もちこ
2022-02-11 18:35:43
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This is 幸せ【隠岐】

昼寝、ゲーム、お泊まり。




 穏やかな時間が幕を閉じて、また新しい穏やかな時間の幕が開く。
 お風呂に入ったり髪の毛を乾かしたり、それぞれ身支度を終えた私達はベッドの端に並んで腰掛けた。彼も私も普段ならもっと柔らかい羽みたいにふわふわ笑うはずなのに、緊張した面持ちで顔を合わせる。

「よし、腹括りや」
、ぁい」

 いつもなら絶対揶揄われるような情けない返事に今日はツッコミが入らなかった。膝の上で握りしめた拳に孝二の長い指がそっと触れる。おい何だこの空気。無理、耐えられない。

「こ、孝二、」
「どしたん?」
ちょっと緊張してる。から、緊張ほぐれるまで手繋いでてもいい?」
「うん。勿論ええよ」

 孝二の表情が少し解けて薄く微笑む。彼のことよく知ってるはずなのに、人一倍強い私の羞恥心が邪魔をしてなかなか腹を括らせない。

「あのさ大阪環状線の駅名言うゲームしよ」
マジで?今やんの?」
「だめ?」
「勿論ええよ」

 何でも言うことを聞いてくれる孝二くんが「大阪」と答えてゲームをスタートさせた。好きになったのがこの人で本当に良かったと思う瞬間。

「新今宮」
「順番とかいう概念ないんや。今宮」
「弁天町」
「どういうチョイスで?西九条」
「天王寺」
「わかった。自分、かっこ良さげな駅名から言うてるやろ」
「うん。だから西九条は私が言いたかった」

 これからプチ流行する予定の謎ゲームは見事に気まずい雰囲気を壊してくれた。別に楽しむつもりで始めたわけではなかったけど、彼がいちいち反応してくれるから気分が良くなる。

「もっと別のゲームせん?」
「いいよ。何する?」
「宝くじ当たった時の妄想とか」

 しょぼい提案に嫌な顔ひとつせずに乗っかってくれて、こちらが飽きても引っ張ってくれるところ、めちゃくちゃ好きだなぁ。多分これ言ったら調子乗るから、私が死ぬ三秒くらい前に言おう。

「何万円?」
「三億」

 大きく出たな高額すぎてもはやスケールが掴めない。どれくらいの重さだろう。積んだら家の二階まで届くかな?貰っても使い切れそうにないけど。

「とりあえず町中のホットケーキミックスと牛乳と卵を買い占めて、世界で一番高いパンケーキタワーを作るでしょ?」
「うわもう既に楽しい」

 繋いだ手にゆるく力が入る。可愛い絵本みたいな話に二人してテンションを上げる。

「そこの最上階に孝二と一緒に住む」
「住めんの?パンケーキに?」
「まぁそのへんは業者に上手くやってもらうから」
「メルヘンな気持ちになってる時に業者とか言わんといて」

 手の力がゆるく抜けた。夢から醒める瞬間がオチ。

「孝二は三億円当たったらどうする?」
「世界で一番でかいコタツ作ってみんなでコタツパーティーする」
「若干私のパクリ入ってるじゃん」
「あははっ、バレた。で、そろぼち緊張解けました?」

 普段の調子を取り戻した頃合いを見計らって、彼が顔を下から覗き込むように近付けた。泣きぼくろを押したい衝動をぐっと堪えて頷く。

「おかげさまで」
「良かった。もういいねんな?」
「でもまだ恥ずかしんいまみや
「ふざけてる余裕あるやん、オッケーわかった今すぐ始めましょか!」
「だめ!ストップ!」

 覆い被さろうとしてきた身体を押し返すけど、今度はあっさり引いてくれなかった。揉み合い殴り合いになるかと思いきや、彼がベッドの端に座ったまま上半身だけを倒したから、両手をがっちり繋いでる私も引っ張られて同じ体勢になる。

