日中は日差しが暖かく過ごしやすいが、日が落ちるとまだ肌寒さが残る葉月。鬼が住むと言われる鬼哭村にも等しく夜が訪れ、村中に花冷えるようなひんやりとした空気が流れていた。
時刻は暁八つ。
鬼も人も英気を養うため寝静まっており、周りは静寂に包まれている。森に囲まれているこの村では双羅山の方からホーホーと梟が鳴く声が暗闇に響き、ひっそりと存在する村を月光が優しく照した。
その月明かりに照らされて、夜空に一つの影が映る。影は月を背景に宙をくるりと一回転し、足が地上につく前にターンッと再び空高く跳ね上がった。影が動く度に一つに纏められた長い髪は躍るように舞う。その不規則だが隙のない動きは人外のように神秘的で、見えるものが見ると神に奉納する舞踊のようだった。
夜空を歌う様に舞う影は、最近御屋形様に見込まれ鬼道衆の一員に引きこまれた期待の新人、緋勇龍斗。…の双子の姉、緋勇鈴菜。
彼女は毎夜、村を巡回する様に夜空の散歩を楽しんでいた。夜空を高く飛び跳ね、人目につく様な大きな動きで村の周囲を歌いながら散策している。しかし、こんなに目立つ動きをしているのに村人の誰一人騒がない。
受け入れられている訳ではない。
村人が見慣れている訳ではない。
では何故か。その答えは彼女はすでに生者ではない、ただそれだけである。
彼女…鈴菜の体はよく見ると空気を通す様に薄く透けており、地上に生きているものなら感じるはずの重力を持っておらず足は宙に浮いている。傍から見ると幽霊と等しい風貌だが、弟の体に共生し彼の氣を使って存在維持している事から、幽霊とは違い人の目に映る事はない。その証拠に櫓で見張りをしている村人の眼の前で手を大きく振っても気づかれる事はなかった。
幕府転覆を企てている鬼道衆の本拠地であるこの村は、彼らが慕う御屋形様の妖術で隠されている。しかし最近幕府の手のものが侵入してきた経緯があることから、いくら強力な結界が引かれていようとも村の警備は怠れなかった。村の為に必要とはいえ、暗闇の中神経をつかって侵入者を探す行為を続けなければいけないその心労はいかほどだろうか。
『夜間までお疲れ様です』
パチパチと松明から火花が弾け、静かな夜に音が響く。松明の光を頼りにして歩いていた見張りの一人はどうやら休憩を取る様子なので、鈴菜は彼らに労いの言葉と軽く会釈をした。
けして彼等に見えないとは分かってはいるがこれは気持ちの問題であり、古武術で礼儀を叩きこまれた鈴菜にとっては普通の事だった。
櫓から村の方に降りた後、ふわふわと風の様に漂いながら鈴菜は夜の村を散策した。
この村は江戸の町の賑わいとは少し違い、なんとなく糸が引かれているように張りつめている。村人は御屋形様に見込まれた新人を受け入れながら、どんな人物か警戒している様子だった。彼らの背景を考えれば無理もなく、龍斗は「これも新参者の役目ってね」と明るく笑っていたのでこの件に関して心配はしていない。
村に来て数日しか経過していないが、それでもこの村が優しくて哀しい人達の集まりということはすぐに理解できた。自分がそう思うなら、実際に触れ合っている弟は尚の事そう思っているのだろう。
———復讐を望むのは、奪われた日々が愛しかったから
———相手を怨讐するのは、失ったものが掛け替えの無いものだったから
血反吐を吐き、茨の道だと分かりながら裸足で歩く彼らを、見捨てる事は出来なかった。例え以前の仲間たちと敵対することがあったとしても。
……だが、正直に言うと戦いたくはない。弟にも戦わせなくない。しかし遠くない未来、必ず戦うことになる。なにせ最近直接ではないが龍泉組と争ったと聞いたのだから。
すーちゃん、と笑う皆の顔が浮かぶ。
ズキン…と痛む心に蓋をして、目をキツく閉じその場に立ち尽くした(浮かんでいるので立ち尽くすという表現は当てはまらないかもしれないけれど)。
そうして目を閉じていると神経が研ぎ澄まされ周りの音を拾いやすいようで、何処からともなく唸り声が聞こえた、ような気がする。
