彌夜
2025-01-12 13:53:21
5969文字
Public 景丹
 

心配性なはたたがみ

いんてお疲れ様でしたの気持ちで掲載な景丹🦁🍁です。🦁出てこないけれど🦁🍁です。
特定の条件下、捏造沢山なので、注意事項をよくご確認の上大丈夫な方のみお楽しみ頂けましたら幸いです。おんぱろす楽しみ…!








激しい稲光に震える窓硝子。叩きつける驟雨は、大粒の真珠の首飾りを引き千切ったよう。どんより立ち込める暗雲の隙間から、星雲の煌めきは見えず、遠くで嘶く雷獣の眼光が時折獲物を狙うばかり。
降車予定の惑星へ発した緊急避難信号も途切れ途切れで、中空域での待機を余儀なくされた列車内は薄暗い。辛うじて非常電源は生きているが、天井を泳ぐ鯨のシャンデリアは文字通り飾りと化している。雷霆を避ける為主電源を落としているのだ。列車全体へ防護壁を張っても、莫大なエネルギーの塊という天意は容易く人間の予想を超えてくる。不測の事態に備え姫子と車掌はエンジン室へ消えていった。外装の破損の有無を見て回ったヴェルトは、扉の横に用意しておいたタオルでざっと全身を拭きひと心地吐く。幸い展開した重力防壁はきちんと機能している。

(明日にはこの荒天も落ち着くだろう。風邪をひかないよう、温かい茶でも飲むか)

眼鏡のレンズも拭きながら、給湯室へ行こうと思いつく。保水瓶には沸騰したお湯が保温されている筈だ。そう結論付け暗闇を二歩、三歩進んだ所で立ち止まった。
其処は普段深海から立ち昇る泡めいた機械音が絶えぬアーカイブ室。だが、必要最低限しか賄っていない今、中からは物音一つしない。
それがヴェルトには気にかかった。

(あの子は籠もりきりだが、大丈夫だろうか)

案じるのは少し前乗客に招かれた黒髪の青年。オペレーターの誘いで護衛兼記録員に任じられた寡黙な彼だが、次に降りる星の資料を読んだ瞬間、微かに柳眉を寄せたのをヴェルトは目にした。古国の息吹を継ぐ艦隊に深く影響された文化を花開かせる惑星。何処か丹恒が纏う羽織りと似た雰囲気の、神州を思い出させる世界。だが懐かしむでもなく拒否反応のように、居残りを宣言してなおいつもより魘され、長い永い夜を丹恒は独り明かしていたのだ。
倒れそうな顔色の悪さをパムから叱られ、無理矢理休ませてすぐ列車は不本意な係留を食らった。端末へメッセージを送っておいたが未読のまま。対応に追われ後回しにしてしまったが、落ち着いて様子を見る余裕がやっとできた。

(起きてこないということは、それほど具合が悪いのだろうか。深く眠り気付かなかったならそれでもいい。体調を窺って、目を醒ませば胃に優しいものを口に入れさせよう)

冷静で涼しげな見目に騙されがちだが、意外と丹恒が自分自身に対しては面倒くさがりなのを乗員はすっかり把握している。合理的というべきか。だが手塩にかけねばひっそり息を引き取る弱さなどないのに、不思議と構いたくなってしまう隙を持つ。実は世話焼きな本人の意には沿ぐわぬだろうが、人を惹きつけずにはいられない性質なのだ。月の引力めいた魔性。他者を平伏させ、奉仕するのが至上の歓びと思わせる、不可侵で神秘的な魅力。滅多に表出させないその威の片鱗を初めて見た時は、律者かとも驚いた。だが共に過ごすにつれ世界規模の酸いも甘いも噛み分け、一児の父であるヴェルトにとって、丹恒もまた単なる愛すべき迷い子でしかなくなったのだ。

