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桜霞
2022-06-13 13:35:03
24456文字
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【twst夢】フライパンは無敵
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【フライパンは無敵】①監督生はおれが守らねば……!!(使命感)
#twst #twst夢 #not監督生 #女監督生 #オリ女主
2020/04/18にpixivに投稿したものの再掲です。
1
2
3
一針ひとはり、丁寧に生地を縫い合わせていたリンは、ふと息をついて顔を上げ、ぐるりと肩を回した。気を抜けば姿勢が丸くなり、頭が垂れ、体に負担がかかる。
息が詰まれば血の巡りが悪くなり、頭に酸素が回らなくなる。作業効率は落ちる一方だ。
何か飲もうかとマグカップを置いてあったサイドチェストに手を伸ばし、マグカップを覗き込んだリンは、長く息を吐いた。マグカップの中には一度色を出したティーパックがあるだけだ。
お湯を温め直さなければ。リンは立ち上がり、マグカップの傍に置いてあったランプを手に取った。
まさかこんなものを現役で使わなければならない状況に遭遇するとは、人生、何があるか分からない。
少し前まで軋むばかりだった戸を静かに開け、床板を踏みしめ、階段を上がる。
古い洋風の館は広く、部屋数も多くあった。大勢が一度に生活できるような工夫が随所に施されているその館は、かつてたくさんの若者が利用した寮であった。正式名称は定かではないが、今は通称、オンボロ寮と呼ばれている。
廃墟と化していたオンボロ寮が、ある程度清潔さを取り戻したのには訳がある。この寮を使わなければならないような事態が発生したからだが、それにはリンもある程度関わっていた。
寮の二階にある共有スペースには広いキッチンがあり、食事ができるよう、テーブルと椅子の用意も整っていた。リンは少し指先を彷徨わせてやかんの中の水を確認すると、一度中身を新しいものに入れ替えて火にかけた。
───生活インフラがほとんど似通っていて助かった。
リンは嘆息した。
目が覚めたら棺の中で、見たことも無い世界が広がっている、というどこぞの少年漫画のようなタイムトラベルもびっくりのファンタジーな展開を現実としてなんとか受け止めてから早数日が過ぎた。
魔法が飛び交い、ゴーストが行き来し、耳の中で炎を焚いている狸のような獣が動いて喋る。脳内の思考回路は理解することを早々に諦め、ただそういうものなのだと必死に飲み下し、受け入れるフェーズに移行した。
どういうわけか、リンは異世界に辿り着いてしまったらしかった。異世界転生、トリップ、勇者、世界を救う、魔物、ファンタジー、俺TUEEEEE、なろう系、悪役令嬢という言葉が頭の中で次々と現れては消えてゆく。
とは言え、原因の目星はついている。この場所───ナイトレイブンカレッジという名の魔法士養成学校───を黒き馬車の運ぶ棺に運ばれて訪れるのは、闇の鏡が選定した魔法士の素質がある者と定められている、らしい。だがリンのような手違いが起こった。
百年間もの間、あるいはそれ以上の長い期間手入れされていなかった時空転送魔法システムにとうとうバグが発生したのだろうとリンは見ていた。何につけても時が経てば綻びが現れるものだ。
しゅんしゅんとやかんが音を立てる。この程度で構わぬだろうと、リンは火を止めて、やかんのお湯をマグカップに注いだ。ティーパックからふわりと色が出て、ゆっくりと水を染めていく。リンはマグカップとランプを手に持つと、再び階下へと移動した。
───まだ日付は変わっていないかしらね。
リンが繕い物をしていた談話室の暖炉には、青い炎が焚かれていた。ぬるい紅茶で喉を潤し、リンはさて続きはどこからだったかなと糸を辿った。改めてみれば、随分とまあ縫い進んだものである。
よっこらせとしなびたソファに腰かける。住む場所はある程度綺麗になっても、素人では手入れのしにくい細やかな場所はまだ修繕が行き届いていない。
気を取り直して何針か縫い進んだリンは、ふと何かの音を聞き留めて顔を上げた。ごんごんごん、と玄関のドアが容赦無くノックされている。
リンは壁にかけてある時計を見上げた。時刻は日付が変わってから少しが経っていた。
「こんな真夜中に
……
」
リンはランプを片手に、素早く談話室を後にした。上階で、ぱたぱたと足音がする。この世界で唯一のリンの同郷で、この館の同居人も起きて来たのだろう。
「はい、今、開けますよ」
足音は階段の辺りで止まった。リンはそっと扉を開けた。月明りが静かに差し込んで、玄関前に居た学生を照らす。
「えっ、」
「あら、こんばんは」
学生は驚いたのか瞠目して肩を跳ねさせた。だが、「こんばんは
……
、」とどこか戸惑ったように答える辺り、礼節は弁えているらしかった。
「その声
……
、エース?」
「!」
ぱたぱたと足音が近付いてくる。
「ユウ、知り合い?」
「はい、まぁ
……
」
リンは半身だけ退いて、背後から姿を見せたこの世界で唯一の同郷───リンと同じようにこの世界へ呼び寄せられた若者───ユウに場所を譲った。何かあればすぐに前に出られるように、ランプは扉のフックに引っかけた。
近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇となるこの人生において、「後輩を守り、若い芽を摘ませない」ということはとりわけ重要だった───特にリンにとっては。
「どうしたの、こんな真夜中に」
ユウにつられてふよふよと現れたのは、耳に青い炎を飼っている狸のようなモンスター、グリムだ。ふわあと欠伸をしたグリムはひどく眠そうで、リンはグリムをそっと抱えてやった。
「ユウ
……
、」
エースと呼ばれた青年は、憮然と顔をしかめて見せた。見事な膨れっ面だ。
「
……
もう、絶対ハーツラビュルには戻んねえ
……
、今日からオレ、ここの寮生になる!!」
「にゃにい!?」
大上段に宣言した青年に、衝撃で目が覚めたらしいグリムが飛び跳ねる。ユウとリンは、思わず顔を見合わせた。
憮然とした表情のエースは、そこから一歩たりとも動こうとしない。ユウは顔を顰めていたが、リンが肩を竦めて見せると、「仕方が無いな」と呟いた。
「とりあえず、中にどうぞ。グリム、電気点けて」
「分かったゾ」
ユウの指示に、グリムが身軽にリンの腕から飛び降りる。リンはランプを手に取って、エースに向き直った。
「談話室、片付けるついでに案内してあげる。ユウ、お茶入れてあげて」
「あっ、お構いなく」
エースは人受けの良さそうな顔で笑った。