目を開け、周りを見渡す。
この場所からなら僅かに聞こえる程度だが、心当たりのある礼拝堂の方に向かうと次第に声が大きく聞こえてきた。
取り合えず礼拝堂に前に来てみたが、想像通り扉は閉まっていた。鈴菜自身は壁を透き通れるので関係ないが、防犯をしている人様(しかも独身男性)の家に入るのはさすがに気が引ける。でもまあ、仕方がないか思い直し、入り口の壁を通り抜けた。
『お邪魔しま〜す……(いいですよ〜……)……は〜い……』
せめて声だけは……と思い小声で話しかけ、勝手に返事をつくって家に入る。
いつもは厳かな雰囲気を感じられる礼拝堂は時間帯が時間帯でありがらんとした静けさで覆われていた。その静寂を破るように聞こえる唸り声はその奥の寝室から続いている。
『神様、夜這いじゃないので不法侵入は許してくださいね〜……。これで天罰は嫌ですよ〜……』
いつか見た彼の仕草を真似して礼拝堂の十字架に軽く手を組み呟く。その後隣の寝室を慎重に覗くと、想像通り御神槌が夢を見て苦悶の表情を浮かべているところだった。額には脂汗が浮いており、胸の辺りで服を握りしめ、呼吸が荒くなっている。
『御神槌さん、ゆっくり、ゆっくり深呼吸してくださいね。ヒッヒッフーですよ、ヒッヒッフー』
龍斗が側にいたら「御神槌は神父であって、妊婦じゃね〜〜〜〜んだわ」とツッコミを入れるだろう彼女の言葉はやはり届くわけもなく。
相変わらず彼は唸り声を上げ苦しそうだったので、彼女は彼の胸に手のひらを置き、目を閉じ集中した。
想像していた通り、彼の氣は乱れに乱れて整っていない。氣が乱れると精神の均等が崩れ精神的にも不安定にやりやすいからきっと悪夢も見てしまうんだろう。
表面上は穏やかにみえても彼はずっと苦しんできたんだろうなと容易に想像が出来き、労う意味も込めて彼の氣を整えていく。暫く繰り返していると次第に苦痛表情は消失し、ゆっくり穏やかな呼吸に変化していった。
『つ、疲れました……』
穏やかな彼とは対象的に今度はこちらがヘトヘトになる。寝ている彼の横で鈴菜は両手を畳に付けぐたっと俯いた。子供が癇癪を起こし、ぐしゃぐしゃに丸めたアヤトリを全て解かないといけないような乱れ具合に、これは定期的に整えたほうがいいと判断し長期戦になることを覚悟する。
ゆっくり深呼吸をして自身の少なくなった氣を整えている間に、隣で寝ている御神槌をちらりと横目で見た。静かに息をする彼を観察していると、数日前に出会ったことを思い出す。
キリスト教を信仰し伝導者の立場である御神槌だが、弾劾や迫害・拷問などの体験から心の底から神の存在を信じることが出来なくなっていた。自身の猜疑心を彼は恥じてるようだったが、人生すべてをかける程強く信じ、その価値観を変えるほど悲惨な体験をしても悩みながら苦しみながらそれでも信じたいと願うその姿をみて、鈴菜は純粋に凄いなと思っている。
忘れてしまえば、逃げてしまえば楽だろう道をけして選ばない。真面目で自分を追い込みやすい彼を愚直だと罵る人もいるだろうが、此程情熱的な人もなかなか居ないだろう。
だから負けないでほしい。頑張ってほしい。柳のようなしなやかな強さを持っている彼は、彼の信念や行動で多くの人を幸せに出来るはずだから。
そんな思いを込めて、努めて穏やかに声をかけた。触れられるわけのない彼の頭をゆっくり撫でる。
『頑張りましたね、今までずっと』
半分透けている私の手は温もりも優しさも与えられない。それでも気持ちだけは伝わってほしいと祈りを込めると穏やかな呼吸音は次第に寝息に変化していった。
『おやすみなさい、今度はいい夢を』
穏やかに眠る彼に軽くほほえみ、部屋を後にする。出ていく時には「お邪魔しました〜……」という挨拶は忘れずに。
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