どんなに孤高なしっかり者でも、子供は大事にされてしかるべきである。

パムははたして彼が好む茶を取り寄せてあっただろうか。消化に良くて、甘さ控えめな菓子はどこにしまっただろうか。つらつら思考を回しながら扉をノック。予想していたが応答は無い。轟音に負けぬ声量で名乗るも、恥ずかしがり屋な二枚貝のような沈黙だけが戻る。

「丹恒、ヴェルトだが。体調はどうだ?」

手動開閉に切り替わった鋼は存外軽かった。潜り込んだ手前側の書斎に人影は見えない。雑然と散らばる電子記録媒体や、開きっぱなしな古めかしい文献、書きかけのメモ用紙。目を盗み、こっそり作業していた形跡だ。
やはり大人しく休んでいなかったか。
アーカイブの管理を任せたのは良かったが、不調を押してまでやる必要はないとまた窘めないとな、と。眉間を揉みつつ上段を遮る仕切りの向こうへ上がる。厳めしい機器にばかり囲まれてはいるが、此処が丹恒の巣だ。足元は私物を置きたがらない青年が珍しく請い願った海を投影する床。ゆらゆらり揺らめく美しい青は海月の気持ちを垣間見える。寒くないかと車掌の心配をよそに、変更してから不眠気味な彼も少しだけ眠る時間が増えた気がする擬似的な海の底を、息を止めてヴェルトは覗き込んだ。

探しびとは瞼を閉じていた。

普段着のまま、いつでも手放せる薄くて適当なブランケットに小さく丸まる姿は痛々しい。自分を守ろうとする体勢だからだろうか。水から上がったばかりの人魚めいて、幾筋か髪の貼り付く青褪めて白い横顔に、紅い瞼譜ばかりが色鮮やか。静かに傍らへ膝をついても長い睫毛はぐったり重く、危機管理に優れる彼らしくもなく跳ね起きない。酷く消耗しているのだろう。細い寝息も不規則だ。
比較的安全な列車内でもこうまで彼を追い詰めるものの正体をヴェルト達は知らない。だが、ひとりきりでいるのを放ってなんておけないのだ。もう自分達は家族同然なのだから。

(秘める理由を話さなくて良い。だがな、受け入れた以上君が苦しんでいるのに、手出ししないまま見守るのは難しいな)

布団の外へ投げ出された片手。今にも槍を振り回さんと強ばる掌を、包み込もうとして。




バシ、ドオォォン!!!




耳鳴りを伴う不自然な空隙。盲いた真白の暗闇。疑問を呼び起こす一拍をおき、至近距離で神鳴りが直撃した。つい先程までは離れていたのに。


まるでこの子に触るなと警告するよう。


「!?」

偶然にしては妙なタイミングだ。まだ空気が帯電し、びりびり皮膚が痺れる気がする。咄嗟に庇った丹恒の意識が戻らぬのを確認し、窓辺へ視線を走らせたヴェルトは、ごくりと固い唾を呑み込んだ。
丈夫な外壁は焦げたり変形していない。警報が響かない以上、動力も無事だろう。けれど窓越しに感じる不可視な獣の息遣い。爪牙を硝子へかけ、今にも突き破ろうとする気配がヴェルトを狙っているのを、まざまざ感じるのだ。
プラズマが激しく紫電を這わせる。低い鳴き声。きしきし軋む強化ガラスへ、一段と激しく咆哮のようにぶつかる雨滴。

(データではこの惑星で該当する生き物はいなかったはずだが外来種の襲撃?いや、違う。それなら無差別に襲ってくる。だがこれは。明らかに、俺達を認識しているな)

開拓の力に反応したなら、心臓部であるエンジンルームへ現れるだろう。だが相手は資料室が面する空域を離れるつもりはないようだ。
獰猛な唸りが耳を劈く。

(列車へ侵入させる訳にはいかない。それに具合が悪い丹恒から引き離さないとな。非常ハッチを開いて飛び出せば、俺に標的を変えるか?)

