森永
2022-11-15 19:50:46
8976文字
Public
 

春の嵐に紛れて泣いた②

無限×風息/くたびれ大学講師とワケありDKの現パロ/続きます/ちょっと近づく



……ん?」
 彼に気づいたのは、境内をゆっくりと回った終点に近いところだった。分社なのか、小さな祠が組まれたものが脇にあって、そこに上がる短い階段に風息がぽつんとひとり座っている。
 足元には買い物袋が置かれていて、なるほど、宿で見ないと思ったら外に出ていたらしい。祖父母に言いつけられて、おつかいにでも出ていたのかもしれない。今日は制服ではなくトレーナーを着て、また腕まくりをしている。膝に置いた雑誌だかをじっと眺めているようで、無限には気づいていないようだった。
 無限は立ち止まって、すこしだけ迷った。昨夜のことを謝りたいと思っていたから、今はいい機会だ。けれど不快な思いをさせておきながら、蒸し返すのも可哀想かもしれないという思いもあった。相手が十七歳という、難しい年齢の少年だから余計にためらいはあったが、無限は結局、風息に向かって声をかけた。
「風息」
「!」
 少年は弾かれたように顔をあげ、ぴしゃりと開いていた冊子を閉じた。びっくりした猫目が丸くなって無限に焦点を合わせると、やはりかすかに表情がこわばっていって、無限の鳩尾を後悔が刺した。しかし、声をかけた手前、ここで踵をかえすわけにもいかず、ゆっくりと風息の方まで歩いていく。
 目の前に立つと、風息は買い物袋に持っていた冊子を乱雑に突っ込んだ。ついそれを目で追うと、雑誌かなにかだと思ったそれは、「生物」とタイトル書きされたワークのようだった。
「すまない、取り込み中だったか」
「いや、……違うけど」
 風息は無限のほうを見上げていたが、手元はワークをきっちり袋に押し込んでいる。紙が歪まないか心配になるくらいの手つきが少し気にかかったが、かまわず無限は口を開いた。
「そう。少しいいかな、昨日のことで……
「ごめんなさい」
 無限がそう言う前に、風息はすばやくそれを口にした。面食らって無限がいちど口を閉じると、膝の上でつくった握りこぶしに力をこめながら、風息は矢継ぎ早に「生意気なこといいました。ごめんなさい」と続ける。その目はじいっと無限を見つめていて、それはもう意地のような、目を逸らしたらその途端死んでしまうのだというような緊張感があった。そして、風息の口ぶりはなぜだか言い慣れた気配があって、「生意気なこといいました。ごめんなさい」を何度も口にしてきたのかもしれない、と根拠のないことを無限に想像させた。
 あんまりにも力を込めて見つめられるものだから、はじめは気圧されていた無限はかえってだんだんと力が抜けてきて、気づいたときには「謝るのはきみじゃなくて、私のほうだ」という言葉がするりと唇の隙間から通っていた。
「きみにも事情があるだろうに、ろくに知りもしないで詰め寄ってしまってすまなかった。どうか許してほしい」
 それを聞いた風息の反応は、無限が想像していたような、憤ったり、哀しんだり、ましてや作り笑いを浮かべて流したりとかいったものではなかった。少年は生まれて初めて言葉を耳にしたみたいにきょとん、として、さっきまで全身髪の先まで張り詰めていた力をすっかり抜いてしまったようになって無限を見上げて、それからふっと顔を下に向けた。
 風息がなにかを言うまで、もう自分はなにも口にするまいと無限は口を閉じる。返事を待つあいだ、何度か弱い風が吹いた。木の葉が擦れる音がして、無限と風息の肩や頬に落ちる木漏れ日が模様を変える。あたたかな場所だと思った。何度目かの風が吹いたときに、すこし冷たさを感じるな、と思った時、風息がぽつりと呟いた。座ったら。風息が自分の横をさして言うので、無限はそろそろと石段に腰を下ろした。神様の住まいを前にして罰当たりかもと思わないでもなかったが、もともと不信心者である。気にせず座って、風息がまた口を開くまで、しばらく二人して黙りこくっていた。
「無限さん」
「なに?」
…………ほんとうに、怒ってないの」
「怒るわけない。怒るとしたら、きみのほうだと思う」
「なんで?」
「ひとの、触れてほしくないものに触れるのは、たとえどんな仲でもそうするほうが悪い」
 だからこそ、無限は人と深く接するのが得意ではない。引き際を見極めて、触れないよう注意しているうちに、相手のほうがこいつは自分に興味が無いのだな、と判断して離れていってしまう。今回は、無限の感情にひっかかるものがあって、だから踏み越えてしまった。
 しかしこの歳にもなって、こんなふうに個人的なことで人に謝ることも少なかったので無限は内心、うっすらと緊張していた。そこそこ歳の離れた少年相手に、許してくれるだろうかと心配するなんて、数少ない友人である北河が知ったら腹を抱えて笑うかもしれない。
「大人のひとに『許してほしい』なんて言われたの、はじめてだ」
 横を見ると、風息も無限のほうを見ていた。その顔は戸惑ったようではにかむような、区別のつかない表情をしていて、口がどっちにしたらいいのか迷うみたいにまごつかせて、風息は言った。
「いいよ、許してあげる」
 まるで幼児の仲直りだ。口にしてから安心したように、ふっと気を抜いて微笑む風息の髪の先が、陽に透けてきらきらとした光の粒に見える。その些細なまぶしさにひとつふたつと瞬いてから、無限はありがとう、と返した。
 いつの間にか口許がゆるんでいて、それがずいぶんと久しぶりだということを、無限はあとになって思い出した。

