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花筵シヂマ
2025-01-15 11:54:23
11231文字
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旺惑4
四十路父×十代前半の水(ショタ)の背徳的な話
年齢操作×転生父水
父はずっと前世から水を待っていた
親愛から恋愛に変わる話
1
2
まだ夏の暑さが残る九月、修学旅行の当日も同じく蒸し暑さが残っていた。
特に京都はまだ葉も色づき始めてもいないのに観光客は多く、京都駅構内も修学旅行生や観光客でごった返していた。
水木は周囲を見渡し、ゲゲ郎の姿を探した。駅で落ち合う約束はしているが、先日の体調不良のこともあり、こんなに人が多いところだと疲れないか心配だった。
そわつきながら、付き添いの教師に、手洗いに行くとだけ伝えて手洗いに向かった。女子トイレほどではないが、そこそこに人は並んでいる。
地下にも手洗いがあると聞いていたので地下に続く階段に向かおうと踵を返した。
ひやりとした手が水木の手首を包み、それを止めた。
「水木、どこへいく?」
振り向けばカンカン帽を被ったゲゲ郎が眼鏡をかけ、羽織に着流し姿で立っていた。少し暑そうな服装だが、彼は幽霊なので暑さを感じにくいのかもしれない。
かけている眼鏡は先日、水木が百円ショップで購入したものだ。見えやすくて助かるとゲゲ郎が喜んでいた。白い髪を肩で纏め、金色の組紐で結んでいる。
「ゲゲ郎」
そう呼べることが、とても嬉しい。今まで幽霊、幽霊とばかり呼んでいたからだ。
しかし当のゲゲ郎は水木がそう呼べば、複雑そうな顔ではにかむだけだ。
先日、あの部屋で見た通りの過去の水木にゲゲ郎は今の水木を重ねているのだ。
そう思えば思うほど、浅ましいほどに嫉妬心に駆られる。
そんなおとこはもういない、今ここに居るのは今の水木なのだ。
今も複雑な笑みを浮かべるゲゲ郎の手を握り返し、子供らしくあどけない笑みで返してやる。
こんな笑顔を、振る舞いを、過去の水木はしなかったろう。
「行こう。遊びに」
そう言えばゲゲ郎は水木を無下にしない。
「そうじゃの」
水木と共に人混みを抜け、歩き出してくれる。どこへ行くのかと聞けば、馴染みの茶屋に行って甘味を食べようと提案する。誰も水木を探す声は聞こえないので影武者が水木の代わりに行ってくれたのだろうか。
足元を見てから振り返り、異変にすぐに気づいた。
自分の後ろに、影が無いのだ。
「影に行ってもろうたから変な真似はせんじゃろう」
そう言うゲゲ郎は指を鋏のように動かした。
ことが済めば戻してくれるらしい。
そんなことは水木にはどうでも良い。
ゲゲ郎の手を握りしめて、離れないようにくっついた。
てっきり何か妖術の類で連れていかれると思っていたのに、ゲゲ郎は駅前のタクシーに乗り込んだ。運転席にいた六本髭の薄笑いを浮かべたおとこはげっ歯類のような歯を見せて嗤い、「今日は一日運転させて頂きますぜ」と言った。
「これには十分金払いをしておるから案ずるでないぞ」
「えっ、俺も払うよ」
リュックの中から父親から貰ったお金を出そうとしたが、ゲゲ郎がその手を止める。
「儂も倅もこやつのことは常日頃、世話をしておるからの」
こき使うぐらい構わないと言われてしまえば、水木は閉口するしかできない。
そうこうしている間にタクシーは走り出し、狭い路地裏でもするすると進んでいく。まるで道が車に合わせて広がっているようだ。
そこそこに速度も出ており、人の傍らも通り過ぎるというのに、誰一人として車に気付いていないようなのだ。車を振り返りもせず、会話を楽しんでいる。