「もうちょっと落ち着いてからにしよ
「もうちょっとってどれくらい?あと二秒?」

 温度の高い眼差しが数センチの距離まで迫ってくる。待て待て待て、ブレーキ仕事して。

「急かさないで、マジで心臓がかつてないくらいの速さで仕事してるの今」
「おれもかつてないくらいドキドキしてんねん今、もうめちゃくちゃ好き。狂いそう」
「やっぱホントにもうちょっと落ち着こうよ、お互いに」

 しっかり合わせて繋いでいる両手が抑止力となって彼の動きを封じている。

おれとすんの嫌?」
「なんで今更そんなこと聞くの。怒るよ」
「ごめん、ちょっと恥ずかしいことを言わせようとしました」

 まったく、油断も隙もないな。でも本当は、彼の口数が多くなるのは私を不安にさせないためで、自分はそんな彼に甘えっぱなしだということを知っている。

「孝二」
「どしたん?」

 手は繋いだまま、彼の胸に額を押し付けた。ちょっとどころじゃなくて、今はかなり恥ずかしい。

「言えないから、態度でわかってほしい」

 こんなの呆れちゃうほどワガママだと思うけど、でもそのワガママを許し合えるくらい私達はお互いのことが好きだ。だから今こうして同じベッドに寝転んでる。

「ん〜どやろ。おれって鈍感やからなぁ」
「自己申告する鈍感はいない」
「あは、バレた」

 孝二は繋いだ手をそっと離すと、私を優しく抱き締めた。

「無理して頑張ったり、勇気出したりしやんでもええよ。おれスパダリやから彼女が黙ってても何考えてるかわかんねん」
「すご

 思わず感嘆の声が漏れる。こういうこと言えるの世界で隠岐孝二だけなんじゃないか?少なくとも彼の言葉はするりと、私の心の中でぐちゃぐちゃになってる糸を解くような仕事をする。

「お互いの気持ちもロクにわからんのやったら、そもそも抱く資格ないやろ?」
「清く正しく美しい

 こんな良い人間が恋人だなんて、私はもう宝くじ三億円当てたみたいなものだな

「おれらのペースでゆっくりしよ。時間はいっぱいあるんやし」 

 彼は正真正銘心が綺麗な人で、優しい気持ちから派生する言葉を使う。こんな風に大切にされると胸の奥がぎゅうってなるから、同じように背中に手を回して彼を抱き締めた。

「孝二のそういうとこ、好き」
「うは〜〜可愛いぃ〜甘えてくれてんの?」

 この人のこと絶対大切にするという決意をしたの。

「私たぶん何回も止めちゃうと思う」
「そお?じゃあタイム使えんの三回までで〜」
「野球の試合なの?」
「うそうそ。何百回でも使っていいよ」

 彼の暖かい手に頭を撫でられる。耳の後ろまで指先を滑らせると、俯いていた顔を上げさせた。甘くて溶けてしまいそうな視線が直接私に降り注ぐ。うわ、やばい。これは私がめっちゃ好きな人の、私のことめっちゃ好きな顔だ

「死ぬほど優しくするから、全部おれに任せて」
「あ……わかった、任せる
「もぉ〜〜何でそんなにキュートなん?」
「天使からの特殊な訓練受けてるから
「やっぱり?絶対そうやと思った」

 ふざけた答えを出せば片手で頬をむぎゅっと挟まれる。猫を可愛がるみたいな態度をとられて気恥ずかしい。

「何か余裕でムカつく」
「いやいやいま、めちゃくちゃ緊張してるわ。絶対心臓のとこ触らんといてな」
「うわ速っ」
「絶対触るな言うたやん」

 心臓ってこんなに速く脈打って大丈夫なの?彼の健康に被害がないことを祈る。孝二は胸に当てられた手をさっと取り払うと、私を一旦横抱きにして、ベッドの上に優しく寝かせる。

