第五話
そして日常は続くの話
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羅乃目……紅族。第十九代統領
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黒骸……紅族。羅乃目の許婚
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羅神……羅乃目に憑いている黒い狼の
憑守
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雨庸……黒骸に憑いている白い大蛇の憑守
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鎌苅トキ時……憑守が見える、
食事処伊呂波二代目店主
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天河良……通称「死神」。伊呂波のケツ持ちをしている彫り師
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五十嵐権左……花屋の花ちゃん
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要イタル……良のご近所さん。頭蓋骨を収集するイカれたくそ野郎
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稲垣儀三郎……良のお隣さん。闇医者
隣人の正体を知ったからといって舞台が終幕することはない。人生とは生活とは、限りなく隣接し合った点と点の繋がりであり、即ち線である。全てのハレの後にはケがあり、逆もまた然り。全ての「なにか」の先には日常がある。幸福の先には、それ以外と、あるいは不幸が。では不幸の先には幸福を約束してくれないだろうか。こうして生活の延長線上で、あらゆる生き物は神頼みを始める。
幸福を無理矢理作り出すことはできる。他の不幸を甘美な褒美と思って平らげていけばいい。なにかひとつを貶めることで自分の立場が上である事を確認し、比較すれば微々たる差を(──なんなら、そのようなことをしている当人の方が明らかに下である。)卑しい喜びに置き換えて浸ればいいのだ。これは「ささやかな幸せに気付いて感謝する」とは全く異なる幸福法だ。まあその虚しさに耐えられる者だけに限った話になるが。
ともあれ続けていかなければならないのだ。全身全霊で、心臓が止まるその時まで、四人にこの先何が起きたとしても。
つまり。
一度整理をしておく必要がある。散らかっているままではそこへ客人を招くことすらできない。袂の中、懐の中、戸棚の中、箪笥の中、部屋の中、頭の中。
あなたのことをもういちどはなしてほしい
よりりかいをふかめるために
*
「おひい、トキ時いる?」
「おひいって、わっちでやんすか?」
定休日の食事処伊呂波へふらりと良がやって来て、一番手前の卓で読書をしていた羅乃目に狙いを定めた。なにせ他のふたりの姿は店内には見当たらない。羅乃目の手元にあったのは巷で流行りの若い女性向けの文学作品だ。客の忘れ物か便利屋の対価で現金代わりに貰ったのか。なんにせよ羅乃目の好みには合わなかった様子である。良が来店する半刻ほど前から読む姿勢にはいってはいたが、それはほとんど続きを求められずに持て余されていた。
本日の天気は曇り、気温は相変わらず冬の延長戦だ。春は蕾を膨らませ始め、その予感だけ醸しながらもまだ息をひそめている。
食事処伊呂波は「四日連続営業・一日休み」を繰り返しており、月に一度だけ二連休を設ける。もちろん変則的になることも、太都や西町の行事に合わせて変更になることもある。元々は「四営・一休」だったが、トキ時の代で伊呂波が一段と忙しくなったが故に疲れから仕事が回らなくなり、良の助言もあって「三営・一休」に変更をしていた。そこへ羅乃目と黒骸が来てくれたので「四営・一休」に戻したという経緯がある。まあ営業の有無に関わらず、そして時間にもとらわれずにここへ足を運べる良にとってはさほど関係のない話ではあるが。
「そ。トキ時に助けてもらってさながらお姫様だろ? だから、おひい」
「わっち姫じゃないし、統領だし。それにすんごく強いでやんすよ!」
羅乃目は可愛いよりもかっこいいが嬉しいお年頃である。持っていた本を置くとその細い両腕を天に振り上げて強さを誇示している。その主張の方法が既に可愛らしい。
「えーでもだってほら、可愛いし」
やはり可愛い判定になってしまっている。ふたりの歳の差は七つあるので、羅乃目の性格や紅族の性質を差し引いても、良にとっては可愛いだろう。
「かっこいい!」
「かーわーいーいー」
「かっこいいー!」
「そうやってムキになるのも可愛いんじゃん」
「うがー」
「ほら可愛い可愛い」
「かっこいーいー」
「なんだ、俺を呼んでたか?」
限りなく不毛で微笑ましい声を聞きつけて、二階からトキ時が降りてきた。気怠そうに暖簾を掻き分けて近づいてくる。浅い昼寝でもしていた様子だ。しかし声までかけたのに存在に気付いてもらえない、ふたりはトキ時をちらりとも見ない。
「わっち死神よりもずっと強いでやんすよ」
「えー? そんなこと言われたら死神様も黙ってらんないけど〜?」
「おーい、俺に用があったんじゃないのか」
なんとなく遠慮がちに声をかけつつ上半身を左右に振って存在を主張するが、トキ時を無視して話は進んでいく。
「でも死神負けたら可哀想だからなんもしないでやんす」
「なに、負けちゃうのは羅乃目じゃない?」
「おーい」
「わっち大人だから人間の挑発には乗らないでやんす〜」
「おいおい、俺は人間じゃなくて死神よ?」
羅乃目は読むつもりもない本を手に取り直したり、また離したり。
「んもーわかった、いいでやんすよ。手っ取り早く腕相撲でどうでやんすか?」
「よしきた。んじゃトキ時は行司やって」
「なんだよ、気付いてるなら無視するなよな」
こうして腕相撲が開催される運びとなった。
東、羅乃目。
西、良。
行司、トキ時。
会場、食事処伊呂波三番卓。
観客、食事処伊呂波の備品たちと羅神。
ちなみに黒骸は東町まで碁を打ちに行っている、もちろん便利屋の仕事で。こちらは追々触れよう、もうそろそろ帰ってくるはずだ。
良は右袖を抜いて、視覚的にも場を盛り上げようとしてくれている。やる気満々だ。
「いくぞー、あ、でもなんて言うんだ?」握り合ったふたりの手を上から優しく包みながら、トキ時は目を閉じる。「あー、まあいいか。はっけよい、のこった!」
くっとそれぞれの腕に力が入る。
「うっそなんで? は? 羅乃目の細っこい腕のどこに力が秘められてるわけ? びくともしないんですけど?」
「それ本気出してるでやんすか? 死神、両手使う?」
「え、ちょ、傷つくからやめて」
想像と全く違う試合展開に良は驚きを隠せない。せめてあの可愛い眉間に皺が寄る程度の奮闘はしたいところである。