「これって普通の車じゃないの?」
そう聞けばゲゲ郎は気にした様子もなく、「当り前じゃよ。お主には車に見えておるならそれでいいじゃろう」と言い、指をさして「あれが鴨川じゃ」などと言う。
「贔屓にしておる甘味は八坂神社の近くにあってのう。水木は何でも食べれると言うておったが、恐らく今まで食べたことがない美味い甘味を喰わせてやるから楽しみにするのじゃ」
そういうゲゲ郎の手には黒い手帳がある。どこに行くのかわざわざ書きとどめていてくれたのかと思うと胸が熱くなる。
「昔は飴屋を営んでいた店でな。今はその飴をかけたあんみつが美味なのじゃ」
車窓を見ればよくテレビや雑誌やネットで見かける特徴的な赤い門が見えた。あれが八坂か、と思っていると車が急に方向を右に変えた。そこには壁しかないのに車はまっすぐに歩道を乗り上げて突っ込んでいく。歩行者にぶつかるのではと焦り、ゲゲ郎の腕に思わずしがみついた。
しかし衝撃は来ず、車は草むらの中に停車していた。
周囲を見渡せば何もなく、妙に青い空があり、古めかしい瓦屋根の茶屋らしき店が一店舗だけある。そしてその門には暖簾がかかり、白い暖簾に赤い丸が描かれていた。それははたはたと風に揺らめいている。
見渡す限り青々とした草原しかない。そしてもう、最近はほとんど聞こえなくなっていた蝉の声が夏の全盛期のように聞こえてくる。
ゲゲ郎の家と同じでここも、どこか異空間なのだろう。
ゲゲ郎が車を降りてしまったので水木も車を降りてその背を追いかける。
店の中から誰かが出て来た。
「お久しぶりでございます」
金色の髪をまとめ髪にし、赤い着物に紫のエプロンを身に着けた若い女性が深々と礼をした。じっと凝視していれば、おんなは水木にも優しく微笑んでくれた。
釣り目のおんなは水木とゲゲ郎を見比べ、まぁ、とだけ口にした。
「この娘は、伏見から手伝いにきておるのじゃ。こんまい頃から知っておるが、随分と大きくなった。近々嫁入りすると聞いたが誠かの?」
もしかしてゲゲ郎に色目を使っているのではと変な警戒心を抱いていたが、結婚すると聞いて水木はそれを早々に解いた。
「はい。酒屋の家に嫁ぎます。私には勿体ないほど立派なお方です。ささ、どうぞ」
店の中には木製の真四角な机が四つ、椅子も四脚ほどしかなく、こじんまりとした作りだった。水滴ひとつ付着していないグラスを机に置かれ、娘はすぐに奥の暖簾をくぐって消えた。
「注文はもう通しておるから」
しばらくして娘が戻ってきた。黒い盆の上には花開いたような縁のパフェグラスが二つ乗っている。
その底には青く透き通るような寒天、その上には濃紺に金粉が混じったようなゼリー、そしてその上には泡のような白いクリーム、最上部には水色と紫のクリームで作られた紫陽花に葉っぱ型のクッキーがくっついている。その横には小ぶりなアイスクリームがのり、アイスクリームの上にはクッキーで作った麦わら帽子がのせられていた。
「おまたせいたしました、夏の始まりでございます」
そう言った娘は手にした小さなミルクピッチャーをアイスクリームに流しかけた。それは琥珀色をしており、べっこう飴のような甘ったるい香りが漂う。
「夏になると京都ではこれを食べてから祇園祭を見たものじゃ。さ、水木、早う」
「
……
おいしそう
……
」
父や母にどこかに連れて行ってもらった記憶はほとんどない。
美味しい甘味、というものも食べた経験がなく、いつもゲゲ郎が作ってくれる菓子しか知らない。
まるで芸術作品のようなパフェにスプーンを押し付けるのは抵抗があるが、さっとアイスクリームをすくい、口の中にいれた。