ユウが素早く階段を上がって行く。グリムが慣れた動作でぱちぱちと照明のスイッチを入れた。
「この照明
……
魔法石
……
?」
「らしいわね」
この世界の生活インフラは、電機などではなく、恒久的にエネルギーを保持している魔法石と呼ばれる鉱石で成り立っていた。電気も、ガスも、この魔石で整えられているらしい。唯一水道は配管工が整備されているらしいが、リンの世界と同様のシステムでも、基盤は全く違っていた。
「どうぞ」
「どうも~」
人好きのする笑みで、エースが談話室に入って行く。リンは乱雑に広げていた繕い物をてきとうに掻っ攫うと、「好きに座って」と言い残し、階段を上がった。入れ替わるようにして、ユウが談話室へ降りて行く。
リンの姿が見えなくなって、エースはユウを近くに引き寄せた。
「おい、今のひとってもしかして、入学式でお前と一緒に居たひと!?」
「リンさん? そうだけど」
「マジかよこんなところに居たのか
……
!」
興奮気味に言うエースにマグカップを押し付けて、ユウは何度か目を瞬かせた。
確かに、この学園の入学式に不可抗力とは言え闖入することとなってしまったユウとリンはかなり浮いて、目立っていただろう。ユウはその後、数日と経たずに生徒としてグリムと共に認められたので、皆の知るところだったが、リンはそうではない。
もしかしなくとも、リンのその後の経緯がどうなったか、噂好きの生徒たちの間でひそかに疑問視されていたらしかった。
聞かれるより先に答えてしまおう、とユウは少しだけリンのことを喋ることにした。
「リンさんは魔法が使えないんだけど、もう学生を卒業して、社会人として働いてるんだって。だから生徒としてじゃなくて、事務局の雑用係とか
……
そういうので学園に通ってる」
「へえ~
……
なんでまた『闇の鏡』はそんなひとを生徒として選んじまったんだろうな」
「リンさんは『バグじゃね?』って言ってた」
「バグって
……
機械じゃあるまいし」
エースが苦笑する。直後、扉を数度ノックして、リンがそっと顔を出した。
「お邪魔してもいい? 気になっちゃって」
「大丈夫ですよ、どうぞ」
「ありがとう。どうも、改めまして、リンです」
「エース・トラッポラです」
「君がエースくんね。
……
この間は、随分とまあ、ユウとグリムがお世話になったみたいで」
「アッハイ」
すう、とリンの双眸から優しい光が消える。暖炉の炎の加減だとエースは信じたかったが、リンの放つ雰囲気がそうとは許さなかった。
この学園に流れ着いた直後、リンは学園長であるディア・クロウリーと交渉し、最低限の生活保障を獲得した代わりに低賃金労働を承諾したのだ。ユウは進んで手伝いを申し出て、学園で魔法士を目指したいグリムも上手く巻き込んだ。
ただ、新生活を始めるにあたってはやらなくてはならないことがごまんとある。特に住環境が本当にひどいものだったので、ユウたちは別行動を強いられることが多かった。リンが買い物や借り受ける物の受け取りに出かけ、ユウがどうにかグリムの手綱を取って掃除などの雑務をこなしているときに、人の良い笑顔を張り付けて絡んできたのがこのエースだ。
それからは主にエースとグリムの売り言葉に買い言葉。ユウはなんとか止めようとしたが、二人が言う事を聞くわけはなく、デュースという別の生徒も巻き込んで、四人は歴史ある遺産でもあった食堂の照明を大破させてしまうという騒動を巻き起こしてしまったのだ。
リンは優しかった。事の経緯を話した時には大笑いし、ユウが壊れてしまった照明の魔法石を採りに行かなくてもいいよう、クロウリーと交渉しようかとも申し出てくれた。だが、グリムを止められなかったのはユウの責任でもある。完全に巻き込んでしまったデュースにもなんだか申し訳ない。何もしなければ退学処分が下されるのだ。ちなみに、ユウとグリムには無償労働が増やされることになった。
だから行くと言ったユウに、リンは優しく「それなら行ってらっしゃい。頑張れば無償労働が減るかもだ」と新しい目標を設定してくれた。リンはこの騒動に関係ないので寮にいてくださいと頭を下げたユウに、それじゃあ夜食を作って待ってるねと言い、道中の無事を祈ってくれた。
だからユウは頑張れた。その後晴れて───丸め込まれた気がしないでもないが───オンボロ寮の監督生として認められたことにも、リンはおめでとうと言ってくれた。
しかし、終始和やかにユウたちの冒険を受け止めてくれていたとはいえ、今のこの、エースに対する無言の圧を鑑みるに、思うところはあるようだった。正しく事の発端であるエースは、どこかぎこちなく全身を強張らせている。
「それで、今日は急にどうしたの? こんな真夜中に出歩いて、罰則とか無いの?」
「え、いや、どうでしょう、はは
……
」
「というかお前、その首輪
……
オレ様が入学式のときに、赤毛の上級生にされたやつじゃねえか」
グリムがまじまじと見やった先には、エースの首元に嵌められた赤と黒のハートの首輪があった。
「ああ、そう言えば確かに。そういう趣味というかファッションがこの世界にはあるのかなと思ってたんだけど」
「違うっスよ!? 少なくともオレにはそんな趣味ねえっス!!」
「それは、失礼しました」
慇懃に頭を下げるリンに、エースはなんだか調子が狂うなと頭を掻いた。
「この首輪は、確か、『
首を刎ねろ
Off with your head
』っていう、ハーツラビュル寮長のリドル先輩のユニーク魔法とかなんとか
……
魔法封じって言って、この首輪をつけられている間は魔法が使えなくなっちゃうんです」
「そうなんだ」
ユウの説明に、リンは感嘆したように相槌を打った。直後、「あっそれじゃあ」と明るく声を上げる。
「その魔法封じのキャパを越えるぐらい魔力なりなんなり注ぎ込めば壊れるんじゃない?」
「えっ!?」
「あっ確かに。こういうのを壊す方法は大体キャパ越えを狙うのが定石ですよね。というわけで頑張れエース、君ならできる」
「いやいやいやいや無理無理無理!! キャパ越える前に俺が死ぬって!!」
「えぇ
……
」
「うーん、そっかぁ
……
」
残念そうに眉を下げたリンが、「それなら後は、錆びたでかいニッパしかないなあ」とぼやく。すかさずユウが「あれは使えないと思いますよ」と口を挟んだ。
というか、一気にこの首輪をどう壊すかに話がぶっ飛んだことにエースは戸惑いを隠せなかった。ニッパってなんだ。一体どういうことだってばよ。笑顔でキャパ越えを狙えとか言うんじゃない。これだから魔法の使えない人間は。
嘆息したエースに、グリムが声をかけた。
「それにしても、なんでまたお前はそんな首輪をつけられてるんだゾ?」
途端に、エースは目を据わらせて口を尖らせた。
「
……
タルト食った」
「えっ?」
「ん?」
余りにも短く返されたそれに、ユウたちは揃って瞠目した。
「
……
タルトを、食べた?