「勢い余って店の備品壊すなよ」
「もういい? 終わりにしていい?」
余裕たっぷり、明らかに煽っている表情で羅乃目は良を覗き込んだ。こうやって体勢を崩しても腕はびくともしない。
「くっ
……そ、もうちょい」
良も始めは手加減して負けすれすれを演じてから逆転してやろう、くらいの軽い気持ちで挑んでいたが、徐々に腕には血管が浮き上がり、一層の力を込めた筋肉が隆起する。彼は決して華奢ではない、かなり筋肉質に分類される。厚い胸板、腰こそ細いが鍛え抜かれて六つに割れた腹筋、美しい曲線を描く上腕二頭筋、胸鎖乳突筋に彩られて太くなった首元も忘れてはならない。それらを見せびらかすように着物を着崩しているだけある体だ。どこに出しても恥ずかしくない肉体美。その肉体が、成長期前の少年のように薄く細い肉体をどうこう出来ずにその場で固まっている。
「あれ、なにしてるんですか? 楽しそうですね」
「あ! 黒だ!」
黒骸の帰還を喜んだ羅乃目は、視線を黒骸に向けたまま、もう興味など失せたとでもいうように無常にも軽く勝負を終わらせてしまった。良は卓にぴたりとついている己の右腕を見下ろして、現実を受け止められていない表情をしている。
「うっそお」
「おかえり、黒。にしてもお前がこうもあっさり負けるのかあ。強いな羅乃目は」
「俺の腕、おひいの倍以上あるんだけど
……」
大人ふたりで五分袖桜吹雪の入った立派な腕を眺めている。トキ時が人差し指でその上腕二頭筋をつつくと、それを受けて良は顎でトキ時の腕を指す。意味を汲んだトキ時は袖を捲り上げると力こぶをだした。しっかりと盛り上がっているそれは強そうだとかいかついなどとは無縁そうな、包容力を感じる優しい曲線を描いている。トキ時の方が腕が細い。
「何してたの? 腕相撲?」
「うん。死神がね、死神の方が強いって言うから証明したでやんす」
「それはそれは」
「あーあ。羅乃目に負けたんじゃあ、黒にも敵わないよなあ」
あっさり負けてしまった良は、上半身を反らせて視線を黒骸へと合わせた。唇をやや尖らせて拗ねを軽く主張している。こんな顔をしているが全く拗ねてなどいない。こういうところがつい気になってしまう女性も少なくない、のだろうか。
「どうでしょう? 俺よりも羅乃目の方が手力が強いんですよ。羅乃目は紅族の中でも非常に優秀な逸材ですからね」
「だから言ったでやんしょ? わっち強いって」
「あーもう。なあ、他にもっと知っておいた方がいいことってある? もう全部教えといて」
その後も何かの間違いかもしれないと二三度挑戦して完敗した良が、机に突っ伏して負けを噛み締めている。噛み締めてはいるが、自尊心に傷はついていないだろう。人間と亜人種の違いを明確に見せつけられたという事実だけを綺麗に掬い取る能力を持ち合わせている。
もう試合の行われない三番卓は、羅乃目の隣に黒骸、良の隣にトキ時が腰を下ろすことで満員となった。結局黒骸との勝負は行われずに終了だ。
「んと、わっちが最近好きなのは、きさき庵の甘いやつ! さくら饅頭が今一番きてるでやんす!」
「いやね、そういうのじゃなくってー」
きさき庵とは、東町にある甘味処の名前だ。その西町寄りの立地はトキ時にとってもお散歩と呼べる距離感にあるので、お八つとして伊呂波の食卓に並ぶことも多い。持ち帰り専用の店舗と茶屋のようにその場で甘味を楽しめる店舗が併設されており、贔屓にしている常連も多く連日賑わっている。季節ごとに異なる看板商品を用意するのもきさき庵の特徴だ。
ちなみに羅乃目の今のお気に入りの「さくら饅頭」は、別に桜味というわけではない。小ぶりな大きさの白い皮の中にたっぷりと粒あんを隠したそれは、表面に桜の花びらを模した焼印が押されているのだ。焼印の種類は花びら一枚、三枚、五枚があり不規則な順番で用意されている。一日にひとつだけ、花びら五枚の焼印がふたつ押されている「満開」が存在するらしく、美味しさだけではなくある種の運試しやおみくじ要素を持ち合わせているのだ。ひとつずつ和紙に挟まれ、焼印の柄を選ぶことも出来なければ、店員も中を覗き見ることはできない。一個から購入可能で、十個入り、また十の倍数で用意してくれる贈答用も大変人気である。季語が入った商品名だが通年販売だ。
「まあ美味いけど、きさき庵の甘味。好きだよ俺も。羅乃目の好物はわかった。でも俺が聞きたいのはそういうのじゃないんだって」
もそりと起き上がり、今度は低い姿勢のまま頬杖をついた。
「そうですね基礎的な力が人間よりも強いことと、それに伴って筋肉量が非常に多いので見た目よりも遥かに重いこと。それから俺たちは動物に好かれやすいです。いわゆる性格の悪い個体も当然存在するので、たまに突っぱねられますけど。ほぼ無条件で最大の好意を示してくれます」
「力が強い、見た目より重い、動物に好かれる。あとは?」
良は綺麗な指を一本ずつ折って内容を再確認していく。
「わっちらは動物とお話しできるでやんすよ」
「へえ、便利そう」また一本指を折り曲げる。「あとは?」
「んー改めて聞かれると難しいでやんす
……あ、わっちねえ、鼻がいいでやんすよ。
食事処伊呂波も美味しい匂いがしたからたくさん走って見つけた!」
「へえ、鼻大活躍じゃん」
良は手を伸ばして羅乃目の鼻先を軽くつつく。羅乃目はそれを避けずに大人しくつつかれていた。
「あれは執念に近かったですね、結果としては大成功の大正解でした。羅乃目の鼻と運と勘のよさにはかなり助けられています。俺たち基本的に五感が人間よりも多少は優れているようなんですが、羅乃目の鼻はなかなか規格外に効きますよ」
「へえ、じゃあ俺もそのうちにあやかれるかな。ともかく他も思い出したら色々と教えてよ。トキ時ができない分、俺が口裏合わせたり誤魔化したりできるように」
「待て待て! ちょっと棘がある! 俺だって気持ちはあるぞ!」
トキ時が割って入って意を唱える。意を唱える権利は十分に有しているだろう、ここまで協力的で優しい人間は他にいないのだから。
「トキちゃん、世の中はね、適材適所。俺はお前みたいに美味い飯作れないっしょ。そういう風にうまーく出来てんの」
「うぐぅ
……羅乃目は目の色変わるもんな、俺知ってるぞ」
「あれ、言ったことあったっけ?」
「羅神に聞いたんだ」
「へえそうなんだ、見てみたい」
「だって。変えてもいい?」
別に隠す必要のない空間だからか、羅乃目は思いきり羅神の顔を覗き込んで確認している。
「構わんが、そう気安く変えるものではないことは念頭に置いておくように。今は説明の為に仕方なくだ。すぐ戻せ」
「羅神がいいって、はい」
羅乃目はぱちりと瞳を閉じ、次に開く時にはトキ時が以前見かけた金色に獣のような縦長瞳孔の瞳に変わっていた。
「うおすっげ。かっこいいじゃん
……少し濃い時の月みたいな色してるな。綺麗
……」
綺麗と言われた羅乃目は、にやけるのを必死に我慢して、それでもによによしている。わざわざ見せるのは生まれて初めてだ。隠してきたそれを綺麗と言われれば嫌な気持ちはしないだろう。羅乃目は自分が紅族であることを誇りに思っている、例え人間からどう認識されていようと。今代限りで失われる、美しく誇り高き魂。