バニラアイスの味が徐々に酸味が混じり、そしてほのかに焼けたようなカラメルの味が残る。これはまるで、ゲゲ郎と行った夏祭りで食べたあのお菓子と同じ味だ。
「りんご飴の味がする!」
もう一度すくいとって口に入れると、今度は甘い、砂糖を固めたような味に変わる。綿あめの味だ。りんご飴とわたあめの味が交じり合った不思議なアイスクリームを食べきると、熟れた葡萄味の紫陽花を形作る生クリームを頬張る。
どれも人間の世界では食べたことがない味だ。
夢中でパフェを貪り食べたのは初めてだった。気づけばグラスは空になっていた。
ゲゲ郎は湯呑みを傾けて飲み、水木がパフェを食べ終わるのを静かに待っていた。
「この後は三年坂のあたりを散歩しようかと思うておる。宿は嵐山を抑えておる」
「あのタクシーでそんなところまでいけるのか?」
「問題はないぞ」
娘に封筒を渡したゲゲ郎は深々と礼をされていた。金には見えないので聞けば、ゲゲ郎はからりと言ってのける。 「あれは儂が書いた商売繁盛の守り札じゃよ」
「えっ」
そんなものが金の代わりになるのかと疑念の眼差しを向ければ、ゲゲ郎は心外だとばかりに肩をすくめる。
「儂の妖力を込めておる。毎年書いておるのじゃ」
振り返り、店を見ればまだ娘は手を振っている。水木に価値はわからないが、あの娘や店にとってはありがたいものなのだろう。再び、タクシーに乗り込むとタクシーは草原をまっすぐに走っていく。風を切り、緑の海を走る濃紺のタクシーはやがて、いつのまにか車道を走っていた。
「しかし人間界の三年坂は人が多くて歩き辛いからちと違うところを歩くでも構わぬかの?」
先程の甘味もそうだが、異空間でのことを言っているのだろう。
「俺はどこでも良いよ、ゲゲ郎は体調は大丈夫か?」
先程のパフェはしっかり全て食べていたが、それでも顔色がすぐれないように思う。
「ああ、大事ないぞ」
ゲゲ郎の頬に触れると、春の日の陽光のように笑まれる。
———
また、キス、したほうが良いのかな
膝の上に抱いたリュックの中には、コンビニで購入したリップが入っている。綺麗で形の良い唇の写真が目を惹き、購入を決めたが、おとこでも使って良いのかは知らない。
ゲゲ郎をみれば、車窓を眺め、どこか遠い目をしている。その顔から唇に視線を落としていく。
ゲゲ郎は、きっと、水木よりたくさんの接吻をしてきたに違いない。
あの形の良い唇を重ね合わせ、吐息さえも忘れ、舌を貪りーーー。
例えば、過去の水木はどうだったのだろう。
水木は、ゲゲ郎と接吻していたのだろうか。
訊ねようかと頭を悩ませていると、ゲゲ郎がはにかみながら車のドアを開けた。
「着いたぞ」
「う、うん」
のろのろとゲゲ郎と同じくドアを開けてゲゲ郎の背を追う。
車を降りて歩き出すゲゲ郎の前には観光客らしき人がまばらに坂を歩いている。
小首を傾げているとゲゲ郎が不意に足を止めて竹垣に手を当てている。ゲゲ郎、と声を掛けると手首を掴まれ、竹垣の向こうへ引きずり込まれた。
瞬きすると、そこは先ほどまでと同じ狭い通路に立ち並ぶ古めかしい大塀造の町屋や商店が立ち並び、石段が続いている。
異なるのは空だ。
先ほどまでは確かに日中であったのに、空は紺碧に染まり、店に連なる赤い提灯がゆらゆらと揺れている。
つまり、この空間は夜なのだ。向こうは昼でこちらは夜。鏡合わせのようでまるで違う。
「古来から妖怪は夜の住人じゃった」
からん、ころんと軽い音が響き、ゲゲ郎が歩き出すので水木も慌ててその背を追う。
「しかし人間が発展していくと共に、夜の暗闇は無くなっていってしもうた。何じゃったか
……