……
それだけ?」
「そーだよそれだけだよ!!」
自棄になったエースが声を張り上げる。
「小腹が空いたから寮のキッチンに行ったら、冷蔵庫にタルトが冷やしてあったんだよ。しかもホール三つ分も。だから
……
、まぁいいかなって。食べた」
そして間の悪い事に寮長に見つかってしまい、ハートの女王が定めた法律、第八十九条、『女王の許しなくタルトを先に食べてはならない』という条文に則って、刑は執行されたのだという。タルトの窃盗はハーツラビュル寮において、許し難い重罪となるらしい。
「
……
」
「
……
」
話を聞いたグリムとユウは目を半眼にさせて黙りこくってしまった。リンもとうとう曖昧に苦笑するしかない。
「
……
どっちもどっちなんだゾ」
「たかがタルトを一切れだぞ!! 盗み食いとは言え!! 魔法封じはおかしくね!? 魔法士にとっては手枷足枷だぞ!!」
三ホールもあったのに!! とエースは尚も言い募るのを止めない。果てには心が狭いにもほどがあると言い出した。そうだろう、と言わんばかりの態度に、ユウは面倒くさそうな顔を隠しきれずに唸った。
「うーん、まぁ
……
」
「なんだよその煮え切らない反応は
……
リンさんから見ても横暴ですよね!?」
「えっ私? ごめん、どこにでも訳分らんルールはあるんだなあって昔を懐かしんでたわ」
「ええ
……
」
エースが期待外れだと言わんばかりに肩を落とす。その様子に、リンは少しだけ思案する素振りを見せ、言葉を選んだ。
「まぁ
……
価値観の相違を擦り合わせるのは、どこでだって難しいよね」
リンの言葉に、うんうんとユウは頷いた。今回の事件は、ハーツラビュルの価値観などにエースが染まり切っていなかったことが原因と言ってもいいだろう。
「あっ、ホール三つ分もタルトがあったなら、パーティ用だったんじゃないか? 誰かの誕生日とか。オレ様名推理すぎるんだゾ!」
グリムの言葉に、エースが「誕生日ィ?」と胡乱気に返す。ユウはふむ、と頷いた。
「可能性としては、無くは無いかも。
……
というかそもそも、エース」
「なに」
「まず、謝ったの?」
「う、
……
」
痛いところを突かれたらしいエースが、ぎくりと体を強張らせる。エースは口を尖らせて、ぶつぶつと拗ねた子供のように言った。
「オレ、ユウなら絶対、寮長が横暴だって言ってくれると思ってたんだけどぉ?」
「盗み食いは良くないよ」
甘えるようなそれを、ユウはすっぱりと切り捨てた。ええ、マジでえと大仰に嘆くエースの視線がリンに移る。
「謝罪をした上で情状酌量が無いのはまあ確かに横暴かもしれんけど、罪を償う前に許されようとしちゃいけないよ」
「うぐ、」
「食べ物の恨みは恐ろしいんだゾ」
「うぐぅ
……
」
エースはがっくりと項垂れた。仕方ないなあといった風情で、ユウが「明日、謝りに行こう」と肩を叩いている。
「はぁ
……
分かったよ、謝ればいいんでしょ!
……
お前が提案したんだから、一緒に来いよな」
「任せなさい」
口を尖らせたエースに、ユウが鷹揚に頷く。話は一段落したか、とリンも息を吐いた。
「
……
じゃ、今日はどこで寝ればいい?」
直後、エースの放った一言に、ユウとグリムはがたっと肩を落とした。
「お前、ほんとに泊まる気か。
……
オレ様たちの部屋以外、まともなベッドは無いんだゾ。リンが全部処分しちまったからな」
どうせこれからも使う予定が無いのならあるだけ無駄だと学園長に訴え、損傷の激しかったマットレスはほぼすべてリサイクル業者に引き取ってもらったのだ。台座はまだ無事であったので、出来る限り手入れをして、学園から無償貸与してもらった古いマットレスを乗せている。
リンはさらに毛布を数枚、学園からせしめて見せたので、ユウ達はそれをベッドカバーにしたり、掛け布団代わりにして使っていた。掛け布団はただいま修繕中だ。
「でも、今日のエースはお客さんでしょ? それなら、私の部屋を使っていいよ」
「ダメです」
「えぇ、判断が早い」
「監督生権限で許可しません」
「あらぁ
……
」
ユウはリンの案を即却下した。もし許可すれば、リンがソファで眠ることになる。これにはグリムも腕を組んで頷いた。
「事前連絡なしで勝手に押しかけてきたエースに気遣ってやる必要はねえんだゾ。横になって寝たいなら自分で他の空き部屋を掃除しろ」
「掃除用具はそこの階段下の物置にあるから」
「げぇ、掃除とか絶対やだ。ユウ~、オレ、スマートだしさぁ、幅取らないから部屋に泊めてよ! ねっ!」
「談話室のソファへどうぞ」
「チェッ、ケチ」
すげなく断ったユウに、エースは拗ねたように口を尖らせた。
「いいですよーだ。一人寂しく談話室のソファで寝ますよーだ。おやすみ!!」
ん!! と空になったマグカップが差し出される。ユウがそれを受け取った。
この寮の管理を任されているのは、監督生であるユウだ。リンはそこに間借りさせてもらって居候していることになるので、こういうときは立場が上であるユウに従わなければならない。
ただまあ、これくらいはいいだろう、とリンは一時的に物置にしている小部屋から予備の毛布を一枚取り出した。
「はい、これ。冷えるから使って」
「あ! ありがとうございます」
「灯り、消すね。暖炉は放っておいていいからね。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
ふつりと静かに照明が消える。さっさと談話室を後にしたユウに倣って、リンも自室へと引き上げた。
◆
翌朝、ユウとグリムは再び玄関のドアをノックされる音で目が覚めた。
「今度はなんだあ
……
?」
ふにゃあ、と欠伸をするグリムに、この時ばかりはユウも同意だった。部屋の外に耳をそばだてると、階下でばたばたとリンのものではない足音がする。きっとエースが出てくれるのだろう。
それならいっかあ、とユウはいつも通りグリムを叩き出して制服に着替え、その日の荷物を持つと、キッチンエリアに移動した。トーストを焼く香ばしい匂いが漂っている。
「リンさん、おはようございます」
「あい、おはよう。誰か来たか、見てくるよ」
外着に着替えたリンは、ユウに顔を洗うよう言うと、のんびりと階下へ降りて行った。エースが動いていることに気付いているのだろう。
「全然そうでもなくねえじゃん!! めっちゃ怒ってるジャンッ!!」
エースの悲鳴が上階にまで響き渡る。何事だとユウは思ったが、どうせ後で分かることだなとユウは顔を洗う作業に戻った。
エースを訪ねて朝からやってきたのはデュースだった。デュースも誘って、リンが作り、ユウも手伝った朝食を皆でぺろりと平らげた後、一同は揃ってメインストリートを歩いて登校することになった。
「リンさんは今日は事務からですか?」
「うん、授業準備のお手伝いから」