「月はいいよな、好きだよ。俺の背中にも
彫ってある。いいね、美しい
……見せてくれてありがと」
感慨深そうな、少し名残惜しそうな台詞を受け取ると、羅乃目は再び瞬きをして瞳の色を普段の黒い瞳に戻す。戻した後も、心なしか瞳が輝いているように見えた。
「黒も月になるの?」
「俺は赤くなりますよ、こんな感じです」
黒骸も瞬きをした。黒い瞳は深く鋭く、けれど輝くような赤に変わった。瞳孔は羅乃目と同じく獣のような縦長。
「お前のも綺麗だな
……珊瑚みたい、いや、もっと赤みと透明感があって綺麗だな、すげえ。何かに例えるなんて無粋なくらいだ」
良は黒骸の瞳をまじまじと覗き込む。
「そうか。それぞれ羅神と雨庸と同じ目の色になってるんだな」
憑守が見えるトキ時は雨庸と黒骸を交互に見やった。さすがの雨庸も今自身の瞳を覗き込むトキ時を脅かして面白がろうとは思わないらしい、口をしっかりと閉じて大人しく見つめられている。
「そうです。色が変わるだけで特になにか能力が付加されるわけでもなくて、憑守が憑いていることの証みたいなものらしいです。視覚の共有とかができたら面白いんですけどね」
「
……それって完全に自分の意思で変えられるの?」
「基本的には己の意思で制御できます。でも、なんでしょう。人間も息をするのを忘れるだとか、瞬きを忘れるだとか、思わぬ衝撃で普段は無意識にできていることを忘れたりしますよね? あとはそう、少し違いますが、我を忘れるだとか」
「あるなあ」
「そういうはずみで出てしまうことはあります。どの感情でも極度までいくと条件としては出やすくなりますね。でも過去に羅乃目と実験したんですが、感情が振り切れて無意識に変わってしまうことはほとんど無いです」
「
……ほー」
良は西町通りでの火事を思い出している。そしてあの時見間違いだと思って流していた黒骸の赤い目は、実は見る者が見れば大騒ぎになっていた可能性を持っていたという事実に内心震えている。しかし黙っていることにした。あの時は火が映っていただけだ、今の今までそう思っていたし、誤魔化せる範囲の話。
「なあ、ちょっと気になってたんだけどさ、憑守ってたくさんいるのか? いわゆる、その
……獣の神は、ひとり、なんだろ?」
この流れならいけると踏んだのか、トキ時が言葉を選んで何重にも優しさで包んだ質問を投げてきた。要は伝え聞いている邪神は一体だけなのに、憑守という存在が既に目前に二体いることへの疑問である。そもそも邪神と憑守は同一視していいのかもトキ時たちには判断できない。
「それは本人から聞いた方がいいですかね。良さんにはトキ時さんから通訳してあげてください」
「ふむ、見えるからこその疑問だな。いい着眼点だ。結論から述べると、憑守は私と雨庸以外にも数多く存在する」
憑守とは。
紅族が信仰している邪神である獣の神が、自身の分霊を性質が似通っていて適合性の高い獣の魂に混ぜて作った神の一種である。これは自分を心から信仰してくれている紅族への愛情によるものらしく、大昔に少しずつ数の増えてきた紅族全員へ漏れなく自分の加護を授けんと生み出した存在らしい。憑守の性格や性質は、混ぜ合わせた獣側のものを受け継ぐ為にそれぞれ個性があり、獣の神であった固有の記憶自体は持っていない。紅族に憑いていない間は、あの世でも現世でもない狭間の世に存在していて、人間界へ干渉してくることはまず無い。誰にも憑いていない憑守は紅族の特殊な儀式でのみ短時間こちら側へ呼ぶことができ、人間でいうところの盆の時期に呼び出しては先祖の話を彼らから聞く習わしがあった。
「我々は義理堅い、過去に食らった魂の持ち主の生の記憶を決して忘れることはない。我々に魂を食われれば紅族は永遠になる」
「そしてわっちら紅族がいる限り、信仰によって獣の神も憑守もあり続けられる。人間はどっちも知らないと同じでやんしょ? お互いがお互いの永遠を担ってるでやんすよ」
「原点では異なっていたようだが、我々憑守が一体ずつ憑くようになってからは、我々の加護を持って紅族を健康で長生きさせる。に願いが一本化されている。健康で長生きすれば己で叶えられる願いも増えるだろうからな。まあその状態の魂が最も美味であることも多少は関係しているが」
「わっちらはね、元気で長生きして、魂食べてもらったら永遠になるんでやんすよ」
いいでしょう! と言わんばかりの満面の笑みに、人間ふたりはぎこちなさを隠して微笑み返すしか術がなかった。圧倒的な価値観の違いに、まだ整理ができていない。魂を食われることを自慢されているのだ。
「話が少々逸れて大きくなってしまいましたね。でもその永遠の円環を途絶えさせない為に、数は減りつつありましたが、子孫を残して繋いできたんです、俺たちの先祖は。忘れられなければ、死は訪れない」
紅族も元は人間である。しかし人間を踏み外したものたちの集まりである。いわゆる真っ当な人間には根本的な部分で相容れない思想と思考を持ち合わせていても不思議ではないのだ。
「
……軽い気持ちで聞いちゃいけない話、だったな。いい話、ぽいけど。うーん。俺には難しすぎる。とりあえず憑守はたくさんいるんだな。ここにはいないけど、うんうん」
「その獣の神は今なにやってんの? 後光背負って天命とか授けに来ないわけ?」
なんとか飲み込もうとするトキ時と、追加で質問をしてくる良。どちらもこの突拍子もない話題を放棄していない点をみれば誠意を持った拝聴者だ。
「そゆのはないでやんす。なんだっけ。誰にも憑いてない憑守をまとめて、狭間の世でのんびりしてるらしいでやんすよ」
「のんびりって、随分と呑気じゃん。可愛い紅族が滅びの一歩手前みたいなもんだろ? 今って」
「俺たちの先祖が一番初めに獣の神をこちらへ呼び出した際の儀式の方法が、実はもうわからないんです。ちなみに憑いていない憑守の呼び方も。なにも教えてもらっていないうちにふたりだけにされてしまって、何も残っていませんし
……それに獣の神は分霊を出しすぎていて、個体としては力が弱まっているんです。だからこちら側へ干渉できないのだと思います。俺たちに憑守を与える為に自身の力を削ぐだなんて、慈悲と愛情深い神ですよね」
「獣の神って魂食う代わりに願いを叶えてくれるっつー奴だよな? それはこっちに伝わってるので合ってる? 絶対条件が魂を食う、のわりに可愛いとこあるなって感じ。邪神扱いされてた自分を信仰してくれたから、嬉しくって優しくしちゃうーみたいなもんなのかな」
「き、聞いといてなんだけど俺には難しすぎた! とりあえず憑守が狭間の世ってところにたくさん居そうなのはわかった! ありがとう!」
自分に理解をするのはまだ早いと判断したトキ時が、元気よく話題を締め括った。まさか憑守がたくさんいるかどうかの質問で、ここまで発展した回答がくるとは思ってもみなかっただろう。少し同情する。だが遅かれ早かれ知る日は来ただろうし、共に生活をしていくうえで知る必要もあっただろう。
やはり人間と紅族は相容れない?