二十四時間営業の店とやらもあるのじゃろう。闇が無いと妖怪は暮らしにくい。妖怪によっては物理的な闇というよりは、人の心の闇に憑りつくのが楽しいやからもおるけどのう」
「この空間は、夜しか生きられない妖怪の為のものなのか?」
「そうじゃ。儂はこの空間を見て、あの家で住まう方法を学んだのじゃよ」
よく見れば店の並びは同じだが店内にいる客や店員が人ではない。腰巻をつけたトカゲのような妖怪が二足歩行で店内をうろつき、客に何かを勧めている。何となくゲゲ郎から離れない方がいいような気がしてゲゲ郎の手に触れた。ひやりと冷たい手は少し驚いたように震えたが、すぐに握り返してくれた。
それは包み込むように優しい力であった。
いろんな店をゲゲ郎と覗いて歩いた。提灯売り、何かの調味料、ちりめん細工など。なかでも水木の関心を引いたのは金平糖の店だった。
薄暗い店内に並ぶ小瓶の中身はどれも発光している。
まるで蛍のように、一斉に光って、すぐに消え、また光る。
それぞれ微妙に色が異なり、水木の目を惹いたのは白く光る金平糖だった。
「いらっしゃい。珍しい、こんなところに人間の童とは」
舌を出した一つ目につるりとした丸い顔の小鬼がゲゲ郎に深く会釈している。
「これは何で光っているんだ?食べれるのか?」
ゲゲ郎も小瓶の中身を眺めながら、目を細めている。
「ううむ、これは人が食べても害はないのか?」
小鬼は「人間向きじゃないけど」と困ったように手を揉んでいる。
「これは冥界の植物や果実を溶かして作った砂糖菓子だ。食って何か起こるってわけはないと思うけどなぁ」
「もしや人魂を練ってはおらんじゃろうな」
小鬼は面食らい、大慌てで首を振る。
「そりゃもっとお高いよ」
「そうか。ならば買おう」
懐から金子を出し、ゲゲ郎は金平糖を買ってくれた。ゲゲ郎に連れられて店を出ても、その金平糖は光り輝いていた。
「たまに、行き場を無くし人間界をさ迷う魂を天ぷらにしておる輩がおる。一応、許可はとっておるんじゃがな。試しに儂が食うてみるか」
金平糖の蓋を開け、光り輝く白い菓子を口の中に投げ入れてしまった。考えるように目を閉じてからすっかりとかみ砕いてしまったのか、喉を鳴らしている。
「何の味がした?」
ゲゲ郎を覗き込めば、ゲゲ郎は考え込み、「桃のような甘い味じゃなぁ」と答えてくれた。問題はなさそうなので水木も瓶に手を入れて口に入れた。光を口に入れる経験などないので、熱さを感じないか不安だったが以外にも熱くはない。ただ舌にのせると綿あめみたいに溶けだし、噛めば硬さはそこまでなく、すぐに口の中で砕けてしまった。ゲゲ郎が悩んでいたのも頷ける。味がすぐにしないのだ。
しかし次第に、桃や葡萄の甘い味に変わり、そしてすぐに消えていく。忘れるような味だ。
「追憶」
「えっ」
「その菓子の名前じゃよ」
瓶の表に貼られたラベルの字は水木の知らない文字だ。ゲゲ郎には読めるのだろう。
「さぁ、他の店も見よう」
ゲゲ郎に案内されるまま、水木は歩き出していた。
追憶という言葉の意味は知らないので、後で携帯電話で調べようと頭の片隅に留めた。
清水寺まで歩ききると、あのタクシー運転手が三重塔の前で会釈をしていた。
「もうそんな時間か」
土産の入った紙袋を下げた水木から荷物を受け取ると、トランクを開けながら運転手は思いのほか丁寧に荷物を詰めた。
「夕食の準備ができたって電話がきたんだ。俺も腹が減って」
「お主の腹具合など知らぬ」
どうやらせっかちな運転手は自分が早く食事を食べたいからと迎えに来たらしい。
水木自身はこのおとこに何の代金も払っていないので少々、申し訳ない気持ちになっていた。不機嫌そうなゲゲ郎の背に触れて、甘えるように腕に絡む。