当初ユウ達に任されることになっていた学内の清掃作業は、ユウとグリムが生徒として認められたことで立ち消えとなっていた。彼女ひとりで学園の清掃をするのはいくらなんでも無理があるからだ。そのため、彼女は事務局の雑務や教職員のサポート役として立ち回っていた。
不規則故に、こうしてリンと共に登校できる日は少ない。ユウはちょっとだけ嬉しかった。その手には、リンのお手製ランチボックスが持たされている。
ちょっと余裕ができてきたから、とリンは簡単な日本食を作って持たせてくれることがあった。大抵夕飯を作りすぎてしまったときだ。グリムは「味が薄い」と言って、リンの和食を好んで食べようとしなかった。食いでが無いのだと言う。
「しっかし、そうだ。エースは今、魔法が使えないんだろう? そんなんで授業は大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないでしょうね」
デュースがどこか呆れた風情で言った。リンが分かりやすく年上の風体をしているからか、デュースはリンに対しては礼儀正しく接しようとしているようだった。
「授業が始まるまで、まだ時間がある。ローズハート寮長に頼んで、外してもらったらどうだ」
「オレ様、他の寮にも興味あるんだゾ! エースが謝りに行くついでに見学してやろう!」
意気揚々とグリムが言った。ユウはついて行くと昨日エースと約束した手前、特に反対はしなかった。
「見世物じゃねーぞ!! ちくしょー!!」
エースの怒号がストリートに響き渡る。リンは笑って、「頑張れ青年!」と手を振り、ユウ達と別れ、この世界での職場に移動した。
元の世界では大学生の課程を終えて、社会人として二年目を迎えようとしていたリンは、魔法が使えないながらに機転が良く利くとして好意的に受け入れられていた。
魔法史の授業に使う資料整理や、薬学で使う薬品のラベル作り、備品の数のチェックなど、細々とした作業を率先して行い、さっさと終わらせてしまう。もし魔法が使えれば、もし教育内容にもう少しだけ造詣が深ければ、専属の助手として使いたいと考える教師は少なからず存在した。
リンが仕事をするのは遅くとも夕方までだ。退勤時間は日によって違うが、魔法を使えないリンが出来ることは限られているので、三時くらいには自由時間となる。
先日食材を安く買うためにまとめて仕入れたため、購買部に寄らなくてはならない用事は無い。図書館に寄ってもいいが、まだ寮の掃除が残っている。
どうせ仮住まいだと、普段自分達が使うところ以外はおざなりにしていたが、ユウやグリムの交友関係が広がれば、昨晩のエースのような事例が出てくるかも知れない。一室くらい掃除をしておこうとリンはぐるりと肩を回した。掃除は肉体労働なのだ。
その日の夜、ユウとグリムはエースとデュースを引き連れて帰ってきた。
「リンさん、ただいまです!」
ユウが飛び込んでくるのを真正面から受け止めて、リンはユウの背後に視線を移した。
「おかえり。エースとデュースは今朝ぶりね、こんばんは。ご飯食べに来たの?」
「今日も泊まりに来ました!」
「お目付け役です」
首輪が取れていないエースがにっぱー! と人好きのする笑みを張り付ける。デュースは折り目正しく「御世話になります」と頭を下げた。
「ちょうど一部屋掃除したとこだよ。それと夕方に予備のマットレスと毛布が追加で届いたから出してあげる」
「やりぃ!! さっすがリンさん!!」
「ありがとうございます」
エースとデュースが手放しで喜ぶ。そうだ、とユウがごそごそと何かを取り出した。
「リンさん、これ、お土産です」
「あら、なあに、これ」
「今日、オレ達でマロンタルト作ったんすよ!!」
マロンタルト、と口の中で繰り返したリンに、ユウが説明を加えた。
「ハーツラビュルの副寮長で、トレイ・クローバー先輩っていう方がいるんですけど、そのひとが『ウチのがお世話になります』って持たせてくれました」
「あらあらまあまあ、お気遣い頂きまして。皆で食べよっか」
「いや、オレ達もう食べたんで」
「これはリンさんの分なので」
わざとらしく遠慮するエースを遮って、ずずい、とユウがケーキの箱を差し出してくる。リンは微笑んで「ありがとう」とタルトを受け取った。
「それじゃあご飯にしよう。手、洗っておいで」
「わーい!! リンさんちの今日のご飯!!」
真っ先に駆け出したのはユウだった。珍しいものを見た、といった顔でエースとデュースが後に続く。
「リンさんが毎日飯作ってんすか?」
「まぁね、ここに来る前は一人暮らししてたし、作りすぎてもグリムが全部食べてくれるから私も気が楽で
……
ユウも積極的に手伝ってくれるし」
「朝食、美味しかったです。夕飯までご馳走になれるなんて、ラッキーだな」
「おう、この機会を作ったオレに感謝しろよ」
偉そうに言ったエースを、顔を顰めたデュースが小突く。連れだってキッチンエリアに移動すると、ユウがもう最後の一仕事である盛り付けやテーブルセットに着手していた。
「流石ユウさん、お仕事が早い」
「おめー、グリムのこと言えねえじゃん」
「リンさんの夕飯は別なの!!」
「今日はポトフだよ~」
わあいとユウが分かりやすく喜んだ。先日、大食堂の厨房の手伝いに入った際、余った食材をたくさん頂いたのだ。
リンの手料理はエースとデュースにも好評だった。グリムも、「たまには美味いじゃねえか」などと偉そうなことを宣って、ユウにじろりと睨めつけられていた。
食後の皿洗いはユウとデュースで行い、グリムとエースはさっさとシャワーを浴びに向かった。
「んん~! このマロンタルトすごく美味しい! お店の味がする! ほんとに手作り!? すごく美味しい!!」
ユウとデュースが食後の後片付けをしてくれている間、リンはマロンタルトを堪能した。リンの歓声を聞いたユウが、ほっとしたのか肩の力を抜く。
「良かった~!! 栗の裏ごしを頑張った甲斐がありました!!」
「いっぱい拾ったしな」
「そこからやったのか! 大変だったでしょ~、あれ、レンジでチンしてからやるとめちゃくちゃ簡単にできるよ」
「そうなんですか!?」
洗い物をしていた二人が揃ってばっと音を立て、リンの方を顧みる。リンは「婆ちゃんの知恵袋だよ」と頬をリスのように膨らませながら言った。
「婆ちゃんの
……
」
「栗きんとん作るときに、さつまいもを裏ごしするんですけどね、その時に教えてもらいました」
「くりきんとん
……
さつまいも?」
デュースが首を傾げる。ユウは苦笑した。
「この世界には無いかぁ
……
故郷の伝統的な
……
料理
……
デザート? でいいんですかね?」
「いいと思うよ」
美味しかった! とリンは最後の一口をぺろりと平らげた。
「これも追加でお願いしまーす」
「はい!」