「ねえねえ、じゃあ死神はなにができるでやんすか?」
いつの間にか少々話の趣旨が変わってきている。種族云々ではなく、個人の特性把握大会に種目変更だ。
「俺? えーと墨彫れる、絵も描ける、頭もいい、顔もいい、喧嘩もすげー強い」良は羅乃目へ見せつけるように指を折り曲げていく。「あと、最高に床上手!」
──すぱんっ
「なにい。もー、トキちゃんはたかないでよ」
どうしようもない下世話な話を挟み込んできた良の後頭部をトキ時が軽くはたいたのだ。
「そういうの羅乃目の教育によくないだろ」
「だって事実だし、俺これで命の危機脱したことあるからな。芸は身を助けるってほんとにあんの。てか試したらわかるってば、俺どっちも大歓迎だから。トキ時にだって極楽見せてあげんのにさー、いい加減折れちゃえよ。折れるってか勃つっつーか、どう今夜? 溜まってない? 新しい道拓こ、優しくするよ。それかトキちゃんだったら俺が女役やってもいいし」
良は俗っぽい形にした手を口の前に持ってきて舌を出した。まあ、あれである、卑猥な所作。少なくとも白昼友人に対して取るものではない。是非ともご遠慮願いたい。
「黙れ黙れ! 俺は女の子が好きなんです〜! あと本当に教育に悪いからやめろお前。本当、駄目だからな、本当に」
人を指差すことを極力しないようにと努めているトキ時が、ずびっと良を指差す。指というより釘かもしれない。
「トキさん、わっち大人だから大丈夫でやんすよ。大人だから」
「
……それはそれで、なんか、うん。大人だな羅乃目」
羅乃目の「大丈夫」にどこまでの意味が内包されているかは定かではないが、そこまで過敏になる必要はないという申請には間違いない。トキ時がなんとなく居心地の悪そうな表情をしている。羅乃目の生きてきた年齢と、紅族族としての成熟年齢と、彼女の大人びているとは逆をいく性格の絶妙な均衡のなかで、どの程度の年齢相手だと想定していいのかはかりかねているらしい。ほんの刹那思考した結果「思春期、か
……」と小さく呟いて頷いた。
「でもあまり聞かせないでくださいね。酷い話をしている方の前では羅乃目の耳は俺が塞いでいるんですから」
「営業中に謎の行動取ってると思ったらそれだったのか
……まあ立地上ある程度は諦めてくれ。俺は受け流す達人になったぞ」
羅乃目は鼻ほどではないが耳も人間よりは少しいい。そんな耳を手のひらで優しく塞いだところでどれだけの音が遮断できているのかは定かではないが、形だけでも取りたい黒骸の気持ちはわからなくもない。
羅乃目が伊呂波で働き出した二日目に、羅乃目を私娼と勘違いした客が現れたことがある。即座にトキ時が間に入ってことなきを得たが、あのままでは下手をしなくても死人が出るところであった。とは言え一概に客が全て悪いとも言い切れない。なにせ西町の大半の飯屋や茶屋は、看板娘または息子を装った私娼が接客をし、気に入ってもらえればそのまま奥の間や二階でより深い接客を受けられる商いで銭を上乗せしているからだ。町の雰囲気に則れば、「仕事の手を広げた」と思われてもなんらおかしくはない。なんと言ってもこの店の後ろには色狂い
でも有名な北町の死神様がついているのだ。
「死神はトキさんのこと好きなんでやんすか?」
「そう、好きだよ、大好き。ああでも、あんな絡み方しといてなんだけど別に欲情するとかじゃないよ。親愛と友愛って感じ、唯一無二ではある。さっきのはお決まりの挨拶みたいなもんでさ、噺家の定番の一節みたいな感じ。お家芸?」
「俺たち親友だからな」
先ほどは虫でも見るかのような冷たい表情をしていたトキ時がころっと笑顔になって付け足してくる。本当に仲がいいからこそできる芸当なのだろう。誰に見せるわけでもないだろうに。
「へへ、そーなのよ。だからトキ時がその気になったらいつでも言って、喜んでお相手しちゃうから」
「誰がなるかそんな気に」
今度は無に近い顔になる。トキ時は表情豊かな様子だ。
「えーんふられちゃった」
良があえて笑いを誘うような泣き真似で一旦話を締め括った。ここまで含めて一連のお決まりの流れなのだろう。性格の全く異なる彼らが仲良くなる過程で、こういった茶番めいたやり取りが必要だったのかもしれない。
「
……話が少々戻りますが、人間は俺たちのことをほとんど知らない、というか分かっていないんですね。性質や特徴くらいは把握されていると思っていたのですが、どうやらなにも分からないみたいなので」
「確かにそうかも
……事実だから言っとくと、俺も、トキ時も、少なくともこの国の東側に住む人間の全てが、紅族は忌み嫌い差別し迫害するべき存在であるという教育を徹底的に擦り込まれてる。でもそもそも紅族と交流がない。少なくともこちら側からは断絶してた。独自に研究していた奴はいるかもしれないけどな。みんな特に理由も分からないまま、それが正しい、人間が正しいと思ってそれを徹底してきてる。悪いがガキの頃の俺も別に疑わなかった、よく分からないけどそういうもんなんだなって。今より遥かに馬鹿だったとはいえ、この俺までも。まあ俺たち人間側に伝わっている紅族の話がどこまで正しいのかも、正直なとこ確認のしようがないからな。確実に存在すると知りながら、どこか絵空事というか、他人事というか。現実味が無かった」
「
……」
「怒った? でもきっと、大多数はこの程度の認識しか持ってない
……確認したことないけど」
「そうだなあ。俺の認識もその程度だったことは白状するよ」
「知らないのに、ばかみたいでやんす」
「知ってる? 羅乃目、知らないってのは怖い。理解できないものは怖い」
「わっち怖い?」
「おひいは可愛いよ」
「わっち紅族の統領でやんすよ」
「もう知らない仲でもないし、俺は紅族の統領ってか、食事処伊呂波で働く俺の友だちとして羅乃目を見てるの」
「んー」
「俺が死神の親友じゃなくて、天河良の親友だって言ってるのと同じ感じかな」