「俺も疲れたし、早く宿に行こうぜ」
「水木がそういうなら」
不服そうに車に乗り込んだゲゲ郎の隣に座り、水木は鞄を抱きしめる。
携帯電話がリュックの中で震えているのがわかる。取り出せば、父からメールが届いていた。修学旅行から帰ると話がある、ということだった。
話というのは、担任教諭との関係のことだろうか。
水木が関係性を知っていると感じたのか、それとも。
「水木」
薄暗い思考に埋め尽くされそうな水木の顔を、大きな赤目がのぞき込む。
水木は一人ではない。
ゲゲ郎がいる。
だけどゲゲ郎にとって、水木は記憶の友人の生まれ変わりであることに変わりはない。
それ以上の存在ではない。
「
……
何でもない」
笑おうとしたが笑えない。携帯電話をリュックの奥底にねじ込み、水木も車窓に意識を傾けた。暗闇の中で赤い提灯が蝶のように揺れていた。
瓦屋根に格子戸の数寄屋造りの宿の前で、白髪の老女が微笑んで佇んでいる。紺色の着物を乱れなく着込み、簪をさしたまとめ髪には崩れも無い。品が良い、という言葉が似合う女性だった。
「久しぶりじゃのう」
ゲゲ郎が声を掛ければ、老女は皺の刻まれた眦を下げてより一層笑みを濃くした。
「その説は大変お世話になりました。どうぞ」
老女が背を向けるとその背後に蛇のような尻尾が見えた。その尻尾は白い鱗が生えている。
蛇か何かの妖怪だろうか。何なのかと考えている間にゲゲ郎は既に玄関先で下駄を脱いでいる。水木も慌てて靴を脱いで後に続いた。
「こちらは今日は幽霊族の旦那様以外の宿泊はお断りしておりますのでおくつろぎくださいませ。お部屋はこちらでございます」
案内された部屋は真新しい藺草の香りがして肩の力が抜けていく。
襖が締まり、ゲゲ郎と二人きりになる。
いつもと同じだと言うのにやけに緊張した。いつも通りのんびりした様子でゲゲ郎は長机の上の菓子を手に取り、食べている。
「どうした?座らぬか?」
立ち尽くしたままの水木は不意に、ずっと聞きたかったことを口にしていた。
「今日は、キス
……
しなくていいのか?」
「ああ、構わぬよ。幼い子供に手を出すはずがなかろう。お主はお主じゃし、水木と儂はそんな関係ではなかった」
水木との関係に特別性がないという事実はにわかに、今の水木を高揚させはしたが、落胆もさせた。
今の水木はゲゲ郎にとって単なる子供なのだ。
子供と大人。変えられぬ立ち位置は、以前も画策したように、不適切な関係にならない限り特別な関係には変わらないのだと察した。
「そっか」
そう呟いてゲゲ郎の傍で茶菓子を摘まんだ。柔らかい求肥のなかの餡子は甘く、そしてほんのりと柚子の香りがした。
夕食が運ばれてきても貸し切りの風呂に入っても水木の胸は軋んで痛んでいた。
浅ましいことに、このおとこが道を踏み外す方法を考えていたのだ。
ゲゲ郎が水木だけを求め、手放さないと腕に抱いてくれたなら、この世に生を受けてから初めて人に
——
人ではないが
———
に必要とされる気がした。
歪んだ孤独は年月を重ね、水木を人一倍、依存性の高い生物にしていた。
初めて優しくしてくれた大人だからという理由で良く思っているだけなのかもしれない。だけど、それでも確かに前世より二人に繋がりはあったのだ。
「電気を消しても良いかの?」
薄明かりの中で敷かれた布団の上でゲゲ郎が何気なく訊ねて来た。もうそろそろ寝る時間かと気づく。
「あ、ああ。考え事をしてて」
「明日また出かける場所を考えよう」
深く追求せずに布団をかぶり、眠りにつこうとするので水木も同じように横になる。ゲゲ郎に背を向けたまま、水木は軽く、己の爪を噛んだ。