「今からどうするの?」
「マジで?聞くん?」

 無駄話をして欲しくて話しかけると、彼は目を細めて困ったように笑った。

「何でも良いから、喋ってて欲しい」
「う〜んあかん。集中したいから」
「恥ずか死ぬかも
「じゃあ円周率でも計算しとき」

 何でそんな発想に至るんだろう。ワードセンスに圧倒されてる間に、ゆっくりと彼の体重が身体に重なる。瞬きもせず真剣に見詰められて、もう何処にも逃げられないことを悟る。

「本日キュンポイント五倍デー
「お口のチャック緩んでるで」

 親指と人差し指で唇をむにっと挟まれて、流石にしつこかったかなと反省して目を閉じた。指が離れると今度は彼の唇が、ちゅっと可愛がるみたいに軽く触れる。隠岐孝二、略しておきこじ。イニシャルOK。ちょっとダサい。

「何わろてん」

 にやけがダダ漏れだったのか、彼が少し顔を離して聞いた。

「思い出し笑い的な」
「今はおれのことしか考えたらあかんって」
「孝二のことだよ」
「嘘やんやめて。恥ずいわ」
「言ってることめちゃくちゃだよんっ、」

 言葉を遮るようにキスをして、彼が言葉の続きを食べた。私のレベルにはまだ達していないけど、彼も意外と恥ずかしがりな一面がある。
どちらが先に合わせたかなんて忘れるくらいに身体も心もお互いに引っ付け合って、私達はできるだけ二人の隙間を無くそうとする。薄く瞼を開けば、熱っぽい視線が絡んだ。反射的に目を閉じれば彼が角度を変えて、甘いキスをより深い口付けに変える。あぁ何これ。家族と映画見てる時に気まずくなるシーンが今ここ
 溺れるようなキスで呼吸を乱され、全身の力が緩く抜ける。このままでは何もかも彼のペースに流されてしまいそうだ。それは良くない、と気持ちを奮い立たせてなんとか彼の肩を押す。後頭部や背中に回された腕の力が緩まった後、名残惜しそうに唇が離された。

っはぁふぅ……この馬鹿」

 肩で息をする私を見下ろして、心底気分良さそうにうっとり笑う。

「はぁ幸せ〜〜」

 彼は幸せの溜め息を吐くと、覆い被さったまま首筋に顔を埋めてきた。顔が信じられないくらい熱い。キスだけでもうこんなに胸がいっぱいなのに、本当に大丈夫なんだろうかお互いに。

「こら、重い
「ん〜?逃げてみぃや」

 もがいても彼が背中に回した腕の力を強くするから逃げるなんて不可能で、きっと反応を見て遊ばれてる。

「無理っぽい」
「うん、逃すつもりないから」
死ぬほど優しくするって言ったのに」
「あはは、それ言うたらおれが退くと思ってんの?」
「違うの?」
「勿論退きますとも」

 孝二は素早く半身を引き、私の身体も丁寧に起こしてくれた。ようやく圧迫感から解放される。あぁ糖分の過剰摂取。

「キス上手すぎて腹立つ」

 ピンク色の甘い空気の中に黙っていられず抗議を投げると、くすくす笑ってキャッチされる。

「お褒めに預かり光栄です」

 今は何を言ってもポジティブに受け取られるのだろう。調子に乗って私の手を取り、指先に口付けを落とす彼を黙って眺めることしかできない。ていうかこれを恥ずかしがらずにやれる人間が存在したことに驚く。

「ご褒美のちゅー貰えます?」
ばか」

 でも結局頷いちゃうから、私はどう考えても彼に心臓を鷲掴みにされている。

「やったぁ。愛情たっぷりの長めのやつでお願いします」
「当店はカスタマイズ出来ません」
「サービス悪いなぁ」

 クレーマーの頬にそっと手を添える。唇が柔らかく触れると、彼がふふっと小さい笑い声を漏らした。少しくっつけて、また離してを何度か繰り返して感触を確かめているうちに頬に添えてた手に彼の指先が重なった。

