あさかわ
2025-01-05 22:25:52
20352文字
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還流と撚糸【前編】

本編後体が戻ったり妻が還ってたりする父たちがバディで怪異に突っ込んでいく事件物です。今回は観光船サスペンスです。
全文はリンクよりpixivに飛んでください。

全編はこちら(pixiv)

 ぬう、となまっ白い手が水木に伸びた。座敷牢の中から格子をくぐって現れた幽霊みたいに白い指。人差し指と中指の間に火の付いた煙草を挟みちょいと手招きする。着物の袖口から覗く白の襦袢と比べても肌が白い。髪も真っ白な男の姿は暗がりにぼんやりと浮かんでいるようだった。
「一本どうじゃ」
 水木は格子を挟んで反対側へ胡座をかいて座った。格子にもたれかかり、水木の見慣れた男から煙草を受け取る。吸い慣れた煙草の味と匂いに緊張がわずかに緩んだ。
「そちらの首尾はどうじゃ」
 座敷牢の中からマッチを擦る音が聞こえた。男の方も一服しているらしい。ふっと紫煙を吐き出す音が水木の耳に届く。
「どうにかこうにか。まあ、危ういが堪えている。なあ、」
「名前を呼んではならぬ。まだ繋がりが曖昧ゆえ、混ざるぞ」
「そりゃ困る」
 水木は片眉を上げ煙草に口を付けた。煙を吸うごとに波音にやられていた神経が正しい方向に整えられていく気がする。
「そっちの状況は?」
「行き来するための手筈を整えておる。船から錨を下ろしそちら側に付ける」
「じゃあ俺はここで待っていればいいんだな」
 男が金属製の灰皿の上で灰を落とす。気が付くと水木の足元にも同じものがあり、ありがたく使わせて貰う。
「そうじゃ、繋がりはすでにある。それを撚り合わせて行き来に耐えるだけの強さを保つまで、あと少し」
 男の声が少しこわばっている。いつも飄々としているくせに、情にもろい。震える声で水木は危うい状況に置かれていると告げるようなものだ。
「こっちに来るときは狼煙が目印になるはずだ。俺は対岸の島からそれを眺めている。お前の御高説が心底痛み入る日が来るとはなあ」
 怪異を調査すると妖怪や人ならざるものの扱いについてゲゲ郎はよく語っていた。
「聞き流さないで良かったじゃろう。儂も交渉なんぞ自分でするものでもなし。お主の小言は話半分じゃったが、一応聞いておった」
「役に立ったようだな」
 水木の口からからかうような声が出た。
「必ず迎えに行く」
「約束か?」
「ああ」
 幽霊みたいな男がそう言った。その男は人間と違って約束は必ず守るのだ。
「また後でな」
 男の頭がこくりと動いた。水木が最後の一口を吸い切り煙草を灰皿に押し付ける。瞬きの間に座敷牢は消え失せ、元の波打ち際に戻っていた。煙草は手元になく、眼前には一筋たなびく狼煙と島。
 潮騒が耳に入り込む。途端に目眩がして水木は腕時計を握り締めた。わずかに感じる秒針の動きに縋るようにして、迎えを待つ。

 ざ、ざざ、どぷん、ぎぎ、ぎぎぎ。

 寄せては返す波音と混じってはいけない何かから気を逸らす。

 がり、ぎぎ、ざざ、ずり、ずりずり、どぷん。



 棺を用意する余裕はなかった。
 毛布に包んでバラストや鎖を付けて、後部甲板から海へ投げ入れた。海水混じりの汗を拭い、せめて引きずらぬようにと心がけたがままならず、バラストが甲板を擦ってガリガリ音を立てた。
 船内は海水の塩っぽさに混じる饐えた臭いが鼻に付くが、それ以上に強い死の臭いがした。引き揚げた兵士たちはみな疲れ切った顔をして、包帯を巻いて呻くもの。神経質に手足をさするもの。ぜいぜいと息を吐く男の呼気は石炭の燃えカスのようにべったりした死が臭ってくる。背筋の後ろにぴたりと張り付く死の気配。炸裂する機雷の爆風に身体がなぶられ吹き飛んだあの日からずっと背中に張り付いて離れない。
 船は彼らの故郷に向かって走っていく。苦難の果ての故郷を夢見てバタバタと死んでいく。魚雷や機雷でやられた船から投げ出されプカプカ事切れた身体が浮くのと、終わった戦争から逃れられずこと切れるのと、どちらも地獄に変わりない。
 毎日毎日毎日毛布を巻いては息絶えた体を海へ投げ入れる。
 棺を用意する余裕はなかった。