はきはきと返事をしたデュースがリンからケーキ用の皿とフォークを受け取る。水切りに置かれたものから拭いて食器棚に戻すのはユウの役目だ。
「そうだ、リンさん、今日この後、皆でトランプするんです。リンさんも一緒にどうですか?」
「お? いいの?」
「勿論!」
「良かったら、是非」
「それじゃあお言葉に甘えてお邪魔します!」
たはー! 若人に混じるのは気が引けるなー! と言いつつ、リンは嬉しそうな素振りを隠さなかった。
その後のトランプ大会はグリムが理解できる範疇に収まるものしかできなかったので、白熱したババ抜きゲームが遅くまで繰り広げられることとなった。最中、リンは「大人げねえ!!」とエースに罵られるほど勝ちを重ねたが、「勝負事に手を抜いて臨めるほど、私も成熟していないのでね
……
」とそれらしい言葉を芝居がかった口調で嘯いて受け流した。
◆
翌朝、『なんでもない日』のパーティ当日。
予定の時間より少し早めに、ユウ達は寮を後にした。ハーツラビュル寮から、わざわざ迎えが訪れたのだ。
「どーも、ケイト・ダイヤモンドでーす!! あっ、ねえねえもしかしてあなたがユウちゃんの言ってたリンちゃんさん!?」
「リンちゃんさん」
「リンちゃんさんって言ったぞダイヤモンド先輩」
ケイトは開口一番、目を丸くしてリンに飛び付いた。情報に敏感なケイトとて、入学式以降行方の知れない謎の人物については気になっていたのだ。
ユウ達が初見でドン引いたケイトの軽いノリを、リンは瞬きしてにっこりと笑い、受け止めた。
「はあいリンちゃんさんです~!!」
「リンさんノれるひとだったんですか!?」
衝撃を受けたユウは、思わず声を張り上げた。
「ユウちゃんがマロンタルト持って帰るって言いだした時にリンちゃんさんの話聞いてて~、オレすっげえ会いたかったんだよね~!! 写メ撮ろ、マジカメに上げていい?」
「え、今日マジで顔がやばやばのやばだからー、顔はスタンプで隠してくれたらチョー嬉ぴよ」
「えー!! そんなこと全然ないよー!! でもオッケー!! 超かわいいやつで隠しとく~!! ネットリテラシーめちゃしっかりしててえら~!!」
パシャ、と眩いフラッシュが焚かれる。リンはケイトに合わせて表情を作り、軽くピースをして写真に収まった。
「先輩のノリについていってる
……
!」
「リンさんついていけるひとだったんですか!?」
「引き出しはたくさんあるよ!!」
「なんの引き出し!?」
「おっとと、そう言えば時間が無いんだった」
スマホで時間を確認したケイトは、ほらほら早く、と後輩達を急き立てた。急かされるまま、ユウ達は慌ただしく寮から飛び出した。
「お詫びのマロンタルトは持った? 遅刻は激ヤバだし、早く行こ行こ!! リンちゃんさん、まったね〜!! 今度はちゃんと招待するから!!」
「わーい、楽しみにしてる〜!! 行ってらっしゃ〜い!!」
手を振るリンに、行ってきまぁすとユウも答える。それを最後に、一同は急いでパーティ会場へと向かった。
きっとパーティが終わったら、どこか解放感をにじませて、「ようやく一段落つきました」とユウが教えてくれるんだろうなと思っていたリンは、エースとデュースが首輪を嵌められた状態で寮に戻ってきたのを見て目を疑った。
「おか
……
え
……
、
……
あら
……
?」
「
……
だめでしたぁ
……
」
「あらぁ
……
」
今朝出かけていくときは少しの緊張と、未来への希望に溢れていた顔つきをしていたのに、エースの顔は以前よりも憮然としたものになっている。
ひとまず寮に迎え入れ、リンは皆のために紅茶ではなくミルクたっぷりのコーヒーを振る舞った。紅茶を出そうとすると、皆揃って嫌そうな顔をしたからだ。きっとパーティで何かあったのだろう。
「マロンタルト、だめだったの? すごく美味しかったのに」
「
……
第五百ウン条で、なんでもない日のパーティにマロンタルトを持ち込んじゃだめだったんです」
「第五百ウン条」
「それで、完璧ななんでもない日のパーティが台無しになったって、寮長がぶち切れて
……
」
「あらぁ
……
参考までに、何条あるのそのルールは」
「八一〇条だそうです」
「もはや一国の法律規模」
そんなもの、法律顧問弁護士など、法律に関わる仕事をしていたとしても覚えきれるかどうか怪しい量だ。きっと、マロンタルトを勧めてくれたトレイ先輩も、今朝迎えに来てくれたケイト先輩も、ここまでのルールは知らなかったのだろう。
「寮長はそれ全部把握してるの?」
「みたいですね
……
」
「はー
……
すごいねえ
……
将来は法律関係の仕事かな
……
」
「ここまで情状酌量の余地が無いとなると逆に向いてない気もします」
「そうだね、裁判は許しを得るための償いを与える機会でもあるからね」
リンとユウのやり取りに、デュースとグリムが揃って首を傾げ、頭上に疑問符を浮かべた。ちょっと難しかったかな、とリンは苦笑した。
「ルールに従うべきだとは思うんですけど
……
」
「あんなのただの暴君だ!! 絶対オレは謝らねえからな!!」
エースの怒気が爆発する。
「確かに、なんであるのか分からないルールに雁字搦めになるのは嫌だよね」
「そう!! それ!! それだよ、さすがリンさん!! いくらハートの女王の厳格な精神に基づくっつったって、それはそれ、これはこれっしょ!? 当時と今とじゃ常識も何もかも違うんだから、ルールも変わってなきゃおかしいっしょ!!」
「確かに、エースの言う通りではあるな」
デュースが頷く。ユウも確かにねと嘆息した。
「ハーツラビュルでは僕がルールだ、はちょっとね
……
」
「あらあ、なんだかどっかで聞いたことのある台詞ね」
我がルールだ!! とクソデカボイスで宣い、フハハハハと哄笑していたのは確かそう、上から下まで黄金を纏った金ぴかな王様。彼の古代王とリドルとを無意識に思い浮かべていたリンは、ふと瞬いた。
「僕がルールだと言う割には、自分ルールじゃなくて、過去にハートの女王に定められたルールに従ってるのね。暴君って言うより、女王の亡霊
……
遺産の傀儡というか、奴隷みたいね、その寮長」
「、
……
確かに」
「言われてみれば
……
そうかも」
デュースとユウは目を丸くした。グリムは「そう聞くと、なんだか可哀想な奴に思えて来たな」と独り言ちた。それを聞いたエースが笑う。
「グリムに可哀想って言われるって、やべえな、寮長」
「オイ、それどういう意味なんだゾ」
「ウチで喧嘩しないで」
ユウが素早く切り込んで二人の口を閉ざす。さすが、とリンは小さく手を叩いた。ユウはンン、と小さく咳払いして、改めて場を仕切った。
「とにかく、なんでああまで暴君に
……
、奴隷
……
ううん盲目? になっちゃったのか、幼馴染らしいトレイ先輩に聞かないと」
「あら、そうなの?」