朝餉を食べてから散歩をしてから出かけようと誘われ、嵐山駅まで徒歩で向かった。
渡月橋を渡る最中、川を流れる小舟を何艘か見た。
駅前でわらび餅をつついていると、今日行く場所について急に話題を振られた。
「円山公園に行こうと思うのじゃ。春の季節じゃと見事な桜が見れるのでな」
「今は秋だぞ?」
「
……
桜を見せてやろう」
悪戯っ子みたいに言うゲゲ郎が、急に幼くみえた。
タクシーで滑るように嵐山を出、八坂神社まで戻って行った。そういえば二日目の集団行動は伏見稲荷を見て回ると聞いていた。なのでクラスメイトと鉢合わせすることはないだろう。
八坂神社の境内を歩いていくと、不意に古めかしい洋館が見えた。
「あの店の洋菓子は美味しいぞ」
ゲゲ郎が嬉々として言うので、彼は行ったことがあるのだろう。館を通り過ぎると、竹柵に囲われた大木があった。ゲゲ郎が揚々と柵を越え、大木に触れている。水木に向けて伸ばされた手を躊躇いなく掴めば、空気が急に肌寒いものに変わる。
薄暗い夜の景色に様変わりしたかと思うと、ふわりと白くも見える花びらが水木の頬に触れた。
見ればゲゲ郎が触れている大木は、華々しい桜の花を咲かせていた。
見れば周囲には赤い提灯がぶら下がり、ゆらゆらと揺れている。筵を敷いて酒盛りをする、時代に合わぬ銀杏髷の侍風の男たちや、袴姿の男性もいる。まるで時間軸が混ざり合っているような、そんな空間だ。
「桜は死者も妖怪も皆好む。儂は随分前まで苦手であったが、今はそうは思わぬ」
「
……
前の水木とも桜を見たのか?」
ゲゲ郎は答えずに、桜の木の下に座り込んだ。あぐらを描いて座るゲゲ郎は桜を見上げている。
鞄の中に手を入れ、例のリップを口に塗りつけた。唇がほのかに甘い香りがする。ゲゲ郎の膝頭から腿にかけて撫でてやると、びくりとからだが跳ねている。
丸くなったゲゲ郎の双眸が水木を映している。水木は下からすくうように、ゲゲ郎の唇を奪った。
「
……
どうしてこのような真似、
……
」
困惑したゲゲ郎を前に、水木も意図せずに意地悪な微笑みを浮かべていた。
「びっくりしたか。驚いた顔をさせてみたかったんだ」
「
……
心臓がまろびでるかと思うたよ」
やはり、ゲゲ郎は怒らない。
狼狽したというが本当ではないだろう。
水木は長くなってきた黒髪を摘み、この髪を切ればゲゲ郎の記憶の中の水木から乖離するかなと浅知恵を働かせた。
気もそぞろの京都旅行は、駅でゲゲ郎と別れを告げて終えてしまった。手に持ったお土産ほど心は満たされず、父が言う話とやらが差し迫る事実だけが輪郭を持ち確かに存在していた。
重い気分で自宅に帰り、戸を開けると既に父は帰宅しており、晩酌していた。酔うと暗い表情をする父は、グラスに酒を注ぎながら、水木を見るなり嘲笑に似た奇妙な笑みを浮かべた。
「遅いな」
まだ六時を過ぎた時間なのでそうは思わない。無言で荷物を置いて手を洗うと、父は背後に立っていた。
「俺はこのマンションを出て行くことに決めた。家賃は払うし生活費は払う。お前が中学を卒業したら、俺は結婚することに決めたからな」
何の同意を取っているのか分からない。水木は台所に行き、冷蔵庫を開けて大きく深呼吸した。父だけが大きな存在であったなら、水木は狼狽していただろう。しかし今はこの、しみったれたくだらないおとこなどどうでも良い。
ゲゲ郎のことも、どうでもいい。
この家で一人で生きていくのだ。
甘えた子供は、もう終わりなのだ。
「わかった」
冷蔵庫の戸を乱暴に締め、水木は部屋に戻った。
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