「ふむ」
羅乃目の「ふむ」は、語尾の「む」が強調されていて少々不恰好だった。疑問符未満の空気の漏れを感じる。
「都合の悪い部分から目を逸らすっていう言い方じゃなくて、そこも丸っと含めて好きな方を受け取る、っていうのか?俺は良のことを北町の死神様だって知ってるし分かってるけど、俺が好きなのは良の中の良の部分というか。かといって死神の面を否定したい訳じゃなくてだな
……うーん」トキ時は目を閉じて顎に手を当てた。「
……まあそんな感じだ。悪い意味じゃないぞ、決して。俺も羅乃目は羅乃目だと思ってるし、黒は黒だと思ってる」
説明することを諦めたトキ時は、最終的に満面の笑顔で頷くという力技で締めくくった。
「人間が紅族にしてきた事は何ひとつ覆せない。かと言って人間を代表してふたりに謝ろうとも思わねえ。そんな簡単なことじゃねえし、俺自身がそんなタマじゃねえし、そもそもそんな上辺のやり取りは望んでないだろ? でも人間と紅族は歩み寄れないとしても、俺とトキ時と羅乃目と黒は、この先歩み寄れる可能性を秘めてるってわけ。なぜなら俺はふたりを紅族としてではなく、単なる友だちとして見てるから。まあさっきの話で価値観の違いにはちとビビったけど、知ることと理解することは別物だからな、正直俺としては種族の違いは瑣末な問題。トキ時もそうだろ?」
「おう、そうだな」
「だからさ、羅乃目のことも黒のことももっと教えてよ。俺が馬鹿な人間とはひと味違うってとこ、羅乃目に見せちゃう」良は軽い調子で左手をぱっと開いておどけてみせた。「ま。なにを最終目的として人間を見にきたのかは聞かねえけど、せっかく来たんだ、ちゃんと見て、しっかり焼き付けていきな」
「うん!」
羅乃目の瞳がまた輝いているように見える。
「てな訳で、俺んち見に来る?」
「なんかおひい小さくない? あ、下駄が違うのか」
「この前焼けちゃったから、トキさんと新しいの買いに行ったでやんすよ」
四人は連れ立って、良の長屋とは反対方向へ歩いている。きさき庵で買い物をしてから向かおうという段取りになったのだ。
羅乃目は黒骸と手を繋ぎ、その横をトキ時が歩き、良が二歩遅れ程度の距離をのんびり歩いている。羅乃目は先日の西町通りの火付け事件から、外出時に手を繋ぐ令が発令されていた。しかも今は、赤子が親の手を振り解けないような特殊な握り方で手を繋がれている。黒骸の手が大きいからこそできる対策だが、これは相当警戒されている、もう十七歳の大人が。
「羅乃目は下駄に注文が多くてさ、結局特注だから今は完成待ちなんだ。今のそれは店で一番安かったやつを繋ぎで履いてるんだ」
そう、羅乃目は朱い一本下駄ではなく、ありふれた女人用の下駄を履いてぴょこぴょこ歩いている。端切れを充てがっているのか鼻緒に赤系のちりめんが使われていて、一番安いとは思えない可愛らしい一足である。
「注文多いって、そんなことある? まあ一本下駄を常備してる店はそうないか」
「いや、羅乃目の下駄って重し入ってたらしいんだよ。木の間に鉄板とか鉛挟んだりして。だから同じ仕様にしてもらうってなると結構かかるんだ」
「重しぃ?」
なんでそんな物、と続きそうな語尾に羅乃目が歩きながら振り返る。
「軽いと、なんかふわふわしちゃうでやんす。あとわっち重いから、下駄も重くするとなんか紛れるでやんすよ」
つまり、見た目よりも遥かに重い羅乃目の体重を「下駄が重いから」と誤魔化す為に重しの入った物を履いているのだという。そして重い履き物に慣れてしまった羅乃目は、普通の履き物では軽すぎて普段より重心が上にあるような歩き方になってしまう、らしい。そんなことあるのか? という疑問はまあ心に留めていただこう。
「俺は驚いたよ、片方なんと一貫半(約五キログラム)。修行だとかなんか適当言って、注文するの大変だったんだぞ」
「なんつーか。誤魔化すのも大変なんだな」
「羅乃目の場合は特に見た目が華奢なので、違和感を感じられても言い訳できる余白を予め用意しておくことが大切なんです」
「ねえねえ、さくら饅頭買ってもいい?」
一応話題の中心だったはずの当人は、もうきさき庵でなにを買うかの思案に入っているらしい。下駄の話は終わりだ。
「いいぞ。他にも適当に買っていこうな」
「トキ時さんも、良さんの長屋へ行くのは初めてなんですよね?」
「そうなんだよ、トキ時ってば誘っても全然来てくれなくて。つれないよなー」
「馬鹿お前、北町だぞ? 目と鼻の先に住んでるけど、自らの意思であそこに行こうなんて普通は思えないからな? 怖いし怖いし、それから怖いし」
「俺が一緒にいれば大丈夫だってば」
「全然足りねえ! お前が俺に対して一方向にしか存在しない時点で守りが弱い! 甘い! 前後左右をしっかり固めてほしい!」
「なんで前後左右から一斉攻撃を仕掛けられる前提なの。俺にそんなことしてくる奴はそういねえよ? いても余裕だけど」
曰く付きの場所へ肝試しに行く若者のような理由で北町行きを二年間拒否し続けていたトキ時は、今日初めて良の長屋へ足を運ぶのだ。わざわざ遠回りして記念に甘味でも買おうという気持ちもわかる。
「今日はわっちらがいるから大丈夫でやんすよ」
通りの奥に目当てのきさき庵が見えてきた。持ち帰り専用の販売店舗と茶屋が二軒ならんだ立派な店構えである。今は茶屋の方が混雑している様子だ。
四人は視界にきさき庵を捉えながら、あと一息の道を歩いている。
「あらあらあらあらトキ時ちゃんじゃない。どうしたのお揃いで〜、お友達?」
大柄の人物が声を掛けてきた。柔らかい癖のある茶色の髪に、新橋色の着物を纏い、肩には中心から両端に向かって白から桃色へと色を変え端に金色の房のついた肩掛けを羽織り、優しげで上品な顔にはうっすらと化粧をしていることが伺える。身に纏っている物の特徴を並べれば間違いなく淑女だが、男も聞き惚れそうな落ち着きのある実にいい声で話しかけてきた。肩幅も胸板も広く厚い、つまりは男性である。