「チェーニャっていう奴が教えてくれたんです。どこの寮かは分からなかったんですけど
……
ネコのようで人間のような魔法を持ってるとかなんとか
……
」
デュースが付け足した情報に、リンは何故だかチェシャ猫を思い浮かべた。ついでに三日月のように吊り上げられた口も。
「きっとマロンタルトのレシピを返しに図書館に来るだろうから、待ち伏せしよう」
「そうだな」
ユウの提案に、デュースが頷く。エースは何も言わなかったが、沈黙は肯定と見做された。
「
……
じゃ、明日の予定の目途も立ったことだし! グリムも入れて、新しいトランプゲームでもするか!」
リンが発した明るい声に、場の空気が和らぐ。デュースとグリムは今度こそ負けないと意気込み、エースも少しだけささくれ立った心情を落ち着けたようだった。
賑やかになった空気に、ユウもほっと息を吐く。それを視界の端に入れて、リンは淡く微笑んだ。
◆
翌日、職場から寮へ戻る道すがら、リンは食堂の厨房に寄った。リンでも出来る手伝いを探して、余った食材などを分けてもらうためだ。ここ最近はエースやデュースなど、食べ盛りの男子生徒がいるせいで、必要な食材の量も半端ではない。エンゲル係数はうなぎのぼりだ。
しかし、あのふたり、いやさグリムを含めて三人の首輪はいつになったら外れるのだろう。そしていつエースとデュースは許されてハーツラビュル寮へ戻るのだろうか。
どの程度食べ盛りの男子生徒が滞在するか分からず、リンは食堂や購買部の前で少しだけ迷ってしまった。
───結局、グリムが食べてくれるよなあ。
寮へ戻るリンの手には、大きく膨れたビニール袋がいくつかぶら下がっている。肩にかけたり背負ったりして、リンは図書室を横目に通り過ぎた。さすがにこの荷物では図書室に寄るのは憚られる。これ以上、リンは何も持てなかった。
「リンさーん!!」
「ん?」
リンが今晩の献立を考えていると、不意に背後から聞き慣れた声が飛んできた。立ち止まって振り返ると、ユウ達が揃ってこちらに駆け寄ってきている。
「おや、おかえり。授業お疲れ様」
「リンさんも、お仕事お疲れ様です」
「すごい荷物ですね
……
、持ちますよ。貸してください」
「ありがとう、助かるわ」
デュースが重いものを持ってくれたおかげで、体が一気に軽くなる。リンはふう、と息を吐いた。
「今日の晩御飯ですか?」
「うん、ハンバーグケーキ作ろうと思って」
「ハンバーグケーキ?」
「なんだかすげえ美味そうな名前なんだゾ!!」
「ふふん、楽しみにしていてくれたまえ!」
目を輝かせるグリムに、リンは芝居がかかった口調で答えた。
「なあ、リンさん。ちょっと聞きたいことがあるんですけど
……
」
不意に、エースが身軽に前に出た。エースが低姿勢で来るときは大抵何かしら面倒事があるんだろうなとここ数日で察せるようになったリンは、それでも「なあに?」となんでもないように聞いてやった。
「えー、っと
……
、リンさんなら、勝てるか分からない格上の相手とどーーーしても戦わなきゃいけないときって、どうやって勝ちますか?」
「勝ちますか? 負けませんかじゃなくて?」
それは難しいなあとリンは思案する素振りを見せた。
「私だったら勝てない相手に勝負は挑みたくないけど
……
どうしてもってなったら戦わずに勝つ方法を探って
……
それも無理だったらとにかく弱点を探してそこを突けるようにするかな
……
」
「んんー
……
やっぱそうですよねえ
……
」
エースが微妙な顔をする。どうやら満足いくような回答ではなかったらしい。
「私は負けないようにする方が得意だからなあ。ごめんね、役に立たなくって」
「負けないようにするのと勝つのって何が違うの?」
「受け流すのと真っ向から叩き伏せるの違いだよ」
エースの疑問にリンが笑顔で答えたのを聞いて、ユウは寮に来たばかりの頃を思い出した。
寮に住むようになってからしばらくは、館に住み着いていたゴーストの悪戯に悩まされたものだった。何せ死を象徴するものである。本能的恐怖から動けなくなるし、何より安息が奪われる。唯一対抗できるだろう魔法を使えるグリムもゴーストは怖いらしく、あらぬところに炎を放ちまくる始末。
立ち上がったのはやはりリンだった。リンはキッチンエリアから放置されて錆びたフライパンを発掘し、リンに支給されていたジャケットの袖にグリムの炎を灯した。
そして片手にフライパン、片手に燃える衣服を構え、───容赦なくゴーストをぶん殴ったのだ。
───手応え あり
───ぶん殴れるなら、殺せるわよね
バスター!! と声を張り上げながらフライパンで無双するリンのなんとおそろし、違う、頼もしかったことか。
───真っ向から叩き伏せてたってことは、リンさんにとってゴーストって勝てる相手なんだな。
ユウは思わず、どこか遠いところを見晴るかした。やっぱりフライパンは無敵よね! と言ってのけたリンの良い笑顔はなかなか忘れられるものではない。
「それで、こんな話をしたってことは、その魔法の首輪を外すために使い手であるリドル寮長をブッ倒そうってことになったのかな?」
「あー
……
、まあ、そんなところです」
「えっ、マジなんか」
半ば冗談で言ったことをエースに肯定されて、リンは思わず瞠目してしまった。
「トレイ先輩に話を聞いてきたんでしょ? どうだった?」
リンの問いに答えたのはユウだった。
「リドル寮長がルールを守ることに固執するようになったのは、寮長のご両親
……
特にお母さまがガチガチの教育ママで、えげつない分刻みスケジュールを基にしたルールを課していたからみたいで
……
リドル寮長も、それに応えたからこそ今の実力があるし、これからも成長できるって思ってるみたいなんです」
「なるほど
……
」
要因は家庭環境にあったのか、とリンはリドルのこれまでを慮った。生まれてくる子供は親を選べない。特に他人の指示に従ったことで得られる成功体験は、自分で考えて行動する力を育むことを阻害する。
「だからってそれを他人に押し付けるのは違うっしょ」
「リドルは頑張ってるからって甘やかすトレイもトレイなんだゾ!」
これからのリドルに訪れる社会という試練に、少しだけリドルのことが心配になったリンは、「そうだな」とエース、そしてグリムの言葉に頷いた。
「絶対寮長に勝って、『僕が間違ってました、ごめんなさい』って言わせてやる
……
!!」
エースの双眸に闘志の炎が燃え上がる。
「よーし、腹が減ってはなんとやら! リンさんも夕飯づくり頑張っちゃうぞう!」
「よっしゃあ!!」
「いっぱい食うんだゾー!!」
「グリムは明日の決闘には参加しねえんだからオレ達に譲れ!!」
「グリム、これを機会に遠慮っていうものを覚えよう」
嫌だ!! というグリムの声が、夕暮れに響く。ぎゃんぎゃん騒ぐ学生たちに、リンは微笑ましいものを見るように目を細めた。
