偏見を持たれているのだとしたら。
 
 ───……レオナさんが気が付かないはずがない。
 
 帰りたくない、とレオナが言うのも頷ける。けれどもこどもは何も知らぬが故に、無邪気に帰って来てと強請るのだ。
 酷なことだ、とラギーは奥歯を噛み締めた。ラギーはちょびっとだけレオナに同情した。これでレオナが優しければホリデー中はウチに来ますかとでも言うのだが、レオナは横柄で別に優しいわけでもなく、チェカを利用してのし上がってやろうぐらい考えているだろう為人なので、ラギーはこれ以上、レオナの抱えるものについて考えるのはやめにした。びた一文にもならないだろうからである。
 ラギーにできるのは、自分の将来のために、レオナの普段の生活の世話を焼くぐらいが関の山だ。
 
 ───でも、リンさんがどう思ってんのかは気になるな。
 
 それは後で聞くことにして、ラギーはコンテナの上に座っているチェカを降ろした。坂道に差し掛かったからだ。
「代わりますよ」
「あら、ありがと」
 魔法で浮かせた方が早いが、今日一日の授業でそれなりに魔力を消費している。チェカがリンの手を引くのを横目で見ながら、ラギーはよっこいしょと細腕に見合わぬ膂力で台車を押した。