「お〜花ちゃん! こんな場所で会うとはな。こっちは羅乃目と黒骸、新しく入ったうちの住み込み従業員だ。ふたりはまだ花ちゃんに会ったことないもんな花ちゃんは花屋でな、店に飾ってある花の類いは全部お任せしてるんだ」
「あれそうなんだ! はじめまして! 羅乃目でやんす」
「黒骸です、どうぞお見知り置きを」
「こちらこそよろしくね。わたしのことは花ちゃんって呼んで。あらやだごめんなさいね、お近づきの印に一輪と思ったけど、今日はお仕事じゃないからなんにも持ってないの。そろそろお店の花の交換時期でしょう? 次はお土産を持って行くわ。大丈夫あっという間よ、すぐに伺うわ。それじゃあまた今度ね。死神さんも、それではご機嫌よう」
花ちゃんはこちらが相槌を打つ隙を与えぬ流れるような早口でひとり会話をまとめると、きゅっと目を細めて微笑み優雅に手を振りながら嵐の様に去っていった。
良には触れないので一瞬どきりとしたが、単に新顔ふたりの方へ興味が大きかっただけの様だ。最後に声をかけていく際もにこにこしていた。死神様と堅気の一般人との平均的な関係性を図るには、まだ観察できた対象が少なすぎる。
「花ちゃん、急いでたでやんすかね」
「いや、花ちゃんはいつもああいう話し方をするんだ。優しく上品に、でもこっちの相槌を挟ませない早口で。あとちょっと強引なところがある。笑顔で押してくるから俺はいつもつい高い方の花を買っちまうんだ」
「面白い方ですね。優しくて強引となると、トキ時さんに似ている
……」
「花ちゃんって、花屋だからでやんすか?」
「そうだ。本名は
五十嵐権左だったかな。花ちゃんは可愛いものが好きなんだ、自分の名前はどこで切っても可愛くないから嫌なんだってさ」
「ではきちんと花ちゃん、とお呼びしましょう」
きさき庵で十個入りのさくら饅頭と、団子を八本、それから奮発して季節の生菓子に大福。塩っけも欲しいとのことで別の店でおかきも買ってきた。
何故か分担せずに全てを羅乃目が大切そうに抱えて歩いている。黒骸としては手を繋げないので半分持ちたいのだが、さすがに好物を抱えたまま危険へ向かって走り出したりはしないと判断した。
もう伊呂波の前も通り過ぎて北町に入った辺りだ。心なしかトキ時の落ち着きがなくなり、良の横をぴたりとついて歩いている。
「死神のおうちどこ?」
「もうちょい。俺の長屋は町外れにあるから静かでいいよ」
北町に入る前、良から三人に町の歩き方の簡単な講義があった。
「俺がいるとはいえ、きょろきょろしないこと。あとは変にビビってる方が狙われるから堂々とすること。別に目が合った程度で殺し合いが始まることは
……んーそんなにないけど、ガン飛ばした云々で因縁つけてくる奴は少なくないから気をつけるように」
「そんなにないって、あるのか?! 目が合っただけで?! 誇張じゃないのかあの合言葉!」
「大丈夫大丈夫、なんかあっても俺がうまくまとめてやっから。物理的にぎゅっと丸めとくから」
「いいい暴力反対!!」
トキ時はそれを思い出しながら歩いているのだ。堂々としろと言われたので、なるべく背筋を伸ばして。きょろきょろしないで一点を見ているのもガン飛ばした云々に発展しそうで、トキ時は自分の足の先を見つめながら歩を進めている。それでもどうしたって落ち着きがないその背中を囲むように、羅乃目と黒骸が後方を歩いている。ふたりはなんてことない自然体に見えるし、羅乃目に関しては両手に抱えた甘味のことしか頭にない。
「おやあ? 死神じゃないか」
「ヒッ」
突然声をかけられたことに驚き、そのまま意味もなく相手に謝り倒しそうなトキ時の口を押さえて、良がいつもの口調で話出す。
「おうイタル。お前はー、仕事?」
イタルと呼ばれた男は不健康そうな細長い体躯となまっ白い肌と、一見女のようにも見える黒い艶やかな長い髪。腰には刃の部分に革を巻いたナタを無造作に下げていて、まだ一言しか聞いていないのに耳に残るねちっこい喋り方をする。
「そうだよぉ、三体あるから全部お迎えしていいんだって。助かるねえ。家族が増えるよ。お前のそれは友だちかい? いいねえ友だちは家族の次にいい。是非うちへお茶においで、おもてなししよう」
「そいつはいいな。でも今日は俺の部屋来るからまた今度な。お前も今から家族の迎えに行くんだろ?」
「おっと、そうなんだよ
……おやあ? どうしたんだい? うんうん」
イタルは突然懐に手を入れると、小ぶりな頭蓋骨を取り出して会話を始めた。妙に綺麗に手入れがされていて、かえって偽物に見えるくらいだが、おそらくは人間の子どもの物。
「おやあ、もうお腹が空いたのかい? これからお父さんは仕事だからねえ、すぐに終わらせて買い物をして帰ろう。お母さんがご飯を作ってくれるよ」
その後も少しだけ頭蓋骨相手に相槌を打って優しい表情で何度も頷く。
「うんうん。じゃあ、すまないね死神。俺はそろそろ失礼するよ」
「おう、またな」
イタルと別れて、何事もなかったかのように再び歩き出す四人。
「ままままままままま待て! 待て?! なん、え? 先ほどのお方は、その、ど、どどどのようなお方で?」
何事もないはずがないトキ時が小さな声で大騒ぎしている。気持ちは痛いほどわかる。彼の身の回りは最近色々なことが起きすぎていて情報量が多い。今のは大打撃と言える。これはもうなんだか可哀想の域に入った。
「あいつは
要イタル、同じ長屋の斜向かいの、もう一個隣に住んでる」
「ごっ、ご近所さん
……!」
「あいつは晒されてる首盗んできたり、その辺の死体から首だけ取ってきては名前をつけて家族ごっこしてる、ちょっとイカれたくそ野郎。仕事ってのはヤクザもんがこさえちまった死体の処理で、あいつが喜んで頭持ってくから身元隠してバラすのに便利なんだよ。まあでも安心しろって、生きてる人間には無害だ。自分で人を襲ったりしない。頭蓋骨で人形遊びしてる変わり者程度の認識で大丈夫」