◆
数日後、リンはユウ、そしてグリムと共に、ハーツラビュル寮長リドルから「なんでもない日」のパーティへと直々に招待された。
「ユウとグリムは分かるけど、私まで、いいのかな」
「もちろん」
デュースが力強く頷く。エースが言葉を続けた。
「リンさんには迷惑かけたっつーか、飯とか寝床とか、いろいろお世話になったんで。トレイ先輩にお願いしたんすよ」
「大したことはしてないけど。でも、ありがとね」
へへ、とエースとデュースは小さくはにかんだ。
二人は招待状を受け取ったユウ達を迎えに来てくれたのだ。リンは特に各寮への行き方を知ってはいたものの経験したことは無かったので、鏡の間を訪れた時は大いに驚いた。
「へえ~、すごいなあ。でもちょっとビビるね」
「鏡に飛び込むの、慣れるまでちょっとビビりますよね。分かります。でも大丈夫ですよ!」
ユウに手を引かれ、鏡を抜ける。直後リンは、立派な石造りの屋敷がそびえたつ庭先に降り立っていた。
「うわあ、すごいなあ」
「パーティ会場はこっちです」
「この生け垣は?」
「ずっと向こうの方まで迷路になってるんです」
「迷路」
何故
……
とぼやくリンに、ユウもさぁ
……
と首を傾げて返す。
この学園には不思議がいっぱいだ。そう思うことにして、リンは改めて居住まいを正した。
パーティ会場では既に寮生が集まっており、それぞれ席に着いていた。リンもユウとグリムの隣に用意してもらった席に腰を降ろす。
「あっ、リンちゃんさ~ん!! やっぱ来てくれたんだ、サンキュー!!」
「おっ、ケイトパイセン~!!」
いえーい! と出会い頭にパシャっと一枚写真を撮るふたりに、ケイトと一緒に顔を出したトレイは目を丸くして身を引いた。
「あー
……
あのひとがユウの言ってたリンさん、か?」
「そうです、我らがリンさんです」
「その
……
思ってたより、ノリのいいひとなんだな、はは
……
」
「引き出しが多いと言ってくれたまえ!!」
「っ!?」
ぐりん、と音を立てて顔ごと視線を向けられたトレイは、思わず肩を跳ねさせた。
「ようやく『はじめまして』! あなたがトレイ・クローバー? その節は美味しいマロンタルトをご馳走様でした」
「あ、いや、こちらこそ。ウチの一年が何日もお世話になって
……
、今日はどうぞ、楽しんで行ってください」
礼儀正しく頭を下げたリンに、トレイも反射的に姿勢を正して言葉を返した。
「リンちゃんさん、あっちにフォトジェニックな場所あるから、一緒に写真撮ろうよ!」
「ケイト先輩、リンさんが行くなら私も行きます!!」
ユウが元気よく手を挙げる。トレイはその手を下げさせた。
「それもいいが、もうそろそろ我らが寮長のお出ましだぞ。撮影は後にした方がいいんじゃないか」
トレイの言葉に、それなら仕方ない、とケイトも肩を竦めた。
それからあまり時を置かずに、トランペットの音が響き渡る。
「我らがリーダー! 赤き支配者! リドル寮長のおなーりー!」
「リドル寮長、バンザーイ!!」
寮生たちの声が揃う。
「前はすっごく、張り詰めた雰囲気だったんですよ」
こっそり教えてくれたユウの向こうで、頭に冠を被った小柄な生徒が全体をぐるりと一瞥して満足そうに頷いた。
「うん、庭の薔薇は赤く、テーブルクロスは白。完璧な『なんでもない日』だね。ティーポットの中に眠りネズミは
……
って、いや、いなくてもいいか」
どこか気が抜けたように言うリドルに言葉をかけたのはトレイだった。
「そんな急に変えなくたっていいさ。ジャムはネズミの鼻に塗らなくたって、スコーンに塗ればいい。絶対ないとダメ、じゃなくて、あったっていい、にしていけばいいだけだろ?」
「うん、そうだね」
邪気の無い笑顔でリドルが頷く。そんな彼がエースたちの言っていたように横暴を働く様があまり想像できなくて、リンは少しだけ首を傾げた。
「うーっ! 早く料理が食べたいんだゾ!」
待ちきれない様子のグリムに、ケイトが「オッケー♪」と陽気にぱちりと片目を瞑って見せる。
「ではさっそく
……
」
「ちょっと待って!」
「えっ」
しかし待ったをかけたのはリドルだった。
「そこの、白い薔薇
……
」
「げっ!」
示された先にあるのは、周りの生け垣や赤い薔薇に紛れるようにして分かりにくく植えられている白薔薇の樹だった。塗り残し!? とエースがか細い悲鳴をあげる。
「エースちゃん、デュースちゃん、ちゃんと塗ってって言ったじゃん!!」
「僕たちのせいですか!?」
「リ、リドル、これは
……
」
まさかまた、とユウだけではなく、その場にいた全員が体を強張らせた。あっという間に張り詰めた緊張感と漂う恐怖に、リンは目を丸くして視線を彷徨わせた。
「
……
なんてね」
しかし、それらはリドルが淡く忍び笑いを零したことによってそっと霧散した。
「もう薔薇の木の一本や二本で罰したりしないさ」
「ほ、ほんとー!? リドルくん寛大!!」
ケイトが助かったとばかりに息を吐きながら言う。リドルは笑顔で言い切った。
「みんなで塗れば、早いだろうしね!」
「塗るのは変わんねーのかよ!」
すかさずエースがつっこむ。まあまあ、とトレイが取りなした。
「それでも本当に
……
うん。変わったな、リドル」
「もう一秒も我慢できねえんだゾ! さっさと薔薇でもなんでも塗って、パーティだ!!」
グリムが声を張り上げる。リドルも柔らかく大きな号令をかけた。
「それじゃあみんな、準備はいい?」
それぞれが返事をし、立ち上がる。彼らの取り出した宝石のついているペンがきらりと光った。リドルが手にしたものは、一振りでステッキに変貌する。
「わあ、マジックだ」
「
マジック
魔法
ですよ、リンさん」
「そこ! もっと濃い赤で、ムラなくやるんだ!」
ビシッ、とリドルの杖が振るわれる。小柄な体から放たれる圧倒的なプレッシャーに、リンはなるほど、とこっそり呟いた。これなら確かに、暴走すれば手が付けられなさそうではある。
薔薇の色をペンキで塗り替えたり、魔法で色を変えたりして、ようやくパーティは始まった。紅茶で乾杯し、着席した後に、「そう言えば」とエースがはたと口を開ける。
「寮長の詫びタルトは結局どうなったの?」
「ち、ちゃんと作ってきてるよ!」
びく、と肩を跳ねさせたリドルは、それでも苦労したのだろう、少しだけ得意げにしたいのをどうにか堪えるようにして、とあるタルトを指し示した。
「これ。この苺のタルトはボクが作った」
「うんうん、形は少し不格好だけど、苺の艶を出すナパージュを塗るひと手間もかけてるし。初めてにしては、上出来じゃないか」
「はい、すかさず甘やかし入りました~、ほっといて実食といきますか!」