「下手くそ」

 ねっとりと甘い声が耳元で響く。手が絡み付いて、指の隙間に指が割って入って来た。この男、マジで腹立つ。

「もっと」

 主導権を奪うように再び身体を倒されそうになり、空いてる手で慌てて押し返して抵抗する。

「だめ」
「だめじゃなーい」

 さらりともう片方の手も捕まえられ、為す術を無くした時。ふと魔法の言葉を思い出す。

「タイム!」
「何それ」
「話が違う!」

 あっさり押し倒されてしまい、視界に広がる景色が天井と詐欺師だけになる。ちくしょう騙された。羞恥に耐えられず瞼を閉じる寸前、彼の顔があと数センチのところまで迫ってきて止まる。

「おれが今、何考えてるかわかる?」

 キスされると思ったのに何故か先に質問が飛んでくる。突然始まる抜き打ちテスト。彼は時々こういう意地悪をする。その度に私は困りながら、悩みながら、一生懸命考える。いつものように瞳の中を覗き込んだ。これは

「私のこと好きすぎておかしくなりそう?」
「いつからそんな自信家になったんやろなぁ」
「はっ倒すよ」
「押し倒されてる身でよう言うね〜」

 ツッコミがいちいち的確すぎる。もっと思考を巡らせてみてもこれだという別解が思い付かない。彼が私のこと大好きなのはもはや自惚れではなくて事実だ。本人が認めなくても私はわかってる。

「答え教えて」

 ええよ、って言うと彼は目を閉じて額をコツンと合わせた。そしてわざと、少し弱ったような声を出す。

「心音速すぎて死にそ〜」
「あはは、わりと深刻なやつ〜」

 心臓に手を当てて「大丈夫?」と聞いてみる。何でもないように笑ってる彼の鼓動が私よりも速いの、面白すぎるでしょ。けらけら笑っていると、孝二は少し恥ずかしそうに私を呼んだ。

「好き」
「うん。知ってるよ」

 君にたくさん教えてもらったから。そこまで彼に教えてしまう私も、今日はかなり調子に乗っている。彼は少し黙って、近付けていた顔を離す。どうしたんだろうと思って目で追うと、目頭をぐっと拭うような仕草をした。

「おれのこと、好きになってくれてありがとう」
「それ今言う?」
うん」

 私も大概空気読まないけど、彼も中々。手を伸ばして暖かい頬に触れる。照れた顔や怒った顔、色んな表情を知ってるけど、泣きそうな顔は今日初めて見た。

「孝二」
「はぁい」

 彼が返事をして微笑んだ拍子に、ぽたりと雫が落ちてきた。今は揶揄わないけど、明日ちょっとネタにしてやろうと思う。

「今日も明日も、明後日も。世界で一番、大好き」

 自分がこんな風に人を好きになるなんて全然思ってなかった。日々の中に転がってるショボい出来事を拾って、大切な思い出にしてくれた彼は、私の人生の宝くじ一等の景品。

「ずっと一緒にいよう」

 私の気持ち。泣いちゃうくらい私のこと好きなら知ってて欲しい。

幸せすぎて死にそう」
「生きろ」

 頬を軽く叩いて喝を入れると、孝二は表情をより一層緩ませる。なんて腑抜けた顔。でもその顔もめちゃくちゃ大好き。何かを言うより黙ったまま、どちらともなく唇を押し当てた。もうそろそろ観念して彼の首筋に手を回す。腹を括ろう。

 彼は角度を変えながら何度も何度も甘いキスをして、縋るように繰り返し私の名前を呼ぶ。生まれてきたことを大切にされている。命は期間限定で、あと何時間かしたら今日も終わる。でも地球は回り続けるから、またこんな幸せな夜が訪れるのだろう。少し開いた隙間から吐息が漏れても、幸せすぎて死にそうでも、私達は離れることができなかった。

 3.1415926535わかんない。

 でも、もう怖くない。人と繋がる喜びを彼が教えてくれたから。良いところも駄目なところも受け止めて、彼の全部を愛すると決めた。
 とにかく、今日は二人で幸せな夢を見よう。起きた時に夢じゃないって気付いたら顔を見合わせて、ネグセスゴイヨ〜と笑ってオチをつけたい。

 これは私と隠岐孝二の、夢みたいに幸せな日のお話。