もちこ
2022-02-11 18:35:43
10001文字
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This is 幸せ【隠岐】

昼寝、ゲーム、お泊まり。

「じゃあ行ってくるから、戸締り忘れずにね」
「はいはい。お母さんもお土産忘れずにね」
「孝二くん、娘をよろしく」
「はい、お二人とも気をつけて。いってらっしゃ〜い」
「いってらっしゃい」
「いってきます」

 それは娘を置き去りにして、夫婦水入らずでの小旅行へと旅立った両親を見送ってすぐのことだった。

「ちょっとこっちおいで」

 リビングのソファーに座り、お母さんが私を叱りつける時みたいに手招きをする隠岐孝二を警戒して、あえて遠くから返事をする。

「なに」
「おいでって」
「私なんかした?」
「してないよ。ただちょっと隣に来て欲しいねん。人肌恋しいから」

 まぁそれならと少しずつ糸で手繰り寄せられるように様子見しながら彼に近付く。普段ならこんな風にぎこちなくはならないけど、今日に関しては話が違う。色々な条件が揃っていることはこの私でも充分理解していた。

「サミット会場の最寄駅くらいの警戒レベルやん」
「石橋は壊れるまで叩く主義」
「それはただの破壊者ですね〜はい、ようこそ」

 隣にりんご二つ分くらいの距離を空けて座れば、彼はその距離をすぐさま詰めて私の肩に腕を回した。

「今日何でそんなに警戒心強いん?」
マジでわかんないの?」
「ううん、わかるけど。意地悪してるねん」

 性格悪引き気味に見つめると隠岐はふっと柔らかく笑顔を浮かべる。

「ごめんな。でもおれは今日、そういうことするつもりで来た」

 めちゃくちゃいかがわしいバージョンの『チャリで来た』だ。でもこんなことを言って茶化すわけにはいかない。何故なら今、彼の態度がめちゃくちゃ真面目だから。視線を斜め下に落として何とか笑うのを堪える。

「二人で高校卒業したらって約束やったもんな?」
「ちょ、孝二

 私の頬に手を添えて、彼は視線を合わせることを強要した。瞳の中の静かな場所で、不安気に浮かぶ色を見つける。私が昨夜、緊張でなかなか寝付けなかったことなんてこの人は知る由もないのだろう。

「約束は守る」

 武士みたいな私の返事を聞くと、彼は目をゆるく細めてぎゅうっと抱き締めてきた。

「嬉しいありがとう」

 腕に籠る力も、身体にかかる体重も、男の子のもので、普段からどれだけ彼に優しくされているのか嫌でもわかってしまう。もう二年も付き合ってるんだから今更私が拒否するはずもないのに、それでも言葉で合意を取るのは彼がこちらの気持ちを大切にしてくれてるからだろう。

「でもほんまにええんかなお義父さんもお義母さんもおれのこと信じて泊まり許してくれたのに、実際めちゃくちゃ手出す気満々で来てんねん
「突然弱気になるじゃん」

 軽薄な笑いとともに突っ込みを入れると、彼は急に私の両肩に手を置いて、マジな顔で語り始める。

「ほんまに真剣やねん、おれ。ご両親には絶対嫌われたくないし信頼されたいから、学生のうちの婚前交渉は流石に印象悪いかなって思うやん?でも慎重になりすぎて逆に不安にさせたくもなかったしそれやのに肝心の彼女はそういう素振り一切ない上に毎日めちゃくちゃ可愛いを更新し続けるしこの二年間、おれがどんだけ耐えたことかとりあえずここからは現代人の穢れた貞操観念を呪いたいって話になるねんけど、」
「いやとりあえず落ち着いてくれる?」

 何だコイツ。めちゃくちゃ考えてくれてるのはわかるけど、シンプルに勢いが強すぎて怖い。肩に置かれた手を退かして彼の膝に返す。

「とにかくご両親にチャラいとだけは思われたくない」
「思われてないよ」
「いや、おれまだ覚えてるからな。お義母さんと初めて会った時、顔見て『百戦錬磨の男きた』って言われたこと」

 そういえばそんなことあったな。お母さんめその一言のおかげで彼がイメージを払拭するために二年も手を出さずにいたのだと思うと健気で仕方ない。栄誉を讃えて表彰されるレベル。

「でも平安時代の貴族に比べたら二年我慢してる孝二はすごいよ。泊まりに来たらいつも寝る部屋分けてたじゃん」
「おれが邪念を払うために焚き火の音聞きながら寝てたって話したことあるっけ?」
「縄文時代のナイトルーティーンの話?」

 どおりで彼のYouTubeのオススメ動画にヒーリング系の音楽ばかり出てきたわけだ。ヨガにでもハマっているのかと思った。

「でも、私の家族の気持ちまで大切にしてくれて嬉しいよ。ありがとう」
「ううん。こっちこそ生まれてきてくれてありがとう〜」

 この人こんなに私のこと好きすぎて大丈夫なのかな

「とにかく、もう今日って決めたなら今日だよ。一応私も昨日緊張で寝付けなかったりしてたからさ
「え!嘘やんおれもやねんけど何時に寝た?」
「二時」
「はいおれ三時〜〜」