仕込み杖を突きつけ、視線は外さずじりじり壁際へと移動。鋭い眼光が追ってくる。しかし依然として相手の気配は揺るがぬまま。まるで主人の傍から離れぬ忠犬とばかりに、明滅する稲妻で象られた獣は眠る青年の前から動こうとしないのだ。構えを解かぬままヴェルトは疑念を深める。攻撃的で理性を持たぬ野生動物と思っていたが、雷公の猟犬はヴェルトが丹恒から距離を取るほど落ち着いていくように見えた。
どうしてだろう。
それは、我が子を守ろうとする母犬とそっくりだった。

(丹恒への害意はない?いや、だとしても目的がわからない以上、気を緩めてはならないぞ)

困惑で滑り落ちそうなエデンの星を握り直す。眼鏡越しにも眩しく燐光帯びる獣は座り込み、ヴェルトを注視しているようだ。得体のし知れなさで額にじわりと冷たい汗が滲む。
一触即発な一人と一匹の均衡を崩したのは、ぴくりともせずにいた青年だ。

………

掠れた喉。眠りの水底から浮かぶのを拒んで、ぐずる無防備な仕草。思わず見守るヴェルトと雷獣をよそに、しぶしぶといった風情でくすんだ碧翡翠が開かれた。熱があるのか。潤んで焦点が合わぬ瞳を束の間彷徨わせ、紫電の閃きを捉えた彼は控えめに微笑んだ。暴風雨は止んでいない。けれど止めどなく荒れ狂う落雷に青年は怯えておらず。寧ろ轟く稲光へ安堵してさえいるのか、普段の鉄面皮を脱ぎ捨て、感情が分かりやすい。
それは初めて見るはにかみだ。

、げ………

唄うように囁くのは誰かの名前。
愛しくて堪らないと蕩ける旋律は、途切れ途切れで、ヴェルトにはしっかりと聞き取れない。けれど獣の耳と思わしき位置がぴくりと動き、ぱちぱち発光する尻尾がはたり、はたり振られるのが不思議とわかった。青年の目醒めを喜ぶように。お行儀良く鎮座する獣はすっかり牙を抜かれ、彼等を隔てる透明な壁へ鼻面を押し付けているのだろう。白く煙っては元に戻る硝子越しに、淡く青がかった金色の猫科の瞳孔で、慈しみ深く丹恒を見下ろす。
いつかの日。誰かが注いだ愛を模倣して。


ぶ、だ。………げ、ん」

心配しないでくれ、と。はたたがみへ伸ばそうとする指先が不意に力を失った。墜落する蝶の翅じみたその片手を今度こそ受け止め握ると、向けるべき相手が違うのに気付かぬ慕わしげな眼差しがぼんやりヴェルトを仰ぎ、恋に似たうわ言で乾いた唇が濡れる。漏れるのは今を過去とを混濁する途切れがちな睦言。

本当は、聞いてはいけなかったのだろう。
凛とした青年が普段意識下へ沈める本音。病魔に剥がされた最も純粋で、脆くて、玻璃に似た心の支え。彼の流浪の始まりに食い込む声を。

罪悪感で傷む心臓をひた隠し、熱に病んだこどもの幻を破るまいと、黙したままヴェルトは筋張る手の甲を親指で擦った。くすぐったさにくるる、と上機嫌に鳴く青年の喉。慣れた様子にますます意図せぬ代役の荷が重くなる。
彼と彼を愛した見知らぬ誰かの時間は確かにあって、でも今は独りきり。逃げるように旅を続ける丹恒は未知の世界を歓迎している。けれど。手放したと思った筈の慕情で、無自覚に傷ついたりしないのだろうか。故郷で何人もすれ違った人々の結末を見届けてきたからこそ余計に、星を追って背を預け合う家族として、拠り辺の止まり木でありたいとヴェルトは希う。
もし古傷と対峙する日が来ても、この子が自分で進む道を迷わず選ぶ為に。