「全然大丈夫じゃねえんだけど?! それではいそうですかってなると思ったか?! 怖えよ! 馬鹿か!」
トキ時の反論はもっともである。
ともあれこういった性質の隣人と生活していれば、価値観の違いに最初は驚きこそするが、それはそれ以上でもそれ以下でもない瑣末な問題だと割り切れるようになるのかもしれない。強要も共有もしてこないなら、なおさらだろう。
「家にお母さんいるでやんすか?」
「いいや、あいつは立派な独り身だよ。そういうのは全部頭蓋骨のこと指してんの。あいつの部屋、壁一面ぎっしり頭蓋骨が並んでて、それの全てに名前をつけてちゃんと識別してるらしい。俺にはわかんないけど。あいつとしては大家族なんだとさ」
「なかなか興味深い人間ですね。長屋は他にどのような?」
「毒と解毒薬を自分で作って飲んで死ぬぎりぎりを楽しむのが好きな奴と、飯と睡眠以外はずっと壁に数字を書いてる奴と、なんでも食うって噂の奴と」
「もういい! もういい! 俺はそんなに聞きたくない! 知り合う予定がないから! 大丈夫です!」
まだ続きが出てきそうではあったが、トキ時は首がもげそうなほど強く振りながら割って入ってきた。
「そう言うなって。ちなみに俺は角部屋だからお隣りさんはひとりなんだよ。そいつは酒好きな闇医者のじじいで、俺がガキの頃からの付き合い。このじじいは北町としてはかなりまともだから安心してよ」
「本当か?」
「ほんと。さーてここが俺の長屋。ようこそ」
騒いでいるうちに到着したらしい。建物の様式としては裏長屋である。店として機能しているとは到底思えない表店の横にある木戸を抜けて長屋へ入った。
「ここいら一帯はもう表店が機能してる長屋がないんだ。一応はそれぞれに大家がいて、表店で生活してるけどな。板塀も壊れてるし、木戸に鍵もかからねえ。昔はもう少し栄えてたらしいけど、今じゃあ形だけ残った北町でもかなり侘しい雰囲気の場所かな。静かでいいよ。確かにこの長屋は変な奴しかいないけど、これからでっかくなるぞ!みたいないきがった自己顕示欲の塊も、無差別殺人犯もいないから結構平和」
一番奥にある良の住まいを目指しながら手前の長屋の様子を伺うが、人がいるのかいないのか、確かに静かである。
「はーいあがってどうぞ」
適当に開け放った戸から土間へ入ると、なんと前方と右手にも部屋が見える。
「わ! ここ広いでやんす!」
「気付いちゃった? なんとここ、八畳二間の割長屋なんだなー。俺は基本的にここで彫り師の仕事してるから広い方が使い勝手がいいんだ。女の子連れ込む時も楽だし」
良の長屋は割長屋としてもかなり広い造りになっていて、入り口から右手にある部屋は二畳、襖で仕切れるので独立した部屋として使える。良はこちらで仕事をしているようだ。そして真正面にある部屋が六畳、こちらは普段の生活空間として利用しているらしい。奥にも土間があり、流しやかまどなどが並んでいる。
「お前いいところに住んでるんだなー」
先ほどまで町の雰囲気と隣人の恐怖に怯えていたトキ時が、安心して伸びのできる空間だ。見るからに年季の入った建物ではあるが、虫がいるだとか蜘蛛が巣をはっているだとか、そういった様子は見受けられない。客や異性を連れ込む場として、かなりこまめに掃除をしているのが伺える。
「いいっしょ! しかも立地が最悪だから破格の六百文! それでも空き部屋あるんだよ、行く当てなくなったら大家に口効いてやるからおいで。ま、あの大家すげー嫌いだけど」
けらけら笑っている良を横目に、羅乃目はせっせと買ってきた甘味を並べていた。
「良さん、お茶を淹れてもいいですか? 道具はどちらに?」
「なに、いーよいいよ座ってろって。あ、湯呑みの縁がどれもちょい欠けてるけど文句なしな」
良はいたずらっぽく笑うと奥の土間へ大股で向かう。
「なんだよ、湯呑みくらい買える稼ぎあるだろ?なんなら俺が買ってやろうか?」
「ちょっと、舐めてもらっちゃ困るよトキ時ぃ。湯呑みがちょい欠けくらいの方が隙ができていいんだって、計算のうち」
「そんなんで落とせる女いるかー?」
「落とさなくていい。あ、死神もこういうところ抜けてるんだなって思わせられたら勝ち。つーかここに来てる時点で落ちてんの。あと
挿入だけなんだから」
黒骸は流れるような動きで羅乃目の背後を取り、その両耳を優しく塞いでいる。当の羅乃目はなにも気にしていない様子で、並べた甘味をどの順番で食べようか何度も視線でなぞって作戦を練っている。この広さがあるとそれぞれかなり自由に過ごせるらしい。
「そうだ、せっかくだからじじいも呼ぶか。医者だからな、羅乃目と黒は普通の町医者にかかるよりもいいかも。紹介しとく」
言うが早いか、良は突然隣り合わせになっている壁を拳で軽快に殴りながら大きめの声を出し始めた。
「おーい! じじい! 茶ぁしばこうぜ! 酒持ってこいよ! おーい!」
残りの三人はなにが起きたのかと、視線が良に釘付けだ。
「じじいー! 聞こえてんだろ? 遊ぼうぜー! ダチ来たんだよ! 紹介するー!」
ごんごんと音を立てながら誘い文句を並べていく。
さて三回目、と良が息を吸い込んだ時。
「うるさい! 今いく!」と壁の向こうからくぐもった怒鳴り声が聞こえてきた。この声の主が噂の闇医者のじじいである。
「お。きたきた。もう来るから待ってて」
返事を受け取ったことに満足すると、良は湯を沸かすためにかまどへ火を入れた。盆の上には四つの湯呑みしか用意されていない。
「死神ぃ〜どうした急に! ダチだあ? どうせろくでもない奴じゃろうて!」
文句を言いながら不躾に戸と襖を開けて小柄な老人が現れた。長い白髪を一本にまとめ、髭は剃ってあるのか頬も顎もなめから、両手に酒瓶をそれぞれ抱えて、ひどい猫背で立っている。まとめた髪と剃られた髭のおかげか、着物はぼろだが清潔感がある老人だ。