 そういう勝負してるんじゃないんだよ。手を挙げて勝ち誇った笑顔を浮かべる彼氏を静かに見つめる。この人大丈夫じゃなさそう。

ねぇ、とりあえず昼寝しない?」
「せやな」

 テンションを一旦リセットした方が良かろうと思って提案すると、彼は緩みきっていた表情をストンと無に変えて頷いた。流石切り替えの鬼。

「あ、でも晩御飯とかどうする?」
「十七時に届くようにデリバリー頼んでおこう。そしたらそれまで寝れるし」
「最高。何食べたい?おれ注文するよ」
「インドカレーがいい」
「あるかなぁ………お、あるやんあるや〜ん」

 私の家から少し遠い、踏み切りを越えたところに店を構えるインドカレー屋さん。そこのデリバリーは前に一度家族で頼んだことがある。インド人のお兄さんが自転車を漕いで家までカレーとナンを持ってきてくれた。美味しいから彼にもぜひ食べて欲しい。注文を終えると、早速明かりを暗くしてソファーに寝転んだ。自分の部屋から持ってきた毛布を身体にかけて、彼を待つ。

「孝二、おいでよ」
「エまさかおれもそこで寝て良いんですか」
「なぜ敬語。毛布何個も出すのダルいし、ちょっと寝るだけだから」
「いや寝れるかなぁ」
「早く」
「はい」

 お邪魔します、なんておずおずと毛布を捲ってソファーにゆっくりと身体を沈める。孝二の身体は思ったより大きかった。

「いやめっちゃ狭ない?息出来る?」
「狭いね。ぎゅってする?」
「する

 身体を引っ付けるとなんとかソファーの幅に収まった。まぁ私は奥にいるので落ちる心配はない。孝二はまぁ、最悪落ちても大丈夫だろう。

「あーやばい、なんか焚き火の音聞こえてきたかも」
「しっかり調教されてるね」
「勘弁してや〜

 困ったようなか細い声に返事はせず、彼の温もりを感じながら意識をゆらゆらさせる。カンガルーの袋の中って多分こんな感じ。優しい治安

なぁ。ほんまにちょっと、ちょっとだけちゅうしてもいい?」
「だめ、寝て」
「わかりました」

 この場合のちょっとはちょっとじゃない。今許すと何もかも駄目になってしまう可能性があるから、ここは勇気を持ってハッキリお断りする。

後でならいいよ」
「よっしゃ超寝よ〜」

 調子良いな。瞼を閉じて視界を暗くする。おやすみ、と短く告げたのを最後に、二人で静かな眠りに落ちた。

**

 一度も目を覚まさないままノンストップで眠り続けた私達は、インド人の来訪を告げるインターホンで飛び起きた。カレーとナンが入った袋を受け取る時、カタコトの日本語で「ネグセスゴイヨ〜」と笑われて、ちょっと恥ずかしい思いをする羽目になる。

「絶対バカップルやと思われたな」
「日本語上手すぎでしょ」

 お互いまだ寝癖のついている頭で食事の準備をしながら、へにゃへにゃの笑顔を見せ合う。

「起きてすぐ食べれる人?」
「全然余裕で食えますね。むしろ腹ペコ」
「私も結構大丈夫なタイプ」

 とはいえ、まずは暖かい飲み物で胃に合図を送る。

「インド語でいただきますって何て言うのかな」
「インド語?」
「ナメてる?」
「おぉ怖」

 インドの人が使ってたらもうそれはインド語なんだよ。文句ある?ヘラヘラしてる孝二を睨む。

「てかそもそも、いただきますって日本特有の挨拶やもんなぁ」
「あ、それもそうか」
「でもやっぱり何事に対しても感謝の気持ちって大事やと思う」
「わかる」

 老人ホームみたいな空気感で手を合わせて、いただきます。マイルドな甘みのバターチキンカレーにふわふわのナンをディップして、パクッとひと口。

「美味しいね」
「ナン久しぶりに食べたけどめ〜っちゃ美味いなぁ」
「このお店、ココナッツナンとかチョコレートナンもあるらしいよ」
「商売にしょうもないプライドは要らんという教訓」
「逆に潔い」

 テレビで芸能人が徒歩で飲食店を探したりする番組を流し見しながら食事を続ける。

「なんかこういうの良いよな」
「絶対ロケ車使ってるでしょ」
「そっちじゃなくて」

 こんな風に過ごす時間の話、って微笑む表情がバターチキンカレーより甘すぎて、もうほんとにこの人は。いい加減にして欲しい。

ね〜」
「あ、照れてる。可愛い〜」

 うるさい黙れってインド語でなんて言うのかな。彼の視線から逃れて、ナンをひたすら口に詰め込んだ。