(だが離れていても、不変の心があるのだと獣は教え給うているようだ)

たとえば君を護りたい、とか。

雷獣はもうヴェルトが丹恒に触れていても威嚇しない。認められたのか、刃を翳す存在ではないと。がっしりした前肢同士を交差させる生き物の大柄な体躯を成す電流は徐々に薄れ、時を同じくして雨も勢いを弱めていく。つられるように冷たかった顔へ生気が戻る。枯れかけた青年のいのちを守る役目は終えたとばかりに、くぅん、と一声鳴いて雷獣も消えてゆく。
輪郭を空に溶かすあやかしを見送るヴェルトの袖が、くいっと、遠慮がちに摘まれた。視線を戻すと、揺るぎなく絶対の信頼で満ちる眼差しに胸を衝かれる。眷恋潤む瞳の奥を覗き込むことはできない。
だから肘を支えに僅かに上体を起こした彼の、ハイネックで隠れたうなじ。目映い陽の光に照らされたがり、大きな掌の温もりを求めるように、自らゆるりと長い髪を搔き上げ、晒されるほっそり伸びやかな首筋の白さを、望まれるまま愛撫したりなど出来ないのだ。
あえかな媚態はきっと嘗ての二人だけの合図。短く断ち切られた黒髪が、長く伸ばされていたかもしれない過去の優しい情景だろう。

盗み見てしまった後ろめたさに臍を噛む。

すまない。君が心許した誰かはいない。俺に叶えられるのはせめて、安らげる巣を編み、暗い夜に寄り添って焚き火を囲むこと)

この手はあったかもしれない流れる長い髪の幻想を、捧げられる細いうなじを辿るべきではない。それはたったひとりの為のもの。ヴェルトが遠い世界へ残したひとを信じるように、丹恒の生を祈り続ける敬虔な誰かだけの権利だ。
心苦しさを堪えて青年に毛布を被せる。そのまま横たわらせ、布の上からぽん、ぽん、と規則的に寝かしつけ。人違いの疑念を抱く暇もなく、意識を朦朧とさせる彼は再び微睡みに浸る。その身を蝕む高熱は大分下がったが、体温が低い青年には命取りだったのだろう。
しかし、もう大丈夫だ。雷雨が病魔も連れて行ってくれたから。
布のたわみから漏れる呼吸は穏やか。床で波打つ蒼を揺りかごに、地上の日差しを夢見る真珠貝めいた寝息が繰り返される。
そっと立ち上がりながらヴェルトはまじないを口にした。

おやすみ、丹恒。また明日」

目覚めたらいつも通り剛毅で無口な護衛となるだろう。醜態を曝したと嘆かぬよう、今のやりとりは忘れてくれるのを願うばかり。
これは一睡の泡沫、嵐が運んだまぼろしだ。
窓から空の果てが薄っすら黎明に明るむのを臨む。雨上がり独特の塵が洗い流された清澄な空気。遠くでぷつり、と主電源が回復し回路の起動音がした。動力部ではナビゲーターと車掌が快哉を上げていることだろう。二人と合流し、丹恒の体調や今後の事を打ち合わせねば。やるべき仕事は多くある。
可愛いこどもの眠りを守る資料室に鍵をかけ、秘密を一粒抱えて足早にヴェルトは立ち去った。



眼鏡の男性が出ていった後。
もぞり、と戦い慣れて硬いてのひらが、ゆるゆるシーツの表面を滑った。
ぱたぱた、ぱたり。
眠気で緩慢に、でも諦め悪く何かを捜し求める所作。やがて床と布団の間へ下敷きとした紙束を探り当てる。紙面を愛しげに擦り、しなやかな五指は動きを止めた。
満足気な溜め息。そう間を置かず、安らかなだけの呼吸が機械音へ融けてゆく。
とある船団の演習風景と、それを俯瞰する銀髪の男を写した小さな写真付きの記事は開いたままで。