 しばらく二人で並んで座っていたが、二人ともむず痒い心地を感じていた。そろそろ帰って昼食の準備をしないと、と風息がいい、用事も当てもない無限もそれについて宿へ戻ることにした。
 宿へ帰る道すがら、二人はぽつぽつととりとめもない話をいくつかした。あの神社は普段まったく人がいないので休憩場所に使っているだとか、盆の時期になると祭りがあって植物が当たる抽選会に街の人が総出で参加するとか、宿の軒先に植えられている朝顔は風息が小学生の時に当てたものだとか。ほとんどは風息が間を繋ぐみたいに喋るのを、それでも無限なりに相槌を返しながら聞いた。
「そういえば」
「うん?」
「無限さんって、本当は観光に来たんじゃないだろ」
…………
「わかった、その反応は図星だな?」
 無限のなんとも言い難い表情をうかがって、風息は控えめに面白がった。どうしてそう思うのかと尋ねると、こんな何もないところ観光に来るやつなんていないよと返答はにべもない。最近の若者はけっこうリアリストなんだな、と三十路に突入した無限は思ったが、よくよく考えると自分だっておおよそ子どもらしい子どもではなかった。楽しい記憶でもないのでそっと頭の隅に押しやった。
「友人の勧めで来たんだけどな……
「ええ? 物好きだね、その人。ここに来たことあるんだろ? 何を見ておすすめしたんだろう」
「よく考えれば、あいつはこの世の大抵のものごとを楽しめるやつだ」
 なんだそれ、と風息は胡乱な顔をする。無限も、今回に限らず昔から世話を焼いてくれる友人をありがたく思っているが、同時にたびたび人間性の違いに辟易することもあるのでなんなんだろうな……と遠い目をするしかなかった。
「まあ……あいつがここを勧めたのは多分、私がとにかく何もせずに休めるところを考えてくれたからだと思う」
「やすむ? 病気かなにかなの、無限さん」
「近いようなものだ。だから仕事も休んでるんだ」
「へー、大人も春休みなのかと思ってた」
「ある意味ね」
 ふーん、とまだちょっと風息はふしぎそうに首を傾げている。あまり深く話しても余計だと思ったのでだいぶ経緯をはしょったけれど、やはり面白い話ではなかったのだろう。
 それからしばらく、短い沈黙があった。日差しは変わらずに二人の頭上に降っていたけれど、だんだん風が出てきたかもしれない。遠くで海がざらざら鳴くのを聞くともなしに聞く。
「あんた、なんにも聞かないんだな」
 唐突な言葉に、無限はちょっと息が詰まった。風息を見ると、視線の先で少年は、瞳を前に向けてなんでもないふうに歩いている。
…………なにを?」
「色々。結局、なんで成績表捨てたのかとか、親のこととか」
「聞いた方がよかったか」
………………ううん」
 風息は、ふっ、と糸を緩めるように笑った。神社で見たのと同じ、どこか困ったような、うれしげなような、複雑な笑みだった。
「そういう風に、俺に興味無いの、なんていうか……安心する」
 そう言うと、風息はふたたび前を向いた。唇の端っこが、まだ微笑んでいた。
「ここじゃ、良くも悪くもほっといてもらえないから」
 無限には、そう、と返すのが精一杯だった。おそらくそれが、風息ののぞむ無関心なんだと、疎い無限にもわかった。
 二人の間をひゅうと風が吹き抜ける。二人の間には、隔てるものも何もない。肩をつけて歩くほど親しくもなければ、互いへの興味とかいった結びつきもない。ただ他のひとが知らないことを知っているし、今は他の誰もいない道を、こぶし二つばかり空けて歩いている。息苦しさは感じなかった。ただ風が吹いているだけだ。
 「あの部屋さ」
 ぽつりと風息がこぼすので、無限はまた黙って耳を傾けた。あの部屋、というのはきっと、無限が宿泊している部屋のことだろう。ポケットの中で部屋の鍵が思い出したようにカチカチ鳴いた。
「俺の秘密基地なんだ」
……秘密基地?」
「そう、秘密基地」
 無限がオウム返しすると、風息はこくんと頷く。
「あそこから海を眺めるのが好きでさ。暇な時とか、一人になりたい時にコッソリ部屋入ってぼーっとしてたんだ」
 菓子を持ち込んでつまんだり、友達から借りた漫画を読んだり、そんなこともしていたらしい。
「だから、あんたが来た時に証拠隠滅するのに手間取った」
 そう言うと風息はニヤッと笑った。そうして笑うとさらに猫っぽい顔になって、憎めない感じがする。
「じゃあ、他の部屋に私を入れることもできたんじゃないか」
「んー……でも、なんていうか、無限さん、あんまりくたびれた顔してたから。俺がいちばんだと思う景色が見れたらいいなって。俺も海見てたら落ち着くし」
 無限は思った。風息はいままで出会ったなかで、とびきり純粋な子だ。そして痛いほど誠実だ。
「せっかく秘密基地をゆずってもらえたんだ。ゆっくり癒されるとするよ」
「あげてないからな! 貸してるだけ。あんたが帰ったらまた、俺が使うから。きれいに使えよな」
 訂正、純粋で誠実で、そしてなにより無邪気な少年だった。あまりの言いように、無限は自然と笑いを漏らしていた。わかったよと無限が笑うと、風息もつられて笑う。まるで打ち解けた友達どうしのように、二人は肩を並べて歩いていた。鬱になりかけて逃亡してきた先で、見ず知らずの、ちょっとワケありそうな年下の少年とこんな関係になるなんて、不思議なことだった。けれど友情みたいななにかを、たぶん二人とも悟っている。
 午後は海を見ようと思った。風息が好きだという、窓の向こうで揺れる波間を。