エースの容赦の無さに、リンは思わず声を殺して口端を吊り上げた。ケイトがレアなタルトを写真に収めた後、リンさんもどうぞ、とデュースに切り分けてもらったものを有難く受け取る。
「んじゃ、いただきまーす!」
ぱく、はぐ、と苺のタルトが次々と口の中に放り込まれる。直後。
「
……
ん!?」
「こ、」
「これ、」
「は
……
」
誰もが音を立てて目を見開いた。リンは思わず顔を歪めて、どうにかその一口を呑み込み、そして、
「しょっっっぱい!!!!!」
全員の絶叫が重なった。
「ええっ!?」
リドルが困惑と狼狽を隠しきれずに声を上げる。
「なんっだこりゃ!! う゛ぇっ、めちゃくちゃしょっぱい!! 何入れたらこうなるわけ!?」
「厳密に材料を量って、ルール通りに作ったんだ。そんな間違いはないはず
……
あっ!」
息を呑んだリドルが、もしかして、と信じられないという風情で言った。
「オイスターソースを入れたから
……
?」
「オイスターソース!?」
叫んだリンの顔を見て、ユウはリンの「この世界にもオイスターソースあるんですか!?」という内心の絶叫を聞き取った。ちなみに、ユウも同じことを叫びたかった。それより先に、咳込んだデュースがもしかして、とぼやく。
「クローバー先輩が冗談で言ってたセイウチ印の
……
?」
「だってトレイが昔、レシピには載ってないけど美味しいタルトには絶対隠し味でオイスターソースが入ってるって
……
」
「んなわけねーだろ!! ちょっと考えれば嘘だって分かるでしょーが!!」
「自分も騙されてたくせに
……
」
絶妙にまずそうな顔をしながら、ユウがぼやく。リンはマロンタルトを作ったときに何かあったんだなと察した。たとえば、何でもない顔で飄々と冗談を言うだろうトレイに騙されそうになったとか。
「しかもこれ、隠し味って量のしょっぱさじゃないよね
……
どんだけたくさん入れたの?」
「だ、だって適量とか言われてもわからないだろう? 正確に教えておいてくれないと
……
!」
リドルが唇を尖らせる。その様子を見て、とうとう堪え切れなくなったのか、トレイがぷはっと噴き出した。
「あっはっは!! まさかあの冗談を真に受けて本当に入れる奴がいたなんて!!」
あはははは!! とトレイの笑う声が木霊する。
つられて、リドルも小さく破顔し、「馬鹿だな、ボク」と眉を下げて頬を緩めた。
「はは、まずすぎて笑えてきたな」
「つーか笑うしかなくね?」
「でも、なんかこれはこれで美味い気がしてきたんだゾ」
その言葉通り、グリムの食べるスピードは落ちなかった。リンはそっと、「これもお食べ」とグリムに皿を差し出した。食べきれずに残すより、食べられるひとに渡す方が食材の無駄にもならない。
「まあ分からいでもないかな~」
「ダイヤモンド先輩もグリム並にゲテモノ食いじゃないですか!!」
「そういうわけじゃないよぉ~」
「このタルトは、甘くないから悪くない、ってことだよな」
「えっ、」
トレイに笑顔で言葉を挟まれて、ケイトはびしりと音を立てて固まった。
「あら、甘いのは苦手なんです?」
「でもこの間、マロンタルト、食べに来てましたよね?」
リンの疑問に、ユウも首を傾げる。トレイはにやりと口端を吊り上げた。
「オレの『ドゥードゥル・スート』で味を変えさせてただろう? よくやるんだよ、話のタネにするふりをして味を変えさせるっていう流れ。だから甘いのが苦手なのかなって思ってた」
「バレてたのか
……
!!」
はっず、とケイトは頭を抱え、ジト目でトレイを見やった。
「リドルくんの件でもそうだけど、オレ、トレイくんのその、分かってるけど黙ってるっていうの、良くないと思うな!!」
「次の『なんでもない日』は、キッシュも焼いてやるからな!」
「
……
そりゃどーも。ケーキ並みにフォトジェニックなやつにしてね!!」
とってもいい笑顔のトレイに、ケイトは半ば自棄になってがおうと吠えた。
二人のやり取りを微笑ましく見守っていたリンが、ふわふわと漂う生首を捉える。リンはゆるりと目を剥いた。
生首はするりと腕を生やし、流れるように体をふわりと宙に横たわらせ、音もなく地に足を着けた。当然のように菓子へ伸ばされた手が、ほいっと口の中にそれを放り込む。
呆気に取られるリンを他所に、チェーニャは「やっぱりトレイのお菓子はいつ食べても絶品だにゃあ~」と舌鼓を打った。その声を聞き留めたリドルが瞠目する。
「チェーニャ!? なんでここに、」
「ん? 『なんでもない日』のお祝い。おめでとう、リドル」
「あっ、オマエ! こないだ会ったにゃあにゃあしゃべる変なヤツ!」
グリムがタルトから顔を上げる。リンはそう言えばそんなこともユウ達が話していたなとチェーニャをまじまじと見やった。
「チェーニャはハーツラビュル寮生なの?」
「ん~。そもそもこの学園の生徒じゃにゃいにゃあ~」
「えっ」
驚くリン達に、トレイが言葉を添えた。
「チェーニャはナイトレイブンカレッジの長年のライバル学校、ロイヤルソードアカデミーの生徒だ」
「ロイヤルソードアカデミー!?」
エースとデュースが揃って素っ頓狂な声を出す。他にも学校があるのか、とユウとリンは顔を見合わせた。
「今、ロイヤルソードアカデミーって言ったか?」
「あの気取った奴らの仲間が来てるって!?」
「なんだと!? どいつだ!! すぐ追い出してやる!!」
「おっと」
にわかに殺気立った寮生たちにいち早く気付いたチェーニャがにんまりと笑う。
「それじゃ、タルトも食べたし、俺は帰るとするかにゃ」
するりと姿を消したチェーニャに、寮生たちは「あっ」と声を上げた。
「逃げたぞ!!」
「追え追え!!」
大勢の生徒の姿があっという間に迷路の方へ消えていく。リンたちはぽかんとしてそれを見送った。
「
……
ナイトレイブンカレッジの生徒は、高確率でロイヤルソードアカデミーを敵視しているからね
……
」
「百年も延々負け続けてればそうもなるというか
……
、お客人の前だっていうのに。すみません」
「お気になさらず」
眉を下げるトレイに、リンは微笑んで返した。
「まーまー、折角の『なんでもない日』なんだし! 今日はめいっぱい楽しもう!」
「はちきれるまで料理を食ってやるんだゾ~!!」
グリムが喜色満面で手にした食器を掲げる。ほどほどにしてよ、とユウは息を吐きながら言った。どうせ聞いてくれないんだろうな、という諦念がにじみ出ている。
「
……
ユウ、疲れたときには甘いものだよ。折角だし、たくさんいただこう」
「
……
はい! 先輩方、いただきます!」
「おう!」
「どうぞ、召し上がれ」
賑やかで明るい声がパーティ会場に満ちる。晴れ渡る空の下、ユウ達は招待された『なんでもない日』のパーティを、心行くまで楽しんだ。
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