「よう、じじい。ろくな奴しかいねえからその節穴かっぽじってよーく見ろよ」
「おお? なんじゃ黙って、自己紹介せんか」
「ひえーおっかねえ、そう焦るなよ。その人のよさそうな顔してるのがトキ時。何回も話題に出したろ? はいついにご対面〜。そんで可愛いのが羅乃目、うしろの大きいのが黒骸。はい覚えて」
「この朦朧じじいが一回で覚えられると思っとるんか?」ここでようやく畳に腰を下ろした老人は、左手で抱えていた瓶から酒をあおった。「ほれ、今度は自分で言ってみい。もう一回」
「んと、わっちが羅乃目でやんす」
「俺は黒骸です」
「俺がトキ時です。なにやら何度も話題に出してもらっていたみたいで。はじめまして」
老人は次に右手で持っていた酒瓶から酒をあおり、一息つきつつ三人の顔を見回した。するとトキ時の顔に覚えがあるのか、そこでしばらく停止してしまう。
「おい、じじいどうした? 昇天?」
「お前さん、キイチんとこの倅か?」
良と老人の声が重なる。
「えっ、いや
……その」
当のトキ時は即答できずにいる。
「いや倅にしては若すぎるな、孫か。お前さん孫か」
「ああ! あの、俺は養子なんです。引き取ってもらった時、先代は既に高齢でした」
「ほーそうかそうか、わしは
稲垣儀三郎という。キイチの飯屋には昔通っててな、あーまだお前さんがくそがきの頃だな。あいつとは喧嘩別れしてそれきり何年も会っとらんかったが、噂じゃおっ死んじまったそうじゃな」
「はい。二年前に急逝しました」
「そうか。最期くらいは会いに行ってやりたかったもんだ」
「なに、知ってた? てか店の名前何度か出してるんだけどそこで気付くっしょ」
この真面目そうな会話の後ろで、羅乃目がさくら饅頭に手を伸ばしている。飽きてしまったのか、お腹が減ってしまったのか。羅神がじっとりとした目つきで凝視している。
「わしは店の名前なんぞ把握して通っとらんかったからな。そうかそうか、大きくなったな坊主。顔が全然変わっとらん」
「あはは。すみません、俺は覚えていなくて。あの、よかったら先代の墓参り一緒に行きましょう。きっと喜ぶと思います」
ここでまたひとつ物語が紡がれようとしているその刹那、このあたたかい空気感をぶち壊す声が割り込んできた。
「花びら三枚!」
羅乃目がさくら饅頭の結果発表している。
「ほら見て黒」
「羅乃目、もっと小さい声で」
思いの外響いてしまった元気な声に慌てて、黒骸が唇の前に人差し指を当てる。時既に遅し。
「っくくくく! いいじゃんいいじゃん、せっかくたくさん買ってきたんだから食おう。茶も入ったよ。積もる話にも茶と甘味がいるだろ」
堪えきれない笑いを漏らしながら、良は盆に湯呑みを四つ並べて持ってきた。儀三郎が酒しか飲まないのを知っているから四つのままにしていたらしい。
「なんじゃ、甘味だらけか! 酒のあてがないのう」
「じじい、おかきがあるよ。それになにがあてでも酒飲むでしょ」
「トキさんそれ花びら何枚?」
「俺のは花びら一枚だな」
「羅乃目、大福も美味しいよ」
「食べる!」
「なんじゃ、わしも団子食いたいのう」
「いいでやんすよ、取ってあげる」
「年なんだから喉詰まらせるなよ? 医者がださい死に方すんなよな」
「あの、先代の話なにか覚えていますか? よかったら聞きたいんですけど」
「そうさな〜もう昔の話だからのう。それにあいつ無口だったろう」
「そうなんですよ、優しかったけどとても無口で」
「あ。お茶美味しいですね」
「なに、気付いた? 甘いもんだらけだから少し濃いめに淹れたんだ」
「狙い通りです、よく合います」
「ねえ死神それ花びら何枚?」
「へ? 見てなかった」
「え
……」
「え、え、なになに。ごめんて。なに」
各々好き勝手に話して食べている最中、あんなに幸せそうにしていた羅乃目がこの世の終わりのような表情になっている。今なら瞳の色が勝手に変わってしまうかもしれない。
「なに
……? 怖、どしたのおひい」
良の問いに答えることなく、羅乃目は黒骸の膝へゆっくりと飛び込んで丸くなった。静かに、静かに沈み込む。
──チラッ
恨めしそうな拗ねた顔でちらりと見上げて、また顔を伏せた。
「なになになになに! ごめんて! 理由もわからず謝ってるのにもごめんて!」
「あの、羅乃目はさくら饅頭の焼印の種類が知りたかったんです。満開がもしかしたらあるかもって。羅乃目の運のよさをもってしてもまだ出会えてないんです」
膝の上で丸まったまま、その通りだといわんばかりに頷いている。
「ええ? 焼印
……三枚だった、と思うけど」
「だったと思うじゃだめでやんす! ばか!」
「羅乃目それは言いすぎ、だめだよ、謝って」
「ごめんてば。次からはちゃんと見るよ」
「なんじゃ死神、その娘はお前を持ってしても手玉に取れぬか。ほーさては好きか、ほの字か」
「ちょ、本当にこじれるからやめてー? じじい一回黙って?」
「すみません、羅乃目は俺のです」
「ほらーもう変な感じになるー」
どんどんとっ散らかっていく会。それでもなんだか妙に微笑ましさを感じずにはいられない。
輪に入らず、眉毛を下げながらやり取りを見ていたトキ時は、「俺、結構楽しくやってるよ」と口の中で唱えると、濃いめのお茶を啜った。
*
実に模範的で美しい「点」。
しかし、だがしかし、ただの点が打たれたに過ぎない。相互の理解を深めつつ、整理しつつ、同じ時間を笑って過ごすという点が。
しかし、だがしかし、それだけではあるがそれ以下でもない。この日というものは点が打たれた時点で確定し、不変となる。それはいつの日か語られる思い出になるかもしれないし、忘れ難い大切な日になる可能性も十二分に秘めている。
消せない耐え難い苦しみと悲しみの点をこれでもかと抱えて、幸せの点と点を繋いでいけば、なにか模様が描けるかもしれない。四人もいればなおのこと。
日常とは、かくも尊い。
次話