つきのせ さぶろく
2025-01-03 11:27:19
2066文字
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シュガー・アウトサイド

【自陣SS】かいまほ自陣のハグSS かいぶつたちとマホラカルトの微ネタバレあり【ネタバレ有り】


 眠たい目をこすりながら、霖は薄れゆく夢の残り香を反芻していた。夢に現れたその5文字の言葉は、いくら本を読んだところで実感できないものだ。
 晴れた空がカーテンからのぞいている。隙間から冷気が漂っていて、足裏で触れたフローリングは冷え切っていた。指先から熱は奪われて、つま先に痛みさえ覚える。それでも、舌先に残る言葉の甘さは忘れられない。裸足のまま廊下へ出る。今の拠点はそれなりに広いウィークリーマンションで、4人分の個室だってあるくらいだ。玄関に取り残されたふわふわのスリッパを迎えにいく途中で、赤髪とスウェットの後ろ姿が見えた。
「だいちゃん、おーはよ」
 ぎゅっと後ろから橙に抱きついて顔を埋めれば、薄れた柔軟剤の匂いが鼻先を掠める。抱きつかれた彼は少し振り返って瞬きをしている。2人の足音が止まる。
……おはよ、ナガ」
「うむー」
 顔は埋めたままで、霖は彼に抱きつく腕の力を強めたり弱めたり。大きなクマのぬいぐるみを何度も抱き直すのと同じように、何度も何度も抱き心地を噛み締める。幾分か高い橙の体温がじわじわと霖にも移ってきて、寒い朝を忘れさせようとする。
「どうしたの」
「あのねぇ、だいすきーって話なの」
「なに?」
「ぎゅーはだいすきーってことでしょ?」
「うん」
「ぼくだいちゃんだいすきー」
「んー……
 まだ眠たそうな顔が、振り向きざまに霖のほうを見下ろしている。かと思えば、体を捻るように向かい合わせになって柔く抱きしめ返してきた。
……まだ、ねむい」
「ねむいねぇ」
 もう一回寝ちゃおっかと囁けば、小さく頷きだけが返ってくる。かく言う霖もまだ眠たいのが事実で、このままスリッパなんて忘れて二度寝してしまおうかと、動きの緩やかな思考に身を任せようとしていた。しかし、それを止めたのはまた違う1人分の気配だ。
「2人ともどうしたの、まだ出発時間やないよ?」
 ゆったりと現れたのは魔女──真間八葉だ。その慈愛の眼差しは、薄暗い玄関先にいた二人を映している。
……ママ」
「ママだぁ、おはよー」
「おはよう。なんや2人してくっついて、お部屋寒かった?」
「んーん。これはねえ、だいすきのぎゅーだよ」
「あらまあ……
「ぼくねえ、ママもだいすきー」
 橙の腕の中からするりと抜け出して、霖は八葉にも顔を埋めた。今度は柔らかいぬいぐるみを思い切り抱きしめる子供のように。
「あらあら、今日はいっそう甘えんぼさんなんやねえ」
 八葉の手が頭を撫でると、霖は満足そうに目を細めた。『大好き』はパンケーキの上に滴るメープルシロップである。パンケーキは美味しくて、メープルシロップでもっと美味しい。だから、みんなといると楽しくて、ハグをすればもっと嬉しい。温かいパンケーキの上でくたりととろけるバターのことも、霖は瞼の裏で思い出していた。
「あれ、みんな何してんの?」
 眠い目を擦ってまた一人。気高き狼を思わせる銀糸が、廊下に溢れ始めた朝焼けの光を反射していた。
「ジュンちゃんだあ、おはよー」
「はいおはよう。ていうか何? 密会?」
「ぎゅーだよ、だいすきーのぎゅ!」
 とたとた軽い音と共に、天使の抱擁がジュンを襲った。長い金糸が靡くと光の当たらない場所すら照らされたような錯覚に陥ってしまう。
「えー、と、これもしかして後から訴えられるやつかな」
「そういう心づもりがあるなら今からでもうちが通報するけど」
「勘弁してください」
「ぼくジュンちゃんもだいすき!」
 くったくない霖の笑顔に対して、固まったジュンの手は肩に触れるに留まっていた。
「そりゃあどうも。ナガちゃん急にどうしたの」
「んー、なんかね、はちみつみたいな夢みたの!」
「はちみつ?」
「そ! はちみつ、甘くてあったかいねえって」
 ジュンは言葉でそうだねと肯定してみたが、口は完全な嘘をつけなかったらしく語尾がゆっくりと跳ねた。今に始まった事ではないが、時たま現れる理解不能な瞬間は霖が天使ゆえのものなのか。それを理解している者はきっとこの中にはいない。
「はちみつはだいすきと一緒かなって、でもちょっと違うなあ」
 大人2人の視線が合わさる。完全な理解はできなくとも、部分的な共感は努力すれば触れることができる。
「ぼくね、だいちゃんもママもジュンちゃんも、みーんなだいすき!」
 どこまでが夢で、どこからが現実かはわからない。記憶は現実かもしれないが、思い出という名前になると夢のような気がしてくる。少なくとも、短すぎる約20年分の時間は記憶にも思い出にも当てはまらない。今までの時間はこの体に追いつくことができていなかったのだ。しかし、天使の羽はもう削がれた。これからは全てが同じスピードであるはずだ。そうであるはずだと、霖は密かに願っている。